団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

エイジングを肯加齢に

2018年06月29日 | Weblog

  アンチエイジングという言葉がある。妻も所属する抗加齢学会なるものもある。加齢つまり老化に抗う医学を研究しているらしい。その成果も多くの分野にでてきている。不老長寿は人間の夢である。

 私も若かった時、三島由紀夫ばりに49歳を受け入れたくない、自分の老いざまをさらしたくない、とうそぶいた。ところが2.0を誇った目の視力が落ちた。まず近視。そして老眼。メガネをかける自分を想像できなかった。次に年齢が進むにつれてあちこち不具合が出てきた。顏にシミが増え、フスベが盛り上がり、髪の毛が薄くなり、脚がもたつく。徐々にではあるが、抗うこともなく老いを受け入れ始めた。49歳の壁も何もなかったように白旗立てて全面無条件降伏して受け入れた。

 ある時を境に物忘れがひどくなった。特に外出してから家の玄関のカギを掛けたのかが分からなくなった。結局外出するたびに何度も家まで戻って確認した。不安でたまらなかった。最近変化が現れた。まず「カギを掛けたかどうか」を気にしない。記憶がなくてもこの十数年間の繰り返しで、首からつるしたカギでカギかけ動作を自覚しなくてもする。外出して何をするために出てきたかが最重要課題として、脳は私に認識させようとしてくれる。カギの心配は消えた。

 書斎からトイレへ向かう時、大時計を見て、「そうだネジを巻かねば」と思う。トイレを終え書斎に戻る。「ネジ」は完全消失。次の日、同じことが起こる。以前なら凹んでしまっていた。今は違う。気にならない。何度でもできるまで挑戦する。メモが大きな助けとなる。頭の中の記憶は、パソコンへ移動させている。えらい時代になったものだ。

 良いことも増えた。読書である。量は集中力の低下で減ったが、相変わらず読書は私の貴重な娯楽である。加えて以前読んだ本でも新たな感動をもって読める。「もうこれ読んだ」なんて決して思わない。映画もそうである。「もうこれ観た」なんて生意気なことを言わない。ありがたく新作のように観る。泣くときは泣き、笑う時は笑い、怒るときは怒り、驚くときは驚く。

 私は老いを恐れていた。身体能力や機能の低下を遅くしたり改善するよう努力もした。しかしやめた。悪いことばかりではない。もう家のカギの心配も消えた。本はすべて新刊と思え、映画は常に封切りに戻った。身の回りには問題山積み。徐々にその問題の存在すら薄らいでくる。新たなエイジングのステージに突入した。“肯加齢”と名付けよう。


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小島一朗容疑者の叔父の証言

2018年06月27日 | Weblog

 「空腹に寝つけぬ夜半の獄の床 親子丼の幻浮かびて」 郷隼人著 『獄中からの手紙』 23ページ 幻冬舎刊1400円+税

  私が10歳の頃、近所に裁判所が市内から移ってきた。私をよくいじめたガキ大将だったシゲルちゃんの家が自転車屋から拘置所の差し入れ屋に商売替えした。店の前にノレンがあった。私は食堂だと思っていた。時々シゲルちゃんのお父さんが岡持ちを持って自転車で裁判所の方へ行った。岡持ちの中の食べ物を拘置所で拘留者がどんな気持ちで口にしているのかを思った。

 1995年から1997年までの2年間アフリカのセネガルで暮らした。ダカールに大きな刑務所があった。刑務所の入り口の門の前に多くのセネガルの民族衣装をまとった女性がプラスチックでできたタライを頭に乗せて集まっていた。なんとセネガルの刑務所では食事が供されないので、受刑者の家族が一日に一回届けるのだという。その風景を見て、10歳の時と同じことを思った。

 6月9日の夜新幹線のぞみの車内でナタを振り回し3人を殺傷した小島一朗容疑者に関する諸々の情報が出てきた。私が注目したのは、容疑者の母親の兄である叔父の証言だ。「“人を殺して刑務所に行く”とも言っていた。“働かなくても生きていけるところ、それが刑務所だ”と。私が、お前、生きたいんじゃん、死にたいんじゃないだろうと言ったら黙ってしまってね」  私は、実の父親、実の母親、祖母の発言には反感をおぼえたが、叔父の反論「お前、生きたいんじゃん」は、鋭い指摘だと感心した。そしてアメリカ合衆国元大統領アイゼンハワーの言葉「刑務所は一番安全だ。食べ物も服も医療も事欠かない。ないのは自由だけだ」を思い出した。私は小島容疑者がアイゼンハワーのこの言葉を信じて罪を犯したのではないことを願う。現実はそうはいかない。もう遅いが、刑務所の中の事を知りたければ、郷隼人著『獄中からの手紙』を読めば、映画『ショーシャンクの空に』を観れば、2度と「刑務所に行きたい」などとふざけたことは言わなくなる。

 最近毎日のように恐ろしい殺人事件が起きる。死にたければ自分一人で死んでいけばよいものを、見ず知らずの他人の命を奪うのは許せない。他人を巻き込む卑劣な犯罪は、現代人の教養を身に着けようとする意欲と信念と奉仕精神の欠如だと考える。小島容疑者は「社会に不満があった」と言う。現代の人の多くは、「(本を)読まない、(人の言うことを)聞かない、(規則や常識を)守らない」。子育ては命がけの事業だと私はまだ信じる。社会に子育てはできない。できるのは、まず親であろう。子に人の命の尊さを教え込むには、大きな犠牲、長い時間、耐え難いほどの我慢、適切な助言、小さな微笑みが必要とされる。

  小島容疑者の言う“社会”とは、もしかして“両親”への「もっと私を知ってほしかった。かまって欲しかった」という不満の叫びではなかったのか。私は自分の子育てを振り返り、後悔ばかりが押し寄せる。


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パワハラ・セクハラ

2018年06月25日 | Weblog

 このところのワールドカップサッカーの盛り上がりで財務省トップや外務省のロシア課課長のセクハラ、日大のアメフト部の監督とコーチ陣や日本レスリング協会強化本部長であり至学館大学レスリング部の監督のパワハラ問題が影を薄めてきている。マスコミが大騒ぎしてテレビでも朝から晩まで同じことを何回も何回も異なる番組で取り扱う。私は同じ内容同じ映像を我慢できるのはせいぜい3回までである。度が過ぎる。いい加減にしてほしい。繰り返しより私が一番知りたいのは、セクハラ、パワハラをやらかした偉い人たちの夫婦関係がどれくらいセクハラ、パワハラに影響しているかの分析検証である。

 ハラスメントに関して次のような定義を読んだ。「人間としての尊厳を侵害する行為であり、人に対する思いやりと敬意を欠いた行為。他の者に肉体的、精神的な苦痛や困惑、不快感などを与えること。ハラスメントの中にはセクシュアル・ハラスメント、アカデミック・ハラスメント、パワー・ハラスメント、アルコール・ハラスメントなどがある。またそれらが複合した形態。自分自身が「不快だ」「恐怖感を感じる」と思う経験」

 これを読んで私は妻との関係を考えた。他人事のようにセクハラだパワハラだと言うが、私だって大切な妻に対して明らかに“思いやりと敬意に欠いた行為や肉体的、精神的な苦痛や困惑、不快感”を多々与え続けてきている。ただ夫婦という関係で表沙汰になっていない。ある意味夫婦関係とは、夫婦以外の第三者への被害の防波堤なのかもしれない。「幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓う」と私は妻と結婚するにあたって理想を描いた。これがどれほど実行するのが困難か、毎日思い知らされる。

 どんな学校でもこんな短い結婚の誓いのような夫婦関係を保つ方法は教えてくれなかった。自分で学ぶしかない。この学びは一生続く。私にとってセクハラ、パワハラ、いかなるハラスメントをも犯すのを防ぐのは、まず妻との関係をいかにして良好に保つかにかかっている。そうすれば他人様に対する態度に変化が出る。他人様に迷惑をかけるのはもちろん、そうすることで妻を悲しめることだけは避けたい。あともう少しだ。人生のゴールは見えてきた。


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セネガル・セルビア・チュニジア サッカー

2018年06月21日 | Weblog

  サッカーのロシア・ワールドカップで19日、日本はコロンビアを2対1で破った。私も妻も「今回は期待薄。望みなしだね」と言いつつ、「負けるだろうけれど、応援だけはしよう」とテレビの実況中継を観戦した。試合開始直後、相手のハンドでフリーキック、それだけでなくその選手はレッドカードで一発退場。11人対10人。今回の試合では、日本チームは目が覚めたかのように、相手選手と体をぶつけてでも競り合った。日本チームにはイレズミを入れている選手が一人もいない。韓国チームとスエーデンの試合を観た。イレズミもだが韓国選手の相手選手への執拗な競り合いに日本人選手との違いを感じたが、今の日本は韓国の選手にも引けをとらないほどアグレッシブ。以前週刊誌で藤原正彦が日本サッカーはとにかく競り合いに弱いと書いていた。同感だった。しかし今回のコロンビアとの試合では、日本選手のコロンビア選手へとの競り合いは見違えるほど強かった。勝因は、この日本選手の敵チーム選手への競り合いが以前よりずっと強化されたことだと私は思う。試合後、私は興奮を抑えることができなかった。同時に日本チームに対する事前評価を心から詫びたかった。

今回のサッカーロシア・ワールドカップにはかつて私と妻が住んだ国が5ヵ国(セネガル、セルビア、クロアチア、チュニジア、ロシア)も参加している。それぞれの国々に思い入れがある。かの地で暮らした昔を懐かしむ。

①     セネガル 1995年から1997年 ダカール

②     セルビア、クロアチア 1997年から2000年 ベオグラード ザグレブ

③     チュニジア 2000年から2002年 チュニス

①      セネガルは今回のワールドカップで日本と同じHグループである。今度の日曜日に日本はセネガルと対戦する。私はもちろん日本に勝って欲しい。応援も精一杯する。私は思い出す。首都のダカールから車で少し走れば、電気のない村はたくさんあった。学校へ行っていない子供も多かった。そんな子供たちがサッカーを空き地でプレイしているのを見た。ボールはツギハギだらけのレジ袋のようなものを丸めたもの。それを二つのチームが取り合う。ほとんどの子どもは裸足。グランドは砂ぼこりが巻きあがる荒地。あれから23年。当時生まれた人たちがサッカーチームの代表と同じ年齢だろう。貧しい国である。しかしごく少数であってもサッカーが世界へ打って出られる大きな夢を子供達に夢を与えている。

②     セルビアは私たちが住んでいた時、まだユーゴスラビアを国名にしていた。国連の経済封鎖そしてNATOの空爆と重なった。そんな中、ベオグラードでユーゴ対クロアチアのサッカーの試合があり、観戦した。代理戦争だった。サポーターが狂ったように応援。アウェイのクロアチアはほとんど応援なし。発煙筒、突然の停電、恐怖で観戦どころではなかった。クロアチアに一時避難してザグレブにも1カ月ほど住んだ。

③      チュニジアは食材に恵まれた住みやすいところだった。石油も出ずこれと言った産業もなく失業者の多い農業国だった。中田英寿が所属したイタリアのチームがチュニスでチュニジアのプロチームと試合をした。中田はその日、スコールの水たまりをものともせず、豪快なミドルシュートでゴールのネットを揺らした。それまで行く先々で浴びせられた「シノワ(中国人)」の侮蔑が「ナカタ」の称賛に変わった。アラブの春で当時のベンアリー大統領が失脚した後、混乱が続いている。チュニジアのサッカーチームの活躍を見てチュニジアの明るい未来を祈らずにいられない。

 サッカーは世界中から選手を招聘している。野球も限られた国々からアメリカ大リーグに選手が高額な報酬で集められる。大リーグもアメリカ人だけのチームなどない。サッカーの国際度の比ではない。そのせいか国が違っても選手同士は、お互い同じプロとして一目置いているように見える。そのうえでスポーツとしてのサッカーでは闘志むき出しで向き合う。人種、文化、宗教を超えた国際化の一つの理想であろう。

  かつて私が住んだことがある国が登場する試合では、そこでの良い思い出悪い思い出を重ねる。観戦中、悪い思い出はなぜか姿を消す。しばらくロシアワールドカップサッカーから目が離せない。私の注目選手は、スイスの23番のジェルダン・シャキリ。身長169センチ体重78キロ26歳。豆タンクのようにグランドを突進する。彼は旧ユーゴスラビア・コソボ出身。

 日本を応援する。同時にかつて住んだ国々の健闘をも祈る。

 


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大阪地震と結婚の誓い

2018年06月19日 | Weblog

①     東日本大震災

②     ニューヨーク同時多発テロ

③     旧ユーゴスラビアNATO空爆

①      昨日18日月曜日土日の休みを終え、妻が出勤した。ふだん通り駅まで車で送り、このところの腰痛とめまいのためベッドで横になり、ラジオを聴きながらウトウトし始めた。録画したサッカーワールドカップのブラジル対スイスの試合を観ようかと思った瞬間、ラジオで『大阪で震度6弱の地震がありました』とアナウンサーが叫んだ。私はこのところめまいがあり、常に揺れている感覚になやまされているので、ほとんどの地震を感知できない。私は思い出した。2011年の3月11日やはり体調が悪く午後ベッドに横になっていた。家が激しく上下に揺れた。妻は勤務中だった。すぐにメールした。今回もとりあえずメールしてお互いの無事を確認しようと思った。電話は苦手だが、メール機能には感謝している。メールは私たち夫婦をつないでくれる魔法である。20分後にメールが来た。安堵。ちょうど新幹線が東京駅に停車した時、突然車内の灯が消えたという。車内放送はなく駅の構内放送で大阪の地震を知ったという。妻は健康だ。それでもいつなんどき、地震、無差別殺傷事件、事故に巻き込まれるかわからない。

 私は新幹線が大好きだ。あのスピード、力強い加速、スムーズな乗り心地。しかしそれゆえの悪夢も拭い去れない。このところ新幹線内での無差別殺傷事件、新幹線線路への侵入自殺、車両整備不良、小動物の衝突による急停止と事件事故が続いている。朝元気に出勤して夕方、何もなく駅の改札から出てくる瞬間、心配から解放される。私は妻が一緒にいなければ、守ってあげられない。毎日無事に帰宅することを祈るばかりである。

②      チュニジアに住んでいた。妻はその時他の2国を兼任担当していたのでそれぞれの国へ3カ月に一度出張していた。2001年9月11日妻はモロッコ出張で留守だった。私は一人でチュニスの家にいた。テレビで観られる世界のニュースは、CNNが主だった。そのCNNが同時テロで世界貿易センターが崩れ行くさまを映し出した。私は悲観主義者で小心者。このような想像もつかない大事件にあうとうつ状態になってしまう。自分の無力さを恥じて自分の殻に閉じこもる。加えて被害妄想にとりつかれる。もし妻が乗る飛行機がテロの標的になったら。妄想が止まらなくなる。飛行場の出口で元気な妻に会うと私のうつも誇大妄想も風船がはじけたように消え去り、いつもの能天気な楽観主義者にもどる。

③      旧ユーゴスラビアに住んでいた時、経済封鎖からNATO空爆への段階に移行した。国外脱出した。家財道具、車すべてそのままだった。それでも妻と一緒だった。日本に退避して半年後、妻だけ隣国クロアチアへ行った。私は旅行者として同行した。数か月で妻は旧ユーゴスラビアへ戻った。家族の同行は認められなかった。私は日本に戻った。

 結婚して26年間、二人でいろいろな修羅場を潜り抜けてきた。災害、空爆、テロ事件、病気、いつどうなるかはわからない。「幸せな時も、困難な時も、富める時も、貧しき時も、病める時も、健やかなる時も、死がふたりを分かつまで愛し、慈しみ、貞節を守ることをここに誓います」 結婚の誓いを私は2度述べた。今度こそ守る。


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老人泣かせ

2018年06月15日 | Weblog

①     ビニール袋の固く縛った結び目

②     ペットボトルのフタ開け

③     缶のプルトップフタ開け

①      最近電車内で立て続けに高年齢の女性から助けを求められた。電車内での無差別殺傷事件のような切羽詰まったものではない。不思議なのは、私だって古稀を過ぎた爺様なのに、なぜ私にと思うのである。まわりには若者だっている。

 先日週刊誌にこんな記事があった。新潟で線路上に遺体遺棄した容疑者について精神科医の見解である。「彼の行動はどれもお粗末で短絡的。現実検討能力が低く、おそらく知能指数も低い。社会人6年目にして顔つきも幼すぎて、精神年齢の低さが感じられます。これまで我慢して、隠して、抑圧していた欲望が、何かのきっかけで止められなくなり、衝動的に犯行に及んだのではないでしょうか」 私はこのような精神分析の文言を読むと必ず私自身が精神分析を受けている気になってしまう。私は自分の知能指数がいくつなのか知らない。知能指数をはかるテストのようなものを受けた覚えがあるが具体的な数字を知らない。高くないことは確実である。それは私の学業実績でわかる。子供の頃からベビーフェイスだと言われた。短絡的で現実検討能力にも欠けている。今はほとんど消えたと思うが、抑圧された欲望にも勢いがあった時期がある。要するに私はおつむの弱い人畜無害タイプのお人よしに見えるらしい。それもまた由としよう。私に何か頼むのは、圧倒的に女性が多い。

 ある日電車のボックスシートの斜めさし向かいに座っていた女性が10円玉と100円玉がそっこに入ったビニール袋を手渡した。「えっ、私、お金いりません」と思った瞬間「すみません、硬くて開けられません。家に帰るバス賃・・・」 私は胸をなでおろした。でもなぜ私に?だって他にも人がいるのに。私だって最近は結び目をほどくのは苦労している。爪を使って何とかビニール袋の結び目をほどいて女性に手渡した。女性は次の駅で降りた。ホームに降りた女性は、私に向かって何度もお辞儀をしていた。

②      東京の病院へ糖尿病検診で行った日は5月にしては暑い日だった。電車も混んでいた。熱中症予防にと私も妻に言われたことを守ってペットボトルの水を時々飲んでいた。横掛けのシートの隣の女性が私にお茶のペットボトルを渡して「開けていただけますか」と言った。即開けてあげた。美味しそうにのどを鳴らして飲み始めた。

③      老人の缶飲料のプルトップを開けてあげた事もある。私でも開けにくい。爪を痛めそうで家では道具を使う。

 歳を取れば取るほど若い時苦もなくしていたことができなくなる。こんな私でも他の老人の役に立つうちは、協力していきたい。そして生産販売する側も、老いた消費者に配慮をしてほしい。もっと若い時に若い女性から頼まれごとをされたら・・・。遅い春がきたのか。やっと女性にもてるようになった、と思うことにしよう。


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北朝鮮の将来

2018年06月13日 | Weblog

  6月12日ついにシンガポールにおいてアメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩委員長が握手した。腰を痛めて家にこもる私は、朝からずっと歴史的な会談のテレビの特別番組を観た。トランプ大統領とキム委員長の見た目で比べる。身長192センチと162.5(キム委員長の身長は諸説あるようだが韓国の朝鮮日報が報じるこの数字を採用)。30センチの差があるはずなのに画面ではそれほどの違いがないかのように見える。その秘密がわかった。会場のカペラ・シンガポールホテルにキム委員長がわざわざ北朝鮮から空輸して持ち込んだベンツのリムジンから降り立った時である。委員長の足が車から出て地面につき、体を社外に出そうとした瞬間、人民服のズボンの裾が靴を露出してしまった。ヒールが少し高いのと踵の部分が構造的に不自然と私は感じた。身長174センチの私も若い頃、海外で自分の身長を高く見せようとした。ヒールが6センチくらいある靴を履き、ズボンの裾を長めにした。背が低い劣等感を隠そうとした。そんなことで互角に高身長の外国人と渡り合おうとした。今考えれば恥ずかしい。キム委員長にも人種による身体的な劣等感のような引け目があるとしたら、若気の至りであろう。

  キム委員長はスイスで4年間学んだ。英語・中国語・ロシア語・ドイツ語・フランス語・朝鮮語の6ヵ国語を話せるらしい。トランプ大統領は、外国語に堪能と聞いていない。また留学経験もなく異文化への造詣も深くないらしい。今回キム委員長がこの歴史的会談に踏み切ったのは、彼の若い時の留学経験が相当影響していると私はみる。

 次に比較したのが、声質である。トランプ大統領は、体格のわりに声が細い。相手を威嚇するのは、低くて太い声だと聞いている。72歳のトランプ大統領と推定年齢34歳のキム委員長。スピーカーから流れる二人の声質は、キム委員長の声の方に威厳があった。

 服に関して言うと、トランプ大統領はスーツ、キム委員長は人民服。トランプ大統領のスーツも相当な高級生地そうだが、キム委員長の人民服の生地は英国のスキャバル。

  日本の放送局の現地レポーターのしゃべり下手と声質の悪さに嫌気がさした。CNNにチャンネルを変えてみた。コメンテーターや新聞記者がキム委員長を“独裁者”と言うのにアメリカと日本の報道の温度差を感じた。日本のマスコミのお祭り騒ぎが先行して浅はかなだけで先を見通すことのない中身を喋り下手な声質も悪い報道にがっかり。レポーターの質の低さと層の薄さに失望した。

  今回の米朝会談が行われたシンガポールは、実に計算高い役割を担った。私がネパールに住んでいた時、当時就任したコイララ首相が「ネパールをシンガポールのような国にする」と就任演説で言った。チュニジアに住んだ時、ベン・アリー大統領も「チュニジアをシンガポールのような国にしたい」と何度も演説していた。キム委員長をも11日の夜シンガポールの観光名所を回り「シンガポールから学ぶことは多い」と言っていた。世界の多くの国から見習いたいと言われる国シンガポールが、今回の会談で一番得点をかせいだのかも知れない。

  恐怖の独裁政治から果たして国民を幸せにする独裁に変わることができるのか。今までの米朝の対立から平和共存への転換を強く望む。私なりに北朝鮮にこれから何が起こるか推測してみた。

①     海外への出稼ぎが増加: 非核化を実現できれば、多くの国々が北朝鮮労働者の出稼ぎを受け入れ、国の外貨獲得の手段となる。まずは経済状態をよくして自国の産業を打ち立てる。 ②海外移民の増加: アメリカとの国交が正常化すれば韓国からアメリカへ戦後220万人が移民したように北朝鮮からも相当数移民するであろう。出稼ぎと同じく移民からの送金も国民の生活向上となり世界の現状を北朝鮮の人々が知ることができる。世界を知れば、③食糧事情好転と経済発展 :日本は拉致問題を解決して北朝鮮の経済援助に貢献できる。早急に若い政治家が出でて、キム委員長と一対一で一日も早く拉致問題を解決して欲しいものである。悪の枢軸国と名指しされた世界の嫌われ者だった北朝鮮がこれからどのように変貌するか注意深く見ていたい。日本の政治屋たちの先見の明のなさ、外交下手に失望しつつ、日本の若者が海外青年協力隊でみせる地道な活動で北朝鮮でも貢献できる日が来ることを夢見る。


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新幹線殺人事件とネットランチャー

2018年06月11日 | Weblog

①     2018年6月9日土曜日午後9時50分新幹線殺人事件 新横浜―小田原

②     2015年6月30日火曜日午前11時40分新幹線焼身自殺 新横浜―小田原

③     2015年8月21日午後15時以降金曜日タリス銃乱射事件アムステルダムーパリ

①      土曜日友人一家を招いて夕食を共にした。楽しい時間を過ごして山のような食器を洗い後片付けを終えてテレビのニュースを観た。『新幹線内で男がナイフで3人を殺傷』の文字に目を止める。犠牲になった38歳の男性乗客は、刺された他の女性を助けるために犯人の前に立ちはだかったと言う。妻が「また」と言った。妻は新幹線通勤している。土日祭日休暇以外毎日新幹線に乗る。鉄道好きな私はそれが羨ましくてしょうがない。妻が以前「私は体が丈夫なので病気であなたより先に死ぬことはないかもしれないけれど、通勤途中に何らかの事故や事件に巻き込まれて死ぬことはあるかもしれない」と不吉なことを言った。毎日駅まで車で送り、夕方また迎えに出る。無事に戻るとほっとする。家で妻の帰りをただ待つしかない私が何もしてあげられないのが歯がゆく感じる。

②      2015年6月30日新幹線の車両内で71歳の男が、ガソリンを自分にかけて火をつけ焼身自殺をした。その日の私の日記には妻が帰宅するために乗った新幹線列車が立ち往生してしまい、いつ帰宅できるかわからないので停車していた駅まで迎えに行ったことが書いてある。東海道新幹線は一日の乗客数が45万人以上の日本の鉄道の大動脈である。このような事件が起こると大勢の人々が影響を被る。列車テロなどにでもなったら被害は甚大、犠牲者も恐ろしい数字になるであろう。それにしても①と②の事件が新横浜と小田原間で起きたことが引っかかる。それに6月という時期の類似性が気にかかる。

③      今朝妻が一緒に観た映画『15時17分、パリ行き』の事を話した。「あれは単独犯だったの?」 私はただ「そう」と答えただけだった。新幹線通勤する妻が何を思ってそう聞いたのかはわからない。でも言えることは妻が不安に思っていることはわかる。映画の中では勇敢なアメリカの休暇中の軍人とその友人たちがイスラム過激派の自動小銃を持ったテロ犯に立ち向かう。しかし日本の新幹線の中で犯人を取り押さえるような乗客は、期待できない。①の今回の犯人に立ち向かった男性は、稀な勇気ある行動をとって犠牲になった。小心者の私には到底とれない行動である。妻にはできるだけ外国人観光客が大勢乗る車両に乗ってほしい。

  このような日本での無差別であり尚且つ自己中心的、身勝手な凶悪犯への対策を早急に考えるべきである。幸いにして日本では銃規制が厳しく、無差別殺人で銃が使われることは少ない。今回の①の事件でも乗客か乗務員が座席シートを外して犯人を抑え込もうとしたらしいがうまくいかなかった。私が提案したいのは、ネットランチャーである。(ネットランチャーは日本工機株式会社の登録商標)最近多くの学校にはサスマタが備えられている。電車のような狭い空間でサスマタの使用は、難しい。ネットランチャーなら犯人の動きを短時間抑え込むことができるであろう。合理化経費削減で乗務員警備員の増加は見込めない。列車内や航空機内で急病人が出ると放送で「医療関係者がいらっしゃいましたら・・・」と呼びかける。それと同じように列車に乗る警察関係自衛隊関係に協力してもらう手立てを考案したらどうだろう。各車両に保管されたネットランチャーを乗務員、警察関係者、自衛隊関係者が所持する何らかの磁気式カードで開けて使う。運行指令室の判断で各車両のネットランチャー保管庫を自動で開ける手もある。“日本は安全で治安が良い”を守りたい。資源のない国、日本の観光は大切な産業である。自分の命は、自分で守る。そんな恐ろしい時代になってしまった。

 

ネットランチャー®にお任せ!

 

 

 

 

 


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ふるさと納税を使用先指定納税に

2018年06月06日 | Weblog

お詫び:明日都合で投稿できないので本日に変更します。

①     納税は国民の義務

②     消費税

③     脱税

①      かつて評論家の故三宅久之さんは「納税 愛妻 墓参り」を標榜していた。私は墓参りをしていないが、納税と愛妻には同感である。2015年パリの世界マスターズ陸上選手権大会の100m競争の90歳以上のレースで96歳にして優勝したイギリス人チャールズ・ユーグスターさんは、レース後、インタビューでこう答えた。「死は恐くはありませんか」「恐くない。生きていれば必ず訪れるものがある。それが死と税金の支払い」 元気で陸上競技で優勝したことよりも、90歳を過ぎてまだ納税を語る意識の高さに感心した。今年も4月に固定資産税5月に自動車税を期限内に収めた。日本の役所の中で私は税務署が一番まともな仕事をしていると思っている。それでもまだまだ脱税や納税に多くの摘発漏れがある。納税者として税金は平等に徴収して欲しい。徴収しても納税に関して常日頃不満に思うことは、収めた税金がどのように使われているか知りようがないことだ。ふるさと納税が始まって、返礼品ほしさにわずかながら毎年続けている。ふるさと納税の自治体の多くが、その税金をどのように使って欲しいかと尋ねる。しかし具体的に何に使われたかは、報告されていない。

 先日何かのテレビ番組で東京の世田谷区は、区民がふるさと納税で他の自治体へ納税するので区内の公共事業の予算が危機的状態にあるという。世田谷区は私の子ども二人が所帯を持って暮らしている。ふるさと納税のような方法が世田谷区にあるならと思った時、ひらめいたことがある。

 例えば私の孫たちが世話になっている小学校、中学校などに校名指定でふるさと納税のように納税する。納税を受けた学校は、納税してくれた人を1年に一回、学校給食に招待する。学校の音楽会とか運動会に招待してくれる。その学校ができることをする。祖父母は、その税金が孫の学校の役に立つなら嬉しいものだ。アメリカの大富豪のように大学などに自分の名を冠した施設を寄贈はできなくても、自分の収めた税金が何に使われるか闇の中であるより孫の通う学校というだけで嬉しいと思う。

②      消費税は国民に平等に課税されている。そのことに文句はない。しかしその消費税を売った商品に課税して徴収した販売側が正しく国庫に納めていない。この消費税未納の摘発は、困難で毎年多額の徴収漏れが生じている。税金を納めたと思っている国民が騙されていてその税金が国に入る前に消えている。

③      脱税に関する処罰は、日本では重罪に当たらない。私が思うに国は、税金のほとんどを公務員会社員から天引きして徴収できるので、手を抜いているとしか考えられない。私は以前塾を経営していた。海外から英会話教師を招聘した。一人当たり年間70万円くらいの所得税を負担した。ところが同業のアメリカ人女性塾経営者が5年間脱税して追徴税として1500万円を請求された。女性は即塾をオーストラリア人に譲って逃げるように納税せずに帰国した。私はその頃、再婚して塾を辞め妻の海外勤務に同行することを決めていた。その後オーストラリア人英会話教師はオーストラリア警察から指名手配されていた元警察官で逮捕され国外退去になった。

 紀州のドンファンの資産が70億、ヤンキースの田中投手が年棒何十億、タケシの資産が150億、タモリの資産150億、島田伸介さんの預金が100億とかと世間は騒ぐ。でも彼らはきちんと納税しての資産であろう。余計なやっかみだが、彼らの金の使い方は、決してマイクロソフトのビル・ゲイツのようではないようだ。上を見ればきりがない。私はニーチェの「真の英雄とは、逆境をはねのけて食事時に帰宅する者だ」が好きだ。英雄になんてなれないが、温かい食事を妻ととれれば、私はリッチになれる。

 私は一度でいいから自分が収めたささやかであっても真面目な税金がここで使われたという確証を得たいと願う。


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探し物は何ですか。

2018年06月05日 | Weblog

 井上陽水の『探し物は何ですか』が好きだ。たいして特徴も特技もなかったが、子どものころから探し物には自信があった。古希を過ぎ、生来の記憶力の悪さに、痴呆が加わってきたのか、物忘れと物を失くすことが多くなった。

①     作ったばかりの部分入れ歯

②     結婚指輪

③     皮むき器

①      5月14日に歯科医院で歯肉炎の悪化で抜歯する2本の歯型を取った。23日に抜歯。私の舌は口の中でおとなしくしていない。まるで手の指のように動いて口の中を探る。歯が抜かれた跡に触れる。麻酔でまだしびれが残るブヨブヨになった場所を点検。更に一度に2本抜かれた空間の測量に入る。あまりの空間の幅に舌の先の半分くらいが食い込み、舌が上唇の中側にタッチする。こうなると私のもともと萎縮した脳は、混乱をきたす。神経が口に集中してしまう。加えて抜歯直後に14日に型取りした部分入れ歯が装着された。入れ歯にはワイヤーのわっかがありそこが抜歯した両脇の歯の根元に食い込む。帰りの電車ないで私は入れ歯を外した。これが過ちの第一歩であった。25日から27日まで妻の学会に同伴して大阪へ行った。25日の夜、大阪在住の友人家族にホテル内の中華レストランに招かれた。抜歯したところは、順調に回復してきていたが、入れ歯は外したままだった。友人家族には、恥ずかしかったが理由を説明して、私の口の異変に驚かぬよう予め告知した。

  6月1日は、歯科医院予約日だった。入れ歯の調整をする。家を出る前、さもずっと入れ歯を装着していたふりを装うために入れ歯をはめ込もうとした。見つからない。てっきり薬ポーチの中にガーゼにくるんでしまったと思い込んでいた。慌てた。もしなかったら歯科医になんと言えば。もしかしたら今朝出したゴミの袋に!最近自分の意識してないことをしでかす。記憶も一瞬で消える。どうでもよいことは覚えているが、どうしても思い出したい過去は無の世界となる。ゴミ出し場へ直行。ちょうど通いの管理人がいた。「すみません、もしかしたら入れ歯を・・・」「全部まとめて向こうのシャッターの前に置きました。まだ収集車は来ていません」「見つかるといいですね」 どこまでも優しい同年配の管理人である。 

 私はゴミ袋を抱えて階段を韋駄天のように駆け上がった。テーブルの上に新聞紙を拡げた。急いでゴミを探った。素手だった。絶対あると確信していた。なかった。時間が迫る。予約した時間に遅れるわけにはいかない。家を出た。歯科医に説明した。「次回までに探してください」で終わった。その夜、妻と二人で家の中に留め置いたゴミを再点検した。使い捨て手袋をしてシラミツブシに探した。見つからなかった。

②      再婚して結婚式で交わした結婚指輪を失くした。ダイエットのせいだった。体重を減らすことに成功した。結婚指輪がゆるゆるになった。どこかで抜けてしまった。探しようがなかった。2度目の結婚の呪いかといぶかった。今している指輪は東急ハンズの2千円の指輪である。

③      料理は好きだが、後片付けは嫌い。妻は料理をしないが、後片付けと整理整頓の達人である。これでうまくいく。私はスイス製の皮むき器が気に入っている。ところがこの皮むき器小さい。だからよく向いた皮と一緒に捨ててしまう。ゴミ袋をくまなく探して数回見つけた。この経験がゴミを恐れぬ今回の入れ歯探しにつながった。結果は得られなかったが、ここまでやればあきらめがつく。


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