団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

合格発表

2020年02月27日 | Weblog

  新型コロナウイルスの感染が拡がっている。年齢が72歳で糖尿病を患う私は、できるだけ外出を控えている。ゆううつな日々が続いている。加えて3人いる孫の一人が大学受験を受験した。その発表が25日と26日だった。今年は彼が受験と言うことで孫にも彼の家族にも会っていない。私は孫を刺激してはいけない想いで、連絡もとらずにいた。26日の夕方、電話が鳴った。オレオレ詐欺を防ぐために留守電に設定されている電話は、5回コールで録音機能が作動する。書斎から急いで留守番に向かう。脚と気持ちが同じ極の磁石のように反発しあう。電話に到着。寸前に5回コールは終わった。受話器を取る。「もしもし」「俺だけどさ」 来たか、オレオレ詐欺!よく聞くと本物の息子だ。「どうした?」「A大学はだめだったけれどB大学とC大学は受かっていた。でも話し合って本人はどうしてもA大学へ行きたいというので浪人すると決めた」

  私は面食らった。B大学だってC大学だって難関だって。そこに合格したなんて凄いじゃないか。何故なら孫は中二で難病指定の病気を発症。その後入退院を繰り返していた。成績は急降下。所属して活躍していたサッカー部もレギュラーでなくなった。見舞いに行くたびに薬の副作用で元の面影もない孫にかける言葉を失った。同室の他の3人の子供達は全員薬の副作用で髪の毛がなかった。最年長の孫は、他の子供から「お兄ちゃん」と呼ばれ、勉強を手助けしてやってもいた。私は彼が生きていてくれるだけでいいと思った。都立の中高一貫校に合格した頃は、それこそ末は博士か大臣かと大きな期待を持った。私だけではない。彼の両親だってそうだったに違いない。それでも両親は、彼を支えた。新薬が出るたびに保険適用されないので高額な費用を捻出してきた。新薬の効果はなく、病状は変わらず入退院が続いた。

  症状が悪化すると痛みで苦しんだ。それでもサッカーを続けた。試合に出られなくても、登校できれば、ベンチから仲間を応援した。去年11月、全国大会出場をかけて都大会に臨んだ。かつては東京都代表で全国大会に出場したサッカー部である。孫がその学校に進学を決めたのもサッカーが強いという理由だった。予選敗退。自分が出場していたら、と母親にぼそっと言ったそうだ。それから彼は受験勉強を始めた。英語数学は平均以下だが、国語の成績は良かった。それは長い入院生活で彼の読書量が半端ではなかった。何が功を奏すかわからないものだ。彼の受験勉強の弱みを読書が救った。模試でも国語の得点はずば抜けていた。

  私は塾で20年間教えた。多くの生徒の受験指導をした。毎年合格発表の時期は胃が痛くなるほどだった。塾を閉じて30年たった。孫の大学受験で塾当時の胃の痛みが戻っていた。当時は何十人もの心配だったが、今回は一人だけだった。今回は新型コロナウイルス騒ぎも心配を倍増させた。孫にとって感染症は致命的なのだ。そんな中、受験を無事終え、結果の知らせを待っていた。なかば諦めていた。どこでも行ける大学があればよいと自分に言い聞かせていた。まさかB大にもC大にも合格するなんて思ってもみなかった。

  孫の人生である。助言はするが、孫自身で決めればよい。A大でもB大でもC大でもいい。孫自慢は私がもっとも避けたい事象であるが、今回は違う。「アッパレ、でかした!」と私は地に足がつかないほど喜んでいる。鬱から憂へとまるでジェットコースターのような浮き沈みに翻弄される。

 きっとそのうち彼の病気の治療法もみつかる。水泳の池江璃花子さんだって苦しい闘病に打ち勝って退院した。どうしても孫と彼女を重ねてしまう。若くして重い病気と闘う多くの患者の回復を祈る。


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祈り

2020年02月25日 | Weblog

  『「祈りの力」は間違いなくあります。でも自分のためだけのお願いは効きません。仏さまはちゃんと見ています。自分のことではなく、他人のために祈ってください。それは間違いなく効きます。』瀬戸内寂聴

 私の長女を家族の一員として育ててくれたアメリカの家族は敬虔なキリスト教徒である。シアトルへ娘に会いに行くと食事の前に必ず家族全員が手をつないで祈る。祈る内容は、決まった文言ではなく、その時その時によって異なる。とても長いこともあった。

 よく日常の会話で「あなたのために祈っている」は、挨拶のように使われる。私も使う。しかし願うことがあっても祈ることはない。なぜなら私には祈る対称がないからである。娘を訪ねた時、娘が言った。「パパ、みんなで毎日パパのこと、お兄ちゃんのこと祈っているんだよ」 挨拶ではない。毎日、この家族は、言葉に出して一家が共有して日本にいる私や息子のことを祈っていてくれる。素直にものごとを受け止められない自分を恥じた。何事も懐疑的でとらえ、天邪鬼となる。祈ってもらっていることに対して、私ができることは、感謝するしかない。地球の反対側で私の事を口にして祈ってくれる人々がいるということに大きな励みを感じた。

 私の亡き父親は、信心深かった。家には仏壇と神棚があった。毎朝、父は神棚に手を合わせ、仏壇の水を替え、ご飯を上げ、ローソクに火をつけ線香を立てて祈った。最後に東に向かって頭を下げかしわ手を打った。そんな父親の姿は、こうごうしかった。祈る前に顔を洗い、少ない髪の毛にきちんと櫛を通して寝ぐせを直してあった。ピタッと肌に圧しつけられ黒光りしていた髪の毛を今でも思い出せる。

  自転車、スクーター、自動車と乗り物は変わっても、神社の前を通ると目をつむり頭を下げた。私はそんな父の行為を危険だと思った。どうしてそんなことをするのか父親に尋ねた。父親は「わからない。自然にそうしてしまう」と言った。おそらく父親が祈っていたのは「家内安全、無病息災」のようなことであったと想像する。しかし第二次世界大戦で徴兵され激戦地に行って戦って、生き抜き帰還した父親である。生半可な想いではなかったはずである。父の祈る姿は、常に真剣そのものだった。人は祈る。祈る気持ちは、尊い。祈る姿は美しい。今回の新型コロナウイルスの感染の拡大においても、どれだけの人々が祈っている事か。私は、坐禅をした寺の住職から「自身得度先渡他」という教えを受けた。多くの日本人の底にある精神である。

 

  パリのルーブル美術館で小さな絵を観た。柱の陰にあった。女性が膝まづいて祈っている。目から涙が一粒こぼれそうになっている。その涙の色が絵全体の暗い色調の中で際立っていた。青。見たこともない綺麗な青だった。私は子供の頃、雲の間から太陽の光線が田んぼが広がるのを見て、思わず手を合わせたことがある。その絵は私を子供の時のあの気持ちにさせた。

  祈ることができるのは、人間だけかもしれない。「新型コロナウイルスの感染が止まりますように」


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行くぜ東北 CM 冬のごほうび 秋田編

2020年02月21日 | Weblog

 外出を控えているのでテレビを観る、ラジオを聴くことが多くなった。そんな中、民放テレビのCMで気になるものがある。なぜか勤め人風の格好をした若い女性が、緑色のボンボンを両手に持って坂になっている歩道で踊っている。「♪好きな人に好きな人がいたんです♪おぉ神様♪こーんな私にごほうびちょうだい♪」の歌に合わせて踊る。CM嫌いの私がいつしかこのCMを待ちわびるようになっていた。

 嫌いなCMは多い。ラジオは映像がないからCMも我慢できると思っていた。大きな間違いであった。今やラジオは“過払い金”と“C型肝炎”に乗っ取られた。過払い金の過渡期は過ぎたと思ったら、まだまだである。司法書士と弁護士が競ってCMを展開する。ある司法書士事務所のCMで「司法書士の私でさえ…」と言う。これには笑える。また過払い金を取り戻したという人が百万円以上だと嬉しそうに言う。胡散臭い。過払い金が百万円ということは借りた金がいったいいくらなのか。C型肝炎は補償額が高額なので百万円までしか取り扱えない司法書士はCMを流さない。弁護士事務所だけである。実際にC型肝炎で苦しんだ人々にまるでごほうびがでるように問い合わせを勧誘するCMにどうしても好感できない。アメリカで交通事故があると誰より先に弁護士が被害者加害者双方に名刺を渡しに来るのと同じ手口である。どんな内容がある番組を聴いていても、時々入る過払い金とC型肝炎のCMで気分を害される。

 ラジオといえば、ニッポン放送の「SUZUKIハッピーモーニング『いってらっしゃい』」(午前7:37~7:42)のパーソナリティ鈴木杏樹が突然出演しなくなった。電車の週刊誌の中刷りでびっくりさせられた。不倫問題を起こしたらしい。最近芸能人の不倫問題が多い。東出昌大と杏。東出昌大と表示されると、私は「東大出」つまり東大出身のことかと勘違いするのだが。ビートたけしの『芸人と影』小学館新書 800円+税にこんな記述がある。「もともと芸能界はカタギの社会で生きられない人間たちの集まりで世間一般の道徳を芸人に圧しつけるから話がおかしくなる」 これを読んで不倫も麻薬問題も腑に落ちる。ビートたけしさんが言うように、芸能人はもっと堂々としていたらいい。不倫も麻薬も一般社会に浸透している。それにしてもビートたけしさんの観察眼と物おじしない物言いには敬服する。その本人が自分の離婚再婚に関して、まるでその辺の普通のおじさんになってしまったのが物悲しい。

 CMで私がこの人売れるかも、と思ってその後、売れた人が何人かいる。積水ハウスの剛力彩芽。ドコモのdポイントで2羽の黄色いポインコと出ていた中条あやみ。まるで彼女たちの成長を見守る祖父のような気分になった。しかしあの剛力さんがzozoタウンの前澤さんとどうのこうのと報じられた時には遠い人になってしまった。

 『いくぜ東北 冬のごほうび 秋田編』でボンボンを振って踊っているのは、石橋静河さんという女優だという。この女性も売れるといい。何とも言えない雰囲気を出している。私も恋には、奥手だった。持てる男は、とっかえひっかえ彼女と付き合っていた。羨ましかった。「♪好きな人に好きな人がいた♪……」が自分と重なる。

  私の場合バックに流れる曲は、カーペンターの『イエスタデーワンスモア』なのだが。


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人類最大の敵

2020年02月19日 | Weblog

  かつて、ノーベル賞受賞者のジョシュア・レダーバックが「人類が地球を支配し続ける上での唯一最大の脅威はウイルスである」と言った。

 アメリカ映画ダスティン・ホフマン主演の『アウトブレイク』の冒頭で「人類の最大の敵はウイルスである」ジョシュア・レダーバックとキャプションが入る。

 私は糖尿病なので健康な人と比べて免疫性が低い。だから今は外出を避けている。26,7,8日(木、金、土)と北陸3県を巡るパック旅行に妻と参加したばかりである。旅行中、同じバスで38人が一緒に移動した。中にはひどい咳をする老人が数人いた。宿泊した旅館とホテルには中国からの観光客も少なからずいた。私は妄想にとらわれた。しばらくは外出を控えて様子をみることにした。今のところ新型コロナウイルスによる肺炎の症状はない。このところの気温が上がったり下がったりで鼻と喉が変だが熱はない。

 一方横浜港に停泊しているダイヤモンド・プリンセス号が大変なことになっている。乗客乗員合わせて3711名が乗っていた。2月16日現在454人に感染している。これだけの乗客乗員があの一隻の船に乗っていたことは驚きである。更に国籍が50か国にのぼるというから世界規模化がこれほど進んでいるのだという証拠である。アメリカがいち早くアメリカ人乗客の希望者を政府チャーター機で帰国させた。韓国も大統領専用機を使って自国民乗客を帰国させた。カナダ、オーストラリア、香港、イタリアも救出の準備を進めているようだ。

 今回の日本政府のダイヤモンド・プリンセス号への対処に外国政府が不満批判を強めていると日本のマスコミが伝えている。これは政府と言うより検疫による規則通りの対処であった。オーストラリアやカナダやアメリカの検疫がどれほど厳しいか経験者は知っている。オーストラリアでは飛行機が着陸すると、機内をまず消毒すると聞いた。乗客の荷物検査も厳しく農産物肉類の持ち込みが禁止されている。私もアメリカの友人に頼まれて日本の二十世紀梨を持ち込もうとして、ロスアンジェルス空港の税関の検疫で没収された経験がある。農作物や家畜への病気持ち込みにさえあれだけの神経を使うのだから人間に対しての感染病なら尚更である。他国の一部の批判に屈することはない。日本のマスコミも外国の意見をありがたがる自虐的な傾向を改めるべきである。今回のダイヤモンド・プリンセス号への対処の評価は、事が収まれば検証される。今はこれ以上の感染を食い止めることが最優先されるべきである。

 映画『アウトブレイク』でも『コンティジョン』でも映画の中でアジア人に対する差別を感じた。今回の新型コロナウイルス騒動でも世界各地で差別が広まっている。オーストリアの在留邦人の子供が学校で「ウイルス」と呼ばれたとか、パリ郊外の中国人が経営する日本レストランが「ウイルス出ていけ」と落書きされたという。未知のモノに人は恐怖を感じる。恐怖が差別を助長すると聞いた。私はセネガル、チュニジア、ユーゴスラビアで「シノア」「キナ」(いずれも中国人の意味)と言われた。今日のニュースでもヨーロッパで活躍するサッカーの久保建英選手がコーチに目尻を指で拡げる差別的動作を受けたと伝えた。

 確かにウイルスは脅威である。しかし人類の最大の敵は、人間の心の中にあるウイルスのように悪をはびこらせる思想である。だが人間は、自分の悪に打ち勝てるワクチンを自分で作ることができる。それは、良心と愛と教養を混ぜるだけでできる。この新型コロナウイルス騒動が早く沈静化することを願う。

 


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ミシェラン三ツ星

2020年02月17日 | Weblog

  フランスのパリにあるレストラン『Kei』のオーナーシェフ小林圭さん(42歳)がミシュランで三ツ星を獲得した。快挙である。

 私はシェフや調理人やすし職人は日本人の性格に向いた職業だと思っている。「男子厨房に入らず」とまるで台所仕事は女の仕事と決めつけている男も多い。それは日本だけでない。私はチュニジアの税関で旅券の職業欄に“主夫”と書いてあるのを係官に笑われた。彼は大声で「この男主夫だってよ」と仲間に言い、その場に笑い声が響いた。それだけではない。妻の任地に同行して行くと、そこに住む日本人や妻の同僚からも冷たい視線や誹謗中傷を浴びた。男尊女卑は根強く世界に蔓延している。

 私は腹を決めて、それなら徹底的に料理を習い、家に客を招いて喜んでもらおうと思った。チュニジアの税関職員も私を笑い者にした後、私の荷物の中に料理用の20本近い包丁を見て顔色を変え、沈黙した。セネガルでは日本の商社マンの奥さんでパリの一つ星レストランのシェフだった人の料理教室に通った。フランス料理の基本を教えてもらった。その時、初めてフランス料理の巨匠アラン・デュカスの名を知った。料理教室が終わった時、先生からアラン・デュカスのレシピ本を贈られた。

  今回ミシェランの三ツ星を獲得した小林圭さんは、アラン・デュカスの元で修業した。彼は「『アラン・デュカス』での日々は、フランスの最高級ガストロノミー料理をしっかり学べるまたとない機会でした」とインタビューで答えている。どんな巨匠のもとで学ぼうが、本人に才能がなければ、それがどうしたということになる。小林さんには、才能があった。私は彼のインタビューの内容を読んでいてわかった。彼はほとんどフランス人と言っていい程フランス人になり切ることができた人だと思う。「日本人は大抵、とても無口だ。だがそんなふうでは、フランスでは生き残れない。以前はそうではなかった。フランスが自分を変えたのだ。今はもっとストレートに言う。フランスの人のように、思っていることを口に出す。自分はとても難しい。自分と一緒に働くのはストレスだらけだ」

  日本人も世界では変わっている人種だと思うが、フランス人も中々個性のある人種である。私の印象では自己主張が強い、頑固、とにかく心に湧き出ることは、躊躇なく口にできる人が多い。私なら到底、小林圭さんのようにフランスで修業なんて無理である。多くの日本人シェフがフランスで料理の修行をする。その人たちは差別を辛かったと語る。小林圭さんが日本人初の三ツ星を獲得できたのは、日本人であることを端に置き、フランス人になり切ろうとしたからではないだろうか。そうとしか私には思えない。

  私は2011年に日本の世界文化社から出版された『アラン・デュカスのナチュラルレシピ』2800円+税を最高のレシピとしている。私の目標は、『アラン・デュカスのナチュラルレシピ』の中の料理全てを作ってみることである。全部で188レシピある。そのうち今日現在78レシピを試みた。セネガルで商社マンの奥さんから学んだ基本がなければ、このような無謀な挑戦はしなかった。

  小林圭さんは「アラン・デュカスに食材を見極める目を鍛えられた」と言う。私はアラン・デュカスや小林圭さんの足元にも及ばない。しかし日本に戻り、この食材に恵まれた国で『アラン・デュカスのナチュラルレシピ』の残りの110レシピを終わらせようと無謀な挑戦に挑んでいる。調理技術や才能がなくても日本の食材は、私の力量不足を大きく支えてくれる。それが何より嬉しいと思う。私の挑戦は続く。


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国会で病院船に言及

2020年02月13日 | Weblog

  娘からメールが来た。『パパへ 何度か電話したけど、今日はずっとお出かけだったかな? メールになってしまうけど、悲しいお知らせがあります。今年の7月に〇〇ファミリーが乗るはずだったクルーズが、2020年の全てのクルーズをキャンセルすることを決めたそうで、〇〇ファミリーの来日は無くなってしまいました。。。〇(注:孫の名前)もとっても残念がってて、こればかりはどうしようもないから。。。本当に残念。。。』

  まさか私にも今回のダイヤモンド・プリンセス号の新型コロナウイルス感染による影響が及ぶとは考えてもみなかった。娘がアメリカで暮らしたのが○○ファミリーである。娘はそのファミリーの両親をダディ、マミィと呼ぶ。私はパパ、妻はお母さんと呼ばれる。ダディはすでに他界した。マミィはステージ4の癌を克服して元気に一人で暮らしている。子供が5人いて孫の総勢は20名を超える。マミィは孫全員を数グループに分けて、ヨーロッパと日本へ全額負担して連れてきている。今回東京オリンピックを機会に残っていた孫とその両親または片親を引き連れて総勢16名で来日の計画を立てた。オリンピックの切符の抽選に孫と応募したが1枚も当たらなかった。そこでクルーズ船で日本を1周することにした。去年の秋にすでに予約を取っていた。

  私たち夫婦と娘は、マミィ一行が最初に投宿する横浜のホテルに同じ日に泊って皆を焼き鳥屋に案内することにした。着々と計画は進んでいた。そして新型コロナウイルス騒ぎが起こった。嫌な予感は持っていたが、まさかマミィ一行の日本1周クルーズまでもが影響を受けるとは考えてもいなかった。娘の孫の落胆も無理もない。私だってこれが最後かもしれないと思っていた再会である。

  一方嬉しいこともあった。12日加藤厚生労働大臣が国会で初めて病院船について言及した。衆院予算委員会で自民党の赤沢亮正議員の質問に答えた。やっと本格的に病院船の建造が検討されようとしている。クルーズ船はやはり採算や利益追求の計算の上に設計されて建造にいたる。最初から病院船として設計建造されるものとは根本的に異なる。ダイヤモンド・プリンセス号が毎日のように岸壁を離れ、一日で1000トン出るという生活用水を処分するために沖に出る。いったい生活用水とは何なのか?もしや下水、つまりトイレのタンクを沖へ捨てに行くというのか。下水は、きちんと処理されているというが、心配は尽きない。

  ネットフリックスでアメリカ映画『コンテイジョン』2011年制作を観た。未知のウイルスが全世界に拡がるというまるで現在の新型コロナウイルスを予言していたような映画だ。内容にムラがあり、筋に一貫性がないのが気になるが、政府、CDC(アメリカ疾病予防管理センター)、WHO、製薬会社、SNSなどの描写には信ぴょう性がある。これは多くの人々が観て参考にできる映画である。

  加藤厚生労働大臣がどの程度真剣に病院船の建造を考えているかはわからない。とにかく日本の大臣が病院船に言及したことは評価できる。私が生きているうちに、憲法改正より、自衛隊の海外派遣より、最新戦闘機1000機の購入より、完成した日本の医学、医療機器技術、排水処理技術、空気清浄技術の粋を集めた病院船が世界のどこかで起こるであろう未知のウイルスによる爆発的流行に対処するために日本の港を出航するのを見たい。

  アメリカからマミィ一行が来れなくても、新型コロナウイルス騒ぎが収まったら、またどちらかから訪ね、会えば良い。それより病院船の実現が先だ。今はただこの恐怖が払しょくされることを祈る。


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ダイヤモンド・プリンセス号

2020年02月06日 | Weblog

  【お詫び:7日金曜日投稿するブログを都合で本日に変更いたします】

  大型クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』が横浜港の沖に留め置きされた。船には総勢3711名の乗客と乗組員がいる。乗客は2666名。乗組員は1045名。そのうちいまのところ10名の新型コロナウイルスの感染者がおり、この人たちは、海上保安庁の船で上陸、入院した。

 このニュースをテレビで観て、私は約40年前に経験したことを思い出した。青年の船という企画に主催団体の一員として乗船した。日本全国から800名あまりの青年男女を募集した。横浜を出航して香港、フィリピンに寄港して横浜に戻る2週間の船旅だった。船内ではいろいろな講習会、勉強会、リクリエーションがあった。船旅を終えて、横浜に入港しようとしたとき、船内で感染症になっている参加者が見つかった。船は横浜港に入ることが許可されず沖に留め置かれた。取材のヘリコプターが何機も上空を舞い、船内は異様な雰囲気に包まれた。船内でこのまま数週間留め置きとなるとの噂があっという間に広がった。青年の船の団長が、日本医師会の当時の会長と直談判して上陸は許された。下船後、幸い何事も起こらなかった。

 私は船旅が好きだ。カナダ留学から帰国する際、『キャンベラ号』で太平洋を渡った。全航海の三分の二はひどい船酔いで満足に食事もできなかった。青年の船にも都合3回参加した。船は乗るたびに船酔いになりにくくなるらしい。私は今ではほとんど船酔いすることなく船旅を楽しめる。妻と世界1周の船旅をするのが夢だった。その準備のためにパック旅行で『飛鳥号』で北海道、能登半島を巡るツアーに妻と参加した。『飛鳥』は素晴らしい船だった。しかし妻は「私はこんな閉鎖された空間に3カ月もいたら、精神に異常をきたしてしまう」と言った。すでに半年先の世界1周ツアーに予約申し込みしてあったが、キャンセルすることになった。もし予行乗船することもなく、いきなり妻を世界1周の航海にでていたらと思うとぞっとする。

 新型コロナウイルスは、未知の感染症であることが今回の世界的な不安を助長している。WHOのエチオピア出身のテドロス事務局長の無能さに、世界各国は更に不安を掻き立てられる。昨日「渡航や貿易を不用意に妨げる必要はどこにもない」とまるで中国を擁護する発言だった。こんなWHO、パンデミックが起こったら何か効果的な対策を取れるとはとても思えない。残念ながら日本だけでなく世界の国際的な機関においても適材適所な人事はあまり行きわたっていないようだ。今回の新型コロナウイルス騒ぎを見ていると、どんな緊急事態であろうと、金、政治、宗教、人種のシンパは判断を狂わせるのだとよくわかった。長いモノには巻かれろ、がまかり通る。新型コロナウイルスも恐ろしいが、それを統括する国際機関がこの程度であることも、恐ろしいことである。現場で懸命に働く医療関係者や自分に何が起こっているのかもわからず苦しむ患者の立場を理解できないような国際機関は必要ないのではないか。

 一方日本政府はダイヤモンド・プリンセス号をウイルスの潜伏期間等を鑑みて、14日間留め置きにすることを決定した。WHOとは違う決定を下したことに安堵している。未知の感染病だからこそ最悪の事態を想定して対策をとることが最良だと信じる。船内が狭い、食事が行きわたらない、薬が無くなる。乗客の不満も精神的な苦痛も理解できる。しかしこれ以上の感染拡大を防ぐ一手段である。政府は留め置きするなら、それ相当の覚悟で十分な処遇を実施して欲しい。それにつけても日本が世界に先駆けて、未知の感染病にも対応できる病院船を建造することを進言したい。


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ばあちゃんのリメイク羊羹

2020年02月05日 | Weblog

  子供の頃、冠婚葬祭が多かった。結婚式の鯛の塩焼き、葬式の葬式饅頭は、子供の私にとって嬉しいご馳走だった。結婚式の持ち帰りの折詰には、必ず羊羹らしきものが入っていた。羊羹には、私のばあちゃんの思い出がある。

 ばあちゃんといっても私には母方のばあちゃんしかいなかった。父方のばあちゃんもじいちゃんも早死にしていて私は知らない。母方のじいちゃんは、私が小学校の時、54歳で胃がんで死んだ。ばあちゃんは9人子供を産んだ。女5人、男4人。私を産んだ母は次女だった。私が4歳の時、お産で死んだ。その後、ばあちゃんは、私の父が男手一人で4人の子育てをしているのを見かねて、4女を私の父の後妻にさせた。私たち4人を継母となって育ててくれた。母方のばあちゃんは、一族の頂点に君臨していた。

 ばあちゃんは私を可愛がってくれた。私が4歳で母を亡くしたのが、よほど不憫だったのだろう。運動会、水泳大会なども応援に来てくれた。私は父に似ず、運動神経はからきしダメでばあちゃんの応援を負担に感じたものだ。盲腸で1週間入院した時は、病院に泊まり込んで看病してくれた。ばあちゃんは太っていた。笑い方も豪放で笑顔が恵比寿さまのようだった。学校で学んだことはなかったと思う。読み書きができたかも知らない。でもばあちゃんは、いろいろな事を知っていた。ばあちゃんは大きな家に一人で住んでいた。寂しかったに違いない。何かにつけて泊まりに来いと誘った。特に年金が出ると「手打ちうどんを打ったから食べにお出で」と電話があった。自転車で行けるところだったのでうどん好きの私はせっせと通った。泊まった時は、ばあちゃんと一緒の布団で寝た。何が楽しみって、ばあちゃんから私の母の子供の時の話を聞くのが大好きだった。話し上手のばあちゃんの話を聞きながら母に会いたくなって、よく涙を流した。

 ばあちゃんは、健脚で80歳を過ぎても、季節がくると柏の葉や笹の葉を山に取りに行き、小遣いを稼いでいた。柏の葉も笹の葉も採ってきた後が大変だ。キレイにそろえて束にして何かのヒモ状のもので縛っていた。ばあちゃんの手はまるで野球のグローブのような感触だった。米を作り、家畜を飼い、野菜を育て、9人の子供を産んで育てた。背は小さかったが、たくましかった。

 ばあちゃんは料理も上手だった。素朴で華々しさはなかったけれど私は好きだった。結婚式があったからと言って呼ばれた時は必ずばあちゃんが作り直した羊羹があった。結婚式の羊羹は長方形の折の一角に三角形に切られて入っていた。上に波のような模様が入っていた。ばあちゃんはそれを鍋に入れ、その鍋をまた湯を張った他の鍋に入れ静かに混ぜながらゆっくり溶かした。そこは少し冷ました砂糖を入れた煮た寒天の汁を徐々に加えた。それを型にいれ、まるで和菓子店で売っているような羊羹に変えた。

 私が羊羹を好きなのは、ばあちゃんの羊羹が忘れられないからかもしれない。今は、高級な羊羹が容易に買える。冬になると福井の水羊羹が出回る。冬に水羊羹とは摩訶不思議。福井では「丁稚羊羹」と言われていたという。京都に丁稚に行った福井の人たちが正月に京都の羊羹を土産に持ち帰ったのが始まりだとか。甘さの加減といい、羊羹としてすこしゆるめな固まり具合といい、ばあちゃんの羊羹に似ている。

 ばあちゃんは89歳で願っていた通り、ピンピンコロリでこの世を去った


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新型コロナウイルス対策に病院船を

2020年02月03日 | Weblog

  新型コロナウイルスの伝染は、とどまることがない勢いで世界に拡がっている。

 そんな折、昨日海上自衛隊横須賀基地から護衛艦『たかなみ』が中東へ向けて出航した。派遣の名目はあくまで「調査・研究」である。この調査・研究という言葉に私はひっかかる。私は以前から日本が病院船を持つよう訴えて続けている。今回の中国の武漢での新型コロナウイルスの流行に誰もどの国も有効な対策を打ち出せないでいる。その事実が人々の恐怖心を増長させている。日本が中東に訳の分からない護衛艦の派遣をするくらいなら、これほど世界を震撼させている疫病に対応できるほどの病院船を持っていたならば、中東への護衛艦の派遣より、はるかに世界に貢献できるはずである。

  今回日本政府は都合3回チャーター便を武漢へ在留邦人の帰国のために派遣した。そして帰国した人たちを検査と経過看過のために留め置きした。その留め置き施設に警察庁の警察大学校、国立保健医療科学院、税関研修所、国税庁の施設、そして民間の『勝浦ホテル三日月』を当てた。感染病は、初動が肝心である。もし日本に2000人規模の病院船があったなら、今回の武漢からの帰国者を全員、1か所に収容看過治療ができた。疑問に思ったのは、各政府機関の設備が立派な事、そして何よりも現在、フルに使用稼働されていないことだ。

  かつて日本政府は、原子力船『むつ』を建造した。しかし結局放射能漏れを起こし試験航海しただけで原子力機関部分を取り外して海洋地球研究船『みらい』に改造された。この費用は優に千億円単位であった。もっと予算の使い方はあったであろう。あれだけの額ならば病院船を何隻も建造できていたはずである。無駄が多い。

  日本は長く造船において世界をリードした。家電や自動車と同じく韓国に下請けのようなことをさせているうちに、“軒を貸して母屋をとられる”を繰り返した。1月31日日本政府は韓国に2国間協議の開催を要請した。後手に回る日本。起こってしまったことに後で悔やんでも仕方がない。日本の造船技術は、まだまだ捨てたものではない。加えて病院船にはハードとソフトが必要だ。日本の医療技術は、世界の最先端を行く。また医療機器でも目を見張る進歩を遂げている。感染病に有効な空気清浄装置、排泄物処理など数々の先端技術が病院船に役立つ。

  もし今回日本に我が国の科学技術の粋を集めた最先端の病院船があったなら、即病院船を中国に派遣できた。中国へ協力を申し出ても、中国は沽券にこだわり、協力としての入港を拒否しても、日本国民の救出を拒否はしないであろう。その救出法を武漢の人々が知れば、日本の協力を受け入れるよう中国政府に要請するであろう。被災者が求めるのは、沽券でも国益でもない。敏速かつ有効な自分の命の救済である。

  調査・研究などという、ただの法律上での言葉合わせでなく、日本は真の世界貢献に踏み切る時である。軍備より世界の疫病の危機に貢献できる病院船の建造運営を求める。“何でも反対”の野党でなく、病院船の建造の先頭に立ってみたらいい。与党の中にもそれくらいの先見の持ち主が現れないのが、不思議。日本には賭博場より病院船が必要である。目を覚ませ日本。こんな小さな国でも日本は、病院船でなら世界の役に立て、貢献できる。世界のこれからますます出現してくるであろう、未知の感染症と闘う先頭に立つ。それが過去に犯した戦争での償いになり、日本という国家を生かすことになると私は思う。


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