締め切りは恐い。私は子供の頃から追い詰められないとエンジンがかからない。夏休みが終る前夜、それまでずっと先延ばしにしてきた宿題、日記、自由研究などエジプトのピラミッドの積まれた石のように目の前に立ちはだかっていた。何回チャンスを与えられても性癖は改善されなかった。
66歳になった今でも、妻に「あなたは追い詰められないとダメな人。もっと前から周到に準備して書いてくればこんなことにならないのに」と小学校の通信簿に担任教師が書いたのと言葉は違うが内容が同じ評価をされる。十分追い詰められている私はさらにこの「追い詰められる」の文言に追い詰められる。
11月30日が締め切りの公募に提出する小説を書いている。一昨日、昨日と起きている間のほとんどを執筆にあてていた。昨日は毎月楽しみにしている鎌倉の仲間との勉強会まで急遽、欠席した。そして何たることか締め切りが11月29日であることを応募要覧を見直していて発見した。戦慄が全身を駆け抜けた。1日失ったことで私は更に断崖絶壁まで追い詰められた。それでも自分自身をなだめすかしてパソコンに向かった。
一応、話の全体像は出来上がっていた。推敲に推敲を重ねた。パソコンで修正するとキーボードで文字を入力したり「Enter」だ「変換」だと頻繁にクリッククリックをダンス練習の「クイッククイックスロー」のように繰り返す。あろうことか私の一本の指が調子に乗って間違ったキーをクリックしてしまった。さあ大変、今までの40ページ近い推敲して校正された原稿が消えてしまった。ショックで倒れそうになった。もうダメだと思った。それでも今まで何箇月もかけて書いてきた時間を無駄にしたくなかった。友人から風邪防止に効くと教えてもらった生姜の粉末にローヤルゼリーと蜂蜜を混ぜた飲み物を作ってソファにもたれこんだ。反省した。悔しかった。しかし原稿は元に戻らない。やり直すしかない。
この小説への応募は、今回で6回目である。下手な物好き、60の手習いであろう。かつて書き上げた小説を読んでくれた物書きのプロが「ベストセラーにはなりませんな」と数日後に原稿を送り返してきた。私には「悪いことは言わない、小説なんて書くのをやめなさい」に聞こえた。私が小説を書く一番の目的は、妻への遺産としてである。私は資産も財産もない。年齢が12歳違う。統計上、私が先に死ぬのは自然である。ひとり残された妻が読めるようにと私は日記を結婚してからずっと22年間書き続けている。5行日記は味気ない。私の日常生活そのものだ。小説なら想うことを思うとおりに話をつくれる、と書き始めた。
今回も今日明日で何とか書き上げて提出するめどがたった。ここまで苦しんで嫌な思いをしてパソコンに苛められるくらいなら書くことなんてやめたらいいと思う。でもそうすれば何もやることがなくなってしまう。締め切りと妻は恐いけれど、絶対にベストセラーにならないと保証されていても、書き上げる喜びは倍返しとなって私をエクスタシー状態にしてくれる。