11月28日土曜日、妻は土曜勤務がなく休みだった。私が書いた小説の校正をしてくれることになっていた。去年より短い小説になったので、原稿の制限枚数をもう一度確認しようとネットで募集先のホームページを開いた。『原稿用紙40枚から80枚』の1行上の『募集期間 平成27年7月1日(水)~11月20日(金)※必着』が目に飛び込んだ。私は老眼鏡を度の強いほうに替えた。何度見ても30でなくて20である。全身から力が抜けた。ここまで座り続けて書いた時間が無駄になった。昨日までの努力は何だったのか。「もうだめだ」
この9年間毎年、小説を書いて応募し続けた。今年も早くから準備をしていた。この9年間締め切りはずっと11月末日だった。いつしか私は締め切りは11月末と思い込んだ。抗議の電話、いやせめて何故11月末日が今年、20日に変更されたのか知りたかった。しかし土曜日で事務局は土日休みとなっていた。
私は台所にいた妻の前に立った。「ゴメン。締め切り20日に変更されていた」 妻「それって今日校正しなくてもいいってこと」 「今回は出さなくてもいいってことでしょ。休めってことよ。今年の作品は来年出せば」 私はただ小声で「うん」「うん」と答えるしかできなかった。
私は、書くことが好きで小説家のように言葉が湧き出て書かずにはいられない状況で、書いているわけではない。自分の文章力のなさを誰よりも知っている。村上春樹が「小説を書くことは一人でカキフライを食べるようだ」とたとえたという。小説執筆中の孤独な気持ちについて、妻は嫌いだが自分は好物の牡蠣フライを台所で一人で揚げ食べる心境だという。「今、僕は牡蠣フライを揚げている」 「もし小説をお書きになるような機会があれば、牡蠣フライのことを思い出してくれれば割に力が抜けて、すらすら書けると思います」とどこかの講演会で語ったそうだ。村上春樹だから言えることだ。凄い。
牡蠣フライは作ることも食べることも好きだが書くことは私にとって苦行である。書かずに済むならそうしたい。自分の性格を知っている。放っておけば、どこまでもズボラで能天気でだらしない。自分を追い込まなければ、行動を起こせない。まともに生きてゆけない。自虐こそ生きる術だと思って書くことを強要する。飽きっぽい中途半端な性格は継続という修正液を使わなければ、ごまかせない。
妻は通勤に履いている靴はヒモタイプである。毎朝靴を履くのに時間がかかる。休日でもヒモ靴を履く。以前から妻に簡単に履けるヒモなしのスニーカーかウォーキングシューズを買ってあげようと思っていた。良い機会だショッピングモールへ行って靴を買って刀削麺を食べて映画を観よう。妻も賛成してくれた。気を取り直して車で家を出た。
ところが有料道路の料金所に入ろうとすると何と入ってきてはならない自転車が目の前に現れ寸前のところではねるところだった。咄嗟によけることができた。最近多い休日自転車愛好家らしい。自転車はタイヤの細いロードサイクル。年齢は50歳くらい。身支度は私にはとても着れないピタッと体にはりつく定番のサイクルジャージサイクルウエアの上下で完璧。しかし道に不案内で迷い込んだらしい。締め切りが20日だったことどころではなかった。震えがきた。もし私が気が付かずにハンドルをきって避けていなかったら、もし道路幅が私の車が避けるだけの幅がなかったら、間違いなく私は人をはねて殺していたか自分たちが道路壁に激突した。悪夢。いや夢ではない現実だ。
悪いことは重なる。私は更に落ち込んだ。今年に入って嫌な事、悪いことが続いた。まだ続くのか。しかし妻はあくまでもプラス思考である。「あのオッサンどうかしてる。自殺行為よこんな所に入ってくるなんて。ましてや車の前を横断でしょう。まったく車を見ていないよ。手を上げて謝れば済むことじゃないよ。まったく。いい歳して。ああっ。でももう悪いことは終わった。気を取り戻して楽しみましょう」 私一人なら家に戻っただろう。
靴も良いのを見つけた。刀削麺も旨かった。映画『黄金のエディ』も良かった。
私たちはどうやら二人で牡蠣フライを食べてしまう夫婦らしい。だから私は小説が書けないのかな。そう思うと気持ちが落ち着いた。今夜は牡蠣フライを二人で揚げて夫婦で食べよう。