団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

変身、シャッター街

2014年02月06日 | Weblog

 《お知らせ:都合により2月10日月曜日分を本日投稿いたします》

 住む町の商店街のアーケードが取り外された。シャッター街はずっと廃墟のようだった。シャッター街になって久しい見慣れた活気のない街並みの風景が違って見えた。取り外された理由は分からない。アーケードが古くなって危険になった。アーケードの天井に付けられた照明の電気代の負担ができない。理由はどうであれ、暗くて重い雰囲気の商店街がアーケードを取り除いただけで、明るく空間の拡がりを感じる。そんな変化を目の当たりにして、3つの妄想が湧いた。

①    シャッター街をスクリーンに

  去年の暮も改修復元工事を終えた東京駅に“東京ミチテラス”というCGを使った光の祭典があった。東京駅の外壁全体が美しく幻想的な大スクリーンになって観客を魅了した。CGや映像の投影技術進歩は目覚ましい。東京駅で使われたような大規模な機器装置でなくもいい。簡易な投影機をシャッター街のあちこちに設置して暗くなったらシャッターをスクリーンにして、シャッター街の陰気な雰囲気を吹き飛ばせないだろうか。

②    シャッター街をキャンバスに

  ヨーロッパによくある狭い道の両脇に立ち並ぶ商店街が好きでよく歩いた。ヨーロッパの建物は煉瓦造りが多い。私の住む町のシャッター街の建物はほとんどが新建材で建てられている。①は夜しか使えない。ならばよく工事現場のまわりを絵や写真を印刷してある遮蔽用の囲いのようにシャッターをキャンバスにしてしまう。そこにその街の江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代などの商店街の風景を描く。

③    シャッター街を博物館に

 住民は冷たい。自分たちの生活を安定させるために大企業が経営する安くて駐車場が広く品ぞろえが豊富なスーパーやコンビニで買い物をするが、個人商店を平気で見捨てる。それがシャッター街出現の原因である。シャッター街は店舗兼住宅が圧倒的に多い。ということは店舗部分はそのまま空いているということだ。この空間の利用を考える。シャッターを上げないことには、商店街の廃墟化は防げない。どんどんゴーストタウン化が進む。ではどうするか。まずシャッターを上げる。アーケードを外しただけでこれだけ街があかるくセイセイとした。アーケードの次はシャッターが邪魔だ。このシャッターを取り外して商店街博物館にする。1商店に1枠の展示ブースを設ける。どの市町村にも歴史があり地元出身の偉人文化人有名人がいる。本来、博物館を建てて保存保管しなければならないモノは役所の倉庫にも商店にも家庭にもあるはずだ。各商店の枠は小さくてもよい。現にヨーロッパの路地にある商店街などの店もショーウインドーも小さいものが多い。何が展示されているのかと小さなショーウインドーを覗くのも楽しいものである。数十軒の商店の小さな展示場にその商店街にまつわる、その市町村にまつわる展示品は観る者の興味をひく。シャッター街の敵は、人通りのなさである。出歩く人の数を増やさなければ、それこそ町の中さえ“限界集落”になってしまう。

 無責任なただの思い付きかもしれない。シャッター街を見るたびに哀しくなる。何とかならないかと考える。商売の難しさは私も身に染みて体験している。客がいて、商品が売れなければ商売は成り立たない。商店街はフリーマーケットだの福引だのと企画する。企画すればするほど経費がかかり、月日が経つにつれて閉じたままのシャッターが増えていく。ここは発想を転換させてみたらどうだろう。人が戻れば、商売は自然発生するに違いない。アーケードを外しただけで、街の景色が変わった。もっと変わってもっと明るい街になってほしい。

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