団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

虐待?

2009年04月28日 | Weblog
 朝、妻を駅に送って家に戻ろうとして交差点で信号待ちのために車を止めた。ふと信号のむこうを見ると50代の女性が綱の先のラブラドールの成犬を何かでぶっていた。何度も何度もぶっていた。そのぶち方が尋常でない。2,3回ぶっては何か激しく怒鳴っている。信号待ちしている間、それが3回ほど続いた。あまりの女性の執拗さに私は反感をいだいた。信号が青に変わった。私は車を止めて女性に意見しようと思ったが、クラクションを鳴らすだけしかできなかった。女性は私の車の方に顔を向けたが、クラクションが彼女の犬への仕打ちに対する私の抗議だとは知る由もない。

 私も犬を8年間に7頭飼った。成犬になってしまった犬をどんなに叩いても、犬の躾にはならないと体験を通して知っている。それは人間の子育てに通ずるものがある。犬は飼い主に似る、と言われる。私もそう思う。子どもが親の背中を見て育つように、飼い犬も飼い主の性格を学び媚びる。飼い犬に飼い主のいかなる演技も通じない。本心を鋭く動物の本能で見抜く。

 かつて英国の新聞に日本での犬の虐待が写真入りで報道されたことがある。
 日本では平成17年度に15万5830匹新規登録されて、11万7969匹が殺処分された。この数字は、あきらかに人間の勝手な犬を理想的なペットだという幻想で飼い、失望し簡単に放棄することを示している。犬も躾と訓練が必要で、そのためには大変な愛情と忍耐がいる。被害は犬だけではない。大阪の9歳の少女が、同居していた母親の愛人の男に虐待を受け、殺され遺体を遺棄された。男の言い分は“躾”だった。躾には、厳しさと抱きしめる優しさがなければならない。恐らく少女を殺した男は、まともな躾をうけたことがないのだろう。悪の連鎖は続く。

 私の家の前の道路は、犬つれて散歩する人と健康のためのウォーキングをする人が多く通る。人間の数より犬の数の方が多い。一人で2匹3匹連れている場合も多い。私も犬を飼いたい。しかし飼わない。理由は今の自分の健康状態で犬の世話をちゃんとできるとは思えないからである。また住宅事情も海外で住んでいた時とは異なる。住む家は集合住宅で庭がない。私は犬を家の中で飼うことは好まない。犬は序列の動物である。友だち感覚で飼えば、犬はとまどい、その結果、権勢症候群に迷い込む。ボスを持たない犬は不幸である。飼い主が責任あるボスになれるかなれないかで、犬の幸不幸を決める。ボス学を学ぶには、動物の群れの生態を良く観察することである。

 それにしても散歩の途中、見なければならない散乱する犬の排泄物と、あちこちの柱に無数に残されているマーキングに僻壁している。家の前を通る人間の数より、確実に犬の数のほうが多い。
 犬はオモチャではない。今の私は、犬のボスになるだけの素質が無い。だから私は、犬を飼わない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交換日記

2009年04月23日 | Weblog
 4月11日、高校の同窓生と我が家で花見の宴を持った。家の前の桜並木のソメイヨシノは、すでに満開を過ぎていた。ところどころに遅咲きの八重桜が、5分咲きのもったりした花びらをびっしりつけていた。

 高校を卒業して、すでに43年が経っている。ここまで時間が経つと誰もが当時の極秘情報を黙っておけなくなるらしい。話がいつしかAさんとBくんの交換日記の話題になった。「知っていた?」と話し始めた女性以外、誰もその事を知らず、密かなに二人がそんなことをしていたことに、聞き手全員が淡い羨望と嫉妬を持っていると直感的に私は感じていた。

 交換日誌といえば、嫌な思い出がある。中学の担任のC氏は、カンシャクもちの恐い教師だった。私が掃除中、つい不注意に歌謡曲を鼻歌のように音にしていると、「学校で歌謡曲を歌ってはいけないと知っているだろう。罰だ。校庭をうさぎ跳びで3周して来い」と命じた。厳しいことや生徒に規則を遵守させることに異論はない。ところが父親が教育学部の教授の息子で、優等生のDが、当時の男子生徒憧れのマトだった転校生のEさんと交換日記をしていることが発覚した。男女交際は厳禁であった。にもかかわらずC教師は、この件に関してお咎めなしだった。C教師はDの父親が教授を勤める大学出身だった。長野県の小中教員のほとんどが、この大学の教育学部の出身だった。

 私は歌謡曲の鼻歌でうさぎ跳び校庭2周なら、当時の交換日誌は、鞭タタキ1時間ぐらいの罰が妥当だったと思う。私の教員志望はこの時点ではじけた。だから交換日記と聞くと、あの事をどうしても思い出してしまう。

 私は再婚してから、改心してずっと日記をつけている。チュニジアで外務省名物の“村八分”いじめにさらされて、心臓発作を起こす近辺の2か月書かなかっただけである。この18年間続いている。なぜ日記をつけているかというと妻とは11歳の年齢差がある。平均寿命から推測するに私はだいぶ妻より早くこの世を去らなければならない。残された妻が、さみしさを紛らわせるために、二人の毎日を日記に書こうと決めた。

 チュニジアで狭心症の発作を起こし、急遽ひとりで帰国して、日本で検査を受け、心臓バイパス手術を受けることになった。私は日本の病院に入院し、妻はチュニジアでひとり働いていた。便利な時代である。ちょうどパソコンでメールを世界中へ瞬時に送ることが可能になった。早速パソコンを買い求め、独学でパソコン操作を習った。毎日病室でメールを作成して、病院の中で一箇所の公衆電話だけにあるパソコン接続端子から妻にメールを送信した。テレフォンカードを使い煩雑な操作も気にならなかった。この交換メールは4か月続いた。

 あんなに毛嫌っていた交換日記を私も経験できた。心をときめかして熱中した。男54歳、女43歳の交換日記デビューである。手術の恐怖もすべての心配不安も、パソコン操作と公衆電話からの送受信の煩雑さと文明進化への畏敬が消してくれた。その交換メールは、全てCDに記憶保存してある。

 私が先に逝っても、おそらく10年くらいは、日記とCDで楽しめるとふんでいる。バックの音楽は、歌のない『千の風になって』がいいと思っている。(写真:散り始めた八重桜22日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逆行

2009年04月20日 | Weblog
 東京JR四谷駅を出て定期健診のために病院に向かって歩いていた。ちょうど朝の通勤通学時間とぶつかり、かなりの人数の人々が歩道を急ぎ足で歩いていた。四谷には大学、高校、会社が多い。皆スーツ、制服などこざっぱりした服装をして手にカバンやハンドバッグを持っている。大都市のどこにでもある朝の風景である。

 血糖値などの血液検査を受けるので、私は昨夜の夕食を最後に何も口にしていない。空腹に足取りも力強さを欠いている。車道に多くの車が行きかい、バスにはぎっしり乗客が詰め込まれている。歩道も幅が10メートルぐらいありずいぶんと広い。ほとんどが皇居方面に向かう人々で埋め尽くされている。私もその人の流れの一部に紛れ込み、黙々と病院に向かって歩いていた。川の流れのような人の列が、突然大きく二又に分かれた。私も流れに沿って湾曲した。列の境を進む形になった地点で見えたのは、人の流れに逆行して駅方面に歩いてくる男性ホームレスの姿であった。

 髪はそれほど長くはないが、おそらく洗ってはいない。服は垢だらけの汚れまみれ。それに着ている上着の枚数が4、5枚。年齢は40歳ぐらい。荷物は何も持っていない。汚れてはいるがこの男性、顔にモナリザのような微笑を浮かべている。更に近づく。人の流れはこのホームレスを避けるように、臭いを嗅がないようにまるで息をするのを止めているかのように沈黙を守り前進する。声が聞こえる。「おはようございます」「みんさん、ご苦労様です」「いってらっしゃい」ホームレスの男性が快活な声で短いフレーズを繰り返し言っている。答えるものはだれもいず、回避する人の群れは、まるで屠り場に引き立てられる家畜のように意気消沈している。男は明るく笑みを振りまき、視線をしっかり群れのひとりひとりに向けて挨拶を続け逆行前進する。

 私は空腹を忘れ、まるでエルサレムでキリストにあったかのようにホームレスの男に目が釘付けになった。私の視線が彼の視線とぶつかる。向こうの明瞭な「ご苦労様」と私のくぐもった「ご苦労様」がかち合う。私の“ご苦労様”は意味不明。男の笑顔から黄色い歯がこぼれた。久しく見ていない晴れた顔だった。流れに押されるように私は彼と過れちがった。

 99.999%の普通の人々の生き方に逆らうように、ひとりの日本人男性が逆行していく。どちらがまともなのか?どちらが正常なのか?どちらが常識的なのか?私は病院で検査診察を受けている間、ずっと考えていた。答えは見つけられなかったけれど、あの微笑が、魅力溢れる快心なものであったことは唯一確かなことだった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヤマノミ

2009年04月15日 | Weblog
 4月12日テレビで9時からのNHKスペシャル『ヤノマミ・奥アマゾンに生きる奇跡の部族』を観た。世界にはまだ原始のままで生きている人々がいる。これだけ国際化が叫ばれ、情報が交錯する時代にあっても自分たちの生き方を変えずにいる人々がいる。

 歴史というものは、活字から学ぶ、人々の頭の中だけのものだと思い込んでいた。ヤノマミの部族の人々の150日間を垣間見て、私の遠い祖先の生活に思いを馳せた。当然ながら衣服は身につけていない。裸足。電気、水道、トイレなし。家も雨露をしのぐだけのもの。非常に大きな円形の構造が、中国の世界遺産に指定された“客家土楼”を連想させたが、規模や設備は比較にならないほど簡単なものだった。農業を基盤とする生活でなく、狩猟中心の生活をしている。狩猟法、人間関係、家族関係、宗教、疫病、死生観、何もかもが興味深い。人類が地球上で経過してきた時間をすこしでも遡ることができるのではと、目を皿のようにして注意深く番組を観た。人は10代を経れば、2048人の祖を持つと言われている。私自身が、ヤノマミの人びとが、いったい何人の祖を持っているのか。

 番組の中で14歳の女性が妊娠し出産する場面があった。ヤノマミの女性は出産を森の中で他の女性に見守られながら、ほとんど一人で産む。土の上に産み落とされる。生まれた子どもをすぐ抱き上げることも産湯をつかわせることもしない。母親は最初にその子を育てるか、精霊のままにしておくかを決めなければならない。私は間引きを悪しき習慣と決め付けていた。その少女は子どもを精霊のままにしておくことを決めた。その少女の集落での年間新生児は20人という暗黙の掟がある。しかしそれだけで母親は、決断しないとナレーターは言う。一時間にまとめられた番組では、全てを説明不可能であるが、物足りない。こどもは葉に包まれ、蟻の巣の近くに吊り下げられる。何千万という蟻がその子を食べつくす。そのあと子どもは母親によって焼かれる。母親は誰にも相談しない。自分で決めて、全て自分で実行する。

 私の妻は多くのお産に立ち会った産婦人科医である。その妻が「凄い」と言った。私はその妻の言葉が判る気がした。
 現代人が未開の部族の人と異なった生活をしている。物質的には遥かに恵まれた環境に暮らしている。精神といえば、決してヤノマミの人々より優れているとはいえない。昨日の新聞に稚内で実の母親が内縁の夫と4歳の男の子を折檻して冷たい水風呂で殺した事件のことが載っていた。その母親には、他にも3人の子どもがいるという。ヤノマミの14歳の母親は、産んだ後、育てるか精霊のままにしておくか、苦渋の決断をした。ヤノマミの母親は育てると決めれば、何をさて置いても子育てに専念するとナレーターが強調していた。多くの子どもが実の親に殺されたり、暴力を受ける。さらに実の子どもに、親が殺されることもある。文化文明が進化しても、一万年前の原始的生活をおくるヤノマミの14歳の少女の決断を“現代人”はすっかりどこかにおいてきてしまったようだ。

 テレビを観終った後、妻と私は長い時間話し合った。まだまだ話し足りない。当たり前である。一万年という時間の差を一時間のテレビ番組を観て語り尽くせるわけがない。偶然観た番組だった。大いに考えさせられると同時に、人間賛歌の感動も持てた。宇宙から地球の過去を望遠鏡で覗いたような不思議な時間であった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

検診

2009年04月10日 | Weblog
 8日水曜日、定期健診を受けるために東京の病院へ行ってきた。私は毎回25項目の検査を受ける。空腹時血糖値を計るために前日の夕食以後検査用の血液を採取し終わるまで、水以外口にすることができない。

 毎日3回きちんと食事がとれる。経済的理由で食べることができないことは一日とてない。食欲も旺盛で、何を食べても美味しく感じる。一日のカロリー摂取は1800カロリーと決められているので、野菜と魚中心の食事を自分なりに工夫して献立を考え、買い物して調理している。

 糖尿病を原因とする狭心症でバイパス手術を受けてから、早期発見早期治療を心がけている。妹が蜘蛛膜下出血で倒れた時、妹の主治医に「妹さんの脳動脈瘤破裂は、遺伝的要素もあるので、みなさんも早期に検査を受けておくようお勧めします」と言われた。結局検査を受けたのは、私ひとりだけだった。他の姉妹は受けなかった。彼女たちの理由は、怖いからというものだった。検査の結果、幸いにも動脈瘤は見つからなかった。あったとしても現在の医学では、動脈瘤は破裂する前のものであれば、治療可能だという。

 以後私は、毎月検診を受け、人間ドッグは一年に一回受けている。心臓カテーテルの検査は5年に一回受けることにしている。早期発見を心がけ、直せる病気は、治療しようと思っている。家族に対しても、病院医療従事者に対しても、そうすることが負担の軽減になると思っている。妹の手術は約20時間、私の手術は約10時間かかった。担当医師や病院スタッフ、家族への負担は、相当なものであった。緊急ならいざしらず、検査を受けずに放置されていたが故にかける迷惑は、回避させたいと願っている。

 妹の手術は、夜を徹して行われ、執刀医は手術を終えた朝、家族に手術内容を説明した。終わると朝陽が差し込む5階のEM隣の面談室から、階段を数段とばしで一階にある診察室へ外来診察を開始するために駆け下りていった。その後姿に手を合わせて拝みたいと思った。

 医者にも私生活があり健康問題がある。だから私はできるだけ検診を受ける。自分のためでもあり、他の人に迷惑をかけないためである。それでも手遅れで手の施しようがない病気であるなら、自宅で終末を迎えようと願っている。何ごとも思い通りに行くことはない。しかし覚悟があり、それなりに準備し予防していれば、迷惑を減らすことはできる。今回の25項目の検査データは、問題なかった。努力の成果だった。採血後、待合室で食べた妻がにぎってくれた玄米のオムスビは、実に旨かった。主治医は、糖尿病も良くコントロールされていると言ってくれた。また一箇月、自暴自棄にならぬよう療法を続けようと思った。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辞書

2009年04月07日 | Weblog
 辞書を手にして私が思うことは、いつも同じ「これを書き上げるのに一体どれくらい時間がかかっているのだろうか?」である。辞書に関わる人々の熱意と根気に頭が下がる。

 小学生の時から年鑑、図鑑、辞書、事典を読むのが好きだった。ホリエモンは子どものころ、百科事典を読破したそうだ。私はそこまではできなかった。

 私の気に入っている辞書は、英語では開文社の英語逆引事典と大修館書店の日本語逆引事典である。英語ならbeautifulのfulで終わっている単語を調べようと思ったらlそしてu次にfとアルファベット順に引き、fulの項を見る。
 日本語なら道(どう)で終わっている言葉を捜すのに“う”そして“ど”と引く。すると合気道、阿修羅道、悪道、易行道とあいうえお順に言葉が出てくる辞典である。とても重宝している。

 3月30日、産経新聞の産経抄に『江戸時代語辞典』を編纂した尾形仂(つとむ)さんの話が書かれていた。江戸時代の言葉を網羅した辞典は、実に70年間という途轍もなく長い時間を費やして、2008年の11月に刊行された。この辞典には主に三人が関わっている。尾形さんの妻にして尾形さんの東京文理大学での恩師の次女雅子さん、そしてそもそもこの辞典をつくろうとして果たせなかった雅子さんの父親、潁原退蔵博士である。父が昭和十年にこの辞典を構想し、着手した。義理の息子である尾形さんが70歳で再び完成を目指した。そんな尾形さんを支えた雅子さんは、平成十八年79歳で辞典の完成を見とどけることなく亡くなった。尾形さんは、辞典を完成刊行して89歳で亡くなった。これはあくまでも一辞典の例である。どの辞典、辞書にも壮絶な隠れた犠牲と献身があるに違いない。

 新宿紀伊国屋書店の辞書売り場で『江戸時代語辞典』と対面した。大きく厚く重い辞典だった。定価22000円。70年の時間、3人の思いを感じた。遺産であり彼らの遺言である。人間の凄さを感じる。有名になることもなく、70年の月日をかけて、10万枚のカードを作成し、親子3人がかりで一冊の辞典を完成させる。地道な人生である。

 人間は、このように歴史を築き上げてきた。ミサイルをどう生産し、そのミサイルをどう打ち落とすか、のせめぎ合いのために人間の英知を使うことが愚かで悲しいと私は思う。どの辞典、辞書を使っても私はその編者に敬意を表する。今日も地球のあちこちで一心不乱に何かの辞典、辞書の作成に携わっている人々がいる。私はそういう人間を尊敬し、いかなる殺戮、破壊行為をも憎む。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2009年04月02日 | Weblog
 『政治家と言うものは、口からナミダを出し、目からアセを出し、舌が二枚もある人のことだ。政治家はどんな大金をもらっても東洋的にアイマイな“認識論”ひとつで“政治寄金”という安全地帯に逃げこめるボロイ商売』(天声人語)

 民主党代表の小沢一郎さんが泣いた。テレビカメラの前で泣いた。この姿を観て、思い出したのが天声人語の上記の文章である。確かにどこかで読んだと、探すこと二日間、やっと見つけた。三省堂『ことばの百科事典』昭和49年発行“社会人の言語教養”のユーモア事典の項目にあった。政治家に対する記述である。

 昭和49年といえば、当時小沢さんは、まだ自由民主党に属していた。人間は看板や標語を変えても、本質は中々変えられない。まさに三つ子の魂百までも、である。民主党の鳩山幹事長と自民党の鳩山総務大臣の二人の兄弟政治屋の動向を観察していても、素人には何が何だか理解できない。

 政治屋と言えば、26日のTBS“サンデーモーニング”の出演者元神戸外国語大学教授浅井信雄さんが「ある国会議員が“お前は政治屋じゃないか”と言われると、“違う、俺は選挙屋だ”と言った」という話を披露していた。

 政治屋も選挙屋もたいした変わりはない。選挙に金がかかると政治屋は言う。だから小沢一郎さんはあのような献金を受けなければならなかった、と多くの人が解説する。

 先日NHKで山極寿一京都大学教授が、アフリカのマウンテンゴリラの里を26年ぶりに訪れたドキュメントを放送した。ゴリラのボス、シルバーバックは、自分の群れのメスと子どもを体を張って守る。守れなくなれば違うシルバーバックがボスになり、自分の子どもでない子どもゴリラをすべて殺す。単純明快なルールに従って生きている。ゴリラは笑っても、泣くことはない。人間は金で権力を得て、子どもを甘やかし使命も経験もないまま、跡を継がせる。ゴリラは、素手で戦って権力を得ても、次の世代はやはり戦いに勝ったものだけが権力を握る。

 政治屋と私がいうのは、政治屋の地位は金が物を言っているからである。政治屋に涙も汗も似合わない。政治屋選挙屋に一番似合うのは、札束を握ってほくそ笑む姿だと私は思っている。

「拍手喝采は人を愚かにするの道なり、つとめて拍手せよ。つとめて喝采せよ。かれおのずから倒れん」 斉藤緑雨著『万朝報』

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする