団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

締め切りが恐い

2013年11月28日 | Weblog

  締め切りは恐い。私は子供の頃から追い詰められないとエンジンがかからない。夏休みが終る前夜、それまでずっと先延ばしにしてきた宿題、日記、自由研究などエジプトのピラミッドの積まれた石のように目の前に立ちはだかっていた。何回チャンスを与えられても性癖は改善されなかった。

 66歳になった今でも、妻に「あなたは追い詰められないとダメな人。もっと前から周到に準備して書いてくればこんなことにならないのに」と小学校の通信簿に担任教師が書いたのと言葉は違うが内容が同じ評価をされる。十分追い詰められている私はさらにこの「追い詰められる」の文言に追い詰められる。

 11月30日が締め切りの公募に提出する小説を書いている。一昨日、昨日と起きている間のほとんどを執筆にあてていた。昨日は毎月楽しみにしている鎌倉の仲間との勉強会まで急遽、欠席した。そして何たることか締め切りが11月29日であることを応募要覧を見直していて発見した。戦慄が全身を駆け抜けた。1日失ったことで私は更に断崖絶壁まで追い詰められた。それでも自分自身をなだめすかしてパソコンに向かった。

  一応、話の全体像は出来上がっていた。推敲に推敲を重ねた。パソコンで修正するとキーボードで文字を入力したり「Enter」だ「変換」だと頻繁にクリッククリックをダンス練習の「クイッククイックスロー」のように繰り返す。あろうことか私の一本の指が調子に乗って間違ったキーをクリックしてしまった。さあ大変、今までの40ページ近い推敲して校正された原稿が消えてしまった。ショックで倒れそうになった。もうダメだと思った。それでも今まで何箇月もかけて書いてきた時間を無駄にしたくなかった。友人から風邪防止に効くと教えてもらった生姜の粉末にローヤルゼリーと蜂蜜を混ぜた飲み物を作ってソファにもたれこんだ。反省した。悔しかった。しかし原稿は元に戻らない。やり直すしかない。

 この小説への応募は、今回で6回目である。下手な物好き、60の手習いであろう。かつて書き上げた小説を読んでくれた物書きのプロが「ベストセラーにはなりませんな」と数日後に原稿を送り返してきた。私には「悪いことは言わない、小説なんて書くのをやめなさい」に聞こえた。私が小説を書く一番の目的は、妻への遺産としてである。私は資産も財産もない。年齢が12歳違う。統計上、私が先に死ぬのは自然である。ひとり残された妻が読めるようにと私は日記を結婚してからずっと22年間書き続けている。5行日記は味気ない。私の日常生活そのものだ。小説なら想うことを思うとおりに話をつくれる、と書き始めた。

 今回も今日明日で何とか書き上げて提出するめどがたった。ここまで苦しんで嫌な思いをしてパソコンに苛められるくらいなら書くことなんてやめたらいいと思う。でもそうすれば何もやることがなくなってしまう。締め切りと妻は恐いけれど、絶対にベストセラーにならないと保証されていても、書き上げる喜びは倍返しとなって私をエクスタシー状態にしてくれる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

都知事は「嘘つき?」

2013年11月26日 | Weblog

  私はかつて知人に徳田虎雄さんに似ていると言われた。その人にしか言われたことがない。自分ではまったく似ていると思わなかった。それでも自伝を出したり、医療法人徳州会の病院を全国に次から次と設立して、各地の医師会とすったもんだしながら24時間診療を広げていた姿に好感を持っていた。そのせいか徳州会の動向に関心があった。親父が名を成すと息子も娘も勘違いするらしい。大王製紙のギャンブル息子、徳田さんの息子も、みのもんたさんの息子など枚挙にいとまない。

 今回徳田一族の選挙違反容疑騒動でとばっちりをもろに受けたのが猪瀬東京都知事である。2020年の東京オリンピック招致に成功して、さあこれからというときに、あろうことか徳田虎雄さんの妻に対する特捜の捜索中、猪瀬東京都知事が返済したという5000万円の現金が発見されてしまった。

  一日のうちに数回繰り返された記者会見で都知事は失態を繰り返した。彼の風貌、言動、態度どれも好きではないが、本来作家である猪瀬さんは、それなりに信念を持って政治に組していたと評価している。記者会見はするべきではなかった。多くの政治屋さんたちの過去の悪例をじっくり研究してからにするべきであった。

  一番出来の悪かった記者会見では「まぁ」とか「えー」を連発し、しどろもどろだった。作家なのだからじっくり時間をかけて原稿を作ってから記者会見に臨むべきだった。言葉を選ぶのは作家の仕事である。それができなかった程、今回の件は突発的な展開だった。アメリカのテレビドラマには多くの心理分析専門家が登場する。尋問を受ける容疑者の顔の表情、なにげない仕草、目の動きなどを観察して分析する。残念ながら日本にはアメリカのような専門家はいないらしい。いてもテレビ局にはこねがないのか行動心理学の関係者は登場しない。今回の猪瀬都知事の記者会見は、格好の分析チャンスであった。いつまで大したコメントもできない常連タレント的コメンテーターを手名づけておきたいのか。テレビ界の先進性、斬新さのなさが残念だ。

  都知事の「金は返した」の言い方にカチンと来た。先日テレビのニュース番組で最近年寄りの万引き事件が増加していることを取り上げていた。店の年寄りの万引き犯の多くが「お金を払ったのだからもういいでしょう」とふてくされて言っていた。罪の意識がない。万引きは窃盗である。逮捕されてから金を払っても罪は消せない。法の裁きを受けなければならない。100円の品でも万引きすれば、犯罪である。都知事と徳州会との5000万円という巨額の金の行ったり来たりが、今後選挙資金規正法でどう解釈されるかに注目している。この5000万円事件が発覚した時点で潔く猪瀬さんは都知事を辞職するべきだった。「ごめんなさい。私が馬鹿でした」と頭を下げ、また選挙に出るべきだった。

  日本には寄付という行為が正しく浸透していない。寄付金や政治献金の金離れが悪い。「あなたを応援するから自由にお使いください」の綺麗な金は少なく、ひも付き、思惑、裏取引、魂胆にまみれたべたつく黒い金だらけのようだ。その結果として、金に癒着した事件が頻繁に起こる。豊かになったと言っても、過去の貧困が精神にこびり付いてしまっていて、まだ気持よく金を使うことができないらしい。金の使い方は難しい。

  私の金は羽があるかのように休む間もなく飛び立つ。抜群の金離れである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夫婦喧嘩

2013年11月22日 | Weblog

  11月22日は『いいふうふの日(いい夫婦の日)』「の日だそうだ。再婚してすでに22年が経った。いい夫婦と言えるかどうか私にはわからない。英語に伴侶のことを『better half』(夫婦の良いほうの相手)という表現がある。私は自信を持って今の妻がベターハーフと言える。

  「パパ、私はダディとマミーがケンカしたり、声を荒げたりするのを聞いたことがないの」アメリカの家庭に預けた10歳の長女が休暇で帰国した時、私に言った。当時娘は私をパパ、アメリカの預かって育ててくれていた夫婦をダディ、マミーと呼んでいた。娘が私に伝えたかったのは「パパが離婚する前、パパとママは声を荒げて喧嘩ばかりして汚い強い言葉の応酬だった」を意味したと私は受け止めた。もちろん恥ずかしく思った。同時にやはりあの先輩家族に預かってもらい正解だったと思えた。長女は夫婦の悪い例と良い例を体験した。彼女にとって辛い時代だったが、現在の彼女の家庭生活に役に立っているように観察できる。

 私の最初の結婚はキリスト教の教会で牧師立会いのもと「○○さん。あなたは◎◎さんと結婚し、妻としようとしています。あなたは、この結婚を神の導きによるものだと受け取り、その教えに従って、夫としての分を果たし、常に妻を愛し、敬い、慰め、助けて変わることなく、その健やかなるときも、病めるときも、富めるときも、貧しきときも、死が二人を分かつときまで、命の日の続く限り、あなたの妻に対して、堅く節操を守ることを約束しますか?」と誓った。7年も経たずに婚姻関係は破綻した。教会で誓ったほぼ全ての約束を破った。

 喧嘩もしない。声も荒げない。私には到底できないことだ。再婚して、私は生まれ変わろうと努力した。1年の363日は仲良くしていても年に数回は声を荒げ、口にしてはいけない汚い言葉を吐くこともある。妻は私を『導火線が極端に短いダイナマイト』と呼ぶ。短気なのである。それでもブレーキがかかっている。おそらく最初の結婚の末期の私は導火線がついていないダイナマイトだったのだろう。

 バツイチとなって男ひとりで二人の子供を育て、坐禅をして何とか13年間耐えた。因果応報の天から槍がふるようなしっぺ返しを体験した。孤独、金銭問題に押しつぶされそうになりながら時間が徐々に人間としての再生復活を後押しして前進させてくれた。再婚さえできた。もう失敗は許されない。半径5メートル以内の幸せを大切にしたい。いい夫婦とは自分から言えないが、ベターハーフのためにも自分のためにもダイナマイトの起爆装置を外し葬り、穏やかに終活を進めたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

待てるか、待てないか

2013年11月20日 | Weblog

  11月14日木曜日12時の予約が取れたので脳神経外科へ行った。7日木曜日に意識が遠のき失神しそうになった。そのことを主治医に相談した。「近くの病院で一度診てもらっておけば、次回緊急事態に対応してもらいやすくなると思うけれど、東京に出てこられるなら相当待ってもらうことになりますが、診ましょう」ということで主治医にかかることにした。

 7日以来頭を動かすたびにめまいのような不快感におそわれた。倒れるとかの深刻な問題ではなかった。原因はわからない。おそらく不安がそうさせていたに違いない。妻が言うに私は大変外部からの影響を受けやすい人物だそうだ。確かにテレビの健康番組などで症状や前兆が説明されると、即自分にもそういう症状や前兆があると思い込んでしまう。精神的に嫌なことがあると胃が痛くなるのも常である。

 12時少し前に病院へ着いた。受付を済ませると、3階の検査室へ行くよう言われた。検査室の受付で問診表を書き込んだ。1時を過ぎても名前は呼ばれなかった。時間がなかったが無理しておむすび屋でランチセットを買っておいて良かった。MRIの検査なので食べ物の制限は出ていなかった。待合室の隅で大好きな“高菜”と“おかか”の2個のおむすびと小さな鳥のから揚げ、厚さ5ミリの玉子焼き、うずらの卵ぐらいのカップに入ったひじきの煮物をペロリたいらげた。それからまた1時間待った。

 MRIの検査はこの病院では予約待ちが3,4箇月先になるそうだ。それを無理やり緊急だということで検査を受ける患者さんと患者さんとのすき間に検査する所謂横入りだった。とにかくもし重大な疾患があれば、どんなに待つことになっても検査を受けようと決めていた。2時間半待ってやっと着替え室で検査着になるよう言われた。嬉しかった。

 私は人生は待てるか待てないかで大きく変わると思う。私は子供の頃からずっと待てない人だった。小中高での勉強はまさに待てるか待てないかで将来が決まってしまう。受験勉強でも、試験を受けるとは、どんあ問題が出題されようが、じっと坐して答えられる瞬間を待つということだ。備えて待つ。それができなかった私の学業成績は惨憺たるものであった。勉強以外でも何事も待てなかった。熟慮することなく、周到な準備をして待つことなく始めた事はすべて挫折した。

 学校を出て事業を起こし、結婚をして子供を持った。離婚して知人の借金の代理弁済をした。2年間の坐禅で自分を改造して再出発しようと試みた。再起のための主なる行動は、待つことだった。子供が二人とも大学を卒業するまでは。借金の返済が終るまでは。待てない人間だった私が、いつしかじっと耐えることが日課となった。そうして13年間が過ぎた。時間こそが問題解決の鍵だ。「待てば海路の日和あり」 再婚して180度以前とは次元の違う人生を歩んできた。

 2001年に本当なら狭心症の発作で死んでいたかもしれない。心臓バイパス手術のおかげでオマケに頂いた人生は身に余るほど充実した日々であった。今回のMRIでの検査で重大な疾患は見つからなかった。私が待っているのはいつ迎えるかわからない辞世の瞬間である。腰を落ち着けて、準備を一つひとつ怠りなく片付けたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

予防接種と笑顔

2013年11月18日 | Weblog

  予防接種の予約に指定病院へ行った。住む町では65歳以上の人に1500円でインフルエンザの予防接種をしてくれる。有難いことである。このような特別待遇は嬉しい。以前は東京の主治医にお願いしていた。1回5000円だった。東京に出れば交通費もかかり、その上無駄使いの誘惑があふれている。近所の開業医で予防接種を受けることもできるが、とにかく接種だけでは収まらない。開業医は私の糖尿病、狭心症、痛風などの持病を問診表で知ると、あれこれ検査を強要する。一旦開業医の門をくぐると、彼らの多くが自分の患者リストに取り込みたがる。それが煩わしい。ところが65歳以上になって指定病院へ行くと事務的にさっさと済ませてくれる。私の行く指定病院は、大手住宅メーカーが経営する老人介護ホームに付設された病院である。主たる医療業務はホームに入居している方々のためである。普段ほとんど一般外来の患者は来ないようだ。

 閑散として院内を受付に向かった。とにかく静かだった。窓口のカウンターの向こうに40歳前後の女性事務員が書類に何かを書き込んでいた。私は「インフルエンザの予約に来たんですけれど」 事務員は私を見た。視線がきつく冷たかった。私は厚手の濃い紺色のトレーニングウエアの上下、胸に明るいドギツイ黄色の大きな円形の有りもしない国際団体らしき名とマークが二重丸で書き込んである。ヒゲは剃ってない。女性事務員は私の品定めをしているかのように視線を頭からつま先に下ろしていった。「年齢は?」 彼女の上から目線に圧倒された。「66歳です」 「予約がずっといっぱいで空いているのは7日木曜日の10時10分です」 私の目は彼女の前にあるインフルエンザ予約表に焦点が合わされていた。4,5,6日の欄に予約はゼロだった。7日の10時に一人の予約があった。インフルエンザのワクチンは一カプセルが大人二人用である。一人だけだとワクチンが無駄になる。二人を同時に接種しなければならない。

 「いくらですか?」と尋ねると(そんなことも知らずに来たの)と表情で示し、「・・・500円」と言った。・・・は聞こえなかった。「500円ですか?」と尋ねた。(あんた馬鹿じゃない)と気だるそうに「1500円」と「せん」に力を込めて言い返した。「ここに住所と年齢と生年月日を書き込んでください。保険証お持ちですか?」 保険証を渡して廊下の反対側にある長椅子に腰をおろして書き込んだ。

 予約当日病院の玄関を重い気持ちでくぐった。受付に(またあの女性と話さなければならないのか)と思いつつ立った。(えっ、この前の女性ではない) ニコニコと微笑み、エクボが印象的な若い女性だった。あの女性が変身したのか。どう見ても違う。微笑みは人間最強の挨拶である。それは動物の赤ちゃんがみな可愛いのと似ている。どんな人でも笑顔は素敵だ。見とれるような素敵な笑顔だった。私も笑顔で答えた。「インフルエンザの予防接種の予約してある者ですけれど」 「は~い 保険証お願いします」

 病院でもどこでも受付での対応がよければ、気分がいい。チクッで終った予防接種を済ませ、笑顔の受付女性に1500円を払い少し痒い接種後の腕をさすりながら病院を出た。接種は病気を予防して、笑顔は人間関係悪化を防ぐ天与の予防手段である。帰宅してイソジンうがいの後、鏡の前で笑顔を点検した。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロールスロイス

2013年11月14日 | Weblog

  長野県の県建設業厚生年金基金元事務長の坂本芳信容疑者(55歳)が滞在先のタイ国の警察に不法滞在で11月逮捕された。坂本容疑者は23億8700万円の不明金のうち数千万円の金を横領した疑いで指名手配されていた。

 この手の事件はいままでにも何件もあった。徳島県阿南市の阿南東部土地改良区の元嘱託職員大川ひとみ容疑者(当時60歳)が約6億円を横領して息子の大川悦史容疑者(当時31歳)に渡していた。青森県の青森県住宅供給公社の元経理担当主幹の千田郁司服役囚(当時46歳)が14億円を横領して結婚したチリ人のアニータ・アルバラードに貢いだ。

 このような巨額な横領や“オレオレ詐欺”は後を絶たない。他人の金を自らの労働でなく掠め盗る犯罪が横行している。私が観察するに、世の中、時代も人種も環境も関係なく人はたとえそれが自分のものでなくても、現金を前にすると見境を失うようだ。私自身も間違いなくその環境に置かれれば、手を出すに違いない。そうであれば自分で自分のその欲求を絶つしかない。それができるのは精神と哲学によって自分の欲望を制御する鍛錬をするしかない。あとは公的法的な権力で暴走する掠め盗る欲望をどう予防、取り締まるかである。これは官僚役人、政治屋、個人、企業などだれにも当てはめられる。

 取り締まる警察、税務署、会計監査機関などのますますの捜査強化と効果的検挙手段を期待する。それには隣近所の住民の協力が不可欠である。坂本容疑者は海外へ逃亡する前、長野県長野市でロールスロイスを乗り回していたという。私は長野県に住んでいた時ロールスロイスを1台たりとも見たことがない。おそらく坂本容疑者はロールスロイスを買っても、目立つ時間に乗らなかったのか、それとも元々容疑者が住んでいたのは、「隣は何をする人ぞ」ではないが、他所から移り住んで来て、周りの住民との接触付き合いがまったくない地域だったかの、どちらかであろう。いずれにしても現代の日本社会がいかにお互いどうしの関係が希薄であるかの証しである。

 横領した巨額の金を容疑者や服役者は、いとも簡単に使い切っている。返済義務はあっても返済されることは不可能である。青森県は裁判を起こして取り戻した金額は270万円だったという。1億円あまりを回収したがほとんどが裁判費用などの経費に消えてしまった。最近読んだ『カネ遣いという教養』藤原敬之著 新潮新書 700円(税別)に紹介されている世界を彷彿させる。金を遣うのは、どんなに巨額であっても難しいことではないらしい。稼いだり貯金するのは苦労でも、あっという間に遣い切ることができると、この『カネ遣いという教養』は読者に説く。同時にいかにカネを遣うことが教養というアクセルとブレーキが必要であるかもわからせる。

 割り切れない気持ばかりが沈殿する。そして何と私の心に「羨ましい」という恐ろしい気持もあることは事実である。アメリカのテレビドラマ『ロスアンジェルス潜入捜査班』に「感情の中で罪悪感が一番強い」の台詞があった。私にも消えない罪悪感がいくつもある。この罪悪感がいままでもこれからも私を守ってくれる気がしてならない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が遠のく

2013年11月12日 | Weblog

  11月8日金曜日午前中3時間ばかりパソコンにずっと向かって書き物をした。仕事は思いのほかはかどった。昼食を食べ終わった後、リクライニングのソファに座り脚をオットマンに乗せてテレビを観ていた。まず右手に異変を感じた。“変だ”と思い手の指を閉じたり開いたりしてみた。すると今度は気が“ス――――ッ”と>―---図で書くように遠のいていこうとした。それがしばらく連続して襲ってきた。“もしかしたら死ぬかもしれない”と思った。

 時間にしたら数十秒のことだったかもしれない。しかしこの短い間に実に多くのことを考えた。妻にどう連絡をすればよいのか。救急車を呼ぶべきか。携帯電話を操作できるのか。操作しているうちに死んだら。死んだまま妻が帰宅するまで誰かに発見されることはない。救急車に連絡を取れたとしても、救急車の隊員たちは玄関ドアの鍵がないなら入れないのでは。

 目が回るのではなかった。気が>―--と引いていくだけに感じた。少し楽になったので寝室のベッドに横になった。更に楽になってきたので、携帯電話を持ち込み妻への緊急メールを作成していつでも送信できるようにした。勤務先で診察中である妻にはもちろん患者さん、病院にも多大な迷惑をかけてしまう。それでも妻は緊急事態にどうすればいいのか知っているので対応できるはずだ。生きるか死ぬかの事態であったなら今回はどんなに迷惑をかけても仕方がない。

 何事もなく夕方妻を迎えに駅へ行った。妻に詳しく事情を説明した。妻はサハリンで私が体調を崩して帰国中、単身赴任状態だった。めまいで倒れ救急車でアメリカ人医師のクリニックへ運ばれた。原因は突きとめられることはなかった。休暇をとって東京の専門病院で検査を受けたがやはり診断はつかなかった。妻は自分もめまいの経験者なので私の話を真剣に聞いてくれた。

 二人で対策を講じた。まず専門医にかかることにした。今月の診察日は25日だ。この日は循環器科、泌尿器科、消化器内科の受診で脳神経科は含まれていない。脳神経科の診察の予約をまずとることにする。住む町の耳鼻科を受診する。携帯電話と親子固定電話の子機を持ち歩くか、常時手の届く所に置くなど連絡網と心がけを話し合った。

 耳鼻科へ昨日行ってきた。1時間半待ったが診察は懇切丁寧で親身になって検査診察してもらえた。結論は今回の症状は耳を原因とするものと断定はできないが確率は低い。そして次回同じことが起き時の対応を教えてくれた。年齢的に脳梗塞になる可能性が高い。まず救急車を呼び脳外科か脳神経科に運んでもらう。脳梗塞は最初の4時間半が勝負なので躊躇なく救急車を呼ぶことが肝要。この町や近くの脳関係の病院や科にはt-PAという注射がどこにも完備しているので対応してくれる。4時間半を過ぎたら助かるものも助からない。だから絶対にこのことを忘れないでください、と医者に言われた。

 7月18日に受けた脳のMRI検査で過去に2回小さな脳梗塞の痕跡が発見された。医師は脳梗塞というのは事前に診断はつかない。急死して初めて診断がつくとも言われた。ショックだった。今回耳鼻科の医師からt-PAの注射のことを聞いて日本の医学の進歩にあらためて感嘆した。医学進歩の恩恵にすがりながら、できるだけの準備を来る日に備えて進めたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

心臓って右側、左側どっち?

2013年11月08日 | Weblog

  朝トイレから出て来ると胸にチクチクする痛みを感じた。心臓に狭心症という爆弾を抱える身である。すわまた狭心症の発作かと案ずる。「待てよ。心臓ってどっちにあるんだっけ。右?左?」

 私は自分が賢くも利口でもないと保育園ではやばやと悟った。右と左の区別が他の人のように咄嗟に判断がつかなかった。小学校で教わった時計の長針短針を区別する時刻の読み方にもてこずった。周りから「この子大丈夫」の視線を浴びた。風呂嫌いだった。親から風呂で温まるために百まで数えろと言われた。「ダルマさんが転んだ」の10回で済ませようとしたが、「1,2,3・・」と大きな声で言えと厳命された。78が鬼門だった。78まで来ると頭が回らなくなって、壊れたレコード盤のように78を繰り返した。今でも風呂で数えると78に超えがたい抵抗の壁を感じる。

  車を運転中、交差点が近づき曲がる際、急に“右”“左”と同乗者に指示されると脳が迷子になる。よく左脳と右脳の役割分担がどうのこうのと聞く。私の場合、右も左の脳も役割分担どころか機能そのものに問題があるようだ。咄嗟の判断力に欠けている。いわゆるトンマでありニブイのである。おそらく私のあらゆるニブさは改善されることなく人生の最後まで続くに違いない。

  私がニブイことは悪いことばかりではない。ニブイが故に老化が進んで物忘れが激しくなっても元々記憶力がよくないので悲観しない。頭髪の減少、視力の低下、涙もろさ、ヨダレ、横漏れ、ガス漏れも素直に受け入れて対処できている。取り立てて老化に失望落胆しないのもニブさのお陰である。

  学校秀才であった有名ホテル・レストラン・旅館・デパートの重役社長たちがテレビの画面で禿げた頭を突き出して90度に体を折り曲げ、食品の偽装表示を謝罪し弁解する。ニブイ私にも彼らは結局、全く謝罪していないことがビンビンと伝わる。それが秀才の彼らにわからないのなら彼らも私と同じくらいニブイのだろう。何となくほっとした。ニブイなりきに私は外食を避け、自分であちこち駆け巡って、正直な生産者の食材をまともな店で適切な価格で購入して、ニブイ頭と感性で選んだメニューで手間を惜しまず調理して妻と家で楽しく食べる。世の中に横行する「どこどこの高級店のなになにが旨い、ナウイ」「あの店は安くてボリューム満点」にはニブさで距離をおく。

  昨日銀行で1万円降ろした。いま財布の中には6千円しかない。4千円も何に使ったのかほとんどを思い出せない。次に1万円を降ろせるのは14日だ。ニブイ私だが他人を騙すことも、また騙されることもなく、家事と家計を守り、余った時間を読書と書くことに費やせればそれで良しとしたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ぼったくりタクシー?

2013年11月06日 | Weblog

  以前買い物に東京へ行って荷物があまりに重く雨が降り出したのでタクシーに乗った。しばらくして私は運賃メーターが作動していないことに気がついた。気の小さい私は「運転手さん、メーター動いていないよ」とフウテンの寅さんのように切り出せない。(このタクシー、もしかしたらボッタクリ。メーターを使わず、到着地に着いたら1万円とか言うのかな。テレビのニュースで客が運転手を殺したり、料金を踏み倒したり、最近では元Jリーガーサッカー選手が酔って運転手に暴力を振るったが、運転手が客の私を脅し法外な金を請求するのか。

  あぁーやはり妻のようにタクシーは絶対使わない節約精神を貫くべきだった。さてどうしようか。信号で止まったら、ドアを開けて逃げようか。もしナイフで刺されたら。拳銃を持っていて撃たれたらどうしよう。よく海外で強盗にあったら、何でも言うことを聞き、ある程度の金額を差し出せという。命を失うより、持ち金を盗られるほうがましだ。よりにもよって今日は財布に1万3千円も入っている。悔しいな。走って逃げると言っても、運転手、けっこう私より老けて見えるけれど、ボッタクリをする位なら、相当腕力、脚力に自信があるのだろう。落ち着かない)タクシーに乗ってから4,5分が過ぎた。沈黙を保っていた運転手、ちらっとメーターに目が行く。「チッ」と微かな舌打ち。左手をハンドルから離して、メーターの『賃走』のボタンを押した。

 私は後部座席で倒れこむような脱力感に襲われた。着いた。表示された料金は730円だった。私はさっと千円札を料金受けに置き、フウテンの寅になりきって「だいぶたってからメーター入ったようなので、釣りは取っておいて」 開いた自動ドアから一目散で外に出た。中から「どうもすみません」と林家三平のように顔の中心点にすべての皺を集中させた笑顔で運転手が頭を下げた。

 いろいろな国でタクシーに乗った。危険な目にも遭った。香港で表示された料金を香港ドルで払おうとすると、「USダーラー」とナイフで脅された。アメリカのボストンでは運転手が私の友人の家を探せず、ブチ切れて途中で放り出された。ベトナムでは、タイでは、チュニジアでは、ユーゴスラビアでは、セネガルでは、タクシーを利用して危険な目に遭ったり、ぼったくられた経験談はいくらでも書ける。それらがみな一気に今回の東京でのタクシーの中で運転手がメーターを入れ忘れただけで噴出した。事なきをえたが、密室状態に身をおくのを避けなければならない。君子危うきに近寄らず。君子になりたいものだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする