団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

食器洗い

2018年12月26日 | Weblog

  カナダで学んだ学校には、日曜日以外毎日学校へ2時間の奉仕が義務付けられていた。最初の年、私は食堂の洗い場に配属された。在校生職員合わせて2800人の学校だった。そのうち家庭がある500人を除くと朝、昼、晩と1回に2300人の人が3回食事する。作る方も大変だが、あと片付けも大仕事である。学校が用意したゴム長靴に首から足元まで覆うゴムの前掛け熱湯に耐える分厚いゴム手袋をして働いた。洗い場には大きな自動食器洗い機があった。熱いお湯でまずざっと食器の主な汚れを洗い流す。それを食器洗い機の入り口に人の手で置く。ベルトコンベアに乗せられて食器がまず洗剤の噴霧を受ける。ブラシが回転している所2か所を通過する。熱湯消毒されて出てきた食器は、ここでまた学生の手で籠に入れられる。その籠を専用の押し車に積んで食器をしまう場所に運ぶ。2時間ですべて終わらせた。

 日本でもレストランや料亭などで修業する人たちも、初めは洗い方としてしばらく働くようだ。私はカナダの学校で食器を洗う仕事ができたおかげで、今でも食後の食器洗いをいとわない。2300人分洗っていた過去は、夫婦の二人分など物の数ではない。妻の海外赴任で暮らした国々でも客を招いて設宴を多くした。

 洗うだけでなく主夫になってから、調理は私の担当となった。食材の調達、調理、接待、後片付け、食器洗いの繰り返しだった。とても良い経験になった。嫌なこともたくさんあったが、招いた客からいろいろな話を聞けた。さらにたくさん話が聞けるように料理の腕も上げようと努力した。人間、美味しいものを食べたり、楽しく酒を飲むと、厄介な自我の壁を取り除き、旧知の仲間のようになれる。任地によっては、通いのお手伝いを雇うことができたが、設宴の後の片づけは夫婦二人でやった。客が帰った後、午前1時2時まで片づけ洗い物をした。

 歳をとり古稀を過ぎた。以前のような大人数を一度に招くことはない。せいぜい10人が精一杯である。誰を招くか決まれば、まず献立を決め、食材を集める。日本は本当にすごい国だと実感する。海外に暮らしていた時は、ある食材で献立を決めなければならなかった。今は違う。何でも欲しいものは、近所のスーパー、行きつけの魚屋、肉や、どうしても見つけられなければ、ネットで検索すればすぐ申し込み、宅配便で調達できる。常温、冷蔵、冷凍でも日時指定で入手できる。こんな国他にあるだろうか。

 12月に入って毎週末客を招いた。いつもの通り、客からたくさんの話が聞けた。食材を吟味してあちこちから調達した。客に喜んでもらいたい一心だった。客が帰った後、夫婦二人で酔ってふらつきながらも後片づけした。私は食器洗いをしながら、客の皿を点検する。綺麗な皿ほど私を嬉しがらせるものはない。残してあれば反省する。

 客が持ってきてくれた自分で育てた土がついたカブと大根を水で洗った。水が冷たかった。私が幼い頃の母ちゃんを思った。お湯がない洗い場で母ちゃんは手を真っ赤にして野菜を洗い、みんなの食器を洗っていた。50年前のカナダの学校は、体育館さえ暖房されていた。熱いお湯で食器が洗えた。あれから50年、日本も便利になった。それでも私は面倒なことを面倒だと思わないで片づける。自分のできることを淡々と最後までやっていたい。それで良いとやっと思えるようになった。

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