団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

イスラム国

2014年09月30日 | Weblog

  テリー・ヘイズ著『ピリグリム1・2・3』(ハヤカワ文庫 各860円+税)を読んだ。8月25日に第1巻が発売になり、9月15日に第2巻、そして9月25日に第3巻が発売された。第1巻を読み終わって、即、続きを読みたいと発売日が待ちどうしいと思ったのは、子供の頃夢中になった漫画週刊誌以来である。正月を指折り数えて、♪もういくつ寝ると♪と歌って待つ気分だった。第3巻は最初9月下旬とだけ発表されていたので、20日頃から書店に行きチェックし始めた。妻がインターネットで調べてくれて25日発売とわかった。25日に書店へ行ったが入荷されていなかった。ベストセラーではないようだ。26日やっと手に入った。本の世界に引き込まれるように没頭した。ハラハラドキドキしながら私にしては凄い速度で読み進んだ。だんだん結末に近くなるにつれて、「これで終わってしまったらさみしくなるな」という思いと早く結末を知りたいがせめぎ合った。結局、読む速度にブレーキがかかった。惜しむように一語一句一文を読んだ。そして読み終わった。数日間活字中毒から解放された。読書家だった亡き児玉清もこんな読後感を書いていた。

 私は今までにキリスト教、仏教と関わった。現在は神を信ずることができない状態でこの世を放浪している。カナダのキリスト教の高校で学んだ。離婚前後には長野の禅寺へ2年間坐禅に毎日通った。私自身が空中分解しそうなほど精神的に混乱した時期である。長い暗黒時代を通過して現在の妻と結婚した。妻の仕事の転勤について海外で12年間5ヶ国に暮らした。宗教でいうとヒンドゥー教、イスラム教、セルビア正教、イスラム教、最後にロシア正教の国であった。どの宗教をも第三者として傍観できた。宗教は阿片だ、という冷淡な立場で観察してきた。

 27日土曜日、突然の噴火で大勢の犠牲者を出している御嶽山は信仰の山である。日本人は八百万の神、自然を信仰の対象とする。私の心にも否定できない自然への信仰に近い畏敬の念がある。イスラム教徒にとっては偶像崇拝の極みであろう。どの宗教も異教徒、無神論者、自分の信仰を明言しない人間を敵視する。イスラム教はとりわけ異教徒に厳しい。その上アジアのモンゴライド人種には差別的である。私自身どれほど「シノワ」と吐き捨てるように言われ侮辱されたか。私は理由を探った。ひとつには“シノワ”がイスラム教と最もかかわりの少ない人種だから。もうひとつは英国フランスなどの旧宗主国が中国人を安い労働力として植民地のイスラム諸国に入れた。ちなみにシノワはフランス語で中国人の意である。その“シノワ”でもイスラム教に帰依した者は、数は少ないが嘘のような待遇を受けるのを何回も目の当たりにした。

  ISISイスラム国というイスラム教組織はイラク・シリア・イスラム国の名前の通りにイラクとシリアの中で活動する。英国、ヨーロッパ諸国、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどへ移民して市民権を持つ若者が3千人参加しているという。彼らの多くは、キリスト教徒が多数を占める西洋諸国で教育を受けた。今までのイスラム教組織とここが違う。彼ら外国人部隊はインターネットを駆使した近代的手法で仲間を募り宣伝流布する。市民権を有する国からの情報も取りやすい。接し方にも長ける。キリスト教社会で苦労したのでイスラム教への信仰も厚い。手ごわい相手である。テレビのニュースではイスラム国の兵士たちが荷台に機銃を設置したトヨタのトラックに分乗して車列を組んで意気揚々と行動する光景が映る。

 『ピリグリム1・2・3』はアメリカとテロ対策でイスラム過激派との戦いを描いている。よくあるアメリカ良い者、テロリスト悪者と決めつけたアクション物語ではない。現在のイスラム国を頭に思い浮かべて読むと臨場感と深い宗教への洞察に圧倒される。命がけでイスラム教を信仰するピリグリム(巡礼者)が小説に登場する一方、それを珍しいもの見たさで覗き込む私のようなただの流浪者でしかない読者がいる。英語のPilgrimには巡礼者と流浪者二つの意味がある。そこには“宗教的な”と但し書きがつくと私は理解する。そして私がそうである流浪者には、但し書きがない。


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神戸6歳女の子岡山2歳男の子

2014年09月26日 | Weblog

  神戸の小学1年生の女の子、生田美玲ちゃんが殺された。たった6歳だった。体をバラバラに切断されビニール袋6個に分けられ雑木林に放置された。私は軽率にも妻を駅に車で送る時、「こういう事件って親や親戚が関わることもあるのかな」と言った。妻は「自分の子どもを殺すことはあっても、バラバラに切断する親はいない」と言い切った。会話はそこで途切れ、妻は駅で降り電車で出勤していった。

 夕方私は買い物を終え夕食の準備に入った。いつもの魚屋でいいアジを買った。出刃包丁で頭を落とし3枚におろした。丁寧に骨を道具で抜いた。塩をして小麦粉を刷毛で塗る。油で火を通した。厚揚げ、戻した干しシイタケを加えて炒める。出汁を入れ煮る。醤油、砂糖、塩、酒で味を調えた。大根おろしをガーゼで軽く絞って煮立った鍋に入れひと煮して完成。盆に二人の箸、薬、取り皿などを用意して妻が帰宅したらすぐ夕飯にできるようにした。午後5時30分を過ぎていた。妻を駅まで迎えに行くまであと40分あった。テレビのニュースを観た。

 岡山大学病院で2歳の男の子が母親の肺を移植する手術が成功したという。その手術前、手術中、手術後を取材した記録だった。担当執刀医は大藤剛宏准教授。男の子のベッドを4人が取り囲んでいる。男の子の呼吸は弱まり、目を閉じたままだった。たくさんの管が挿入されていた。体全体を上下させ、止まりそうな呼吸を懸命に引き延ばしていた。大藤医師が言った。「勝算はありますけれど保証はできません」 神妙な面持ちで両親と祖母が聞く。「どうでしょうか、やりますか?」 両親祖母3人同時に「ハイ」と言う。

 世界初の肺区域移植手術は成功した。移植するための摘出手術を受けベッドで大藤医師から「成功しましたよ」の言葉に嗚咽する母親。妻の言う通りだ。親は子どものために身を投げ出す。できることは何でもする。私は自分の失言を深く反省した。

  手術成功の2週間後、2歳の男の子は目を普通に開けていた。呼吸も手術前よりずっと楽そうだった。お母さんからスプーンで食べ物を口に入れてもらっていた。

  一方神戸の女の子の事件の犯人が死体遺棄の容疑で逮捕された。47歳の男である。黙秘しているそうだ。最近書店で『性犯罪者の頭の中』(鈴木伸元著 幻冬舎文庫 780円+税)を買ってあった。犯人逮捕を知ってこの本を読み始めた。著者はNHKの報道ディレクターである。この著者も『殺人者はそこにいる』の著者の清水潔記者と同じく足で地道に取材している。増え続ける子どもへの性犯罪について述べている。「『同世代の女性には“拒否される”恐れが高く、接近できないとすれば、拒否できない、あるいは拒否を無視して性行為を行える子どもを対象とすることが少なくない。子どもを対象とする加害者は、“言うことを聞きそうな子”“起きたことを他の人に話しそうにない子”を見抜くのが極めてうまい』大阪大学藤岡教授『性暴力の理解と治療教育』を引用して犯行を繰り返していくなかでの“自分がスキルアップしていく感覚”が犯罪の基となる。犯罪者に共通するのは日常生活での“満たされなさ”である」(p57、58)

  大藤医師のように人間の命を守るために体にメスを入れる貴い仕事もある。医師のメスで自分の体の一部を切り取ってもらい息子に移植してもらう強い母がいる。自分の欲望に振り回されてたった6歳の子どもをバラバラに切り刻むホモ・サピエンス(知性人叡智人の意)のできそこないがいる。

 私のような凡人主夫は生きるための食事の用意で肉や魚を包丁で切る。留学したカナダの学校でサバイバル教育の一環として豚、ニワトリを殺して解体処理する体験を十代後半でした。妻が赴任した国々でこの経験が役立った。切れる包丁もナイフも恐ろしい。動物は食べなければ死ぬ。生きている限り、ただひたすら食べ続ける。生きるために殺す。性的欲望を満たすためだけに殺すことはしない。私はいつも疑問に思う。日常生活に満たされないという犯罪者は、自分でも家族でもが食材の下ごしらえからしてつくった食事をしたことがあるのだろうかと。なぜならまともな食事の準備には相当な時間がかかる。家族と友人と和気あいあいと一緒に食べるにも時間がかかる。食べることをおろそかにしてはならない。まともな食生活はまともな人間生活の基礎だ。働かずに生活保護を受けて、食べ物はコンビニや店で出来合いのモノを買って食べて、酒を飲んでよぱらっていて日常生活が満たされないって。ふざけるな。そんな生活ができるのは満たされ過ぎているからだ。甘えるな。一度ニワトリを殺して解体処理して食べてみたらいい。私は吐いた。こんなことを強いる学校の教育方針を呪った。その後、私は感謝で満たされた。


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ダメッとコラッ

2014年09月24日 | Weblog

  朝のうちに散歩をすませようと思ったが雨が降りそうだったので待つことにした。午後になると晴れてきた。ずいぶん涼しくなった。今年の夏の暑さを思えばこのくらいの気候が散歩にはちょうど良い。東海道本線の鉄橋は橋げたが高く地上20メートルはある。上下線2つの橋が約15メートルの間隔で平行している。ドームのような空間ができている。

 散歩コースのあちこちに曼珠沙華の真っ赤な花が咲いている。この花、場所を選ばず咲けるところならどこにでも顔を出す。鉄橋手前の馬頭観世音の石碑の周りにもたくさん咲いていた。カメラで真上から花を接写モードで何枚か撮影した。散歩途中ではいつも被写体を探す。セミ、蛇、トンボ、サギ、鴨、猿、花、草、木、人、雲。手にカメラのヒモを通していつでも写真を撮れる体制で歩いていた。鉄橋の下の土手の川の近くで2人の男性がいた。ひとりがカメラを何かに向けていた。好奇心が信号を発した。私は数歩歩道から外れて何の写真を撮ろうとしているのか確かめようとした。

 イノシシだった。でかい。右脇腹を下に横たえられていた。縦2列に乳房がふくよかに並んでいた。体は静止していた。微動だにせず目を閉じている。死んでいる。ライトバンの後ろが開いていた。いろいろな農機具やらシートが積み込まれていた。左側に平らなスキマがあった。下に敷かれたキャンバス地のシートに血が付いていた。70歳をゆうに超している男性がイノシシの後ろに“平成26年9月18日 体重87キロ ○○○○”と書かれた看板の傾きを調整していた。私はとっさに「すみません、写真撮っていいですか?」と尋ねた。「ダメッ」 坐禅で「喝っ」と和尚が警策を振り落すような形相で言った。腹の底から出る野太い強い口調だった。。私はハムスターのように固まった。何か悪いことをして叱られたような気になって直立不動になった。男性は何もなかったようにイノシシの左側を回ってカメラで写真を撮り始めた。無視。私は筋肉の緊張がだんだん解け動けるようになったので足音を立てぬようその場を離れた。

 長野県で小学校低学年だった時、近所の畑から古銭がざっくざくと大きなカゴに一杯掘り出された。近所の子どもたちがわんさと集まって掘り出した農家のおじさんを取り囲んだ。おじさんは得意げだった。子どもたちの多くが古銭を手に取り、返す返す顔を近づけて見入っていた。こんな時考えることはみな同じである。ネコババしようとみな無い知恵を絞っていた。いじめっ子のSが古銭を一枚ポケットに入れようとした。おじさん、すかさず「コラッ」と怒鳴った。Sは古銭をカゴに戻した。私も手に取った古銭をカゴに戻した。

 近ごろ「コラッ」も「ダメッ」も聞いたことがない。私も孫が3人いるが彼らに一度だってそう怒鳴ったことがない。怒鳴りたいことはたくさんある。集合住宅の共同温泉浴場でよく遭う洗い場で頻繁に痰を吐き鼻をかむ老人には一度「コラッ」か「ダメッ」と雷のように落としたい。電車や街で無作法な輩にも大声で怒鳴りたい。小心者の私はどうしてもできない。イノシシの写真を撮ろうとして力いっぱい「ダメッ」と言われ嫌な気分はしなかった。ダメなものはだめである。彼のイノシシだ。私も彼のように思いきり言ってみたい。一生無理だろうな。私の父も私を怒鳴りつけたことはなかった。そのツケが今私にまわってきた。私のようなタイプの人間が止めておけばいいのにある日突然、無理して怒鳴って相手を逆上させ、ナイフで刺されるような気がする。だから最後の日まで我慢するしかない。


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ブランドとネーミング

2014年09月22日 | Weblog

  食品スーパーの野菜売り場のトマトコーナーへ行くとその種類の多さとそれぞれについた名に驚く。今年は天候異常で野菜の値段が高騰している。日本では野菜栽培の工場化が進んでいて衛生面から温度肥料光量などの環境までもコンピューター管理され、土を使わない水耕栽培もある。生産したら売らなければならない。競争が始まる。ブランドやネーミングの出番である。聞いたこともない名前が多い。私はトマトが買いたいのである。ブランドや名前は関係ない。料理の材料に旨いトマトは期待しない。旨いというのは、甘いと同義らしい。

 しばらくトマト売り場で客がどういうトマトの買い方をするのか観察してみた。まず私と同年輩の女性買い物客が「高いわね」と一番値段の安いパックを選んでカゴに入れた。次に仲良さそうな母娘「トマト種類が多くて」 「ママ、綺麗なのがいいよ。あれどう?赤、黄色、緑、紫。綺麗!」 「高すぎるわ。4個で500円。一個100円以上よ」 結局母娘は180円の“桃太郎”を1個触って、比べて慎重に選んだ。今度は老夫婦。夫は迷いもせず一箱6個入りの“アメーラ”1580円をカゴに入れた。10分ぐらいの観察で、客は家族の健康のことを思いトマトを値段で選ぶのが主流らしいと判断した。種類が多く選べることは良いことだ。私は料理に使うトマトとサラダに入れる値段が安くて赤の濃い艶のあるトマト2種類を買った。あえて名前に注意を払わないようにした。

 町や駅の飲料自動販売機の商品の名前もどんどん変わる。“金の微糖”があったと思ったら今度は他社が“至福の微糖”ときた。敵もさるもの引っ掻くもの。消費者はメーカーの売らんかの策による言葉遊びに心乱される。受けては不利だ。微糖と言っても他人によって量の基準は違う。亡き義父はコーヒーに5グラム袋入り砂糖を3つから4つ入れた。海外でもコーヒーカップの半分ほどの砂糖を入れて飲む国が多かった。飲料メーカーはいろいろ調査研究して製品を販売する。競争が激しいのであろう。時々消費者を通り越して、企業同士のつばぜり合いしか目に入らない私は何もかもメーカーに任せず、コーヒー豆の種類砂糖の量ミルクを入れるか入れないか自分で決めたい。だからどうしても外で水分補給しなければならない時は水を買う。

 大量生産大量消費が世界に浸透するにつれてブランドの力が失われてきた。ソニーはとうとう配当をゼロにする。私は1993年まだソニーが世界のブランドだった頃、妻の海外赴任に同行して日本を出た。海外での日本ブランドの評判と勢いに胸躍らせた。しかしそれ以降転勤して違う国に移るごとに日本ブランドの凋落ぶりを目の当たりにした。2000年チュニジアにいた頃、家電売り場のブランドは韓国と中国になり日本製品は消えていた。

 世界市場は平均以下の消費者層人口が圧倒的である。アフリカ、東ヨーロッパ、南西アジアなどでは購入意欲が爆発的に拡がっている。韓国中国企業は、標準をまずそこに絞った。製品が普及すれば、消費者は次の質を求める。かつてのトヨタのコマーシャル「いつかはクラウンに」の発想を持つ。今は普及段階なのでブランドもメイド・イン・国名やブランドは関係ない。値段が一番の関心である。設備があって従業員がいれば、大量生産はどこの国のどの企業でもできる。もう日本スタイルのモノづくり輸出立国は成り立たない。稼げない。世界の数パーセントの金持ち相手の個人や小さな町工場で芸術的高額商品をコツコツと作るか、モノでなくアイデアやシステムやノウハウを売るしかない。ロボット工学、生産システム、農業、バイオ化学、先端医療など有望な分野が日本にはある。生産はどこの国のどの企業でもできるが、材料の製法、生産方式、人工頭脳の設計設置,おもてなし、観光、教育などのソフトはそうはいかない。

 あまりに多いトマトの種類と名前、飲料自動販売機の缶コーヒーの種類と名前を思い出しながら、私は日本が現状から一歩前に踏み出し新しい領域に活路を見出すことを願っている。


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ネットショッピング 

2014年09月18日 | Weblog

  妻の休日に合わせてウォーターベッドのシリンダーの水を換えた。一年に一回の大仕事だ。組み立て式のベッドを分解する。長さ2メートルの筒状シリンダーの両端を妻と二人で持ち風呂場まで運ぶ。重いので妻の足取りがおぼつかない。でも共同作業は楽しい。シリンダーの水を取り替え、水の防腐剤を一錠入れ2重になっているフタをする。シリンダーは全部で7本ある。6本完了した時点で防腐剤の買い置きがなくなった。残る一本のシリンダーに印をつけて防腐剤なしで設置した。

  防腐剤は東京渋谷の東急ハンズでずっと買っていた。今回も東京へ心臓の定期検診で行った時、防腐剤を買いに東急ハンズに寄った。東急ハンズはあちこちに出店されたが、店によって置いてある商品は異なる。東急ハンズという名前だけ同じで、置いてある商品構成は違うことが多い。渋谷店の相談コーナーへ行って防腐剤の売り場を尋ねた。女性係員がまずガイドブックで調べてくれた。「もう取り扱いがないようです。申し訳ございません」 私は「他の店に置いてあるか調べていただけますか?」と聞いた。彼女は新宿高島屋店、横浜店に電話して調べてくれた。どの店にもなかった。こうして次々に売れない商品は淘汰されてゆく。これが合理化である。梯子で上にあげておいて、平気で自分たちの都合で取り扱いをやめる。消費者はたまったものではない。

  最近店に直接行って買い物するのに気後れする。なぜなら、以前取り扱っていた商品を平気で置かなくなる。私が買いたいものを以前買った店で買おうと思って行っても買えないことが多い。最後に頼るのはネットショッピングである。これは凄い。私はこのネットショッピングは好きではない。しかしこれは最後に残された欲しいものを手に入れる手段である。在庫を置かない既存企業や商店は、売れ筋商品だけを扱い利益を追求する。そのうちに店舗そのものがネットショッピングに凌駕されるかもしれない。

  パソコンでアマゾンに繋ぐ。「ウォーターベッド 防腐剤」と入力。発見。一箱2900円。2箱発注。早すぎる。面倒でも店で何万点もの商品から見つける喜びはない。便利かもしれないが味気なさすぎる。私のような年金生活者は、時間がたっぷりある。できればネットショッピングなどに頼らずに自分の足で歩き回って、数ある商品の中から自分が求めるモノを探し出すのは楽しいものだ。

  世の中便利になることは結構だが、このままだと増々人と人との接触が剥ぎとられてしまう。私はたとえ赤の他人であろうと商品を媒体にしてやりとりする会話が好きである。商品知識に造詣が深い店員との会話から学ぶことは多い。貴重な授業である。そういう買い物ができる店は減る一方である。

  横浜中華街でアワビとナマコの乾物を買ったことがある。店の主が「アワビの調理には8,9日かかり難しいですよ。おできになりますか?」 私を風変わりな個人客だと思い気遣ってくれる。「私はもう何度も調理しました。できます」 そこからアワビとナマコ談義が始まりお茶まで頂いた。こんな買い物いつまでできるのか。そろそろ中華街のあの店に行ってみようかな、とネットショッピングで届いた防腐剤を手になぜか思った。


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歯医者さんにほめられる歯に

2014年09月16日 | Weblog

  「歯医者さんにほめられる歯に」これはある歯磨きのテレビコマーシャルのフレーズである。歯医者にほめられる歯なんて滅多にあることではない。

 口の中に赤い染料を入れ、歯の汚れを赤く浮き出す。自分でもあきれるほど口の中の歯は真っ赤に染まる。最初これは歯医者の“やらせ”で予め患者を脅す演出かと疑った。こうして患者をびびらせて高額な治療に誘導する手管だと勘ぐった。

  7月9日磨き残し汚れ度79%8月7日24.1%9月4日10%。遂に9月4日私は歯医者さんにほめられた。だからテレビのコマーシャルで「歯医者さんにほめられる歯に」が放映されると私は画面に向かって口を開け歯をむき出しにする。そして「私、ほめられました」と訴える。

 まだ汚れ度79%の頃、それでも私は夜テレビを観ながら20分くらいは歯ブラシ、フロス、歯間ブラシの歯磨きセットで歯磨きをしていた。糖尿病は、まず歯槽膿漏で私の歯全体をグラグラにさせた。教え子の一人が歯医者になった。彼に連絡して私が通える範囲で良い歯医者を紹介してくれと頼んだ。彼が歯学部に合格した時、「いつか先生の歯を治療できるようなるよう努力します」と手紙をくれた。私はそのことを忘れなかった。直接彼の治療をうけることはできなかったが、彼が推薦してくれた歯医者に行った。今から8年前だった。大きな歯科医院で歯医者が15,6人いる。まず糖尿病が原因の歯槽膿漏の治療から始まった。半年がかりで上下すべての歯の歯肉を切開して歯石除去と歯肉の治療を受けた。痛いし腫れるし食べ物はまともに噛めないし散々だった。しかしそのすべてが報われた。歯槽膿漏は改善されグラグラしていた歯もしっかりした。歯と顎の骨の後退も進行を抑えることができた。最初断られた奥歯2本のインプラント埋め込み手術も可能になった。現状維持のために歯磨きが重要と歯科衛生士から懇切丁寧に指導を受けた。歯の治療はその後ほとんどしなくてすんだ。3箇月に一回の定期検診だけを継続して受けていた。

  以前から上顎左側の歯肉の後退が激しかった。鏡で上唇をめくって見ると、よくこれで歯が収まっていると感心するほど歯肉がなくなって歯の根元がむき出している。歯医者に相談すると「老化現象のひとつで歯医者にできることは歯磨き指導で歯肉の後退を遅くすることしかできません」と言われた。歯に赤い歯垢染色液を塗り歯の汚れを調べられた。歯医者が言う患者の平均の80%の汚れ度だった。特に歯の裏側がの汚れがひどかった。本気で歯磨きしないと歯肉は更に後退する速度が速まり早晩歯が抜けるとまで言われた。

  私は本気になった。80-20(80歳になっても自分の歯が20本残す)が私の目標だ。私が歯磨きに関して、自分でやれることはやったという自負がある。後は一つしか方法はない。妻の出番である。歯の裏を妻に磨いてもらうことにした。毎日5分かからない。私はソファかベッドに仰向けに寝る。妻は懐中電灯で口の中を照らしながら奥歯の歯間まで磨ける山切りカットの特製歯ブラシで一本一本そして歯間を磨く。効果抜群、効果てき面。8月7日には50%以上の改善。そして9月4日の検査では汚れ度は10%だった。歯医者はあきらかにいぶかっているようだった。歯医者さんにほめられた。嬉しかった。歯医者さんは衛生士の女性の指導も讃えた。でも私は歯科衛生士にも歯医者にも妻の協力を伝えることはしなかった。妻こそ私の歯の改善の立役者なのに。私が歯に関してすでに要介護者だと思われたくなかった。まだ見栄をはっている。


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醤油の密封容器

2014年09月12日 | Weblog

  醤油の容器に新しいタイプが加わった。90日間新鮮さを保てるとの謳い文句で容器を2重にして醤油を真空状態で保てるようにした。

 醤油は私たち夫婦が海外のどこに住んでも必需品であった。重くても高くても現地もしくは購入可能な都市で入手した。問題は保存である。冷蔵庫に保管しても停電が多く時間が経つと醤油は変質した。無理もない。冷蔵庫で温度を一定に保つどころか、研究室で実験されているように温度が上がったり下がったりが繰り返される。買った時点で賞味期限が過ぎていることは、海外で売られている日本食品には多い。やがて醤油は、ブルドッグソースの中濃のようにどろっとして、キャップ周りは結晶でザラザラとなる。それでも私は大切に最後の一滴まで使い切った。

 今度の容器なら90日間心配なく海外でも使える。進歩である。あらゆる分野での進歩は私たちの生活を豊かにしてくれる。私は日常生活に密着した改良や進歩に関心がある。醤油だけでなく味醂、酢の容器にもこの特許真空容器がひろがっている。

 私の父親は30代で禿げ始めたと聞いていた。私は60歳になっても髪の毛に問題がなかった。ところが65歳を過ぎたころから一気に髪の毛が薄くなった。私は母方の父親のような白髪になると期待していた。鏡で透ける頭皮を発見した時は下半身が冷たい水に浸かったように感じた。禿げることを覚悟はしているが、洗髪後必ず養毛剤をつけている。この養毛剤の容器もよくできている。容器の口のネジ式キャップの移動で計量と塗布ができる。以前は容器の口を直接頭皮に押し付けると口に埋め込んであるラムネのビー玉のようなものが下がり液を出せた。頭皮を伝わって液体が口に入ったこともある。量を予め計れるようになり、もう養毛剤を飲む心配はない。結構結構。

 妻は便利グッズをけなす。「よく考えもせずに思い付きだけで作った製品なんて」と関心さえ示さず無視している。その妻が醤油の容器を褒めた。私が買ってきた便利グッズや新製品で妻に褒められたのは、これが初めてである。何事も“初”がつく出来事には心ときめく。

 最近買った歯磨きの容器にも驚いた。妻は歯磨きのチューブを所構わず押して歯ブラシに歯磨きをつける。量も多い。私は末端からチューブを空にして巻き上げていく。使う量も少ない。どんなに言っても妻は直さない。今度の歯磨きチューブは二人の長年の争いに終止符を打った。仕組みはわからないがおそらくチューブの中の空気でチューブが常に膨張させられているらしい。だからチューブはいつもパンパンである。どこをどう押してもちゃんと歯磨きが出てくる。感心感心。

 企業が競争に負けまいと創意工夫をこらしている。消費者には良いことである。価格がより安く、品質がより良く、使い方がエコでリサイクルしやすい、そういう商品であればあるほど消費者を満足させる。新しもの好きな私は、そういう商品を発見しては喜んでいる。不平不満で爆発しそうな時は、関心を自然やモノ商品や活字に逃避する。

 「なにがどこにあってどうつながっているのかを思い出すのが年々困難になってきて、世界という円は自宅中心にだんだん縮みつつある」ダニエル・フリードマン著『もう年はとれない』東京創元社 1040円+税 12ページ 同感同感。


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デング熱とムヒパッチン

2014年09月10日 | Weblog

  蚊に刺された。私は集中力に欠けるが、集虫力はあるらしく頻繁に虫に刺される。ニュースでよく聞くデング熱に感染するのではないかと心配になった。東京の代々木公園から発生したデング熱の患者はすでに80人を超した。私が住む町での発症は、まだ報告されていない。私が最初の患者か。大騒ぎになるだろうな。妻も病院への立ち入りが禁止されるだろう。妄想が拡がる。

  刺されたのは背中である。痒みがはしる。洗面所の家の中で一番大きな鏡の前に立ってシャツを脱いだ。鏡に背中を映す。太ったな。肌がたるんでいる。顔を思いっきり回して鏡を見ようとする。痒みがうずく。その痒みをたよりに探す。ホクロが邪魔。あった。小さな赤い腫れ発見。急いで寝室のサイドテーブルの薬類を入れてある引き出しを開ける。アンパンマンが印刷された箱のムヒパッチンを取り出した。洗面所に戻る。

  鏡を見ながら腕が蚊に刺された場所に手が届くか試す。右腕も左腕も届かない。どうしよう。そうだ蟻を食べる猿が木の枝を使って穴に枝を入れ、蟻を獲っていた。私は人間だ。こういう時こそ頭を使わなければ。道具だ。知恵だ。蚊に刺された私の背中の箇所がムヒパッチンに重なりくっつくようにメジャーで測った。壁に両面テープを貼る。ムヒパッチの片隅だけを接着剤を塗ってある面を上に固定させる。背中を押し付ける。何度試してもズバリの場所に貼りつかない。失敗。イライラ。何か長いものは・・・。孫の手のようなモノがあれば、でも我が家にはない。あちこち適当なモノはないかと探す。台所の流し台の洗い桶に菜箸があった。長さはちょうどいい。洗面台に箸を持って戻った。箸の先っちょにムヒパッチンを貼りつけた。右手に持って鏡を見ながら目標地点に移動させようとした。しかし目で見る鏡の中の蚊に刺された箇所と脳が分析指令した手の動きとは真逆である。パニック。キレそう。妻なら背中を出せば、刺された箇所にムヒパッチンをあっという間に貼ってくれるだろうに。蚊は妻が出勤している留守を狙っているのか。痒みはますますひどくなる。何回も挑戦したが結局貼れなかった。痒みは壁に背中を押し付けて上下に動かしてみた。効果なし。

 妻が帰って来るまでの4時間を掻きたくても掻けない欲求不満と虚しさと闘った。帰宅した妻にムヒパッチンを貼ってもらった。さすがである。即効。痒みが消えた。デング熱の心配を打ち明けた。「もうぉ~ニュースで騒がれると何事もすぐ自分に当てはめるんだから」

 セネガルで住んでいた家にもマラリアを媒介するハマダラ蚊がたくさんいた。蚊帳を使った。それでも私たちが蚊帳を出入りする間隙をついて入り込んだ。蚊はりこうである。ハマダラ蚊の羽音は不気味で耳障りなくらい振動が激しい。そこが狙い目となった。私は東京青山の昆虫用具専門店で購入した網目の細かい高級補虫網を蚊専用に持っていた。これが抜群の効果を発揮してくれた。暗闇の中、じっと補虫網片手に微動だにせずにハマダラ蚊が飛ぶのを待った。2年間の妻の任期で、いつしか私は暗闇でハマダラ蚊の羽音だけをたよりに捕獲できるようになった。捕まえた蚊は電燈をつけてスリッパで網の上から叩きつぶした。多くのハマダラ蚊から血が飛び散った。私か妻の血!爆発する復讐心。私のスリッパを叩きつける姿は常軌を逸していたに違いない。蚊を殺すというより、恐ろしいマラリアを撲滅させるという思いがスリッパに力をこめさせた。私はそんな自分自身が怖かった。でもマラリアで日本から遠く離れたアフリカで死にたくなかった。

 代々木公園の蚊から感染したデング熱で日本中大騒ぎになっている。蚊を絶滅させることは到底できない。蚊はゲリラのように忍者のように私たちの近くに潜み虎視眈々と血を奪う機会を窺がう。戦争で同じ人間を殺す兵器の開発競争に明け暮れるより、隔たりなく人類全体を侵す伝染性の感染症に立ち向かうのが先だ。国際化の波に乗って世界中の人々が往来する時代、感染症と人間は果てしない戦いを繰り返えさなければならない。日本の医療、医療機器、医薬品の開発、病院船建造運行能力を結集すれば、エボラ熱、デング熱、エイズなど致死的感染症に宣戦布告できる。そうすることで日本は集団的自衛権を超越した存在となれる。世界から信頼され大切に護られる国家になれる。それも自衛のひとつの方策ではないのか。日本が人類に貢献できるチャンスだ。

 現状はこのところのデング熱の感染拡大に官民一緒になって、ただアタフタしているだけにみえる。情けない。


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頭が高い

2014年09月08日 | Weblog

  散歩の途中、ボランティアの人々が川の中洲の草取りしているのを見た。感心する。麦わら帽子に虫除けのネットをつけモンペに割烹着風の上っ張り。地べたに這いつくばってぼうぼうに茂る雑草を手で引き抜いている。気温は優に30℃を超えている。

 次の交差点に来ると片手に炭ばさみを持ち、もう一方の手にビニールのゴミ袋を持った男性が路肩のタバコの吸い殻や空き缶ゴミを拾い集めていた。腰を屈め頭を下げて一つひとつ器用に炭ばさみでつまみ上げる。

 以前私は「ご苦労様」と声をかけた。鎌倉の学習会で先輩諸氏から「ご苦労様と言うのは、上から目線の物言いだ」と諭され「お疲れさまです」か「ありがとうございます」のほうが良いと教えてもらった。ボランティアやゴミ拾いをしてくれる人々に上から目線で物言える立場にいない。使う言葉で誤解されるのは嫌である。現在私は「おはようございます」「こんにちは」と挨拶して「お疲れさまです」「ありがとうございます」を状況によって付け加える。

 結婚は何事も低いほうの相手に染まる、と本で読んだことがある。私と妻も生活の中でお互いに影響を与えあっている。結婚当初から妻の行動で感心することがある。それは玄関で見られる。妻は出かける時、家の中で履いていた室内履きを腰を屈め頭を低くして揃える。帰宅した時すぐ履けるよう向きを変える。当然履いてゆく靴も棚から出して腰を屈め頭を下げた姿勢で静かに床に置く。私の室内履きや靴が揃えられていない時は、黙って揃えてくれる。自然にやってのける。私は雑である。室内履きは脱いだまま。棚から選んだ靴は、床にポンと投げ落とす。常に腰はまっすぐで頭が高い。躾なしそのものである。その私の低さに妻は頑として迎合浸食されず20年以上自分を保つ。家の中も綺麗に整理整頓清掃できている。偉いと思う。

 普段生活の中でつい示してしまう行動仕草は、その人の生き様を表す。傲慢、尊大な人はいくらでもいる。テレビに映る人々はそんな人ばかりである。しかしそうでない、そっと静かに頭を垂らして生きている人々に遭う機会が何と少ないことか。だからこそ、その出会いはそう快である。

 日本人の平均身長は低い。明日行われるテニスの全米オープン決勝戦にまで勝ち進んだ錦織圭選手は身長178センチ、一方対戦相手のクロアチアのチリッチ選手は198センチである。私が50年前カナダの高校へ編入した。27名のクラスで身長174センチの私より低い生徒は1人しかいなかった。錦織選手に当時の私の身長コンプレックスが重なる。彼の優勝を期待と共に待ち望む。身長が低くても世界で活躍する日本人スポーツ選手は多い。嬉しいことである。背が低いことは悪いことばかりではない。何より「負けてなるものか」の気迫を持つ。その特性を研究創意工夫努力を重ねて活かそうとする。

  長い封建時代、庶民は「下に下に」と権力者への服従を強いられ土下座を命じられた。地面に額をつけて生きた。土と接して生き抜いてきた。日本人庶民の血にその打たれ強い不屈なDNAが脈々と受け継がれているはずだ。悲しい歴史であるが、謙虚謙遜は日本人と美徳となった。自由を得た現代において土に頭を近づける生活は、人間性を高めてくれる気がしてならない。

 散歩の途中、ボランティアの人々が河原につくった花畑でヒマワリを見つけた。2メートルを超す高さの先頭の大きな花ががっくり首を落としていた。重そうだ。実がびっしり詰まっている。種の保存のために水分を絶って乾燥段階に入ったのだ。その様は「実るほど頭が下がる稲穂かな」の日本人の理想像として私の目に映った。


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内閣改造人事配役私の立場

2014年09月04日 | Weblog

  アメリカの映画俳優ロビン・ウイリアムズが自殺したニュースが飛び込んだ。演技派のいい役者だった。彼の出演した映画を観ると、ここまで演るのと役にのめりこみ、追い込む姿に自然さを通り越して、正気を逸しているとさえ感じた。

 私は役者が羨ましい。なぜなら役者は、何にでもなれる。天皇,皇族にも庶民にも。悪人にも善人にも。医者にも患者にも。刑事にも犯人にも。首相にも役人にでも。商人にも職人にも農業従事者にも。キリスト教信者にも仏教徒にもイスラム教徒にも。日本人にも外国人にも。名優は、どんな役にでも天才的な演技力をもってなり切り、観るものを魅了する。そんな名優の数は少ない。

 映画のできの良し悪しは、配役で決まる。外国映画にはcastingと大書して配役を担当した人の名前がテロップで紹介される。日本の映画やテレビドラマでこれを見たことがない。Castは「投げる」とか「目を向ける」という意味がある。配役担当者は狩人のように目を凝らしてその作品の役それぞれに最適な役者を選び出演してくれと声を投げるのが仕事なのだ。日本の芸能界は、世襲を中心としたギルド社会になっている。良い役者がいても、その役者を選ぶ配役担当者が活躍できない。どの映画にもテレビドラマにもその時の人気タレントばかりが起用される。演技力より知名度有名度が優先するらしい。だから原作や脚本が良くても陳腐な演技と配役で見応えが失われる。

 イタリア映画フランス映画英国映画イラン映画などの配役の良さ巧さに感心する。私が名前を知る役者は滅多にいない。映画全体の中で個々の役者の存在が物語に自然さやメリハリや迫力を醸し出す。残念なことに日本の観客の多くは、自分のお目当てのタレントが出演しているかどうかだけが問題であるようだ。どこの国にも役者を目指す人は多い。大勢の役者の中から作品に合う役者を選ぶことは、配役担当者の研ぎ澄まされた狩人の目である。

 安倍内閣は9月3日内閣改造を発表した。いつもの通り各メディアは、誰が留任して誰が新たに入閣するかなどと競馬の予想屋のように当てっこ競争に走る。「末は博士か大臣か」と国会議員になれば大臣になることを目指す。自由民主党には大臣適齢期の議員が約60人いるそうだ。「次は俺だ」自分の適性や能力を度外視して大臣という肩書に群がる。そのような魑魅魍魎の中から大臣職を射止めた議員はみな手放しで喜び勝ち誇った顔をしている。首相には大臣任命権がある。映画やドラマの配役担当とよく似た仕事である。首相にも政治家としての大臣適性者を選び出す狩人の目を持つ配役担当者としての能力が要る。大臣閣僚獲得競争には、血筋、派閥内権力闘争、当選回数、議員としての所属委員会や役職履歴、首相とのパイプの太さ、などが影響すると言われている。今回の内閣の顔ぶれにも世襲議員が大勢を占める。芸能界とよく似ている。違うのは人相だけか。

 私は組織に属さない。2人の子どもに対して、2人が自立し家庭を築いたことで父親としての役目を終えた。孫たちに祖父としての立場はあるが、重い責任はない。今は妻と2人だけの生活である。生涯自由無冠で終えそうだ。不器用で鈍感なので夫という立場だけでも大儀である。バツイチで先の結婚で失敗を経験している。感情だけに任せておけば、何を仕出かすかわからない愚かな人間であることを私が一番自覚している。身の丈をわきまえ、身の程を己に説き諭し、67年かけて得た今の自分なりの立場を大切に守り通せれば、私としては上出来である。


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