団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

SMバー宮沢洋一大臣

2014年10月30日 | Weblog

  宮沢洋一経済産業大臣は政治資金規正法違反の疑いで辞任した小渕優子さんの後釜大臣である。その宮沢さんが政治資金収支報告書の中に広島市のSMバーへの1万いくらかの支出が記載されているのが発覚した。

 私は個人の趣味嗜好に寛大である。性的なものであってもその人の責任で完結できるものであるならば認める。一方被害者がでるいかなる性犯罪も断じて許さない。人間が清廉潔白で完全無欠だなどと思ったこともない。アメリカのテレビドラマ『ハウス・オブ・カード』を観ていれば、アメリカの上下院議員の私生活を覗き見た気になる。ドラマの世界といえばそれまでだが、事実は小説より奇なりである。イタリアのベルルスコーニ前首相のハチャメチャぶりは記憶に新しい。イタリアではベルルスコーニ氏は人気があり彼が悪いことをしているとはとらえていない人も多いそうだ。明るく開放的な国民性もあるだろうがイタリアでは政治家と私生活をはっきり分けて人物評価をしているようだ。アメリカのクリントン元大統領のモニカ・ルインスキー事件、現フランス大統領の女性問題も辞職には至らない。中国共産党指導部にさえ汚職や愛人とのセックススキャンダルがはびこっている。いかなるイデオロギー、宗教、文化、人種であっても権力、金、セックスの問題は起こる。

  宮沢大臣は自分はSMバー行っていないと否定した。信じられない。悪いことは秘書か亡くなった妻という逃げ口上が流行っている。政治資金収支報告書にSMバーの支出を記載したのは事実である。SMバーの領収書を誰がそのバーに行ってもその領収書を政治資金に記載する、そのことがおかしいと思わないのか。SMバーの何が政治活動と関連するのか、其れもきちんと説明できない。何でもかんでも、自分が使った金は1円でも自分の金でなく政治資金から出させるというその姿勢、その考えが品性のかけらもないのである。

 かつて旧大蔵省の役人が銀行の大蔵省担当(MOF担)によるノーパンしゃぶしゃぶ接待が摘発された。東大を出ようが財務省に勤務しようが大臣になろうが、人の性への興味関心に変わりはない。趣味嗜好に自分の金を使ってすることには問題はない。求められるのは品性である。今回のSMバー問題を釈明する宮沢大臣にそれが感じられない。宮沢大臣だけでない。政治家で品格のオーラを放つ人がいない。品格こそ人、自らが日々切磋琢磨して身に着けるものである。

  昨日のネットのニュースに鉄道警察の痴漢捜査官が痴漢で逮捕されたとあった。これが人間である。建前への過大な期待も肩書だけで人物を一方的に評価判断するのも危険だ。だれにも“助平心”はある。それを如何におとなしくさせて理性を全面に押し出すかで皆苦労している。人間として苦労しがいのある報われる行為努力だと思う。若かりし頃、私を振り回した爆発するような衝動はすっかり落ち着いている。息をしているだけで精一杯の毎日である。SMバーもタイやあちこちで、元気な年寄りの性犯罪の報道をも羨ましいとは思わない。どこかで線を引いてしまった。山場を越えたからこそ、今は第三者として性を見つめることができる。私に品格があるとは思えないが、納税と投票には国民として義務を果たし続けている。選挙で選ばれた国会議員にも義務がある。嘘つくな。ネコババするな。奉仕しろ。


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日本人日系人

2014年10月28日 | Weblog

  日本人という条件は何なのか。私は本人が主張する国籍と申請して所持する旅券で決められると考える。

  ノーベル賞受賞のような世界的な良いニュースならマスコミはこぞって騒ぐことがある。マスコミは血に関して単純である。日本人の血が混じっている。苗字や名前が日本のものなら日本人か日系人として扱って囃し立てる。さらりと経歴履歴を披露するくらいにしておけばよい。

 アメリカの下院議員にマイク・ホンダがいる。ホンダの字のごとく日系人である。ホンダ議員はアメリカで反日団体の先兵であると日本の新聞に書かれている。記事を読むとホンダ議員は日系人なのに日本に不利益になる行動をとっているかのようにうけとれる。私は彼はアメリカに同化して、日本に対してはハッキリと区切りをつけているのだと理解する。アメリカ人として見ればよい。過度な期待は禁物である。移民の多くは日本での生活を見限って新天地アメリカへ渡った。私はカナダやアメリカで多くの日系人に遭った。1世2世3世4世5世となるにつれて日系の人々の日本人という意識は薄れる。私はそれが当然だと思う。同化している証拠である。区切りをつけていることに潔しと感じる。

 第二次世界大戦の時、アメリカの日系人は2つに分かれた。市民権を持つアメリカ合衆国にアメリカ人として残ると決めた人々。日本人日系人として日本へ帰国するか、残ってもアメリカに同化することはしないと決めた人々。そして多くの日本人と日系人は職業、学籍、財産を奪い取られて収容所に入れられた。日本に対して恨み骨髄になった人々もいた。

 私は離婚して二人の子どもを引き取った。私のカナダ留学時代の先輩だったアメリカ シアトルに住む日系2世と3世の夫婦が長女を預かり育ててくれた。私は何度もこの夫婦に日本への招待状を送った。夫は戦争では落下傘部隊に入隊してアメリカ軍の一員として参戦した。ボーイング社の会計士を定年まで勤めた。遂に日本に一度も来ることなく癌で亡くなった。夫人は一昨年78歳にして初めて日本の土を踏んだ。口には出さないが長い時間が彼女の痛恨を許しに変えたに違いない。

 ノーベル物理学賞を受賞するカルフォルニア大学サンタバーバラ校の中村修二教授は“怒り”が日本での、そしてアメリカでの、LEDの研究のエネルギーになったと言う。彼は日本の会社や社会の旧態依然な体制を見限って、アメリカの市民権を得て研究を続けている。彼は「私はアメリカの旅券で日本に出入りしている」とも言っている。2008年にノーベル物理学賞の受賞者南部洋一郎さんもアメリカ国籍だった。

 読んでいた小説にこんな会話が出てきた。「『お名前からすると、アイルランド系の方ですか?』『いや、雑種みたいなものですよ。いちばん多く混じっているのはドイツ系の血かな。父方の祖先がアイルランド人です。家系に関心を持ったことはいちどもありませんが』」ジョン・グリシャム著『テスタメント(上)』ページ440 新潮文庫 743円税別 私が過去に会った多くのカナダ人アメリカ人はこういう人達だった。

 移民の国アメリカで同化できずに母国での生活を見限って渡ったにもかかわらずに、母国ばかりを振り返っている中途半端な移民が増えている。慰安婦像の建立、イスラム国への参加同調などなど。だからこそ現在の自分の国籍を明確に主張する人々、新天地に同化した人々、同化しようとしている人々に敬意を表する度量を持ちたい。同時に私は最後まで日本に留まり日本人でいることを決意する。ニューヨークの自由の女神像の台座の言葉がアメリカ存在の意義だ。(私の2013年8月22日投稿のブログ『慰安婦像』を参照いただきたい)

『汝の疲れたる貧しき

 

自由の空気を吸わんものと

 

身をよせあう人々を、

 

汝の豊かな海辺に集まる

 

うちひしがれた人々を、

 

我に与えよ。

 

かかる家なき嵐に弄(もてあそ)ばれたる人々を、

 

我に送り届けよ。

 

我は黄金の門戸のかたわらに

 

ともしびを高くかかげん。』

 

エマ=ラザルス 1881年

 


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暖炉

2014年10月24日 | Weblog

  暖炉で太い薪が燃えるのを見ているのが好きだ。燃えるのを見ているのが好きと言っても放火魔ではない。燃えるのは暖炉の中に限る。自分は前世で火を神と崇めるゾロアスター教の信者だったのではないかとさえ思ったこともあった。

 20代後半で戸建て住宅を人生で一度だけプレハブ住宅会社に設計から加わって購入したことがある。設計士に暖炉を注文した。あまりに簡単に受け入れられて不安だった。完成して引き渡された。意気揚々と薪をたくさん購入した。初めての冬が来た。暖炉に火を入れた。10分もたたないうちに家中が煙だらけになった。施工した会社に問い合わせた。「本当に使われたのですか?飾りではなかったのですか?」 夢は破れた。それからしばらく経って離婚した。家は売却して市営住宅に引っ越した。暖炉の夢は、萎んで永遠に消えた。

 暖炉を初めて自分の目で見たのはアメリカのペンシルバニア州のアルコール中毒患者の更生施設だった。カナダの学校からクリスマス休暇で友人一家を訪ねた。家族の親戚がアルコール依存症でその施設に入っていてクリスマスプレゼントを届けに行った。あまりの豪華な施設に驚いた。アルコール中毒って贅沢な病気だと不謹慎にも感じた。冬だった。太い薪が暖炉の中で勢いよく燃えていた。暖炉は煮炊きに使うのではなく、ただ暖房のためと火が燃えるのをみて楽しむだけにこんなに豪華な暖炉をつくり薪を燃す。豊かさに圧倒された。こんな凄い国と日本が戦争をしたことが信じられなかった。18歳だった私は、いつの日か自分の家に必ず暖炉をつくって火が燃えるのを見て楽しむような生活をしようと夢を持った。

 現在終の棲家と決めて住むのは集合住宅である。電気以外の熱源は規則で使用できない。暖炉などもっての外だ。暖炉は諦めていた。

 去年デパートで暖炉型電気ストーブが展示されているのを偶然見た。アイルランド製だという。薪が燃えている。煙が立ち上がっている。まるで本物のようだ。欲しいモノがないという一種の“燃え尽き症候群”状態の私に久しぶりに“欲しい”という強い想いが燃え上がった。しかし妻には言えなかった。妻はマガイモノが嫌いだ。だからといって本物には手が出ない。暖炉は本物なら何百万円もする。

  私たちはデパートの友の会に入っている。この会には毎月一定額積み立てている。12箇月積み立てるとボーナスとして1箇月分の積立金相当が加算される。10月2日に満期になった。妻を説得しようとあの手この手を画策した。パンフレットを用意した。そして恐る恐る切り出した。「欲しければ買えば」に私は耳を疑った。最近老化が進む夫を憐れんでくれたのか。それとも妻も隠れゾロアスター教徒だったのか、真意は定かではない。

  次の日妻の気が変わらぬうちにと東京のデパートに出かけた。配送までに1週間かかると言われた。「♪私待つわ、いつまでも待つわ♪」とこぼれるような笑顔で帰宅した。

  待望の暖炉型電気ストーブが届いた。組み立てに苦労した。何事も雑だった。組み立て説明書が不親切。部品やネジの質が悪い。組み立てる際、手が入らないなど設計に問題が多い。それでも1時間で完成させた。

  仕組みは、ストーブ内部に水のタンクがあり、タンクから蒸発装置に水が少しずつ流れる。蒸発する水蒸気を4個の赤い光を発するハロゲンランプが下から照らし出す。ガラス戸の中にハロゲンランプで燃えているように見えるプラスチック製の薪がある。煙がゆらゆらと揺れて、まるで薪が本当に燃えているように錯覚させる。

  この2,3日雨が降り気温が下がった。私はストーブの前に陣取って炎を見る時間が長くなった。まさかこの歳になって18歳の夢がこういう形で実現するとは。炎は私の18歳から67歳までのすべてを肯定してくれかのように優しくゆらぐ。


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小渕優子お姫さま大臣辞任

2014年10月22日 | Weblog

 今回の小渕優子経済産業大臣の辞任には遠い封建時代へタイムスリップした感がある。小渕家の城下町である群馬5区の有権後援者は、お姫さまお殿さまからのいただき物をありがたがるおねだり体質からいまだに抜けきれないらしい。そこからはお姫さまの「良きに計らえ」と響き渡る声が聞こえてくるようだ。江戸時代以降お姫さまや殿さまはいなくなったと思ったらまだまだあちこちにいらっしゃる。

 小渕大臣はまだ40歳である。若い。私は後頭部が絶壁だ。小渕さんの後頭部はドーナッツ枕を使ったようにかっこよく円錐型に突き出ている。いつも羨ましいと思って見ていた。でもどうもそれだけのようだ。演説や会見を聴いていても、話術や内容にも魅力がない。ましてや実績もない。あるのは政治屋としての地盤、看板、カバンの3つの堅固な“バン”を持っているだけだ。その素人っぽさが魅力だと多くの人々が言う。AKBの総選挙での応援要素に似ている。国政とAKBを一緒にされては堪らない。

 アメリカのテレビドラマ『ハウス オブ カード』を観た。私には不必要なセックスシーンが多くてドラマの面白さを半減させているが、とにかくアメリカの政界の勉強になる。たとえば議員を役職につけさせる時の身辺調査の場面などは「そこまでやる」かと唸らせる。私もカナダの学校で経験したが、カナダもアメリカも学科試験さえ面接でできるほど質疑応答のスキルが確立されている。日本では身辺調査そのものが仲良しクラブ感覚で骨抜きにされている気がする。

 小渕さんは「私は知らなかった」とお姫さまらしく語った。正直な答えだ。釈明には「しっかり」「きっちり」を多用して説明責任は必ず果たすと強調する。それに呼応したかのように群馬県中条町の町長が「すべては私の責任でした」と辞任を表明した。この町長は小渕恵三の秘書を務めた。よくある政治屋秘書の地方首長への横滑りである。時代劇のような展開の幕があがった。家来はお姫さまやお殿さまを守るためなら切腹(辞任)も辞さない。忠誠心あふれる家来たちの行動である。トカゲのシッポ切りは常套手段である。

 小渕さんなど多くの政治屋一族の欠点は、すべてを身内で固める閉鎖的構造である。広く優秀な人材を求めて適材適所な配置ができない。公正な選抜の術を知らない。旧態依然の地域社会、政党組織、労働組合組織、宗教団体組織は頑として余所者新参者適任者を弾きだす。今回の収支報告書など経理と法律に長けた専門家を確保していれば、未然に防ぐことができた。ただただ狭い村社会の中で組織を回そうとする集団エゴが招いた結果である。これでは政治を目指そうとする有能な若者を育てることなどできるはずがない。

 群馬県は以前から選挙激戦区で中曽根レストラン、福田食堂と揶揄された。つまり選挙民に飲み食いさせて票を固める。当時は法律も甘かった。そこへ小渕恵三が割り込み自嘲して“ビルの谷間のラーメン屋”と大衆性をアピールした。群馬県の有権者のつわものは3つの食事処を渡り歩いて腹を満たしたそうだ。そんな慣習が今度の明治座の観劇につながった。政治屋も悪いが、たかる有権者には嫌悪感を持つ。上州人は義理人情に厚いそうだ。忠誠心も義理人情も狭い後援会などという範囲でなく、国家や国際社会に対して遵法意識と併せ持つ時代ではないだろうか。

 今回の事実を発見して公にしたのが誰か知らない。相当な時間とエネルギーを資料の精査に注いだことは間違いない。不正がまかり通る社会の中でこのような地道な努力は評価されても良い。このような悪習をなくすにはまだまだ長い年月がかかる。

 伊丹万作の言葉「騙されていたと言って平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でも騙されるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによって騙され始めているに違いない」が耳に痛い。

 


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御嶽山の紅葉

2014年10月20日 | Weblog

  人それぞれに紅葉のお気に入りのスポットがあるに違いない。もちろん私にもある。日本の紅葉は美しい。錦繡佳景。まさに錦織りなす紅葉は、人々を魅了してやまない。御嶽山の噴火した日多くの人々が紅葉を見ようと登った。私には彼らの気持が理解できる。誰があの噴火を予知できたであろうか。噴煙、噴石、火山灰が紅葉し始めていた御嶽山の山肌を被った。紅葉は見る影もなく灰色一色の無生物空間に変わった。56人が亡くなり、いまだに7人の行方が不明である。

  私のお気に入りの紅葉スポットは長野県南佐久郡小海町と佐久穂町の境にある“白駒の池”である。駐車場から苔むしたコメツガやシラビソの原生林森を歩いて行く。車を降りてすぐそこに白駒の池はない。池にたどり着くまでの原生林をぬう山道がいい。曲がりくねって緩やかな勾配になっている。この先にどんな光景があるのかと、いやがうえにも気持ちを高ぶらせる。道は木の根が陸上競技のハードルのようにはびこっている。躓いて転ばないために一つひとつの根っこに挨拶するように超えてゆく。やがて目の前が突然ひらけてくる。天気の良い日なら青い空が地上にまで達したかのような不思議な空間である。青い空が地上で液体に凝縮されてしまったかのような池が目に入る。標高2115メートルの日本最高所にある湖・白駒の池。池の全周をとりまくドウダンツツジ、ナナカマド、ダケカンバ等が赤や黄色に鮮やかに色づいていた。浦島太郎が竜宮城を見た感動もこんなだったと思った。息を呑んだ。ぼう然とみとれた。

  昨日19日NHKスペシャル『カラーでよみがえる東京100年の映像物語』を観た。白黒で撮影された古い映像が見事に総天然色にNHKの技術で変えられていた。白黒で観るのと総天然色では、なんと印象が違うことか。私はテレビを観ながら頭の中で白駒の池の紅葉の総天然色に戻った。1943年神宮競技場での学徒出陣の行進と神宮競技場があった場所に造られた国立競技場における1964年東京オリンピックの行進が交互に映される場面でナレーターに読まれた杉山苑子の「・・・幻でも夢でもない現実として、私たちの中に刻まれているのだ。私たちにあるのは、きょうをきょうの美しさのまま、なんとしてもあすへつなげなければならないとする祈りだけだ『あすへの祈念』」が胸を打った。

  学徒出陣の映像は、NHKの技術を総動員して総天然色に変えても白黒にしか見えなかった。紅葉まっさかりだった御嶽山が火山灰に覆われ色を失った映像と重なった。


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エボラ出血熱・テロ・病院船

2014年10月16日 | Weblog

  西アフリカのギニア、リベリア、シエラレオネの3ヶ国でエボラ出血熱が猛威をふるっている。1週間あたり千人が新たに感染している。すでに死者は4千人を越した。12月には1週間あたりの新たな感染患者数は5千人から1万人に拡大するとWHO(世界保健機関)が見通しを発表して注意喚起した。エボラ出血熱はワクチンも治療法もない人類が発見した最高危険度のウイルスである。恐ろしい感染症が世界を恐怖に陥れている。

 私は西アフリカのセネガルの首都ダカールに2年間暮らした。住んでみると分かるが、西アフリカの国々は教育もインフラ整備もまだまだ遅れている。教育が行き届かないことで人々に感染症、伝染病、健康管理の基本である衛生問題への関心が薄い。その上インフラ整備が遅れているので一旦感染病や伝染病が流行ると多くの人々が犠牲になる。下水道があっても処理場がなく下水は川や海に垂れ流しされる。追い打ちをかけるように上水道は常時水不足で断水が多く水道代は高額である。貧しさ故に水道がない家庭も多い。飲料水と洗濯調理に使う生活水との区別がつけられない人もいる。病気を遠ざける清潔な生活は難しい。私がセネガルにいた2年間、国内でのエボラ出血熱の発症は1件も報告されていなかった。マラリア、黄熱病、肝炎、コレラの発症はよく耳にした。

  ダカールには奴隷の積出港だったゴレ島がある。今では世界遺産に指定され世界中から多くの人々が訪れる。私はゴレ島で考えたことがある。あの時代なぜアフリカの奴隷にされた人々を媒体にアメリカ大陸に感染症が拡がらなかったのか。私がセネガルのフランス語の家庭教師から聞いた話では、奴隷にされたのはまず健康な若い男女が選ばれた。ゴレ島にある期間留め置いて病人を選り分けた。長いアメリカまでの航海で狭い劣悪な船室にすし詰めに監禁されてモノのように運ばれた。この航海でさらに屈強な者だけが残った。つまりアメリカに到達できたのは、すでにあらゆる病気や過酷な環境条件をくぐり抜けた人々だった。弱者は無情にも排除されていたのである。人間を奴隷とする側の人間がどれほど残酷であるかがよくわかる。

  奴隷が売買されていた時代、人が旅するには歩くか船という速度が遅い手段しかなかった。エボラ出血熱も今年までアフリカから他の地域に出たことがなかった。現代はジェット機で世界中どこへでも短時間で行ける。症状が出ない潜伏期間に移動する可能性は大である。アメリカのテキサス州で西アフリカのリベリアから入国した男性がエボラ出血熱で死亡して治療に携わった看護師にも感染した。アメリカはエボラ出血熱の拡散におびえている。15日のダウ平均株価も二人目の二次感染者が出たことで大きく下げた。日本への感染者の入国もいくら水際作戦をとって防ぐといっても有効な感染者発見法はない。まず国境で感染者を発見隔離することは不可能である。後は感染発症患者を隔離治療するだけだ。それには病院船が役に立つ。日本はその先進医療満載の病院船を建造運営するすべての条件を充たす世界でも数少ない国の一つである。

  私が長年病院船の建造運営を訴えているが、“うちわ”を配ったの“赤いマフラー”を巻いていたの批判を“雑音”だと言ったのと国会では騒いでいて大事な議論がない。日本にエボラ出血熱の患者が出たらどうするのか。テロリストがエボラ出血熱に意図的に感染し世界に散り感染拡大を計る自殺ウイルス細菌テロを起こしたらどうなるか。それこそダーク・ウィンター著『ピリグリム1・2・3』(ハヤカワ文庫NV)の病原菌やウイルスを散布拡散するテロの世界になる。日本に金だけ出させて存在を軽視する国連に期待はできない。もういい加減「御人好しの日本人」を卒業すべき時が来た。日本独自に世界に貢献するために日本をテロや感染病から守るために国連に拠出する額を半分にしてでも病院船の建造をあらためて提案する。


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過払い金CM

2014年10月14日 | Weblog

  近ごろテレビ・ラジオであきれるほど頻繁に繰り返されているCMがある。どの民放テレビのチャンネルでも民放ラジオでも、どの時間帯でも流れる。「カードキャッシングで払いすぎた利息。過払い金は○○事務所で返金手続き。代表は法務大臣認定医司法書士の○○ ○。昨年依頼者1万4千人に平均83万円の過払い金があり、そのうち借金を持つ方の過半数が借金ゼロになりました。過払い金の返金でいくら借金が減り、現金が戻るのか5分で無料診断0120-1●-2●-3●借金問題は○○事務所」

 ただなぜか数字が時々入れ替わる。「昨年度依頼者4千4百人に平均100万円」となったり「昨年度依頼者1万4千人に平均83万円」になったり「昨年度依頼者2万1千人に平均100万円」になったりコロコロ数字が入れ替わる。最近ではこのCMに対抗するように弁護士事務所が参戦してきた。「(司法書士風の男性)『カードローンやキャッシングをご利用された方の中には返す時利息を払い過ぎているかもしれません。また返し終わっていても払い過ぎた利息が返ってくるかもしれないのですが、ただ限度額もあるかもしれないので・・・えーッ』(弁護士風の男性)『こういった過払い金の返金手続きは弁護士にお任せ下さい。弁護士は最後まで制限なくあなたに代わって手続きを行います。ご相談実績は15万人以上○○法律事務所にお任せ下さい』(女性の声)0120-○○―○○―○○サイムナシ 今すぐご相談ください」  司法書士には取扱い額に制限があるけれども弁護士しか扱えなかった過払い金を取り扱うことができるようなった。壮烈な仕事の分捕り合戦を繰り広げている。日本もアメリカ並みの訴訟社会になりかけたのか。それが先進国の証と捉えられるなら残念だ。金の集まるところに人は集まる。

 なんでこんなに頻繁にラジオ・テレビで宣伝できるのか、と不信に思っていた。テレビのCMは視聴率によって変わるが1回15秒放映で8~15万円×視聴率となる。5%の視聴率で8万円の枠なら8×5=40万円が1回15秒の値段になる。ラジオは東京単独でも1回10秒で68000円から8万円する。1回だけの放送はありえない。いずれにせよ莫大な費用がかかる。司法書士事務所の年間扱い額は、CMで公表している数字で試算してみると、4400人×100万円=4億4千万円 14000人×83万円=11億6200万円になる。広告料を払っても商売になるかもしれない。

  ネットになるほどと思わせる記事があった。「返還過払い金、弁護士らの着服横行か・・・過払い金が返還されたにもかかわらず、弁護士や司法書士が依頼者に渡しておらず、着服が疑われるケースが2012年以降、九州など全国で少なくとも45件(計約1700万円分)あったことが、大手金融会社の調査で分かった」(西日本新聞経済電子版8月19日配信)  大手金融会社が調査したというのが興味深い。法律改定後過払い金の返還をしている側である。よほど不愉快に思っているに違いない。CMを流している司法書士事務所や弁護士事務所が着服などの不正を働いているかどうかは知らない。けれど何か首をかしげてしまう。一旦収入として入った金が、あとになって返せと言われればどんな会社店でも困るに決まっている。法律の仕事に携わる弁護士や司法書士が悪さを働く。医者や歯科医師でも医師免許を取り消された者が昨年度6人その他業務停止や戒告など29人が行政処分された。殺人、窃盗、薬物使用、詐欺なんでもござれである。性善説性悪説のどちらが現代社会の主流であるかは勝負がついたようだ。医師、弁護士、教師、警官、裁判官、議員など。それぞれに倫理と責任が求められるが、どんな高潔な職であれ道をはずす者はいる

 それにしてもCMを観たり聴いてるだけで、世の中の動向を探れるとは、ある意味、分かりやすい時代といえる。


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象の滝くぐり

2014年10月10日 | Weblog

  最近私と親交のある先輩、ならびに同年輩、後輩の中にまで溶けてゆく人々がいる。哀しい現実である。医学の進歩のお蔭か、命はとりとめていても、もう以前のあの人ではない。

 先日私より14歳年上の元大学教授であった人と電話で話した。付ききりで介護している奥さんが「今日はだいぶ調子がいいようなので話してあげてください」と受話器を夫に渡した。「酒井さん先日お貸しした本まだ返していただいてないですね」 奥さんが「酒井さんではありませんよ」と言いながら電話を取り上げた。「ごめんなさい。だめでした」あれだけの知性と教養のある人でも老化には勝てない。モッタイナイと思う。惜しいと思う。何とか蓄積された知識やデータを記録保存できないものだろうかと身を震わせる。

 「私は健康すぎて困ってしまう」と会うたびに言い続けていた気の合う良き友であった年配女性は、寝たきりになって施設に入所して、すでに5年目になる。お見舞いに行こうと家族にお伺いをすると丁寧に「お気持ちはありがたいのですが、どうか健常な時の母を忘れないであげてください。子どもの私たちをさえ認識できません。本当に申し訳ございません」と言われた。

 同級会や同窓会でも参加者が減ってきている。年賀状や季節の便りもずいぶん少なくなった。わざわざ付き合いの手仕舞いを挨拶状にしたためて伝えてくれる人もいる。人生の節目を迎えた。寂しいが仕方がない。誰でもいつかは終わりが来て事切れる。歳をとると人付き合いが億劫になる。よほどの気心知れた人との行き来も少なくなってくる。行動半径も狭くなる一方である。

 象の最後をよく想いうかべる。象は死期を悟ると群れから離れて象の墓場に赴く。真実かどうか知らない。でも私はそう信じている。私が好きだった『ターザン』の映画では、死期を迎えた象が滝の後ろにある秘密の通路を抜けて墓場に入るシーンがあった。そこには多くの象の亡骸があり、象牙がゴロゴロ転がっていた。象は自分が最後の時を迎えるあいた場所に巨体を崩れ落とす。大きく喘いで最期を迎え、目を閉じる。悟を得た聖者のように。子供心にも神聖な光景だった。

 死期を悟れるまで生きることは、長生きした証拠である。広島県の土石流で死者74名、御嶽山の噴火で死者55名(未だ行方不明8名)などの突然の災害で死の覚悟などする術もなく亡くなった方々を悼む。台風18号はさして被害もなく過ぎ去った。来週の初めには最大級の台風19号が18号と同じコースをなぞるように接近すると予測されている。一難去ってまた一難。こうして幾多の危険に遭遇して今までは乗り越えてきた。先のことはわからない。平凡な毎日だが、私はこうして死への心構えを学び準備をつみあげることができる。感謝なことである。象のように滝をくぐり抜けることはない。しかし象の滝くぐりの決断と覚悟は習いたい。


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マツタケ、巨峰ふるさと便

2014年10月08日 | Weblog

  ふるさと信州からマツタケと巨峰が届いた。マツタケは妻の妹夫婦から。巨峰は東御市の友人から。秋の味覚を楽しんだ。マツタケは早速夕飯で握りとすき焼きにした。(マツタケの握り:炊き立てのご飯に醤油を混ぜる。握り寿司にしてその上に火であぶって醤油をたらしたマツタケのスライスをのせ細く切った海苔を巻く)デザートは巨峰。

 マツタケは私の機嫌をどんな時でもたちまち良くしてくれる。子供の頃からキノコ採りが好きだった。秋になればふるさとの太郎山という山へ妹を従えて出かけた。マツタケは見つけたことがなかった。端からあきらめていた。小学校3年生の時、父親の兄に初めてマツタケ山へ連れて行ってもらった。私のマツタケ好きはこの時から始まった。山村の農家が入山権をその年買った山だった。農家の人に案内されて山に登った。たくさんマツタケを採った。肩掛けカゴがいっぱいになるほど採った。農家で食べた食事はマツタケ尽くしだった。マツタケご飯に入っていたざく切りのマツタケの大きさに圧倒された。マツタケの入山権は毎年5月に地権者が売り出す。秋だけに限って、その区域内のマツタケの採取の権利を買うことができる。その年の気候によってどれだけマツタケが採れるかわからないので賭けのようなものだ。それから毎年秋になると親にマツタケ採りをせがんだ。たまたま山を持っている親戚がいた。その山にはたくさんマツタケが採れた。従兄とたくさんのマツタケを採った。当時はまだ炊事や風呂焚きのタキギやマキを山に入って集めていたので、マツタケの生育に好条件の環境を保っていた。マツタケがザックザクの山の斜面で無我夢中でマツタケを一本一本採る夢を今でもみる。

 マツタケは多くの人々と私との懸け橋となった。十代後半にカナダの全寮制高校へ留学した。アルバータ州のカルガリーの日本人教会でドクターヒラツカに世話になった。休みのたびに泊めてもらった。ドクターヒラツカはキノコの菌の研究で博士号を取り、カルガリー大学の教授だった。マツタケはカナダにもあると言って採取調査に同行するよう誘われたが、私の学校の都合で実現しなかった。学校を休んでも連れて行ってもらえばよかったと悔やまれる。

 私が離婚した後、私の長女をアメリカのシアトルで預かって育ててくれた私のカナダ留学時代に知り合った先輩家族もマツタケ採りが好きだった。何度もワシントン州の山へマツタケを採りにつれて行ってもらった。山の中でのマツタケがたくさん入ったすき焼きパーティは忘れられない思い出である。

 1991年から2004年まで妻の海外赴任に同行した。ネパール、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアのサハリンではマツタケを探した。マツタケを自らの手で採ったことはない。ネパールではブータンへ行った知人からお土産にマツタケをもらった。カトマンズの日本レストランでブータン産のマツタケを買ったこともある。アフリカのセネガルにいた時は出張でモロッコへ行った知人からお土産でマツタケをもらった。旧ユーゴスラビアにいた時はマツタケがあるかどうか調査をした。ベオグラードの市場に見たこともないキノコが売られていたが、毎年キノコ中毒が多く発生したと聞いて買うのはやめた。イタリアへ旅行した時、ポルチーニをレストランで食べた。マツタケと同じくらい好きになった。チュニジアでは期待してあちこちキノコ狩りをしたがマツタケは見つけられなかった。アンズタケやタマゴダケを現地の専門キノコ採りの人々から買って食べた。ロシアのサハリンでキノコ採りの師匠に出会った。リンさんである。(拙著『サハリン旅のはじまり』参照)リンさんが“マツタケ”と呼んでいたのはヤマドリ茸のことだった。訂正しなかった。私にとって師匠は絶対だった。サハリンの山野、海、川をリンさんと山菜、キノコ、カニ、サケ、ヤマメ、イワナを求めて駆け巡った。リンさんからは多くのことを学んだ。我が人生最高の採取体験であった。

 マツタケの握りを口にするたびに、次々と日本そして世界各地でのマツタケの思い出とそれに関わる人々の顔が浮かんでは消えた。


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台風進路予想

2014年10月06日 | Weblog

  5日日曜日、台風18号が6日午前中に直撃するかもしれないという予報が出ていた。我が家のある町を直撃するかもしれない。妻とベランダに出て台風被害に対する予防処置を取った。

  先週の土曜日、猿が我が家のベランダを荒らしていった。ゼラニウムのプランターをひっくり返し、ガーデンチェアを倒した。ゼラニウムの根を食べたのか、プランターを1メートル上の段からベランダの床に落としてあった。土がベランダに広がっていた。先週の日曜日は猿被害のベランダの片づけ清掃で終わった。ゼラニウムは虫が寄ってこないニオイを出す。そのためにヨーロップでベランダや窓に植えられるようになった。私はそれを期待して真似た。猿には関係ないようだ。それより猿には何かの薬になるのかもしれない。以前ハーブの中でも頭を良くするというローズメリーを鉢ごと猿に持ち去られたこともある。 猿の襲来による被害も嫌だが、台風となるとこれは比較にならないほどの恐怖である。雨と風と高波が我が家を襲う。ただじっと通り過ぎるのを待つしかない。テレビやネットの天気予報は最新のコンピュターによって過去のデータを使って進路を予測する。それでもたまに外れることもある。

  木曽の御嶽山の噴火による死者は5日現在51名となった。大惨事である。噴火は台風と違ってまだ事前に噴火を予測することは、地震の予測と同じようにまだ方法がないという。噴火も地震も地球の内部で起こる現象だ。中学で理科を教えてくれた松本先生が言った。「俺たち人間は地球という火の玉のカサブタの上に住んでいるんだ」 中学生の私は、恐ろしいことだと思った。いますぐにでも燃え盛るマグマに飲み込まれ体が高温で溶かされてしまう妄想に取りつかれた。しばらく勉強に手が付かなかった。今回の御嶽山の噴火で中学生だった時持ったあの恐怖がよみがえった。あまりにも多くの画像が残されていた。写真、動画。いまでは誰でもスマートフォンの普及でこれらの画像を電話回線で送ることができる。まさに妄想の視覚化である。犠牲者の死の直前までの動向が詳細に伝えられる。誰々さんは突然御嶽山へ登ることをあの日に決めた。またある中年男性は子供たちに得意の料理をして食事の用意をして出かけた。画像と記事が犠牲者の失われてしまった人生を克明に次々と伝える。

  すべてはタイミングと巡り合わせなのか。運命というもので人間は生死を定められているのか。これほど人間の文明が進化しても目の前の自然の変動を予測して、対処することができない。松本先生が教えた人間は火の玉のカサブタの上にに生きているをもう一度考え直す。今も私がこうして生きているということは、どれだけ凄いことなのか。運がいいとか、注意して棄権に近づかないようにしているということではない。いつなんどき自然が牙をむいてくるかは予測できないが、ただ自分の選択に賭けて、あとは自分の覚悟に任せるしかない。

  人は一日に9千回選択をするという。起きる、起きない。出かける、出かけない。食べる、食べない。半袖か長袖か。選択とは、その人なりに知識や経験に基づいて予想することかもしれない。岐阜に住む友人夫婦は、先週土曜日御嶽山登山を予定していたが突然やめて助かった、とメールしてきた。何ということだ。戦慄。こんなこともあるのだ。自然の脅威と闘うことはできないが、脅威が通り過ぎるのを、やるだけのことをやって、待つことはできる。知恵をだして9千回の選択を繰り返す。

 現在6日の午前6時02分、台風18号は午前9時ごろここへ達するらしい。予想は外れそうもない。妻は普段より1時間早く出勤する。家内安全夫婦円満無病息災、絵空事でありませんように!


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