団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ここはどこ?

2010年04月28日 | Weblog
「あら、先生お久しぶりでございます。お元気でいらっしゃいましたか?」 身なりの良い、痩せた背の高い女性が、杖を脇に座っている70歳はゆうに越している小柄な女性に話しかけた。ただの挨拶かなと思った。ところがこの二人、井戸端会話のように「○○さん入院されて手術受けられたことご存知ですか?」「まあ、あんなにお元気でしたのに」 中々終わりそうもない。ここは町立図書館の閲覧室であって談話室ではない。私の他に男性2人、女性一人が読書中だった。日本人は“先生”という言葉に弱い。弱いというか、先生に意見してはならない、と信じ込んでいる。身なりもそれらしく、風格もある。分別があって当然の年齢に充分達している。しかし中々、“先生”と言葉丁寧な“山の手婦人”の会話は、途切れない。遂にはお互いのご子息、お孫ちゃんの留学だか海外赴任のお話に移った。電車の中なら、私も興味を持って「フンフン、なるほど、それからどうした」と聞き耳を立てるのだが、ここは図書館の閲覧室だ。

 「お話は別な場所でお願いします」と私は懇願した。先生と呼ばれていた老婦人の手が杖に伸びる。私は、手打ちにされるのかと身を固くした。中々の鋭い眼力。私のショボショボ目に久々の敵意が飛び込んだ。背の高い婦人が「申し訳ございません」とばかに「ん」に鋭いハネテン口調で答えた。冷たい。シベリアの寒気団並みの心のないお言葉。周りの男性女性に助けを求めるような私の弱気の流し目。「だから触らぬ神に祟りなしなのに」の視線が無視を決め込んだ顔の傾き角度にのせられて帰ってきた。できればカウンターにいる図書館職員がもっと早く注意してくれれば、と後悔した。壁の「私語はご遠慮ください」「図書館内で他の方の迷惑行為を禁じます」「置き引きに注意!」を上の空で私の目が追って読んでいた。キツイ両婦人の視線に身をさらし、じっと推移を見守った。背の高い婦人が深々と先生に何度もお辞儀して「失礼しました」と私を見据えて出て行く。私は読みかけの本を脇に置き、会釈を紳士然と返した。

 日本で他人に意見するのは難しい。年齢、職業、学歴、男女の性別、服装がその条件を満たさなければならないらしい。悪いことは悪い。素直な心で他人の忠告を聞ける態度を身につけたい。もっとあっけからんと飄々と、人々と共生したいものである。結局私は、本を読む集中力を失くした。その本を借り出すことにして、“先生”と他の方々に頭を下げ閲覧室を出た。図書館から外に出ると久々に陽の光が眩しい。気持ち良さそうなので、歩いて家に帰ることにした。アメリカの漫画『スヌーピー』でライナスが言った「人類は好き、人間は嫌い」が、行き交う人々を見ながら頭をかすめた。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

飛ばない飛行機

2010年04月23日 | Weblog
 アフリカの飛行場で、時々飛行場に駐機したまま飛び立たない飛行機を見た。後でその航空会社がジェット燃料を買えず、そこの駐機したままでいることを知った。ジェット燃料や離着陸時の空港使用料は、現金決済だという。港に船が入港して、タグボートを利用したり船先案内人への支払い、岸壁に停泊する場合にも現金で決済されるという。航空界や港湾界にはまだ“いつもニコニコ現金払い”の標語が生きている。現金決済は、不便だけれど、とても良いことだと思う。アフリカの空港で飛行機が未払いで留め置きにされたままになっていたということは、きちんと規制が遵守されていたことを意味する。

 今回の日本航空の倒産で、日本政府は日本航空の飛行機の運航に支障をきたさないようにすると宣言した。つまり私がアフリカの飛行場で立ち往生していた“飛ばない飛行機”の二の舞はさせないと宣言したのである。これで日本航空が飛来する空港での利用料の支払いは、日本政府の保証を得たことになる。日本航空の飛行機が日の丸つけて、世界あちこちの空港で離陸を許可されずに、機体を空港の片隅にさらされること心配は消えた。メデタシ、メデタシと言いたいが、それもこれも国民の税金で回避されたことを考えれば、喜んでばかりもいられない。 今回のアイスランドの火山の爆発による空港閉鎖は、あちこちの主要空港で多くの飛行機を足止めさせた。私は、ぜひともその際の離発着料と駐機料の清算実態を知りたいと思う。しかしどの新聞を捜してもこれに関わる記事がなかった。ただ今回の火山爆発による航空業界の損失がいくらだったと書いてあっただけである。新聞記事には、このように自分が知りたいと思うことすべてが報道されるわけではない。新聞記者の書く能力が尋常なものでないことが分かる。多くの読者の知る権利を満たせる記者こそ名記者であろう。

 今回の空港での足止めニュースを見ながら、2001年心臓発作をチュニジアで起こし、精密検査のために妻をチュニジアに残し私一人で帰国した時のことを思い出した。チュニジアを出発する時、すでに3時間の遅れがでた。パリのシャルル・ドゴール空港に到着した時、すでに搭乗するはずだった成田便は出発した後だった。これから受ける精密検査への不安、心臓発作が再発したらという不安だけでも精神的許容範囲の限界を超えていた。乗り遅れ、次の便が30時間後と知ると心臓が鉛のように重くなった。チケットの変更にエコノミークラスは、150人の乗り継ぎ客に一人の航空会社社員が対応していた。チケットを次の便に変えるだけで3時間半かかった。次の列に2時間並んで、4回の食事券をもらった。ビジネスクラスとファーストクラスの客は、特別待合室でチケット変更をしてもらい、パリ市内のホテルに宿泊できると聞いた。あの日ほど格差を感じた日はなかった。金さえ払えば、違う待遇が買える。マンジリともせず空港内の乗り継ぎ客用待合室の固いベンチの上で過した。あれだけの時間をかけてやっとたどり着いた日本の病院の精密検査を受けると、狭心症で即心臓バイパス手術と診断された。ところが手術室の改装工事で3ヶ月入院したまま医師の監視のもとで待たされることになった。

 この経験が私に待つことの我慢を教えてくれた。今回のアイスランド火山爆発で、多くの空港でただひたすら次の展開を待ち続けるエコノミー客のしたたかさに同胞の意気を感じ、「ご苦労様、良いこと学んでいるね」とねぎらった。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魔がさした

2010年04月20日 | Weblog
 若林元農水大臣が国会で席を離れていた青木議員の議決ボタンを押した。この“代弁的議決行為”を指摘されると自民党議員としては異例の議員辞職が即発表された。若林氏は「魔がさした」と記者会見でうそぶいた。「信濃の国」を事あるごとに唄う同じ県民として聞き捨てならない。

 「魔がさした」を聞いて古い記憶が呼び戻された。高校のクラブ活動で所属した部の先輩が東京大学に合格した後、市内の書店で万引きした。この事件は、新聞にも載った。当然先輩は、東京大学の合格が取り消された。先輩の父親は、学校教師だった。厳格に育てられ、高校の成績も常にトップグループに入っていた。将来は外交官になりたいと後輩に話していた。その先輩が書店で千円もしない本を万引きした。優等生の先輩がなぜこんなことで自分の将来をメチャクチャにしてしまったのか、劣等生の私には理解できなかった。家で両親に先輩のことを話した。父親が「魔がさしたんだな、きっと」と言った。私が「魔がさした」を耳にしたのは、あのときが初めてだった。 ショックだった。私は、本屋が大好きで時間があれば本屋を歩き回っていた。学校の図書館や市立図書館には、たくさんの本があるのだけれど、本屋の本は独占欲を満たす摩訶不思議な魔力が潜んでいた。本は未知の世界への入り口だった。本が導く自分だけが浸られる空間に憧れた。

 私の本へのあくなき執着をみて、私の父は、私に「どうしても欲しい本があるなら、山崎書店のおばさんに渡して家に届けてもらいない。代金をその時払うから」と言った。父は、見事に私の万引きの芽をもぎ取った。あの本もこの本も欲しい。でも家の経済状態も知っている。私の心の闇で「誰も見ていない。今なら見つからない。抜け」と思ったことも数回ある。父を裏切ることはできなかった。父の配慮のおかげで先輩の二の舞を踏むことはなかった。誰の心の中にもすべての善と悪が棲むと云う。新聞に警官や裁判官でさえ、万引きしたり盗撮したとでる所以である。

 若林議員は、東京大学法学部を卒業して農林水産省に入省している。私のクラブの先輩も東京大学を卒業していれば、違った人生を歩んだであろう。先輩は、世に出る前に10代後半で魔がさした。若林議員は、大臣までつとめてこの世をこれでもかと謳歌し最後につまずいて本性をさらけだした。年金、退職金も国会議員退職者特権すべても付加される。後継者に自分の息子をちゃっかり決めている。「魔がさした」と言うわりに手回しがいい。小学校の3,4年で担任だった小宮山先生は、「始めよければ終わりよし、終わりよければ、すべてよし。最後の一段気をつけろ!」と教えた。何のことはない、いつも気を抜くなという訓えだった。

 信濃の国は長野県県歌と言われ、いつしか口ずさんでしまうほど長野県の人間の右脳に沁み込んでいる。4番の最後に“文武の誉たぐいなく 山と聳(そび)えて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず”とある。若林正俊の名は、どう後世に残っていくのだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

築地

2010年04月15日 | Weblog
 カナダのマニトバ州ウニペグ市の白熊ツアーは、有名である。このツアーに参加すると北極圏の白熊の生息地に行って真じかに白熊を観ることができる。動物園ではない。白熊は、檻の中にでなく、観に来た人間が檻のお中にいる。ヘリコプターで檻を釣り上げ、人間の入った檻を白熊のいるところに置いてくれる。白熊は人気がある。私はそこまでして白熊を観たいと思わない。これといった観光資源のない小麦畑がどこまでも広がるマニトバ州でこの白熊ツアーは世界中から観光客を集めている。

 築地市場は、日本の大切な観光資源である。外国人観光客をマグロの競り場から締め出すなどもっての外だ。観光ほどおいしい産業はない。ましてや観光立国を目指すのなら、この築地という貴重な観光資源をなおざりにしてはならない。いかにしてこの貴重な観光資源を有効活用するかを考えることが先決である。外国人観光客を追い出すことは、日本独特の逃げである。

 やれ外国人に日本人のような行儀良さがない、日本文化を理解できるのは、日本人だけである、神聖な職域に異人を入れるなとなる。どこかで聞いたことばかりだ。朝青龍問題、酒の杜氏、相撲の土俵作り、青函トンネルの工事現場。やれ男だ女だ家柄だと騒ぐ。

 2010年度東京大学の入学式の式辞で学長が「国境なき東大生になれ」と述べた。最高学府の学長が最難関大学の合格者にこのような訓示をしなければならないほど、日本の国境は依然として堅固に立ちはだかっているのだろう。最近の日本の世相は、「面倒くさい」に支配されている。国境を取り除くことは実に面倒くさい仕事である。国境なきを標榜するならば、面倒くさい作業をひとつひとつ解決していかなければならない。築地市場の市場関係の一部の者のように、外国人観光客を小突いて「邪魔だ、どけ!おら」では何も始まらない。

 そこで提案したい。日本産業界得意の技術力をいかして、連結した檻の中に観光客を閉じ込め、築地のマグロの競り場内を客を乗せた車両を連結し電気自動車で牽引して案内する。檻といったのは、マニトバの白熊ツアーを連想したからである。語弊があるなら観覧車と呼んでもいい。

 国境をなくすれば、ありとあらゆる文化思想哲学を持つ人々と接触せざるを得ない。そこをユーモアのセンスを持って洒落たオモテナシを展開すればよい。触るな、入るな、立つな、乗るな、と言えば、多くの人間は、自動的に反対行動をとると思えばいい。それらすべてを封じ込めるには、檻が効果的である。清潔で無公害で機能的なスマートで面白い檻を日本なら作れる。築地市場は東京都の管轄だ。ある意味民間会社より役所のほうが規約規則を作り施行するのが早くてうまい。ぜひ東京都が率先して観光立国へのリーダーシップをとって欲しい。

 多くの外国人観光客が築地市場を観光し、まわりの寿司屋で美味しい寿司を食べ好印象を持ってくれれば、クジラ、マグロ問題にもまた違った意見を持つ外国人が増えるだろう。それこそ国境なき日本のオモテナシである。旅行は偏見も産むが、理解や味方も産む。

  拙著『ニッポン人?!』青林堂 114ページから118ページ「築地」で築地のことを書いた。ここに抜粋する。

『ボッドスキーさんは、ボーイング社の航空機メインテナンス日本駐在技術主任だった。渋谷の松涛に住んでいた。 ボッドスキーさんの楽しみは、毎週土曜日の早朝、築地へ買出しに行くことだった。シアトル出身で海産物が好きだった。 私は、週末に上田から、泊まりで遊びに来ていた。一緒に築地に行こう、と誘われた。朝四時に起きた。ボッドスキー夫妻はまるで日本の魚屋のようにゴム長靴を履き、竹製の籠を肩にかけていた。まだ乗客もまばらな山手線で新橋へ行った。駅前から築地市場行きのバスに乗った。 築地に着くとまず食堂へ直行。味噌汁、納豆、生卵、焼き海苔付きのイサキの焼き魚定食を食べた。夫妻はとにかく日本が大好き。日本人がすることは何でもする。納豆をかき混ぜ、卵を割り入れ、醤油を少しかけて、暖かいご飯にのせる。箸を上手に使って美味しそうに食べた。 腹ごしらえができると市場に入った。ゴム長が正解。私は、魚臭い水溜りを避けながら、ズボンの裾を汚さないようにして歩くのが、精いっぱいだった。夫妻は「鯛だ、スズキだ、ヒラメだ、ブリだ」と目を輝かせてあっちへ行ったりこっちへ行ったりした。どちらが日本人か判りやしない。魚の名前も産地も良く知っていた。仲買人とも顔見知りで、挨拶もいそがしい。結局その日は、いき締めのヒラメとスズキ、まだ生きているミル貝を買った。 松涛に戻ると、夫妻は、割烹着になり、ヒラメをこぶ締めにし、スズキの半身を『洗い』にして、残りを切り身にして塩焼き用に下ごしらえをした。ミル貝もバター焼きにできるよう準備した。 その晩、私は日本の料亭にでも来たかと、錯覚するほどの和食を、日本酒を飲みながらいただいた。私は、日本料理を本気で習う決心をした。二十年前のことだった。』

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国旅行②

2010年04月12日 | Weblog

 2日目は、高知市内の坂本龍馬博会場から観光が始まる。駅前の広場に龍馬博の特設会場があった。一旦会場に入ったが、面白くなかったので外に出た。駅ビルの本屋がすでに開いていた。地方の本屋には、その地方だけでしか入手できない本がある。その中には優れたものも少なくない。本屋の目立つところに龍馬に関する本のコーナーが設けられていた。その裏の棚にジョン・万次郎や岩崎弥太郎の本があった。数冊買った。龍馬博より私には嬉しかった。

 桂浜を観光し、バスは四万十川(写真参照)へ向かった。

 家の近くの干物屋に去年の夏、四万十川の鮎と書かれた干物が売られていた。一尾300円だった。私は、眉に唾をつけたくなった。あんなに遠くから運ばれてきた鮎にしては安すぎると思った。店のおばさんに「これ本当に四万十川で獲れた天然鮎?」とは聞けない。ちかごろ産地偽装は、日常茶飯事となっている。多分おばさんの答えは「養殖した鮎を四万十川の水で泥抜きして加工したんよ」あたりだろう。いつか四万十川へ行ってみようと思っていた。行けば、真実がわかるかもしれない。こんどの旅はそういう目的もあった。 四万十川、名前そのものが魅力的だ。バスガイドによると語源は、アイヌ語のシマント(美しすぎる)からという説と、たくさんという意味で使う“ごまんと”を五万十として、最初五万十川にしたが、五万は多すぎるので遠慮して五を四にして四万十川にしたそうだ。私にとって語源はどちらでも良い。シマントという語感が心地良い。そして四万十川が、日本で最も汚染されていない、漁業資源が豊な川であることに興味を持っている。

 私が観光船に乗ったのは、河口近くの流れが実にゆったりしたところだった。観光船の船頭は、普段は漁師として川で漁をしているという。年齢は、40歳ぐらいの働き盛りである。痩せてはいるが、いかにも筋肉質の体つきをしている。生活が豊かなのだろう。言動にも体の動きにも余裕がみられた。船頭は、ひとりで20名ぐらいの観光客が乗った観光船を一人で操舵もするし、ガイドもする。観光専門ガイドと違って、普段漁をしている漁師である。説明が具体的で、尚且つ面白い。ツアーはガイドで決まる。このガイドならと、私の住む町の干物屋の鮎のことを質問した。彼は「四万十川の鮎でありえない。理由は、値段が安すぎることと四万十の鮎は、干物にするほど大量には獲れない」と言った。なぜか私はほっとした。

 観光船には靴を脱いで乗船していた。気がつくと私以外のほとんどのおじさんたちは、5本指ソックスだった。健康志向というか金太郎飴というか、世間を知るのに、とても参考になった。

 バスは足摺岬の近くの2泊目のホテルに到着した。1泊目でツアー料金とホテルの質を思い知らされたので覚悟していた。ところがである。2泊目は、思いの他良いホテルだった。さすが旅行社は、心理的作戦をこうじている。最初に「お客様、料金をご確認ください。これが精一杯です」と客をねじ伏せる。2泊目はそこそこのところ。そうすると3泊目は、「こんなに立派なホテルに泊まれるのか!」と言わしめるようなきっと立派なホテルで、次回ツアーの参加につなぎとめる。「旅行会社、おぬしもワルよな~」と考えた。結果はその通りだった。

 ジョン・万次郎のことは、あらためて『ジョン・万次郎』と題して書きたいので今回はあえてジョン・万次郎のことは書きません。私は、足摺岬のホテルの屋外でジョン・万次郎が見た夜空を見上げ、太平洋を眺め、今まで知り得たジョン・万次郎像と対峙し思いをめぐらせた。私は「来てよかった。旅行のプレゼントありがとう」と風呂から戻ってきた妻に言った。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

四国旅行①

2010年04月07日 | Weblog
 1ヵ月前、目の疲れがひどく、肩もはって私のオタク仕事がはかどらない日が続いていた。妻が「そうだ、旅行に行こう」と四国の『四万十川と足摺龍馬ゆかりの土佐高知4日間』をプレゼントしてくれた。3泊4日飛行機代込みで一人29800円。飛行機の往復正規運賃だけでも一人5万円はする。そこへホテル3泊分一泊一人一万円として3泊だと6万円。別途貸し切りバス合計400キロ以上分の交通費と観光代を加算したら、普通の個人旅行ならば20万円以上かかる旅だろう。

 旅は列車か船かバスが良い。目的地に出迎える友や知人がいるか、パック旅行以外の何でも自分でしなければならない個人旅行は、年齢的に億劫である。もう飛行機には乗らないと決めていたが、いとも簡単にまた飛行機での旅行を、私は、あっさり値段で受け入れた。妻は、とにかく私をパソコンから引き離したかったのだろう。その意味では、この旅行は正解だった。なぜなら4日間、パソコンに触ることもなく、バスガイドや観光地の案内人の説明をメモ帳に鉛筆で書き入れた。右だ、左だ、上だ、下だと首を動かし、目と耳を総動員して観光できた。

 以前から龍馬にはそれほど思い入れがない。ましてや生来へそ曲がりで、世の中が「龍馬、龍馬」と騒げば騒ぐほど、距離を置きたくなる。今回も極力龍馬関係は遠慮した。ジョン万次郎には、引かれるものがある。ジョン万次郎の生まれ育った中浜村を見て、四万十川が見られるなら、とありがたく旅の誘いを受けた。

 11日の朝4時に起き、朝食をしっかり食べて羽田に向けて電車で向かった。羽田から全日空の高松便に乗り高松空港の集合場所にはなんと合計87名の参加者が集っていた。参加者は、年金組の夫婦連れがほとんどで、若者はたった3人である。添乗員はいない。この価格では無理だ。3台のバスに分乗。バスガイドが添乗員の代わりをする。一日目に興味のある観光地はなかった。金比羅宮から大歩危小歩危とまわり、高知に入った。ホテルを見て驚いた。セネガルのダカールで入居した築35年の官舎よりみすぼらしい建物だった。旅行代金は、苦情、文句を黙らせる。全ては覚悟していた。ホテルの部屋も風呂も久しく目にしなかった代物だった。風呂のタイルの壁が1メートル四方崩れていて、ビニールテープで補強してあり、「崩れる危険があるのでお気をつけください」と貼り紙があった。私が入っていると他の客が入ろうとサッシの戸を脱衣所側から開けようとするが開かない。私と両方から開けようとタコのように顔を真っ赤にしてやっと動かした。全裸で壁のタイルに押しつぶされることもなく、頑として開かない戸で風呂場に閉じ込められることもなく部屋に生還できた。

 1日目の夕食は、パック料金に含まれていない。暗い川の土手を歩いて繁華街に出て、食堂で日本酒のお銚子一本を二人で飲み、カツオのたたきを食べ部屋に戻り、畳の上の布団にもぐりこんだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

起死回生案

2010年04月02日 | Weblog
 参議院議員選挙が近づき、町のあちこちに選挙を意識したであろうポスターが張り出されている。現在の参院勢力図は、民主党109名、自民党82名、公明党21名、共産党7名、社民党5名、国民新党5名、革新クラブ4名無所属その他7名である。このうち改選されるのは、半数の121議席である。私は、日本の政治が、拮抗した2大政党制になれば良いと願っている。

 先の衆議院選挙で多くの日本国民は、民主党ならきっとこの低迷する日本を救ってくれるかもしれないと一票を投じた。結果民主党の大勝利となり、あれだけ多くの当選者をだした。民主党は、まるで自分たちの力で勝ったと勘違いしている。選挙民は、今回の選挙で1票の持つ力を充分、感じ取った。ところが現状のテイタラクである。国民性というか、国会議員性のあまりの金太郎飴のような均一さを思い知らされた。こうなれば、2大政党制のギッタンバッコンするうちに、政治家として成熟してもらう以外道はない。

 さああと100日あまりで7月の参議院選挙である。選挙民は、再びその1票の力を行使できる。去年の衆議院選挙で私たちは、1票の力を知ることができた。選挙が楽しみである。沖縄普天間基地問題、鳩山首相、小沢幹事長、小林議員の金と政治問題、選挙公約不履行問題など混迷する民主党だが、参議院選挙には前向きである。参院での民主党単独過半数獲得を目指す。政権の安定、定着化にやっきである。1年生衆院議員が事業仕分けに参加するはずだったが、小沢幹事長の「1年生議員には、荷が重過ぎる。経験がなければ、できる仕事ではない。1年生は、地元に頻繁に戻り、次の選挙での当選を目指すべきだ」のひと言で、事業仕分けから外された。だが鳩山首相は、あまりの民主党の支持率低下に驚き、事業仕分けに1年生議員も参加させると言い出した。事業仕分けの意義を多くの国民が認めたから、これも参院選へ結び付けようという鳩山流の策である。

 自由民主党の参議院議員選挙における起死回生の策がある。おそらく旧態依然の壁を超えられない石頭の国会議員バッジ権力特権依存症の面々が耳を傾けることはないだろう。それを承知で、あえて言わせてもらう。先の衆院選挙の比例代表で当選した55名全員が今度の参院選挙に衆議院を辞職して、立候補する。当然衆院では、自民党の比例代表の順位によって55名が当選補充される。補充されれば、衆議院における自民党の議席総数に変化は生じない。数字的な詳細は、調査できていない。今回の参院では選挙区73名比例代表48名が改選となる。衆院から55名は先の選挙における獲得投票分析によって選挙区か比例代表かに分ける。今の自民党が、自民党のポスターで謳う『再起動・再出発』を本気でやろうとしているかは多いに疑問である。しかし組織ぐるみでなりふり構わず一丸となれば、好機を活かせる。選挙に投票する国民も、自分のことより党としての政権奪回の意気込みを評価し、応援する気持ちにもなる。自民党が民主党の単独過半数を拒めば、次の衆院選でさらに議席数の上乗せが可能になる。ただ国会議員の中にさえ、衆院の優越、参院の軽視がまかり通っているならば、自民党の再生に決断実行できるとは思えないが。

 所詮、数の倫理を構成する個数の国会議員が、自分の身に火の粉が飛んでくれば、議員バッジを外さないことしか考えない。バッジがなければ、ただのひととなる。自民党が自分党になり、空中分解してしまうこともありうる。私は、ねじれ国会化しても、ここは自民党に参院の議席を増やして、民主党の独走を止め、ガラガラポンの大編成があり、保守勢力と革新勢力の2大政党時代の到来を期待したい。
 選挙で投票する張り合いと一票の重さを感じる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする