団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

サハリン

2022年03月30日 | Weblog

 

  ロシアのサハリンは、妻の最後の任地だった。

  2001年、私たちは、北アフリカのチュニジアに住んでいた。私が糖尿病の合併症で心筋梗塞であることがわかった。チュニジアの医師に心臓バイパス手術を受けるよう勧められた。手術室まで案内された。しかし妻と話し合って日本でバイパス手術を受けると決めた。妻を任地に残して、私は一人で帰国した。日本の病院で手術を受けることになった。運悪くその病院の手術室の改装工事が重なり、手術は3カ月延期になった。病院から手術までの間、自宅で待機するように言われた。日本に家はなかった。友人に頼んで小さな病院に入院できることになった。ユーゴスラビアにいた時、NATOの空爆で避難して6カ月日本に帰国していた。どんな家でも自分の家程良い所はない。避難しても直後は、みな親切で良くしてくれる。それも2週間くらい過ぎるとギクシャクし始めた。その経験から、私は妻の実家にも私の実家にも滞在することをあきらめた。3カ月が終わり心臓バイパス手術を受けた。退院してチュニジアに戻った。

  戻ってすぐ転勤の話がきた。私は、地図上の距離だけでロシアのサハリンへの転勤を妻に懇願した。もし私の心臓に何か異変があっても、サハリンなら、すぐ日本へ戻ることができると思った。チュニジアから手術を受けるために一人で日本に戻るとき、航空会社の手違いでパリの空港の待合室で一日明かした。チュニスを出て、成田に到着したのが50時間後だった。そのことが大きく影響した。

  北海道の千歳空港からサハリンへ飛行機で行った。乗った飛行機は、世界でアフガニスタンとサハリンでしか飛んでいない、アントノフ24機だった。40席ぐらいの機内の半分は、貨物を積んでいた。乗客は、20名くらい。恐かった。座席シートは、グラグラ。窓の枠のネジは、抜けている。内装もあちこち剥げ落ちていて、直す予定はなさそうだった。飛行中の機内の音は、耳を塞ぎたいくらいだった。

  サハリンは、決して住み良い所ではなかった。人々の生活も社会主義の理想とは程遠いものだった。年金の不払いが続いていた。本来不自由ない快適な日常生活を保障されているはずなのに、極寒地の命綱である地域暖房プラントは、止まったまま。マイナス30度40度まで下がる冬の生活は、想像を絶する。チェーホフが1890年に3カ月滞在して『サハリン島』を書き上げている。サハリンは、あの時代とあまり変わっていないと私は、住んでみて思った。

  ロシアは、今度の侵略でドネツク州マリウポリを包囲して1万5千人を強制移住させると発表した。その行先にサハリンが含まれていた。現在、ウクライナ国内がどういう状況であるかはテレビのニュースだけでは計り知れない。NHKでさえ同じ映像を繰り返し使っている。サハリンで暮らしたことがある私は、絶対にマリウポリの人々が、行って暮らして喜ぶ場所でないと容易に想像がつく。住めば都、とは、自分の意志で移ればこそ言えることだ。“強制”という足かせは、住めば地獄になる。

  人間は戦争するために存在するのではない。戦争を回避するために存在して欲しい。

 

 

 


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縄張り

2022年03月28日 | Weblog

  私が住む集合住宅のまわりには、野生の動物が多く生息している。越して来たばかりの頃、それらの野生動物を見ると喜んでいた。しかし、だんだん時が経つにつれ、喜んでばかりいられなくなってきた。

  猿の十数頭の集団が雨の日、雨宿りがてらベランダで一夜明かしていった。ただ夜を明かしていくだけなら許せる。ベランダのプランターの植物を食い荒らし、マーキングで尿をまき散らしていった。糞もしていった。ベランダの異臭は、市販の消臭剤ではなかなか消えなかった。市役所の猿害相談室に電話をした。猿は縄張りがはっきりしているので、まずマーキングの痕跡を消しておいた方がいい、と言われた。そして蛇を怖がるのでオモチャの蛇を置いておくのも効き目があるとも言われた。ゴム製の蛇を買ってベランダに置いた。そのことをすっかり忘れていて、ベランダで何度蛇がいるとのけぞったことか。

  家の周りの山は、竹が増殖している。山の手入れがなされないので、樹木が竹に浸食されて、竹林の面積が勢いよく増えてきている。タケノコの季節になると、イノシシが出る。イノシシはタケノコが大好物だそうだ。市役所の広報車が、「イノシシに襲われて怪我をした人がいます。外出はなるべく避けてください」と回ってきたこともあった。イノシシも縄張りがあるようだ。

  コロナ禍で3回目の桜の満開を迎えた。桜並木を散歩している途中、満開の花枝の中で鳥が争っているのを見た。どうやら桜の木も鳥の縄張りがあるようだ。一羽の鳥がもう一羽を追い出そうとして、鳴き声を荒げた。追い払うとゆっくり桜の花をついばんでいた。桜が咲いて、人間は3分咲きになった、5分だ、満開宣言だと騒いでいる中、桜の花枝の中では、縄張り争いがあるとは。

  去年7月の大雨で、家の近くの川岸が決壊した。私とっては生活道路だった箇所が通行止めになった。車でも散歩でも使っていた。上流の橋を使うようになった。これが遠回りでもあり、通行を制限されたストレスも大きい。中々工事が始まらなかった。おそらく予算がなかったのであろう。10月に工事が始まった。当初看板には3月20日までと書いてあった。散歩のたびに川の向こう岸から現場の工事の進捗ぐあいを観察していた。3月も20日ちかくなっても半分しか工事が終わっていなかった。先日、ふと工事告示の看板を見ると、工事の終了が、なんと5月18日に延期されていた。今度は予算の問題ではなくて、工事に必要なブロックの入手が困難になっているからだという。災害による河川などの補修工事で、ブロックが不足していて、資材の争奪戦になっている。こういう争奪戦も、縄張り争いに似たようなことに思える。

  動物の世界でも縄張りの争いが、生きるために起こる。人間の社会でも、縄張り争いは、ヤクザ社会だけのものではない。政治の党利党略による票の奪い合いも縄張り争いのようなものだ。ロシアがウクライナを取ろうとするのも、中国が尖閣諸島や台湾を取ろうとするのも、韓国が竹島を、ロシアが北方領土を取ったのも縄張り争いであろう。動物の縄張り争いと人間の縄張り争いの違いは、生きるためのものというより、ゲームのように見えて仕方がない。世の中は、進歩したように見えるが、実は、太古の昔から本質的には、何も変わっていないのかもしれない。


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今、なんつったの?

2022年03月24日 | Weblog

  先日、朝起きると耳に異変を感じた。片方の耳が変。いつも聴こえているように音が聴こえない。最近聴力が落ちているのは、認識があった。でも聴こえないわけではない。手のひらで耳を片方ずつ押さえてみた。右側の聴こえが悪いことがわかった。

 以前風呂で頭を洗っていて、耳に水が入ってしまった。その違和感は、不愉快なものだった。たまらず耳鼻科医院に行ってみた。耳に水が入ってしまうことが多いらしく、専用の吸引器であっという間に水が抜けた。しかし今回は、耳に水が入ったのとは違うのは確かだった。妻に話すと、「耳鼻科で診てもらった方が良いよ」と言われた。

 午前中、様子を見ることにした。耳の中に、ふんわり得体のしれない空間が、あるような感じがしていた。昼ごはんを食べて昼寝した。起きると耳の違和感がなくなっていた。耳の中から、雪が降る深夜のような時空が消えていた。

 最近テレビを観ていて、人が言っていることが、言葉として私に届かない。隣の妻に「今、なんつったの?(今、何て言ったのですか?)」と尋ねることが多い。まるで通訳者のように妻は、私に伝えてくれる。妻は、補聴器をつけるように私に勧めるが、正直、現在聞かなくても良いことの方が多いので、断っている。

 耳だけではない。散歩で頑張りすぎているからか、夜中に足がつる。脚の筋肉に負荷が過ぎるのだろう。私の父は、72歳で死んだが、60代後半から杖なしで歩けなかった。それを思えば74歳の私が杖なしで歩けるのは、ありがたいことである。脚は弱くなってきている。スタスタ歩きは無理。歩いていても重心が定まらない感じが消えない。ちょっとした段差や突起物につまずくこともある。だから階段は、必ず手すりを使う。

  脚の裏は、いつも鉄板が張り付いている感じがする。厚い靴下を履いても、その鉄板感覚が消えない。

  歯もこのところ一気に問題が出てきている。80-20(80歳で自分の歯が20本残っていること)を目指して、歯科通いと歯磨き20分の努力も虚しく、歯医者へ行くたびに1本また1本と抜歯される。そして差し歯が増える。歯抜けジジイになるまいと、若い頃、固く決心した。コロナ禍のマスク着用で、差し歯は無着用。どこへ行くにも中は、歯抜けジジイだが、誰もそれを知らない。マスクがいらなくなる日を待ちわびているが、その後が心配。差し歯を入れるのを忘れて、外出しそう。

 目もすぐ疲れる。テレビも読書もままならない。これはつらい。妻が読んで内容を要約して話してくれるのを聞くのが楽しみ。妻が印象に残った箇所は、朗読までしてくれる。

 肉体的に歳をとっても、精神的老化はしないぞ、と自分に言い聞かせてきた。無理をしているとわかっている。でももう少し無理をしてみたい。私よりずっと若い妻も、すでに還暦を過ぎた。二人で老老介護になってきたと笑う。

 もうすぐ、夫婦二人、お互いに手のひらを耳の後ろに当てて、「今、なんつったの?」と尋ね合うかもしれない。二人で笑いあって老化を受け入れたい。口にしてはいけない事を言ってしまっても、「今、なんつったの?」の後なら、相手を悲しませないで訂正できる。


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若隆景わかたかかげワカタケカゲ

2022年03月22日 | Weblog

  連日の大相撲大阪場所の熱戦のお陰で、滅入りがちな気分が上向いている。今場所の若隆景の強さは、あっぱれとしか言いようがない。高安が以前の強さを取り戻してきているのも嬉しい。ただ好きな宇良は、良い相撲を取っているのだが勝ち星につながっていないのが残念。明生も元気がなく心配。最近若い力士が台頭してきている。琴ノ若、阿炎、豊昇龍そして十両の王鵬と熱海富士。

 

 ただ力士がこれほど熱戦を繰りひろげているのに、NHKテレビの実況放送担当のアナウンサーと解説者が、実況の質を下げてしまっている。現在テレビとラジオでお笑い芸人が食い込んできていないのは、スポーツ実況の分野だけだそうだ。しかし早晩、スポーツ中継もこんなでは、先行きがない気がする。

 カナダの学校にいた時、学生たちと将来どんな職業に就くか話した。その中で記憶に残っているのが、アナウンサーは、1分間に何語正確にわかりやすく早く話せるかが鍵、それは大工の給料が1分間に釘を何本打てるかで決まるのと似ているという話だった。もちろん日本でも、NHKならそれくらいの基準はあるであろう。

 

 しかし相撲の実況放送で私を感心させるようなアナウンサーはいない。テレビが普及していなかった私が子供の頃、大相撲はラジオで中継されていた。あの頃のアナウンサーは、聴いている者がまるで目で見ているような状態にさせた。テレビ放送が始まって、大相撲の実況放送に杉山邦博という名アナウンサーが登場した。視聴者は、長く彼の実況に親しんだ。彼が退職すると、彼に続くような名アナウンサーはいなくなった。残念である。

 

 若隆景は強い。しかしこのしこ名は、言いにくい。まるで早口言葉だ。NHKのアナウンサーでもなかなか苦労している様子にみえる。先日、解説の北の富士が、「言いにくい」とこぼしていた。

 

 子供の頃、早口言葉を誰がちゃんと言えるか競う遊びをした。「親亀の上に子亀、子亀の上に孫亀、孫亀の上にひ孫亀」「スモモもモモもモモのうち モモもスモモもモモのうち」などを覚えている。「若隆景、若隆景、若隆景」と3回言うのも大変だ。

 

 先日ラジオで春風亭一之助が「あんたあたしのことあんたあんた言うけれど、あたしもあんたのことあんたあんた言わへんから、もうあんたもあたしのことあんたあんた言わんといてよあんた!」を巧みな話術で披露していた。

 

 長男が家を離れて全寮制の高校へ行き、その後東京の大学に入った。田舎に帰って来て、「オヤジ、“あんた”って言わない方が良い」と言った。それが原因か、“あんた”は使えない言葉だと思うようになった。一之助の早口言葉を聞いていて、そんな昔のことを思い出した。

 

 自分は、アナウンサーになれるほど、喋りが上手くない。だからこそプロに期待する。早口言葉だけでいいアナウンサーになれるかと言えば、そんなことはないであろう。声の質、話す内容、知識も重要だ。相撲の力士は、スポーツの中でも最も過酷な稽古で鍛える。土俵は、力士の稽古の集大成を出す場所なのだ。NHKもアナウンサーも、それを理解して、力士以上に研鑽を積み、それなりの対応を具現して欲しい。

 


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春の足音

2022年03月18日 | Weblog

  散歩の途中、いつものように小学校の校庭脇の木蓮をチェックした。まさかの光景。なんと花が咲いていた。裏切られたような気持ちと意表外な展開に嬉しい気持ちがせめぎ合う。一日前、枝のつぼみは、まだ固く閉じていて小さかった。この数日気温は、20℃と4月下旬の暖かさだった。おそらく気温が木蓮の開花を速めたのだろう。また1年が過ぎてしまった。木蓮の花が咲き、花が散り、緑の葉がたくさん茂り、葉が散った。散歩で免疫力をつけようと、散歩が仕事であるかのように歩き続けた。この間、コロナは、消えるどころか、次々に変異している。すれ違う人が皆、コロナ保菌者であるかのような妄想が私を支配する。悲しい。私は本来こんな人間ではなかったはず。元の私に戻りたいともがいた。去年木蓮の花が散って1年が通り過ぎた。コロナ禍は、何も変わらない。ただ木蓮の花言葉「自然への愛」と「持続性」に夢を託す。

 小学校から元気な声が聞こえた。体育館からなのだろうか、声が高い天井に反響している。圧倒される若い熱源が私を通り過ぎた。交差点に来た。向かい側の横断歩道を保育園の園児たちが小さな手をあげて渡っていた。少子化という、まるで国が滅亡してしまうのではないかという危惧がある。でも幼い子供を見つけると、日本の将来を思い描く希望を抱いてしまう。私が老いたからであろう。若者や子供に嫉妬する。私が子供の頃、年寄りを見ると別世界の生き物のように思えた。まさか自分は、ああはならないだろうと馬鹿なことを考えた。そらみたことか。今はしっかり別世界に入ってしまった。

 小学校から少し離れた民家の庭に、黄色の花が咲いていた。ミモザのようだが、間違っているかもしれない。ミモザは、ユーゴスラビアとチュニジアに多くあった。春になると市場で売られていた。その花の付き方で、赤い実をたわわに付ける千両万両のように、子孫繁栄を願う花であるとも聞いた。私は、黄色や青色の花に魅かれる。ミモザの黄色も好きだ。花言葉は、「感謝、友情、エレガンス、密かな愛」感謝、友情、エレガンスに共感するが密かな愛はいかがなものか。

 散歩も帰路に入り家の近くの桜並木に足を進めた。桜のつぼみのチェックは、散歩の楽しみのひとつである。つぼみの大きさをチェックする気持ちは、「♪もういくつ寝るとお正月♪」と同じ気がする。桜は特別な花である。花言葉「精神美」に日本人が理想とする生き方を感じる。コロナ前、花見を兼ねて高校の同級生や親友家族との宴会を楽しんだ。今年も再開は不可能であろう。3回目の中止である。加えてちょうど家の前の桜並木の桜の木が4本去年夏の豪雨で流されてしまった。並木が並木でなくなった。それでも桜の木がまだ残っている。そして昨日、その桜のつぼみが、ちょこっと先がピンクになっているのを見つけた。心がほどける。これが「自然への愛」なのか。「密かな愛」かもしれない。

 コロナに戦争に地震。恐ろしいことが続く。内向きになりがち。ストレスで押しつぶされそうになっている自分に、ピンクに色づいた桜のつぼみが「精神美」だよと諭してくれる。また今年も桜並木の残った桜が一斉に満開になり、そして散るだろう。なるようにしかならない日常の中、今日も「自然への愛」を確認できる何かを見つけに、雨の中散歩する予定である。


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私の中のウクライナ

2022年03月16日 | Weblog

私は、ウクライナへ行ったことがない。ただカナダの学校にいた時、ウクライナという国名と民族名をよく耳にした。学校があるアルバータ州は、穀倉地帯で小麦が主要産物だった。小麦生産農家にウクライナから移民してきた人が多いと聞いた。高校はプロテスタント系だったので、ウクライナ人の生徒はいなかった。ウクライナ人は、ロシア正教の信者が多く、ウクライナ人が集まって暮らしているとも聞いた。今回のロシアのウクライナ侵攻後、小麦粉の値段が暴騰しているという。ウクライナもロシアも小麦の生産の主要産出国だと知った。そしてカナダの穀倉地帯にウクライナからの移民が多いということに納得がいった。

 私が日本に帰国した後、高校の同級生だった女性が、新婚旅行で私を訪ねてくれた。ヨーロッパ各地を巡って、シベリア鉄道に乗って、船で新潟港に着いた。約1カ月我が家にいて、日本各地を旅行した。彼女の夫が、ウクライナ系で名前がニールといった。こんどのロシア侵攻でウクライナ情勢が毎日放送されている。ウクライナと聴くと、彼のことを思い出す。

 ユーゴスラビアのベオグラードに暮らしていた時、妻の車でのウイーン出張に同行した。夏、ハンガリーに入ると一面ヒマワリ畑が広がっていた。それはイタリア映画『ひまわり』の風景と重なった。驚いたことに『ひまわり』は、ウクライナで撮影されたと知った。私は、ウクライナへ行ったことはないが、東ヨーロッパのハンガリー、ルーマニア、モルドバなどは、ウクライナによく似ていると思う。

 昨日、メールが来た。小説『忘れられた墓標』(人間の科学社発行)の著者小林多美男の娘さんからだった。「……去年から今年コロナが落ち着いてきたことがありましたが、そんなの瞬きする間に終わってしまいました。そしてウクライナへのロシアの侵略です。毎日ニュースを見るのが辛いです。キエフは両親の最後の旅行の地です。日本刀を戦後35年錆1つつけずに保管していたペギシェフさんと再開した土地です。まだチェルノブイリの原発の事故の後で、父が食事を食べられなかったのを汚染を心配して食べないのか?と気にしていたそうです。でも既にその時癌だったのです。それから2年たたずに昭和の終わりも確認して亡くなりました。キエフは父の戦後が終わった土地と時でもあります。勿論ペギシェフさんも亡くなったと思いますが、もしも2人が生きている時だったら2人がどんな話をしたかしら?なんて考えています。」 この日本刀が小林多美男に返されたことは、確か多くのメディアに取り上げられた。

 写真家齋藤亮一の写真集『NOSTALGIA』(JDSグラフィック発行税込み3500円)に多くのウクライナの写真が載せられている。齋藤亮一の写真は、カラー写真ではない。白黒である。1枚の写真が私の心を掴んだ。この女の子たちは、すでに成人になっている。今どうしているか。

 カナダのニールも、キエフのペギシェフさんの遺族も、齋藤亮一の写真集の中のあの女の子たち、どうかご無事で!戦争がもう今日にでも終わりますように!


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モラードバナナの重複買い

2022年03月14日 | Weblog

  金曜日夕方、いつも通りに駅へ車で妻を迎えに行った。駅前の広場に車を止めた。車の中から改札口が見える。妻はいつも先頭集団にいて、定期券を改札機に入れ回収して出てくる。私は毎回ハラハラして妻が出てくるのを待つ。時々路線バスが時間通りに発着しないと、私が車を止める場所は、バスの邪魔になる。バスが私の車の後ろにつくと、もの凄い音でクラクションを鳴らす。気が付かなければ、シートから飛び上がるほどの威圧感である。妻が乗る電車の到着時間は、バス発着の間隙をぬっている。毎日イチかバチかで待つ。駅前広場でのバスの存在は、絶対王者で誰もがひれ伏さなければならない。大国が小国を威嚇するのと似ている。

 妻にそのことをちゃんと話してあるので、妻も駆け足で車に乗り込んでくる。今日もバスに遭わなかったとひと安心。すると妻が「モラードバナナあったから2パック(1パック3,4本)買って来たよ」と言った。私は昼間、わざわざモラードバナナを買うために電車でその店に行ってきた。私も2パック買って来ていた。最近フィリピンからの入荷をないのか、モラードバナナは並んでもすぐ売り切れる。買い置きしても最近知ったバナナの保存方法(バナナ1本1本を果柄から注意深く切り離す。果柄をサランラップでしっかり巻く。輪ゴムで空気が入らないように強く止める)でなら、1週間は冷蔵庫で保管できる。4パックは無理。妻も私がバナナは、モラードと決めているのを知っていて、親切心で買って来てくれた。こんなこともある。長く一緒に暮らしていると、顔も考え方も似てくるものだ。たまたまお互いの思いが一致してしまった。

 それにしてもこれだけの数のバナナどうしたらいいのか。とにかく冷蔵庫に20本近いバナナを冷蔵庫に入れた。土曜日の朝、突然閃いた。そうだ、バナナブレッドにしようと。土曜日は妻も休み。妻が助手をしてくれれば、仕事ははかどる。早速準備に入った。バナナ、薄力小麦粉、バター、砂糖、卵、ベーキングパウダー。湯煎で溶かしたバターに砂糖を混ぜる。そこに卵を入れて、更に混ぜる。潰したバナナを混ぜる。篩った小麦粉とベーキングパウダーを入れて混ぜる。型に流し込み180℃のオーブンで40分焼く。出来上がった。

 午後散歩した後、コーヒーを入れ、バナナブレッドを食べた。自分で作れば、どんな出来具合でも過大評価できる。たとえ失敗作でも、言い訳に事欠かない。バナナブレッドは、海外で13年間暮らしていた時、一番多く作った。ただバナナがなかったチュニジアでは作れなかった。バナナブレッドを食べながら、暮らした国々での暮らしを思い出した。

 このところコロナ疲れとウクライナへのロシアの侵略で気が滅入っている。心理学に“共感疲労”というのがあるという。共感疲労:相手の立場に立って考えたり、相手が感じているつらさを「共感」したりして、共感する人に不安や苦痛、さらに情緒的混乱を起こす。まさに私の現状である。無力感に苛まれている。未来に対して悪いことばかり妄想を繰り返す。

 土曜日、妻の助けのもと、餃子作り、雲吞作り、恒例のモヤシの下ごしらえと、日中、矢継ぎ早に調理を続けた。テレビのニュースは、観ないようにしていた。観ると共感疲労が悪化してしまう。

 日曜日に大相撲春場所が始まった。土俵での熱戦が、私の情緒的混乱を、しばし忘れさせてくれる。逃げようとすればするほど、悪い妄想は、追いかけて来る。


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ペットボトルが開けられない

2022年03月10日 | Weblog

  WHOが新型コロナウイルス感染のパンデミック宣言をしたのが2020年3月11日だった。あれから2年が過ぎた。まだ感染が終息する気配はない。世の中が変わってしまった。コキシロウは、巣ごもり自粛が時に座敷牢に入れられているような気になって落ち込む。

  散歩は、仕事と思って続けている。コロナ感染しないために免疫力を高めるには、歩くことだと医者が言うのを聞いた。姿、年恰好からか、人とすれ違う時、私より若そうな人たちは、大きく避けて行く。誰もが感染したくない。自分の身を守るために、人はみな自分のまわりに防護壁を築いている。私の脚腰は、だいぶ弱ってきたようだ。ふらつく。自分ではまっすぐ歩いている気がしていても、左右どちらかに揺れて行ってしまう。先日は、老人と歩道ですれ違う時、柵の出っ張りに手の甲を当ててしまった。翌日、手の甲が紫色になっていた。駅でリュックを背負った元気な老女性に、パンパンな硬いリュックを、その手に当てられ、紫色が黄色に変わった。

  散歩のふらつきだけでなく、体や行動に変化が出てきている。冬季オリンピックでスキー、スノ―ボードの会場の標高が高いために、選手たちが水分補給のために水を飲もうとしてもペットボトルの蓋を開けられなかったそうだ。私もペットボトルの蓋が開けられない。握力が弱くなったのであろう。オリンピックに出場するような運動選手が、標高が高いからといって、ペットボトルの蓋を開けられないと聞いて、嬉しくなるのも老人の証かも。

  私は妻が近くに居れば、妻にペットボトルの蓋を開けてもらう。以前だったら反対の立場だった。10歳以上の年齢差が、今になって逆転している。不眠症だった妻が、毎晩私より早くスヤスヤ。私は寝つきが悪く布団に入ってもなかなか寝付けない。朝食も妻は、ご飯茶碗に山盛り。私はご飯茶碗の半分でも多すぎると感じる。味噌汁もご飯と同じ比率。そんな介護のような事まで、現状させてしまってる妻には、感謝している。

  妻がいない時、ペットボトルを開けるために小道具を使う。これがなかなか便利。ペットボトルの他に困るのは、ビニール袋などを開けられないこと。指先で開こうとしてもビニールの上を擦っているだけだ。チャック付きの商品にもてこずることが多い。上の部分を切り取り、いざチャックを開けようとする。チャックの上の残された部分を指でつかんで、開けようとする。開けない。指だけでなく、爪も使うが、ダメ。チャックは、商品の保存には、いいのだろうが、老人には扱いにくい。毎日、こんなことに四苦八苦している。

  悪いことばかりではない。我慢強くもなっている。モヤシの根の処分や、カニや伊勢海老の身を、殻からほじり出すような作業が苦にならない。黙々と打ち込める。まるで坐禅のように何も考えないでいられる。午後になって疲れてウトウトするのも気持ちがいい。南側から太陽の光が射しこんでくれば尚更である。散歩していても、人間観察を楽しめる。先日、信号待ちの老人が、折り畳みの簡易椅子を出して、座って信号が変わるまで座っていた。のどかでいい場面だと心和んだ。

  なんだかんだと言っても、今の日本は平和だ。ウクライナのロシア侵攻で、苦しむ子供や老人を見るのがつらい。長い年月の経過で、私も他人の気持ちが分かるようになってきた。涙もろくなった。鬼の目に涙である。世界の為、社会の為に何もできない年寄りである。何に祈って良いのか知らない。それでも平和を祈りたい。


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抜粋ノート

2022年03月08日 | Weblog

  5日土曜日午後、妻とネットフリックスで映画『The professor and the madman』を観た。コロナでこの2年自粛生活を続け、今度はロシアのウクライナ侵攻で世界大戦かという恐怖にさらされている。少しでも重苦しさから逃げられるのは、読書と映画だ。ネットフリックスで何かいい映画がないかと探してみた。『博士と狂人』というタイトルに目が留まった。これってもしかしたらサイモン・ウィンチェスターの『博士と狂人― 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』の映画化か。主演はメル・ギブスンとショーン・ペン。どちらも好きな俳優だ。

 私は調べた。この本の感想と抜粋をノートに残してある記憶があったからだ。私はカナダ留学で“引用と要約”を嫌というほどきたえられた。学校では毎週、指定された相当量の本を読み、要約引用を駆使して自分の意見をレポートにして提出した。テストよりこのレポートが成績に反映した。

 見つけた。1997年の1月26日の日付で感想と抜粋が記録されていた。まさかあの本が映画化されたとは。期待を胸に観た。メル・ギブスンは20年かけて映画化したそうだ。素晴らしい出来。何度も感極まって涙した。妻も横でティッシュに手を伸ばしていた。

 私もオックスフォード英語大辞典を持っている。私は辞書で言葉を調べるより、辞書を読むのが好きだ。以前日本映画で『舟を編む』を観た。三浦しおんの同名小説を映画化したものだった。主演は松田龍平。『博士と狂人』と同じように辞書の編纂を取り上げた。抜粋ノートでこの映画の感想を調べてみた。抜粋にこう記してあった。「辞書は言葉の海を渡る舟。編集者はその海を渡る舟を編んでいく」と。

 辞書を作るという作業が、どれほど大変なことか、どちらの映画でもよく観てとれる。ひとりで出来ることではない。この頃はAI技術の進化発達で、紙に印刷されたどんなぶ厚い辞書でも何十冊も一緒に小さな電子辞書に納まってしまう。それができるのも先人たちの気が遠くなるような地味で細かい作業調査があってこそだった。

 ショーン・コネリー主演の映画『薔薇の名前』で修道院の貴重な書籍を収めた図書室が火事になった。当時の書籍は、印刷でなく修道士たちが字写室でペンとインクで書いたものだった。その貴重な書籍が燃える。ショーン・コネリー演じるウイリアムスが火事の中から狂ったように書籍を持ち出そうとするシーンがあった。

 今、ウクライナでも貴重な書籍、文化財、建造物ばかりでなく人の命まで奪われている。人間は、辞書を編むほど賢く、それを焼き尽くすほど愚かな生き物だ。「辞書は言葉の海を渡る舟。編集者はその海を渡る舟を編んでいく」ならば、「国家は千差万別の文化の海を渡る舟。施政者はその海を安全平和に渡る舟を編んでいく」であって欲しい。戦争は何も生まない。


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かんぺい?甘平!

2022年03月04日 | Weblog

  今も、まだあるかわからないが、上田市に『いも平』という高級フルーツ店があった。角地の奥行きが数メートルしかない小さな店だった。商店街の交差点の一角の目立つ場所だった。“いも”が芋を意味していたのかはわからない。私は勝手に『いも平』の“いも”は芋だと思っている。加えて『…平』は、気取らず親しみやすい。家が貧乏だったにもかかわらず、芋を馬鹿にする帰来があった。しかし『いも平』は、店名に似合わない、他所の店と違った高級フルーツをいつも並べていた。私には縁のない店だった。町に出て、『いも平』に並べられた高級フルーツは、観るだけでも心弾んだ。マスクメロンなるモノを始めて見た。メロンといっても私が食べることができたメロンは、マクワウリやスイカぐらいだった。『いも平』で宝石店の宝石のように鎮座するマスクメロンに見惚れた。私は、大人になったら、マスクメロンを自分で買えるようになるぞ、と誓った。

 私は、大人になった。高級なマスクメロンに対して、『いも平』の店の前で誓った時の気持ちはすっかり萎んでしまった。たぶんメロン以外に美味しい果物を知ったからだろう。『甘平』を始めて口にした時、みかんの理想形に出くわしたと思った。最初『甘平』を私は、『あまへい』と読んでいた。正確には『かんぺい』だそうだ。子供の頃『いも平』に憧れた。まず名前に惹かれた。『いも平』が『甘平』と直結した。『甘平』は、私にとって、子供の頃『いも平』に並んでいたマスクメロンと同等、いやそれ以上かもしれない。

 チュニジアに『トムソン』というオレンジがあった。美味いオレンジだった。『甘平』は、その『トムソン』に匹敵している。

 『甘平』は、デパ地下などでは、1個600円くらいで売られている。私は、ネットで探して「訳あり」の手頃な値段の甘平を一箱買った。そこに説明書が入っていた。

甘平:

 「甘平は愛媛県で誕生し、2007年に品種登録されたばかりの新品種であるとともに愛媛でしか栽培許可のない柑橘のためご存じない方もいらっしゃると思います。甘平は、「西之香」✕「ぽんかん」いいとこどりの優良品種です。甘平は、栽培がとても難しい柑橘です。大玉果なのに外皮が極端に薄いことから、夏の成長期には外皮の成長が追い付かず、果実がわれてしまう「裂果」が非常に多いのです。みかんのように普通に栽培してしまうと全体の30%も裂果し、裂果対策をしても15%は裂果してしまうというデータが出ています。最後の収穫を迎えられる甘平はとても貴重で、生産部スタッフの努力の賜物なのです。栽培過程で割れてしまうほど、はちきれんばかりの果肉がギッシリ詰まっている甘平は糖度が高く、濃厚な味わいと独特のシャキシャキとした食感です。」

 確かに「訳あり甘平」の箱の中には、裂果しているものもあった。味に問題は、まったくなかった。薄皮〈瓤嚢膜(じょうのうまく)〉がはちきれて中からツブツブ〈砂瓤(さじょう)〉が飛び出しているプリプリ感がたまらない。

 日本には美味しい果物がたくさんある。近隣国では、虎視眈々と苗木や種子や栽培法をねらっている。20数年前、オーストリア・ウィーンの最大マーケット街「ナッシュマルクト」で売られていたリンゴ「ふじ」は、すべて韓国産だった。今イチゴ、シャインマスカットなど、日本の農家が長年苦労して、品種改良して作り上げた果物や農産物や家畜が、不法に持ち出されている。お人好しで優しい農家を政府は守れない。やられっぱなしなのがかわいそう。愛媛でしか栽培ができないという甘平も被害にあわなければいいのだが。


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