団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

空飛ぶ蜥蜴

2021年07月29日 | Weblog

  コロナはいつまで私たちを苦しめるのだろう。どんなに会いたい人がいても、自粛が私の周りに堅固で高い壁を張り巡らせる。生活は、見事に日課をこなすだけの決まりきったものになっている。ウガイ手洗い(ニンニク卵黄?)と換気を徹底している。

 先日寝室の窓を開けて、換気しようとした。重いガラス戸に指をかけ、押した。何かが飛んだ。最近よくある現象の一つかな。ありもしないことを、あたかも現実に起こっているような錯覚。何かを目が追いかける。ベッドの脇にいた。蜥蜴だ。錯覚でなかったことを喜ぶ暇はなかった。即、捕虫網を取りに隣の部屋へ走った。爬虫類は苦手である。絶対に素手でなんか触れない。捕虫網は、妻の海外赴任している間、ずっと持ち歩いていた。ネパールでは蚊、ネズミ、ゴキブリなどを捕虫網で退治した。セネガルではハマダラ蚊、銀蝿、蜥蜴、コブラなどの蛇類をやっつけた。捕虫網を持って、寝室に戻った。どこを探しても蜥蜴はいない。

 私の妻は、虫、両生類、爬虫類が大嫌いだ。見つけた時の騒ぎ方は、尋常ではない。時には気絶するのではと心配になることがある。もしこのまま家に飛び込んだ蜥蜴が寝室に留まって、何かのはずみで,妻と遭遇でもしたらどうなることやら。私だって寝室に蜥蜴が潜んでいるなんて受け入れられない。捕らえるしかない。まず懐中電灯でベッド下を探す。動くモノは見当たらない。私が蜥蜴なら、ほとぼりが冷めるまでは、じっと動かずに隠れているだろう。考える。蜥蜴になって考える。なぜ蜥蜴は窓のサッシにいたのか。エサになる蟻、小さな虫を待ち伏せするためだろう。ならば必ずこんな寝室の中からは出ようとする。出るために蜥蜴は、光を求める。窓に戻ろうとするに違いない。蜥蜴がじっと隠れているなら、私もそうして出て来るのをじっと待とう。蜥蜴をこのまま寝室に居させれば、どんなことになるか想像がつく。それを回避するためには、捕まえるしかない。

 私は、捕虫網片手に、仁王のように寝室の窓側で、息も最小限にして待った。目を床に凝らす。コロナ自粛のお陰で、忍耐力は相当なものだ。ただただ妻の絶叫を防ぐために待った。10分、15分、20分経過。何も起こらない。30分が過ぎた。その時だった。ベッドの窓側に動く物体が…。私は息を止め、捕虫網の柄を握り直した。このチャンスを逃してはならない。全集中。蜥蜴は私に気づいていない。サーッと窓下に動いた。全身を私の視界に曝した。私は眠狂四郎の月影一刀流ばりの早業を繰り出した。「キューッ」と網の中で蜥蜴が鳴いた。網をくるりと巻き上げた。窓を開けて、外に逃がした。私はグッタリしてソファに座り込んだ。よかった。これで一安心。妻には内緒にしておこうと思った。

  いつものように夕方、妻が帰宅した。話そう、いやダメの繰り返しが心をグルグル回った。食事も終わり、そろそろ寝ようかという時、私の秘密を保てない癖が、口を開けさせ、「今日さ、蜥蜴を…」と事の顛末を喋ってしまった。妻は「そう、よかった」と言っただけだった。百聞は一見に如かず。見ないからこそ、これですむのだ。メデタシ、メデタシ。


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人のふり見て…

2021年07月27日 | Weblog

  先日バスの中での事でした。フィリピン人らしい女性が二人停留所から乗り込んできた。私はシルバーシートに座っていた。一人の手に網に入った大きなスイカがぶら下がっていた。二人はバスの真ん中辺の私の目の前に立っていた。そこは使われていない乗降口の近くだった。車掌がいなくなり、運転手だけのワンマンバスになった。乗降は運転席の横の1カ所だけしかない。女性はスイカを床に置いた。この時私は預言者モードになっていた。「スイカが危ない」 バスが発車した。最近バスの運転が荒いのか、バスは整備不良なのか、急停車急発進が多い。その時も決して滑らかで静かな発車ではなかった。スイカが転がり、床から一段下のステップに落ちた。スイカは割れなかった。何事もなかったように女性は、スイカを持ち上げた。私は恥じた。私が親切なら、彼女に「スイカ、持っていた方がいいですよ」とか、私が軽く押さえてあげることだってできたはず。日本のスイカは値段が高い。1000円以上はしたに違いない。スイカは割れなかったけれど、果物のうちみは、害が拡がる。味も見た目も悪くなる。申し訳なく思いながら、私は次の停留所で降りた。

 

 昨日、スーパーで大きなスイカを買った。私はスイカが好きだ。糖尿病にスイカが良いと中国人の知人に言われた。彼も糖尿病で食べ物に気をつけていた。今年も梅雨が明けると、猛暑日が続く。暑い日、熱中症にならぬよう、水分補給が必要。私は、妻が朝、用意して、冷蔵庫に入れておいてくれるお茶を飲む。でもお茶だけだと物足りない。何か損をしている気分になる。子供の頃、喉が渇いたと母親に言うと、必ず「水を飲みなさい」と答えが返ってきた。世の中には、水以外に、もっと良いモノがきっとあるはずだと、自分が貧しい家に生まれたから、水を飲めと言われるのだと思った。それがまだ尾を引いているのか、水だけを飲むことは、ほとんどない。

 

 スーパーで買ったスイカは、丈夫なポリエチレンのネットに入っていた。バスで会った外国人女性と同じように。私はバスの中で、床に置かれたスイカが転がって降り口のステップに落ちた光景を思い出した。気をつけて家まで持ち帰らなくてはと自分に言い聞かせた。まず車の中、いい加減に置いたために、過去にいくつものスイカにうちみを負わせた。割ってしまったこともある。今回は妻がいないので厳重に転がりを防がなくてはならない。ふと思った。どうしてスイカは丸いのだろうと。

 

 今回は無事、家にスイカを問題なく持ち帰られた。バスに件が教訓となった。今朝、出勤前の妻が「スイカ、ここへ置いておくと、転がって落ちちゃうよ。下に置いたら」と私に言った。とたんにバスの中で転がって落ちて、鈍い音を出したスイカを思い出した。さては妻も過去にそういう経験があるのかも。丸いスイカは、扱いが難しい。でもやはり、夏の暑い日に冷えたスイカはうまいものだ。オリンピックに出場するテニスの大坂なおみさんが、有明の灼熱のコート脇で、練習した後、スイカをほおばっていた。私の思い描く、ぴったりな一幅の夏の絵になっていた。

 


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水蜜桃

2021年07月21日 | Weblog

 先日、私の74回目の誕生日を妻が祝ってくれた。好きなケーキ店にロールケーキを買いに行ってくれたが、売り切れていて替わりにプリンを買って来てくれた。ささやかな静かな誕生日だった。次の朝、妻は、急に具合が悪くなって、救急車を呼ぶという騒ぎになった。駆け付けた3人の救急隊員が応急手当をしてくれたおかげで、妻の顔色も良くなり、手の痙攣も取れた。結局、救急車で病院へ搬送することをやめて、妻が勤める東京の病院へ私が付き添って行くことにした。妻の同僚の消化器内科の医師の診断の結果、二酸化炭素と酸素のバランスが崩れたことによる一種の発作症状だったと分かった。救急隊員は、呼吸が浅くなっていた妻の手を取って「ゆっくり呼吸して」と繰り返して、呼吸を整わせたことによって妻の体内の二酸化炭素と酸素のバランスが戻り、妻は危険な状態を脱することができたのだという。多くの緊急出動で、修羅場をくぐってきた救急隊員だからこその応急手当で、妻は助けられた。

 

 ただそばにいても何もできず、オロオロするばかりの情けなかった私は落ち込んだ。病院の診察を終えて、帰宅した妻は、すっかり元気になっていた。何が起こったのか、いろいろ妻は説明してくれたが、私にはさっぱりわからなかった。普段「私の取り柄は、健康で丈夫なこと」と言っていた。その妻が、私の「救急車呼ぶ?」に首を縦に振ったことが未だに信じられない。人間の体は、神秘に包まれている。「二酸化炭素と酸素のバランス」と言われても、私自身の体内に二酸化炭素と酸素があって、どんな働きをしているのか皆目わからない。そのバランスが崩れることによって、顔面蒼白になり手が痙攣するとは…。

 

 私の誕生日の夜、NHKテレビで『まいにち養老先生、ときどき まる』を観た。解剖学者の養老孟子先生と飼い猫の『まる』の記録だった。74歳を迎えた私への贈り物のような番組だった。妻も私も黙って、時々目頭をおさえながら観た。死生観、喪失感、夫婦関係いろいろ教えられた。そして次の朝、妻が私に助けを求めた。私は妻が死んでしまうのではないかと動転した。『まる』が死んでしまった後の養老先生を自分と重ねた。

 

 妻は、病院から戻った晩の夕食後に、私の大好きな桃を剥いてくれた。水蜜桃という言葉が好きだ。桃を形容するのにこれほどの表現があるだろうか。桃は好きだが、私は桃の皮をむけない。ふと思った。妻がいなくなったら、桃の皮…。考えたくないことは、いつもどんなブレーキを試しても、打ち破って湧き出る。桃源郷という言葉がある。私は、こうして妻と一緒にいる今こそが、まさに桃源郷の世界なのに違いない。

 

 志賀直哉が書いた。「何年となく続いて来たこの平穏無事な状況で、水蜜桃じゃないが、尻の方から腐って来たような気がしている」

 時間は容赦なく進む。確かに尻の方が腐り始めてきている。残された時間、妻との時間を何より大切に生きて、水蜜桃のままで妻と一緒に腐っていけたらよいのだが。

 


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妻、救急車

2021年07月19日 | Weblog

 今朝、いつものように5時に起きた。もうすでに気温は高かった。今日はブログの投稿日なのでパソコンに向かって、書き始めた。

 

 トイレから「ちょっと来て!」と妻の叫び声。駆け付けると、妻が顔面蒼白になっていた。「手がしびれる」と言って両手を差し出す。指が変に曲がって、ひきつけたように固まっている。私は「救急車呼ぼうか?」と聞く。妻が首を縦に振った。電話に走った。「119だよな」と119を押した。あわてるな、冷静に、と自分に命じた。電話の応答。「火事ですか。救急ですか」「救急です」 それからいろいろ事情を尋ねられた。「すぐ救急車が向かいます。部屋はすぐにわかりますか?」「私が玄関で待っています」

 

  それから5分くらいで、サイレンが聴こえてきた。長い5分間だ。私は部屋を出て、階段を滑るように駆け下りた。サイレンを鳴らした救急車が到着。3人の隊員がキビキビとストレッチャーをおろして、私の案内で妻の元へ向かう。ソファに横になっていた妻を『救急救命士』と書かれたヘルメットを被った隊員が診る。

 常日頃、妻は「私は健康で丈夫なのが取り柄」と言っている。一方私は、病気のデパートかと言われそうなほど、いろいろな病気を抱えている。体力的にも劣っている。妻が医者ということもあって、妻が病気になるとか、救急車のお世話になることなど考えもしなかった。私の勝手な思い込みだ。妻だって人間だ。病気もするし、体力にも限界がある。こんな時、慌てふためくことしかできない自分が情けない。

 

 救急隊員が脈や血圧を計った。だんだん妻が話せるようになった。顔色も良くなってきた。朝の5時から9時ころまでを救急隊員は「ブラックな時間帯」というそうだ。なぜなら病院の医者の夜勤が明けて、9時からの開院の準備をするので、病院も医者も一日で一番手薄になる。今搬送するにしても、遠い病院になる。妻の症状が良くなってきていた。本人が自分の状態を隊員に的確に話すので私も落ち着いてきた。

 

 3人の隊員が話し合って隊長が「このまましばらく様子をみましょう。もし急変するようなことがあったら、また呼んでください。9時過ぎれば、病院や診療所が開くので、そこに行くこともできます」 私はこんなに迷惑をかけて、その上、搬送もせずに引き上げて行くことに困惑した。そう告げると、隊長が「これが私たちの仕事ですから」と言った。3人の救急隊員は、頑強で頼れる、まるで金剛力士のようだった。

 

 これから私は妻に付き添って、彼女が勤める東京の病院へ行く。そこで詳しい診察を受ける予定である。

 

 私たちが住む所は、県境でその上、飛び地で行政の管轄がややこしい。そんな中、私たちが属さない行政の救急車に出動してもらえた。感謝に絶えない。

 


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熱海伊豆山のダンプカー

2021年07月15日 | Weblog

 静岡県熱海市伊豆山で起こった土石流は、どうやら起点になった盛り土が原因のようだ。あの日からすでに13日が経った。死者11名となり、未だ安否不明者16名である。自衛隊、警察、消防の懸命な捜索が続いている。総勢千人ぐらいらしい。毎日、泥だらけになって、危険をもかえりみず活動している姿に頭が下がる。

 

 やっと重機の投入も始まったようだ。多くのダンプカーが現場から泥や壊された建物などの残骸を運び出している。

 

 私は、テレビ画面でダンプカーを見ていて、ふと思った。これっておかしくない。もし今回の土石流の起点と原因が盛り土としたら…。人間がわざわざダンプカーを使って山の上に土石を運び上げ、自然がそれを下の住宅地に押し流した。そして今度はそれを片付けるためにダンプカーが使われている。

 

 今回の土石流で約10万㎥の土砂が流れたと推定されている。その内の5万5500㎥が起点とされる盛り土だったという。10トン積みのダンプカーの平均積載量は約6㎥である。単純計算でも9250台のダンプカーが盛り土を運んだことになる。その運搬費の料金も1トン2万~2万5千円とすれば、約12億円となる。9千台と聞けば、えっと思うが3年かければ、年間3千台になり何台もダンプカーを使えば、できないことではない。

 

 ただの普通の土石でも盛り土は、問題が多い。しかし今回の盛り土は、産業廃棄物が含まれていたと言われている。これから検証されると思う。

 

 田中角栄の日本改造論ではないけれど、日本は、全国で人の手により改造されている。私たちの生活様式も変わった。大量生産大量消費でゴミや産業廃棄物の量も増えた。原子力発電のように建設を先行させて、使用済み核燃料をどうするかを決めていないことのように、政治行政は、肝心なことを後回しにする。

 

 ダンプカーを使って、山に盛り土するために土砂土石を運んだ。土石流で流れ下って人を殺し、家を壊した土石を、またダンプカーで運ぶ。あまりにも人間の愚かさ滑稽さを表してはいないだろうか。

 

 ダンプカーにもダンプカーの運転手にも責任はない。それを企画立案して実行した企業、企業から提出された企画立案を審議監督管理する行政に責任はある。

 

 日本はどこに住んでも災害から逃れることはできない国だ。それを知っていて、あえて災害を人が作り出すことはない。ダンプカーは、私たちの生活に役に立つ。それは使い方次第なのだ。日本人にもっともっと賢くなって欲しい。伊豆山の土石流で亡くなられた方々のご冥福を祈る。

 


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大谷翔平選手と醜い日本人の顏

2021年07月13日 | Weblog

  スペインのサッカーチーム『バルセルナ』のフランス代表のFWウスマン・デンベレとFWアントーワーヌ・クリーズマンが「醜い顔」などと日本人を侮辱するような発言をした日本に遠征した時、ホテルで撮った映像がSNSで拡散された。それを英国の『デイリー・メール』が記事にした。

 このニュースを読んですぐ思い出したことがある。元アルゼンチン大使の河崎一郎氏の著書『素顔の日本人』(二見書房発行昭和44年初版発行390円)32ページにある記述である。「世界中の人種のなかで、ピグミー族とホッテントットを除けば、おそらく身体的な魅力といった点で最も劣っているは、日本人であろう。日本人は、いわゆる蒙古系人種に属し、扁平で無表情な上に、高いほお骨と切れ目の顏の持主である。体形は、およそ格好が悪い。頭部は不均衡に大きく、胴長で短い脚は、曲がっている場合が多い。」

 私は機会あって、十代後半からカナダへ留学した。日本人として差別を受けた経験が、数えきれないほどある。英国の『デイリー・メール』の英文の記事を読んだ。本当はデンベレとグリーズマンの母国語のフランス語で読みたいが、私はフランス語がわからない。英語で『デイリー・メール』の記事を読んだ限りでは、これってそんなに騒ぐ問題かなと思った。世界中に差別があるのは現実だ。ただ解せないのは、あの二人が、なぜわざわざあの映像を、SNSに載せたかである。私だって家の中では、テレビの画面に向かって皇族だろうが政治屋であろうと芸能人であろうと、デンベレやグリーズマン程度の罵詈雑言を吐いている。ただ、私はそれを絶対に、他人に聞かせない。

 私は海外生活を通して学んだことがある。美人と天才は、場所人種を問わずに存在ということだ。私のようなどこにでもいる凡人は、世界に溢れている。凡人には特技がある。凡人の視点、つまり価値観で世の中を見ることができる。だから生きていける。顔が扁平だろうが、胴長だろうが、頭がデカかろうが、脚が曲がっていようが、そういう問題は超えられる。小学校で担任だった小宮山先生が「自分でどうすることもできない事で他人や自分を責めるな、悔やむな」と教えてくれた。私はこの言葉を胸に生きてきた。自分を宥めた。自分を静めた。海外でもそう考えて暮らした。劣等感は消せないが、乗り越えられた。

 アメリカ大リーグ・エンジェルスの大谷翔平選手が、今日デンバーでホームランダービーに出場する。大谷選手は、河崎一郎氏が言う日本人評のどれにも当てはまらない。まさに天才は、場所人種を問わずに生まれる実例である。9時からNHKでLive中継される。私は、大谷翔平選手が日本人だぞと、威張りたいのではない。ただ世界の多くの人に、どこの国にもいろいろな人がいて、前向きに生きている人がたくさんいることをわかって欲しい。

 結果は、差別を飛び越える。大谷選手のホームランダービー、そしてそれに続くメジャーリーグのオールスターゲームでの打者と投手としての活躍を願う。


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49.6℃

2021年07月09日 | Weblog

  カナダのブリティッシュコロンビア州リットンで6月29日最高気温49.6℃を観測した。

  私は耳を疑った。カナダで49℃有り得ない。いくら世界中で異常気象が発生していてもカナダで49℃なんて考えられない。私が留学していた間、マイナス40℃は経験したが40℃を経験したことはない。だいたいカナダでは、夏用のエアコンが普及していなかった。入学する9月から雪が降り、6月の卒業式の頃まで雪が降るところである。リットン、聞いたことがある名前だ。思い出した。私はリットンへ行ったことがある。50年以上前の話である。

 私はブリティッシュコロンビア州の東隣のアルバータ州の学校に留学した。夏になると多くのアルバータ州の人々は、ロッキー山脈を越えて、ブリティッシュコロンビア州へ向かう。オカナガン地方は、フルーツ王国と呼ばれている。サクランボ、リンゴ、ナシ、プルーンなどがたくさんとれる。アルバータ州の人々は、フルーツを収穫するために出かける。アルバータ州は、小麦の生産が盛んだが、フルーツの栽培には向いていない。だからオカナガン地方の農家と果樹契約を結び、収穫するために家族で行く。とった果物は長い冬に備えて、瓶詰にする。

  私も友人家族と、スクールバスを改造したキャンピングカーで、その家族が契約してあったサクランボとリンゴの収穫に同行した。友人家族の友人がリットンに住んでいた。私たちはリットンの友人の家の庭にキャンピングカーを止め、1泊した。夜、庭でバーベキューをした。記憶はハッキリしていないが、7月初旬だったと思う。リットンはオカナガンに近く国道1号線が通っている。

 そのリットン、カナダ史上最高気温を記録しただけでない。なんと山火事が発生して町のほとんどが消失してしまった。リットンやオカナガンには日本から移民して農業に携わっている人が多い。今回の猛暑と火事で被害を受けていないか心配だ。

 日本には今多くのアメリカ産のチェリーが店頭に並べられている。日本の山形などで有名な佐藤錦と違って、赤黒い。私はブリティッシュコロンビア州のリットン近郊の農家で、このチェリーを摘んだ。アルバータの友人一家が契約した木のサクランボを獲りつくした。摘むというより、食べた。赤黒いアメリカ産のチェリーを見ると、つい買ってしまう。それは、ブリティッシュコロンビア州の果樹園での楽しく美味しい思い出を蘇らせるためかもしれない。一粒口に入れると、甘酸っぱい味がする。残った種に赤黒い果肉が残る。その様が50数年を一気に飛び越えさせる。

 リットンも大変だが日本のあちこちでも災害が起こっている。コロナも以前猛威をふるっている。世界のどこに住んでいても、安心安全な暮らしはない。疑心暗鬼に振り回される今、一粒の赤黒いアメリカンチェリーが、別世界に優しく誘ってくれる。


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商品どうしましょうか?

2021年07月07日 | Weblog

  我が家の前の道路は、先日の大雨で一部分が決壊した。向かって右側が通行止めになっている。ありがたいことに左側の道路は、無傷で車で通ることができる。

 

 7月3日以降、郵便物も宅急便も届かなくなった。普段我が家の電話が鳴ることは、ほとんどない。かかってくるのは、お墓や保険や訳の分らない勧誘の電話ばかりだった。荷物の発送元からの電話が続いている。コロナ禍で多くの商品を通販で取り寄せている。「商品を発送したが、集配センターに留め置きになっている。常温で保管できるので配達が可能になるまで、申し訳ありませんが待っていただきのですが。」「集配センターの冷蔵庫がいっぱいでもう入らないそうなので、一旦商品を送り返してもらい、後日は配達が可能になったら、送る手配をさせていただきます。」

 

 私が住む所は、行政上、飛び地になっている。不便なことが多々ある。生活のほとんどを隣の町に依存している。電話番号の最初の4桁は、隣町と同じ。郵便番号の最初の3桁も同じ。下水は隣町の施設を借りて処理している。宅急便の会社の営業区域は、住む市に含まれている。今回の大雨で道路のあちこちが被害を受けて通行止めになっている。宅急便の配達トラックはもちろん通れない。郵便局の配達員のオートバイも通れない。う回路がない。しかし隣町の宅急便の会社も郵便局も今まで通りに、営業して配達のトラックが走り回っている。郵便局の赤いバイクも配達している。厳格に決められている営業や業務区域があるのだろう。妻は宅急便のトラックや郵便局のバイクを見ると、「配達できてるじゃない、どうしてうちは来ないの?」と言う。妻の頭の中に、縄張りのように厳しい営業区域意識がある認識がない。こっちがダメならあっちを使えばいいと思うのが普通だ。これがリスク管理であろう。想定外と言って多くの行政や会社は言い逃れをする。まだまだこれから改善しなければならないことがある。想定しつくすことはできないが、先人からの教訓の積み重ねから学ぶことは多い。“想定外”という言葉は、もう聞きたくない。

 

 普通の生活がいかに幸せなものであるか、普通でなくなるとよくわかる。まだ家の前の道路が決壊する前の7月2日雨が降りしきる中、上田から“やまざきや”のおやきが届いた。宅急便の配達員が「上田からおやきです。冷蔵便です」と届けてくれた。なぜかこの配達員は、荷物のデータを告げてくれる。彼がこの辺の担当になって10年近い。彼がまた「どこどこからの〇〇です。冷凍です」と言って荷物を届けてくれるのは、いつになるのだろう。

 


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熱海の蛇ぬけ

2021年07月05日 | Weblog

  7月3日土曜日午前に静岡県熱海市で土石流が発生して大きな被害が出ている。

 

 テレビで繰り返し土石流が流れ下る恐ろしい様子が映し出された。大学の地質学の教授が「日本の山はみな崩れ、川は氾濫する危険性を持つ」と言っていた。

 

 テレビの報道で気になることがあった。土石流が起こった場所を、日本の鉄道の大動脈である東海道新幹線が通っている。そのすぐ近くには、東海道本線も通っている。あれだけの破壊力を秘めた土石流が、新幹線や在来線に影響を与えなかったのだろうか。どの局もそこに焦点を合わせることはなかった。ユーチューブで土石流関係の映像を観た。東海道新幹線の線路が映った。土石流となった逢初川は新幹線の下を流れている。逢初川のある谷に盛り土をして線路を作り、川を通すようにトンネルのような橋梁がある。山の上から流れ下った土石流は、この橋梁部分で一気に様狭い橋梁を通過した。普通なら岩や流されてきた倒木などで橋梁がふさがれ、ダムのように土石流が溜まる。それが決壊すれば新幹線の谷を渡る盛り土部分は破壊されてしまう。それが今回起こらなかった。

 

 新幹線の橋梁部分をテレビで観た時、“蛇ぬけ”という言葉が頭に浮かんだ。上から流れ下って来た土石流が蛇のように新幹線の橋梁を抜け、更にエネルギーを得て国道135号線を横切って海に流れ込んだ。新幹線の橋梁を抜けただけではない。東海道本線の橋梁をも蛇のように抜けた。今後新幹線と東海道本線の橋梁が、なぜあの土石流に堪え得たのかの検証は、これからの災害対策にきっと役立つと思う。

 

 長野県の南木曽町に『蛇ぬけの碑』という土石流から身を守る教訓を記した碑がある。そこには「白い雨が降るとぬける 尾先 谷口 宮の前 雨に風が加わると危ない 長雨後 谷の水が急に止まったらぬける 蛇ぬけの水は黒い 蛇ぬけの前にはきな臭い匂いがする」とある。蛇ぬけとは、土石流そのものを指す。しかし今回熱海の土石流が新幹線の橋梁を、蛇が穴を抜けるように通り抜けた様は、私には“蛇ぬけ”に思えた。

 

 まだ多くの安否不明者がおられる。一人でも多くの生存が確認されることを祈るばかりである。私の住む町でも今回被害が出ている。私が住む集合住宅の前を流れる川は、川沿いの道路30メートルの長さに渡って決壊させた。道路は通行止めになっている。復旧には長い時間がかかる。

 

 コロナの2回のワクチン接種が終わったら、今度は大雨による災害。人類は数えきれない災難災害を乗り越えてきている。それは先人たちの経験からの教訓があるからだ。貴い犠牲の積み重ねは、どんな強力な土石流でも消すことはできない。

 


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車は凶器

2021年07月01日 | Weblog

  私の塾に来ていた高校生K君が、トラックに当て逃げされて亡くなった。今から40年前のことだった。大変優秀な生徒だった。自転車で高校へ通っていた。塾で私の大学受験英語講座に出席した後、自転車に帰宅途中だった。彼と一緒に塾に来て、やはり自転車通学していた生徒から連絡を受けた。私はすぐに亡くなった生徒の家に向かった。しかし家に入れてもらえなかった。母親が私のせいで、ひとり息子を失くしたと泣き叫んだ。あの母親の泣き叫ぶ姿は、40数年経っても、私の心に残っている。私は真剣に塾をやめようと思った。しかし多くの生徒の前に立つと、私はここで踏みとどまって、教えることしかできないのだと感じた。逃げたトラックは、特定されず、運転手も逮捕されなかった。

 28日午後3時25分ごろ、千葉県八街市八街の市道で、下校途中の小学生の男女5人の児童の列に大型トラックが突っ込んだ。児童のうち男児2人は死亡した。1人が意識不明の重体で、2人は重傷。私はK君のことを思った。今生きていれば、55歳を超えている。働き盛りの年齢だ。家族を持ったであろう。千葉の事故で亡くなった2人の小学生もそこで短い人生が終わってしまった。両親のことを思うと胸が痛む。

 酒を飲んでトラックを運転して事故を起こした梅沢洋容疑者(60歳)は、逮捕された。犠牲になった小学生の命は戻らない。もしあの日、学校をもっと遅く出ていれば…。道路に歩道があったら…。集団下校していなければ…。“もし”が私の頭を駆け巡る。

 アメリカの友人に預かってもらって、アメリカで小学校に通った私の長女は、小学校にスクールバスで通った。誘拐事件など犯罪を防ぐためもあるが、道路を歩いて登下校して交通事故に遭わせないこともスクールバスを使う理由だと聞いた。しかし日本にはアメリカのようなスクールバスがない。スクールバスがなくても、アメリカの道路は広く、歩道も道路から離れた所に設けられている。日本のように道路のすぐ脇に人家や田畑があることもほとんどない。千葉の事故が起きた道路は、車道のみで歩道がない。そして何より危険なことは、道路の淵に段差があることだ。40年前のK君の事故も同じような道路だった。幅寄せされてぶつかり、逃げ場を失って道路の外に投げ出された。千葉の事故でも5人の小学生に逃げ場がなかった。

 今になって“もし”と考えても失われた貴い命は、戻らない。少子化だと騒いでも、生まれた貴重な幼い命を守れないのが現状だ。私たちはもっとリスク管理を厳重にするべきだ。私が暮らしたどこの国でも子供を守るために、見識ある親は相当な対策をとっていた。本来、国の宝である子供を守るのが、国や行政の仕事である。昨日国家公務員にボーナスが出た。国会議員には314万円も出たそうな。ボーナスとは成した業績を評価した報酬である。ただの既得権益であってはならない。やるべきことが山積していても、答えを出せずに党利党略ゲームだけに夢中になって、それでも“ボーナス”受け取る厚顔無恥さに呆れるばかり。

  結局、今のところ子供は親が守るしかない。日本はけっして先進国ではない。


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