団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

お山の大将・サル山のボス

2018年05月30日 | Weblog

  私は人間社会に動物園のサル山のような小さな山が無数にあると思っている。どの山にもボスがいる。それを漠然と感じながら大人になった。組織の中でボスに上り詰められるような人間でないことに早い時期に気が付いた。映画やテレビそして動物園で実際に見たゴリラのシルバーバックに憧れた。ほれぼれする。自分もシルバーバックのように強く群れを守ることができる存在になりたかった。現実はまるで違った。私が経営していた塾でよく「この世の中にいくつもの小さな山がある。その山のてっぺん目指してがんばれ」と自分の気持ちと裏腹のことを言って塾の生徒を激励した。しかし私自身は猿の社会でいうはぐれ猿だった。私が58歳だった平成18年になって『チンパンジーの政治学』(フランス・ドゥ・ヴァール著 産経新聞出版 1800円+税)という本を読んだ。この本を読んで長年の疑問が解けた。断捨離をして何千冊もの書籍を処分した。残した数百冊の中の1冊である。改めて読み直してみた。そして最近世間を騒がしていることと照らし合わせてみた。

 本文の中に「チンパンジーたちも集団生活を送るためにはリーダーを必要とするが、腕力で現在のリーダーを倒しても他のチンパンジーたちはそれをリーダーとみとめないのである。リーダーを目指すチンパンジーは周到な根回しを行わなければならない。他のチンパンジーには各自の思惑があり、自分たちに都合のよいものをリーダーに推す。リーダーになるためには、各グループのボスたち(メスグループのボスたちも)の思惑を理解して利権を約束して協力を得なければならない。まら、直接権力闘争に参加しないチンパンジーたちは日和見主義を決め込んで、どの場面でどう動けば利益が大きいかを判断する」とある。これこそが政治である。著者は、「政治の起源は、人間性の起源より古い」と証明した。

 ハロルド・ラスウエルは政治を「“誰が、なにを、いつ、いかにして得るか”を決定する過程である」と定義した。それを手に入れるには、権力だけがものをいうのである。

①     日大アメフト部の選手の試合での悪質タックルと監督

②     財務省次官とセクハラ問題

③     安倍昭恵さんと森友問題

①      私の推論:内田監督が日大という組織の中で頂点である理事長を、できるだけ早く、アメフト部の監督として日本一の座を勝ち取り周りにその実力を認めさせるために手段を選ばなかった。

②      私の推論:財務省事務次官は女性記者を二人だけになるよう機会を画策して、あわよくばと考えた。『チンパンジーの政治学』第4章『性的特権』参照

③      私の推論:夫は日本国の内閣総理大臣である妻が、夫の権力の傘のもとそのおこぼれを、利用しようと虎視眈々と近づく人々に出会う度、自分の夫は総理大臣だという快感に酔うことができた。

      ただ推測するのではなく、事件に登場する人物をゴリラやチンパンジーやニホンザルなどの類人猿に置き換えると事件の本質が見えてくる。私は納得する。人間があれこれ過程を小細工しても、やっている事は、サルと変わらない。人間は、服を着て、言葉を使い、ルールを持つ。時に、その事が、人間を貶めている気がする。いつまでたっても人間の中にサルがいる。地味で地道な研究、一見何の役に立つのだろうと思われる研究から、私たちは多くの事を学ぶ。人間って不思議な生き物である。


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新幹線と海外からの観光客

2018年05月28日 | Weblog

 25日から27日まで大阪へ2泊3日で行ってきた。妻の所属する学会があった。今月は10日から14日までの仙台での学会に次いで2度目だった。大好きな新幹線に乗れた。25日の新大阪行きは、指定席が日本人乗客でほぼ満席だった。帰りは、日本人は2割程度で後は海外からの観光客で満席だった。これは小田原で停車するのが原因だった。箱根へ行くためである。ジャパンレールパスなるものを買うと7日間新幹線も含めて日本中乗り放題で、グリーン車が38880円、普通車が29110円である。これは使わない手がない。ちなみに私たちの切符は、片道13620円往復27240円だった。

①     海外からの旅行客の増加

②     海外からの旅行客の荷物

③     海外からの旅行客の様子

①      私が育った都市で子供の頃出会った外国人と言えば、駐留軍のアメリカ人兵士かキリスト教宣教師ぐらいで、旅行者など見たこともなかった。高校2年でカナダの学校へ転校した。カナダで私は外国人だった。まわりはほとんどがカナダ人でアメリカから徴兵を逃れて来ていた生徒も多かった。カナダの人口2千人の小さな町だった。外国人観光客が来ることはなかった。

 最近の日本への海外からの観光客が増加している現象を嬉しく思っている。高校生の時、軽井沢のキリスト教宣教師や宣教師の子供たちにさんざんに日本の悪口を聞かされていた。それを聞いていて日本にアメリカから観光客は来るわけないとまで思っていた。刺身は野蛮、豆腐は変な食べ物、醤油は虫を潰して出てくる汁の色、羊羹は石鹸のようとさんざんな評価だった。今、多くの観光客は、自分が住む国との違いを楽しむために日本を訪れてくれる。ガラパゴス文化だと批判も多かった。そのガラパゴスなところが魅力だと多くの海外からの観光客は口にする。私は、それを聞くだけで以前の宣教師やその子供たちから聞かされたことを一つずつ打ち消す。それが心地よい。

②      今月箱根を案内したアメリカからの客人もそうだったが、とにかく荷物が大きく重い。昨日乗った新大阪からの新幹線車内の荷物棚(写真参照)も凄かった。私たち夫婦が海外に住んでいた時もたくさんの荷物を持ち歩いた。新幹線に乗って、棚の荷物を見て、私たちの過去を思い出した。もうこんなことはできない。この観光客がそれぞれ日本を満喫して帰国して欲しいと願った。

③      新幹線の中の海外からの観光客はさぞかし騒がしいと思っていた。ところが昨日の新幹線の車内は静かで驚いた。私たちの二人掛けの席の間には、私たちと同年配の夫婦の観光客が座っていた。二人はほとんど話すことがなかった。きっと大阪、京都、奈良などを回り疲れが溜まってきていたのだろう。私はちょっと安心した。前歯を2本抜歯して入れ歯が合わず抜けたままの私は、笑いかけることはもちろん、話すこともできなかった。車内の多くの海外からの観光客が静かだった。富士山が雲の間から見えた。車内がどよめきカメラで写真を多くの人が撮り始めた。やはり観光客だと安心した。

 交通手段が発達して、世界は狭くなる一方である。宗教の対立、テロは後を絶たない。そんな中、八百万の神々の信仰受け入れる日本は特別な存在である。まだまだ受け入れ態勢は整ってはいない面も多々ある。私が嬉しく思うのは、西欧人ばかりでなく、アジアやアフリカからの観光客が増えていることである。駅でブラジルの国旗を持った20人くらいの団体観光客を見た。安全で清潔な日本を守り、多くの国々からの観光客に滞在を楽しんでもらいたい。


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歯がない鳥と九官鳥

2018年05月24日 | Weblog

 5月23日歯科医院で上の前歯2本を抜歯した。抜かれた2本を見せられた。それらは氷山が水上にほんの一部姿を出し、ほとんどの部分が水中にあるように上の部分と下の部分に分かれていた。感傷的になった。永久歯である。親知らず以外の永久歯は、人にもよるがだいたい12歳ぐらいまでに乳歯から生え変わり、それ以後生涯使われる。私の抜かれた歯も単純計算で58年間私の体の一部だった。反面、久坂部羊の小説『廃用身』の中に、病気に侵された部分を切断して治療してしまうことが書かれていた。ずっと歯痛で苦しんでいた妻が、4月に抜歯してその後ケロっとしていたことも頭にあった。80-20が挫折したわけではない。可能性は残っている。上顎の歯の病気は、脳に近いため化膿した場合、膿が脳に達する危険性もあるそうな。それは死につながるという。抜くしかない。私は優柔不断。歯科医とは体調、服用している薬との兼ね合いをみながら抜歯すると話し合っていた。23日歯科医院に出かける前、私は「25日から大阪へ行くので帰ってきてから抜歯してください」と言うと決めていた。診療台に座った。「体調も良さそうですね。今日抜いてしまいましょう。仮の入れ歯もできています」 私は意に反して、一言、「お願いします」。麻酔をしたが、あっと言う間に終わった。前歯が2本抜けた手鏡の中の私は、志村けんのバカ殿のような間抜けた風貌になっていた。

 家を出る時、もしかしたらと思い、バッグにマスクを入れておいた。そのマスクをして電車に乗って帰宅した。ため息をいつもより多めに吐きながらソファに座って庭を眺めていた。季節外れなのにウグイスが上手に鳴いていた。竹林には今年生えたタケノコがもうすっかり大きくなって周りの竹に同化していた。ふとベランダに目をやると、何やら小さな塊が動いていた。スズメだった。それも小さな2羽が身を寄せ合っていた。

 スズメを見ていて思い出した。鳥に歯がないのは、ふ化の期間を短縮するためだとドイツのボン大学のヤン氏とサンダー氏が発表したニュースだ。論文の中に「胚の成長の高速化とそれによるふ化までの期間の短縮を選択した副次的影響として(鳥の)歯の喪失という(進化的)選択が起きたと考えられる」とある。私は勇気づけられた。私が今日2本の歯を失ったのは、進化の一つと考えよう。その代わりに口が鳥のクチバシのようになるのはごめんこうむりたい。

 歯が2本減った私は、歯のない鳥たちの姿、鳴き声に元気づけられている。

①     スズメ 2羽寄り添うところを撮ろうと急いだが、カメラを用意していて間に合わなかった残念な写真:

②     ミソサザイ 私が一番好きな鳴き声、最近裏山に到着。やっと朝聴ける。姿を見たことがない。

③     ウグイス 季節外れだが見事な鳴きっぷりに魅了されている

 

   23日午後8時から開かれた日大のアメフト部の内田監督と井上コーチの会見を聞いた。内田監督の「正直」「本当」「申し訳ないんですが」の不愉快な繰り返しが、ただうるさいだけのしゃべり下手な九官鳥のようだった。22日の日大元アメフト部選手で危険なタックルを仕掛けた宮川さんの謝罪会見での態度話し方は、闘鶏で敗れて持ち主に捨てられた元チャンピオン鶏のような風格があった。誰が何をどう弁解しようが、スポーツはルールあってのもの、ルール遵守なくしてスポーツマンシップは語れない。


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卒業旅行

2018年05月22日 | Weblog

  アメリカから知人の娘さんの卒業旅行だと知人が来日した。京都などをまわり、19日(土)箱根の芦ノ湖に来た。知人は私の娘を育ててくれたシアトルの一家の次女である。私がカナダのキリスト教系の学校にいた時、日系の父親が同じ学校の大学部で学んでいた。やはり日系の奥さんと二人の子どもと一緒に既婚学生用アパートに住んでいた。その当時彼女はまだ2歳だった。あれからすでに51年。彼女もすでに白髪が目立っていた。その彼女の娘が4月にオレゴン州立大学を卒業したので娘の卒業旅行として日本を訪れた。東京に住む私の娘の代わりに私が箱根の旅をアテンドすることになった。

①     富士山

②     芦ノ湖

③     焼き鳥屋

①      二人の客人は、箱根に来れば、富士山は見られると思っていたらしい。しかし19日20日のたった二日の滞在のその二日間、芦ノ湖近辺はすべて濃い霧の中だった。新幹線の駅から大きなスーツケースを私の車に積んで箱根に向かった。ふもとは良く晴れていた。しかし上に行くにしたがって霧が濃くなってきた。午後3時だった。富士山どころか目の前数十メートルさえ見えなかった。箱根への道路は、坂道のうえ曲がりくねっている。事故を起こしては大変と私は極度に緊張していた。対向車があるかないかは、対向車のヘッドライトだけが頼りだった。それでも箱根の関所跡を案内してホテルには4時半に到着した。もしナビがなかったらあの霧の中であの小さな民宿のようなホテルを見つけることはできなかったであろう。彼女たちをホテルに送って私は再び霧の中を運転して家路についた。箱根を少し下ると霧はなかった。帰宅して私は翌日どこへ行けば富士山が見える確率が高いかネットで調べた。天気予報をチェック。どこも微妙。12時から晴れる、とあるがそのころ彼女たちは東京へ向かう。可能性があるのは三島のスカイウォークだと決断した。翌日妻と一緒に箱根に向かった。箱根はやはり霧。4人でスカイウォークへ。霧のせいか駐車場はがら空きだった。二人を入り口まで送って私たちは待った。二人とも高くて揺れるところは苦手なのだ。待つこと1時間10分。富士山が一瞬姿を現したと娘はキャノンの一眼レフを母は携帯の写真を見せてくれた。私たちは富士山を見せてあげられ満足した。統計によると富士山の姿をよく観れる確率は、50%だそうだ。そのうちに今日どこへ行けば富士山が見られるか見られないかのアプリもできるであろう。私もこれまで多くの海外からの客人を富士山見物に案内したが、見られなかった回数の方が多かった。

②      19日も20日も芦ノ湖は水辺しか見えなかった。箱根神社の湖に立つ赤い鳥居も見えなかった。霧の湖のほとりを多くの外国人観光客が歩いていた。タイミングは非常である。きついスケジュールで旅行する人は、楽しみにしていた名物名勝を見逃すこともある。スカイウォークから戻る箱根の高台で芦ノ湖がきれいに見えた。そこから富士山は見えなかった。しかし芦ノ湖の全体と赤い鳥居がはっきり見えた。

③      知人の娘さんは、海産物が苦手だった。ランチを何にするか事前にいくつかの案をネットで調べた。焼き鳥なら大丈夫ということで焼き鳥屋に入った。ずいぶん喜ばれた。ただ大学で生物学を学んだ娘さんが焼き鳥の部位を細かく尋ねるのには英語力が低下している私に苦痛だった。それも私の娘が助けてくれたので何とかなった。

   テレビ東京の番組で『Youはなにしにニッポンへ』『世界!ニッポン行きたい人応援団』をよく観る。他人事のようだったが、今回アメリカからの客人をアテンドして、日本への旅行が以前とまったく様相を異にしているのが実感できた。ネットで情報が細かく誰の手にも届くのが原因であろう。良いことだが、私は完全に置いてきぼりである。知人の娘さんは、「ふくろうカフェ」が一番良かったと言った。私には理解できない。それでも彼女が喜んでくれたなら、それでいい。


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タックル

2018年05月18日 | Weblog

  5月6日、日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で、日本大学の選手が相手のクォーターバックをタックルで倒した。ニュースは、私の過去の記憶を呼び戻す起爆剤になる。私が経験したスポーツで危険と感じたのは次の3つである。

①     アイスホッケー

②     アメリカンフットボール

③     柔道

①      アイスホッケーはカナダに行って初めて経験した。日本では公園の堀か学校の校庭に冬、臨時に作られたスケートリンクぐらいでしかスケートをしたことがなかった。カナダの学校では冬、アイスホッケーが体育の授業として行われた。こんなに恐ろしいスポーツはないと思った。何が恐ろしいってパックを打つスティックだけでなく相手のそして自分のスケートの刃が凶器になることである。滑るのがやっとだった私は、相手にステッキを脚の間に差し込まれ、突然前のめりに転倒した。そのような行為は、常に審判に見られぬように巧妙にされる。そしてスケートの滑り方に熟達していない私のような初心者は、倒れる時、自分のスケートの刃で怪我をする。学校の授業でのアイスホッケーは、防具もほとんどつけずに行われた。

②      カナダの体育の授業でアメリカンフットボールも行われた。(写真:カナダの私の体育の授業でのアメフト。ピーター・ガマッシュがボール持って走っている)正式にはアメリカンフットボールとカナディアンフットボールは少しルールが違った。それでも危険なスポーツであることには変わりない。クラスに学校チームの名クォーターバックだったピーター・ガマッシュがいた。彼はとても優しく成績も優秀だった。ある日体育の授業のアメフトの試合にあろうことかピーターが私にクォーターバックをやれとグランドに引き込んだ。日本から来た私に気を配ってくれた。彼は言った。「クォーターバックはボールを持っていればタックルされるが、ボールをパスしてしまえばタックルされない。」 確かにルールには“ボールキャリアではない選手に対する不要なタックルは禁止”とある。

 今回の日大と関学大の反則場面の動画がニュースで繰り返し放映される。関学大のクォーターバックはボールをパスしてグランドの隅に立っていた。そこへ日大のディフェンス(防御)の選手が突進して行きタックルして倒した。膝カックンのように関学のディフェンスが地面に倒れた。審判は直ちに反則を取り黄色い布を現場に投げた。私はこの審判の判断をどこのマスコミもコメンテーターも取り上げないのが不満である。視点を変えてみることも大事である。スポーツは、ルールを守ってこそスポーツである。特にアイスホッケー、アメフト、ラグビーなど荒っぽいスポーツではルールがあって、それを守らせる審判によって安全が守られる。しかしアメフトの審判もこんなに複雑なルールに熟知しているなんてすごいことだ。

③      私は小学校の時、泣き虫で虚弱体質だった。両親が心配して柔道を習えばもっとしっかりするのではとの期待を持って私を柔道道場に送り込んだ。受け身が気に入った。しかし級取り試合で太った相手に抑え込まれて負けた。息ができなくて泣いた。柔道はそれでやめた。格闘技も私には向いていなかった。

 どんなに荒々しいスポーツでもルールがある。なければ喧嘩になり、ひどい場合は殺し合いになってしまう。観る側もルールにのっとって展開されるギリギリの激しさを楽しむ。臆病者の私も観戦することは好きだ。汚いヤジを吐き、選手が聞いたら怒るであろう失礼な講評さえする。そうできるのは、私が現場でなくテレビという媒体を通して観ているからである。小心者の典型である。人間の心には残虐性が潜んでいるようにも思える。ルールがあり、ルールを熟知していてルールを守らせる審判の存在があってこそスポーツは成り立つ。アメフトは監督が選手を駒にして戦う盤上ゲームをグランドに置き換えた肉弾スポーツである。常に危険を伴う。監督に必要なのは、何より選手を危険から守ることとスポーツマンシップをどんな時でも最優先させる勇気である。日大の監督には、どうやらそれが欠けているらしい。残念なことだ。


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格差とピン・キリ

2018年05月16日 | Weblog

  世の中、ピンからキリまでの格差に埋め尽くされている。もともとピンからキリまでというのは、最高から最低までを意味する。

①     ホテル

②     車

③     食材

①      3泊4日の仙台行きで今回は『私が社長です』の元谷芙美子社長のCMで知られるアパホテルに泊まった。少し前のTBSテレビの『がっちりマンデー』に社長でなく会長の元谷外志雄さんが出演した。番組で、いかにアパホテルが利益を上げているか、会長が金持ちであるかを強調していた。ホテルが利益を上げられるのは、部屋を小さくしてホテル全体の部屋数を多くしているからだそうだ。確かに私たちが今回泊まった部屋も狭かった。でも部屋の狭さならロンドン、パリ、オランダだって負けてはいない。

 どのようなホテルに泊まるかは、個人の価値観で決まる。高くても個人のプライバシーや安全などを求めて高級ホテルに泊まる人もいる。ホテル代は節約して、他の事にその分を使う人もいる。

②      車は金食い虫のさいたるもである。私も若い頃は、見栄を張った。少しでもサイズが大きく、エンジンの排気量もでかく、馬力がある車に憧れた。もっともっとの限りのない中毒症状におちいっていた。ひどい時は、1年で違う車に乗り換えていた。ローンは雪だるまのようにふくらんだ。他のことを犠牲にして車に金をつぎ込んだ。自動車会社の思うがままになっていた。目が覚めたのは還暦を少し過ぎてからだった。3000ccの車から660ccの軽自動車に変えた。車を使うのは、妻の朝夕の駅までの送迎が主である。3年間のリースにした。車のリースが決して節約ならないと学んだ。今はハイブリットの普通車に乗っている。3年乗って返却する残価設定で購入した。

③      見栄、物欲がしだいになえる中、相も変わらず旺盛なのが食欲である。さすがに量は減ったが、あれが食べたいこれが食べたい、は減退していない。ほぼ毎日買い物に行く。食材にもピンキリがある。買い物は狩りだと肝に銘じている。魚や野菜は、店頭で目で確かめて買う。二人分なので値段は、あまり気にしていない。食べる楽しみに価値を認め贅沢させてもらっている。加えてネット通販で全国からお取り寄せが可能になった。より良い物を旬に冷蔵便冷凍便で購入できる。嬉しい限りである。

  格差社会と言われているが、何に価値を見出しているかで、受け止め方は違うはずである。何千万円もするフェラーリに乗っても100万円ぐらいの軽自動車に乗っても、それに満足できる価値観を持つなら、他人は口が出せない。いろいろな分野でのそれぞれの人の価値観が満たされれば、それも豊な社会の恩恵であろう。庶民は庶民なりきに価値感を持つ。それをうまく商売にしてしまうのも商才であろう。アパホテルが会長も社長もその子供たちもどんなに多くの高級車を保有しようが、どれだけ高額な帽子を持っていようが、どれほどの資産を相続しようが構わない。この世はすべてタイミングだ。私の金儲けのタイミングは、ずれたようだ。すべてのことに金を存分に使える金持ちにはなれなかったが、それでも食べることに絞って贅沢できる。大満足の毎日だ。 

 


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仙台まるごとパス

2018年05月14日 | Weblog

5月10日(木)から13日(日)まで3泊4日で仙台へ行ってきた。妻の学会に同行した。妻は学会で勉強している間、私は11日と12日の2日間、“仙台まるごとパス”2670円を購入してあちこち回ってみた。今回妻について仙台まで来たのは、牛タンとか、ずんだ餅を食べるためではなく、震災後初めて石巻を訪ねることだった。まるごとパスが使える範囲は、限られている。東松島より先は、範囲外なので切符を買った。それでも2日間を有効に使った。

①     仙石線

②     仙山線

③     東北本線

①      仙石線は仙台と石巻を結ぶ鉄道である。2005年第12回の『JR東日本 列車の旅 感動募集2005』に『家出』で応募した。最優秀賞を受賞した。まさに仙石線に乗って石巻へ行ったことを書いた作品だった。2011年の震災後、何度も来ようとしたが、そのたびに気持ちの整理ができず、この日になってしまった。思い入れが激しくて列車内で『家出』の中の自分の気持ちが他人の過去のように思えた。景色を楽しむことはなかった。沿線の海側のほとんどが防波堤というか津波対策の壁ができていた。草も木も海も島も空も震災がなかったようにそこにあった。石巻では『家出』で泊まった旅館を探した。探し当てることはできなかった。町はどこも新しい建造物だらけだった。

 拙著『サハリン 旅のはじまり』と『ニッポン人?!』を構成、編集、表紙デザイン、出版元への売り込み全てをやってくれた原孝夫さんが中心になって生前、石巻に石ノ森章太郎の漫画館を建立した。原さんは2010年に亡くなった。原さんがあれほど熱心に漫画館のために奔走した。それを私自身の目で見るために漫画館を訪れた。胸が苦しくなった。原さんの苦労の結晶が震災を乗り越え、再出発していた。「こんなことであきらめるか」と原さんが言っているように、漫画館の銀色に光るドームの曲線が、私の心の棘、角張った恐怖を和らげた。とにかく小心者の私が一歩足を踏み入れることができた。

②      12日は以前行きそびれた山寺へ行くことにした。仙山線に乗った。昨日乗った仙石線と違って仙山線は、山の中を走る。新緑が私の傷心を徐々に「美しい、綺麗」が埋めていった。山寺駅で下車。普通の人の足で往復2時間かかるという。私の足ではおそらく3時間以上であろう。ふもとから参拝。

③      仙山線に仙台駅から乗ろうとすると仙山線が運転見合わせになった。隣のホームから東北本線の白石行きが発車寸前。乗り込んだ。妻が以前勤務した病院のある町まで行った。駅から出なかった。ただ結婚前の妻がここで暮らしていたのだという感触を持ちたかった。

  今回尻が痛くなるほど電車列車に乗った。仙山線の先頭車両に乗っていて新潟県の越後線で線路上に遺体を遺棄された女児の事件を思った。こんなでかい重い車両が私の上を通過したら私の肉体はどうなるのかという恐ろしいことを想像した。運転手は、訓練中の女性だった。指導員に指示され、いちいち復唱して指さし確認していた。もし自分の運転する列車の目前に女児が横たわっていて、急停車も間に合わず轢いてしまったら、この女性運転手はどうなるだろう。真面目に働く人々さえ、巻き込んだ卑劣な犯行。犯人も同じ目に合えばいいと私の心の悪魔が叫んだ。


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いかのおすしで子供を殺させるな

2018年05月10日 | Weblog

 5月7日午後10時半頃、新潟市西区のJR越後線の線路内に小学2年の女児が横たわっていて列車に轢かれた。その後、警察の発表で女児は首を絞めて殺され遺体を線路上に遺棄されたと判明した。何とむごいことを。まだ犯人は逮捕にいたっていない。子供が大人に殺される事件が続く。比較的安全だと言われる日本でも子供を守る手立てをしなければならない時代が来たようだ。

①     子供を守れるのは両親、守る義務がある。

②     ある程度安全は金で買える

③     いかのおすし

①      チュニジアに住んでいた時、借りていた家の近くに学校があった。登校また下校時は学校近辺の道路は送り迎えの車で渋滞になった。チュニジア人の友人に尋ねた。「登下校の送り迎えをするなんて、チュニジアの親は子供を甘やかしすぎませんか。」 友人「子供が危険な目に合わないように、多くの親は自身で送り迎えをするのです」 子どもが誘拐されたり、大人の性犯罪の犠牲になるのは、世界のどこの国にもあることだ。それを知っているから、自衛策をとる。親が自分で学校まで送り届ける。そして下校時間には、親が迎えに行く。そこまでして子供を守ろうとしている。それを出来るのも金持ちに限られている。学校に通えない子供もいる。日本の親は、そんな余裕のある親はそれほどいない。

 私は自分の長女の子育てを見ていて思う。何が少子化問題担当大臣だ一億総活躍大臣だと思う。議員は海外視察だといって世界を飛び回る。何を学ぶ。イスラエルのキブツの子育てを見たか。北欧の子育てを見たか。明治の偉人たちは、良いと思うことをすぐまねた。まだまだ日本では子供を育てるのは難しい。子供の人口が増えるはずもない。多くの庶民は、国会議員のお子様のように公用車で託児所に送迎などされない。子供のいる女性国会議員の待遇こそ庶民に広めるべきだ。それをするのが議員の仕事。庶民は勤め先に迷惑をかけながらギリギリな状態で子供の面倒を見ながら、働く。自分の子供が変質者の餌食になるのではと心配しても、とる手立てはない。ただ毎日安全を祈るばかりである。

②      アメリカなどでは、警護会社に依頼して子供の登校下校の送り迎えサービスを受けることができる。警護会社を信用できるか否かは、また別の問題である。費用もかかる。本来子供を見守るはずの小学校の保護者の会の会長の男がベトナム人の小学3年生の女児を殺害して遺体を遺棄した事件もある。まさにだれも信用できない時代である。金があれば、安全をある程度買うことはできる。金がなければ、庶民の私たちは、悪に対抗する知恵を出さねばならない。知恵に値段はない。

③      警視庁の防犯用語に“いかのおすし”がある。“いかのおすし”とは、“いかない”“らない”“おきなこえをだす”“ぐにげる”“らせる” 新潟の女児が犯人の餌食になった理由は、この“いかのおすし”のどれひとつ役に立たなかったと想像する。今朝、女児は事件当日、登校時に不審者から声を掛けられ、学校で友達に知らせたとわかった。友達だったが“知らせる”を実践していた。それを受け止め対処するシステムができていなかった。子供が“いかのおすし”を実践しても大人が対応できていない。子供を殺すのは、変質者だけではない。大人と大人社会も殺しているのだ。無念である。しかし更に子供にこの“いかのおすし”を徹底させなければならない。一人でもその命を無駄な死から守るために。

 連帯も協力も人間関係が薄くなる一方のこの国では至難の行動である。大人の変質者から子供を守る。残業だといって夫は、家庭をないがしろにして会社や役所に仕える。子供は塾だスポーツクラブだと学校が終わっても忙しい。これでは変質者に犯罪のチャンスを撒き餌のようにまき散らすだけである。更にこのような悲惨な事件から大切な子供を守るために日本の軌道を修正しなければならない。少なくとも現在の倍の時間を親が子供のために使える国にしなければならない。私の49歳の長男は、今日も残業で午前帰りしたそうだ。庶民のギリギリの生活が悪の温床をバックアップしてしまうのだ。


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子供の日、かくれんぼ、だるまさんがころんだ

2018年05月08日 | Weblog

  5月5日の子どもの日、私が住む近所に遊ぶ子供の姿はなかった。少子化のため日本の子ども人口は減るばかりだ。私の子ども時代のように大勢の子供が一緒に遊ぶ光景はもう見られない。私の孫たちが私に会いに来てくれることは、年1回あるかないかである。彼らには彼らの生活がある。爺さんは、遠くから彼らの成長を見守る。

 私の子どもの頃、私は毎日、近所の子供と遊んでいた。怪我も絶えなかった。毎日日課として解いているパズルに「不注意や事故などで、思いがけず体に傷をつけること」の設問があった。文字は2文字。答えは「ケガ」である。深く納得。子供の私は、不注意だった。思いがけずに体中に傷をつけた。今でもその傷が残っている。顎の傷は、4,5歳の時、友達と目隠し鬼ごっこをしていてできた。鬼の私は、目を固く閉じて友達をつかめようと動き回った。「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」の声と手を打つ音を頼りに進んだ。一人の友達が大きな城壁に使う石の上で私をいざなった。私は両手を拡げ、彼に近づいた。私の顎と石の角の高さが同じだった。私は顎を上に向けた状態で石にぶつかった。そのあとの記憶がない。後で父親から話を聞いた。私の顎が割れ、出血多量で気を失っていた。病院に運ばれ、治療を受けた。幼い子供の骨は再生するらしい。今、私の顎に異状はない。傷だけが残っている。

 子供の頃、ウォシュレット、温水器、エアコン、テレビ、パソコン、携帯電話、車なんてなかった。それどころか食べることさえ十分ではなかった。でも家を出れば、子供がたくさんいた。毎日暗くなるまで、親が「ご飯だよ」と呼びに来るまで遊び呆けた。

 少子化を食い止めようと、国は大臣ポストまで新設して取り組んでいる。成果はない。一方毎年中絶で何十万人という赤子が誕生を阻止されている。暴論かもしれないが、この赤子が生まれれば、と思ってしまう。この中絶問題は人口問題の鍵となりうるが、誰も口にしない。私が恐れるのは、もし特定の宗教団体の教祖か誰かが、「産めよ増やせよ、日本に満ちよ」なんて言い出して、信者が猛追する事態である。そういうことがないことを願うばかりである。強制も独裁も望むところではない。

  子供の日、私が昔、夢中になっていた遊びを思い出して懐かしんだ。

①     かくれんぼ:私は、かくれんぼで工事中の国道の深い側溝に隠れ、眠ってしまった。暗くなって、帰宅しない私を心配して、交番に助けを求め、近所の人たちも総出で探した。腹が空いて自力で側溝から出てきたところを交番の警官が保護してくれた。一緒にかくれんぼしていた友達が泣いて喜んでくれた。

②     だるまさんがころんだ:私の得意中の得意だった遊び。さっと動いて「・・・ころん」を聞いて岩のように息を殺して止まる。その連続で鬼に捕まって鬼と手をつないで並ぶ捕まっている仲間を救出する。鬼が「だるまさんがころんだ」を唱えているうちの一瞬、私は手で鬼と捕まっている者の手を手刀で断ち切る。皆逃げる。鬼が目を開ける。逃げた者は急停止。鬼が3歩いないで届く逃げた子を再び捕らえる。また遊びたい。

③     パッチン、ビー玉:得意ではなかったが、夢中になれた。

5日の夜、友達6人を招いてチュニジア料理でもてなした。大人だけで楽しんだ。


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キスぐらいで

2018年05月02日 | Weblog

 今日はゴールデンウイークの折り返し点である。例年通り妻の職場は暦通りの勤務体制だ。3連休の後、昨日今日火曜日水曜日出勤する。ゴールデンウイークの名前そのものが嫌いだった。今は毎日が日曜日の隠居暮らしである。とにかくまだ働いている人たちが遊ぶ時、邪魔にならぬよう心掛ける。私のゴールデンウイークの楽しみ方である。

①     ネットフリックスやアマゾンファイアーテレビで海外連続テレビを一気観。

②     友人を招く、友人に招かれる

③     夫婦ゴルフ

①      ゴールデンウイークに入って早速、ネットフリックスの海外ドラマの中毒にかかった。妻が家にいるのだから、二人で何かするか、どこかへ行けばよいと思う。妻は私以上に人混みが嫌い、嫌いというより恐れている。妻の休暇は、世間から離れて家にこもり、ゆっくりしていることである。『ザ・キリング』というアメリカのシアトルを舞台にした刑事ドラマである。妻がテレビのある居間にアイロン台を持ってきてアイロンがけをしている横で私はリクライニングチェアに踏ん反りかえって海外ドラマを観る。アイロンがけが終わると妻は、寝室に入り読書。それぞれがフィクションの世界に浸る。

 私は完全に製作側の策略に捕らえられ、約40分の1回分を観終わると「次のエピソードまで:4秒」などと表示され、停止することなく、すぐ次の回に行く。終わり方が「さて、いったいこの続きはどうなるのか」と感情を高められる。私は幼いころから相手の策に落ちやすい。我慢強いのか、愚かなのか。40分のドラマを10回以上も続けて見られるのも能力の一つかも。妻は「私が出勤した後観ればいいのに」というけれど、留守の時一人で観るのと、家のどこかに妻がいる、というか当たり前が私の心を穏やかにさせる。

 『ザ・キリング』シーズン2の11回:ワシントン州選出の上院議員の娘が14歳の時、後にシアトル市長になった男性にキスをされた。上院議員の娘は、その市長も立候補していたシアトル市長選挙で対抗馬候補の選挙参謀になった。選挙戦では互角の戦いで両者が相手候補を貶めようとあの手この手を繰り出す。投票日数日前、上院議員の娘は、切り札としてセクハラを告白しようとする。そして現市長を応援していた父親の上院議員にそのことを打ち明け、応援をやめるよう迫る。しかし上院議員の父親は娘に言う。「キスぐらいで騒ぐな」と。上院議員の父は、娘の訴えを聞き入れなかった。娘より自分の政治生命を優先させた。アメリカや欧米では、性を日本人の多くと受け止め方が違う。それでも私は、親は子を守り、男性は女性を守る、そして社会は法をもって、弱者を守る使命があると信じる。

  アメリカは「Me too」が社会現象になっている。次から次へと過去のセクハラが暴かれている。このアメリカドラマを観ていて、人気グループTOKIOの山口達也さん(46)が酔って家に招き入れた女子高校生にキスをした事件、財務省の財務次官がテレビ局の女性記者へのセクハラ事件を連想していた。世界中にセクハラ問題がある。男と女がいる限り存在する問題。私は聖人君子には到底なれない。助平ごころも時々顔をだす。私にも恥ずかしい過去がある。性は、微妙な問題である。男も女も失敗を繰り返して成長する。失敗も犯罪をも防げるのは、相手を大切に想って自分本位の一線を超えさせない小さな勇気だけかもしれない。私は、人気も名声も地位も財力も権力もない。一つでも手に入れていたら、間違いなく問題を起こしたであろう。凡人で終わるが、私には好きでたまらない妻がいる。結婚が私を守ってくれている。

②      ゴールデンウイーク初日の夜、友人宅にお呼ばれ。飲みすぎで次の日は休肝日でゴロゴロ。お呼ばれは、嬉し楽し。

③   30日は朝7時スタートで夫婦ゴルフ。ほとんど飛距離もボールの落下位置もスコアまで似たり寄ったり。息も絶え絶えに18ホール回り切った。クラブハウスでランチの後、着替え室にある風呂に入った。風呂を出る時、滑って転びそうになった。幸い転倒は免れた。足の指を打った。恐かった。老人は転倒して骨を折る。私はコキコキの古希。


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