7月が誕生月なので5年ぶりの自動車運転免許証の書き換えを迎えた。毎回、交通安全協会とやらへの入会を勧誘されるが、今回も断った。
日本の役所は、実に巧妙にあれこれと名目を作って金を集める。免許証はいまでこそ5年に一回の書き換えだが以前は2年に一回だった。こうして、あれやこれやと金を集めるのも、利権である。見事としか言いようがない。日本の役所のこの才能は世界一ではなかろうか。本来義務教育とは、全ての費用を国家が負担するからこそ義務教育と呼べる。しかし実際は、やれ給食費だ、学年費だ、PTA会費だ、修学旅行積み立て金だと毎月保護者に相当な負担を強いる。義務教育にいまほど金がかからないなら、子ども手当てなどいらないはずだ。運転免許証、旅券、車検、NHK受信料、高速道路通行料などなど実に多種多様な徴収が公然とまかり通っている。それを怒りも街頭でデモ行進するでもなく、言われるままに屠場に追いやられる家畜のようにおとなしく払い続ける国民の凄さよ。いろいろな国に住んだが、私は日本ほど生活に金がかかる国を知らない。
警察に関しては、この運転免許証を始め、パチンコのプリペイドカードなどの利権がある。運転免許証の書き換えのたびに、交通安全協会への入会および継続を堂々と警察署の窓口で勧誘される。公私混同もここに極まれる。これだけああだこうだと取ってつけたような自分たちに有利な理屈をこねられると滑稽である。国民年金、国民健康保険、厚生年金などの積立金をあたかも管理する役所が自分の金のように勝手に使い込み、郵便保険の積立金は湯水のごとく浪費され、日本中にグリーンピアなる郵便保険厚生施設が乱立された。結局それらは経営がうまくいかず閉鎖された。役所ほど金を集めることが上手で、金を儲けることが下手な機関はない。本来預かり金である国民の積立金を使い込めば、横領である。横領を合法化してしまう。法律で運用すると決定して、それをやりたい放題に運用して、その目的は、国民の資産を殖やそうとしたとうそぶく。さんざんに賭博に呆けて、結果の責任は負わないという魂胆である。
日本の国民はとにかくいまだにお上に盾つくことはできない。欲に身を任せるという人間の本性を素直に丸出しにして、公然と公務員を名乗る厚顔ぶりである。私だって巨額な金を10年20年先まで預かってくれと誰かに言われて手元に現金があれば、あれこれ理由をつけて着服したり流用するに違いない。そして2,3年すれば、ほぼ全額使い込んでしまうだろう。民間人がこれをすれば犯罪である。ところが日本ではお上がこれをすると犯罪にならない。ならないように自分たちで法律さえ変えてしまう。日本のお上は、小賢しい金の集金法を次から次へとよく思いつく。菅直人さんが“思いつきの首相”と言われるが、菅さんにしてみれば、官僚たちが日々勤しんでいることを参考にしただけなのかもしれない。
憲法の原理原則を素直に実践できる国になれないものだろうか。義務教育ならば、国がすべてを面倒みる。与えた免許は、死ぬまで書き換えなしで使える。旅券だって20歳過ぎたら同じものでいい。証明書代わりと言うなら、背番号をつけてもらっても結構である。こんなに身分証明書代わりをたくさん持たされても面倒だ。世の中、簡便で単純な仕組みにしたほうが住み易いと私は思うのだが。政治屋、役人の小賢しい思いつき徴収にもやがて終止符が打たれる。なぜなら、そのうち支払う側の金が底をつくか、できる人たちは海外に逃げ出す。いつの世でも税の徴収者は、納税者からどんなに税をしぼりとっても、納税者の財布は枯れることがないと何の疑いも持たない。自らが汗水流して肉体労働をしないと、自然にそう思えるようになるらしい。
どんなに首相が替わっても、日本の役所も官僚も磐石である。役所を近い将来、貴族院、官僚を貴族と貧しい国民は、呼ばされるかもしれない。アフリカでそのような悪夢の国に住んだ気がする。