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団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

電池交換

2025年09月04日 | Weblog
  万歩計の表示が消えた。以前から電池を使う器具の電池交換を知るためにメモに日時を記録しようと思っていた。まだ記録することができていない。いったいこの先延ばし体質はいつになったら治るのか。
 電池は不思議なものだ。子供の頃、電池は魔法の物体だった。なぜ電池を入れると明かりがともったり、音が出るのか不思議でならなかった。電池で動く車のおもちゃを買ってもらった。スイッチを入れたままにしておいたのだろう。次の日ウントモスントモ動かなくなっていた。父親が買った店に持って行って違うおもちゃに取り換えてきた。電池の問題だと今ならわかるが、当時はおもちゃ自体に問題があると思ったのだろう。
 電池で動く万歩計、テレビのリモコン、パソコンのキーボード、パソコンのマウス、体重計。電池といっても乾電池以外に、充電式の携帯電話、電子辞書、カメラもある。電池の交換や充電そのものは難しいことではない。ただ乾電池の交換は、今も変わらず不便である。まず電池の収納部分に+と-の印字があるが、これが見えにくい。電池の向きを間違えて器具が作動しないこともある。電池を出してやり直そうとするが、電池を出すのも一苦労。爪を立ててだそうとするが上手くいかない。
 電池を新しいものに変えてもそれで終わりではない。表示が出て年月日、時刻、体重、身長、生年月日などの再入力を命じられる。これが面倒なのだ。万歩計などボタンが小さくて、また表示もないのでどうしたらいいのか判らなくなる。電池自体の取り換えより、この作業のほうが大変だ。
 文句を言うが、これらいろいろな器具のおかげで生活が成り立っている。不便を改良する能力があれば良いのだが、すべてはメーカー任せである。なかなか改良されないが、進歩が見られる製品もある。私はできるだけメーカーに改良してほしいことを報告するようにしている。返事が来ない会社が多い中で、丁寧に私からの指摘に謝意と改良すると報告してくれる会社もある。会社も人と同じだ。気配り、目配り、手配りができる会社が成功をおさめる。がんばれ、ものづくりニッポン!

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タマムシ

2025年09月02日 | Weblog
  今朝散歩中に今年初めてタマムシを見つけた。タマムシは毎年散歩中に5,6匹は毎年見つけられた。街灯の下によく落ちている。昆虫の多くは、夜、光に集まる習性がある。今年は、街灯の下に落ちているのは、カナブンがほとんどである。今年は、セミも少ない。裏山でセミの大合奏を聴くこともない。山全体がセミ時雨が聴けなくて残念だ。それでも散歩中、川でカワセミを見れば、何か今日はいいことがありそうだと思ってしまう。数日前妻と散歩中、妻が「あつ、カワセミ…」と叫んだ。カワセミが2羽川下に向かて川の水の上スレスレに飛んで行ったと言った。私は咄嗟の動きがとれない。動体視力の反応も遅い。結局私はカワセミを見ることができなかった。何か損をした気がした。カワセミを見つけると、その日一日中良いことがありそうな気持を持てる。不思議である。カワセミは、私にとって幸運の鳥である。タマムシは、私にとってカワセミ以上の幸運の虫である。
 今年初めて、散歩途中で見つけたタマムシは、まだ生きていた。大事にそっとポケットに入れ、家に持ち帰った。去年私は鈴虫を飼った。その時買った鈴虫の飼育箱にタマムシを入れた。弱っているので心配だが、できるだけの世話はしたい。
 神戸のマンションのエレベーター内での殺人事件が起こった。犯人は、殺した女性が「❝好み❞の女性だったので後をつけた」と言ったそうだ。それを聞いて私は腹が立った。人間の女性を❝好み❞というだけで、自分の思い通りにしてしまおうとする短絡的な発想が許せない。だれにでも人やモノに対しての好みはある。❝好み❞に近づきたければ、それ相当の準備がいる。相手を知ることも大事。❝好み❞の相手に好感を持ってもらえるように、自分自身を魅力ある人間に高めなければならない。
 私の❝好み❞のタマムシをじっと見つめる。しばしその美しさに見とれる。ただただその輝きは美しい。タマムシも私を好いてくれるかな?

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ファスナー合流

2025年08月29日 | Weblog
  アメリカでは「XYZ」と言って他人のズボンのジッパーが開いているのを注意する。Xはcheck(調べる、点検する)の意味。Yは(あなたの)。Zはzipper(ジッパー)を意味する。ズボンのジッパーが閉まっていなかったり、新品のシャツの値札をつけたまま外に出てしまったりすることは、よくあることらしい。幸い私はまだしたことがない。自分ではそう思っているが、知らないうちにやっていた可能性は大である。私はリュックサックをよく使う。以前信号待ちしていた時、後ろにいた女性が「開いていますよ」と声をかけてくれた。私はズボンのジッパーを見た。ちゃんと閉まっていた。すぐにはリュックだと気が付かなかった。電車に乗って、リュックを降ろして初めてリュックのジッパーがぱっくり開いているのを知った。
 子供の頃、ファスナー(ジッパーとファスナーは同じ。ジッパーはアメリカの会社のファスナーの商標)の仕組みに興味を持った。魔法のように二つに分かれていたモノが、金具を通ると互い違いに組み合わさっている。こんな仕組みを考えて作り出してしまう。世の中には頭がよい人がいるものだと感心した。
 日本で車を運転していて、変わったと思うことがある。2本の道路が合流して1本になる場所がある。以前こういう合流地点は、なかなか通過するのが難しかった。なぜなら道を譲ってくれる車が少なかった。その光景は動物の縄張り争いのようだった。今では、合流地点では、ファスナー合流が一般化している。まるでファスナーの一節一節が交互にはまっていくように、整然と合流する。ネパール、セネガル、チュニジアで暮らした。車の運転において譲るという考えはゼロだった。ドイツなどのヨーロッパの道路での合流地点で、このファスナー合流が当たり前に行われていたと聞いた。合理的だ。渋滞を防ぐ賢い行動だ。
 ファスナー合流を意識することもなく今日も実行できた。いい気分である。喜寿郎+1の服やバッグなどにファスナーが多くついている。くれぐれも閉め忘れに気を付けたい。まさか日本で「XYZ」と注意されることはないと思うが、用心したいものだ。

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ストーカー

2025年08月27日 | Weblog
  今年はまだ蚊を見ていない、蚊に刺されてもいない。喜ばしいことだと思ったが、喜んでもいられない。猛暑で、蚊さえいつものように活動できなくなっているらしい。去年の夏も暑かった。コロナ明けで気持ちが緩んでいたせいか、暑さにも対処できた。今年は違う。コロナ時代に逆戻りしてしまった。家から外に出られないのだ。日課の散歩は日の出前に済ませる。日中はエアコンが効いた部屋に籠る。大谷翔平選手がアメリカの大リーグで活躍を続けている。高校野球も手に汗握る熱戦が続いた。ただ何もしないで家に居るのは我慢がならない。でも大谷翔平選手や高校野球や大相撲などのスポーツ中継が、時間を忘れさせてくれる。ありがたいことだ。
 今年はセミもあまりいない。散歩で気になるがブヨだ。毎朝まるで私を待っていたかのように、家を出た途端に顔の周りにまとわりつく。手で払おうとしても、ブヨは機敏にボクシングの対戦相手のように逃げる。毎朝私にストーカーのようにまとわりつくブヨ。同じブヨが私をねらっているとしたら怖い話である。
 神戸で24歳の女性がストーカー行為の末、女性の自宅マンションのエレベーターの中でナイフで刺されて殺された。犯人は逮捕されたが、事件に理解できないことが多すぎる。報道によると犯人は2日間にわたって被疑者女性の後をつけまわしていた。悲しい事件である。殺された女性の人生を突然奪ってしまう。女性の両親家族を想うと胸を締め付けられる。殺人事件が毎日のように報道されている。ネットフリックスやアマゾンプライムのアメリカの映画やドラマのような事件が、日本でも起きるようになってきた。
 ネパールの日本大使館に警視庁から出向してきていた領事が「犯罪者が狙いを定めたら、どんな手でも使う。防ぐ方法は、狙われないようにすることしかできない。」と言っていた。
日本も物騒で危険な国になってしまった。あらゆる犯罪事故から身を守るために『自分が狙われないように』普段から考え備える必要がある。嫌な時代になったものだ。

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妻の鼻歌

2025年08月25日 | Weblog
  風呂場の音響効果はいい。私が子供のころ父は風呂場でよく浪曲をうなっていた。風呂場から父の浪曲が聞こえてくると私もなんとなく穏やかな気持ちになった。父は短気だった。普段は温厚だったが、いったん怒りだすと怖かった。家族は結構父の機嫌を気にしていた。そんな父が風呂場で浪曲をうなっていれば、家族はほっとしたものだ。
 妻が年金生活者になって5か月になる。最初は生活環境がガラッと変わり、妻も私もピリピリしていた。喧嘩もした。お互いの言動行動に食い違いがあり、争いの原因になった。時間が夫婦二人の気持ちを徐々に和らげ始めた。長い間、妻は遠距離通勤をした。最近、JRは運休、遅延が多い。故障も多い。昔日本の鉄道は、無事故時間通りの運行で世界に知られていた。今それは過去の金字塔である。妻の仕事柄ストレスも多かった。ずっと何十年間も緊張感が強い生活であった。それが突然途切れた。遠距離通勤も医者としてのストレスからも解放された。
 昨日妻が入浴中だった。洗面所で手を洗っていたら、浴室から妻の鼻歌が聴こえてきた。驚いた。妻が鼻歌を口ずさむなんて前代未聞の大事件だった。父の浴室での浪曲を思い出した。胸が熱くなった。嬉しくもあった。鼻歌が出るということは、妻の気持ちが落ち着いてきたということに他ならない。人はルンルンな気持ちでなければ、鼻歌など口にすることはない。妻は40年以上にわたる医師生活から解放された。やっと普通のおばさんになれた。ストレスからも脱出した。
 妻は先月携帯電話の使い方の講習会に参加した。私にも習ったことを教えてくれた。こんどは苔玉の講習会に参加を申し込んだ。水彩画の教室にも行く。携帯電話の使い方のさらに上の講習会にも参加を申し込んでいた。
 一回り年齢が上の私が、ヘナヘナして生活が変わったなどと不平を言っていた。妻の鼻歌が、私の自己憐憫を打ち壊してくれた。私もこれを機に変わろう。そうだこれから思い切り妻とルンルンしよう。

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パソコンが怖い

2025年08月21日 | Weblog
  最近パソコンのメール欄に不気味なメールが入ってくる。先日は、突然「あなたのパソコンが危険にさらされています。絶対にパソコンの電源を切らないでください。今すぐ下記に連絡してください」と女性の声で繰り返えされた。画面はパカパカするし、女性の声が不安を煽る。怪しいメールは、数えられないほど受け取っているが、今回のようなけたたましい音声で画面が緊急事態を知らせるようなものは初めてだった。
 いつものパソコンを見てもらっている出張業者に電話した。1時間くらいで来てくれた。すぐに操作して怪しいサイトを消してくれた。最近業者の客で私と同じような警告で300万円騙し取られたそうだ。何とか今回は、被害に遭わずに済んだ。それにしても私のパソコンになぜこれだけ多くの詐欺の危険が舞い込んでくるのかわからない。
 Amazonを語るフィッシング詐欺は毎日数十件入って来る。「Amazonプライム会費のお支払い方法に問題があります。」 そのたびに「迷惑メール」の「迷惑メールの受信を拒否する」をクリックして消すが、次から次へと送られてくる。いったいどういうことなのかわからない。ネットでいろいろ調べるが私には操作できないことばかりである。どうやらネットの世界は、すでに無法地帯と化してしまったらしい。かと言って私が今、パソコンを使うのをやめれば生活に支障をきたすこと間違いない。なぜならパソコンは私の外付けの脳の役目をしてくれているからだ。私の脳の働きの中の記憶を立派に果たしてくれている。
 いろいろな会社のサイバーセキュリティと契約しているがこれといった安全なものがない。イタチごっこのようである。いつまで私が詐欺に引っかからずにいられるか不安である。殺人、強盗、詐欺がもう日常茶飯事である。自分の身は自分で守るなんて言っていられる時代ではない。さらにまた戦争の足音も近づいている。猛暑をはじめとする自然環境も悪化するばかりである。
 昨日友人がたくさんのジンジャーリリーの花を持って訪ねてくれた。簡単なランチをはさんでゆっくり5時間話し込んだ。やはり人間対人間が向き合うのが一番安心できる。友人が届けてくれたジンジャーリリーは私の全ての妄想不安心配を打ち消してくれた。


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老いてこそのの今の自分

2025年08月19日 | Weblog
   最近、You tubeで歌を聴くことが多い。フランク・シナトラ『My way』トム・ジョーンズ『Green,green grass of home』エルビス・プレスリー『この胸のときめきを』越路吹雪『愛の賛歌』細川たかし『津軽じょんがら節』美空ひばり『川の流れのように』島津亜矢『帰らんちゃよか』讃美歌『Count your blessing』。テレビ画面に歌詞が出る。音楽はいい。メロディ リズム 歌手の声が私の記憶を呼び覚ます。子供の頃、歌を聴いても理解できないことが多かった。今は多くの自分の実体験が歌詞と重なる。歳の功であろう。何しろ生まれてから78年たった。喜寿老+1。良いこと悪いこと嬉しかったこと悲しかったこと、たくさん経験した。
 子供の頃、近所に年寄りはあまりいなかった。私の母方の祖父は54歳で亡くなった。今のように百歳90歳という老人を直接見ることはできなかった。だから人が老いたらどうなるかなどと思うこともなかった。
 最近テレビで歌唱力が抜群の子供が、大人の歌を上手に歌う。でも私の心に響かない。子供の歌唱力を認めるが、歌詞に歌い手の経験や体験が欠けている。歌は上手いだけでは聴いている人を感動させられない。
 私は音楽の才能がなかった。歌もうまく歌えない。声も良くない。楽器も弾けない。でも78年間生きてきたので、歌詞の内容が自分の過去に容易に重なる。これは大きな喜びである。素晴らしい歌手の歌を聴いては、歌詞から私の78年間の中の小さな出来事を甦らせる。
 猛暑の中、外出を控えている。去年買え替えた高性能のエアコンが効いた涼しい部屋で、今日はどの歌手に私の過去に案内してもらおうか。


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ゴールド免許証

2025年08月15日 | Weblog
   妻はゴールド免許証の制度が始まってからずっとゴールド免許を所持している。そのはずである。彼女は私と結婚して以来、数回しか車の運転をしたことがない。妻の海外赴任に私も同行した。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、サハリンで暮らした。ネパール、セネガルでは交通事情が悪かったので、運転手を雇った。旧ユーゴスラビアでは危険が少なかったので、私が運転していた。チュニジアでは運転手を雇っていたが、交通事故にあった。私は骨折した。車は大破して修理に1年以上かかった。サハリンでも運転手を雇わざるをえなかった。運転マナーもだが悪路で私には運転できなかった。
 私は今年喜寿老+1になった。去年運転免許証の更新を済ませた。記憶力の試験で愕然とした。12問中正解できたのは半分だった。運転していても自分の注意力や見落としも多くなった。何とか免許証の更新を3年間できることになった。決心した。次の運転免許証の更新はしないと。妻が仕事を辞めて年金生活者になり、ずっと私と一緒に居るようになった。妻が車の運転を引き継いでくれることになった。妻には普通車は大きすぎる。今まで乗っていた車は、エンジンの力が強すぎて、妻のように30年以上ほとんど運転しなかった者には、制御するのは困難だ。そこでまず車を『お金持ちはアルトに乗る』と私の心をくすぐるようなCMをしていた軽自動車に替えた。私は乗り慣れた車を手放すのが切なかった。でも夫婦二人が年金生活者になった。節約する所はしないと。
 アルトが納車された。私は朝4時40分から晴れていれば、小一時間散歩をする。散歩を終えて帰宅すると、妻の運転教習をしている。朝だと交通量が少ない。特に町内で交通量がない道路での訓練を毎朝している。思ったほど妻の運転技術は、さび付いていなかった。日ごとにアクセルとブレーキの加減具合も良くなってきた。前後左右への注意も怠りない。昨日は駅まで道路が混雑している時間に無事運転できた。
 終活を一つひとつ進ませている。断捨離、それがなんとなく心地よく感じる今日この頃である。

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熊!

2025年08月13日 | Weblog
   妻が仕事を辞めて家に居るようになった。私の日課である朝の散歩に付き合ってくれる。この夏の暑さで散歩は日の出時間の前後にするようにしている。私と同じ様に考えて早朝に散歩する人が多い。先日女性が二人立ち止まって話をしていた。私は耳が遠い。それに他人が何を話しているのかにも興味がない。妻は耳が良い。それに仕事一筋だったので世間に疎い。何もかも新鮮に感じている。二人の女性の近くを通り過ぎた。だいぶ二人から遠ざかると、妻が「この近くで熊が出たんだって」と何時ものように通訳してくれた。
 熊が出た!そんなわけないだろう。この辺に熊が生息するはずがない。イノシシ、タヌキ、サル、リスは見た。熊の生息地をChatGPTで調べた。何と私が住む町でも2017年に玉川大学が設置した自動撮影カメラで3頭のツキノワグマを撮影したという。立ち話していた二人の女性が話していたことは本当だった。イノシシやサルさえ怖がっている私だ。熊が目の前に出たら私はどうなるだろう。
 生まれ育った長野県で子どもの頃、太郎山という市民がよく登る山がある。知人がここで熊に遭遇したことがあった。私は相当回数太郎山に登ったが、熊に出会ったことはない。カナダに留学していた時、友人家族がスクールバスをキャンピングカーに改造した車で、ブリティッシュコロンビア州へリンゴを収穫に行った。その家族がリンゴ農家のリンゴの木1本の収穫権利を購入してあった。家族全員8人と私の9人でリンゴを収穫した。車の屋根に荷物を乗せるデッキが付けられていた。木箱に5,6箱のリンゴを屋根に積んでアルバータ州に戻る途中、ロッキー山脈のオートキャンプ場で1泊した。夜中屋根の上で大きな音がした。家族全員が目を覚ました。父親が「熊の親子だ。子連れの熊は危険だ。立ち去るまで静かにしていなさい」と言った。母親熊は屋根から下にいる子熊に木箱を投げた。私は窓からそっと様子を見守った。その光景はまるで映画の中のようだった。苦労して遠くまで出かけて行って収穫したリンゴは見るも無残に食い荒らされてしまった。でも友人一家は命が助かって良かったと喜んでいた。
 ロシアのサハリンでも熊の危険があった。サハリンには北海道と同じくヒグマが多い。でも山、川、海にいつも現地のリンさんというガイド件用心棒がいてくれて猟銃やナイフで私を守ってくれていた。幸いヒグマに出くわすことはなかった。今日本では熊に襲われる事故が多く発生している。人が人を殺す事件も多い。自分で自分を守ると言っても喜寿老+1の体力では無理。危険に近づかないようにじっとしているしかない。

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渡り鳥

2025年08月07日 | Weblog
  とうとう私が住む町で、今年初めて35℃を超えた。日本のあちこちで40℃を超えている。35℃で私は外に出ることをためらっている。40℃を超えることになったら私はどうなってしまうのだろう。かつてカナダ留学時代-40℃以下を何度も体験した。アフリカのセネガルで暮らしていた時、40℃以上も経験した。この80℃の温度差を私の体はどう乗り切ったのだろう。その経験が私に教訓となっているとは思えない。
 カナダで-40℃以下の日、日中太陽が出ると-20℃にまで気温が上がったことがある。そんな時、温かくなったと感じた。日本で-3℃でも今は震える程寒く感じる。アフリカで40℃以上でも湿度が低いので日陰に入ると涼しかった。住んでいた家は、床がコンクリートでお昼寝は直接床の上で取った。床が冷たく感じられて昼寝が気持ちよくできた。当時、私がまだ若くて健康だったので-40℃以下でも40℃以上でも普通に生活できたのだろう。現在日本で30℃でも外出を控える。喜寿老+1という年齢によることもあるだろう。過去の80℃という温度差の経験が今まったく何の役にも立っていないことにガッカリしている。
 今朝は5時から大谷翔平選手が投手として先発するので、散歩を午前4時30分からした。まだ日の出前だったが熱帯夜の空気が漂っていた。先日ツバメがたくさん巣を作っていた家の周りに一羽のツバメもいなかった。もう南方へ渡ってしまったとかと思った。今朝いつもの家の巣や近くの電線に多くのツバメがいた。まだツバメを見られると嬉しくなった。それにしてもツバメは、この日本の猛暑に影響は受けないのだろうか。今年、家の近くでセミ時雨が聞かれない。単発的なセミの鳴き声があるだけだ。昆虫も鳥も猛暑の影響を受けているだろうが、私よりは元気に見える。エアコンが効いた部屋で、大谷翔平選手の活躍を観られて幸せだ。今日も4回を投げて、39号のホームランを打った。私は元気がないが、元気を私に与えてくれる鳥や昆虫や植物やスポーツがある。感謝したい。

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