風邪をひいた。ずっとこの冬何とかウガイと手洗いとマスクをすることで凌いだ。何度か鼻水と喉の痛みがひどくなり、いよいよ寝込むようになるかと思ったが踏みとどまれた。今回もそうすることができればと養生している。まだ塾で教えていた時、私は風邪の流行が去った後に数日風邪で寝込んだ。病は気から、という。大学受験生を多く抱え、来る年も来る年も自分が受験するようにストレスがかかった。そのせいか受験期が終わるとピーンとはったバイオリンの糸が切れるように風邪を引いて寝込んだものだ。今はそんなこともなく気は常時ダラ~ンと垂れた状態にある。
そんな折、宮崎県綾町からマンゴーが一個送られてきた。妻がふるさと納税したお礼の品である。風邪を早く治すには休養と栄養、特にビタミンが必要と妻が宮崎マンゴーを切って食べようと言ってくれた。私は躊躇した。昨日もスーパーの果物売り場に宮崎マンゴーは一個2千円以上で売られていた。マンゴーは妻の赴任地ネパールやセネガルにたくさん売られていた。マンゴーとパパイヤはほぼ毎日のように食べていた。一個ではなく一キロいくらだった。2千円出せば店のマンゴーを買い占められたであろう。あれだけ食べてもまだマンゴーにあきていない。私のマンゴーに対する思いは、イチゴと同じく果物の最高ランクに君臨している。早速妻の言葉に後押しされて宮崎マンゴーを切り分けた。
とにかく甘い。ネパールやセネガルのマンゴーとは色も形も違う。ここは日本である。一個一個の果実を丁寧に手間暇かけて育てる。自然栽培でなく温室で温度調整湿度調整日光調整までして商品にする。私が働いて納税していた頃、ふるさと納税なる制度はまだなかった。納税は国民の義務である。しかし真面目に納税を続けても受け取る側から感謝の言葉も労いの言葉も聞いたことがない。納税者の不満はきちんと納税しても、ただ“取られた”という思いが強い。生活保護への税負担は増えるばかりである。必要な人ももちろんいるが、不正受給する人はあとを絶たない。払える者から絞り上げるのが税徴収側のやり方である。妻もその思いを強く持っていた。ふるさと納税の制度ができてから、お礼の品物が送られてくることも喜んでいるが、そのたびに“ありがとう”と言ってもらえることに苦労が報われると言う。
日本の税務に関わる公務員は封建時代のお上の遺伝子をしっかり受け継いだに違いない。税を取れるところから情け容赦なく取りたてる。感謝や労りなどとんでもない。絶対に下じもの者どもに見せてはならない態度である。生かさず殺さず、税を払わせる。そんな中、誰がどうして思いついたのかふるさと納税が始まった。物も金も人も東京に一極集中している。ふるさと納税は納税者が自分の税金を一定額自分が選んだ地域市町村に納付できる。寄付である。その地域の特産品をお礼という形で贈る。いろいろな意見がある。私は良い制度だと評価する。地方の特産品が日本中に出荷される。各自治体はふるさと納税を多く受けるために努力している。これこそ自助努力となり地方の活性化につながる。
宮崎マンゴーを口にして、ふと思った。ふるさと納税を進化させて近い将来、納税者自身が応援する発展途上国へ寄付するのも良いかも。私なら迷わずネパール、セネガルを選ぶ。