「言うまいと思えど 今日の暑さかな」作者不詳
日中はほとんど一人で過ごすので、言いたくても誰かに「暑い」と言うこともできない。猛暑日が続いている。その上、この暑い時に私は普通に歩けない。杖を使って一歩一歩ゆっくり歩く。杖のおかげで左脚に全体重をかけなくても済む。これだけでもずいぶん痛みが違う。それでも右足の足裏が地に着くと激痛がはしる。また痛風かなと思ったが、妻の見立てでは違うという。以前にも同じような症状がでて10日もすると自然に痛みが消えた。今回もそうであることを願う。
暑い日中に外に出ると歩みが遅い私は、太陽の光をこれでもかと受けることになる。熱中症には水分の補給とうるさく言われ水分をたくさん摂るせいか汗の出方が半端ではない。そんな私が黙らされた光景にぶつかった。私が入居している集合住宅の樹木や芝を管理している造園会社がある。その従業員かあるいはアルバイトなのか女性が地に這いつくばうように芝生の雑草取りをしていた。
気温は優に30度を超えている。3人ともよく農家の女性が被っているつばの広い作業用の帽子なので顔は見えない。庇からは虫除けの網が垂れていた。長袖の割烹着に腕には手甲、手に軍手。腰には蚊取り線香を入れたホルダー。日陰はない。年齢もわからない。ただ一生懸命に働いているのは嫌でもわかる。こんな暑い日にこんな過酷な仕事、それも女性が。私は短パンに速乾性のTシャツ。杖は付いているが男に分類上仕分けられる。
高校野球で炎天下、甲子園めざして球児たちがはつらつとプレーするのはわかる。頑強な男たちが建築現場や土木工事現場で働くのもわかる。天候がどうであれ、職業によってはどんな悪条件の中でも働かなくてはならない。生活するためには仕方がない。この世の中決して平等でも公平でもない。ブルーカラーとホワイトカラー、そしてそれぞれの中にも消しがたい偏見が存在する。私は真摯に生きる人たちを尊敬する。だったら私もそう生きたらいいと思う。ずっと自分の人生において過酷な肉体労働から逃げた。十代でカナダへ渡る前、アメリカ人宣教師の施設でこき使われた。便所の汲み取り、乳牛の世話、大工仕事なんでもやった。もう2度と騙されないと思った。父親の職人としての仕事の過酷さにも抵抗を感じた。跡を継ぐ気は全くなかった。今では肉体労働できない言い訳がある。私は健常者でない。どんな生命保険にも加入を認められない。当たり前のことだ。だから感謝するしかない。
普段の歩みの5分の1の速度で進む。一人の女性が私に気が付いた。表情を見てはとれない。声が聞こえた。「こんにちは」 私も答えた。「こんちわ」 他の二人の女性も「こんにちは」と元気に答えてくれた。私は言葉を探す。以前先輩から「ご苦労様」は上から目線の表現だと注意された。「ご苦労様」をひっこめた。では何と言えば。「お疲れさまです」 まだ仕事をはじめたばかりの時にはおかしい。「暑いですね」 もうすぐクーラーを効かした自分の書斎に戻ろうとしている私が炎天下で作業する女性に使える言葉か。何も言えなかった。不甲斐ないことこの上ない。
涼しい書斎での作業を終えて買い物のために夕方外へ出た。午前中3人の女性が草を取っていた芝生が綺麗になっていた。世界で芝生が一番手入れされているという英国にも負けないと芝生だと私は見惚れた。2020年の東京オリンピックのメインスタジアム建設が白紙に戻され、迷走している。スタジアムは並でもいいから、スタジアムの地面にはえる日本のおばちゃんたちが手入れした立派な芝生を世界に見てもらえたらいい。日本の女性ならいい仕事をやり遂げる。男性も精一杯応援しよう。