団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

教員と過重労働

2015年08月28日 | Weblog

  「学校の先生に夏休みはある?」名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授内田良さんのレポートを読んだ。内田准教授は「結論を先に言えば、先生は休んでいない。夏休み中の日々は、立派な勤務日だ。それどころか、平日でも残業をし、さらには土日に出勤することさえしばしばある」と言う。多くの教員が過重労働によって本来の教えることにエネルギーを集中させられていないことを私はこのレポートで知った。

  岩手県で起きた中学2年生の男子生徒のイジメによる自殺事件は私を出口のない迷路に押し込んだ。いったいどれほどの犠牲者がでれば教育機関に変化を促せられるのか。教育立国を目指すと掛け声は勇ましいが、教育分野の後進性は遅々として前進しない。ただ今回の事件の報道から自殺した生徒と担任女性教師との間で交わされていた連絡生徒ノートの記載が頻繁であったことを知った。これだけの記述には教師の相当な負担であったと推測する。

 私の中学生の孫の英語の期末テストの答案を見た。マルとバツと点数しか書いてない。私が中学生だった50数年前と変わっていない。これではテストがただの成績競争の順位決定手段でしかない。テストでの解答結果は、生徒の学習到達度、理解度を知る宝庫である。そこを生徒に示し指導すれば、生徒の学習は前進できる。

 私はカナダの高校に転校して感心したことがある。提出した宿題でも答案用紙でも日本の通信添削会社に負けないくらい丁寧に添削指導してあったことだ。私はこんなに懇切丁寧に書き込みをしてくれるカナダの教員は凄いと思った。ところが実態は違った。各教員にはスチューデントワークという学校への奉仕活動の一貫で1日2時間教師の業務を手伝う制度があった。大学部の学生が教員を補助していた。テストで生徒が間違えたところには、丁寧な添削が書き込まれていた。カナダに行く前に学んでいた日本の高校でそんな書き込みはなかった。点数が全てだった。

 私は確かに日本の高校での成績は良くなかった。カナダに行ったことで転地療養のようにみるみる成績は良くなった。それはひとえにテストごとの丁寧な添削のおかげだった。帰国して日本では教員になれないとわかり、私は塾を始めた。そしてカナダで経験した生徒のテスト結果を分析添削する方法を取り入れた。これが大きな効果を上げ、成績不振の生徒の役に立った。

 文部科学省は24日、2016年度予算の概算要求で、公立小中学校の教職員定数を3040人増やすことを求めることを決めた。それも必要なことであろう。しかし教員ばかり増やしても今までと同じことをしていては教育改革はなされない。教員の過重労働を軽減することもできない。

  私に提案がある。日本の公立学校に大学の教育学部の学生が教員の業務を手伝う制度の導入である。教育学部の学生に一定期間必修させて単位を与える。教育立国を目指すなら、徴兵制うんぬんを論ずるより教育学部や教員を目指す大学生の動員で教員の援護が必要だ。教員の過重労働を軽減するだけでなく、学生にぜひテストの添削もさせて欲しい。それは学生が教師になったあかつきには大きな教え方のヒントになるであろう。理解できないでいる生徒の理解できない点はそれぞれに違う。通り一遍の教え方やテストの採点だけでは生徒の学力は伸びない。

  最近、塾の講師に資格試験を課す動きがあるという。官僚の利権あさりの臭いがプンプン漂う。文部科学省は塾になど顔を向けず、学校運営、生徒の理解度と学力向上に努めるべきである。塾が必要なくなる学校教育こそ日本が教育立国となる必須条件だと元塾講師の私は考える。

 


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台風16号高波警報とフナムシ

2015年08月26日 | Weblog

  海に面したべランダにフナムシが次から次へと入って来る。21日金曜日のことだった。普段、家の周りでフナムシを見ることはない。何かの前兆なのかと思ったがさほど真剣に受け止めなかった。

  フナムシ(写真1参照)を英語でwharf roachと言う。Roachとはゴキブリのcockroachのroachを連想させる。wharf roach のwharfは波止場、岸壁、海岸を意味する。海辺のゴキブリとは不名誉な名前を付けられたものだ。姿は『スターウォーズ』やアニメに出てくる悪モノの宇宙船のようだ。体型は平たく鎧のような節が生き物というより機械を連想させる。私にはどうみてもゴキブリに結びつかない。フナムシは逃げ足が早い。7対の脚をキャタピラーのように動かして人影を察知しただけで姿を消す。そのフナムシがベランダだけでなく海とは反対側の玄関や回廊にまで出没していた。

  理由は夜のニュースでわかった。台風16号が小笠原諸島に向かって来ているという。東日本の海岸では高波に気をつけるよう注意喚起されていた。フナムシは高波がくることを本能的に察して海岸から逃げてマンションに逃げ込んできたのだ。フナムシに最初に気づいたのは21日だった。最初は数匹だった。22日23日と日を追うごとに数が増えてきた。共同浴場の湯船の脇にさえ見られるようになった。

  天気予報では波の高さが22日3メートル23日6メートルから7メートルと数字が増えた。日本の天気予報は私が暮らしたどこの国より詳しくデータ豊富に伝えられる。感謝なことである。

 海のない県長野県で育った私は、海に憧れもあるが恐れも持つ。生来の好奇心の強さで波の観察に22日から時間を割いた。ドドドドーン シュワ~バシャーン。波は海水だけのただの水には到底思えない。水ではない。水銀とかもっとずっと重い液体のようだ。それだけでなく中に得体のしれない魔物が潜んでいるようにも見える。約10秒間隔で寄せたり引いたりを繰り返す。波の高さも一定ではない。ある時は波の水飛沫がベランダの強化プラスティックの塀を乗り越えベランダの床にまで飛び込む。リビングにまで数メートルと迫る。私はリビングの一枚ガラスの前に陣取り海を見ていた。私の部屋は1階で海抜10メートルしかない。部屋と海面は約20メートルしか離れていない。

 波を見ているうちに不思議な思いに捕われた。海は生命の起源であるとされる。私の感覚の奥深くに海が私の命に繋がっているような何かがある。地球は丸い星で豊富な水のお蔭で生命が存在できる。地球は宇宙を留まることなく物凄い速度で突き進んでいる。地球の内部は燃え滾るマグマで地表は瘡蓋でしかない。そんなことは何一つ感じることもなく、日常を過ごす。感じないから生きることができる。

 日本には現在高波警報が発令されているかのように困難の波が押し寄せる。中国問題、韓国問題、北朝鮮拉致未解決問題、株価暴落、国会の機能不全、増税、原子力発電所問題、安保法案。フナムシは普段群れをなして棲む。危険を察知すると種の保存のためか散り散りバラバラになって逃げ惑う。フナムシが偉いのか人間が愚かなのか。


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アブ、ウシそれとも馬

2015年08月24日 | Weblog

  15日土曜日、妻がアブに刺された。それともかじられたというべきか。昆虫図鑑で調べてみた。図鑑には『刺す』と記されていた。私が妻を刺したアブを観察した点で照らし合わせてみると“シロアブ”だと判明した。赤丸の中に太い線で赤い×印がついていた。これには脚注がついていた。「このマークは刺したり毒をもっている危険なものにつけてあります」

 人や動物を刺すアブはメスのみだという。不思議なことに私と妻が一緒にいて虫に刺されるのは常に妻のみである。考えられることは①妻の体から特別な虫を呼び寄せる物質が出ている②私の加齢臭を虫が嫌っている、のどちらかである。刺された箇所はいつもの通り赤く腫れ10円玉くらいになり中心部には固いしこりができた。妻は私に塗り薬をつけるよう頼み、何か薬も飲んだ。

 図鑑を読んでいて気が付いた。英語ではアブをhorsefly(馬にとりつくハエ)というが、日本のアブはウシアブとかアカウシアブと牛を使う。何かに名前をつけるには理由があるはずである。英語で馬を使うのはアブが英語圏では馬を好んで群がり馬の血を吸うのだろう。一方日本では人々はアブが牛に集るのを見てウシをアブにつけたと推察される。いずれにしても名前が決められる起源は興味深い。

 私はカナダの全寮制の学校で生徒に課せられる一日2時間の学校への奉仕活動で56頭いた乳牛の世話を選んだ。その学校は自給自足を目指す学校だった。一頭の見目麗しい乳牛、私は秘かにその乳牛を“ベティ”と呼んだ、の担当を任された。日本の中学で使っていた教科書の『ジャック アンド ベティ』から名付けた。ホームシックになったほど外国での慣れない生活の中で、英語を必要としなかったベティとの付き合いは私の張り合いだった。

 どんなにベティが好きでもひとつだけ受け入れらないことがあった。糞の片付け、搾乳前の乳房の洗浄、マッサージ、毛づくろい、どれも嫌だと思わなかった。夏、牛舎にはアブが飛び交った。ベティは必死にアブを尾で追い払おうとした。尾の先の毛には糞がたっぷりついていた。尾を洗浄する時間はない。アブさえいなければベティはいつも私に優しかった。ベティの尾はアブを叩き落とそうと渾身の力で振り回される。乳搾りをしている私の口の高さとアブがとまる場所がシンクロする。私の両手は作業でふさがっていた。私の顔面を巻きつけるように糞がこびりついている尾が当たる。当たるだけならいい。尾は私の唇を上下に押し拡げ付着物をこすり付ける。私の頭がそこになければ、その一撃はアブをとらえていたに違いない。こうして私はベティの糞まで口に入れてしまった。アブがいる間ほぼ毎日だった。これだけはどうしても我慢ならなかった。

 私の経験から英語でもアブはcowfly(ウシアブ)のほうが納得いく。言葉は本当に興味深い。

 妻が23日の日曜日の午後、疲れ果てて田舎から帰宅した。入院中の妻の母親の件で病院から呼び出されたからだった。15日にアブに刺された痕をチェックすると、だいぶ腫れもひいて赤みも薄くなってきていた。

 大阪で殺され遺体を遺棄された中学1年生の2人のうち、男の子が竹林の草むらから発見された。妻のアブの刺された箇所を見て男の子の体に無数の昆虫が集っていたであろうと急にこみ上げるものがあった。人間はアブよりどの昆虫よりずっと残虐である。アブも昆虫も生きるために捕食する。人間は殺すことに快楽を求める怪物である。


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トイレ紙とウォシュレット

2015年08月20日 | Weblog

  ネットで興味深いニュースを見つけた。

 『9月8日にイランのテヘランでW杯アジア2次予選・アフガニスタン戦に臨むサッカー日本代表が、現地に大量のトイレットペーパーを持ち込む計画を立てていることが14日、明らかになった。アラブ式のトイレでは、紙を使わず、水を使うスタイルが一般的。もっとも、代表が宿舎に使う高級ホテルなどでは、紙を置いてある場合が多い。関係者によると、その紙の質が極めて硬く、レベルは「お尻が切れるほど」という。代表は海外に遠征する際、飲料水や食材を持参することは多いものの、トイレットペーパーの持ち込みは異例だ。(ディリースポーツ 8月15日配信)』

 私は妻の海外勤務に同行してネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、クロアチア、チュニジア、ロシアで計12年間を海外で暮らした。その間出張で多くの国々を回ることもできた。トイレ事情トイレ紙事情は私たちの重要な関心事であった。

 そもそも私が生まれて初めてロールタイプのトイレ紙を見たのはカナダの高校へ転校する前だった。それは今から50年もさかのぼる。カナダへ渡航する前に軽井沢で知り合ったアメリカン人と彼の車で北陸を旅行をした。宿に泊まらず海岸などで車の中で寝た。鉄道駅を探して駅の公衆トイレを使った。当時どこの公衆トイレも汲み取り式で臭く汚かった。アメリカ人の知人はそんなことを気にせず車の中に用意してあったロールタイプのトイレ紙を手にグルグル巻にして駅の公衆トイレに駆け込んで行った。初めて見たロールタイプのトイレ紙を障子紙のロールかと疑った。

 ロールタイプのトイレ紙は日本に1962年にアメリカの製紙会社が日本の製紙会社と提携して進出したのが始まりだと言われている。私が中学3年生だったころだ。1879年に英国で販売開始されたが、普及しなかったそうだ。1880年にアメリカの製紙会社のスコット社がアメリカで生産を始め、徐々にアメリカ中に普及した。アメリカ人知人が北陸旅行に持参したロールタイプのトイレ紙がアメリカから持ち込んだものなのか日本製だったのかはわからない。

 もちろんカナダの全寮制の高校に転校するとトイレにはロールタイプのトイレ紙は当たり前のように設置されていた。水洗トイレにロールタイプのトイレ紙に自分の日本でのトイレ履歴とトイレ紙にまつわる悪い思い出をできることなら抹消したいと願った。

 再婚した妻の海外勤務に同行して最初に住んだのはネパールだった。住んだ家借家に水洗トイレはあったが地下浸透式だったため、大雨のたびにタンクから地上にあふれだした。トイレ紙はよほどの店でないと売っていなかった。現地のトイレ紙は濡れた手で触れば、即、溶けてしまうような紙であった。当然である。ネパールに製紙産業に原料を供給できる森林はない。ネパールもインドと同じくトイレの後は、かめに入れてある水を使う。ある意味この方式はウォシュッレットの原点なのかもしれない。右手は食べるため。左手は後処理のためである。余談であるが、もしインフラ整備さえされれば、ウォシュレットが一気に普及するのは南西アジアだろう。水を使う習慣が長いので抵抗なく受け入れられるに違いない。ネパールを皮切りに妻が赴任した地で下水処理場がある所はなかった。

 先日夕食に招いてくれたイタリア人の友人が言った。「どこの国でも人は悪くない。悪いのは国家だ」 含蓄ある言葉で考えさせられる。イランでは先月19日気温50℃を超えたバスラ地方で停電が頻発。住民約3千人が「石油はいらない。電気をよこせ」のプラカードをあげてデモ行進をした。エアコンがあっても電気が来ない。怒って当然。日本も猛暑が続く。それでもインフラ整備が進んだお蔭でエアコンをいつでも必要な時に使える。下水道整備のお蔭でトイレ事情も格段と良くなった。ウォシュレットの普及。トイレ紙の品質向上。日本にはいろいろな難しい問題山積である。用をたした後、ウォシュレットを使い、香りまでついた柔らかで上質なトイレ紙を使い、立ち上がると自動で水が「グォーーパッシューン」と勢いよく吸い込まれていく。私は海外での不自由な生活環境を思い出し、よくぞ日本がここまで進歩を遂げたと思う。またこんな何もかも至れり尽くせりの環境から発展途上の国々に仕事でスポーツで派遣される日本の若者の環境への適応能力が低下するのではという危惧もある。友人の中にもウォシュレットのない国には旅行に行きたくないという人がいる。確かに便利で衛生的である。

  どんなに学歴や身分権力を手に入れ、財力を得て、飽食に明け暮れ着飾って10歳も年若く見えようが人間も動物である。どのタイプのトイレを使い、どのようなトイレ紙を使おうが、その時誰でもが逃れようなく生き物であることを教えられる。

 


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イタリア首相の訪日を伝えない日本のマスコミ

2015年08月18日 | Weblog

日頃テレビのニュースにも新聞の記事にも不満を持っている。偏向を感じる。

 妻が高校生だった時、担任教師は「一紙だけを読むなら、新聞は読まなくてもいい。正しい判断ができなくなる」と話したそうだ。当時大学受験に朝日新聞の『天声人語』から出題されるというので受験生は新聞を読むことを薦められていた。妻はその後も教師の言葉を守って新聞を生活の中で重要視していない。私自身はミーハーで外部要因に簡単に影響される。まさに洗脳されやすいタイプである。それでも昨今のテレビも新聞も変だと感じる。

 16日の夜、夫がイタリア人で奥さんが日本人の友人夫妻にバーベキューに誘われご馳走になった。いつものことだが料理に舌鼓を打ちワインを飲み会話が弾んだ。8月2日から6日までイタリアのレンツィ首相が日本を訪問していたことを友人から聞いて初めて知った。恥ずかしいと思った。6日には広島の平和式典にも参列したと聞き、怒りさえ持った。日本のマスコミは何をしているのだ。慰安婦も安倍不支持にも待っていましたと言わんばかりに、これでもかと煽るような報道はする。そうかと思えば宗教や大企業などの“聖域”には決して踏み入れない。まさに妻の高校時代の担任教師が言った通りである。

 くだらない番組ばかりの民放テレビに比べて、NHKは孤軍奮闘していると評価していた。最近NHKテレビがやけに民放テレビに真似た内容になってきた。お笑い芸人の多用、アナウンサーのはしゃぎすぎ。NHKにはCMはないが番組の宣伝がやたら増えてきている。イタリア人の友人は日本のテレビではNHKのニュースしか観ない。そのNHKさえイタリア首相訪日のニュースを伝えなかったと驚いていた。ニュースはNHKによって選択されている。どのように選択されるかによって視聴者は影響を受ける。洗脳されると言っても過言ではない。新聞を購読しない家庭が増えている。だからテレビのニュースは一般庶民に大きな影響を以前より与える。

 カナダ、ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、クロアチア、チュニジア、サハリンに住んだ。どこの国でもテレビ放送は有料のケーブルテレビ以外放送時間は短かった。停電が頻繁でその短い放送時間さえテレビが観られないことが多い。その点日本のテレビは放送時間も長くテレビ局も多い。多いにもかかわらずどこもかしこも同じタレントを使って同じような番組を放送する。嘆かわしいことである。これだけの局があるならそれぞれが特徴のある番組を作って放送したらと思う。だが大多数の視聴者はそれを求めていない。

 現イタリア首相はベルルスコーニ前首相のような知名度がないし、日本のテレビ局の主流であるバラエティ番組好みの人物でもない。だからニュースにしないという魂胆が悲しい。アメリカ大統領、ロシア大統領、中国国家主席、英国女王、ドイツ首相、フランス大統領、カナダ首相だれも広島長崎に来ない。広島の平和式典に国家元首が参列するだけでもニュース価値がある。

 反日国家もあるが、日本に友好的な国家もある。現在の日本での報道に接していると日本は世界中で嫌われているかのようである。自虐的でさえある。日本を大切にしてくれる国家には、日本は礼を尽くして対応するべきである。広島と長崎の平和式典に国家元首が参列することはそのバロメーター足り得る。オモテナシ国家は義理と人情の国でもなければならない。


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永久脱毛に逆さまつ毛

2015年08月14日 | Weblog

  目が痛い。チクチクする。またか。

 幼い頃から私のまつ毛は短かった。私の身体の部位で長ければ、太ければ、大きければ、少なければ、白ければ、褒められるはずが全て逆の結果が出ている。まつ毛は歳をとったら更に短くなった。それだけでなく抜け落ちて、まつ毛の総数は減るばかりである。数が減るだけなら我慢できる。まつ毛は外に向かって生えるのが自然だ。私のまつ毛は時折、内に向かって目の玉を突こうとする。目の周りの神経は敏感なのか、逆さまつ毛は爪の周りのササクレに負けず劣らず私をイライラさせる。取り除くことは難しい。眼科医に取ってもらうのが安全だというが、以前首周りの老人性イボのことで皮膚科に行ったら医者に「このいそがしいのにこんなことで来るな」とひどく叱られた。それ以来「こんなこと」とそうでないことの区別ができない。

 最近、鏡を見るのは逆さまつ毛を探すときぐらいになった。鏡で目の周りを見て逆さまつ毛を探すのは難しい。私の目が近眼で老眼だからである。近視用メガネ、老眼鏡、虫眼鏡を使い分けなくてはならない。鏡に映る像は実際とは逆である。この複雑な鏡の画像に対してメガネと虫眼鏡を器用に使い分けなくてはならない。鏡を使って逆さまつ毛を発見したことは数回しかない。最近では皆無。

 テレビのコマーシャルに女性化粧品に関するものが多い。私が不思議でならないのは、ツケまつげを上目蓋の隙間にくっ付けるのと、まつ毛に黒い液体を塗ってまつ毛を目立たたせる行為である。テレビコマーシャルに出てくる女性のまつ毛はまつ毛の上に鉛筆を横にして乗せることができるくらい長くて適度に上に曲がっている。本物なのかツケまつげなのかはたまたエクステンションという自前のまつ毛に付け足して長くした一部自毛その先人造なのか定かではない。

 人間の身体に生える毛はそれぞれ異質らしい。ヒゲは毎日伸びる。頼むからもう伸びないでと願っても伸びる。髪の毛は頼みも願いもしないのにどんどん薄くなる。鼻毛は老いてますます成長を速め、生える密度を高めている。理髪店で聞いた話では耳の中にびっしり毛が生えている男性もいるそうだ。

 自分の体に惜しみなく金をかける人々がたくさんいる。女性の化粧、整形美容、脱毛、美白。顔の皮膚をすべて剥いで肌を変えるピーリングのいう方法は数百万円費用がかかるそうだ。実際にそれを受けた女性に話を聞いたことがある。肌がどうだこうだと言うより、その女性への勇気というか美しくなりたいという執念に恐れ入ったものだ。男性は圧倒的にカツラに金をかけるそうだ。テレビのコマーシャルを観ていれば、どのようなことに人々がお金を使っているかわかる。個人の価値観の問題であろう。私はカツラを付けない。脚や脇の下の脱毛もしない。髪の毛はちゃんと自分で永久脱毛最終段階に突入している。テレビ東京の『開運 なんでも鑑定団』鑑定士の中島誠之助さんの「いい仕事してますね」を真似て言ってみたいほどである。眉毛はまつ毛と反対である。村山元首相ほどではないが、左右両側の眉毛5,6本が異常に著しい成長を遂げる。床屋で行くたびに切りそろえてもらうが、2,3箇月放っておいたらどうなることやら。

 自分の身体のことでさえ思い通りに事は運ばない。理解できない多くの身体の現象や変化を神秘と捉えて感心しているしかない。老化による体の随所の変化を受け入れる。病気の治療と予防はできるかぎりやってみる。それもダメなら白旗あげて退散する。

「身体のどこにも人工的な永久などという小細工を施させない。何もつけ足さなくていい。このまま、そのまま、あるがまま」


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オコエ瑠偉選手新しいニッポン人

2015年08月12日 | Weblog

  11日全国高校野球大会の第二試合東東京代表関東一対富山代表高岡商の試合を観た。手に汗握る好試合であった。最初関東一の一方的な攻撃に8対0の差が付いた。高岡商は追い上げ8対7まで迫った。結局12対10で関東一が勝利した。

 関東一の一番打者はセンターを守るオコエ・瑠偉選手である。父親がナイジェリア人で母親が日本人という。現在日本のスポーツ界では女子バレーボールの宮部藍梨選手(父ナイジェリア人母日本人)、陸上100メートル200メートルのサニブラウン・アブデル・ハキーム選手(父ガーナ人母日本人)など数多くの最先端国際的ニッポン人が活躍している。私の孫が小学校6年生まで所属していたサッカーのチームクラブにもセネガル人が父親で母親が日本人の選手がいた。才能を認められ中学に進学する前にプロチームの若手養成組織にスカウトされた。数回、孫の応援でプレイを観たが、将来性十分な選手だった。

  昨日甲子園でオコエ選手が大活躍、3安打4打点三塁打2本に二塁打1本、が大きく勝利に寄与した。打者として、走者としても、守備をみてもどれも良い。甲子園の観客は彼の活躍に割れんばかりの大声援を送った。国際結婚と言っても今までアフリカ系の人との結婚はあまりなかった。いまだに日本の芸能界では白人と日本人との間に生まれたタレントをハーフと呼んでチヤホヤする傾向が強い。私にはそれは白人に対する日本人のいわれなき劣等感の表れにとれる。私はハーフと言う言葉も混血という言葉も嫌いだ。最近のアフリカ系と日本人の両親から生まれた最先端国際的ニッポン人の活躍に目をみはるものがある。私はオコエ選手活躍の光景に目を潤ませた。彼らの多くが日本で純粋な日本人でないがゆえに、肌の色の違いゆえにイジメられ差別を受けたに違いない。私は純粋な日本人なんていないと思っている。その厳しい環境が更に彼ら最先端国際的ニッポン人を強くしている。やっと偏狭な日本人の中にも現実を受け入れられる者が出て来たようだ。時間はかかるだろうが、少しづつこのような偏見は消えていってほしいものである。

 10日月曜日の夜テレビ東京の『Youは何しにニッポンへ』という番組を妻が観ていた。途中から妻は違う部屋でラジオの録音を聴いていた私にも観るように勧めた。どう見ても白人にしか見えない大庭虎吉と名乗るアメリカのカルフォルニアからきたアメリカ人が自分のお祖父さんのルーツを求めて日本へ休暇を使って来たと言った。この番組は空港で外国人に日本へ何をしに訪れたのか尋ねる番組である。インタビュー如何で番組スタッフが密着取材となる。虎吉さんひとりではおそらく効率が悪くて探し出せなかった。テレビ局の力はたいしたものである。見事にお祖父さんの大庭ヨシマツの実家を突き止めた。虎吉さんは自分のルーツを見つけ出した。国際結婚で生まれた人々やその血を引き継ぐ人々は、白人だろうと有色人種であろうと誰でも自分のアイデンティティーをひとつに絞ることができずに揺れ動く自分はいったい何なのかと悩む場合がある。虎吉さんの努力が報われよかった。虎吉さんの自分の中に流れる日本人の血を誇りに思う、のコメントにうるっときた。この番組のナレーターを勤めるナイジェリア出身のボビー・オロゴンさんの声も喜びで弾んでいるようだった。オロゴンさんも日本人女性との間に子供がいる。

 私はネパールとアフリカのセネガルで日本人補習校の教師を務めた。生徒の中に国際結婚で生まれた最先端国際的ニッポン人が多くいた。また妻の赴任地旧ユーゴスラビア、チュニジア、リビア、モロッコ、サハリンでも数多くの現地に暮らす国際結婚で生まれた人々に出会った。私は彼らに教師として接することや同胞として接することで多くのことを学ばせてもらった。そして彼らこそ未来において日本と外国との力強い懸け橋となると確信している。彼らの語学能力や豊かな感性を高く評価する。それにしても日本女性は、どこの国でも適応して立派にお母さんとして優秀な子供を育てている。それに比べて日本男性の旧態依然な内弁慶ぶりに落胆する。

 これから世界で活躍するアフリカ系の最先端国際的ニッポン人が多数輩出されることを願い彼らの更なる活躍を応援したい。日本は戦後70年を迎える。過去の戦争の過ちを反省して、新しい日本を若い最先端国際的ニッポン人にも一緒に牽引して欲しいものである。


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高校野球とふるさと納税

2015年08月10日 | Weblog

  全国高校野球大会が6日始まった。いきなり初日ふるさと長野県代表の上田西が宮崎の日大宮崎と第三試合で闘った。長野県勢は初戦敗退がずっと続いたが3対0で勝った。完封勝利を飾った小柄な投手もいいが、チーム一丸となってボールに食らいつくような打撃と守備のよさと全力疾走を繰り返す野球に魅了された。初の一回戦突破である。私は長野県の代表校を応援するためにテレビの実況放送を観るわけではない。高校野球が好きだから観る。

 昨日の朝早く、ベランダの鉢植えに目が行った。ベランダに出てみた。ほとんどの植物がぐったりしていた。このところの猛暑で鉢の土がカラカラだった。鉢の水やりも35度を超すと水がお湯になってしまい、かえって植物の害になってしまう。気温が上昇する前に植物が十分水を吸収できるだけの量を与えるのが難しい。観察するとこの猛暑でも緑の葉を光らせて元気な植物がいる。だらっと垂れ下り葉も変色し始めている植物もある。それはまるで甲子園で活躍する球児と家に籠ってじっとしている私の対照であった。

  高校野球がなぜ私の心を感動させるのか考えた。人間の中にある闘争本能。それとも帰属意識。それとも健常と若さへの憧れ。どれも間違いではない。私たちの日常生活の中では失われてしまったものが甲子園にはある。9日日曜日の日本テレビの『笑点』で三遊亭小遊三が「高校球児を叩いてみれば、汗と涙の音がする」と「ザンギリ頭を 叩いてみれば 文明開化の音がする」の替え歌で返した。確かにと汗と涙は高校野球の代名詞たりうる。

  普段ゴルフとテニス以外のスポーツ中継を観ない妻が高校野球を観戦する私の横に陣取っていた。ルールや背番号の質問をすると結構知っていてびっくりした。私の妻をさえ観戦する気にさせる高校野球はやはり人間の奥深いところにある何かに触れるのだろう。

  8日土曜日の夜友人宅に夕食に招かれた。友人と高校野球の話をした。友人はアメリカンフットボールが好きで野球の話をすることはない。その彼さえ高校野球は観ると知って驚いた。そして上田西高の監督の試合後のコメントが良かったと言った。残念ながら私は聞いてなかった。「てにをはの使い方が正確で、話す内容も説得力があって良かった。あの監督なら勝てる」と褒めていた。みなそれぞれいろいろな角度で観戦しているのだ。

  友人はこんなことも言った。ふるさと創生事業で高校野球を支援すれば経済効果を高めることができる。傾聴に値する意見だと思った。美味しい酒にすっかり酔いがまわっていた私はそれ以上深く質問をすることもなかった。美味しい料理にも惑わされ、頭の中はお祭り状態だった。今になればもっと拝聴しておきたかった。

 高校野球を観戦していて、ふるさと納税のことを考えた。昨年度から少額ではあるけれど我が家でもふるさと納税を始めた。ふるさと納税と言っても納税者の出身地を対象とするものではない。自分たちが応援したいと思う自治体に自分の納税範囲内から一定額を納める。お礼の品にも大きな魅力がある。いまだかつて納税して納税先から感謝の言葉など受けた覚えがない。ふるさと納税した自治体から感謝状が届いた。こんな嬉しいことがあるだろうか。税金を取りたてる側は権力を振りかざす。税金を支払う側は常に搾取されているような感覚を持つ。そこに謙虚さも感謝の心もない。高校野球は違う。私たちが日頃失った当たり前のことを当たり前にの秩序が生きている。


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納涼 水草 桜道

2015年08月06日 | Weblog

  暑い日、川の流れをじっと見る。勢いよく水が流れている。いったいどこからこの水は流れて来たのだろう。こんなに暑ければこんな下流に達する前に山の中から蒸発して空に昇ってしまうだろうに。それでもこれだけの水量があるとは。

  アフリカのセネガルとチュニジアに計5年間暮らした。砂漠の中のオアシスにも行った。セネガルでもチュニジアでも砂漠の中に何万年もの時間をかけて塩が堆積したところも見た。砂漠とはただ水が無くてできるものだと思っていた。水も原因だが土の中の塩分濃度の上昇も一因であると知った。何百年何千年に数回しか水が流れない川の洪水の跡も見た。

  家の前を流れる水量豊かな川の流れをじっと見ているとアフリカの砂漠が浮かぶ。その清流と塩分は結びつかない。川を流れる水の中にも塩分は含まれているに違いない。バランスの問題であろう。日本の自然にはバランスを保つ不思議な力があった。ところが最近の異常気象、活発化する火山活動などでその微妙なバランスが崩れてきた気がする。そんな中、バランスを保とうと自然は働いている。

  最近川の水の色が変わった。注意深く観察してみた。水草である。清流の中、あちこちに緑、色濃く繁茂している。水草の魅力は流れに身を任せ、天女が衣を翻すように揺れ動く様子にある。陸上の植物のように直接私の目に入ることはない。水というこれまた不思議な媒体の中にあるため魅力は倍増する。透明、透かし見る物体は、妖艶さを感じる。ギラギラと照りつける陽光を水は反射させる。光が踊る。水草が舞う。そして水は35度近くにまで上昇した空気に精一杯跳ね上がり温度撹拌を企てる。どれほどの効果が数値で出せるのかはわからない。視覚効果は満点である。

  汗をかいて自転車をこぎ坂道を上ってきた。橋を渡り桜並木の道路に入った。さーっと汗が引いた。木陰である。川端の木陰道。何とも気持ちよい。この陽気の家の中ではとてもこのそう快さは味わえない。エアコンだってこんな芸当はできない。自転車を桜の木に立てかけた。草の上に座り、リュックから水筒をだして生暖かい麦茶を飲んだ。

  川面に涼を求めた。この暑さの昼下がり、アオサギも鴨も姿を現さない。1週間前とは水の色が違う。水草の緑色が川をキャンバスに絵を描く。裏山のセミ時雨が雪崩のように駆け下り、水にぶつかる。

  このところ「暑い、暑い」と家の中に引き籠っていた。芝生の上で汗をタオルで拭った。思い切って外に出てみて良かった。

  アフリカの砂漠で一番懐かしがった日本の景色の中に身を沈めた。サッカーのなでしこジャパンが北朝鮮に続いて韓国にも負けた。侍ジャパンも北朝鮮に負けた。選手の覇気のなさ不甲斐なさ技術のなさ連携の悪さ監督の采配の策のなさに怒り失望していた。水草も桜の並木の木陰もそんなことを忘れさせてくれた。人間は精神のバランスを失った。バランスを取り戻す唯一の方法は自然に学ぶことかもしれない。テレビ、携帯電話、パソコンのない川辺の空間は心地よかった。


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留守番電話

2015年08月04日 | Weblog

 私は電話が嫌いである。電話機そのものでなく電話での会話が嫌いなのである。

  電話での悪い思い出が多いせいかもしれない。カナダの学校で学んでいた時、電話にはほとんど縁のない生活をした。それでも時々公衆電話を使わざるをえないこともあった。公衆電話の使い方が難しかった。交換手との会話は1割も理解できなかった。少し英語に慣れてからも電話交換手の英語を理解できるようにはなれなかった。一度日本の家族に電話した。事前に予算を交換手に告げてあった。時間が来たら回線を切ってくれと言ってあった。しかし私の英語が通じていなかったのか交換手によって回線が切られることはなかった。後で学校の口座の残金がなくなるほどの請求が来た。

  極めつけは最初の結婚が破たんして離婚する直前、実家に戻っていた元妻に子供のことで電話した。まだ携帯電話のない時代であった。もし当時にいまのようなスマートフォンがあったなら不倫はもっとずっと秘密の防護壁を厚く堅固に張り巡らせたであろう。元妻は私を彼女が付き合っていた男性と勘違いしたのである。今の携帯な電話なら掛かってきた相手の名前が表示されるし、登録してなければ相手の電話番号が出る。あんな勘違いは絶対に防げる。別人のような声で男性の名で私を呼んだ。耳を疑った。私は怒りに震えた。そして私たちの関係は終わったと感じた。もし私が精神科の医師の診察を受け、私の電話に対する過去を洗いざらい話せば、きっと聞いたこともない病名をつけてくれるだろう。私の心に電話トラウマがあることだけ私がわかっていればいい。今はメールという便利なものがある。おかげで重宝している。

  珍しく留守番電話が入っていた。集合住宅のキッチンの流しを交換するという話が以前あった。やっと工事が始まるらしい。おそらくその工事の打ち合わせであろう。「電話番号はふにゃらかふにゃらかです」 番号が聞き取れない。メモ帖とボールペンを用意して再度挑戦。結局10数回聞き直したが聞き取れない。何とか書き取ったと自分では思った。その番号に電話してみた。女性の声「もしもし」 会社の受付で「もしもし」はないだろう。私が「○○ですか」と会社名を告げた。「違います」 電話を「ガチャン」と切られた。やはりと、私は凹んだ。最近老化現象に凹むことが多い。耳まできたか。妻が帰宅するのを待つことにした。

 妻が帰宅してさっそく留守電を聞いてもらった。「困ったものね」と口には出さないがそう表情が語っていた。「えっ」とか「あれっ」とか言いながら、再生ボタンを押し直していた。「なにこの人。ちゃんと発音していないじゃない。もしかしたら電話番号は英語の数字ワン、ツー、スリーを区切りながら言った方が老人にはわかりやすいかもね」 「そうかもね」と言いながら、私は少し安心した。私の老化が本格的に日常生活にまで影響を与え始めたと心配だったから。それでも妻は粘り強く聞き直して電話番号をメモしてくれた。そしてその番号に電話した。「大丈夫。営業時間は過ぎているけれどちゃんと『○○社です』と言っていたから。明日私がここへ電話する」と自分の手帳に電話番号を書き留めた。一件落着。

 このところの猛暑で友人からのメールさえ入らない。みな懸命に暑さに耐えているのだろう。今朝、川面にトンボが群れ飛んでいた。暑さもあとしばらくの辛抱である。


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