外出後のウガイと手洗いが習慣になっている。それでも1カ月前に風邪をひき、3週間ほど臥せった。体力の衰え、免疫力の低下を感じる。
古希になる前までは、ウガイも問題なくできていた。最近ウガイにも障害がでてきた。私は、ウガイにイソジンを薄めて使う。イソジンに付いてきた計量カップをコップ代わりにしている。そこへイソジンのまるで交換せずに使ったエンジンオイルのよう色をした原液を少し注ぐ。水道の蛇口から原液の3倍ほどの水を加える。琥珀色に変わる。それを口に含む。含むと天井を見上げる。この瞬間、私は首の骨の固さを思い知る。首だけでなく上半身もぎこちなく反る。自分ではフィギャアスケートの金メダリストの荒川静香並みの反りと自負。そして右手は壁に固定されたタオル掛けに掛かった手拭き用のタオルの端をつかんでいる。何かに掴まっていないと倒れそうになってしまう。口にはイソジン液が入っている。まだ問題がある。誤嚥である。私はウガイで「ガーㇰワガーガーガラガー」と喉でイソジンを踊らせる。30まで数える。以前は30まで途中で息をしなくても数えられた。今はだいたい20で息継ぎが必要となる。肺活量が縮んできたらしい。これが災いの元。息をしようと喉近辺の筋肉が難しい動きを試す。イソジンがチョロっと喉から食道に流れる。流れたイソジンが気管支に接近する。誤嚥。誤嚥を防ぐ方法を私は幾度となく苦しい思いをしてついに発見した。なるべく首を前に倒すように飲み込むのである。しかし、その方法は、天井を見上げてガラガラするこのウガイに適用されない。だから抑えきれずにむせることがある。何とかウガイを無事終わらせることができれば、役目を終えたイソジンを計量カップに静かに吐き出す。それを流しの排水口に注意深く捨てる。以前は洗面台の水槽にまき散らすように吐き出したが、イソジンの強力な色素が水槽を茶色にするのが嫌で排水口に直接捨てることにした。これをすると、いつも罪悪感が頭をもたげる。このイソジン、下水処理場でちゃんと処理できるのだろうかと。川や海を汚して他の生物に悪影響を与えていないだろうかと。
手洗いはネパールで3年間暮らして以来習慣づいた。気をつけていないと糖尿病で免疫力が低い私は感染症になりやすい。水道水も汚染されていたが、それでも石鹸を使えばある程度除菌できるとアメリカ大使館主催の衛生講習会で教わった。アメリカ人講師が言った。レストランでボーイやウエイトレスは、料理を運ぶが、一緒に病原菌も運ぶのだと。シャーレーの寒天に手の指に当てた綿棒をつけ、培養させた結果を見せられた。手の指の細菌の驚異的繁殖力に圧倒された。ほとんど毎日家に客を食事に招いていたので衛生管理には気を遣った。一日に何十回と手を洗ったので、その習慣は今でも続いている。ただ困るのは、手を洗ったのに、それを忘れていて、またすぐ手を洗うことが多くなった。手洗い、病気予防にしすぎるはないと思うので気にしないようにしている。
ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアと妻の赴任地で暮らしたが、そのどの国にもしっかりとした下水処理場はなかった。人間は自分の排泄物でも自分の環境を汚染している。日本は下水処理場でも世界最先端の技術を持っている。それでも細菌や病原菌は目に見えない。だから恐ろしい。いつどのように感染するかわからない。感染の一番の可能性は、自分の手だという。自分の手から自分の口へと知らず知らずに菌を送り込む。できるだけ手を口に近づけないようにしているが、手は口が好きらしく、接近を繰り返す。予防に越したことはない。
出歩くことが大好きな私だが、感染症が流行ると、出歩くことをひかえる。これは妻の勧めである。それにしても妻は丈夫である。インフルエンザも風邪もひかない。病院には病気の人が集まる。それでも妻には病気がうつらない。ただ菌を運んでくるので、私が素直に反応して病むことが多い。だからウガイ、手洗い、出歩かないは、私の病気の防波堤である。