団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

熊谷連続殺人事件

2015年09月29日 | Weblog

  「テレビに出る映画評論家や学者は、悪人は自分を善人だと思っているとよく言う。コミックや三文小説ではそうかもしれないが、ほんとうのところ、凶悪な犯罪者三分の二以上は愚かすぎてなにも考えてはいない。彼らは、悪をなすことを選んだモラルの代行者などではない。ドラッグやセックスに対する根本的な欲望に刺激され、衝動に従って行動しているだけだ。行動の結果を、それが自分たちに対してであれ、傷つけた相手に対してであれ、正しく認識することができない。獰猛な獣と一緒だ。これは人種とは関係がなく、黒人にも白人にも同じことが言える」 ページ196 15行目から ページ197 5行目 『もう過去はいらない』 ダニエル・フリードマン著 創元社

 9月16日夕方、何気なく見ていたテレビニュースに視聴者が投稿した映像が映し出された。熊谷市の住宅街で民家に押し入ったペルー国籍の犯人の男が住宅の2階の窓から上半身を外に出し何やら喚き散らしている。手は包丁らしきものを持っている。住宅の窓の下に血らしき赤茶色の跡が筋状に斑点になって拡がっていた。男は声を出している。突然カトリック教徒がするように十字を切ってしばらくして窓から滑り落ちるように地面に落ちた。

 この映像はあの日テレビニュースで繰り返し放送された。ところが次の日はパタッと消えた。おそらく放送倫理規定だとか人権なんとかやらで放映差し止めになったか、放送局の自主的な判断か、視聴者からの苦情が多く中止せざるをえなかったのか。真相はわからない。しかし私の脳裏には明確に犯人の行動が映像で残った。特に私が注目したのは彼が手で十字を切ってから飛び降りたことである。6人もの人を殺して尚、神と通じようとする気が知れないのだ。冒頭に載せた引用が私に迫る。「どうして」と理由、動機を考えようとしても犯人が何にも考えていなければ、何をしたのか認識できなければ、私の人間としての理解はそこで止まる。

 大阪寝屋川市の中学1年生2名の殺人事件など殺人事件が毎日、日本中で起きる。残虐で悲惨。被害者が幼いほど、私の怒りは増し、やるせなくなる。今回の熊谷の被害者宅には施錠がされていなかったという記事があった。被害者の誰もが自分の住む地域を安全と思い込んでいたに違いない。

  ネパールで暮らしていた時、長男が大学の友人たちと3人でカトマンズへ遊びに来た。彼らが飛行機の中で会った日本の小学校の先生2人の計5人が我が家に泊まった。その晩隣家の木を伝って3階から泥棒が侵入した。カメラ、現金など盗まれていた。妻の頑丈な皮製のドクターバッグがスッパリ刃物で切り裂かれていた。計7人いた日本人があの蛮刀で殺されていたらと思うと震えが止まらなかった。ガードマンがいて番犬がいて施錠した家でもスキだらけなのだ。その後セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアどこでも防犯に努めた。

 ペルー人の犯人は日系人から金で養子縁組して日本での就労ビザを申請できる権利を得て、ペルーの日本大使館で犯人の兄が25人を殺害していても引っかかることなくビザの発給を受けた。日本ではおそらく重い海外不適応症候群になっていたと推測できる。受診治療も外国人ゆえに受けられなかった。犯行後も警察に一度身柄を確保されたにも関わらず逃走した。最初の犯行が発覚しても、警察署から逃走しても、非常線も張られず、住民に警戒するよう呼び掛けも行われなかった。国の内外機関、警察も誰も完璧に市民の我々を守ってはくれない。相当部分、自分の命は自分で守らなければならないのだ。

 乳がんを公表して切除手術を受けたタレント北斗晶さんは子どもたちに「学校に何を忘れてきてもいい!ただ一つ絶対に忘れずに持って帰って来るもの。それは…命だよ。何があっても命だけは持って帰っておいで。」と言い続けているそうだ。同感。更に私は付け足したい。「家は砦。ワルから命を守るため知恵を絞って毎日点検して、より堅固な砦にして命を守ろう」


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もう年はとれない。もう過去はいらない

2015年09月25日 | Weblog

  23,24日と妻は長野へ一泊で出かけた。妻の母親は転倒して骨折、手術を受けた。手術をしてくれた病院を退院して、リハビリができる病院付属の老健へ移った。歩くことが不自由になったので、もう一人では暮らせない。妻の母親が家に戻ることはない。妻は家の中の整理片づけ掃除をしている。私の今の健康状態で妻を手伝うことはできない。

 折しも敬老の日が過ぎたばかりである。100歳以上の人口が6万人を超したという。健康で元気な年寄りはたくさんいる。個人差が激しい。私の父親は72歳の時、すい臓がんで死んだ。私はあと4年で父の死んだ年齢に達する。元気な老人を羨ましいと思わないと言ったら嘘になる。私は自分の老いのあんばいを日々新たに感じている。私亡き後の妻のこと、子どもたちのこと、孫のこと、この先の日本のことと考えれば不安な事ばかり。そんな私を救ってくれるのは読書だ。そして時々映画。

 妻のいない長い夜、私は読みかけの本をベッドで読んだ。『もう過去はいらない』(ダニエル・フリードマン著 東京創元社発行 1040円+税)である。前作の『もう年はとれない』が面白かったので新作が発売されるやいなや購入した。最初に妻が出勤の電車の中で読んだ。妻は前作も読んでいる。夫婦で同じ本を読んで内容や登場人物の話をするのは楽しいものだ。アメリカの小説や映画は暴力とセックスなしではすまない。この『もう過去はいらない』もご多聞にもれず過激な場面が多い。私も妻もそれ以上に主人公のバルーク・シャッツ(元殺人課刑事88歳)の老いとの闘いざまから学ぶ。

妻は自分の母親が認知症と骨折で病院施設に入所することになり、実家に帰ることが多くなった。バルークも軽い認知症で老健施設に入所している。孫とバルークの会話:「老人ホームでだれかそういう携帯持ってる?」「老人ホームじゃない。高齢者のための介護付きライフスタイルコミュニティだ」 アメリカ人も老人ホームという呼び方を嫌う。ライフスタイルコミュニティと訳されているがバルークが言いたいのは“老人がだれでも自分が生きて来た生き方を貫ける介護付きの社会空間”だと思う。いずれにせよアメリカと日本と文化も環境も異なるが、人が老いることに違いはない。本人にしかわからないことであっても小説では読者は本人になったような気分を味わえる。

 最近テレビでも本でも映画でも年寄りが増えてきたせいか主人公が年寄りのものが多くなってきた。日本では主人公が複数だがアメリカでは一人が多い。これも文化風習の違いであろう。外に出るとお年寄り女性は女性、男性は男性だけのグループで旅行している人々を数多く見る。私はそういうことをしたことがないので一人の話の方が共感を持てる。

 妻の母親は物を捨てられない人である。以前妻は妻の母に家の中を片づけるように進言した。「私が死んだらあんたがやればいい」と言ったそうだ。母親は、もう家に戻って今までのように一人で暮らすことはできない。転院した施設には小さなバッグ一つで事足りた。妻は母親が何十年も捨てられなかったモノが溢れる実家の部屋に布団を敷いて一人で寝た。小さなバッグが頭から離れなかったそうだ。

 人は裸で生まれ、また裸で死んで行く。イソップ

 


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敬老の日、孫の保育園参観

2015年09月17日 | Weblog

 16日午後3時半から長女の長男4歳の保育園へ出かけた。21日の敬老の日にあわせて祖父母への感謝を表す企画だそうだ。孫お手製の招待状を受け取った。孫に会うのは年数回である。会っても親にぴったり張り付いていて私に近づくことはない。

 保育園へ私だけで行っても果たして大丈夫だろうかとわざわざ出かける意義をいぶかった。5回乗り換えて娘の家に約束の11時半にたどり着いた。この時点で疲れてしまった。長女は今日のために会社を休んでいた。前日が長女の誕生日だったので二人で近所の蕎麦屋で一日遅れのお祝いをした。孫が生まれてから長女と二人だけで話すことがなかった。

 私が長女に望んでいたことと現実は違っている。長女は母として会社員として妻として、毎日が闘いだと笑う。長女の人生は長女のものである。いまさら私が何を言っても始まらない。ただ願うことは一日にたとえ一回でも「幸せ」と思えることがある毎日を送れることだ。あとはただ後ろから見守ることしかできない。

 3時過ぎに長女の家から保育園まで歩いた。保育園は区立と聞いていたが小規模で普通の民家より少し大きい建物だった。長女と玄関で別れた。終わったら車で迎えに来て駅まで送ってくれることになっていた。

 中に入ると多くの参観者が集まっていた。私には先入観があった。東京の保育園はさぞかし洗練されていて最新の教育がなされているのだろうと。ところが意に反して受け入れ態勢はなっていなかった。案内もなければ靴の置き場も用意されておらずジジババは右往左往。60数年前私が2年通った長野県の保育園でさえもっとずっと管理統制され秩序があった。何とか孫が属する組を自分で探し当てて教室に入った。

 教室に入って更に驚いた。昨日の新聞にいまでは小学校の1年生でさえ教師に暴力を振るって怪我を負わせるほど教室が荒れていると書いてあった。約20人の園児がいた。参観日に備えて臨時に保育士を増員したのか合計5人いた。しかし私に言わせれば“学級崩壊”とはこういうものかという状態だった。保育士の言うことを聞いて指示に従う子どもが半分くらい。あとはてんでバラバラ勝手に動き回っている。我が孫も最初は座って保育士の言うことに従っていたがいつの間にか本棚の前に座りこんで本を見だした。

 私は保育園といってもこれはただの託児所だと思うことにした。待機児童の多い中、こうして保育園に面倒見てもらえるだけまだ恵まれている。長女の家庭の事情とはいえ、現実に直面した。それでも保育士に促されて、唄いながら遊戯を一緒に腰を屈めてした。孫は加わっていなかった。いつものように私に距離を置いているようだ。天真爛漫な子どももいて、私が思っているような幼児らしい仕草動作にちょっぴり救われた。保育園にはいろいろな環境の子どもが集まっているに違いない。4歳の子どもの未来は未知数であり無限大であろう。それを社会や家庭が徐々に破壊していくと思うとつらい。

 東京駅で仕事帰りの妻とメール頼りに待ち合わせた。帰りの新幹線のテロップニュースでは国会の安保法案の紛糾の文字列が流されていた。国会議員があの程度である。荒れる教育現場並みに言論より肉弾戦の荒れる国会、動員される高給取りの国会衛視。茶番にしか見えない。この国は確実に劣化している。経済的制約で子どもを産めない。良い教育環境で子どもを育てられない。そんな国に未来があるだろうか。再婚した妻は子どもを持たなかった。妻には日本のいや世界の未来が見えていたのだろうか。


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中東難民とバルカンルート

2015年09月15日 | Weblog

 中東の難民がバルカンルートを経てドイツへ押し寄せている。バルカンルートとはトルコ~ギリシャ~マケドニア~セルビア~ハンガリー~オーストリア~ドイツの行程を指す。妻はバルカンルートの経由国旧ユーゴスラビア(現セルビア)の首都ベオグラードで1997年から2000年の10月まで医務官として在任した。私も同行した。途中経済封鎖やNATО軍の空爆があった時期だった。

 経済封鎖を受けていたので物資調達でオーストリアへほぼ月一回順番で買い出しに行った。その道筋は現在中東からの難民が押し寄せているバルカンルートの一部である。個人的にもガソリン調達がままならなかったので閉塞した生活から逃れるために妻と週末ベオグラードからハンガリーへガソリンを買うためにドライブがてら出かけた。旧ユーゴスラビア国内のハンガリーへの幹線道路の交通量は少なかった。しかしハンガリーと旧ユーゴスラビアの国境はいつも混雑していた。社会主義国の影響か出入国を管理する役人たちはのんびり仕事をする。食事時間、休憩時間が来れば、窓口を閉めてしまう。効率的能率的という概念は持っていない。

 旧ユーゴスラビアの道路脇にはガラス瓶に入ったガソリンを売る人がよく立っていた。国境といっても国境線すべてが管理されているわけではない。ルーマニア、ボスニアヘルツゴビナなどから密輸された物資が国境を超えて入り込み出回っていた。

 国境、陸続きの国境は日本にない。島国の日本は国境がないことで利点もあれば欠点もある。今回の中東からの難民がドイツを目指しているのも日本人には理解できない現象である。日本人であれ何人であれ出国する時も入国するにもパスポートやビザの検査を受けなければならない。外国で出入国するにも同じである。難民の多くはパスポートもビザも持たない。ではなぜバルカンルート諸国を通過できるのか。中東の難民はドイツを目指す。通過国はどこも厄介者である難民が少しでも早く通り抜けて行ってほしいと願っている。厄介者と思うからこそ、ハンガリーで取材中の女性記者が難民を足蹴りするような事件が起こる。中東の難民は通過国であるギリシャ、マケドニア、セルビア、ハンガリー、オーストリアに住もうとは思わない。おそらく難民の間で情報が拡がっていてドイツを目指すのだろう。

 旧ユーゴスラビアのベオグラードに住んでいた時のことだった。12月幹線道路を車で走っているとまるで砂漠のキャラバン隊のように列になって走行する車の一団に出会った。セルビア人の運転手に尋ねるとドイツで働くトルコ人がクリスマス休暇でトルコに帰るのだと言う。ほとんどがワゴン車で車の屋根の上にも荷物をたくさん積んで人も乗れるだけ乗っている状態で走行していた。彼らは旧ユーゴスラビアをただトルコに向かって通過するだけである。セルビア人の運転手はトルコ人の一団が食事などで道路脇に停車して煮炊きしたり畑でトイレをする。片づけも掃除もしないので迷惑だと怒っていた。

 今回の何千人何万人という難民が通過するバルカンルート諸国ではきっと同じ問題があると推測する。かつてガルブレイスは『大衆的貧困の本質』で「貧しさから逃れるには貧しい国から先進国に移住することだ」と書いた。セネガルでもネパールでもチュニジアでも貧しさから逃れるために先進国へ行きたいという人々に数多く出会った。大金を使って密入国を試みても失敗して強制送還される者は後を絶たない。正規の手続きをして移住するのは今日ではとても難しい。世の中は公平平等には決してできていない。厳法があっても超法規的処置によって救済されることもある。常に人間は運不運のイタズラのおもちゃにされているように感じる。

  難民のニュースを観るたびに私が使わざるをえなかった12月のトルコ人集団が使ったベオグラード郊外の廃業したドライブインの公衆トイレの足の踏み場もないおぞましい内部が思い出される。バルカンルートの多くの地で現在見られる光景であろう。難民問題は重大過ぎて私にはどうしたらいいのかわからない。人間はどんなに偉そうにしていても食べて排泄しなければならない。その行為が他人の迷惑にならないようにしていることぐらいしか私にはできない。今回の茨城常総市での水害のように、ひとたび災害にあえば、それさえできそうにない。落ち込むばかりである。


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大雨特別警報と濁流の破壊力

2015年09月11日 | Weblog

 10日木曜日、茨城県、栃木県に「大雨特別警報」が発令されていた。過去に経験したことがない、と付記されていた。午後になって常総市の鬼怒川の堤防が決壊して市内の3分の1に濁流が流れ込んだ。鬼怒川、鬼が怒る川、何か昔から水害が多かった語感である。今回の被災地の地名に○○新田とか水に関する地名が多い。おそらく平野の肥沃な沼地が開拓されて農地にされたのだろう。

 多くの市民が逃げ遅れた。自衛隊、消防、警察、海上保安庁の救助ヘリコプターが夜を徹して懸命な救助を続けた。如何せんヘリコプターは一回一人しか救出できない。歯がゆいほど救助は進まない。それでも隊員たちはヘリコプターに繋がる一本のロープに二人の命を託した。11日の朝までに自衛隊だけでもヘリコプターと救助艇で400人以上を救出したというから頭が下がる。

 9月5日午後8時からNHKで『NHKスペシャル「巨大災害第1集“極端化する気象~海と大気の大変動”」』、6日午後9時から『第2集「大避難~命をつなぐシナリオ」』を放送した。特に第1集を茨城県常総市の人々が今回の大雨に遭遇する前に観ていたらと思わずにはいられなかった。今回決壊した堤防付近は国土建設省が作成したハザードマップの被害状況とほぼ一致していた。NHKの番組でも住民は自分の地域の危険度を認識したうえでの避難の方法を提案喚起していた。ヘリコプターで救出された男性が「大丈夫だと思って庭の様子を見に行って、玄関へ引き返そうと思ったら、あっという間に濁流に飲み込まれた。水は恐ろしい」と助かった喜びを語っていた。だからこそあの番組を観ていたらと残念に思った。誰でももちろん私だって災害や危険は自分とは関係ないと思いがちである。だからこそハザードマップなどで、いざという時のための準備が必要である。

 9日には私が住む地域にも「大雨注意報」と「土砂災害注意報」が出た。雨は断続的に強弱を繰り返した。強く降る時は音と水飛沫が恐ろしいほどだった。その後「避難勧告」さえ発令された。家の前の川は濁流になり川幅いっぱいに水位を上げて来ていた。山間部から一気に海に流れ出るので土石流が警戒される。集合住宅で1階は駐車場になっていて我が家は2階部分にある。川からは20メートルほど高い。建物も頑丈な鉄筋コンクリートで建てられている。長女からメールが入った。「パパへ 雨すごいけど、大丈夫?裏が山なので心配です。かと言って海は高波かな。。。とにかく気をつけてね。」

 やがて雨は止んだ。台風18号の本体のことばかり気にしていた。今度の大雨は台風本体ではなく17号と18号の間にできた帯状の雨雲に次から次へと南の水分を含んだ温かい風が吹き込んだのだそうだ。異常気象である。私が住む地域から雨雲は東京方面に進みやがて栃木茨城へと移動。今朝は宮城県で大雨を降らせている。

 日本は有史以前から地震、台風などの自然災害で苦しめられてきている。これだけの長きにわたる被災経験があってもなお、防ぐ手立ては確立されていない。もっともっと皆で知恵を絞って、経験から学んで生き残っていかなければならない。

 ここに写真が3枚ある。6月8日の海に流れ込む川口の形状。右側にダムのような岸。8月23日の台風15号の後の川口。土砂の堆積が台風の高波で左右逆に変えられていた。9月10日の大雨の後の川の流れは再び左側の岸を削り取った。 太平洋に虹が出ていた。虹は美しかった。やはり自然は人間の艱難辛苦を超えた存在だと思い知らされた。こんな小さな川でもこれだけの変化を受ける。被災地の復興と防災対策の進展を祈る。虹のように人々を慰め勇気づける自然が戻りますように。


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仙台育英佐藤世那投手のスマイル

2015年09月09日 | Weblog

 U—18ワールドベースボールがアメリカの優勝で幕を閉じた。甲子園全国高校野球大会とU—18ワールドベースボールのお蔭でこの夏の猛暑も家の中で何とか乗り切れた。将来有望な球児をたくさん見つけた。

 今年のU—18ワールドベースボールは日本での開催だった。ただ日本チームの試合は高校野球と違って昼間でなく決勝戦以外、午後6時の開始に変わった。この時間はちょうど妻を駅に迎えに出る時間とぶつかる。それでも雨や前の試合終了が遅れるなどして観戦できた。まさにドリームチームである。私が目をつけた関東一校オコエ外野手、仙台育英平沢内野手、秋田商業成田投手の活躍をまた観られるなんて。それもチームジャパンの代表選手となってプレイする。彼らは私の期待通りの活躍を見せてくれた。

 ブラジル戦、アメリカ戦、オーストラリア戦、チェコ戦、メキシコ戦、韓国戦、そして決勝のアメリカ戦全試合を観た。野球だけでなく各国の18歳以下の若者の文化精神風土を観察できて面白かった。ちょうど時期を同じくしてアメリカで行われたリトルリーグの世界大会での日本の試合も雨ばかり降って外に出られなかったので観ることができた。18歳以下12歳以下のそれぞれの国の若き球児たちの観察ができた。

日本チームはU—18より一足先にリトルリーグのワールドシリーズで優勝を決めた。リトルでもU‐18でも日本が得意としてきたバンド攻勢の各国チームへの浸透が見られた。イチローが大リーグに移ったばかりの頃、イチローのセイフティ・バンドへの風当たりを想うと隔世の感がある。まだ日本チームには管理野球的要素が色濃く残っているが、身体的にも技術的にも進歩向上しているのは確実である。国際試合では必ず問題になる審判の判定基準の相違も随所に見られた。日本の監督コーチはその点も事前に調査研究して選手を指導しなければならない。国際化という点で見劣りしたのは残念だった。

 日本の球児たちの礼儀しぐさ行儀態度の良さは、どの国のチームより目をひいた。韓国チームのメンバーも日本に近いかなと思ったが、国家を背負っている悲壮感に観ている側の私はスポーツというより争いを意識してしまう。私が妻の海外勤務に同行して暮らした国々ではよく国際親善ソフトボール大会があった。日本が韓国チームと戦うときは、観ていて辛くなることが多かった。ソフトボールチームに参加した日本の若者は、勝ち負けにこだわることなく明るく楽しそうにプレイしていた。不甲斐ないとも受け取れたが、フランスチーム、セネガルチーム、アメリカチームなどと同じでスポーツをリクレーション活動にできるまでにゆとりができたのかもと考え直したものだ。いつの日かわだかまりのないスポーツが両国の間でも楽しめる日が来れば良い。

 日本の選手がグランドで唾などを吐き捨てる行為を見たことがなかった。反面ブラジル、メキシコ、アメリカの選手、特に投手は肺か鼻喉の病気ではないかと疑うぐらいマウンド上でペッペと吐き散らす。私のマンションの共同浴場で有名な“タンツバ”ジイサンに負けていない。他にもチューイングガムが気になった。ブラジルの日系投手は投球する直前プーッと口に風船を作ってから投球した。あれがルール違反にならないのが不思議だ。それでも野球はサッカーのようにイレズミが目に入らないだけましかもしれない。

 最優秀投手賞に仙台育英の佐藤世那投手が選ばれた。私は彼が大リーグに行けたらいいと思う。投手としても優秀だがマウンド上で見せるジャパニーズスマイルは案外大リーグで打席に立つ打者をイライラさせ空振りを誘える気がする。他の国の選手でも日本の選手でも佐藤投手のような独特のスマイルはなかった。野球もさることながら、こうして選手の観察が私を楽しませてくれた。感謝。来年の夏、元気でまた野球観戦できるといい。


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三菱EKワゴンと山田浩二容疑者

2015年09月07日 | Weblog

 私は2002年に心臓バイパス手術を受けた。当時私は妻が医務官として赴任したチュニジアに住んでいた。私だけが日本へ帰国して手術を受けることになった。

 長野の病院に入院して手術を受けることになった。長男は結婚して家庭を持ち長女も東京に住んでいた。ちょうどその時、長女が前に勤めていた会社からリストラされて無職だった。長女は手術直前までいろいろ身の周りの世話をしてくれた。ある日、長女がラジオ番組の懸賞に応募したら軽自動車が当選したと言いだした。車は三菱の軽自動車でEKワゴンだった。車はもらえるが登録費用や税金などは自己負担になる。長女にそんな余裕はなかった。とりあえず私の名義で登録して軽自動車を妻の実家に置いてもらうことにした。

 私が手術を受ける2日前に妻が休暇をとってチュニジアから帰国した。私は同乗者が同行するならの条件付きで担当医師の許可を得てEKワゴンで成田空港まで迎えに行った。それが三菱EKワゴンを運転した最初だった。

 8月21日中学一年生の平田奈津美さん(13歳)の死体遺棄の疑いで山田浩二容疑者が逮捕された。山田容疑者が犯行に使った車が三菱のEKワゴンだと報道された。頻発する殺人事件の報道を受けてもその事件を現実的に受け止めることはまずない。ないと言うよりできない。今回はEKワゴンと知ると変に現実味がまとわりついた。運転感覚、車内の空間、シートの固さ、エンジンのパワー、ハンドルの握り具合と感触。

 軽自動車のEKワゴンで山田容疑者は信じられないほど広範囲に移動している。その行動力に違和感を持つ。働いていた福島から大阪までを往復、それだけでなく途中千葉のカツカレーの店へ寄ったり秋葉原で遊んだりしていたことがわかってきた。軽自動車の性能がいくら向上したからといえ、45歳の男性誰でもできることではない。

 山田容疑者は9月7日現在いまだに犯行に関して黙秘を続けている。長距離運転が平気、一旦逮捕されれば今度は完全黙秘、いったい山田容疑者の精神構造と身体能力はどうなっているのかといぶかる。

 軽自動車のEKワゴンが犯行に使われたことで私はこんな推察をした。殺された平田奈津美さんと星野凌斗さんがもし山田容疑者のEKワゴンに乗り込んだとしたら、それは山田容疑者が軽自動車に乗っていたことが彼らの防御心から「危険」の2文字を消し去ってしまったのではと考える。

 昨今地方選挙だけでなく国政選挙でも候補者は競って軽自動車を選挙カーとして使う。それは自分たち候補者があなたたち一般市民と同じ目線ですよという選挙用の欺きである。 

 平田さんも星野さんもごく普通の家庭の子供なのだろう。ベンツなどの高級車で接近されたら警戒も違和感も持ったであろう。軽自動車で45歳のオッちゃん、中学生二人の警戒心はゆるんだに違いない。

 犯人がそこまで計算して軽自動車を使っていたとしたら、恐ろしいことだ。犯罪者はずるがしこくなるばかりである。一般市民は犯罪者の先を行く防犯学習が必要である。事件が起こった後で「なぜ」「どうして」と嘆くより、今、自分の身を守る算段を。軽自動車≠善良な市民もそのひとつである。


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分裂派閥抗争山口組 維新の党 自民党

2015年09月03日 | Weblog

 どんな人の集まりでも、暴力団であれ宗教であれ政党であれ会社であれ自治会であれ、ひとたび形成されると組織内での権力闘争が起こる。男も女も変わりない。肌の色も文化も宗教も関係ない。その様は動物の群れのボス争いと何も変わらない。

 『チンパンジーの政治学』(フランス・ドゥ・ヴァール著 産経新聞出版 1800円+税)にこんな記述がある。「チンパンジーたちも集団生活をおくるためにはリーダーを必要とするが、腕力で現在のリーダーを倒しても他のチンパンジーたちはそれをリーダーと認めないのである。リーダーを目指すチンパンジーは周到な根回しをおこなわなければならない。他のチンパンジーには各自の思惑があり、自分に都合のよいものをリーダーに推す。リーダーになるためには、各グループのボスたちの(メスグループのボスたちも)の思惑を理解して利権を約束して協力を得なければならない。また、直接権力闘争に参加しないチンパンジーたちは日和見主義を決め込んで、どの場面でどう動けば利益が大きいか判断する」

 『チンパンジーの政治学』は長年チンパンジーの群れを観察した研究論文でもある。写真が数多く掲載されている。チンパンジーの写真があの人に見えたり、かの人に見えたり。

 この本を読みながら私はいろいろな団体組織グループの分裂、合流をその場面場面に当てはめた。実に面白い。「山口組が分裂か」と大きな見出しの横に「維新の党分裂か」そのまた下に「自民総裁選第3派閥の岸田派安倍支持表明」 目を海外に向ければ、イスラム教のスンニ派とシーア派、有色人種と白人、アメリカと中国、あっちに付いたり、こっちに付いたり流動的である。

 このようにくっ付いたり離れたりの現象は、見ている側には決して快いものではない。しかしこれが寸分の隙もなくがんじがらめに統率される独裁となれば、これは恐怖となる。その点から考えれば、ある意味健全な現象であるとも言える。

 私は派閥の長になったことはないが、下っ端に名を連ねたことは多々ある。また習い事でいくつかの教室に通った。習い事の世界でも醜い権力闘争、派閥闘争、年功序列因習を見た。このことから学んだことは、人はどの群れに属するかでその先への道筋がつく、ということだ。孤軍奮闘してどの群れにも属さずに大成する人もいるだろうが、大方は属する群れによって毀誉褒貶は決まる。人生は巡り合わせだという。どちらの群れに属するかという決断は、ある意味“賭け”だ。

 私は再婚した妻に言われた。「あなたは他人の人生の2生も3生もして苦労した。だからこれからのあなたの余生を私にください」 やれ逆玉の輿結婚だ、男のクセにと外野はうるさかった。私自身は妻に会う前のメチャクチャな生活の結果、糖尿病とその合併症の狭心症を患った。2001年の心臓バイパス手術で一命をとりとめた。オマケの人生を頂いた。だから逆玉でも女々しかろうが、まだ生きていることの喜びが何事にも勝る。

 今は妻と二人だけの生活である。どの政治結社、宗教団体にも属していない。自分たちと気の合う数少ない友人との交流だけが楽しみである。まるでチンパンジーの群れでいえば、はぐれ者である。類は友を呼ぶ。嬉しい。こんな私にも妻がいて友がいる。砂金採りが川で皿に入れた砂を取り除きながらだんだんに砂金に近づくように私が時間をかけて妻を探し当てた。友も同じこと。私の余生の日々、妻を大切に生きてゆく。もう迷わない。私の人生のいかなる選択も妻を最優先とする。


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甲子園高校野球ネット裏のラガーシャツ

2015年09月01日 | Weblog

 甲子園での高校野球は東海大相模の優勝で終わった。決勝戦の次の日から私は脱力感というか幽体離脱のようなもぬけの殻状況に陥った。25日になっても変わりがなかった。相模原の歯医者に治療のため出かけた。小田急相模原駅に降り立って歩いて歯科医院までの道のりは『東海大相模高校 全国制覇 おめでとう』のポスターとのぼりが街を埋め尽くしていた。待合室で週刊誌を読んでいた。ずっと高校野球を観戦していて気になっていたことが一気に解決される記事を見つけた。

 甲子園球場のバックネット裏の一等席の最前列に並ぶ男性たちが私の疑問となった。来る日も来る日も同じ顔ぶれ。着ている服が変わっているが同じ顔。とうとうある日私は画面に指をはわせて男性たちを特定して一緒にテレビを観ていた妻に言った。「この人達毎日ここで観ているけれど凄いね」「何が凄いの」「だってバックネット裏のこんないい席、凄く高いよ」「お金持ちはいくらでもいるでしょう」「でも毎日こんないい席を確保して観るのは並大抵のことじゃないよ」「あなたは野球を観ているだけじゃなくて、そんなことも観てるの」 彼らは朝日新聞社のお偉方か特別なコネがある人たちだろうと私のたわいない疑問に終止符を打った。

 疑問が解決されることは気持ちが良い。週刊誌もたまには読んでみるものだ。甲子園の高校野球の観戦料は外野席無料、ネット裏の『中央特別自由席』が当日券2千円、開催中全試合通し券が2万6千円だそうだ。通し券を購入すれば、毎日でもネット裏最前列に先着順にだれでも座れることができる。熱心なファンは前日の最終試合終了直後からネット裏の席を確保しようと並ぶという。『8号門クラブ』というメンバー数100人ほどの集まりがあり,前日の試合終了後ただちに8号門入り口前に大勢で並び席を確保している。

 ネット裏に毎試合同じ場所に同じ顔触れが揃うと嫌でも目に着く。特にラガーシャツに蛍光色の帽子をかぶった男性が目立っていた。高校野球好きが高じて熱心に観戦するのは個人の自由である。ましてや順番取りに前夜から並ぶという苦行のような努力までしている。高校野球全日程を見届けるには金もかかるし時間もかかる。それに何より夏の炎天下であれば、健康面での制限もある。相撲、オリンピックなどにも必ず目立つ服装をして応援する人々がいる。古今東西の人間の他人より目立ちたいという現象のひとつである。席の確保の仕方に批判があるらしい。私は自分でやろうとは思わないが法や常識を守る限り、個人の自由を尊重する。

 私は今回、自分の疑問が解けたことに喜んでいる。最近の報道は5W1H(いつwhenどこでwhereだれがwho何をwhyなぜhowどうやって)を完結させてくれない。それ以前に聖域があってまったく報道されないこともある。報道されても尻切れ記事が多く、その後の報道がパッタと途絶えることも多い。聖域に踏み込みこんだり、記事の顛末を丁寧に追い報道してくれる報道媒体ができればいいのだが。

 28日から日本でU‐18ベースボールワールドカップ2015が13か国の代表チームを集めて大阪で始まった。侍ジャパンチームは甲子園で活躍した高校生選手を多くが選出されている。まるでドリームチームだ。生活にポッカリ穴が空いて気が抜けてしまっていた私もこの試合が始まると元気を取り戻して観戦している。野球と言ってもプロ野球にはまったく関心がない。高校野球ほど熱が入らないが、敵味方で闘った選手が日本の国旗を背負って一丸となってプレイする姿に魅かれる。

 ネット裏にラガーシャツを探してみたがあの面々を見ることはない。彼らは甲子園だけのグループなのかもしれない。ある報道によるとアメリカの大リーグから依頼された30人くらいのスカウトがネット裏に来ているという。私はスカウトの誰ひとり判別できない。ラガーシャツでも着てくれていたらとしょうもないことを考える。隠密行動であっても多くの選手がスカウトの高評価を受け、今までの努力が報いられ、世界へ羽ばたけるチャンスを得られることを願う。


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