宮沢洋一経済産業大臣は政治資金規正法違反の疑いで辞任した小渕優子さんの後釜大臣である。その宮沢さんが政治資金収支報告書の中に広島市のSMバーへの1万いくらかの支出が記載されているのが発覚した。
私は個人の趣味嗜好に寛大である。性的なものであってもその人の責任で完結できるものであるならば認める。一方被害者がでるいかなる性犯罪も断じて許さない。人間が清廉潔白で完全無欠だなどと思ったこともない。アメリカのテレビドラマ『ハウス・オブ・カード』を観ていれば、アメリカの上下院議員の私生活を覗き見た気になる。ドラマの世界といえばそれまでだが、事実は小説より奇なりである。イタリアのベルルスコーニ前首相のハチャメチャぶりは記憶に新しい。イタリアではベルルスコーニ氏は人気があり彼が悪いことをしているとはとらえていない人も多いそうだ。明るく開放的な国民性もあるだろうがイタリアでは政治家と私生活をはっきり分けて人物評価をしているようだ。アメリカのクリントン元大統領のモニカ・ルインスキー事件、現フランス大統領の女性問題も辞職には至らない。中国共産党指導部にさえ汚職や愛人とのセックススキャンダルがはびこっている。いかなるイデオロギー、宗教、文化、人種であっても権力、金、セックスの問題は起こる。
宮沢大臣は自分はSMバー行っていないと否定した。信じられない。悪いことは秘書か亡くなった妻という逃げ口上が流行っている。政治資金収支報告書にSMバーの支出を記載したのは事実である。SMバーの領収書を誰がそのバーに行ってもその領収書を政治資金に記載する、そのことがおかしいと思わないのか。SMバーの何が政治活動と関連するのか、其れもきちんと説明できない。何でもかんでも、自分が使った金は1円でも自分の金でなく政治資金から出させるというその姿勢、その考えが品性のかけらもないのである。
かつて旧大蔵省の役人が銀行の大蔵省担当(MOF担)によるノーパンしゃぶしゃぶ接待が摘発された。東大を出ようが財務省に勤務しようが大臣になろうが、人の性への興味関心に変わりはない。趣味嗜好に自分の金を使ってすることには問題はない。求められるのは品性である。今回のSMバー問題を釈明する宮沢大臣にそれが感じられない。宮沢大臣だけでない。政治家で品格のオーラを放つ人がいない。品格こそ人、自らが日々切磋琢磨して身に着けるものである。
昨日のネットのニュースに鉄道警察の痴漢捜査官が痴漢で逮捕されたとあった。これが人間である。建前への過大な期待も肩書だけで人物を一方的に評価判断するのも危険だ。だれにも“助平心”はある。それを如何におとなしくさせて理性を全面に押し出すかで皆苦労している。人間として苦労しがいのある報われる行為努力だと思う。若かりし頃、私を振り回した爆発するような衝動はすっかり落ち着いている。息をしているだけで精一杯の毎日である。SMバーもタイやあちこちで、元気な年寄りの性犯罪の報道をも羨ましいとは思わない。どこかで線を引いてしまった。山場を越えたからこそ、今は第三者として性を見つめることができる。私に品格があるとは思えないが、納税と投票には国民として義務を果たし続けている。選挙で選ばれた国会議員にも義務がある。嘘つくな。ネコババするな。奉仕しろ。