団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

鷺舞

2009年07月31日 | Weblog

 家の前を流れる川に一羽のアオサギが住み着いている。最近旅した島根県の津和野には、たくさんのサギがいた。田にも川にも数多くのサギが群れをなして生息していた。鷺舞という有名な踊りは、生憎の大雨で公演中止となり見ることができなかった。

 家の前の川にいるアオサギは、常に一羽で行動している。そんな姿に私自身を見る気がしないでもない。見た目、少し歳をとっているようにも見える。このアオサギ臆病である。私がカメラを向け、シャッターを切る音ですぐ逃げてしまう。ずっと魚を捕まえる決定的瞬間をカメラで撮れなくても、自分の目で見たいと思っていた。

 昨日の
朝やっとその時がきた。このところの降り続いた雨で、川は増水していた。治水工事がされていてこの川は、あちこちに段差があり、そこに魚道が通されている。アオサギは、段差の上のへりに陣取り、下流の方を向いている。細い2本の脚で強い流れの中で踏ん張っている。頭を低くし固まったように動かない。長い首の上の目は、泡をたてて流れ落ちる水面を凝視していた。今日は平日なので釣り人は、ひとりも川の中にいない。桜並木の土手の上から、私はアオサギのように固まって観察をしていた。この川の両側の道路は、多くのウォーキングやジョギングをする人々が通る。私のように川をじっと見ている者は、目立つに違いない。かと言って私に「何を見ているのですか?」とか「何をしているのですか?」と尋ねてくれる人もいない。きっと私のアオサギ並みの眼光に恐れをなして近づかないのかも知れない。気にしない。私は、決定的瞬間を観たいだけ。

 アオサギは腹を空かしているに違いない。気合を感じる。もう4年近くアオサギを観察してきたが、魚を捕獲する瞬間を見たことがなかった。それにしてもアオサギの立つあんな場所で本当に魚を獲れるのだろうか。動いた。体は全く動いていないが、長い首がはねた。あっという間だった。クチバシにはねる銀色の魚体がはさまれている。「お見事!」 拍手をしたい衝動を抑えた。アオサギは、誇らしげに頭を上げ、真横に咥えていた魚をポンとトスするように空中に投げ、今度は魚を縦に飲み込んだ。私は、魚に何の同情を持たない。完全にアオサギ側にいる。食事にありつけて良かったと喜んでいる。とても良いモノを観たと満足していた。ずっと静寂の中にいると思っていたのに、気がつくとセミがうるさく鳴いている。しっかり魚を飲み込んだアオサギは、満足したのだろう。段差の上から滑るように空中に羽ばたいた。アオサギは、大きな鳥である。羽根を広げるとゆうに2メートルぐらいになる。優雅に静かに水面すれすれに下流に飛んで行った。津和野の鷺舞もこんな優雅さを表現していると想像する。

 これだから散歩をやめられない。とても良い観察ができた。豊かな自然の中でアオサギも一生懸命生きている。それにしても、何とかあの集中力と忍耐を私も得られないだろうか。
(写真:津和野の鷺舞の像)


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予定納税の怪

2009年07月28日 | Weblog
 税務署からはがきが届いた。“【お願い】○はがきの表面に表示した振替期日の前日までに、ご指定口座の預貯金残高のご確認をお願いいたします。○口座解約等によりご指定の口座に変更があった場合は、税務署(管理運営担当)までご連絡ください。【ご注意】○振替期日に引き落としができなかった場合、法定納期限の翌日から納付の日までの日数に応じて延滞税が加算されることになりますので、ご注意ください”と書いてある。

 本年度の税金さえ払い終わっていない。すでに来年度の税金の予定納税だという。取れそうなところからは、徹底して取る。オレオレ詐欺に近い発想ではないだろうか。確定された前年度の収入に対して課税され請求された税金を払わず延滞税を徴収されるのは、正当だ。しかし確定されていない予定納税に延滞税がかけられるのは、不当だと私は感じる。脅迫まがいの国家権力と見まがう。できるだけ納期を守っているが、支払った税金の使われ方に納得がいかない。今月7月は、固定資産税、車両任意保険と支払いが重なっている。ボーナスがない我が家には、つらい出費である。納税は国民としての義務だと理解している。その税金が正しく使われているかと言えば、そうは思わない。妻が国家公務員時代、上司に、「公務員の仕事は、予算を使い切ることだ」と言われたそうだ。最近観た映画『アマルフィ』で主役の外交官を演じる織田裕二のセリフ、「無駄使いは外交官の特権ですから」が私の神経を逆撫でした。そうして積み上げられた国家の累積借金は816兆円、実に国民ひとり当たり約500万円である。

 アジア、アフリカ、ヨーロッパ、カナダ、ロシアと外国で暮らした。国家として税を徴収する機能を持てない国にも暮らした。富裕層は、いかに税金を逃れるか画策苦慮し、貧困層は、いかに次の食事を口にするかを苦渋工面する。これらの国々はいまだに将来に希望を見いだしていない。ロシアのサハリンで、年金生活者が年金の遅配に加えて、貨幣価値の暴落により自給自足せざるをえない現実を見た。年金破綻が囁かれている日本も、やがてロシアのようになるのかと思うこともある。ある程度税金徴収能力のある日本でさえ、この体たらくである。

 日本の政治は、混迷を深めている。7月21日麻生首相は衆議院を解散し8月30日総選挙に打って出た。国民が選んだ国会議員が、日本の今を長年にわたり築いてきた。次の選挙で日本が劇的に変わるとは望めない。日本は決して産業立国ではない。日本の政治と宗教が最大最強のビジネスである。現在の国会がそれを如実に表している。

 予定納税のはがきを見て、私は日本の財務がのっぴきならぬ状態にいることを垣間見た思いである。そろそろ「国民の仕事は、税金の行方を見とどけることだ」と声を上げる時だと感じている。

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大雨

2009年07月23日 | Weblog
 2か月前に妻が新聞のツアー募集の広告を私の前に置いた。「7月のお誕生日に2泊3日の旅行をプレゼントしたいんだけれど、この中でどれに参加する」と言う。私は“秋芳洞”の文字に目が吸い寄せられた。妻と結婚して初めての旅行が岩手県の龍泉洞だった。妻は以前東北の病院に勤務医として勤めたことがある。その時、龍泉洞へ行き、その美しさに感動したので、私にそこの地底湖を見せたいと言ってくれた。その後旧ユーゴスラビアのベオグラードに暮らした時、世界第2位の規模を持つスロベニア共和国のポストイナ鍾乳洞へも行くことができた。鍾乳洞の神秘さの虜になった。日本に戻ったら山口県の秋芳洞へもぜひ行きたいと思っていた。  迷わずこれと“萩・津和野・秋芳洞と安芸の宮島と瀬戸旅情3日間”を指差した。妻は旅行社に予約をしてくれて、勤務先に休暇の許可も取り、準備を進めた。

 本日夜9時過ぎに自宅に戻った。大変な旅行だった。20日に羽田から飛び立つ前から、不穏な予兆が始まっていたのである。ANA675便広島行きは、広島空港の視界が悪く、場合によって、神戸か大阪の空港に着陸するかも知れないという。数日前から調べていた天気予報では、豪雨の予報がされていた。二人の完全防水雨合羽も荷物に加えた。とっさに私の脳裏に、北海道の大雪山系トムラウシ山への登山ツアー19人のうち男女8人が死亡した事故のことが浮かんだ。私は、その新聞記事を読んで、だいたいツアーなんていうモノは、無理なスケジュールをツアー参加者に強行させ、薄利多売の危険スレスレの荒稼ぎをしているからだ、と舌打ちした。旅行は、ツアーでなくて、勝手気ままな個人旅行が一番だと毒づいた。参加するツアーの予定表は、確かにスケジュールがキツイものだ。悪い予感がしたが、キャンセルすれば、100%のキャンセル料が発生するので、何かあっても妻と二人一緒に被害にあうのなら、と覚悟して家を出た。

 羽田を飛び立った飛行機は、乱気流にもみくちゃにされ生きた心地がしなかった。広島空港は、厚い雲と霧に覆われていたが、何とか着陸できた。しかしそれで全てが終わったどころか、悪夢の始まりだった。立派な高床式の見晴らしの良い最新型の観光バスに乗り、大雨の中、高速道路を最初の宿泊地、萩市に向かった。行きはヨイヨイ、帰りはコワイ。途中国道187号線と平行して流れる美川は、水かさを増し、濁流で荒れ狂っていた。道路は幸い被害なく、バスは予定どおりホテルに到着した。2日目、豪雨の中バスは、出発した。萩の武家屋敷散策どころではなくなった。予定を変更して昼食後、秋吉台へ向かうことになる。最初県道34号を進むが、途中警官が立っていて「この先土砂崩れで通行止め」でUターンする。次に国道316号へ、ここも通行止め。Uターン。県道28号を経て秋吉台へ。お土産屋に入ると、おばさんが「あなたたちが今日始めての観光客だ」と大歓迎され、お菓子を振舞われた。楽しみしていた秋芳洞は水没していて、入場は禁止されていた。秋吉台から安芸の宮島へ国道262号線を経ていくはずだった。ここも通行止め。262号線のまわりは、今回の記録的豪雨で土石流が発生し、死者を出した道路だ。結局三原交通の運転手松原浩隆さんの、行きつ戻りつを繰り返し、あの道この道と7時間の奮闘で夜9時過ぎに2日目の宿泊地、広島市に到着した。参加者全員クタクタだった。しかし松原運転手のことを思うとまだましだった。3日目、オプションツアーでしまなみ海道を巡る予定は、宮島の厳島神社観光に変更になった。

 今回のツアーは、観光というより、自然の猛威とそれに対する人間の無力さを痛感する機会であった。兎にも角にも無事に帰宅できたことを感謝している。学んだことは、①時間のゆとりを持ち、危機には時間厳守と予定完遂を忘れる②危機時の金の調達法を可能にする手段を講じておく(銀行カード、現金、クレジットカード)③携帯電話を常時使えるように準備(充電しておく、乾電池充電機器携帯)。何より大事なことは、危険を感じたら、損しても参加をキャンセルする決断だと思った。(写真:バスから見た山口豪雨被害地)

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日本経済浮上策

2009年07月17日 | Weblog
 日本の産業構造で最重要産業は、自動車産業である。なんとGDPの20%を占めている。自動車産業に従事する人々は、全労働者人口のやはり20%を占める。現在の不景気は、まさにこの自動車産業を直撃している。 再び提案する。日本の道路の通行を現在の逆にしたらよい。つまり車のハンドルを右ハンドルから左ハンドルに変えるのである。この変換による自動車の買い替え需要が日本経済を復活させる策である。3つの良い点がある。1.自動車の買い替えによる内需がうまれる。2.ハイブリット、電気自動車の技術を後押して、普及を加速できる。3.日本の莫大な数の中古車を世界市場に供給できる。

 大胆な発想かもしれない。しかし現在の日本経済は窒息状態である。車産業にアメリカのGM,フォード倒産のような事態が起これば、鉄鋼、電気、ガラス、塗料、繊維とあらゆる産業に波及する。幸い日本は6847からなる島国である。島ごとに道路の通行法を順次変えることは可能と思われる。この半世紀で日本の道路を中心とする生活基盤施設は、ずいぶん整備され充実された。車の左側通行を右側に変えても、建設費の負担は少ないはずである。残念ながら自動車の増加は空気公害を引き起こす。自動車の増加をこころよく思わない人も多くいる。最近、日本のハイブリットや電気自動車の技術革新は目覚しい。これを契機に道路を持つ島をひとつずつ通行法とガソリンエンジン車をハイブリットか電気自動車に国家政策として変換していく。 日本の戦後の発展は、奇跡として世界を驚かせた。その発展を可能にしたのは、日本の人口が多かったからだという。どんなに優秀な製品を市場に出しても、購買人口が少なければ、発展は限られたものとなる。日本経済の停滞や窒息は、製品の購買力が飽和状態になってしまったからだ。確かにどの家庭にもモノが溢れ、「買いたいものがない」という話も聞く。3種の神器(テレビ、冷蔵庫、洗濯機)は、すでにほとんどの家庭に行き渡っている。大量生産、大量消費の社会構造は、限界に達しつつある。市場経済は、歯止めのない価格競争の鉄火場の様相である。先進国と追い上げる新興国の間で、栄枯盛衰、下克上が日々刻々と繰り広げられている。内需の喚起をと経済学者は、声を上げている。むなしくこだまするだけで、策は示されない。

 現代日本人は、“面倒くさい”ことをことごとく避けようとする。そのことが教育、治安、政治に影響を与えている。車のハンドルを右から左に変える、などとなれば、反対されるのは火を見るより明らかである。改革に痛みや犠牲が伴うものである。戦争中“欲しがりません勝つまでは”と日本国民は、忍耐を強いられた。日本の産業が復活するには、国を挙げての対策が必要である。

 私は、この通行法の変換が絶対の策とはいわない。みんなで案を出し合って、日本の進む方向が決まればよい。衆議院解散だの、政権交代だのと権力と自身の保身に醜態をさらす政治に、国民は期待できない。国の先行き、国のあるべき姿を明確に示し、先導する政治指導者(絶対に独裁者であってはならない)が、民主主義のルールに則って出てくることを待ち望む。

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預かり子教育

2009年07月14日 | Weblog
 江戸時代、7、8歳から15,6歳までの子に養育料を付けて他家に預けて一定期間教育してもらったり、お互いに他家の子を預かる相互教育システムが日本にはあったという。“可愛い子には、旅をさせろ”という格言もある。大家族制から核家族化に移行した現在、個室を当たり前のように与えられ、衣食住に何の不自由もない子どもたちが、引き篭もり現象を起こしている。引き篭もることによって、完全に孤立しているかというと、パソコン、テレビ、携帯電話、ゲームなどのバーチャルで便利な最新情報通信機器により他の世界としっかり繋がっている。この現象は、決して自然な状況でないことは、だれの目にも明らかである。にもかかわらず、問題が解決される道筋は、見えていない。これに拍車をかけるように、家族単位の孤立も進んでいるように思われる。日本の社交は、冠婚葬祭が中心といわれている。家庭で家族でも親戚でもない他人を招くことは、稀である。家を要塞化して孤立するのではなく、多くの人々との交流おもてなしの場にすれば、子どもたちには、またとない人間関係を学ぶ機会となるに違いない。バーチャルで話すことのない関係より、顔を合わせて直接話す機会を創出したい。 

 私は、江戸時代の“預かり子(換え子)”の風習の復活を提案したい。今流行の海外ホームステイ制度は、この“預かり子”と同じものと言っていいだろう。ところがこのホームステイ制度、日本からアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドへの出ばかりで、受けいれがほとんどない、不平等制度となっている。現代日本の社会現象には、なぜかこのようなバランスのとれないものが多い。身勝手な成熟していない制度で、恥じるべきことなので改善されなければならない。まず国内で日本人同士の預かり子を普及させられれば、だんだんに国際的に通用する意識レベルに到達できるに違いない。白人への劣等感や、横文字文化への過度の憧れは、百害あって一利なしである。

 日本国内での預かり子は、各地商店会、日本青年会議所、各地青年団、商工会議所、農協などの組織ぐるみの事業とされることが望ましい。最初は夏休みなどの長期休暇を活用し、ゆくゆくは1年単位のものとなればよい。日本人は、個人的にも優秀である。ただ人見知り、はにかみなどという文化的国民性が、国際社会で誤解をまねくもとになっている。この性格は、核家族化がさらに拍車をかけているように思われる。“他人の家のメシを喰う”ことによって、学校、家庭教育ではできないことを、きっとこの預かり子方式は形にしてくれる。全寮制の学校や下宿することも“預かり子”と同様の効果があると思う。放っておけば、子どもたちは、どんどん育ってしまう。思い切って“虎は子を千尋の谷に落とし、這い上がってきた子だけを育てる”ぐらいの意識を持って、日本の往く末を案ずる人々の改革への一歩が踏み出されることを願う。

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通報

2009年07月09日 | Weblog
 7月8日、定期健診のために東京の病院へ行ってきた。血液検査の数値が改善していて、心が軽かった。駅からバスに乗り、いつもの停留所でおりた。風が強く今にも雨が降り出しそうだった。

 急ぎ足で家に向かう。住宅街を抜け、県道を渡り橋の入り口にさしかかった。二人の女性が立ち止まって、ひとりは70歳ぐらいでもう一人は50歳後半くらいで、橋の向こうを不安そうに伺っていた。その様子は、不安そうだった。私は、「事件!」と観察を続ける。

 橋は、平行して走っている2本の道路に直角に結んでいる。右側の坂になった道路から軽自動車が曲がって橋に進入して来た。突き当たりの大手ゼネコンの研修所ビルの入り口で何かが動いた。子猿?!と思った瞬間、軽自動車の後ろから大きな猿が走って追いつき、車の運転席側の窓に飛び掛った。牙を剥き出し威嚇している。気の弱い運転手なら、動転して事故を起こしかねない。女性が「恐いのよ、あの母ザル。以前赤ちゃん猿を車に轢き殺されたので、ああして車を仇と思って襲い掛かるの。歩いている人が怪我をさせられたこともあるんだって」と言う。そう言えば、以前フジテレビの“スーパーニュース”の特集でこの町の猿の被害が放送された。この母猿のことも紹介されていた。バスの停留所近くの八百屋からバナナを盗む様子が映っていた。

 バナナで急に思い出した。私の買い物バッグの中には、買ったばかりのバナナが4本入っている。橋の上だと逃げ場がない。私は女性たちと立ちすくんで、事の成り行きを見守った。母猿は執拗に通過する車に攻撃を繰り返す。女性が「困ったね。車をあっちに止めてきちゃった。娘迎えに行く時間だよ」と嘆いた。もう一人の女性が「しょうがないよ。怪我するよりいいから、待ちな」となだめる。すると私たちの後ろに一台の軽自動車が止まった。「○○さん、乗りな。猿でしょ」と二人を乗せて去った。私はその場に、ひとり残された。赤ちゃん猿が研修所の駐車場口から中へ入っていった。すると母猿がそれを見て、追いかけるように駆けていった。「今だ」と私はバナナを押さえて、ダッシュした。

 家に入るとすぐに猿の出た橋の少し上にある交番へ電話した。応対した警察官は、<こんなことで電話してくるなよ>の気持を素直に声に表した。私、「よろしくお願いいたします」警察官、「はい、はい」 昔、返事のハイは一回、と教わった。現場に行ったかどうかはわからない。こんな時どこに相談したり通報すればよいのか知らない。私が心配するのは、動物は人間には理解できない行動をとることがある。日本で繋いである飼い犬にオーストラリア人男性が近づき、その犬に耳の一部を噛み切られた事件を見たことがある。セネガルで私が飼っていた犬が、私の車の下に逃げ込んだネズミを追いかけて、私の車を信じられないほどボコボコに凹ませたこともある。野生の動物でもペットでも、特に子と一緒の親の行動は、予測がつかない。だから私は、むやみに動物には近づかないようにしている。

 最近は動物だけでなく、人間にも不信感を持っている。ホームから突き落されたり、ガソリンをまかれて火をつけられることもある。動物は、本能で行動し、一部の凶悪人間は、「だれでもよかった」だの「死にたかった」だの「死刑になりたかった」という自分勝手な衝動で、見ず知らずの人を殺す。家の外に出ると緊張する。こんなことでいいのだろうか、と疑問が増すばかりである。そう言えば、ジャック・アタリの『21世紀の歴史』に警察の民営化を予測している。通報は、注文に取って代わるということか。

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ステロイド

2009年07月06日 | Weblog
 マイケル・ジャクソンが6月25日午後アメリカのカルフォルニアで突然亡くなった。私は彼のファンでもないし、ポップ音楽のこともわからない。ただ私は彼に興味があった。彼はある年齢まで普通の黒人だった。肌の色のことである。ところがある時期から突然肌の色がだんだん白くなってきた。今どき、整形も矯正も普通に受け入れられていて、多くの人々がその恩恵に浴している。マイケル・ジャクソンは、黒い肌を白く変えようとした。白人からの皮膚移植、多量なステロイドの使用でマイケル・ジャクソンは変身した。私は、何が彼にそうさせる決心をさせたのかに興味を持った。

 私は若くして白人社会に飛び込んだ。私自身「ジャップ」と差別も受けた。また同時に黒人やインディアンが差別されている現場にも遭遇した。盲目の黒人歌手スティービー・ワンダーが日本に来てアメリカの黒人差別について、日本人新聞記者に質問された時、「私は神様に感謝しています。神様は私に人の肌の色を見えないように、私から視力を奪ってくださいました。私には肌の色は見えません。だからだれも同じです」 私は感動した。スティビーのものの考え方に目を覚まされた。目が見えることを当たり前としていて、スティビーのように考えたことがなかった。

 なぜマイケルは、肌を白くしたかったのだろうか。私の想像でしかないが、彼はポップ音楽で世界の頂点を極め、経済的にもアメリカンドリームを実現させた。“マイケル・ジャクソンは黒人でも白人でもない。世界人だ”とまで言われるようになった。しかし、彼の心には、黒人が故の謂れのない劣等感や幼児期、成長期の心の傷が残ったのかも知れない。成功すればするほどその傷は、うずき彼を苦しめる。その傷は悪いことばかりでなかった。彼の歌や踊りにエネルギーとなって、爆発するようにはじけ、表現されていたと思う。彼の踊りにそれが特によくみてとれる。だれもマイケル・ジャクソンの心の中を覗けない。ただ私が経験した白人社会での有色人種に対する差別の壁の高さ厚さ堅固さへの無力感は、理解できる気がする。

 私はマスコミが大げさにマイケル・ジャクソンを讃美し、生きているときには、好奇な目でいた者たちが、一変して死を惜しむお祭り騒ぎに抵抗を感じる。マイケル・ジャクソンは、何もかも手に入れたように一見思えるが、確実に欠けていたものがあるような気がする。それは次の聖書の言葉に示されていると、私は思う。“いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である”コリント第一の手紙十三章十三節 マイケル・ジャクソンの功績を讃え、冥福を祈りたい。
 

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裸足

2009年07月01日 | Weblog
 6月27日モロッコ人の友人夫婦と渋谷で昼食を共にする約束をした。12時半に渋谷駅の忠犬ハチ公の銅像の前で会うことにした。レストランは友人が予約しておく手筈だった。妻と早めに家を出た。渋谷駅に12時前に到着した。まだ時間があるので、私は妻に東急デパートの中で時間を潰そうと提案した。その日は梅雨の中休みで暑い日だった。デパートの中は、冷房が良く効いていて涼しかった。しばらくすると右足に異常を感じた。靴紐がほどけたのかとチェックした。紐はしっかり縛られていた。再び歩き始める。やはり何か変だ。どこにも異常を見つけられない。その違和感は、足そのものではなく、靴のほうにあると思えた。また歩き始めた。この靴はカンフォート社の足に優しい歩き易いことを売り物とする靴だ。心地良いという意味の社名コンフォートが忌々しいほど心地が悪くイライラしてきた。屈んで、まさかと思ったが靴の底と甲皮の境目を触ってみた。パックリ。裂けて10センチぐらいの口が空いていた。妻に「靴、壊れちゃったよ」と裂けているところを見せた。

 このまま友人と会うわけにはいかない。「駅前だし、きっとABCマート(靴の量販店チェーン)があるから、安い靴買ってもいい?」と私は妻に聞いた。「女性のハイヒールのヒールが取れるのは聞いたことあるけれど、こんなことあるんだ」と妻は驚いていた。すぐにデパートを出て、ABCマートを探すことにした。ハチ公の広場を通り過ぎて、大交差点を渡り始める。物凄い人だった。突然、右足が靴下をとおしてアスファルトの地面にのったように固い感触を拾った。後ろを振り向くと、足を支える特製のクッションのような、見る人によっては、身長をごまかすための隠し厚中敷が路上に落ちていた。人の流れが私を迂回して両側に割れた。さげすみのような眼差しが痛いように突き刺さる。拾う。歩き始める。靴の甲皮と底はかろうじて6センチぐらいを残して、ぐるっと裂け目が一周している。恥ずかしい。急ぐ。うまく歩けない。信号が黄色になった。汗が出る。頭の中で♪人ごみの中で、歩いているときに~♪ハイヒールが折れた♪そんな時にはどうしよう♪でもナーダ飲んだ♪裸足で走りましょう♪踊りましょう♪これが気持いいんだナーダ♪とナーダというレモン飲料のコマーシャルソングが響く。えーい踊っちゃえとと思ったが、妻が可哀想だと思ってやめた。何とか中敷を手にブラブラさせながら、交差点を渡った。結局ABCマートを見つけられず、約束の時間が迫っていたので、結局東急デパートに戻り、紳士靴売り場で高い靴を買うことになってしまった。

 12時28分に友人夫婦とハチ公前で再会した。2年ぶりだった。新しい靴が痛いほど私の足を締め付けていた。何も知らない友人夫婦と12階建てのビルの最上階の洒落たフランスレストランの外の景色が良く見える予約の部屋に入った。窓側に座った妻の向こうに大きなABCマートの大きな黄色の地に赤い字体の看板が見えた。私は舌を噛んで笑いをかみ殺す。

 友人夫婦と楽しく、会話の弾む時間を過した。新しい靴は足かせのようだった。テーブルの下で、私は靴を脱いでいた。裸足になりたいさえ思う。靴の値段とレストランの会計が同じだった。

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