日本各地で水道管の老朽化による問題が噴出している。今ある水道管を新しい管にすると1キロメートルにつき約1億五千万円かかるという。
私が住む集合住宅の前の市道でその水道管交換工事が始まった。例のごとく、道路の舗装を水道管が埋まっている部分だけ剥がし掘る。狭い道路、それでも交通止めにせず、片側を小型車なら通れるように工事は進められた。交通整理と歩行者の安全確保のために警備会社の警備員が配置された。ほとんど交通量もなく、歩行者は生活のためでなくウォーキングの人が多い。警備員は暇で注意散漫、私が車で買い物に出ようとしても私の車に気が付かない。工事している作業員に促されて、やっと慌てて旗を振る。
なぜここが水道管の交換工事の対象になったのか不思議だ。どこでも水道管の老朽化は問題になっていて、日本の現在の老朽化した水道管をすべて取り換えるには130年かかると言われている。私はここの水道管交換工事は、きっと100年から下手すれば130年後と勝手に決め込んでいた。それなのにここが選ばれた。私は宝くじが当たったように喜んだ。住む人も少なく、有力な政治屋もいない。1キロ1億五千万円の工事が目の前で行われている。騒音や不便さも気にならない。ドリルが「ドドドッドドドドドドドドドッ」と鳴り響き、家の窓ガラスが振動しても我慢できる。
工事が集合住宅の前で行われた日、歩く好奇心とかつて言われた私はとうとう我慢できず、両手を後ろに組んで見学に外に出た。作業員が4人いた。まず挨拶。一番偉そうな人に「ちょっと見させてください」と話しかけた。「どうぞどうぞ」と愛想がいい。調子に乗る私、「古い管はどうされるんですか」。「そのまま」「そのままって掘り出さずに埋めておくのですか」「新しい水道管に送水できたら、掘り出すんよ」
大きな疑問が解けた。私は水道水を止めないで水道管を換えるということは、漫才の春日三球・照代の「地下鉄はどこから入れたの?それを考えると一晩中寝られないの」と同じくらい疑問に思っていた。現場監督のおじさんは、丁寧に説明してくれた。栓と栓がある区間を工事して新しい水道管を施設したら両側の栓と接続してゆく。それぞれの分野に独自の技術方法が開発されて進化している。感心しきり。
掘り出された古い土管の水道管と鋳物製の水道管を見た。中はサビや化合物で半分以上が詰まっていた。今年1月に私の心臓の血管が詰まっているのが見つかり、カテーテル手術でステントを入れた。生きている血管だって詰まる。水道管が詰まって当たり前。青く着色された新しい水道管を見せてもらった。研究改良されてサビたり詰りをできるだけなくすようになってきているそうだ。私は膝下の動脈にも閉塞が見つかりショックで落ち込んだ。水道管だってここまで進化している。きっと血管の狭窄や劣化老化も新しい治療法が出てくるだろう。期待が増す。
水道管交換工事が終わり、道路の舗装もやり直された。見苦しいアスファルトの度重なる掘り返しで、できたパッチワークが無くなった。前より道路のデコボコが減り走りやすくなった。感謝している。それにしても行政は、いつかは水道管がこうなることを先見の明で見通すことができなかったのか。工事のたびに掘り返さずに済む、共同溝の普及を願う。