団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

掉尾の一振り

2015年12月30日 | Weblog

 つきてみよ

  ひふみよいむなやここのとを

   十とをさめて

    またはじまるを    良寛

 平成27年が終わろうとしている。私にとって大きな変換点となった年でもある。いろいろなことが次から次と起こった。落ち込んだことも何度かある。ウツ病かと思ったこともある。それでも何とか今年も乗り切れそうである。毎日日課をこなすのが精一杯である。

 食事:3食きちんと摂る。朝ヨーグルト、バナナ、ブルーベリーを欠かさない。

ブログ:土日祭日を抜かした2日おきの投稿。

日記:毎日就寝前 天気、温度、体重、万歩計の数字、受信配信記録と感想反省など。

体重測定:毎日朝5時半に測定。記録とグラフ書き込み。

日課体操:屈伸20回、踵上げ立ち20回、片脚上下ふりそれぞれ20回、片脚開脚それぞれ20回、着席して太もも上げそれぞれ20回、横になって片脚あげそれぞれ20回、足の指のタオルつかみ10分間。

薬サプリ服用:朝5種類昼3種類夜4種類。

下着を毎日取り換える。

風呂に毎日入る:2日に一回髪を洗う。浴槽で手の開いて結ぶ運動50回、腕の屈伸50回。

朝の時刻通りの定期便。

大時計のネジ巻。

歯磨き:夕食後6種類の道具で20~30分間。

手紙とメールの3日ルール:重要なもには3日以内に返事を書く。

孫の英語指導ノートづくり。

妻の出勤日の駅までの送迎。

夕方の買い物夕食の調理。

 毎朝5時に起きて10時に寝る生活をしている。たいしたことはしていないが毎日同じものを食べほとんど同じことを同じ時間に繰り返している。

 老化は防ぎようもない。今年の夏ごろから読書ができなくなった。目が疲れて痛くなる。テレビも番組内容や出演者の傍若無人ぶりにあきれはて観ていられない。楽しみはラジオである。良い番組を録音してノートに書き写す。

 物忘れも激しくなるばかりであるが、忘れることを楽しめるようになったほど瞬間を生きている。冒頭の良寛さまの句は、難しいことを言っているのだろう。私は1から10まで数えていたら、また1から数えればよいと解釈している。数を数えることが多くなった。

 外で腹が立つ場面では、数を数えて我慢無視する。妻は言う。「最近、あなた聞こえているのに聞こえていないフリをすること多いね」 私は「ひふみよいなむやここのとを」といつしか唱え始める。写真:夕焼け


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宝くじの行列

2015年12月26日 | Weblog

  [28日月曜日投稿分、都合により26日に変更しました。]

 先日東京へ行った時、有楽町の宝くじ売り場「西銀座チャンスセンター」の近くを通った。ものすごい人が列を作っていた。近づいて見ると「最後尾」のプラカードを持った男性警備員がいた。なるほど宝くじ売り場かと納得。後ろから列に並ぼうとした人がプラカードを持った警備員に「どのくらい待ちますか?」と聞いた。彼は「窓口がたくさんあるので4、50分くらいです」と答えた。

 家に帰ってから今回のジャンボ宝くじのことを調べてみた。1等賞金7億円前後賞と合わせると10億円。これに当たる確率は、2000万分の1。発売枚数は5億4千万枚。売上金額は、4兆3740億円。とてつもない数字が並んでいた。私は昔宝くじをできるだけ買った。数字に強い妻は、宝くじの当たる確率を論じ、絶対に当たるはずがないと言う。争っても仕方がないので買わない。今思うことは当たれば私のような人間は、完全におかしくなってしまう。だから当たらないように買わない。

 それにしても1時間近くでも待って買うなんて日本人も気長になったものだと感心した。私の子どもの頃、今では並ぶのが当たり前の場合でも横入りなど平気でする人をよく見かけた。立小便、痰唾吐き、手鼻かみ、行儀の悪い人の割合が多かった。教育のせいか、家庭教育のせいか、日本人は行儀が良くなった。列もちゃんと並ぶ。車で出かけても合流地点では交互にきちんと順序よく1車線になる。そしてハザードライトをパカパカさせて“お礼”し丁寧に手を上げたり、頭を下げる人までいる。とても見ていて嬉しい光景である。

 ネパールの映画館に並ぶ人を見たことがある。並んでいる人々は、背中と胸がくっ付いていた。横入りを防ぐためだと聞いた。飛行場などの搭乗手続きでも横入りがひどかった。セネガル、チュニジアなども同じで列に並べない。道路の左右境界線や道路脇の歩道境界線や駐車場の枠の線など、とにかく無視するのが当たり前の状態だった。私の車は、ボコボコに凹んだ。気持ちも落ち込んだ。日本に戻ってからは、行儀の良さがさらに進んでいて嬉しかった。

 23日息子家族に宅急便を送ろうと運送会社の支店に車で行った。2台分ある駐車場の枠内に車をとめて大きな箱を持って事務所に入ろうとした。ボックスワゴン車が箱を抱える私の前に止まった。女性が小さな箱を持って降りて事務所へ向かった。ワゴン車の運転席の私と同年輩にみえる老人が「車を動かせ、入れねえじゃねいか」と言う。私はまず大きな重い荷物を事務所のカウンターへ運んだ。荷物をおいて車を動かそうと駐車場に戻った。老人が怒り顔で待っていた。「この野郎、動かせったらすぐに動かせ。常識のねえ野郎だ」と来た。完全に切れている。相手にしたら危ない。私は黙って車を奥の広い駐車場に移動した。

 老人の事件が多い。被害に遭う確率はおそらく宝くじで当選するよりずっと高いであろう。今回のように私が駐車場の枠の線内に車を先に止めていても、自分が入れないからと私に筋の通らないイチャモンをつける。奥にいくらでも駐車スペースがあるにも関わらず、それさえ思い込みでここにしかないと勘違いしているのか。それとも単に他人と諍いを起こすのが目的なのか。一歩家を出れば危険がいっぱい。クワバラクワバラ。


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見た目と味のギャップをお楽しみください

2015年12月24日 | Weblog

 21日の午後、雨降る中友人のN夫人がミカンをたくさん届けてくれた。このミカンは高校の同窓生のO君のミカン畑で採ってきたものだ。私たち夫婦も参加予定だったが、他の用があり行けなかった。ミカンを食べた。去年初めてO君のミカン畑に招かれた。相模湾を見下ろす南向きの急斜面にある畑だった。心臓が悪い私も息を切らせながら、鉛のように重い自分の脚を運んだ。蜂ネットの頭にかぶりたくさんのミカンを収穫した。育てる苦労を何もしないで最後の収穫という一番良いとこ取りに恥じ入りながらも、夢中で見た目の良い更に大きいミカンをとの欲が心地よく感じた。

 23日には宮崎県綾町の宮崎スイートスプリングが箱で送られてきた。正月を前に我が家には果物がたくさん届いた。ありがたいことである。ミカンも和歌山、宮崎、神奈川のいろいろな種類が届いた。図鑑で調べてみるとミカンにもいろいろな種類があり、新種も開発改良されている。

 スイートスプリングの説明に「スイートスプリングは、果肉先行型の果実です。皮は緑でも、中身は熟していますのでご安心ください。見た目と味のギャップをお楽しみいただけます」とあった。(写真参照:大きくて緑色がスイートスプリング。オレンジ色の小さいほうがO君のミカン)

 果肉先行型といえば、ネパールのマルダハマンゴを思い出す。市場で緑色のマンゴを見つけたが、皮があまりにもまだ熟してはいないような緑色だったので、もう少し待てばちゃんと熟した黄色いマンゴが並ぶだろうと買い控えた。しかしいつの間にかマンゴは市場から消えた。マルダハマンゴは果肉先行型で緑でも中身は熟していることを後で知った。翌年から私はマルダハマンゴを失った1年を取り戻そうと毎日食べた。

 “見た目”は、人の判断を狂わせる。“見た目”による判断間違いを防ぐには、よく知る人など専門家に尋ねるとか書籍やネット検索などで調べることである。そして何より自分で直接体験してみることだ。スイートスプリングを早速味見した。皮を剥いてくれた妻は、皮は剥きにくいけど美味しいと言った。前述の説明の通り、見た目と味のギャップを楽しめる。マルダハマンゴほどのショックは感じなかったが、懐かしくネパール時代を思い出した。

 最近の果物も品種改良などで糖度がかなり高くなってきていて、糖尿病である私は食べ過ぎに気を付けなければいけない。これだけリンゴでもミカンでもブドウでも梨でもイチゴでも種類が多いと選ぶのも大変である。“見た目”も“名前”にも注意する。自分が食べて美味しければそれでいい。

 人間も果物に似ている。品種改良のような人間改良など人道上許されるものではない。しかし多くの人は、金髪碧眼がいい、痩せていた方がいい、3サイズは大きい方がいい、顔は小さい方がいい、歳より若く見られたい、などなどの無い物ねだりの整形改良改善を望む。黒髪が白く薄くなり、中肉中背で、顔はでかい私はこのままがいい。それよりも何よりもマルダハマンゴやスイートスプリングの“見た目と味のギャップ”ではないが“見た目と中身のギャップ”を認められるような人になりたい。

 友からの贈り物を有難く口にして、わが身の未熟さを憂うるばかり。


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鮭、サーモンマリネ、サハリン

2015年12月22日 | Weblog

  行きつけの魚屋で北海道の冷凍でない生のキングサーモンを勧められた。半身でも良いと言うので買った。4千円だった。

 早速サーモンマリネを作ることにした。私はフランスのアラン・デュカスのレシピ(世界文化社発行『アラン・デュカスのナチュールレシピ』2800円+税)で作るサーモンマリネが好きだ。このマリネはハーブのディルと塩300グラムに砂糖100グラムの割合で混ぜる。レモン1個分のレモン表皮を削って細かくしたもの、粗挽き黒胡椒、ねずの実15グラムを砕いて混ぜる。このマリネ用薬味を皿かバットに敷く。鮭の皮側を下にして鮭を置く。鮭の身の上にも薬味を乗せる。ラップして24時間冷蔵庫に入れておけば出来上がり。これを薄くスライスして新じゃがを茹でてルッコラとサラダにして一緒に食べる。至福の時である。(写真参照:先日客人をもてなした私が調理したサーモン)

 私たち夫婦は、アラスカの熊に負けないくらい鮭が好きである。年間消費量も小熊ぐらいはあると思う。ノーベル賞授賞式で盛り上がったスウェーデンの首都ストックホルムのホテルのスモーガスボード(バイキング料理)で妻はスモークサーモンが美味しいとそればかり食べているとウエイターに「他にも美味しい料理がたくさんあるので召し上がれ」と言われたほどだった。

 医務官として妻の最後の任地はロシアのサハリンだった。そこで『サハリン旅の始まり』(拙著)の主人公リンさんとの出会いがあった。彼を釣りや猟や採取の師として私は極寒の地を歩き回った。忘れられないのは鮭の遡上である。川の色が変わるくらいの多くの鮭が産卵のために上流を目指す。リンさんは河口から山奥の幅数十センチの所まで案内してくれた。1匹のメスに5,6匹のオスが後を追う。壮絶な光景に私は胸打たれた。激流や川底の石、岩に体を傷つけ、他のオスとの争いに身を削りボロボロになって最後に自分の子孫を残そうとする。ほとんどゼロに近い可能性のために狂ったように突進する。途中の川や岸辺に目的を達せられなかった鮭の死骸が無数に散らばっていた。

 釣りの達人のリンさんでさえ、キングサーモンを釣るのは難しいと言う。私と一緒に釣りに出て、一度だけリンさんがキングサーモンを釣った。その時の彼の喜びようは忘れられない。

  鮭の遡上を毎年見ていたリンさんだから鮭を食べる時、捨てるところなくキレイに食べ切る。私はサハリンへ行く前から鮭を好きだった。サハリンでリンさんと海や川や山野を駆け巡って、鮭がもっと好きになった。

  キングサーモンを魚屋で買って家に持ち帰った。ずっしりと重いサーモンに私のサハリンでの思い出が加わった。サーモンマリネを作りながら、キングサーモンを釣った時のリンさんの興奮ぶりを思い出した。

  私が住む町も寒くなってきた。サハリンはもうマイナス20度くらいだろう。氷の下の鮭の卵が孵化し始める時期である。親がボロボロになって遡上した川を今度はヤマメやイワナに狙われながら海を目指す。鮭からリンさんから私も自然の一部であることを学んだ。

 サーモンマリネを仕込んだ次の日、仕事に疲れて帰宅した妻に味見してもらった。口にした妻の笑顔は、リンさんがキングサーモンを釣った時の笑顔のようだった。


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高所の危険作業

2015年12月18日 | Weblog

  幼い頃から高い所が苦手だった。小学校4年生だった時、校庭のプラタナスの木に登って枝が折れ、2,3メートルしたの地面に落下して頭を強打した。それ以来、できるだけ高い所、特に土に直接触れることができない場所は避けてきた。

 最近住む集合住宅の前に朝から夕方まで数台の小型トラックが止まる様になった。住民の誰かがリフォームか何か工事しているのだ思っていた。多い日には6、7台の車が止まっていた。大がかりな工事だなと窓から外の様子を窺った。ガラスを運んできた小型トラックがあった。2重ガラスにするのかもしれない。

 青空が出ていた。散歩しようと支度をして外に出た。あらためて少し離れたところから集合住宅を見上げた。どこの家も窓のガラス工事をしている様子はなかった。

  集合住宅の裏山の紅葉が今年は例年になく綺麗だ。その山を斜めに下るように高圧送電線が通っている。電線は7本あり鉄塔の碍子に釣りあげられるように張られている。私が見る限りでは鉄塔と鉄塔の間隔は川を挟んで100メートル以上ある。山の斜面では100メートルどころか何百メートルも離れている。

  集合住宅から2,30メートル離れた鉄塔に何か動くものが見えた気がした。目を凝らす。あんな高い所にまさか猿、そう思ったがよく見ると人だった。3人いた。謎が解けた。私が住む集合住宅の前の市道に車を止めているのはあの送電線を張り替える工事の会社のトラックだったのだ。そこへガラス会社のトラックが加わった。

  数週間前、テレビで送電線の電線は風雨にさらされ劣化すると新しい電線に取り替えるがその工事は大変な危険を伴うとその実態を紹介した。テレビの平面的画面で観ても私は下半身を氷水に漬けられたような感覚になった。あんな高い鉄塔の上で電線を取り替える。それも電線には何万ボルトという高圧の電力が流れている。

  私は離婚後持ち家を売却して、公営アパートに住んでいた。仕事を終えて誰もいない家に戻った。コンセントに何かのプラグを差し込んだ途端、感電して数メートルはじき飛ばされしばらく気を失ったことがある。電気は私に恐怖以外の何物でもない。

  鉄塔をどうやってあんな山の中に建てることができたのか。建てるまでは何とかできたとしても、どう電線を張るのか。その電線を交換するのはどうするのか。電気そのものに関しても無知なのに不思議でたまらない。春日三球・照代の漫才「地下鉄の電車をどっから入れたんでしょうねぇ。それを考えると一晩中眠れなくなるの」ではないが、この歳になっても知らない事、理解できない事は山ほどある。

  高圧送電線の電線交換では重大な事故が起こるそうだ。危険な仕事であることは間違いない。私のような高い所にいるだけで気分が悪くなる軟弱者は恥じ入るばかりである。私には到底できそうもない幾多の危険を伴う仕事を一生懸命にしてくれる方々がいるからこそ私たちは利便安楽な生活が送れる。感謝する。ともすればマスコミで華やかに取り上げられる政治屋、芸能界、スポーツ選手より、人知れず鉄塔の上で危険を冒して電線を取り替えている作業員の方々に、社会的には埋もれるように暮らす私は共感を覚える。

  私の思いに賛同するかのように、ちょうど太陽光線が鉄塔と作業を浮かび上がらせた。


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オリーブオイルの偽物

2015年12月16日 | Weblog

  2001年1月私は心臓バイパス手術を受けた。当時妻の赴任地はチュニジアだった。私一人が手術のために日本へ帰国して6箇月入院した。妻は私の手術日に合わせて休暇をとって帰国してくれた。手術は8時間を超えた。麻酔から覚めて自分がまだ生きていると感じたのは翌朝だった。憶えているのは、その間、私はチュニジアで歩き回ったオリーブ畑にいた。その様子はタピの絵「Field of happiness」(幸福な野原)だった。人も生物もいない。音もなかった。ただ整然と縦横斜め等間隔に並んだオリーブの木とその下に咲く黄色い花の世界だった。

 よりにもよって自分の心臓も肺も止まって機械である人工心肺のお世話になっているとき、どうしてオリーブ畑と黄色い花畑を浮遊していたのかいまだにわからない。ただ苦しくも痛くもなかった。まさに「幸福な野原」であった。

 週刊文春の12月17日号にこんな記事が出ていた。「知っていましたか?エキストラ・バージン・オイルは偽物ばかり」 私は食品の偽装不正にはうんざりしている。記事にはトム・ミューラー著『エキストラバージンの嘘と真実』(日経BP社)の「世界に流通しているエキストラ・バージン・オイルは生産段階で偽装されたものが大半だ。欠陥品が堂々と売られていることを放置するのか」を引用している。我が家はオリーブオイルの消費量が多い。正直どの会社のどの銘柄のオリーブオイルが欠陥品でないなんて区別がつかない。

 チュニジアに住んでいた時、オリーブ農園を営んでいる友人がいた。奥さんが日本人でフランスの農業大学を卒業した人だった。ネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジアと一緒に回った飼い犬のシェパードが歳をとって弱っていた。友人が自分の農場で面倒をみてくれることになった。広々とした農場で余生を送らせることにした。友人は英語が上手だった。犬に会うために頻繁に農場へ通った。

 ある日友人が私たちに自分のオリーブ畑で収穫して自分で絞ったオリーブオイルをくれた。そしてこんなことを言った。「自分が育てたオリーブをこうしてオイルにして樽に詰めてイタリアに渡り瓶詰されてイタリア産のエキストラ・バージン・オイルとして日本などへ輸出される。チュニジア産といっても買ってくれないがイタリア産といえば買う。本物のオリーブオイルを食べられるのは自分でオリーブを収穫して自分で絞る以外手に入らない」

 週刊文春の特集の記事の中に「葉緑素で色付けした菜種油に香りづけのベータカロチンを投入し、わずかなエキストラ・バージン・オイルを混ぜる。イタリア産と表記されていても、実際は海外から輸入した劣悪なオイルに混ぜ物をして販売する」

 チュニジアの友が言ったことと一致する。私は納得する。世界中に食品偽装だけでなく利益を上げるための不正が蔓延する。オレオレ詐欺、不正会計、工事の不正データ、産地偽装。騙すか騙されるかの攻防が毎日続く。政治でも消費税の軽減税率お自民党と公明党の茶番劇のような駆け引き。消費税そのもののあるなし問題がいつの間にか消費税ありと決められ軽減税率に猫だましを食らわせられた。

 私が手術中に見たオリーブ畑に人間がいなかった理由が、今は解る気がする。死に直面して百八の煩悩、五欲、十悪のすべてから昇華した私を騙せる人間は、私の視界から消えていたのである。

[注]タピ:1949年、セルビアのベオグラードに生まれる。幼少期に独学で絵を描き始める。1989年まで外国に滞在したが、ミラノウィーンジュネーブミュンヘンなどヨーロッパの主な大都市の他、ケンブリッジバハマにも住んでいた。その中でバハマでの滞在は、後のタピの作品に大きく影響している。80と90年代、タピの絵は多くメディアに注目され、H. W. ブッシュや米国の元国務長官ヘンリー・キッシンジャー、日本の元総理大臣、田中角栄などの多くの著名人に個人的なコレクションとして集められたが、ホワイト・ハウスなどにも公開コレクションとしても置かれている。2002年10月29日、急逝。タピはモダン・アートの批評家に、ハイパーリアリズム( 写真とほとんど変らない正確さで描くこと)、且つ、マジカルリアリズムの代表画家として評価されている。生前にタピは数百枚の絵を描いているが、その中でもっとも有名なのは「幸福な野原」「白鳥」「ベネズエラ」「18番目の穴」「ガレージ」「テスラの魂」「Anna Bach」「闘鶏」「ローデシア」「破産の幸福」「寒暑」などである。

 


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羽生結弦の神業演技と醜い広告

2015年12月14日 | Weblog

 スペインのGPファイナルで羽生結弦選手はNHK杯に続いて世界最高得点で2位の選手を大きく引き離して優勝した。羽生選手の演技にはただただ息を呑むばかりであった。羽生選手の演技は使用曲の「SEIMEI」にのるというより優しく後押しされるかのようであった。私は野村萬斎主演の映画『陰陽師』は観ていない。まさか能とか歌舞伎の日本の古典芸能の音楽がフィギュアスケートの演技曲になるとは。スペインのバルセロナの会場の観客にも驚きであったに違いない。TBSの『サンデーモーニング』のスポーツコーナーで柔道のオリンピック金メダリストの古賀稔彦が「羽生選手の演技は陰陽師が乗り移っているようだ、神業だ。もしかしたら彼は陰陽師の生まれ変わりかもしれない。そういうふうに感じる。それくらい極めている」とコメントした。納得。

  テレビ朝日の『題名のない音楽会』でも雅楽演奏家の笹本武志が『SEIMEI』のアレンジ曲を龍笛で管弦楽団と一緒に演奏した。素晴らしかった。羽生結弦は「外国人が見た日本の素晴らしさを客観的に表現したかった。振り付けはあえて日本人ではなくカナダ人のシェイリー・ボーンさんに依頼しました」と言っている。演技だけでなく使用曲や振付にまで緻密な配慮がうかがわれる。それらすべてをフリーは4分20秒~40秒にまとめ上げられる。神業と古賀稔彦は言ったが、隣で演技を観て涙する妻の姿はそのことを実証するかのようだった。

  17歳の宇野昌磨選手、女子の17歳宮原知子選手の健闘も素晴らしかった。浅田真央の表情がいつもと違っていた。いつもの彼女の演技ではなかった。

  熱心に観戦していた妻が言った。「こんなに素晴らしい演技をみな真剣に演じているのに一番いい場面の背景に宣伝かなんかの車なんか展示して邪魔」 妻の言う通りである。東京を含めた東南アジアの繁華街であるまいし、スケートリンクの周りの柵にゴテゴテ描かれた広告の見苦しいこと。フギャアスケートという優雅さを競う競技に不釣り合いな会社が多い。サッカーにしろ野球にしろ今はテレビの放映権で莫大な金が動く。主催者はいくらでも他の収入が見込まれるはずである。なぜ観客にあのような見苦しいモノをみせなくてはいけないのか理解できない。夢のような神業的演技が台無しである。選手たちの晴れ舞台を汚している。

  常々思うことがある。映画館で映画を観るのが最近苦痛である。これを観ようと決めて映画館へ行っても、目的の映画を上映する前に長々と上映予告編を見せられる。予告編だけではない。録音するな。録画するな。前の席を蹴るな。上映中はお静かに。携帯はオフに。当館以外の飲食物を持ち込まない。料金取ってあれするなこれするな、挙句の果てにテレビと同じCMを見せられたり変な紙人形の小話的動画を見せられる。料金は観たい映画に払っているのであって、映画館会社の儲けの手助けを願い出ているわけではない。民放のテレビ局は広告収入で視聴者が観たい番組を視聴者には無料で提供する。だから我慢する。でも映画館では入館料を払う。

  美しいものを観賞するときまで、宣伝広告が介入するのは演技者演奏者への冒涜であり、観客への奢りである。


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コンビニだらけ

2015年12月10日 | Weblog

  また新しいコンビニが開店した。それも20台はとまれる駐車場つきである。セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルケイサンクス、ヤマザキストア、ミニストップなどの大手のコンビニは私が確認しただけでも13店を超す勢いだ。人口2万そこそこの小さな町である。私たちがこの町に住み始めた10年前、コンビニは1店しかなかった。駐車場もなくただ道路に面しているだけの魚屋、八百屋、お菓子屋、パン屋がどんどん廃業してシャッターを下ろしたままの店が増える。一方大きな駐車場を持つコンビニが次々に開店した。

 ちょうど妻を駅に送る午前7時近辺、迎えに行く午後6時近辺はどこのコンビニも駐車場がほぼいっぱいである。あれほどの車や人がこの町に存在するのだと驚く。日中はさほどの混雑はない。この時間帯は食事時間にあたる。多くの客が食事を求めてコンビニに集まる。

 私が住む集合住宅の隣に寺の駐車場がある。この2,3年毎晩軽自動車が来ていた。駅のそばで放火殺人事件もあり近所で何軒か泥棒に入られた。交番の警官が着任の挨拶に一軒一軒訪ねてきた時、警官に隣の駐車場に毎夜来て夜を明かす軽自動車のことを話してみた。警官は「不審者ではありません。夫婦喧嘩していて家に帰らずに車の中で寝泊まりしているだけです」と言った。軽自動車の窓はいつもバスタオルのようなもので覆われているので女性だったことを初めて知った。私は余計に心配になったが、警察は大して問題にしていないようだ。夫婦喧嘩が原因で2年も3年も車の中で寝られるなんて私には考えられない。そんなある日ガス代金をコンビニで支払うために妻を駅に送ってから立ち寄った。車で寝泊まりしている女性の軽自動車を見つけた。女性は車内で手にコーヒーのカップを持ってパンを食べていた。

 私は納得できた。夫婦喧嘩で家を出た女性が車の中で暮らせるのもこうしたコンビニがあるからなのだと。女性は仕事を持っているらしい。なぜなら毎日決まった時間に寺の駐車場を出て行き、夕方に帰って来ていた。私は彼女がトイレや入浴はどうしているのかと心配した。トイレは駅でも会社でも使える。風呂だって日帰り温泉へ行けば事足りる。食事はコンビニで済ませることができる。

 私は日本の未来を憂える。なぜなら私の生活の中で食事はもっとも大切なことである。面倒な事をして美味しい食事をつくる。食べることが大好きだから、美味しいものを食べていると幸せを感じるから続けている。コンビニで売られている食べ物を食べ物と認められない。だから食べようと思わない。

 いろいろな国で生活したが、コンビニのある国で暮らしたことはない。毎日献立を考え、買い物して調理するのはしんどいことだ。それでも家族が客人が喜んでくれるのを思い浮かべて面倒くさい作業をする。

 一見便利だと思われることコンビニ、携帯電話、パソコンなどが実は日本人を劣化させていると思えて仕方がない。みなそうやって得た時間をどう使っているのか不思議でならない。家の外で出逢う人々がみなやる気満々元気溌剌にはとても見えない。それはきちんとまともな食事をしていないからだと私は思う。

 そう言えばこの数週間、隣の寺の駐車場に軽自動車が来なくなった。あの夫婦に何か進展がみられたのか。夫婦が温かい部屋で手足を伸ばしてゆったり美味しい手作りの食事を楽しめるようになっていますように。


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不法投棄 粗大ごみ

2015年12月08日 | Weblog

  数か月前から始めた身辺整理が進み、だいぶ家の中が片付いてきた。ゴミとして出せるモノはせっせと小分けして集合住宅のゴミ置き場に出した。先週、自分の車に積めるだけの粗大ごみを積んで、市営のゴミ焼却場へ運んだ。そこはエコ・プラントと呼称がある廃棄物焼却場と廃棄物再生利用施設だ。山の中腹にあり、我が家から車で20分ぐらいかかる。

 入り口に受付がある。ここで車と粗大ごみの重さを計測する。重量が書き込まれた書類がはさんであるクリップボードが渡される。車に乗り込んで路上に引かれた案内線に従って建物の中へ入る。係員に誘導され所定の位置に車を止める。係員に粗大ごみの種類を尋ねられる。「寝具と家具です」と答えた。「別々なので寝具だけここにおろして、もう一度入り口の受付に行ってください」 寝具を降ろした。また先ほどの受付に戻り、再び車の重さを量った。クリップボードの種類に係員が手際よく書き込む。再度工場内へ戻る。家具を降ろす。係員のサインをもらって受付に戻る。ここで料金を払う。家具が300円、寝具は60円だった。

 家に戻った。天気が良かったので散歩に出た。住んでいる集合住宅から50メートルくらい離れたところを通った。以前はプロパンガスの販売所だったそうだ。道路に沿って幅約10メートル、奥行き約4メートルの敷地である。プロパンガスのボンベの積み下ろしに便利なように荷台の高さ約1メートルのコンクリートの壁が造られている。敷地全体は竹藪になっている。竹藪の中に先月にはなかった粗大ごみが積み上げられていた。

 まだこんなことをする不届き者がいる。行政がここまで懇切丁寧にゴミや不用品や粗大ごみの処理処分に力を入れてくれているのも関わらずにである。私はネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシアのサハリンに住んだ。下水処理場もなく、ゴミ処理場もない。下水は海や川に垂れ流し、ゴミは場所を変えながら積み上げ、火をつけ燃やす。貧しい国ではゴミ捨て場に多くの人、特に子どもたちが群がり、金目のものやまだ使えそうな物を漁っている悲惨な姿も見た。

 この数日中国の首都北京の大気汚染の警報を4段階「青色」「黄色」「オレンジ色」「赤色」の最高レベルの「赤色警報」を発令したという。折しもパリでは国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)がパリで195ヶ国が参加して開催中である。これだけ気候変動が進行して大気汚染海洋汚染が悪化していても、なお各国は自国の擁護と主張を繰り返している。

 日本の経済は停滞したが、環境保全の面では世界でもトップクラスである。下水処理場やゴミ焼却場の性能も良く、水質にも大きな改善がなされた。ゴミ焼却場もダイオキシンなどの有害物質の除去装置の研究も進んでいる。これほどまでに技術や社会インフラ整備が進化しても、それを享受できない輩がいる。自分の身の周りから排除すれば、あとは誰かがやってくれるという無責任な甘えである。現在の環境悪化は、このような個人の集大成からなされた。国家も個人と同じレベルである。環境の汚染、破壊などの防止は、根源を絶たなければならない。違反者を罰することも必要だ。

  提案がある。防犯カメラはいたるところに設置されている。性能も向上し安価で手に入る。交通事故対策に車載カメラを取り付ける車が増えている。空き地所有者にゴミ不法投棄防止の赤外線カメラの設置を義務付ける。イタチごっこではあるが、一定の効果は期待できる。

今朝この不法投棄された粗大ごみの上に更に新たに粗大ごみが積み上げられていた。ゴミの中にカメラを設置すれば見つからないで撮影できるのではと考えた。


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ご苦労さま 目上 目下論争

2015年12月04日 | Weblog

  11月22日夜、大阪の知事と市長のダブル選挙投票所を訪れた男(47歳)が投票管理をしていた男性(70歳)の「ご苦労さん」に激怒して「『ご苦労さん』は目上の者に使う言葉ではない」と言って、投票所の机をひっくり返した。その上投票管理者の頭を平手打ちして「机の角を脳天に突き刺すぞ」と脅した。大阪府警は公職選挙法違反容疑でその男を逮捕した。

   朝のテレビに『毎日百歳』という企画があり私は興味深く観る。ある朝百歳を超えている男性が言った。「人に言った方がいいと思ったことは言ってあげる」 薀蓄のある言葉である。日本人の多くは他人とのトラブルを避けようとする。私も言いたくても口に出さないほうである。

  カナダの学校生活で戸惑ったのは、誰もが自分の考えを主張しあうのが当たり前という環境だった。授業中でも日本なら教師に「そんなこと訊くな」「黙っていろ」と言われそうな場面でも教師と生徒が真剣に言葉の応酬があり、周りも容認していた。学校だけでなく、どこでも皆、言いたいことを言わなければ生活できないと感じた。

  日本人の事なかれ主義、長い物には巻かれろ主義、権威主義、年功序列などの慣習は、まず日本の学校で形成される。私は小中学校高校の教室の構造にも問題があると思っている。平面な教室に一段高い教壇がある。教師は生徒を見下ろす。目上、目下の違いを徹底するのに大いに役立つ。初めてカナダの階段式講義室に座った時、私は「これだ」と思った。学生が教授を見下ろす。教授は学生からの“目下”の位置に立つ。学生は一斉に教授を見下ろす。スキあらば教授にギャフンと言わせようとする。教授は孤軍奮闘、学生に学識と知性で立ち向かう。

  日本人の意識改革にはまだまだ時間がかかる。大阪の47歳の「ご苦労さん」事件は、論点そのものに問題はない。悲しいことに相手を説得させる話し方が未熟稚拙である。『毎日百歳』のおじいさんの「人に言った方がいいと思ったことは言ってあげる」の気持が抜けている。それではチンピラのイチャモンと同じである。

  私の妻は私に「あなたは私にあなたの言いたいことをどんなことでもストレートに言うのに、どうして自分の子どもにも孫にも他人にも私と同じようには言わないの」と指摘する。確かに反省すべき点である。負け惜しみではないが、妻には心を許している状態なのである。しかし妻以外の関係には、いまだに日本人としての身に沁みついた古い呪縛に捕われている。

  国語辞典編纂者で日本語研究者の飯間浩明さんは「『ご苦労さま』も『お疲れさま』も、目上に使えないということはありません。かつては主君に対する臣下のあいさつとして、警察や自衛隊の改まったあいさつとして『ご苦労』がつかわれていた」と見解を述べている。そう言われても拭い難い“しこり”は残る。

  私は「ご苦労さま」と、宅急便の若者、郵便局員、道路掃除をするボランティアの人々、集合住宅の管理人につい不用意に言葉にしてしまう。そして言った後、必ず不快感を持つ。気持ちは感謝でいっぱいなのに、へたな知識や経験が邪魔する。そうだ、私の辞書から「ご苦労さま」も「お疲れさま」も外そう。これからは「ありがとう」と「かたじけない」でいこうと思う。


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