団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

牡蠣フライと締め切り

2015年11月30日 | Weblog

  11月28日土曜日、妻は土曜勤務がなく休みだった。私が書いた小説の校正をしてくれることになっていた。去年より短い小説になったので、原稿の制限枚数をもう一度確認しようとネットで募集先のホームページを開いた。『原稿用紙40枚から80枚』の1行上の『募集期間  平成27年7月1日(水)~11月20日(金)※必着』が目に飛び込んだ。私は老眼鏡を度の強いほうに替えた。何度見ても30でなくて20である。全身から力が抜けた。ここまで座り続けて書いた時間が無駄になった。昨日までの努力は何だったのか。「もうだめだ」

 この9年間毎年、小説を書いて応募し続けた。今年も早くから準備をしていた。この9年間締め切りはずっと11月末日だった。いつしか私は締め切りは11月末と思い込んだ。抗議の電話、いやせめて何故11月末日が今年、20日に変更されたのか知りたかった。しかし土曜日で事務局は土日休みとなっていた。

 私は台所にいた妻の前に立った。「ゴメン。締め切り20日に変更されていた」 妻「それって今日校正しなくてもいいってこと」 「今回は出さなくてもいいってことでしょ。休めってことよ。今年の作品は来年出せば」 私はただ小声で「うん」「うん」と答えるしかできなかった。

 私は、書くことが好きで小説家のように言葉が湧き出て書かずにはいられない状況で、書いているわけではない。自分の文章力のなさを誰よりも知っている。村上春樹が「小説を書くことは一人でカキフライを食べるようだ」とたとえたという。小説執筆中の孤独な気持ちについて、妻は嫌いだが自分は好物の牡蠣フライを台所で一人で揚げ食べる心境だという。「今、僕は牡蠣フライを揚げている」 「もし小説をお書きになるような機会があれば、牡蠣フライのことを思い出してくれれば割に力が抜けて、すらすら書けると思います」とどこかの講演会で語ったそうだ。村上春樹だから言えることだ。凄い。

  牡蠣フライは作ることも食べることも好きだが書くことは私にとって苦行である。書かずに済むならそうしたい。自分の性格を知っている。放っておけば、どこまでもズボラで能天気でだらしない。自分を追い込まなければ、行動を起こせない。まともに生きてゆけない。自虐こそ生きる術だと思って書くことを強要する。飽きっぽい中途半端な性格は継続という修正液を使わなければ、ごまかせない。

  妻は通勤に履いている靴はヒモタイプである。毎朝靴を履くのに時間がかかる。休日でもヒモ靴を履く。以前から妻に簡単に履けるヒモなしのスニーカーかウォーキングシューズを買ってあげようと思っていた。良い機会だショッピングモールへ行って靴を買って刀削麺を食べて映画を観よう。妻も賛成してくれた。気を取り直して車で家を出た。

  ところが有料道路の料金所に入ろうとすると何と入ってきてはならない自転車が目の前に現れ寸前のところではねるところだった。咄嗟によけることができた。最近多い休日自転車愛好家らしい。自転車はタイヤの細いロードサイクル。年齢は50歳くらい。身支度は私にはとても着れないピタッと体にはりつく定番のサイクルジャージサイクルウエアの上下で完璧。しかし道に不案内で迷い込んだらしい。締め切りが20日だったことどころではなかった。震えがきた。もし私が気が付かずにハンドルをきって避けていなかったら、もし道路幅が私の車が避けるだけの幅がなかったら、間違いなく私は人をはねて殺していたか自分たちが道路壁に激突した。悪夢。いや夢ではない現実だ。

  悪いことは重なる。私は更に落ち込んだ。今年に入って嫌な事、悪いことが続いた。まだ続くのか。しかし妻はあくまでもプラス思考である。「あのオッサンどうかしてる。自殺行為よこんな所に入ってくるなんて。ましてや車の前を横断でしょう。まったく車を見ていないよ。手を上げて謝れば済むことじゃないよ。まったく。いい歳して。ああっ。でももう悪いことは終わった。気を取り戻して楽しみましょう」 私一人なら家に戻っただろう。

 靴も良いのを見つけた。刀削麺も旨かった。映画『黄金のエディ』も良かった。

  私たちはどうやら二人で牡蠣フライを食べてしまう夫婦らしい。だから私は小説が書けないのかな。そう思うと気持ちが落ち着いた。今夜は牡蠣フライを二人で揚げて夫婦で食べよう。


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ミックスナッツの缶

2015年11月26日 | Weblog

  何種類もの木の実が混ぜられた缶詰を買った。アーモンド、カシューナッツ、クルミ、ピスタチオ、マカデミアナッツ、ピカンが入っていた。もちろん食塩無添加。いったんボールに缶から移す。そこへジャイアントコーン、じゃり豆、レーズンを混ぜる。(じゃり豆:ひまわりの種、かぼちゃの種、アーモンドにサクサクッ衣をつけて、焼いてある。【原材料】種実(ひまわり、かぼちゃ、アーモンド)、寒梅粉、小麦粉、砂糖、粉末チーズ、食塩、ふくらし粉、酸化防止剤(ビタミンE)じゃり豆(アーモンド入り)155グラム 525円)

 9月17日から食事制限をしている。血液検査の結果が悪かったからだ。主治医から体重を減らすように言われた。食事制限しているのに体重が減らない。70キロと71キロの間を行ったり来たり。1週間経っても2週間たっても変化が見られない。折れ線グラフをつけている。赤いフェルトペンで線を引く。時々折れ線が急角度で上昇する。私は精一杯食べたいものも食べないで努力していると腹をたてる。この怒りを誰に何にぶつければよいのか。食べ物の恨みは恐ろしい。ましてや私は人一倍食い意地が張っている。家計は常にエンゲル係数が高く、食費がダントツ支出で不動のトップに君臨している。その私がこれだけ食べたいものも我慢して食べないで努力して1箇月。体重が変わらない。いやむしろどっしりしてきている。

 それでも我慢した甲斐が11月に入って表れてきた。人生によくある時間差現象である。待てば海路の日和あり。70キロを割りぐんぐん下がり遂に69.1キロと69キロを割る寸前まできた。ところが69.1キロを底にまた69キロ台を行ったり来たりしている。

 妻は健康である。食事制限など生まれてこのかたしたことなどない。血液検査しても肝臓に関する数値さえ、あれだけのアルコール摂取にも関わらず正常なのである。私は糖尿病、痛風のため食べられるものが制限される。私は好き嫌いがない。美味しい物へのこだわりが強い。妻は好き嫌いが激しい。酢の物がダメ、魚のヒカリ物が嫌い、あれダメ、これダメが多い。

 ミックスナッツは食事制限でミネラルなどの補給するために毎日少量食べるよう糖尿病の教育入院で指導を受けた。なに事も過ぎたるは猶及ばざるが如し。薬も過ぎれば毒となる。度合いを量るのは難しい。私が自分の健康維持のために購入したミックスナッツの缶だが、開けるたびに内容に変化が見られる。ジャイアントコーンを補給したにも関わらず、急激に減っている。私は食べていない。第一、選ぶことをしない。妻の仕業である。妻は歯が丈夫なせいか固い物が好きだ。ジャイアントコーンは歯ごたえがある。妻はジャイアントコーンだけを拾って食べる。

 私がミックスナッツを食べる時は、缶にフタをしてシャカシャカ振ることにした。ジャイアントコーンだけ数を減らしていても、あとは万遍なく再び混ざり合う。振りながら思う。夫婦でさえこれだけ好みが違う。地球上の違う人種があらゆる点で反目を繰り返すのは当然であろう。ミックスナッツの缶のようにそれぞれがそれぞれのまま、ときどきシャカシャカして混ぜ合わせることができたらいいのにと考えながらもう一振りする。ひと掬いして口に放り込む。噛みしめていろいろな味を楽しむ。


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パリ症候群と文化、文学、映画、愛すること、テラスで一杯飲んで楽しむこと

2015年11月24日 | Weblog

  11月13日金曜日にパリで同時多発テロがあった。いったいこれからの世界はどうなっていくのか不安になる。

 そんなパリからこんなニュースが入ってきた。妻がバタクラン劇場で犠牲になった夫アントワーヌ・レリスさんのインタビューである。

記者「本当にあなたは憎しみも怒りも感じませんか」

  「自らにそれを禁じています。もし息子を恨みを持ったまま育てたら息子はああいう人たちと全く同じ人間になってしまう。人生の素晴らしいもの、つまり文化、文学、映画、愛し合うこと、テラスで一杯飲んで楽しむことなど知らない人間になってしまう」

 現実は悲しく怒って当然の結果である。それなのにこれだけのことをきちんと言えるのは凄いと思う。私はアントワーヌさんの言葉を聞いていてフランス人だからこういうこと言えるのだなと思った。人生の素晴らしいものに、文化・文学・映画・愛し合うこと・テラスで一杯飲んで楽しむことを上げている。それは確かに世界の多くの人が憧れる人生であろう。

 花の都パリに憧れる人は多い。パリ症候群という言葉があるくらいだ。パリに行けば自分の夢が叶えられるとパリに来てみたけれど、自分が思っていたパリではなかった。雑誌やテレビで紹介されるパリを流行の発信地、芸術の都と自分の勝手なイメージを膨らませ期待を持っていざ現地に来てみれば、イメージとのギャップにショックを受け立ち直れなくなり、うつ病の症状になるらしい。パリの日本大使館で領事を務めた知人がいた。彼が領事だった時もパリ症候群の日本人に対応したと実際に聞いたことがある。

 私はパリ症候群には幸いならなかった。私はフランスの文化、映画、フランス料理にあこがれもあるし評価もしている。しかしフランス人は苦手である。頑固というかわがままというか、排他的なのである。自分たちが一番という思いが強い。日本人にもどこの国の人にもその思いがある。日本人はその思いにオブラートをかけて全く逆な“オモテナシ”というへりくだった行動をとる。フランス人はそれができないようだ。いつどこでも同じ態度なのだ。だから誤解されることが多い。

 最近のフランス映画『エール』にもはっきりそれが出てくる。フランス映画らしい良い映画だった。アントワーヌさんがインタビューで「文化・文学・映画・愛し合うこと・テレスで一杯飲んで楽しむこと」と映画を上げていることを理解できる気がする。アメリカのオバマ大統領が黒人であることをストレートに差別的発言をためらいもなく言い放つ。それは今年1月にパリの漫画週刊誌『シャルリー・エブド』の本社をテロリストが襲撃した事件の発端になった風刺につながる。事件ではイスラムのムハンマドを侮辱したという理由だった。映画『エール』にもそのフランス人独特の風刺が数多く登場する。フランス文化の真骨頂である自由は、ある特定の人々にとっては看過できない侮辱となる。

 どんな理由があってもテロは許されない。週末の金曜日の夜、ロックのコンサートを、カンボジア料理を、サッカーを楽しんでいた一般市民が犠牲になった。アントワーヌさん父子のように愛する人を失った人々もたくさんいるだろう。報復爆撃を受けるシリアやイラクの紛争地にも、報道はあまりないが、一般市民の犠牲者がでている。報復の連鎖は、問題の解決につながらない。憎しみを増すだけだ。原子力空母や最新鋭爆撃機や高性能武器弾薬やテロに勝てるのは、アントワーヌさんのような確固たる子育てへの親の覚悟かもしれない。


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松茸とポルチーニ

2015年11月20日 | Weblog

  私は松茸が大好きである。国産の松茸は11月中旬には店頭から姿を消したが、いまだにカナダ産は手に入る。先日トルコ産を見つけた。一箱980円で買えた。輸入松茸は最初韓国と北朝鮮産だけだった。それがいつしか中国産が主流となった。そしてカナダ産アメリカ産と次々に新しい産地が加えられた。日本人のあくなき食材へのこだわりが新しい輸入元を探す。商売とはいえその産地発掘力は大したものである。現地では見向きもされなかったキノコが高値で取引されれば、現地の人にとっては良い収入となる。特に現金収入が少ない山間部の人々には良いことだ。しかし乱獲で収穫量は短期間で激減するらしい。

 もともと人種、文化、宗教、気候、地理環境によって食物の嗜好が異なる。そこに食べ物が持つ独特の匂いが加わると受け入れられる範囲はさらに狭くなる。松茸に夢中になるのはどうやら日本人だけのようである。「匂い松茸、味シメジ」と言われているが、私には美味しいシメジを食べた記憶がない。子どもの頃からキノコ採りが大好きだった。DNAの中に私は“狩り”や“山菜採り”の原始的プログラムが他の人より色濃く残されているに違いない。

 そんな私がイタリアで生まれて初めてポルチーニを口にした。以来私はポルチーニのとりこになった。知人に紹介されたミラノの小さなレストランだった。食い意地がはっていない妻は何の反応もなかった。「ただのキノコじゃない」で終わった。食い意地が常にパンパンにはっている私は違った。スライスしたポルチーニにさっと火を当てる。皿の上でウエイターがオリーブオイルと塩をかけただけの料理である。「うㇺ~ん」以外の言葉がなかった。イタリア料理は時間操作が巧みである。スパゲティをアルデンテに茹でる、リゾットの米の芯を感じる程度に残すなど、芸術的な繊細さである。それぞれの食材の持ち味を引き出す時間を知っている調理人がいる。ミラノの小さなレストランの調理人はまさしくそういう調理人だった。松茸も好き。ポルチーニも好き。

 ここ数年、ポルチーニを日本でも買える。新宿高島屋のデパ地下にある紀伊国屋の野菜売り場に並ぶ。11月12日にポルチーニ2本入りのパックを見つけた。1800円だった。私は3パック購入した。松茸の値段と変わらない。私は輸入された商品を買う時、自分に言い聞かせる。「何十万円も払って飛行機に十数時間乗って現地に行って食べるのと、今○○円払ってここで買うのとどっちが良いか」 私は時差ボケでフラフラになっている自分の姿を想像する。結論は明白。「○○円払ってもここで買う」 こうして私は高額な輸入品を買うという自分の心の中で暴れる罪悪感を黙らせる。(写真:向かって左側の大きなキノコがポルチーニ。箱に入っている小さなキノコがトルコ産松茸)

 家でパックを開いて検査した。虫食いも腐れもなくキレイなポルチーニだった。同じ町に住む友人のイタリア人にもおすそ分けした。

 14日、高校で同級生だった友人夫妻が泊まりで訪ねてくれた。夕食にミラノの小さなレストランで食べたメニューを真似てポルチーニのグリルとリゾットでもてなした。メニューを真似ただけでとてもあの味は出せなかった。優しい友人夫妻は喜んでくれた。

 現地時間13日金曜日午後10時過ぎ、パリでは同時多発テロが起き多くの犠牲者がでた。パーティや宴会では政治と宗教の話をするなという。イスラム教の国で多くの家庭に食事に招かれた。それぞれ自慢の家庭料理でもてなしてくれた。政治と宗教を除けば人は変わらない。松茸とポルチーニみたいなものである。姿、形、匂いは違うがキノコである。美味しい物を食べる時、人はみな笑顔になる。そんな時間を政治宗教が違っても、人々がもっともっと世界中で持てますように。


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宗教戦争

2015年11月18日 | Weblog

  現地時間13日の夜に起こったパリのテロで多くの一般市民が犠牲になった。これはもう宗教戦争と言ってもよい。キリスト教とイスラム教の衝突である。どの宗教も我こそは真実だと主張する。神のための戦いジハードと信じ込む。私のような不信心ものは、“信じる”対象を持てず、すべてを“思う”“考える”としてしまう。

 十代後半でキリスト教、離婚後は仏教と関わり、再婚してヒンズー教のネパール、イスラム教のセネガル、セルビア正教の旧ユーゴスラビア、イスラム教のチュニジア、ロシア正教のロシア・サハリンで暮らした。どこにでも宗教はある。どの宗教をはたから観察してもこれぞ本物の宗教だと感じたことはない。この宗教なら信じてもよいと心動かされたこともない。ただイスラム教徒の生活にイスラム教が占める度合いの大きさには、感心させられた。私のような何でも疑ってかかる人間には一生経験できないことである。

 かねてから世界はグローバル化に翻弄される時代になったと感じている。友人に勧められ竹村公太郎著『日本史の謎は「地形」で解ける』PHP文庫780円(税別)を読んでますます世界は地形、地表を飛び越えて雲のように空気のように地球を被う時代になったと思うのである。交通機関、通信手段の発達は世界全体を縮めた。どこへでも行くこともできるし瞬時に交信することもできる。このことが宗教の覇権争いに拍車をかける要因にもなっている。争いをなくすには、昔に世界を戻して鎖国するしかない。それができないのだからこの問題は人類に突き付けられた難題である。下手をしたら跋扈する“我こそは真実”が一つになるまで戦いが続く可能性もある。

  イスラム教だキリスト教だという大きな括りの中にも“我こそは正統である”の争いがある。どんな宗教にも原理主義が生まれる。カトリックからプロテスタントが派生した。プロテスタントは言うなれば原理主義である。カトリックを批判して元に戻ろうという運動から始まっている。イスラム教にもシーア派だスンニ派だとあり、アルカイダやISISのような新興勢力も生まれた。“我こそは真実”“我こそは正統”と言い出せば、英語を使っての子供の喧嘩と同じで「Why?」と「Because.」の応酬となり終いには手を出しての争いとなる。

  その点で多くの日本人は“一神教”と違い“八百万の神”に傾倒する精神構造を持ってきた。しかしこの精神構造は世界に通用しそうもない。“まあまあ”“なあなあ”“話せばわかる”と日本では先延ばししながら、いつの間にかうやむやにしてしまう。日本式理想主義は“我こそは真実”の世界では馬鹿にされるだけだ。

  そんな日本にも心配なことがある。日本は政教分離のはずだったが、ある政教一致政党がずいぶんと力をつけてきた。今や地方議会議員数では最大数を確保した。宗教の“我こそは真実”の“一神教”でなくて日本は“我こそは最大勢力である”という“一宗教党”になりかねない。

  昔は地形が時代を形づけた。現代は地形は影響力を失い、グローバル化によって“我こそは真実”という宗教覇権争いで時代を引っ掻き回す。今回のパリでのテロは他山の石ではない。日本にだって宗教覇権争いは起こり得る。歴史上において、その事実もある。宗教と政治の話は、家の外でするなという。そういった秘密性が一旦テロや犯罪とつながると取り締まることが非常に困難となる。宗教はあくまで宗教にとどまり、政治にも経済にも戦争にも関わらないでほしい。だからこそ宗教法人は納税を免除されているのだと私は思う。


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バイキンマン

2015年11月16日 | Weblog

 「これがあなたの口の中のばい菌です」そう言って歯科衛生士の女性は私の眼の前のモニターを指差した。全体に緑色がかった画面にびっしりと模様のように斑点状のモノがある。ふざけたようにそのモノがそれぞれ蠢きあう。私はため息をつく。それを知ってか知らずか衛生士の女性は続ける。「これは歯の周りの汚れの中にいる細菌なんですよ。自分では歯を良く磨いていると思っても、お口の中はばい菌でいっぱいなんですよ。もっと効果的に歯磨きをしてこれ以上細菌を増やさないようにして歯茎と歯を守りましょうね

 アメリカ映画『オツムてんてんクリニック』のビル・マーレイ(ゴーストバスターズ主演で有名)演じる精神疾患の患者ボブがこの画面を観て衛生士の話を聞いたら卒倒しただろう。ボブはあらゆるものへの恐怖、とりわけ衛生観念は恐怖に支配されていた。他人と接することはもちろん他人が触ったドアの取っ手、エレベーターの行き先階のボタンも押せない。近ごろ日本でもボブのような潔癖症は大流行りである。公衆トイレの便座をいちいちアルコール消毒する人、スーパーなどの入り口に置かれた消毒剤で手をこまめに消毒する人も数多い。

 私が通う歯科医院は徹底した歯磨き指導をしている。その一環としておそらくはこの“患者様ご自身の口の中にうごめく患者様ご自身の細菌たちを患者様ご自身に見ていただくキャンペーン”を歯科医院として取り入れることにしたのだろう。テレビの宣伝によく使われる方法だ。まず何らかの“私もそう”“私もそうかも”という“心配”や“恐れ”を起こさせる。その“心配”や“恐れ”をなくすのに我が社の製品○○がお役に立ちますと訴える。

 しかしである。これは行き過ぎではないか、と私は疑問に思う。なぜなら人間は細菌と共生しているからと思うからである。口だけではない。手だって、足だって、腸内にだって、肛門やその周りにだって、尿道にだって、耳にだって細菌やバクテリアはうようよしているに違いない。口から入る食べ物にだって最近は付いているに違いない。それぞれの診療科でいちいちその細菌やバクテリアの映像を生実況で見せられたら私は堪らない。

 現在私は68歳である。テレビに登場する百歳以上の人たちを見ていてあの人たちが口の中の細菌など気にしているとは思わない。ましてや江戸時代の日本人は、細菌など見たこともなければ、存在さえ知らなかったはずである。私がネパールやアフリカに暮らした時、多くの子どもたち、大人も不衛生な水を平気で口にしていた。現地の医師は、多くのの人々は教育を受けられないので細菌の存在さえ知らないと嘆いていた。

 モニターの画面にうごめく元気な私のバイキンに親しみを感じた。彼らは(疑問:彼女もいるのかな)私の体の中に暮らす生き物である。私の体は宇宙のようなモノなのかもしれない。何億何兆という小さな小さな生き物が私の体の中にいる。私の生命維持のために手助けしてくれている善玉も病気を引き起こす原因になる悪玉もいる。健康は両者の均衡状況で決まるのかもしれない。

 医療に先進技術やノウハウが次々に取り入れられるのは結構な事である。しかし患者として知らなくてもいいこともある。私はこれからもバイキンマンとして生きていく。妻はドキンちゃん!


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下着泥棒

2015年11月12日 | Weblog

  私が生まれ育った地方都市に一軒の洋風の家があった。その家には金持ちの家族が住んでいた。お祖父さん、両親、私より1歳年下の男の子、3歳年下の女の子の5人家族だった。家族全員、着ている衣服は私の家族のモノとまったく違っていた。今でいえばハイカラとでも言えばいいのだろう。あの頃そんな言葉は知らなかった。衣服だけではなかった。その家族が持っているものすべてが我が家にはないものだった。自転車にしても、はたして日本製だったのか。『名犬ラッシー』と同じコリー犬、カメラ、自動車、カバン、靴どれもこれもが私の身の周りのモノと違っていた。彼らが食べている物を見たことはないが、私の家の食卓とは当然違っていただろう。別世界の住人だった。

 私は男1人女3人の姉妹妹の4人の上から2番目だった。ある日姉が干しておいた下着がないと騒いだ。親は風にでも飛ばされたのだろうと気にも留めなかった。後日金持ちの男の子の部屋のタンスから女性の下着が数えられないほど出て来た。警察が近所の住民の訴えがあったので彼の部屋を調べて発見された。しかしである。その男の子は逮捕もされなかった。新聞に記事が載ることもなかった。その後もまったく普通に生活していた。

 先日新聞の週刊誌の広告やネットのニュースの中に『下着泥棒』という文字が出ていた。私は子どもの頃の近所の金持ち一家を思い出した。下着泥棒と名指しされたのは、現安倍政権の復興大臣高木毅さんである。調べてみるとその事件は福井県敦賀市出身の高木さんが30年ほど前に20代の好意を寄せていた銀行に勤める女性の家に忍び込みその女性の下着を盗んだというものだった。当時高木さんの父親は敦賀市長で原発推進派の先頭にたっていた。この事件は結局立件されることはなかった。

 似ている。私の子どもの頃のあの金持ちの男の子の事件とそっくりである。世の中には法律があってもそれが適用されない特権階級の人間がいる。金や権力で法を捻じ曲げてしまう。今回の騒動をみて、あらためて日本は平等な国ではないと思った。しかし高木さんがどんな人であれ、あの人を自分たちの代表に選んで投票する地元の有権者が存在する。私にどうにかできることではない。ましてやその事件は時効が成立しているであろう。納得いかないがこれも法治国家の市民として法律を尊重するしかない。

 人間にはいろいろな趣味嗜好がある。誰でも秘密の楽しみを持っている。それをとやかく言う資格は誰にもない。誰にもできない。何しろ秘密の領域なのだから。これはプライバシーにかかわる問題である。どんな趣味嗜好であれ、他人を巻き込まず、法律に違反せず自分だけで完結できるならいい。各自の秘密の小部屋の鍵は、本人しか持っていない。本人しか開けられない。私が知っている金持ちの少年も復興大臣の高木さんも、秘密の小部屋を開放して他人の目にさらしてしまった。秘密が秘密でなくなると犯罪となる場合もある。法治国家では法に背いて罪を犯したら、裁判の判定に従って罪を償わなければならない。その法を自分の都合で無効にさせてしまう輩がいるとすれば、法治国家市民の恥さらしでしかない。法治国家の市民は、大臣にはそれだけの資質と高潔さを求めて当然である。

 私は子どもの頃、満足に下着を取り換えられなかった。小学校の身体検査で前の日に下着を取り換えられなくて、体重検査をフルチンで局部を手で押さえ隠して体重計に乗った。汚れたパンツを見られるより全裸を見られる方がいいと判断した。カナダの全寮制の高校の洗濯室に普段格好いい生徒が穴だらけのパンツを干していて笑ったこともある。どこから足を入れるのかわからないほど穴だらけだった。下着といえばそんなことしか思い浮かばない。

 時々妻に頼まれて洗濯物を干す。妻の下着も干す。私は子供時代の体験からか下着に興味を示さない。秘密も感じない。ただ毎日ファブリーズの香り漂う清潔な下着に取り換えられる今を贅沢な生活だと感謝している。


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デート?待ち合わせ!

2015年11月10日 | Weblog

  人を待つのが好きだ。特に鉄道の駅で待つのがいい。迎えられるのも好きだが、やはり待つほうを好む。

 一年に何度もない鉄道駅での“待ち合わせ”をした。「11月4日 4時40分 横浜駅 西口 高島屋前」 書き込み専用カレンダーにそう書かれていた。書いたのは私である。午前中最初に床屋へ行った。12時15分の予約で歯医者にも行った。一つずつ用事を済ませる。だんだん約束の時間が近づいてくる。ふだんの生活にはない時間である。まるでデート前のワクワク気分だった。

 横浜駅は改札を出ると西口東口に向かって広い地下コンコースになっている。表示を見なければどっちへ行けばいいのか方向を見失う。まだ時間がある。デパートの地下食料品売り場で一番好きな“そごう”へ行って時間調整することにした。その時3時ちょっと過ぎだった。まだ1時間40分もある。エレベーターで7階に上がり紀伊国屋書店で友人に先日あった時勧められた本を探すことにした。メモを取っておいたが、そのメモ用紙を持っていなかった。いつものように本の題名はしっかり忘れていた。店内のあちこちに設置された本の検索機のひとつであれこれキーワードを入れてみた。それらしき本を見つけた。「印刷」のボタンを押したがいつものように機能しなかった。一生懸命に記憶しようとした。「よっし」の掛け声とともに表示された本棚番号に直行。数十秒で到着。本棚の番号札を探しているうちにアルファベットのGだけ残して後の2桁の数字が完全に消えていた。それらしき本を探すとした。それらしき本を見つけた。今どき421円だなんて安い。(帰宅してメモを調べると全く違う本だった) たっぷり時間を費やせたと携帯電話で時間をみるとまだ3時半。

  地下の食品売り場へ行く。いつも客がたくさんいる。私は“そごう”へ来ると必ず魚の“つきすそ”へ寄る。この魚屋は「日本一高い魚屋」と自負するだけあってそんじょそこらではお目にかかれない高級魚が見られる。見るだけでも得した気になれる。甘鯛26000円。時計はまだ3時50分。

  そごうを出て西口に向かう。西口には東急ハンズがある。買いたいものを思い出したので行ってみる。出て高島屋の前でまさかもう来ていないだろうけれど、それでも待ち合わせのNを探す。いなかった。仕方がないので高島屋へ入った。

  いよいよ約束の時間、4時40分になった。見当たらない。Nは私と似て約束の時間より早く来る性質の人だ。高島屋の入り口とNは言ったが私はまず自分の待ち合わせ場所が間違っている可能性を考えてみた。5分が過ぎ、10分が過ぎた。私は大嫌いな携帯電話での通話に挑戦した。本人がすぐに出た。「・・・5日・・・」 私は立ちくらみのように気が遠くなりそうになった。(今日は4日、明日が5日) 早とちり、不注意。まただ。なにもなかったようなふりをした。「では明日の4時40分に」と言って電話を切った。

  翌日、Nと4時30分にちゃんと出会えた。Nの誘ってくれた会にしっかり出席できた。素晴らしい会だった。10時過ぎにお開きになった。妻から「東海道線は夜10時を過ぎると家に帰る電車の接続が悪くなりあちこちで数十分待つようになるから」と聞かされている。横浜駅を出て家に着いたのは0時を過ぎていた。鍵で玄関の錠を開けると中からチェーンがかかっていて入れない。チャイムを鳴らすが妻が出て来てくれない。携帯電話をかける。眠っていたのである。やっと開けてもらえた。いろいろ大変だったが2日がかりで待ち合わせを完遂できた達成感は久々に味わえた。

 妻は言う。「あなたのネッチコサは相変わらずね」

 


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TPPと巨峰・シャインマスカット

2015年11月06日 | Weblog

  手紙を受け取った。手書きの手紙である。和紙の便せんに書かれていた。

  『紅葉の美しい季節になりました。

この度は私どものブドウをご注文、おつかいいただきまして本当にありがとうございました。

今年こそはとびきりの美味しいぶどうをがんばっているのですが、8月末からの長雨で糖度がのらなかったりぶどうの実が割れたりとたいへんな栽培環境になってしまいましたが、9月の末になりどうにかお客様にお届けできるようになりました。

ご注文やお問い合わせの際に不行き届きのことなどがあり、大変ご迷惑をおかけしておりますが、今後もどうぞよろしくお願いいたします。

季節の変わり目ですのでご自愛ください。

わが家でとれたぶどうです。少しばかりですが、ご賞味いただけたら幸いです。びんに入っていますのは、東御市の加工施設「味の里 とうみ」でつくった巨峰をまるごとつぶし少しグラニュー糖を入れたフルーツソースです。ヨーグルトにのせたり牛乳にいれたりしていただけたらと思います。

ありがとうございました。

ぶどう園一同より』

 拙著『ニッポン人?!』第6章の「巨峰」に長野県東御市の小林すみいさんのぶどう園を応援していると書いた。すでに10年以上毎年友人知人家族にぶどうを小林ぶどう園から送ってもらっている。最近はシャインマスカットという皮まで食べられる種なしのぶどうが送り先の人々から喜ばれている。巨峰も種なし品種が出荷されるようになった。黒に近い濃い紫色の巨峰と薄黄緑色のシャインマスカットは、その対比が美しい。

 手紙にも書いてあるが、日本のぶどう作りは手がかかる。それ故に後継者がいないために、ぶどう園をやめてしまう農家が後を絶たない。小林ぶどう園もすみいさんのご主人が亡くなられた後、一時はぶどう作りを断念する直前だった。家族が協力し合ってぶどう園を継続させている。私は微力ながら応援している。

 TPP交渉が大筋合意した。これから日本はTPP参加国との貿易において、今までのように関税や検査基準を以って自国の製品を保護し続けることができなくなる。そうでなくても人口減少や生活様式の変化で米や果物は消費が落ち込んでいる。

 日本の農業は、私がかつて暮らしたカナダ、アメリカ、ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアのどこともその栽培形態を異にする。日本の農家の人々は小規模な農地で生産物があたかも自分たちの子供であるかのように愛情を注いで育てる。品質向上に並々ならぬ研究心と熱意を持っている。

 日を追うごとにTPP合意の内容が小出しに発表されている。昨日は合意内容が5000ページの英文で発表されたと言う。5000ページの政府間合意があっても巨峰やシャインマスカットの栽培が変わるわけではない。TPPはぶどうの品質をよくできない。TPPはあくまで政府間の駆け引きである。農民は蚊帳の外に置かれている。「良い物を作れば売れる」時代から「安くて大量に出回れば売れる」時代になるのか。それを決めるのは消費者である。私は最後まで良い物を作る生産者を応援する。


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キレル老人

2015年11月04日 | Weblog

  近ごろキレル老人が多いとよく耳にする。老人の一人として聞き捨てならない。確かに新聞で報じられるような事件を起こす暴走老人はいる。それは発生率的にいって決して老人だけの問題ではない。十代の少年であれ、二十代の若者であれ、犯罪率は変わるはずがない。キレル老人の数だって昔も今も変わりないはずだ。マスコミの民意操縦かも。

 私は意見をよく述べる。意見を述べることがキレルと捉えられている。先日こんなことがあった。

  高島屋デパートは、ローズサークルという毎月一定額を一年間積み立てると積立金1ヶ月分がボーナスとして加算される。今どき銀行に預金して置いたって利子は微々たるものである。10月4日から前年度に積み立てた額にボーナスが加算されてカードを受け取ることができた。これは高島屋へ出向いて手続きをしなければならない。カードの受け取りと次年度への継続手続きをした。去年私が使っている地方銀行からの引き落としができないことを窓口で係員に私の意見を切々と訴えた。改善はなされていなかった。去年と同じ内容であった。わざわざその都度銀行に出向いて振り込むのも老人には厄介である。ゆうちょ銀行に口座を作ることにした。郵便局なら私の町にもある。

  高島屋はローズサークルの月々の銀行引き落としができる銀行の数を制限している。理由は定かではない。老人の私が推測するに、高島屋の主たる取引銀行系列だけにするよう銀行から圧力をかけられているのかもしれない。理由がどうであれ不便である。私が住む町には100メートルおきにコンビニ各社が出店している。しかし都市銀行は一行もない。高島屋が指定する銀行へ振り込むには近隣の都市銀行がある市まで出かけなくてはならない。老人は忘れるのが仕事となる。引き落とし日までに入金することなど、いとも簡単に忘れる。過去に幾度も失敗している。

  10月26日に高島屋の新宿店のローズサークルへ電話した。継続の手続きをした日、老人は初回分を現金で払い込んだことを覚えていた。さて今月の引き落としはあるのだろうか、と不安になった。係の女性は声から推測するに50代くらい。会話は事務的で言葉に心が抜けていた。老人の歯切れの悪い要領を得ない質問にイライラしている様子は老人が見つめる壁に実況放映されているように浮かんだ。

  老人の「今月分の引き落としはありますか」の質問にベテラン女性は自信に満ちた声で「はい、ございます。20日に引き落としされます。お客様は引き落とし銀行を替えられましたが、2箇月間は以前の銀行口座からの引き落としになります」と答えた。老人は今日が月の何日で何曜日とかの問いかけには、昨日の夕食に何を食べたかと問われるのと同じくらい苦手である。20日と彼女は言った。でも今日はもう20日を過ぎていることだけは老人にもわかる。ゆうちょ銀行にすでに振り込みをすませた。あれを元の都市銀行に振り込みし直さなければならない。話しているうちに彼女の方がまちがっていることがわかった。初回分は今月分に充当され銀行引き落としは11月20日からゆうちょ銀行から引き落としが始まる。私は意見を述べた。彼女は「申し訳ございません」の一辺倒。最初の高ピーな態度が一変。なぜこのような間違いをおこってしまったのかの説明や釈明がない。意見交換ができていない。らちがあかない。謝り続ける民間企業、決して謝りも責任も取らない官僚や役人の日本の図式がここにある。

  私が学んだ移民の国カナダでは、学校でも街中でも毎日が意見の果し合いだった。人々がおとなしく口をつぐむのは教会でだけだった。言いたいことを言い、相手の言いたいことも聞き納得するまで言い合う。それが日常である。慣れない日本人にとって、このような言い合いは苦痛である。それでも幼い頃から自分が納得するまで意見を言い合うことは、結局は世の中の改善につながる。日本という国は、封建時代の愚民化政策がいまだに効をそうしている。人々がまともな意見を述べてもそれが老人なら“キレル老人”のレッテルを貼ってその意見を封じ込める。おかしな老人も多いが、彼らを利用して十把一絡げに“キレル老人”にされてはたまらない。この国で意見を言えるようになるには、政治屋になるか官僚になるか芸人になるしか道はないようだ。


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