団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

外国人観光客とコンビニオムスビ

2024年06月10日 | Weblog

  先日東京の病院で右脚のCT検査を受けた。私は毎朝6時前に朝食を摂る。検査の日昼食を抜くように指示されていた。水は飲んでいいので、朝出勤前に妻が水筒にお茶を用意してくれた。検査の予約は、午後4時15分だった。検査の30分前までに受付を済ませておくように言われていた。12時過ぎに家を出て、電車で東京へ向かった。電車に乗ってから、水筒を家に忘れてきたことがわかった。物忘れは、酷くなるばかり。それに拍車をかけているのは、12時を過ぎても昼食を食べられないイライラに違いない。国連人口基金(UNFPA)の「世界人口白書2023」によると世界人口は81億1900万人で、飢餓に直面しているのは7億3500万人だという。毎日、食べたいものを食べたいだけ食べている私が一食抜くぐらいでこの様である。情けなくなる。

 しけた気持ちを紛らわせるために車内の人間観察をすることにした。妻が日頃言うように車内にも多くの外国人がいた。時間はちょうど昼食の時間だった。私の真向かいに座っていた二人連れの若い白人の外国人が、コンビニの袋からオムスビを2つ取り出した。コンビニで売られているオムスビは、海苔が湿ってグッタとしないように、まるで手品の仕掛けのような工夫が施されている。私は、このコンビニのオムスビの海苔とオムスビを食べる直前に合体させるのは下手である。妻は,上手にできる。私不器用、妻器用。さあこの外国人、どのようにコンビニのオムスビを海苔とオムスビのご飯を合体させるか。注視する。巧い。二人とも手際よく海苔とオムスビのご飯を合体させた。包装をコンビニのビニール袋に押し入れた。そしておもむろに真っ黒に光る海苔に巻かれたオムスビを口に運んだ。それが二人同時だったではもっていた。私は、ゴクンと唾を飲み込んだ。「食べたい。パリッパリッの海苔に巻かれたオムスビが食べたい」 海苔を噛みきる音は、私の席までは届かない。でも普段耳の悪い私にもまるで「パリッポリッ」と聞こえるようだった。音だけではない、二人の表情が良かった。

 二人の外国人男性を見ていて、私は嬉しかった。私は1947年の生まれだ。当時上田市にも米軍が駐留していた。幼い頃「ギブ ミー チョコレート。ギブ ミー ガム」と米軍のジープを追いかけた記憶がある。米軍が引き揚げた後、時々見かける外国人は「あなたは神を信じますか?」とトラクト(伝道用勧誘パンフレット)を配布していたキリスト教の宣教師だった。

 高校生になってカナダへの留学が決まった。軽井沢の宣教師の子どもたちの学校で事前に英語を学んだ。その学校の子供たちは、ほとんどが日本を馬鹿にしていた。何でも見下ししていた。特に日本の食べ物を徹底的に馬鹿にしていた。醤油はbug juice(虫の体液)海苔はsea weed paper(海の雑草の紙)などなど。カナダの学校で会った生徒たちも、軽井沢の生徒たちと変わりはなかった。私は、いつしかその経験を劣等感に変えていた。トラウマとしてコールタールのように心に沈殿させていた。

 テレビでも自分の目でも耳でも今、多くの外国人観光客が日本を楽しんでくれている。宣教師しかいなかった頃とまったく違う。私のトラウマがどんどん消えてゆく。私が生きているうちに日本への理解が深まり、褒められまでされる現状を知ることができた。何と果報者か。私の表情も電車の中で見たあの二人の若者が、オムスビを口にした時の表情と同じくらいになって東京駅で電車を降りた。いつの間にか腹が減っていることも忘れていた。


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