団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

漢字パズル

2019年06月28日 | Weblog

 外に出られない。やれ台風3号が来る。大雨になる。数日前は気温が上がるので熱中症に注意。私が外に出ることを諦めさせようとあの手この手を使ってくる。加えてここ数日、右脚の閉塞性動脈硬化症の症状が悪化して歩くことに支障がある。7月に高校の同窓会の有志が江戸城36見附廻りの案内を送ってくれた。コースは赤坂見附→山王社(日枝神社)→溜池→虎の御門跡→幸橋御門跡→山下御門跡→数寄屋橋御門跡→南町奉行所跡→鍛冶橋御門跡→北町奉行所跡→呉服橋御門跡→金座(日本銀行・貨幣博物館見学)だ。“ゆっくりなのでどなたでも歩けます”と添えられていた。でも私は無理。皆に迷惑をかけられない。この会は、東海道を何回にも区切って歩ききり、同じように小刻みに中山道も制覇。今年はネパールへトレッキング遠征までやってのけた。とにかく私と違って健脚である。羨ましいお達者な一軍である。同じコキイチの人間とは思えない。

 外に出られない時は、どうするか。今はまっているのが漢字パズル。妻が朝6時40分に家を出て夕方6時に帰宅するまで約12時間私は家に一人でいる。時間はたっぷりある。買い物や夕飯の用意は数時間で済む。まだ10時間残る。以前は読書や執筆に多くの時間を割けた。集中力が翼をはやしてどこかへ飛び去ってしまった。テレビは目が痛くなるだけでつまらない。ネットフリックスやアマゾン・ファイアーテレビの映画も一人で観ても面白くない。妻と一緒に言いたい放題観て、観終わってから、ああだこうだと話すほうが楽しい。

 最近時間を忘れられることに、ようやく出会えた。漢字パズルだ。英語のパズル、日本語のクロスワードパズル、そして漢字パズルにたどり着いた。一番相性がいい。時間を感じない。また全問の答えを書き込み、やり遂げた時の喜びも大きい。

 私が好きなのは、縦26センチ横60センチの大判の漢字パズルだ。別の169個の漢字が入るチェック表。まず拡げたパズルの大判には縦24マスと横に56マスの合計1344マスがある。パズルなので黒く塗られたマスもある。またあちこちに漢字が配置されている。その漢字が解くカギとなる。全般を見渡す。あちこちの漢字から糸口を見つけようと目を走らせる。例えば□状□憶□□とある。もしや“形状記憶”? でもうしろの2個の□□に入るのは何。とりあえず□の中に小さく“形”を入れる。チェック表の116のマスに“形”と書き込む。さてそれから1344マスのはじからはじまでのマスの中から116を探す。ここで役に立つのが音楽だ。私はクラシックのCDを用意してある。その日の気分で曲を決める。モーツワルトの交響曲40番に目を動かす速度を合わせて116を探す。最初の行にない。次もない。あきらめかけはじめた半分を過ぎた所に116を発見。この喜びが半端でない。会いたかった友人に再会できたような気持ち。見つけた116のマスに“形”を記入。“空□形”すでに“空”は印刷されている。□に何が入るか考える。手形が浮かぶ。小さく“手”を67のマスの中に書く。試行錯誤を重ねて進む。ついに“□状□憶□□”の後ろ2個の□が“合金”と他を解いたことによってつながった。

 パズルはこれだけで前に進ませてくれない。私はモーツワルトの交響曲の響きに促されて、事業をしていた時、銀行から借入金の多くが、手形借入れだったことを思い出す。苦労した。返済を延ばしてもらったこともあった。手形の書き換え。今は手形と縁がない。それだけでも幸せだ。そんな事を思い、時間が過ぎる。気を取り直して、今度は67“手”を探し始める。漢字は1個しか使われていないこともあれば、10個以上使われていることもある。

 私は英語を自分が経営する塾で教えた。英語を学ぶことに多くの時間を使った。記憶力に劣る私は、優秀な人より何か覚えるのに時間がかかる。それでも英語が好きで秀才なら数か月で習得することを10年以上かけなければならなかった。英語が好きになった。英語を学べば学ぶほど、日本語に敬意を持った。特に漢字の素晴らしさには魅了された。

 漢字パズルを解きながら、私は自分が歩んできた過去を浮遊する。その心地よさに酔っている。嫌な事件も孫の病気も自分の老いも脇にどいてくれる。モーツワルトのCD3回繰り返して聴いて、やっと169個の漢字すべてを埋めた。


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クイーン『Radio Ga Ga』

2019年06月26日 | Weblog

  毎朝5時、目覚まし時計と数秒遅れてラジオの5時の時報で目を覚ます。できれば小鳥たちのさえずりで目を覚ましたいものだ。最近裏山にカラスが増えたせいか、小鳥がいなくなった。大好きなミソサザイなら嬉しい。でも時間を設定できないから頼れない。今朝も小鳥の声はきかれない。

 クイーンの曲に『Radio Ga Ga』がある。私はクイーンの音楽の熱狂的ファンではないが、歌詞に興味がある。『Radio Ga Ga』にこんなくだりがある。♪(私訳):知るべきことはみんなラジオが教えてくれた。……ただのバックグランドな音だけにならないでくれ。……ラジオには輝ける時代と力があった。……ラジオよ、流れてくるのは,くだらない音ばかり……誰もがテレビでスターを観てる……耳で音を追いかけなくなった……古き良きラジオ愛好者を置いてきぼりにしないで……(テレビで)観せられる画面に飽き、ラジオの時代が帰ってくる……これからだ……まだまだラジオの出番はある♪ 

 私が日頃持っているラジオに対する不平不満をクイーンのフレディ・マーキュリーは歌った。あの声であの迫力で。でも正直、曲を聴いてもほとんど意味は理解できなかった。ロックの激しいビートと絶叫のような歌声は、ただただ私の全身を通り過ぎるだけ。しかし、歌詞を読むと違う。すんなりと賛同できる。それは占いで自分の干支、星座、血液型で何か良いことが書いてあるのを見つけたような気分である。

 ラジオ、私はニッポン放送を聴いている。以前高島秀武の番組が好きで聴いていた。彼がやめてから、彼のようなアナウンサーを見つけられないでいる。昔の映画館で上映されたパラマウントのニュース映画の竹脇晶昨、相撲を実況した杉山邦博、ナレーションや司会の芥川隆行。ひどいものである。『Radio Ga Ga』の歌詞のようにラジオの時代は、終わったかのようである。

 ラジオを聴くのをやめればよいのだが、「♪ラジオの時代が帰ってくる♪」といまだに信じて聴いている。ニッポン放送の番組のアナウンサーや出演者の交代は激しい。午後に『土屋礼央のレオなるど』があった。突然終了して月曜日、山口智充・火曜日、中川家・水曜日、原田龍二・木曜日、安藤弘樹と変わった。水曜日の原田龍二さんがなぜ起用されたのか理解に苦しむ。不倫事件を起こしていたからではない。とにかくラジオ向きでない。聴こうという気がなくなる。不倫事件が公表される前日の放送は笑えた。人生相談のような視聴者への彼の意見は、まるで人生を悟ったかのようなものだった。不倫が週刊誌に載った。私は次週どうせ番組から降ろされると思った。バッサバッサと出演者を変えられるニッポン放送だ。でも彼は出てきた。

 他にもラジオ向きでない出演者は、増えるばかり。午後4時から『夕暮れWONDER4』が放送される。草野満代さんにも私は慣れることができない。ラジオは声が大切だ。ラジオ向きの声というのがあるはず。どんどん聞き取りにくい声ばかりが増える。テレビではアナウンサーも天気予報士もタレント化が進む。

 適材適所とか天職とかの問題ではなさそうだ。カナダでこんな話を聞いた。大工の採用は、一分間に何本釘をきれいに打てるかで決まる。アナウンサーは一分間に何語間違えずに喋れるかで決まる。タイピストは一分間に何語正確に打てるかで決まると。日本のラジオやテレビ局は、どこの大学を出たとか、有名人の子だからとかで決まるらしい。だからTBSテレビの小林由未子さんのようにきちんと原稿を読めない人でもテレビに出続ける。そんな中、最近天気予報士の船木正人さんがテレビ朝日からNHKに引き抜かれた。女性天気予報士ばかりだったTBSテレビ『あさチャン』には河津正人さんが起用された。少しまともな軌道に修正された気がする。適材適所の配置を願う。

 ラジオもテレビも存在価値はある。それをわきまえずにいると必ず視聴者は離れる。よしもとのお笑い芸人の闇営業問題も同じ。視聴者は決して聴き逃さない、観逃さない。


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めまいと耳のゴロゴロ

2019年06月24日 | Weblog

  妻は耳が変なので耳鼻科へ行くと言った。どうやら綿棒で耳を掃除していて傷をつけたらしい。私が車で耳鼻科医院へ妻が休みの土曜日の午前中に連れていくことにした。私は内心もうこれ以上の医者通いはごめんこうむりたい。

  妻に私は難聴だと始終言われる。確かにテレビやラジオの人の声は、よく聞き取れない。妻に「何て言ったの?」と尋ねることが多い。妻には聞き取れても私にできないことがある。2万円くらいの簡易音声拡大器を買ったが、耳にモノを入れる不快さを嫌って放置している。

  唾を飲み込む時、耳の中で「カックン ジュワー」と宇宙や深海にいるような音が響く。急に首を回したり、振ったりするとゴロゴロとまるで耳垢の塊が転がるような感じになる。

  私は心臓バイパス手術を受けた後から、うつぶせ寝から仰向けに寝るようになった。万歳するように両手を上げて、降参するかのような寝姿だった。還暦を過ぎたころから、横向きに寝るようになった。右、左どちらにでも向いて寝ることができた。ところが左耳を下にするとめまいがして気持ち悪くなるようになった。私はベッドの端で寝る。妻は堂々と真ん中で私よりの位置を取る。私が右耳を下にして寝ると、私の背中を妻に向けることになる。妻は私のこの寝方が気に入らない。いろいろ試したが結局、妻に背中を向けた状態に戻った。

  めまいは、重大疾患の前兆と聞いている。良い機会なので妻と一緒に耳鼻科を受診することにした。私が6年前に受診した耳鼻科医院に行った。妻は耳鼻科を受診するのは、小学生の時以来だという。そこの耳鼻科の医師は、病気になったのか医院を増改築した後、数年医院を閉じていた。受付で診察券の提出を求められたが、失くしてしまって持っていなかった。「再発行に50円かかります」と言われた。もちろん妻は初診。二人で問診票を書き込んだ。私は症状の欄に「耳の中がゴロゴロするとめまいと難聴」と書き込んだ。待合室には10人くらいの患者が待っていた。「予約の〇〇さん、中の待合室へどうぞ」 どんどんそうして患者が呼ばれる。予約時間に合わせて次から次と新たな患者が待合室に入ってきた。予約の方式がうまく機能しているようだ。予約がない患者は、私たちだけだった。それでも40分くらいで中に呼ばれた。

  以前私が診てもらった同じ医師だった。しかし風貌が変わっていた。病気だったせいか一気に老けた感じ。優しい医師で話し方も丁寧である。声が小さくマスクをしているので余計に聞き取りにくかった。夫婦のせいか、二人が医師の前に並んで座った。先に妻が診察を受けた。以前と違って耳鏡を使わず、内視鏡を耳に入れ、テレビ画面に耳の内部が映し出される。妻が心配していた傷もすでに完治していて、吸引機でカサブタを除去して妻の診察は終了。次に私。医師は、額帯反射鏡ではなくLEDのヘッドライトをつけていた。耳鼻科の医師のトレードマークのような反射鏡はもう使われていない。子供の頃、耳鼻科の医者がつける反射鏡をとてもカッコ良いと思った。内視鏡が耳に入れられた。細くて違和感もない。医療機器の進歩は目覚ましい。有難いことだ。テレビ画面に私の耳の中が映る。何か恥ずかしい。耳垢が散在。おや、あれは何。画面を横切る一本の黒い線。機械の不具合。「毛が入っています。これがゴロゴロの原因です」「先生、毛が耳の中に入るんですか?」「入ります。結構多いですよ」 私が推測するに、床屋で散髪してもらった時に入ったらしい。こんな小さな毛がゴロゴロや違和感の原因だったのか。

 「難聴とめまいの方ですが、まず検査を受けてください」と私だけ残されて検査を受けた。検査の後、また診察室に戻り、医師の所見を聞いた。右耳の難聴が進んでいる。もうしばらく様子をみましょう。めまいは、いろいろな原因が考えられるので一度耳のMRIをやって調べることを勧められた。

  妻が耳鼻科に行きたいと言ってくれたおかげで、耳の中の毛を除去できた。まさか毛が入り込んでいたなんて。とにかくコキイチは、あちこちに不具合が出てきている。逃げずに定期的な点検が必要だと実感した。


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百寿者

2019年06月20日 | Weblog

 高校の同級生N君の呼びかけで私を含めて同級生4人で横浜の原鉄道模型博物館へ行ってきた。度肝を抜かれた。ただただ凄い。存在さえ知らなかった。まずもって博物館の名前さえ正しく読めなかった。私は原(ハラ)を(ゲン)と読み、なんじゃ(ゲンテツドウ)ってと思っていたほどだ。原(ハラ)とは、原信太郎(1919~2014)のこと。原信太郎の制作所蔵した鉄道模型や鉄道に関わる原の収集品が展示されている。原は95歳で亡くなったが、最後まで鉄道模型の製作を続けていた。私たちは71歳。おこがましいが原と比べたらヒヨッコ。

 先日学会から帰宅した妻が私に読むようにと学会で配布された冊子を渡した。そこに慶應義塾大学医学部 百寿総合研究センターの『百寿者の身体的・性格的特徴』という表があった。

身体的特徴 (資料)                  私の個人的特徴

●栄養状態が低下                    ◎隠れ食いなどで常に栄養状態過剰                   

●糖尿病が少ない                    ◎40歳で発症 薬物療法・運動療法・食事療法中

●コレステロールが低い                 ◎高い 薬物療法中

●炎症反応亢進                     ◎正常

●貧血傾向                       ◎正常

●動脈硬化が少ない                   ◎全身 特に心臓冠動脈 右脚ふくらはぎ

●血栓ができやすい                   ◎できやすいが、薬物療法中

性格的特徴

●神経症:不安の強さ、細かいことに気が付く       ◎小心で神経質

●外向性:社交的、活動的、派手好き           ◎お節介でお人よし

●開放性:創造的、好奇心が旺盛             ◎妻は私を“歩く好奇心”と言う

●調和性:思いやりがある、周りに合わせる、依存心が強い ◎長い物には巻かれろ、の忠実な実践実績

●誠実性:意志が強い、几帳面、頑固           ◎しつこい、頑固。妻曰く“柳のような人”

  百寿者の特徴にほとんど当てはまらない。原信太郎が95歳まで現役で偉業を成し遂げた。71歳でもう限界を感じている。凡人の極みである。でも私はそれでもかまわない。凡人がいるから偉人が生まれる。偉人が偉人として崇められるのは、凡人のおかげである。偉業を残せなくても、偉業を敬い称賛できる。高校の時ある教師が言った。「秀才が目立つのは、お前のような劣等生がいるからだ。だれでも何かの役に立っているんだぞ」

  冊子の『百寿者になる百年の物語』に102歳の男性がこんな事を書いている。「年を取るまで健康でいることは本当に大変ですよ。でもね、長い人生のうち、できることなら周囲の人を喜ばせたい。そのためにも自分が健康でいないとね。自分自身も人生を楽しんで、ほかの人のことも助けられる。これが人間としての最高の世渡りだと思います」

  先日、友人夫妻を食事に招いた。私はいつも“ご馳走”を心掛ける。まず食材を集め、手に入れた食材から自分の創造力を駆使して献立を決める。友人が「今度、ハムとチーズでいいから、気軽にやりましょう」と言った。どこまでも優しい。私は彼らの話を聞くのが大好きだ。とにかく私がお呼びする人たちの話は、とても勉強になる。私は、そんな素晴らしい話をただハムやチーズで聞かせてもらうわけにはいかない。素晴らしい話を聞かせてもらう代償として調理する。少しでも喜んで頂いて、その人の持てる知識経験心情を私に語ってもらいたいのである。私のお礼は料理することでしかできない。

  原信太郎のような偉業は無理。でも凡人の私だからこそ、私より優れている人を、その偉業を素直に称賛できる。百寿者になれる可能性は、限りなく低い。でも私は身の程を知って、周りの人を喜ばせることに一所懸命になる。凡人として底辺に生きるのもよき事かな。


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拳銃強奪と父の日

2019年06月18日 | Weblog

 6月16日日曜日早朝、大阪府吹田市の交番で警官が包丁で刺され拳銃を強奪された。また嫌な事件が起きたと重い気持になった。

 テレビでは現場中継され大変な騒ぎになっていた。吹田市といえばすぐその近くの豊中市に友人家族が住んでいる。テレビで示された地図では犯行現場と友人宅は近い。何度も友人宅を訪ね泊めてもらっている。心配と妄想が駆け巡った。犯人は奪った拳銃を持って逃走している。電話をするべきか迷った。

  午前10時頃、家のインターフォンが鳴った。宅急便だった。2個。長男と長女からの“父の日”のプレゼントだった。私は自分が二人の子供にとって、良い父親でないことを十分承知している。そんな私に気をつかっている子供を不憫に思う。

  その日の午後、警察がニュースで犯行現場の交番の防犯カメラに写っていた犯人らしき男の写真を公開した。それを観たある男性が自分の子供によく似ていると警察に連絡してきたという。感じる、思うことは、誰にでも容易にできる。問題はその後である。私も拳銃強奪事件の後、拳銃を持って逃げている犯人が友人家族に危害を加えたらと心配した。でも電話をかけられなかった。

  結局、交番の防犯カメラに映っていたのは自分の子供がかもしれない、と連絡してきた父親の子供が犯人だった。父親の一報が警察の捜査に大きな進展をもたらしたことは、まごうことなき事実であろう。父親として自分の子供が、凶悪事件を犯したなどと思いたくはない。私もそんなことがあれば、子は子、親は親で私は関係ないと逃げるに違いない。ましてや父の日という、年に一度父親も家族にいるんだと再認識してもらえる特別な日の出来事だった。さらにこの日は犯人の父親の誕生日だった。あの日警察に「自分の子供かもしれない」といったいどんな気持ちで電話したのであろう。元農林水産省の事務次官が、自分の子を包丁で刺し殺した事件の父親の気持ちに通ずるものがある気がする。あの事件を知った時、ミッシェル・オーディアールは「知らない人を殺すことは、いつでもやや厄介な面がある。それに対して家庭内の殺人は正当で伝統的で、ブルジュワ的だ。それにそれの方がやはり品がある。」を思い出した。私には難解ではあるが、何となく理解できる気もする。また北畠親房が『神皇正統記』で「父として不忠の子を殺すは理なり、父不忠なりとも子として殺せという道理なし」とも言っている。一人の人間として生まれて、男だ女だ父だ母だ兄だ弟だ姉だ妹だ親戚だといろいろな肩書分類が付きそれが重圧となり人生を狂わせる。

  私自身は、子供たちの母親と離婚して子供につらい思いをさせた。その罪悪感はぬぐえない。私に彼らに償おうという気持ちがあっても彼らがそれを受け入れているか否かはわからない。じっくり話したこともない。お互いに核心に触れずにやり過ごしてきている。最後までこのままであろう。私は子供が大学を卒業するまではと父親としての責任を果たそうと努めた。自立していまはそれぞれ家庭を持った。私の出番はない。子供も自分の家族を第一として、私と会うのは年に1,2回である。それで良い。父の日に私を想い、贈り物をしてもらえるだけありがたい。

  私たちは勝手に“世間”を自分の中で構築している。その自分で作った世間に縛り付けられて身動きできなくなってしまう。“父”という有象無象な理想を追うのをやめて坐禅をするように自分に戻り向き合う。「私はだあれ、ここはどこ」は自分と向き合う原点だ。答えは出ない。でもそういう時間を作くることができれば、私の生き方も変わる。自分に向き合う時、私は強くなれる。

 父は父、子供は子供としてそれぞれがひとりの人間である。父の日の私の反省:『親は厄介者である。私が言いたいのは世の中の事情に通じている親、すなわち職業や就職口のことをよく知っていて、前もって子供のために何が良いかがわかっており、彼が生き残ろうと死のうとそこに到達するために戦う親である。…彼らは自分の子供に自身を投影し、自分の立派な野心、自分の流産した夢を子供に託したのだ。…』 フランソワ・カヴァンナ


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2000万円問題とMy way

2019年06月14日 | Weblog

  フランク・シナトラの『My Way』 ♪And now end is near And so I face the final curtain……♪(私訳:そうなんだ、そろそろ終わりが近づいてきた。再終幕を前にして……) 日本にも多くの歌謡曲はあるが、このマイウェイのように人生の終わりを唄うものはない。

 6月3日に金融庁が市場ワーキング・グループ報告書の中で「2000万円を自助努力で準備…」を提案した。今国会はこの2000万円問題でもめている。

 国会議員がまるで自分たちが2000万円を準備できないかのように言うのを聞いて可笑しかった。以前にも地方議会議員年金制度が一旦廃止されたが、議員たちがそれでは自分たちが老後、暮らしていけないとお手盛りで復活させた。国会議員は在職10年掛け金年126万6千円で年最低412万円(在職が1年増えるたびに年額で8万2千4百円加算)在職が56年だった中曽根康弘さんは現在年額742万円支給されている。議員が年金をいくらもらっていても構わない。ただ議員が試算して自分たちの老後の生活資金を割り出したのなら、やはり国民も議員と同じくらい必要なのである。それがわからない議員たちに議員としての資格、品性があると言えるのか。以前生まれ育った市に市会議員を務めた知人がいた。選挙前に挨拶に来た。「今度当選できれば、年金がもらえる。ぜひ私に投票してください」 正直な人だ。世界でも地方議員の報酬、退職金、年金のある国は、日本だけだと聞いている。

 タレントの北野武さんが40年結婚していた妻と離婚が成立した。200億円にのぼる資産を元妻に贈るという。北野さんは以前バイク事故で九死に一生を得た。死に直面した経験を持つ。年齢は私と同年代である。My wayの歌詞が浮かぶ。そして三島由紀夫が自決したことも浮かんだ。三島は自分が50歳になるのを拒んだと何かに書いたのを読んだ。自分が老いていくことを受け入れがたかったのだろうか。もし北野さんがMy wayの歌詞のように、自分の終わりを考えて、老いという最終幕を意識しての離婚なら凄い人だと思う。2000万円で国会は大騒ぎしている時、200億円という莫大な資産を元妻に贈る。そこに北野武の覚悟を感じた。これって純愛なの。

 私は2000万円どころか老後の準備などゼロに等しい。年金だって早期支給なので雀の涙。でも一番欲しいのは、一分でも多い少しでも健康で頭も正常なままでの残された妻との時間である。北野武さんは、一緒に暮らしている女性がいるという。その女性が本当に好きなのだと思う。そしてその女性が求めているのは、彼の資産ではなく、彼その者なのだとしたら、あっぱれだ。あくまでも報道からの受け売りでしかないが、同じ年代、バツイチ、死に直面した経験からか、北野さんの気持ちが伝わる。

 昨日今日と近くの名刹の住職の葬式がある。大変な参列者である。参列する僧侶の数が半端ではない。道路を一方通行にして混乱を防いでいる。参列者を駅から運ぶタクシーは、引きも切らない。直葬を望んでいる私の想像を超えている。凡人、庶民、英語で言うならOne of themの私。誰にでも必ず訪れる終わり。コキイチの私、72歳だという北野さん、知名度も資産も全く違う、月とスッポン。でも私は今回北野さんを見直した。嫉妬も薄らいだ。最終幕を意識した裸の人間を見ている気がする。

 映画監督北野武が作った映画は過激で暴力的なものが多い。映画の中にやくざが指を切るシーンがあった。恐ろしかった。今年の5月5日、友人を食事に招いた。ローストビーフを切る時、左手の人差し指の先を切った。血が止まらなかった。後日、冗談で妻に言った。私は悪いことをしてきたので、あの日その償いで指を切ったと。妻が笑った。

 ふと思った。人生のFinal curtain(最終幕)を前にきちんと落とし前をつける。反省、謝罪、感謝を直接、できなければ心で伝える。北野武さんの今回のような見事な落とし前は、私には無理。2000万円の準備も不可能。私にたったひとつできることがある。何より妻を大事にすることである。


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痣・あざ・アザに学ぶ

2019年06月12日 | Weblog

 妻が「背中が黒くなっていない!」と私に背中を向け、その部分を見せた。長さ10センチ幅2センチくらいの紫色ががった黒い痣だった。

 最近親が自分の子を虐待死させる事件が続いている。私は30年ほど前にある事件の通訳を頼まれて事件の裁判に関わった。容疑者は外国人女性だった。その女性は、自分の幼い男の子を壁にぶつけて殺してしまった。私は約2カ月間調書作成から裁判で英語から日本語、日本語から英語への通訳をした。ストックホルム症候群かと自分を疑ったほど、犯人側に肩入れしていた。通訳に向いていないと悟った。一番つらかったのは殺された男の子の証拠写真を見ながらの通訳だった。男の子の顏、体に痣が残っていた。今でもその何枚かの写真を思い出す。特に事件の報道に「痣」という字が出てくると通訳として関わった事件を思い出す。未だにあの事件の悪夢に悩まされる。

 妻はいつ、どこで、どう痣になったのかわからないと言う。心当たりがないとも私を見ながら言う。まるで私を犯人扱いするような目つき。冤罪だ。私は身に覚えがない。待てよ、もしかしたら私がベッドの中で格闘する夢でも見て、妻に痣を作ってしまったのかも。私は実際にはまるで腕力がなく、格闘するなんてありえない。しかし、夢の中ではやたらと強い。逆願望が夢で実現する。もやもやした気分が続いた。

 原因がわからないまま、二日が過ぎた。通勤途中の妻からメールが届いた。「もしかしたら私の痣、土曜日にあなたの病院の診察に付き添って行った時、できたのかもしれない」 それだけだと私が診察を受けていた時、待合室で待っていた妻に何かあったと思ってしまう。メールの後半、「眼科の診察が終わって、瞳孔が開いて歩きにくいあなたを誘導して電車に乗ろうとしたら、ドアが閉まって体に当たった時だと思います」 私の冤罪は晴れた。私ではなかった。良かった。私の妄想癖は、こうして私を苦しめる。それにしても電車に飛び乗ってしまった私が妻に痣を負わせた責任がある。東京の電車は、頻繁に運行されている。駅構内の「駆け込み乗車はおやめください。次の電車……」の通りである。私のせっかちは、気持ちで理解していても、体が勝手に動く制御しにくいものらしい。気をつけなければ、妻をも危険に巻き込んでしまう。妻は貴重な休日を犠牲にして、私の二股かけた病院受診に同行してくれた。特に今回は糖尿病の合併症で眼底の検査で瞳孔を薬で拡げたので、数時間歩くのにも不自由なくらい眩しい。そうでなくても足元がおぼつかなく階段は手すりを使う私である。心配して眼科受診には妻が同行してくれる。そこまで心配してくれる妻を今回のように自分だけ先に電車に駆け込み、妻をドアに当てさせてしまった。原因はわかったが、落ち込んだ。

 混雑は思わぬことを発生する。先日混雑する駅のホームでのこと。私は電車を降りた。エスカレーターの列に並んだ。私が降りた電車に乗ろうとする大勢の人が列を横切ろうとする。一人の男性が「引かかってるんだよ」と大声をあげる。私の肩掛けバッグがその男性の方に引っ張られる。私?「引かかってるんだよ」 再び男性。私を睨みつける。見えた。はっきり見えた。私のバッグの飾り輪っかのループ状の紐が男性の袖のボタンを捕えていた。これだけ人が密着しているのか、と感心する私。男性が外そうと力任せに引っ張る。慌てる〇〇〇はもらいが少ない。こういう時はまず落ち着く。私は紐を辿り、輪っかをボタンから外した。男は「チッ」と舌打ちしてドアが閉まりそうになっていた電車に乗り込んでいった。混雑する場所には、思わぬ危険が潜む。用心、用心。

 毎日家にこもっていると気がふさぐ。雨が降る日は、なおさらである。だからと言って出かける先もない。億劫がのしかかる。時差のある海外旅行は、もうできない。買いたい物、欲しい物も特にない。テレビはつまらない。映画は目がもたない。ラジオも好きなアナウンサーがいなくなってラジオに向いていない声の悪い下手なアナウンサーや芸人ばかりになってしまった。好きな読書も集中力が続かない。あれほど燃えるようないい車が欲しい、運転したいという強い欲望も萎えた。それどころか、免許証の返納を考えている。

 昔、アメリカ映画やドラマで老人がパズルを解いて時間を過ごすのを見た。何が面白いのか、何であんなことで時間を無駄にしているのかと疑問だった。今はわかる。パズルも料理も友人との会話も、歳をとったからこそ楽しめる娯楽だと。娯楽で時間を忘れ、妻に痣を作るような危険に巻き込まぬよう留意して一日一日をやり過ごす。


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掛け持ち病院通いに妻同行

2019年06月10日 | Weblog

 先週土曜日妻付き添いで東京の病院2つを掛け持ち受診した。コキイチともなるとお出かけは、病院が主なる目的地である。まずお茶ノ水の眼科病院で午後の受付をして受付番号票を機械から受領。再び電車に乗って10時半に予約してある糖尿病の定期健診をする病院に向かった。普段は病院で患者を診る側の妻は、患者である私を興味深げに観察していた。妻に患者がどういう風に病院で診察室に入ってきて、診察室が終わって帰途につくまでどういう流れになっているか見る良い機会だと思った。私は調子に乗ってこの時ばかりと、妻に普段の病院、職員、医師へのうっ憤を晴らそうとした。

 糖尿病の定期健診では、前回のMRIによるすい臓検査の結果の詳しい説明を受けた。私の父親がすい臓がんで亡くなったので、遺伝的な観点で1年に一回検査を受けている。今のところ異常は見られないとの診断だった。父の時は、私が受けたMRI検査もできなかった。あの時から比べたら、医学は進歩した。最初父が頼りにしていた小児科専門の開業医に通っていた。最初、風邪と言われていた。なかなか病状が回復せず、市内の国療と呼ばれていた大きな病院で診てもらった。そこですい臓がんと診断され佐久病院へ行くように言われた。佐久病院の担当医師は、私たち家族を呼び、すでに癌が手術できない段階にまでなっていると告げた。それから2週間で父は亡くなった。72歳だった。

 アメリカの女優アンジェリーナ・ジョリーは、自分の母親身内に乳がんが多かったので予防のためにと乳房を切除した。私はそれを知った時、癌は遺伝的な要因がそれほどなのかと恐ろしくなった。以前團伊玖磨が歯医者に行って、どうせ何時かは総入れ歯になるなら、自分がまだ耐えられるうちに良い入れ歯を作ってもらおうと、すべて抜歯して顎の骨まで削って総入れ歯にした話を聞いて感心した。備えあれば患いなし。先手必勝。でも待てよ。私が父と同じくすい臓がんと診断されたからと言って何をしようというのか。

  私は50歳前半で狭心症が発覚して心臓バイパス手術を受けた。手術前、大学ノート一冊に“辞世帖”を書き残した。大手術だった。手術中、麻酔が効いて私は地中海地方で見たオリーブ畑の地面一面に咲き乱れた黄色い花とオリーブの木々の中にいた。結果は失敗だった。脚から移植した血管はすべて機能せず、内胸動脈を切って繋げた血管だけが機能していた。ところがその血管にクランクが見つかった。このままでは血流が悪くなる。再び手術が必要だと言われた。失望に沈んだ。死を覚悟した。だが妻が探してくれた神奈川県の心臓専門病院の医師によってカテーテルで修復に成功した。修復手術の後、神の手を持つと言われていた医師が「10年前だったらこのような手術はできませんでした。お大事に」と言ってくれた。その時以来、私は「これからの人生はオマケ」なのだ、と自覚している。だから、すい臓がんでもそれ以外の癌でも発見されれば、オマケの人生が尽きると受け入れ、残された時間を愉快に過ごしたいと願う。

  糖尿病の定期健診で血液検査の結果も丁寧に説明してもらえた。私は多くの薬を服用している。その薬効のおかげで糖尿病が数値上は良くコントロールされている。感謝なことである。薬の進歩も目覚ましい。先日、私の不注意から包丁で左人差し指の先を切った。5月の10連休で病院へ行くことができなかった。出血の際、血が止まりにくくなる薬の効果を体験した。薬の効果を過小評価してはいけない。ベッドが血で染まった光景が目に焼き付いた。

  糖尿病の定期健診を終え、眼科病院へ移動。電車の中で妻に診断結果を報告した。眼科病院では午後の診察で私が最初の順番だった。午後1時の開診で始まったのが2時10分。診察は数分で終わった。待合室にまだ200人くらいの患者がいた。医者も患者も疲れている、と強く感じた。帰路、妻と医療に関する医者としての立場、患者としての立場の良い話し合いが持てた。

  医療機器、薬、医学の進歩は日進月歩。素晴らしいことである。感謝する。しかし、残念なことに日本の病院の待ち時間は長すぎる。病院にも国家にも患者にも言い分はある。他国でできて、日本で、できないはずはない。方法はあるはずである。


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実子と、そうでない子

2019年06月06日 | Weblog

 5月25日土曜日朝、東京駅近くのホテルでアメリカから来た友人親子に妻と一緒に会った。開業医のジョンと妻シェリー、彼らの長男の3人である。3人は日本への初めての旅行を終え、その日の午後の便で帰国する。私は長女を離婚後、アメリカの知人家族に預けた。シェリーはその家族の長女だった。長女のシェリー、次女のジャナ、長男ジョン(今回来日したジョンと同名)三女のケアレン、四女のマーシャ、そして両親の7人家族に私の長女が加わった。

 ホテルのロビーで会う予定だったが、ロビーは陽当たりが良すぎて暑かった。近くの喫茶店に場所を移動した。私の長女と孫も一緒だった。私の長女と相談してお土産に夫婦箸などを買って準備しておいた。私たちからの贈り物を喜んでくれた。昔話に花が咲いた。

 私はずっと心にあったあることをシェリーに頼むことにした。それはアメリカにいた私の長女を訪ねた時のことだ。私の友人がダッフルコートを私の娘に上げてと持ってきた。そのコートは娘には大きすぎた。そこで4女のマーシャに上げることにした。私は配慮に欠けていた。後で知ったことだが、3女のケアレンは、そのことを快く思わなかったという。それを知ったあと何回か直接謝る機会があったが、できなかった。気が付けば古稀を超え、今年の1月心臓に異変が起こり、カテーテル手術を受けた。すでに海外旅行は諦めている。シェリーの兄弟姉妹は、何かにつけて集まる仲が良い関係にある。私の娘も5女として毎年のようにアメリカへ行く。私は娘にケアレンに私の謝意を伝えることは頼めなった。今回シャリーに私の気持ちを打ち明けた。シャリーは快諾してくれた。夫のジョンも私の気持ちを理解してくれ、「長い間のもやもやでしたね。私たちがケアレンにあなたの気持ちを伝えます」と言ってくれた。

 私は自分でもひがっみぽい人間だとわかっている。4歳で実母を失くした。ずっと母親と一緒の同年代の子供を見ると落ち込んだ。それは継母が来ても治らなかった。学校でも先生にエコヒイキされる生徒にメラメラと妬みの炎を燃やした。とにかく誰とでも同じかそれ以上に自分が扱われることに執着した。私の周りの子供が、誰かから何か物をもらうと、なぜあの子がもらえて、自分がもらえないのかと嫉妬した。自分の子供を持ち、子供はできるだけ平等に育てようと心掛けたつもりだった。

 5月28日神奈川県川崎市の登戸で20人を殺傷するというおぞましい事件を起こした犯人、岩崎隆一に関する報道の中で気になる記事があった。犯人の両親が離婚した後、犯人は父親の兄の家族に引き取られ、一緒に暮らした。通っていた理容店の店主の証言の中に実子と犯人とは、明らかな差別があったというのである。実子は坊ちゃん狩りで犯人は丸坊主。学校も実子はカリタス小学校で犯人は公立。犯人が親に捨てられたと感じ、預けられた家族の中で、それが好意であっても、ひがみ、妬みと受け止めた。時間をかけて環境と自分の感性が、屈折し、ゆがんだ犯行を犯させる犯人像を形成したのであろう。

 犯人は私の長女とよく似た境遇である。私の長女も口には出さないが、すべてが順風満帆だったわけでもない。アメリカで英語もわからず、8人の大家族の中でもみくちゃになりながら、生活した。屈折した性格にもならず、何とかアメリカの家族の一員として成人した。それは奇跡に近いことだと今回の犯人の生い立ちを知って思う。娘を預かり育ててくれたアメリカの家族にどんなに感謝してもしきれない。もし私が学校の後輩の子供を預かって育てられるかと言えば、不可能だと断言できる。私にその度量はない。自分ができないことを他人にしてもらう。理不尽この上ない。それでも私のような人間が今日までのうのうと生きてきた。私のような親なら、子供がどんなに悪くなろうが当然の報いであろう。いくら自分は子供にとって反面教師であったなどと屁理屈でごまかそうと思ってもできない。

 決して褒められる人生ではなかったが、まだ心に残る“生きているうちにやっておかなければならい”ことをひとつ一つ片づけていきたい。私の周りの人たちを悲しませたり不快な思いをさせないよう気配り目配り手配りをする。

 娘は夏、アメリカへ行く。家族で次女ジャナの長女の結婚式に招待され出席する。それを知って、いくつもの深い谷に渡された綱を渡りきって、やっと虹の橋が架かっている所まで出てこれた気がする。


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ネット詐欺と音声合成

2019年06月04日 | Weblog

  6月1日土曜日の夕方、ネットでニュースを見ようとパソコンの電源を入れた。ヤフーの見出しから選んで読みたいニュースをクリックした。いつもパソコンから音声が出ることはほとんどない。私のパソコンから女性の声が流れた。動揺してよく聞き取れない。音声は、と途切れることなく、同じことを繰り返す。電車や駅の放送のように繰り返す。だんだん聞き取れた。「あなたのパソコンはウイルスに感染しました。こちらはマイクロソフト社のセキュリティです。すぐにフリーダイヤルで次の番号に電話してください。操作の仕方をお教えします。なお30秒以内であなたのパソコンは使えなくなります……データは全て消滅します」と繰り返す。私の心臓は、小さい。困った。パソコンに記憶させてきた私の資料や文章が全て消える。それは大変なことだ。30秒ってもう時間がない。電話で話すのは、大の苦手。妻を呼ぶ。妻はダイニングテーブルで図書館から借りてきた本を読んでいた。妻がやってきて、私の背中越しにパソコンを覗き込み、聞き耳をたてる。いつもだと「こういう時はとにかく電源を落とすの」と言うのだが、意外にも「パソコン110番、すぐに呼んだら。でも土曜日は来ないの?」「パソコン119だよ。電話してみる」 パソコンは途切れなく同じことを繰り返していた。パソコン119に電話。10分以内に来た。運よく、彼は私の家のすぐ近くに仕事で来ていた。「詐欺です。新手の詐欺」と言いながら、パソコンを操作してウイルスに犯されているかどうかなどを入念に調べてくれた。私のパソコンは、被害を受けていなかった。次に同じことが起ったら、しなければならないことを教えてもらった。新手か!数か月前、画面に今回の音声と同じような文言を文章で表示してきた。今回は更に進化させて音声を急に割り込ませて、私をビビらせた。

 パソコン119が帰った後、怒りがムラムラと沸き上がった。あの音声を録音した女性は、自分がこんな詐欺に関わっていることを恥じないのか。よくもまあ、しゃあしゃあと話せるものだ。それにしてもこの手の詐欺は相手が見えないので恐ろしい。ネット社会は、便利だが悪用されると私のような素人には歯が立たない。ブラックボックスでしかない。私は2台パソコンを使っている。1台はブログや本の執筆用。もう一台は、以前猛暑でパソコンがダウンして中の記憶がすべて消えたのと、ブログ掲載ができなくなったことを踏まえて、もしもに備えている。実際は1台の方を多用していて、そのパソコンでヤフーニュースを見たり、グーグルで検索したりもする。これからはデスクトップを書き物専用にして、ヤフーやメールは、ノート型のパソコンでやることにした。

 日曜日の朝、毎週楽しみに観ている『がっちりマンデー』がエーアイという会社を紹介した。この会社は、音声合成できるソフトを開発しているという。そのソフトは駅や電車、店内放送などにひろく使われているという。私はピーンと来た。これだ。昨日のあのネット詐欺の音声は、合成されたものに違いない。私が聞いても文言に違和感があった。合成された女性の声に怒っていた自分が情けなかった。それにしても詐欺を仕掛けている連中のずる賢さには恐れ入る。それを人間社会に役立てることに使えばいいものをと残念に思う。

 マイクロソフト社に問い合わせして見ようと思った。しかしネット関係の会社は、みな直接の電話では相談できない。ネットを通しての連絡しかできない。直接、顔を合わせなくてもせめて声でだけでも話を聞いてもらいたいとコキイチは考える。何か軽くあしらわれているようで不愉快になる。ネットでこの手の詐欺を検索してみた。どうも、いかがわしいページを開くとこの手の詐欺の音声が入るらしい。私はただヤフーのニュースをクリックしただけである。ますますネット社会が恐くなった。

 農林水産省の元事務次官が44歳の長男を包丁で刺して殺した。殺された長男は、パソコンも携帯電話も持っていなかった川崎の岩崎隆一と違って引きこもり傾向であっても、ネットでゲームやチャットにのめり込んでいたようだ。書き込まれていた内容に闇を感じた。ネットに飲み込まれてしまった人間。どんな争いもじっとお互いの目を覗き込んで和解にいたるゴリラの生き方に戻れるものなら戻したい。


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