コロナはいつまで私たちを苦しめるのだろう。どんなに会いたい人がいても、自粛が私の周りに堅固で高い壁を張り巡らせる。生活は、見事に日課をこなすだけの決まりきったものになっている。ウガイ手洗い(ニンニク卵黄?)と換気を徹底している。
先日寝室の窓を開けて、換気しようとした。重いガラス戸に指をかけ、押した。何かが飛んだ。最近よくある現象の一つかな。ありもしないことを、あたかも現実に起こっているような錯覚。何かを目が追いかける。ベッドの脇にいた。蜥蜴だ。錯覚でなかったことを喜ぶ暇はなかった。即、捕虫網を取りに隣の部屋へ走った。爬虫類は苦手である。絶対に素手でなんか触れない。捕虫網は、妻の海外赴任している間、ずっと持ち歩いていた。ネパールでは蚊、ネズミ、ゴキブリなどを捕虫網で退治した。セネガルではハマダラ蚊、銀蝿、蜥蜴、コブラなどの蛇類をやっつけた。捕虫網を持って、寝室に戻った。どこを探しても蜥蜴はいない。
私の妻は、虫、両生類、爬虫類が大嫌いだ。見つけた時の騒ぎ方は、尋常ではない。時には気絶するのではと心配になることがある。もしこのまま家に飛び込んだ蜥蜴が寝室に留まって、何かのはずみで,妻と遭遇でもしたらどうなることやら。私だって寝室に蜥蜴が潜んでいるなんて受け入れられない。捕らえるしかない。まず懐中電灯でベッド下を探す。動くモノは見当たらない。私が蜥蜴なら、ほとぼりが冷めるまでは、じっと動かずに隠れているだろう。考える。蜥蜴になって考える。なぜ蜥蜴は窓のサッシにいたのか。エサになる蟻、小さな虫を待ち伏せするためだろう。ならば必ずこんな寝室の中からは出ようとする。出るために蜥蜴は、光を求める。窓に戻ろうとするに違いない。蜥蜴がじっと隠れているなら、私もそうして出て来るのをじっと待とう。蜥蜴をこのまま寝室に居させれば、どんなことになるか想像がつく。それを回避するためには、捕まえるしかない。
私は、捕虫網片手に、仁王のように寝室の窓側で、息も最小限にして待った。目を床に凝らす。コロナ自粛のお陰で、忍耐力は相当なものだ。ただただ妻の絶叫を防ぐために待った。10分、15分、20分経過。何も起こらない。30分が過ぎた。その時だった。ベッドの窓側に動く物体が…。私は息を止め、捕虫網の柄を握り直した。このチャンスを逃してはならない。全集中。蜥蜴は私に気づいていない。サーッと窓下に動いた。全身を私の視界に曝した。私は眠狂四郎の月影一刀流ばりの早業を繰り出した。「キューッ」と網の中で蜥蜴が鳴いた。網をくるりと巻き上げた。窓を開けて、外に逃がした。私はグッタリしてソファに座り込んだ。よかった。これで一安心。妻には内緒にしておこうと思った。
いつものように夕方、妻が帰宅した。話そう、いやダメの繰り返しが心をグルグル回った。食事も終わり、そろそろ寝ようかという時、私の秘密を保てない癖が、口を開けさせ、「今日さ、蜥蜴を…」と事の顛末を喋ってしまった。妻は「そう、よかった」と言っただけだった。百聞は一見に如かず。見ないからこそ、これですむのだ。メデタシ、メデタシ。