団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

自転車新法規施行

2015年06月29日 | Weblog

自転車新法規
 
1.信号無視 2.通行禁止違反 3.歩行者専用道での徐行違反等 4.通行区分違反 5.路側帯の歩行者妨害 6.遮断機が下りた踏み切りへの進入 7.交差点での優先道路通行車妨害等 8.交差点での右折車妨害等 9.環状交差点での安全進行義務違反等 10.一時停止違反 11.歩道での歩行者妨害 12.ブレーキのない自転車運転 13.酒酔い運転 14.安全運転義務違反

  6月1日から自転車に新しい交通法規が施行された。上記の14の違反を犯すと罰則が与えられる。私は日頃自転車をありがたく使わせてもらっている。散歩で歩くよりも、車を運転するよりも、天候次第だが自転車を多用している。私は違反を犯さないよう気をつけるつもりだ。それでも違反した場合、罰金や講習会の強制受講は致し方ない。しかし事故を起こして相手に危害を加えたら大変なことになる。最近、中学生が自転車で高齢女性とぶつかり重い脳障害をもたらしたとして9500万円の賠償判決が出た。私は四輪自動車の対人対物無制限補償の保険に加入している。自転車の保険にも加入することにした。

  新しい法規も結構だが自転車走行環境は何も改善されていない。私が住むところで自転車に乗る人は少ない。坂の多い場所だということが原因であろう。歩いている人はもっと少ない。ほとんどの人々が四輪自動車で移動している。路上で一番威張っているのは四輪自動車である。いつなんどきであれ、「そこのけそこのけ車が通る」と強気である。一番保護されているのが歩行者である。歩く人がほとんどいない私が住むところでも歩道は整備されている。幅3~4メートル、広いところは5メートルを超えていることもあり舗装もされている。

  では自転車はどうなのか。自転車は路上の厄介者、鼻摘み、嫌われ者、困り者、憎まれっ子なのである。正直、私も四輪自動車を運転していたり、歩いているときはそう思うことがある。ましてや東京などの人口密度の高い都市では尚更であろう。自転車にからむ事故も多い。携帯電話を操作しながらの走行。イヤフォンで両耳をふさいでの走行。サーカスまがいの危険走行。

  一番の問題は自転車道なり自転車通行専用枠がないことである。ほとんどの道路では車道と歩道の間の側溝の上がまるで自転車が走行するところと思われている。ご丁寧に車道脇と側溝手前に白線が引かれている。私も道路に自転車に乗って出ると、白線と歩道の段差のすき間が自転車道であると勝手に判断してそこを走行してしまう。ところが交通法規によれば、自転車も四輪自動車と同じ車両区分に入る。だから道路の真ん中を堂々と走行して良いのである。しかしそんなことをしたら、必ず四輪自動車の運転手たちはクラクションをブースカ・ファンファン鳴らすかこれ見よがしにスレスレに近づき脅しにかかる者さえいる。

  都会や観光地で自転車専用道が整備されているところもあるという。羨ましいと思っていた。私はついに自転車専用道を私の住む町で見つけた。(添付真参照)長さ約8メートル幅約2メートル。現在私が自転車で唯一堂々と通行できる自転車専用道である。

  法律を施行する前に交通環境を整備するのが先ではないのか。残念ながらこの国の立法府に自転車を生活の交通手段としての利用者はいないようだ。


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赤いタイプライター

2015年06月25日 | Weblog

  22日出勤した妻からメールがきた。昨夜私がリサイクルショップで電動のブラザー英文タイプライターを9800円で英語教材づくりのために買ったという話をした。妻はまだ私の仕事場に置いてあるタイプライターを見てなかった。

 「上田原の団地に住んでいた頃だったから、たぶん小学校3年生か4年生だったころ、お母さんが通っていたブラザーの編み物教室で青いタイプライターを買ってもらって自分で教本を読んで紙のキーボードで練習しました。当時はオリベッティの赤いタイプライターが素敵でしたが高くて買えませんでした・・・」

  夫婦と云ってもお互いの知らないことはたくさんある。私は妻とタイプライターとがどうしても結びつかない。妻が小学生の時タイプライターを持っていたことなど、これぽっちも考えたことがなかった。ましてやオリベッティというイタリアのタイプライターで有名な会社の名前が妻の口から出るとは。日頃妻は家がとても貧しかったと言っている。貧しさとタイプライターがかみあわない。それでも私と妻が子ども時代、英文タイプライターというあまり日本になじまない道具に出逢っていたことに何か不思議な縁を感じる。

  私は中学1生の時、英文タイプライターをどうしても欲しかった。私の家もいつも貧しかった。私は新聞配達をしてタイプライターを買うと両親に訴えた。当時はまだ野球部に所属していた。勉強と部活動の両立は困難だった。両親には必ず勉強、部活動、新聞配達の3つをやり遂げ迷惑をかけないと約束した。朝4時に起きて約100軒に朝刊を配達した。1年間続けた。念願のブラザーの英文タイプライターを母親に貯金してもらってあった通帳から降ろして買った。

  しかし学校の成績は落ち、野球部でも正選手として活躍できるほどの実力はないと先が見えていた。学校の先生にも新聞配達を辞めて勉強に専念するように言われた。新聞配達は問題なく辞めることができた。あの頃新聞配達を希望する子供はいくらでもいた。父親に黙って野球部もやめた。ずっと野球部をやめたことは黙っていた。そもそも野球部にはいったのは、我が子を野球選手にという野球好きな父親を喜ばそうと思ったからだった。私に野球の才能はなかった。野球部を私が父に無断でやめたことを知った父の落胆ぶりは今でも目に浮かぶ。

  中学生の時に新聞配達をしてまでタイプライターを買って練習したことは無駄ではなかった。日本の高校からカナダの高校へ転校してからその成果があらわれた。私はカナダの高校でタイプのクラスを選択した。タイプのクラスで他の科目より良い成績をあげ、カナダの学校に溶け込む自信となった。正規のタイプ教育のおかげでめきめき上達した。タイプの技術もさることながら、私は数学、物理、社会科、英語(カナダでは国語)の教科書をタイプのクラスでひたすらタイプした。私は耳でも英語を習ったが、タイプのクラスで教科書をタイプすることで指と目でも英語を学ぶことができた。

 その経験を活かして、帰国して開いた英語塾でタイプライターを使った英語教育に力を入れた。赤くはなかったが妻が知っていたオリベッティ社のタイプライターだった。個人的にもオリベッティのタイプライターを長く使った。後にコンピューターを使うようになってからも、身に着いたキーボードのアルファベット打ち込みは大いに役立っている。

  タイプライターの時代は終わった。フイルムを使うカメラからデジタルカメラへ、デスクトップコンピューターからタブレットやスマートフォンへ、と日進月歩を遂げている。しかし私は英語の学習で教本をタイプして指から目から学ぶ方法は、アナログだと笑われても、効果的であると確信している。今さかんにCMを繰り返す“石川遼も学んだCDを聴くだけ”で英語でもどんな外国語も学べはしない。

 キーボードのキーをたたいてから、しばらくの間があって、「カシャカシャ ポン ガッシャーン」とタイプライターが反応する。パソコンのおとなしいキーボードが味気なく感じる。変換機能もなく大文字小文字のシフト操作だけの単純さがいい。便利な技術革新がその恩恵で人間を賢くしているとは思えない。不便で面倒くさいことだって人を育てる。スマートフォンやパソコンを使って情報を持っていても、それはその人自身の知識ではない。そこを勘違いしている人が多すぎる。人と動物の違いは、人は手で物を作ったり操作でき、言葉を話すことだという。タイプライターはその条件を満たす。タイプライターが教育界で復活することを願う。


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父の日と酸塊(スグリ)

2015年06月23日 | Weblog

  父の日の21日、梅雨前線が太平洋に南下してきていた。晴れていたら静岡県清水町の柿田川湧水へ行きたいと妻のリクエストに応えてドライブがてら出かける計画を前から立てていた。隔週で土曜出勤の妻は、前日出勤日だった。年齢的にも遠距離通勤は大変なのだろう。日曜日だけの休みでは疲れが抜けない。できるだけ妻がしたいということに協力している。妻は家にいるのが好きである。21日も朝さっそく窓から外の様子をうかがって「雨、降りそうだから、家でゆっくりしよう」と言った。

 私は強引に出かけることを主張した。柿田川まで行けなかったら三島の源平川でも、、、そうしたら昼食に鰻が食べられるかもと内心捕らぬ狸の皮算用。打算と期待を胸に出発した。

 結局雨のために柿田川までは行けなかった。三島の源平川にも行かなかった。鰻もものすごい順番待ちの行列に圧倒され諦めた。

 帰路『伊豆の村の駅』に立ち寄った。サカナ、枝豆を買って外に出ると妻が声を上げた。「あ、スグリ」 近づいてみると確かにスグリだった。綺麗に赤くなっている実を見て、私は60年前にタイムスリップした。まだ父の日がなかった時代である。夏になる前だったからもしかしたら梅雨のころだった。父は庭に小さなひょうたん型の池を作ってくれた。魚獲りと魚釣りが好きで私が家に持ち帰る魚を飼うためだった。池は数日で完成した。セメントのアクを取るためと言って何回も水を変え、2週間後に魚を離した。ひょうたん型のくびれた場所に父は木を植えてあった。「スグリだ」と父は言った。

 一年後その木に赤い実がたくさんついた。よく見ると中まで透けている。池の中の赤い金魚と赤いスグリ。私に強い印象となって残っていた。

 我に戻って妻に言った。「買おう」「花と違ってこういう枝物は水が上がらないからすぐ枯れちゃうよ」 私は小銭入れから百円玉を3つ拾い出し妻に渡した。

 会計をすまして妻が車に乗り込んできた。「隣のおばさんに『それ何ですか?』って聞かれた。スグリですって言ったら『食べられるんですか』と言われ、会計の女性が『甘酸っぱくて美味しいよ』って私に代わって言ってくれたの。スグリ知らない人もいるんだね」

 帰宅して植物図鑑で調べてみた。驚いた。長野県の山地にだけ自生、とある。ヨーロッパ・北米原産種もある。食用のものは外国原種を栽培。英語名gooseberry。

 長野県のスグリが静岡の伊豆地方に来たのか外来種なのかはわからない。いずれにせよ父がわざわざ私が獲った魚を入れるために池を作ってくれた。その池の傍らに父が好きなスグリを植えた。

  私が長野県の高校からカナダの高校へ転入するために出発した日、今は亡き父に挨拶しようと家の中、庭を探した。庭の小さな池の傍らに真っ赤なスグリが実をたくさんつけていた。池には魚も元気に泳いでいた。父はいなかった。駅まで母が自転車にトランクを乗せて二人並んで歩いた。母は「父ちゃん、意気地なしだから見送れないんだよ」と笑いながら言った。どこかの物陰で父が私を見ているのではと見回した。

  父の日の夕方、長男夫婦から長女夫婦からプレゼントが届いた。花瓶にいけられたスグリの周りにプレゼントを置いた。


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弁当

2015年06月19日 | Weblog

  妻は毎日弁当を持って勤めに行く。弁当は朝、妻が自分でつめる。私は前の晩の夕食を作る時おかずを多めに作る。鮭、サワラ、ギンダラなどの切り身は、味噌、酒粕、塩麹を味醂で溶きガーゼに巻いてバットに入れ漬け込んである。それを焼いておかずにすることもある。妻は大きめのタッパーウエアの半分にご飯(3分づきの玄米)、残りのスペースにおかずを入れる。

 私は昼食を簡単にすます。麺類が多い。月に数回、蕎麦が食べたくなると蕎麦屋へ行く。今年の2月から孫の英語の通信教育を始めた。大学ノートに孫が英語の教科書を学びやすいように私が注意点や要点をノートの左側ページに書き込む。孫はまず左ページを読んで右側のページに書き込んでいく。私が使った英和辞書英英辞書は処分に困っていたほど数多くある。モッタイナイと思っていた。そこで私は思い付いた。どうせ廃棄処分してしまうなら孫のために切り貼りしてやろう。英語の教科書に出てくる英単語を順番に辞書から切り取り、ノートに貼りつけておく。私はたっぷり時間がある。孫はサッカーと勉強を両立させている。限られた時間の中、少しでもゆとりが持てるようにと手助けしている。昔取った杵柄。私はすっかりノート作りにはまってしまった。英語を教えていた頃の自分に戻って、解説をああじゃないかこうじゃないかと考える。資料を求めて参考書や辞書を探す。グラフ、写真、図解表を取り入れる。いつしか孫のための作業が自分の勉強になった。

 妻にそんな私の作業の状況を話した。妻が「そんなに夢中になっているなら、昼食をきちんと取れないでしょう。私がお弁当作ってあげる。一つも二つも手間は変わらないから」と弁当を作って置いていってくれた。(写真参照)

 私は妻が弁当を作っているのを見ていない。それがよかった。11時半。私の昼食の時間である。朝5時半に朝食をとるので11時には腹が減る。盆の上の大きめのハンカチにくるまれた弁当と飲み物と薬を載せテレビの前に陣取る。ハンカチの結び目をほどく。久々のワクワク感。

 小中学校時代、家は貧しかった。それでも学校給食のおかげで昼食はクラス全員同じものをほぼ同じ量食べることができた。時々給食室の工事だとか何かの都合で給食がない日があった。そんな日は家から学校へ弁当を持って行った。学校給食と違って家庭の生活程度がもろに弁当に詰まっていた。そんな弁当持参の日、弁当のフタを開けるとブック型弁当箱の詰められた押し麦がいっぱい入れられた少し黒っぽい飯の上にサンマの半身があった。骨がきれいに抜かれていた。でも前の晩秋刀魚は6人家族に3匹だった。母親は自分の分を食べないで私の弁当にサンマを入れてくれたのだ。嬉しかったけれど悲しかった。

 妻がつくってくれた弁当は美味かった。アルミのブック型弁当は、プラスチックのタッパーウエアに代わった。弁当は不思議な箱である。中に詰められるのは飯とおかずだけと思うが、それ以上のナニカがぎっしり詰められている。母には言えなかった「ありがとう」を妻が勤めから帰って来たら言おうと決めて、完食したタッパーの蓋をしてハンカチで包んだ。


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苦戦苦言サムライジャパン

2015年06月17日 | Weblog

  昨夜のワールドカップロシア・二次予選のサムライジャパンとシンガポールの試合をテレビで観た。結果は0対0の引き分けだった。スポーツ観戦はサッカーが年齢に良く合っているようだ。最後まで観ていられる。もちろんサムライジャパンを応援した。

 サッカーだけでなくスポーツ特に国際試合で日本のチームが海外のチームと戦う時、チームにも観客にも試合を実況するアナウンサー、解説者にも国民性が現れる。それを観察するのは私にとって興味深い事だ。だから試合そのものにも関心はあるが、気が多い分、実況を広範囲に堪能できる。

 昨夜の試合はテレビ朝日が放映権をとったようだ。「この試合は絶対に負けられない」と連呼する川平慈英さんが登場して始まる。解説者は、松木安太郎さんと中山雅史さん。日本のテレビの解説者はとにかく苦言を呈しない。これは当今テレビのバラエティ番組の毒舌もしくは辛口で売るタレント、タケシ、マツコ・デラックス、有吉、坂上、ヒロミなどの多用とは逆の現象である。芸能界や政治の世界では相手をバッタバッタと容赦なく批判したり馬鹿にする。観ている側は、それを見るのが好きなのだろう。見事に民衆の心の中を見透かしてバランスをとっている。テレビ番組の評価は、視聴率で決まる。

 最近アナウンサーの質が悪い。原稿さえきちんと読めない者が多い。昨夜のテレビ朝日のアナウンサーも話芸のない陳腐な実況だった。止せばいいのに余計な事を言い、文脈がつながらなくして不自然さを増す。声質も良くなく耳障りだった。音声を消したいくらいだった。

 かつて石原慎太郎は『Noと言えない日本』を書いた。確かに日本人は『No』という言葉を使えない。相手の気持ちを考えすぎて、強く批判することができない。優しすぎるのである。歴史をみても身分の上の者、力の強い者へ抵抗を避け、長い物には巻かれろとおとなしく暮らした。現代の民衆の多くは、テレビという画面に移る押しつけ情報に素直に従っている。番組をつくり放送するメディアは、視聴率アップのために徹底的に視聴者を充分研究している。これからもこの傾向はかわることがないだろう。

 バラエティ番組では、タレントに馬鹿なふりをさせ、毒舌を吐かせ、仲間をこき下ろし、時には仲良しクラブを装わせる。一方スポーツ番組では批判を封じ込め、当たり障りのない言葉を多用して、時には褒め殺す。見事に民衆の要求を満たしている。私はそのような番組制作に迎合しない。

 新聞、テレビもダメならどうする。本とラジオがある。ネットのニュースも役に立つ。今朝、早速、ネットでサッカー解説者セルジオ越後さんの昨夜のサムライジャパンのシンガポール戦に関する評論が載っていた。「サポーターは日本代表のユニフォームを着ると、みんなブーイングをしなくなる。今日だって少なすぎるよ。マスコミも海外なら、こんな試合をした翌日の新聞やテレビは大荒れだよ。ちゃんと批判するのか、明日が楽しみだね」彼が言うことが正論だ。しかしこれを、もしテレビの実況放送で聴かされたら、私でも快く思わない。文字で読むからいいのである。どうのこうの言っても、私も日本の民衆のひとりである。

 表面だけで判断するのではなく、“行間を読む”と言う裏ワザを日本人は得意とする。セルジオ越後さんは「サムライジャパンはこんなものじゃない」と言って応援しているのだと私は理解する。0対0は引き分けであって負けでない。それにしてもシンガポールのゴールキーパー凄かった。

 今朝はこれからなでしこジャパンの応援である。ガンバレ日本。


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雨の日の訪問者

2015年06月15日 | Weblog

  その日は朝からずっと雨が降り続けていた。3日ほどの前に私が住むこちら方面に来るので少し立ち寄ると友人から電話があった。3時ころ到着すると言われたので集合住宅の玄関の外で待った。雨はまだ降っていた。集合住宅の前にはセコイアの木が植えられている。そのセコイアの根元には笹が密生している。ふと見ると笹が動いているではないか。蛇?と覗き込むと沢蟹だった。いるいる。2,30匹は優に超していた。雨による湿り気を謳歌しているようにも見える。これほどの沢蟹、東京に住む友人に見せたら喜ぶだろうと思い、到着したらここへ案内して沢蟹を見せてあげようと決めた。まもなくして友人夫婦が着いた。リモコンでまず駐車場入り口のシャッターを開ける。中に誘導して駐車スペースに車を停めてもらった。雨に当たらぬよう天井のある所を案内して玄関ホールの裏口ドアに近づいた。

 高さ数5,6センチの段差が数か所ある。その日の朝、妻を駅に送る時、私は滑って転びそうになった。段差につまずいても、濡れたコンクリートの床に滑っても危険である。私はネパールの雨季に家の外へスリッパのまま出て、苔の生えたコンクリート床で転倒してろっ骨を骨折したことがある。私は友人夫婦に「滑りますから気を付けてください」と言った。言い終わってすぐのことだった。友人が「あっ」と声を上げた。私は振り向いた。友人は滑り台を滑り降りるようにして倒れ込んだ。彼はスポーツ万能である。彼はとっさに頭を打たぬよう柔道の受け身のように身を処した。それが更なる悪い結果をもたらした。ついた手が滑って翻したヒザを強く床に打った。私はすぐさま彼を抱き起した。「大丈夫、大丈夫」と彼は言ったが奥さんは心配そうだった。

 沢蟹どころの話ではない。すぐ家に入り病院へ行くことも考えた。こんな時医者である妻がいてくれたらと悔やんだ。友人が「キズバンある?」と言った。薬などの管理は妻がしている。台所ならどこに何があるか私は良く知っている。さあ困った。寝室にある家具は少ない。私が知っているのは爪きりが入っている引き出しぐらいである。あちこち開けてみる。あった。でもでかい。ちゃんとしたサイズのはないのか。あわてればあわてるほど見つからない。

 強い友人である。サイズ違いのキズバンを貼って何もなかったように振る舞った。私もだんだん落ち着きを取り戻した。用意していた静岡の新茶も私には味も香りもなかった。それでも半年ぶりにあった友人夫婦との会話が弾んだ。

 わざわざこうして私を訪ねてくれる友がいる。嬉しいことである。訪ねてくれる人々に今回のような事が起こらぬよう細心の注意を払わなければならない。ネパールで過去に滑って転倒した自分の経験を今回活かすこともできなかった。頭を打ったり、骨折することはなかったが気をつけたい。帰りに奥さんが「歳をとると転倒は恐いです。お互い気をつけましょう」と言った。確かにそうである。口うるさいと言われても、お節介と言われても“転ばぬ先の杖”は自分にも客にも数多く準備して置こう。「気を付けよう、濡れた路面に段差と敷物」

庭の咲き始めたアジサイ


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サカナを食べると頭が良くなる

2015年06月11日 | Weblog

  「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」 (作詞 井上輝彦 作曲 柴矢俊彦 歌 柴矢 裕美)と買い物に寄ったスーパーの魚売り場のテープレコーダーから元気な歌声が流れていた。販売促進のためなのだろう。最近魚を食べる人が減ってきていると言う。現在、人は肉食系男子とか肉食系女子、草食系男子と草食系女子と分類されるそうだ。魚食系がないのはどうして、と考えていたら店のテープとは違う幼い感じの声で「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌っている女の子がいた。母親と一緒だった。雨の日だったので女の子は長靴を履いていた。

 「お母さん、サカナを食べると頭良くなるの?」と女の子は母親に尋ねた。私も歌を聴いてそう思っていた。さて女の子の母親は何と答えるのだろうと耳を傾けた。女の子の母親は呆れたようにため息をついただけで買った商品でいっぱいのカートを押して行った。女の子は、ちょっと悲しそうな顔をしたけれど「♪サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌いスキップしながら母親を追いかけて行ってしまった。天真爛漫が弾んでいるようだった。

 まだ5,6歳であろう、その女の子を見ていて私の長女の幼い姿がよみがえった。離婚した後、男手ひとつで育てているある日、長女は「パパのお嫁さんになる」と言った。私は「ありがとう」しか言えなかった。嬉しかった。そんな長女も結婚して今では3歳の男の子の母親になっている。

 幼い子どもの発想は大人の意表外のことが多い。大事なのは、大人が子どもの目線まで心も体も下げて、子どもの言うことをまず聞いてあげることではないだろうか。私は離婚して初めて子育ての全てに関わった。野心も見栄もプライドもズタズタになっていた。そんな私を救ってくれたのは、二人の子どもだった。長男11歳長女8歳。私は子どもの立場になり、子どもの目線で彼らに語りかけ、彼らの目線で世の中を見ることによって、前進することができた。

  我に返ると「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」のテープはまだ続いていた。氷の上に並べられた魚を見繕った。この近くの海で獲れたイサキ、ミズガレイ、ホウボウ、カワハギ、カマスである。ふと思った。カワハギを焼いて食べたらどんなだろう。カワハギは刺身を食べたことがあるけれど、焼いて食べたことがない。新たな挑戦である。値段が780円の小ぶりのカワハギを買った。

 家に帰って、台所の流しでカワハギのエラと内臓を取り、まな板の上で包丁で切れ目を入れて、皮を剥いだ。固い皮は剥き始めると面白いように剥ぎとれた。いつしか「♪サカナ サカナ サカナ サカナを食べると アタマ アタマ アタマ アタマが良くなる♪」と歌っていた。

 その夜帰宅した妻と晩酌して焼いたカワハギをスーパーで見た女の子の話をしながら食べた。淡白で白身魚が好きな私たち夫婦は気に入った。あの女の子も家族で食事しているのだろうか。魚は買わなかったようなので肉のおかずかもしれない。あの女の子に東京農大の中西載慶教授が付属中高の校長時代の入学式で述べた「人間には4種類ある。1.が良くて勉強もできる。2.頭は良いが勉強ができない。3.勉強はできるが頭が悪い。4.勉強もできないし頭も悪い。皆さんはまず頭の良い人になって欲しい。」の話をしてあげたかった。中西教授が言う“頭の良い”とは気配り目配り手配りができる人のことだと私は思う。あの女の子にも肉でもサカナでもしっかりよく噛んで食べて、アタマの良い人に育ってもらいたい。


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集団暴行と少年と川

2015年06月09日 | Weblog

  6月6日深夜、愛知県刈谷市の逢妻川で集団暴行を受け「向う岸まで泳いで戻ってこい」と言われ川に入った高校生(15歳)が行方不明になった。9日朝の時点ではまだ発見されていない。このニュースで昨年の2月神奈川県川崎市で上村遼大君(当時13歳)が多摩川で殺された事件を思い出した。(2014年3月05日投稿ブログ参照)

 昨日散歩途中で川が海に流れ込む場所に中学生たちが遊んでいるのを見た。しばらく様子を見ていた。石を水に投げ込んだりテトラポットの上を渡り歩いたりしていた。今回の愛知県で行方不明になっている高校生、そして川崎の事件の犠牲者の上村遼大君と同じ歳ごろであろう。どのようないきさつで近くの中学校から川に来ていたのかはわからない。はたして学校が川や海で遊ぶことを許しているのかも知らない。

 日本人は水に対しての恐怖心が少ないと私は感じている。それは小中学校での水泳の授業が原因であろう。日本全国津々浦々すべての公立の小中学校にはプールが設置されていると何かで読んだことがある。何らかの理由で設置されていなくても、それに準ずる形で水泳の授業が実施されている。私自身の小中学校時代にも小学校にも中学校にも学校内にプールがあった。高校では近くの公園にあった市営プールで体育の授業が行われた。高校にもプールがあったが25メートルのプールだったために市営の50メートルプールをわざわざ使ったと思われる。

 日本では戦後70年一貫して小中学校で水泳の授業が受けられる。私が高校からカナダの学校に移ったがカナダの学校の授業に水泳は含まれていなかった。家族旅行や友人たちと湖、川、海で水遊びの一環として泳ぐぐらいらしかった。学生たちの話題に水泳がのぼることもなかった。

 1993年から2005年まで妻の海外勤務に同行した。赴任したネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアどこの国にも学校で授業の一貫として水泳が教えられていた国はなかった。日本の全小中学校で当たり前のようにプールがあって水泳の授業があるのは世界の中でも稀なことである。多くの国の人々は水に対して恐怖心を持っている。理由は泳げないからだと推測する。今回の中国長江での観光船の転覆で多くの犠牲者が出たのは、泳げないゆえに水を恐怖ととらえる人々が多く乗船していたからではないだろうか。海と違って川の場合、泳いで助かる率はずっと高いと考える。中国の小中学校に日本並にプールが普及していて水泳の授業がなされているとは思われない。

 川崎の事件にしても愛知県刈谷の事件にしても不良の若者たちが起こした残酷で許しがたい事件である。泳げと命令した時点で、その命令が死につながるととは考えてもいなかったのだろう。その思慮のなさ、水に対する恐怖心のなさが仇となった。日本には恵まれた教育内容や環境がありながら、それを享受できなければ宝の持ち腐れとなる。散歩途中に見た中学生たちは、川遊びを純粋に楽しんでいたようだ。自然に対する畏敬とともにその恐ろしさも十分認識してほしい。リスク管理を高めるには、臆病になることも必要だ。臆病を克服するには、人間として生きる術である気配り目配り手配りをフル活用しなけらばならない。人はひとりでは生きられない。無駄な命はひとつもない。防げたであろう若者の無念の死は、老人の私に痛恨と懺悔の槍を刺し込む。


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後方支援より病院船団の平和部隊を

2015年06月05日 | Weblog

  好きなクライブ・カッスラーの新作が出た。早速購入して読み始めた。巻頭に「疫病の流行がこのまま加速すれば、地球上からあっけなく文明が消えてしまうかもしれない」 ヴィクター・ヴォーン博士 『アメリカン・エクスペリアンス』  「朝晩、鼻孔を石鹸水で洗うこと。強いてくしゃみををし、そして深呼吸をすること。マフラーは巻かず、規則正しく早足で散歩をし、職場から徒歩できたくすること。粥をたっぷり食べること」  インフルエンザ予防の助言 1918年紙より   クライブ・カッスラー&ポール・ケンプレコス著『パンデミックを阻止せよ』とあった。

  まさに疫病は恐怖そのものである。目に見えない菌やウイルスによって感染が拡がる。隣国韓国では現在中東呼吸器症候群(MERS)の感染が重大な問題となっている。エボラ出血熱がアフリカで猛威を振るいやっと落ち着いてきたかと思えば次々から次へと疫病の流行が起こる。1918年ヴィクター・ヴォーン博士が言った「疫病の流行がこのまま加速すれば、地球上からあっけなく文明が消えてしまうかもしれない」が現実味をおびてくる。加えてPM2.5の空気汚染、河川や海の汚染の環境破壊も進む。それらが原因と目される異常気象が世界各地で甚大な被害を引き起こしている。加えて地震、火山爆発などの自然災害がある。ヒューマンエラーによる列車事故、フェリー船や観光船の沈没による被害も増える一方である。

  にもかかわらずやれ領土拡大だ軍事力強化だと多くの国々が争う。子供がおもちゃを次から次と欲しがるように新しい殺傷能力がより正確で強力なものにかえられていく。負ける恐怖に打ち勝とうと麻薬をつかうのに似ている。私には憲法問題だとか国際関係の難しいことはわからない。現在日本の国会では「国際平和支援法案」により、自衛隊派遣法を恒久的なものにしようと審議中である。その案は自衛隊が国際紛争に対処する他国軍への給油や物資輸送などの後方支援がいつでもできるようになる。派遣にあたって(1)国会の事前承認に例外は設けない(2)衆参両院は首相に承認を求められたらそれぞれ7日以内に議決するよう努める(3)派遣延長に際して緊急を要する場合は事後承認を容認するとの内容を盛り込んだ。ここに私が求める条項は含まれていない。病院船団構想である。

  私は自衛隊をある特定の国家の後方支援に充てるのではなく、全世界に向けた疫病、自然災害、重大事故への後方支援を標榜するべきだと考える。事が起これば、世界のどこへでも駆けつける。30年前、私はある企業の英会話教育に携わった。その会社の社長に言われた。「わが社は海外に駐在員を置かない。だが24時間で世界のどこへでも社員を派遣する。わが社の製品に関する故障トラブルに対応する。その派遣社員が現地で困ることがないよう社員の英語の教育をお願いしたい」 この会社の製品の信頼は今でも揺るぎない。日本は平和憲法を持つ。この憲法を持つ日本を変わり者国家と評する国が少なからず存在する。何事もまわりに迎合する者だけしかいなければ、世の中つまらない。私も日本の高校の担任に「お前は変わり者だから嫌いだ」と同級会で酔った勢いで言われた。変わり者にも意地がある。まわりと違っていることは、犯罪ではない。日本は世界の変わり者と呼ばれるのにふさわしい国家となるべきである。日本の造船技術、産業技術、医療水準の高さ、国民の平和を愛する気持をもってすれば、不可能ではない。自衛隊を軸として海外青年協力隊のような世界に貢献できる平和部隊に徹したらどうであろう。

  戦後70年を迎える今年、過去の反省は必要である。戦争を知らない戦後生まれが大多数の現在の私たち団塊世代より後の日本人に必要なのは、過去を踏まえた5年後30年後の世界に日本の平和を願う本気を示す展望である。


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新幹線と高齢者

2015年06月03日 | Weblog

  新幹線に乗った。妻の福岡での学会に同行することになった時、妻に「飛行機と新幹線どっちにする?」と尋ねられた。「新幹線」と咄嗟に答えてしまった。

 最近臀部の肉がげっそり落ちた。そのために長く座っていることができない。かつて坐禅で鍛え、脚を坐禅式に組んだまま2,3時間座り続けることができた私がである。家で机に向かう時は、テンピュールの事務用座布団かビニール製のバランスボールを使っている。それでも臀部の骨の固さを日々感じてモジモジしている。

 妻に「新幹線」と元気よく返事してから不安になった。新幹線で行くとなると新大阪まで“ひかり”で1時間57分、新大阪で“のぞみ”に6分間の乗り換え時間があって博多まで2時間30分。家を出てからなんと5時間18分かかる。私は妻にテンピュールの座布団を持参することを提案した。「ダメ」の一言で却下された。前科があるからだ。以前持参したクッションを忘れ一回は駅の忘れ物保管所で戻ったのにすぐあとに乗った電車の中に再び忘れてきてしまった。クッションは戻ってこなかった。きっとまだ妻の臀部のお肉クッションが健全に機能していて私の苦しみが理解できないに違いない。私の気持を知ってか知らずか妻は私のぽっこり膨らんだ腹を指差し「そこの脂肪がお尻にまわせればね」とのたまう。

  「飛行機にすればよかったかも」と思いつつ新幹線に乗った。天気も良く景色を楽しみ、何よりも在来線にない新幹線列車の推進力と乗り心地を満喫できた。

 グローバル雑誌『モノクロム』が発表した世界の住みやすい都市の第10位の福岡を実感堪能できた。食べ物も美味かった。帰りの“のぞみ18号”の指定席に着いた。車内放送が始まった。「高齢者の・・・」 私は自分を高齢者と部分的に認めている。文字で読むと拒否できるが、音で聞くと服従してしまう。私は(ハイハイ、高齢者の私に何の用ですか)と内心思いながら車内放送を聴いた。「高齢者のお手洗いは15号車・・・」 (オイオイ、新幹線凄いじゃないか。今度は高齢者のためにトイレまで設置したんかい) 「高齢者の停車駅は・・・」 「高齢者のグリーン車は・・・」

  (おかしい、何か変だ) 私の空耳に違いない。隣の妻は学会でみっちり勉強してきたにもかかわらず読書中だった。私も本を持参していたが、集中力が数分も持たず、窓の外を見たり、車内前方のテロップニュースを観たりしていた。テロップニュースは2度繰り返されるが、頭の上げ下げのタイミングが合わず、気になったニュースを再度見るために苦労したりして時間をやり過ごしていた。妻に叱られるかもしれないが問うてみた。「ねえ、車内放送でさっきから高齢者って言ってるよね」妻は言葉を発せず顔で反応した。(そんな事いう訳ないでしょう) ちょうどその時また車内放送が始まった。妻が声を出して笑った。「聞こえる。高齢者って聞こえる」 すると車内放送がまた「高齢者の・・・」 妻の笑いが止まらない。

 おそらく車掌は「この列車・・・」と言っているのだろう。日本には方言がたくさんある。土地によって発声やアクセントやイントネーションが違う。車掌個人の問題なのか。とにかく私たちは新大阪までこの車内放送を楽しんだ。新大阪からJR東海の車掌になった。標準語で話す車内放送では「この列車」と私にもはっきり聞こえる。私はオリンパスのボイストレック録音機に「高齢者は・・・」をばっちり録音した。しばらく我が家に来る客はこの録音を聞かされることになる。


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