団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

新しいウォーキングシューズ

2023年03月30日 | Weblog

  散歩が日課である私にとって、靴はとても大事だ。糖尿病の知覚障害で、足裏の感覚が異常に敏感になっている。いろいろな靴を試した。靴下もタンスの引き出しからはみ出る程、買って試した。靴の中敷きも下駄箱に積み上げられている。どれもこれもしっくりしない。日課の散歩も、靴、中敷き、靴下のどれがおかしくても、楽しさは半減する。何とか良いモノを見つけようとテレビ、ラジオ、ネットなどでCMや投稿を見ていた。

 ある日「まるで転がるような新感覚な歩き心地」のウォーキングシューズの宣伝文句に目がとまった。75年間生きてきて、分かったことがある。自分がモノを売るのには不向きだが、買わされるよいカモだということ。店員が勧めることを鵜呑みにしてしまう。特におだてや誉め言葉にはイチコロだ。宣伝文句にもニコロ。あまりの節制の無さに、買い物依存症かもと思ったこともある。

 「…転がるような…」なには、抵抗があった。「…新感覚な…」に売り手の罠に近づいた。「…心地」で捕まった。私は、勝手にその靴を履いて、いい心地になった自分になっていた。夢をみてしまう。宣伝する側の思う壺である。散歩を“新感覚”でしてみたい。散歩をして“心地”よく感じてみたい。清水の舞台から飛び降りてみよう。買うことにした。ダメだったら、3人いる孫の一人が小学校5年生で足のサイズが26㎝なので26.5の私の靴を履ける。他の2人は、すでに29㎝を越えてしまった。

 KEENというアメリカのオレゴン州のメーカーのWK400を注文した。(青いのが底が弓なりのKEEN,黒はそこが平らなKARHU)2日で届いた。さっそく履いて散歩した。確かに歩きやすい。そこが弓なりなので脚を動かしやすい。普段使わない脚の筋肉を使うらしい。約40分間5千歩の散歩を終えた。“新感覚”であった。でも“心地”はまだ疑問符だった。2日目、3日目だんだん足になじんできた。これなら孫に送らなくても良さそうである。妻は、私の靴、靴下、中敷きの買いあさりにほとほと呆れかえっている。理解して欲しい。もう新しい服を買うこともない。飲み屋へも行かない。毎日家にいて漢字パズルをして留守番する。だから散歩を気持ちよくできるための出費を許して欲しい。

 とても気に入ったウォーキングシューズだが、この靴は、車の運転には不向きである。階段の上り下りにも注意が必要。あくまでも歩くためだけの靴だと思う。今日も晴れそう。桜は散り始めた。この新しい靴を履いて、散る桜の花びらの中、桜並木のトンネルを歩く。


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瞳孔が開いてままで見た桜

2023年03月28日 | Weblog

  3月25日土曜日、眼科医へ行くのに妻が付き添ってくれた。私は、糖尿病なので糖尿病の主治医に1年に1回は、眼科医で眼底検査をするように言われていた。眼底検査をする時、検査の前に瞳孔を開く薬を点眼する。検査が終わっても、この薬、半日ほど影響が続く。車の運転はできない。歩くときも視野がぼやけて危険である。妻が一緒だと、危険を回避できる。今回は、最近、友人の多くが白内障の手術を受けているので、私も心配になって、白内障の検査も受けることにした。

 私にとって悪い結果を予想していた。歳のせいか性格なのか、物事悪い方へ悪い方へとらえがちである。瞳孔が検査を受けられる状態になったので、まず眼底の写真を撮った。その後眼科医の診察を受けた。妻も診察室に一緒に入った。あまりの患者の数が多く少々疲れ気味だったが、感じの良い医師だった。結果は、眼底も白内障も問題なしだった。嬉しかった。

  すでに前の検査から4年は経っていた。以前の眼科医が、あまりに横柄な態度だったので、眼科嫌いになっていた。糖尿病の主治医からもそろそろ眼底検査を受けるよう言われていた。妻が土曜日でも診療している眼科医を探してくれた。やはり検査を受けて良かった。12時前に会計を済ませて眼科医院を出た。帰宅途中、妻の好きなラーメン屋へ行って見た。いつもは、客が店の外に並んでいて、1時間以上待つことが多い。雨が降っていたせいか、前に二人の客しか並んでいなかった。ワンタンメンを食べた。検査の結果が悪くなかったので、普段の数倍も美味かった。

 バス停から家まで傘をさして歩いた。雨で太陽の光で眩しくてちゃんと歩ける状態ではなかった。しかし道路にひかれた白いセンターラインや横断歩道の塗料は、まるで夜光塗料に光が当たったように目に眩しく目を開いていられなかった。家の近くの桜は、雨の中、必死で、満開の宣言を拒んでいるかのように、健気に美しく咲いていた。細い目を更に細めて、桜の木を見た。息をのんだ。何という光景だ。ネパールとインド国境の森の中で見たホタルの木のようだった。花びら全ての一枚一枚が、ホタルの光のようにキラキラ輝いていた。眼底検査を受けるために開いたままの瞳孔が、素晴らしい景色を見せてくれた。老化も悪いことばかりではない。長い年月をかけて蓄積してきている、美しい貴重な過去の経験が、事あるごとに思い出される。来年も桜の季節に眼底検査を受けて、もう一度、この光景を見てみたい。


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花粉、菌、砂

2023年03月24日 | Weblog

  まさか私が花粉にやられるとは。長い間、花粉の季節になっても、他人事だと高をくくっていた。電車の中やバスの中で、連続してクシャミをする人、目を真っ赤にしている人、鼻をグズグズさせている人を見ると気の毒に思っていた。

 友人が白内障の手術をしたと言った。私も目に違和感があったので、眼科医にかかろうかと思った。なぜか私は、身近に起こったことを聞くと、自分もそうでないかと勝手に思い込む。妻に相談すると「花粉症かもしれない。花粉症に効く良い目薬出たから使ってみたら」と言われた。参天製薬の『アレジオン』。妻にその目薬を差してもらう。「口は開けなくてもいいの」と言われた。幼い頃から、私の口は、付和雷同というか他の器官と連動しやすい。あら不思議。即効。目のシャバシャバが消えた。ということは、花粉症!

 花粉は目に見えない。目に見えないと言えば、コロナ菌も見えない。見えないモノは、不気味である。私たちがチュニジアにいた時、姉家族が遊びに来た。砂漠ツアーに案内した。“鉄のラクダ”とチュニジアで呼ばれているトヨタのランドクルーザーに乗って砂漠に入った。運転手が「砂嵐が来るので、ここで待機します。何かで口を被ってください。大丈夫ですよ。嵐はすぐに通り抜けます」と言った。そう言い終わらないうちに、ベージュ色の霧のような雲のようなものが、車に迫って来た。まるで津波のようだった。太陽の光は、一気に寝室のレースのカーテンを通り抜けた月の光のようになった。恐かった。締め切ってあった車の中が、ホコリが立ち込めたかのように薄暗くなった。誰も何も言わない。言えないはずだ。皆息を止めていた。数分だったが、ひどく長く感じた。嘘のように元のチュニジアの青い空が見えた。

 次の観光地でフイルムを買った。富士フイルムだった。フイルムは、アルミでパックされていた。アルミを破ってフイルムを取り出した。なんとフイルムの周りに細かい砂の粒子がついていた。私は、目を疑った。どうやって砂がこのアルミを通して中に入ったのか。地下鉄に電車をどう入れたのか、どころの話ではなかった。少し前に遭遇した砂嵐の恐怖以上に、目で見えない細かい砂の凄さに戦慄を覚えた。

 花粉、菌、砂これらの小さなモノが空中を浮遊する。それを人間や動物や植物が体内に入れる。それが致命的な結果をもたらすこともある。長い年月をかけて、生き物は、それらの微小物から身を守る術を学び進化を続けてきた。歴史上、人類は幾多の感染症と闘って来た。今回のコロナも近い将来、克服できるであろう。

 ネットに『「群衆」は「文明をむしばむバイキン」である』という記事があった。フランスの社会心理学者のギュスターヴ・ル・ボンの『群集心理』を引用して記事は書かれている。群衆はバイキン、群衆の中の一人である私は、いい気はしなかった。読んだ。難しかった。現代では、このバイキンはどうやらインターネットなどのSNSでの情報の中に潜み増殖しているという。確かにSNSには、匿名で他人を誹謗中傷と言いたい放題な書き込みで溢れている。フィリピンから携帯電話を介して強盗を指示していたルフィ事件などもこのバイキンのしわざであろう。群衆は、催眠術師のような扇動的指導者に簡単に騙されるという。プーチン、トランプ、習近平などが思い浮かんだ。

 花粉も菌も砂もネットで飛び交う情報も目に見えない。だからこそ恐い。どうすればいいのだろう。心の目を鍛えよう。心には、花粉も菌も砂も入って来られない。


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満員御礼 超満員

2023年03月22日 | Weblog

  人人人。テレビ画面に映るギッシリ満員の人々。大相撲春場所の大阪府立体育会館。WBCワールドベースボールクラシックの第1次ラウンドプールBの東京ドーム。相撲の会場には「満員御礼」の垂れ幕。野球の東京ドームでは切符の売り切れ。

 コロナ禍で3年間以上の長い不安と不自由な日常から解放された人々。ダムに貯められた水が、一斉に放流されたように、コロナ前の生活に戻り始めた。私も多くの人々のように出歩きたいのだが、いかんせん免疫力が低いので、未だに自粛生活を続けている。でもテレビ画面から外の様子を見ていると、嬉しさがこみあげて来る。

 コロナ禍でも相撲、野球などのスポーツは、入場者数を制限したり、人と人の間隔を空けたり、マスクや手の消毒検温などをして、続行されていた。近年の多くのテレビ番組の劣化がひどく、観たいと思う番組は少ない。しかしスポーツの中継は、泥水の汚い沼に咲く、スイレンの花のように、私を浄化してくれるようだ。

 大相撲は、録画しておいて妻が帰宅してから一緒に観る。私は、本心では録画で観るより、実況時に居合わせたいほうだ。我慢していると、テストでカンニングのチャンスがあっても、何とかカンニングするのを抑え込もうとしている心境だ。私は、貴景勝、宇良、明生を応援している。妻は、朝の山と落合と琴ノ若を応援している。落合のことを『シルバーバック』とかってに呼んでいる。とにかく相撲解説者以上に取り組みに、辛口の批評と、時には罵声を浴びせる。医者は、ストレスの多い職業だ。病院で何があっても、それを私に話すことはほとんどない。そんな鬱積を相撲という真剣勝負にぶつけているのであろう。時に、相撲そのものより、妻の様子や言葉のほうが面白いと感じる。

 妻は、野球にあまり関心を持っていない。子供の頃の経験が、影響しているらしい。あの頃、どこに家でもそうであったように、父親がチャンネル決定権を持っていった。野球中継が始まると父親が、画面にくぎ付けになった。テレビの前を妻が横切っただけで、父親は火が付いたように怒ったそうだ。そんな妻だが、今回のWBCには、興味があるのか、勝敗を気にしている。仕事の都合で、実況放送は観られないが、ニュースではしっかり観ている。

 WBCで日本は、ついに決勝戦にまで勝ちあがった。21日の対メキシコ戦は、手に汗握る展開だった。小心者の私は、0:3とリードされた時点で、心臓がおかしくなった気がした。これ以上観ていられないとテレビを消した。いろいろ忘れるためにしようとしたが、どうしてもその後の進展が気になった。テレビよりラジオの放送の方が、刺激が少ないと思いラジオで実況放送を聴いた。ちょうど4番の吉田が、3ランホームランを打って3:3になった。テレビに戻った。なんと9回裏日本はメキシコにサヨナラ勝ち。感動して涙がこぼれた。

 ローマ時代の「パンとサーカス」政策のような罠にはまっているのかもしれない。でもスポーツによって救われている。嫌な事や思うようにいかないことが多い。それでも庶民は、スポーツの真剣勝負を観ようと集まる。「満員御礼」の垂れ幕も「チケット売り切れの超満員」に力強い生きる力を感じる。


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熱海 トゥクトゥク テンプー ミゼット

2023年03月20日 | Weblog

 ネパールの首都カトマンズに住んでいた。日本からシェパード犬を連れて行った。警護のためだった。ある日、散歩しようと犬と家の外に出た。犬も私も、高い塀に囲まれた家の敷地の中だけの生活に、ウンザリしていた。せっかくネパールに来たのだから、肌でネパールを感じてみたいと思った。犬も一緒なので大丈夫だろうと高をくくった。家があった静かな住宅地を抜けて、賑やかな通りに出た。1キロくらい歩くと、どこから集まって来たのか、背後に野犬が5,6匹迫ってきていた。ネパールには、当時まだ狂犬病があった。犬も私も狂犬病の予防接種は、受けていた。私は、子供の頃、野良犬に襲われて、腕を噛まれたことがある。迫りくる野犬の群れは、噛まれた時の恐怖を蘇らせた。野犬は、私のシェパードよりずっと小さくて痩せていた。いくら大きなシェパードでも、群れと戦えば、形勢は不利だ。咄嗟の考えで、通りかかったテンプーを呼び止めた。犬を抱いて乗った。古いテンプーなのか、整備不良なのか、床の3分の2は、朽ち果てていて、下の道路が見えていた。それでもテンプーに乗ったお陰で、難を逃れることができた。

 テンプーとは、3輪車のタクシーである。カトマンズには、このテンプーがたくさんあった。私が子供の頃日本にもダイハツのミゼットという小型3輪車が走っていた。カトマンズのテンプーと同じバーハンドルだった。2輪のオートバイに屋根を付けて車輪を前1輪後ろ2輪にしたものだ。運転はオートバイと同じにアクセルの役目は、バーハンドルの右側のグリップを回して速度を調節する。

 タイにもたくさんこのタイプのタクシーがあった。タイではトゥクトゥクと呼ばれる。私は、カトマンズでのテンプーに1度しか乗ったことがない。タイでも乗ったことがない。タイもネパールも渋滞が激しい。その中をこの3輪車タイプのタクシーは、隙間があれば、入り込んで結構無茶な運転をしていたので、危険だと思った。

 日本に帰国してテンプーの事もトゥクトゥクの事も忘れていた。15日の午後、静岡県熱海市で観光用レンタカーのトゥクトゥクが、歩道に乗り上げ、歩行者3人をはねた。歩行者の埼玉県の大学生西井治樹さん(19歳)が亡くなった。80歳の男性は、ドクターヘリで搬送され、命はとりとめたという。

 熱海は、坂の町。ネパールのカトマンズやタイのバンコックの道路は、渋滞が激しいが、道は平たんである。カトマンズやバンコックの3輪タクシーの運転手は、生活のために運転している。故障の多い車でも、なだめすかして、直せることは自分で修理しつつ使っている。熱海にやってきて、物珍しさとか、海外でタクシーとして利用した懐かしさから、突然3輪車をレンタカーとして借りる。危険この上ない。

 日本は、規制の厳しい国だ。おそらくこの3輪車をタクシーとしては認可されないであろう。レンタカーとして認可されていたことに驚く。

 それにしても観光で熱海を訪れていた大学生が、たまたまあの歩道をあの時間に居合わせたという偶然に心が痛む。私だっていつこのような事故に巻き込まれるやも。亡くなった19歳の若者が、あまりにもかわいそうだ。


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学校の安全

2023年03月16日 | Weblog

  子どもたちが犯罪や交通事故に巻き込まれ犠牲になると悲しい。そうでなくても、日本は少子化で子どもの数が急激に減少している。そんな大切な子どもたちが、犠牲になり命さえ奪われる。75歳になるまで生かさせてもらえた。楽しいこと、美味しいこと、つらいこと、悲しいこと、悔しいこと、嬉しいことなど喜怒哀楽の人生を送った。幼くして、まだこれからの夢ある人生を歩めず、命を絶たれることに言葉がない。

 3月1日埼玉県戸田市の中学校にナイフを持った不審者が侵入してきた。犯人は、17歳の高校生だった。教師の1人が犯人を取り押さえようとして、ナイフで切り付けられた。さいわい生徒にけがはなかった。犯人の高校生は、「誰でもいいから、殺したかった」と言っているという。私は、こういう「誰でもいいから…」という奴の気が知れない。腹が立つ。

 今回の事件の報道の中に、教師が、どう犯人に立ち向かったのかの詳細は、なかった気がする。日本では拳銃や銃や刀の規制が厳しい。しかし包丁やナイフに関して、取り締まる方法がない。

 私は、料理が好きだ。料理用の包丁を多く持つ。数年前、調理中、指先を数ミリ切り落としてしまった。病院に駆け込み、治療を受けた。今でも時々その指先が疼く。普段から私は、包丁の手入れを怠らない。包丁を研ぐ時は、緊張する。包丁を研ぎながら、包丁を研ぐことを、一度でもやったことのある人は、研いでいる包丁で人を殺したいとは、思わないだろうと考える。学校の家庭科で、包丁の研ぎ方を習うのも一案であろう。

 日本では性善説なのかどうか、暴力に対して腰が引けている。今までにも、多くの学校での不審者の侵入による殺人事件が、起こった。一番効果的なのは、退職警官や自衛官を学校警護員として採用して各学校に配置することだ。しかし予算の問題で可能性は、ないだろう。アメリカなどで起こる、ライフルや銃での学校内での乱射事件が、日本で起こる可能性は低い。いつまでこの状態が続くかは分からないが、ずっとそうであることを願う。

 子どもたちを悲惨な事件から守るために、学校に防犯用ネットランチャーを配備することを以前から、私は提案してきた。あれからすでに10年以上たったが、いまだに学校がネットランチャーを配備した気配はない。“サスマタ”を置いてある学校はある。残念ながら“サスマタ”で犯人を取り押さえたという報道を聞いたことはまだない。ネットランチャーで逮捕にいたった話も聞いたことがない。ネットランチャーを勧めるのは、日本に向いているからである。日本は、被害者に冷たく、犯人の人権を重んじる国である。事件後の犯人の事より、被害者を出さないことに重点を置くべきである。

 学校内で、生徒に暴力をふるう粗暴な教師もいる。私は小学校で2度教師にビンタをくらった。威勢がいい教師もいるのだから、ネットランチャーの使い方をしっかり訓練していざという時に備えて欲しい。まずはネットランチャーの配備を実現する。ネットランチャーの製造会社も更に研究して、より犯人を確実に捕らえられるよう改良を進めて欲しい。私は、ネットの材料に蜘蛛の糸の粘り気を付け、発射された時、銀行に置いてある蛍光色の塗料ボールに入っているようなインクが出るモノを考えている。優しく捕らえ、罪を償わせる。そのために逃げないよう確実に捕らえる。万が一、逃走しても蛍光塗料が全身に付着している。

 国の宝である子どもたちを守ろう。金をばらまくよりも、事件を防ぐ、貴い命を守る知恵を出せ。


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日課は散歩 待つのは仕事

2023年03月14日 | Weblog

  散歩が日課になっている。天気が良い日ばかりではない。雨の日は、家から出ない。ウォーキングマシンを使う。持病の糖尿病の合併症で、私の血管は、詰まり易い。薬、食事療法、運動療法を医師に勧められた。子供の頃は、何をやってもすぐ飽きて、続けることが苦手だった。とにかく自分に甘かった。狭心症で心臓バイパス手術した後から、やっと真剣になって自分の健康を考えるようになってきた。医師の勧めることは素直に従うようになった。薬も毎日忘れずに服用している。これは妻が朝昼晩に飲む薬を袋に分けて用意してくれるから出来ている。運動は、一日5千歩を目標にしている。ほぼ99%達成できている。問題は食事療法である。体に悪いモノ、特に糖尿病に悪いモノが大好きだ。コロナ禍、楽しみは食べ物だけ。医師からは、10日に一度だけなら好きなものを食べて良いと言われた。この10日が長い。犬に「待て」を教えてエサをすぐに食べさせないよう教えたことがある。犬は餌を前にヨダレをタラタラ。今はあの時の犬の気持ちがよくわかる。

 散歩の楽しみは、同じ道を歩くので、季節の移り変わりを、あちこちで見られることである。植物、動物、昆虫。道で出会う人々も、時間によって、会う人がだいたい決まっている。いつも同じ時間同じ場所で会う人に会わないと、何か落ち着かない。その時間が長くなると心配になる。今の場所に住んですでに19年経つ。出会う人達の中にも、いつしか見られなくなった人の数は増えている。

 今年も小学校脇のモクレンが咲き始めた。このモクレンが咲くと、そこから数十メートル先の家のミモザが咲く。しかし昨年そのミモザが切られてしまった。楽しみが一つ減った。

 待つのは、仕事だと思うようになった。妻がまだ働いているので、日中ひとりになる。朝7時から夕方7時までの12時間。やらなければならない事はたくさんある。その中でも宅急便の受け取りは、気を遣う。アマゾンの商品の多くは、事前に配達日をメールで知らせてくれる。クロネコヤマトなら、やはりメールで日時が知らされる。郵便局や佐川などだと、いつ届くかわからない。留守にすると『不在連絡票』が入っている。来た時間を見ると大体出てすぐなのが悔しい。

 散歩は、宅急便が来るか来ないか、または来そうな時間を避けて出かける。単調な生活の中で散歩は、待つことを教えてくれる。小学校のモクレンが咲き、桜並木の桜のツボミがだんだん膨らむ。去年の秋、一斉に葉を落としたセコイアの芽が出て来た。待っていれば桜が咲き、セコイアが緑の葉をしげらせる。

 年齢のせいか、一週間が一日に感じる。毎日同じ事を繰り返す生活が原因であろう。会うのも話すのも妻ひとり。頻繁にメールが来ているかとパソコンをみる。孫から友人からメールが入る。目が輝き、口角が上がる。このところある友人からメールが届かない。心配している。相手をおもんぱかって、小心者の私は、連絡できないでいる。自分に言い聞かせる、「待つのが仕事」。待てば海路の日和あり。あみんの『待つわ』♪私待つわ いつまでも待つわ♪の部分だけが響く。

 


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誰から!

2023年03月10日 | Weblog

  アマゾンは、私の生活に欠かせない。コロナ禍で外出を避けて、買い物もアマゾンからの取り寄せが多い。先日、アマゾン発送で妻にワインが届いた。でも送り主の住所も名前もない。不安と懐疑が、コーヒーカップに淹れたカプチーノの表面を、かき混ぜた模様のように交互に襲う。妻も皆目見当がつかないという。

 そういえばずいぶん前に、出産祝いを送った友人の娘さんから叱られたことがある。私は、今の少子化を懸念している。友人知人の家族から赤ちゃん誕生を聞きつけると、嬉しくて出産祝いを贈ることにしている。その友人の娘さんは、アメリカで育った。仕事は、海外企業に就職していた。物事をハッキリ言える人だ。

 叱ったと言うより意見を伝えたという方が正しい。今回ワインが私の家に届いた時と同じで、送り主の名前がなかった。アマゾンで物を買って、誰かに贈り物として発送してもらうには、それなりの手続きをしなければならない。ただ買って、どこどこへ送るだけだと、発送される荷物に送り主は記載されない。友人の娘さんは、出産祝いを受け取って、不信に思ったに違いない。疑心暗鬼。そんな気持ちで、心当たりのある人に電話したのだろう。訳の分からない出産祝いを受け取って、やっと誰からか判明した。ほっとしたのと、産後の不安定な精神状態で、言葉が少しきつくなったのであろう。否は私にあった。

 今回のワインも送り主は、私と同じく、購入して発送を依頼すれば、アマゾンが自動的に送り主を記載して発送すると思ったのかもしれない。

 そんなアマゾンから「Amazonを装った不審なメール、SMS等にご注意下さい」のメールが入った。その時は「へぇ、そんな変なメールがあるんだ」と思っただけだった。まさか自分にそんなのは来ないだろうと高をくくっていた。来ました。10日午前2:20に『Amazonアカウントは停止されました。情報を更新してください。』 早速以前アマゾンから受け取ったメールを再度開いた。まさに「アカウントの一時削除に関する不正行為」の項が当てはまる。不審メールをチェックした。アマゾンからの注意喚起のメールの言うように、日本語が変。いろいろな印字や文字のデザインがイビツ。

 敵はさるもの引っ掻くもの。アマゾンのような巨大企業を引っ掻き回すとは! 恐れ入り谷の鬼子母神!それにしても大胆不敵。おそらくこのような犯罪は、個人と言うより国家がらみに行われているのであろう。便利な時代だ。と同時に便利を逆手にとって、犯罪がまかり通る。天使だと思ったら、天使の中に悪魔が潜んでいる。今の世は、そう思わないと渡れない。性善説か性悪説か。私自身の中にも肯定したい性善説と、否定できない性悪説が渦巻いている。

 妻に送られてきたワインは、身元が判明するまであけられない。そのうちわかる日が来る。アマゾンは、生活に必要である。私が物事の判断ができなくなるまでは、お世話になるつもりだ。それにしても騙す側と騙される側に人がこれほど別れた時代がこれまでにあっただろうか。少なくても私は、75歳まで騙す側にいたことは、ほとんどなかったと信じたい。騙されたことは多い。最後まで油断せず、これ以上騙されることがないようにしたい。


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8mの歩道5mの車道

2023年03月08日 | Weblog

  ネットで「歩道は最大8m…なのに車道は5m」という記事を読んだ。この道路は兵庫県神戸市の市道で現在工事中だ。長さ4㎞の道路で、歩道の幅が8mの対面交通で車道の幅が5m。これでは車幅が3m近いトラックは、すれ違うことができない。

 私が住む町には警察署がない。あるのは交番だけ。それが原因なのか、交通に関しては、無法状態に思える。駐車が特にひどい。対面の狭い道路の両側に駐車なんて普通。ここに住んで20年が過ぎたが、一度も飲酒運転のアルコール検査を受けたこともない。駐車違反で違反切符を切っているのも見たことがない。駐車違反が厳しく取り締まれている他の都市から来た友人知人は、みなここの交通規則の緩さを羨ましがる。時々、警察官が取り締まりをするのは、裏道の一時停止違反を電柱に隠れて見ている。運転しながら携帯電話を使っている違反の検挙ぐらいだ。スピード違反などする場所もない。

 町の駐車マナーが悪いので、交互通行しなければならない事が多い。ニュースになった神戸市の市道程ではないが、ここの中心街の歩道は広い。昔は、賑やかな商店街だったというが、今はほとんどの店がシャッターを降ろしている。私は散歩でこの通りを歩く。歩道が広すぎると感じる。家から駅まで約2㎞ある。歩道がまったくなかったり、あっても1mも幅がない狭い歩道から3m以上ある歩道もある。いったいどういう基準で歩道を設けているのかわからない。

 私は、商店街の歩道の幅を2m以内でよいと思う。その分、有料駐車スペースにして欲しい。昨今、車が歩道につっこみ歩行者を殺傷する事故が多い。道路を走行する車両と歩行者の間に駐車している車両があれば、防護の壁になるのではないだろうか。道路の両側に駐車スペースを設置できなければ、片側だけでも構わない。

 神戸市の歩道8mには、驚いた。お役所仕事とよく言われる。机上でだけで、いろいろ決定している気もする。この8mと決めた根拠を知りたい。私が住む町に通過するのが恐い十字路がある。左折と直進の車線と右折する車線に白い線が引かれている。この幅が狭い。左折直進の車線に車が止まっていると、右折する車は、対向車線にはみ出さなければならない。対向車線だって決して広くない。

 免許証を取ってからずっとゴールド免許だった。他の市で、標識が5,6枚重ねて出ていた交差点で、右折禁止の看板を見逃して右折した。パトカーがサイレンを鳴らして、私の車の前に止まった。右折禁止の違反だった。ゴールド免許が消えた。私は、警察署にあの標識の出し方は、見にくく咄嗟に判断できないと訴えた。数カ月後、その交差点の標識が2枚に減った。大きく『右折禁止』とあった。やればできるじゃん。でも私が住む町で、交差点の車線が狭いことを訴えても、まったく梨の礫で今日まできている。

 自治体や省庁によって、住民や国民の声の取り上げ方が違う。神戸の8mの歩道も、役所は住民が納得できるような説明が必要だ。とかく役所は、いまだに「お上」意識を持つ。もう江戸時代ではない。それでも声を上げ続ければ、動くかもしれない。本来、これこそ議員やマスコミがやるべき行政との橋渡しという仕事だと私は思うのだが。


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いと疾し

2023年03月06日 | Weblog

小学校の卒業式では、『仰げば尊し』を歌った。今はもう反対意見が強く歌われなくなったそうだ。私は、よく意味も分からずに歌っていた。

 先日、『仰げば尊し』の歌詞を全文読んだ。目からウロコが落ちるように今なら意味がわかった。

 ♪仰げば尊し わが師の恩 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ) 思えばいと疾し(と) この年月 今こそ別れめ いざさらば♪

 私は「いと疾し」は「おととし(一昨年)」と思い違いだった。「はや幾年」は、なんとなく「歳が過ぎるのは早く、もう何年も経った」というような意味だと分かった。「いと疾(と)し」を「おととし(一昨年)」と思い込んでいたので、ここで「はやく年月が過ぎたのは、一昨年の事なのに、もう別れの時だ、さよなら」と解釈。これで分かったと思っていた自分が恥ずかしい。歌詞を字で読めば、“いと疾し”の“いと”は、古文でならった“いとおかし”の“いと”である。“いと”は「とても」とか「たいへん」と現代語では言う。“疾し”は、何のことはない「疾風のごとし」などに使われている“疾”で「すばやい」「早い」の意味。長い間そうだと思い込んでいた事の真相が分かった。75歳になって初めて気づくこともある。こんなに長く生きて来ても、知らないことがたくさんある。

 今の卒業式がどう行われているかは、テレビのニュースでしか分からない。この3年間コロナで卒業式も、すっかり今までとは違う式になっている。それにしても体育館で折り畳みの椅子というのは、寂しい。そろそろ学校も椅子が固定された講堂を持つべきでは。体育館の床に生徒たちが座っているのを見ると、まだこんなことしているの、と悲しくなる。あと教室で給食や弁当を食べるのもやめて欲しい。食堂を持つべきである。国会議員は、立派な議事堂や議員食堂を持っている。以前から国会議員の待遇こそ、日本国民の平均的到達レベルだと私は考える。立派な議場の椅子で、居眠りをしている議員もいる。なのに、なぜ未来を背負う子どもたちが、いまだに体育館の床に座らされ、卒業式でもパイプ椅子なのか。私が小学生の時と変わらぬ卒業式に、私は“いと”おかしく思う。

 卒業式は、別れの時である。私は塾で20年近く教えていた。塾で恥ずかしながら「先生」と呼ばれていた。先生と呼ばれるほどのバカでなし。ここでいう「先生」とは、私を指す言葉だと思っている。塾で教えていた時、卒業生たちが、毎年私に色紙や国旗に寄せ書きをしてくれた。今でも時々、その色紙や国旗の寄せ書きを読む。それは私が生きた証と思える。私が息を引き取り棺桶に入れられる時、私はこの国旗に包まれ、色紙と一緒に旅立てればと願っている。

 塾では毎年多くの生徒に接していた。今は、終の棲家で妻と二人きりの毎日を過ごしている。尋ねてくれる人もない。塾時代、次から次に入塾してくる若い生徒たちに接していた頃と真逆な時間。それでもこうして思い出を大切に、妻と二人きりの生活している。こうした時間を持てるのも、精一杯若い生徒たちに関わることができたからであろう。私が生徒たちから「♪我が師の恩」と歌われることがなかったとしても、私は「♪忘るな 身を立て 名をあげ やよ励めよ ……いざさらば」と彼等彼女らに歌いたい。


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