団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

イクラが泳いでる

2018年12月28日 | Weblog

  12月20日木曜日に高校の同級生のN君からメールが届いた。そのメールに3枚の写真が添付されていた。いまだに私は、メールに写真を添付することがうまくできない。N君やるな、と思った。N君のメールに写真が添付されたのは初めてだ。

 メールの文章を読む前に、添付された写真をクリックして拡大した。うむ。これは何?まさか!鮭の赤ちゃん。どうしてN君が鮭?メールの文章を読んだ。N君はかつて大學で教えていた。でも鮭に関係する学部の教授ではなかった。定年退職後、日本全国あちこちの講演会に招かれ講演を行っている。市や地方自治体主催の子供理科実験教室などでも積極的に指導講演活動にも協力を惜しまない。ある子供理科実験教室で他の講師と知り合った。その講師は、鮭の受精したイクラを孵化させて育てていた。N君はその講師に受精したイクラを分けて欲しいと頼んだ。そうして手に入れたイクラを小さなメダカ用の水槽を購入して水道水を入れ、イクラを中に放した。ある日水槽の中の茜色がかった、それこそサーモンピンク色したイクラが動いているのに気が付いた。時間が経つにつれて、水槽の中のイクラのほとんどが孵化した。もともと科学者のN君、注意深く観察した。その様子をメールで私に知らせてくれた。相当感動した内容だった。私は根っからの文系人間である。私が鮭のイクラの孵化に感動するならまだしも、大学の実験室で多くの生物微生物の研究をしてきたN君が感動する。私はこれって、よほど凄いことだと理解した。返事を書いた。できれば私も鮭のイクラから孵化した鮭の赤ちゃんを見たいと訴えた。返事がきた。講演会で東北へ23、24、25日と行くので26日以降に来てという。私は27日にN君を家に訪ねることにした。

 N君の娘さんがお産で奥さんは留守だった。水槽は玄関の靴箱の上に置かれていた。こんな小さな水槽とびっくりするほど小さかった。玄関は薄暗くなっていた。電灯をつけると鮭の赤ちゃんが興奮して動き回るので普段はできるだけ刺激しないようにしているという。餌は?水の交換は?水槽の掃除は?私にもたくさん聞きたいことがあった。目を見張った。私はロシアのサハリンで鮭の遡上を見ている。体中傷だらけの一匹のメスにメス以上にボロボロなオスが数匹メスを追いかける。川というよりセンゲ(方言:どぶ)のような小さな流れにまで入り込んでいた。海から何十キロも幾多の難関難所を遡上して、産卵場所にたどり着いても他のオス鮭と自分の子孫を残すために闘わなければならない。その壮絶さ、一途さに圧倒された。私は泣いた。涙が止まらなかった。自然の命をつなぐ営みの前に立ち尽くしていた。

 N君の家の玄関で私はサハリンで見た産卵光景を思い出していた。鮭の卵を狙ってイワナ、ヤマメが川に群れていた。海に戻れる鮭の赤ちゃんは、1%だという。水槽は鮭の赤ちゃんにとって安全である。おなかにくっついているイクラがある限りエサはいらないという。イクラがなくなったら、メダカや金魚のエサを食べるという。N君はすでにそのエサも準備している。N君も私も70歳の高齢者、人生の最終コーナーにさしかかっている。生まれたての鮭の赤ちゃんとは立場が逆。私たち二人がそれを自覚しているからこそ、このイクラの孵化に感動を禁じ得ないに違いない。

 鮭の赤ちゃんを放流する日、また連絡してくれるとN君が約束してくれた。楽しみである。N君がこんな私に孵化を知らせ、見に来るように声をかけてくれ、この感動を共有させてくれたことが何より嬉しい。

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