7月10日に予定があり参議院議員選挙に行くことができない。妻と先週期日前投票に出かけた。
午前8時30分から投票できると選挙ハガキにあった。近所の期日前投票は市役所の分所でできるが週日なので妻が行けない。18日土曜日にわざわざ市役所まで出かけた。
市役所は最近建て替えられて新しくなった。投票所は旧庁舎にある福祉センターだった。駐車場に車を止めて“投票所→”の張り紙を頼りに進んだ。エレベーターの前に来た。ドアに“M2で降りてください”の張り紙。「M2って何のこと?」「中2階かな。押せば着くわ」ドアが開いた。降りる。そこは壁が3面と1箇所が空間。3面の壁にそれぞれ鉄製の頑丈そうなドアがある。不思議な国のアリスになったようだ。私たちは話すこともなく同時に空間を選んだ。投票所らしさはどこにも見られなかった。数十メートル先が工事中でガードマンらしき男性が立っていた。「期日前投票所・・・」と言いかけただけで男性は黙って先の赤い誘導棒を“投票所→”の張り紙に向けた。“投票所→”は全部で5枚あった。結局投票所に到達する前に市役所の敷地外周を3分の2ほど回った。
やっとたどり着いた投票所は砂漠のオアシスに感じた。たくさんの市役所職員と選挙立ち合い人が並んでいた。最初の机に座る女性職員にハガキを見せる。我が家は妻が“世帯主”である。逆玉の主夫、髪結いの主夫は扶養者である。選挙ハガキにはそう記述されている。当然妻が私の先に並ぶ。妻は手続きが順調に済み投票用紙をもらって書き込みブースにいた。コンピューターのような機械を前に女性がキーボードを操作していたが何か不具合が生じたようだ。そばに立っていた男性職員が立ったまま女性に代わってキーボードを叩いた。二人の職員の形相に緊張が走った。ブースから妻が「どうかしたの?」と音無しの口の形で尋ねた。私は手のひらを上に両肩を上げた。耳に「世帯主・・・」の男性の囁き声。良く私に起こることがまた起こったようだ。ほぼ100%そう99.9%は夫婦間において男性が世帯主だと決めつける。真相はわからない。知りたくもない。投票するために来たのだから投票できればそれでよい。
投票用紙を受け取ってブースで候補者の名前を書きこんだ。投票箱に用紙を入れた。次に比例代表。投票を終えて駐車場に向かった。私たち夫婦は選挙で誰に入れたとお互い告白したことが結婚して23年で一度もない。聞きもしない。自ら言うこともない。とても良いことだと思う。夫婦家族が政治信条において一体となることができるとは私には思えない。現在の選挙は組織票が一番の武器となる。政治思想、信条、宗教、所属組合や協会や会社。今回の選挙から18歳に選挙年齢が引き下げられた。心配なのは親たちが18歳の政治的に無垢な若者に特定候補者を親という立場を使って強制することだ。個人的に知ることもない候補者を組織強化の目的を達成するために支持する。今回の選挙でもますます組織票を固めようと各組織が動いているに違いない。私たちは夫婦間でさえ個人の選挙権に立ち入らないでいる。その自由さが心地よく感じる。
世帯主が誰だということも気にしない。たぶん私が投票する候補者は当選しない。その候補者は私が投票したことさえ知ることはない。選挙に参加するたびに思う。誰にも知られることはないが、選挙って何だか真の自分という存在に向き合える気がする。近い将来日本は政党以外の特定の組織に支配されるかもしれない。危機を感じる。それを回避できるのも1票の力だと信じる。英国でのEU離脱を決めた国民投票で直前まで残留が優勢だった。結果は大方の予想を裏切った。油断と怠慢と軽視は歴史を変える魔力を秘めている。私は私の1票をこれからも大切に最後の選挙まで行使する。