団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

サクラ・ウグイス・ツバメ

2024年03月28日 | Weblog

  23日24日25日26日と4日間続いた雨が27日突然朝から晴れ渡った。脚の痛みも軽減してきたので妻を駅に送った後、すぐ散歩に出た。

  24日日曜日、友人夫妻と我が家で桜の会を開くことにした。12時開始とした。1週間前天気予報と桜の開花予報それに去年の私の日記を参考にして日にちを決めた。私の予想は、大外れ。24日、天気は雨、桜の開花は、0.1%未満。それでも友人たちとの久しぶりの再会で会は盛り上がった。去年、クリスマスに友人たち招いて、七面鳥を調理しようと思っていたが、22日に私の母が急に亡くなって会を取りやめていた。七面鳥は冷凍庫に入れたままになっていた。これ以上そのままにしておけないので、桜の会で七面鳥を料理することにした。冷凍の七面鳥の解凍は、3日以上かかった。七面鳥のお腹には、レバー・砂ぎも・栗・タマネギ・食パンを味付けして詰めた。他には、アトランティックサーモンの半身をアランデュカスのレシピでマリネした。桜も天気も残念だったが、調理は大した失敗もなかった。4カ月も客人を招くことがなかったので、酒類も十分ストックされていた。

  桜の会に桜の開花は、間に合わなかった。でも27日朝から気温が上がって、天気も回復した。杖を持って散歩に出かけた。川沿いに桜並木がある。以前の洪水で桜並木の桜の木が8本流されてしまった。並木は、そこで途切れてしまった。法改正で、川の岸に樹木が植えられなくなった。川岸に樹木を植えると洪水で決壊しやすくなるそうだ。現在植えられている樹木は、枯れれば、替わりがないのだ。それを思うと今ある桜の木々が尚更いとおしくなる。

  橋の脇にある桜の木が、私のお気に入りだ。橋のたもとから川に向かって枝を垂らしている。陽当たりが良いせいか、並木の中で最も早く開花する。27日の朝もすでにその木のあちこちで花が開いていた。「ホーホッキョ」「ホケキョ」 耳を疑った。ウグイス!そんな馬鹿な。いくら桜が咲き始めとはいえ、ウグイスまでその桜の木でなく訳ないでしょう。できすぎ。桜の木にメジロがとまって花をついばんでいるのを見たことはある。このメジロ体がウグイス色なので、ウグイスと間違えられやすい。私はやっとこの頃見分けがつけられるようになった。目を凝らして、桜の木の中にウグイスの姿を見つけようとした。いました。ウグイスは、ウグイス色ではない。驚いたことに木には、ウグイスだけでなくスズメもいた。カメラを取り出してウグイスの写真を撮ろうとする。杖がジャマ。橋の欄干に立てかける。足が杖に接触して杖が倒れる。拾う。カメラを構える。望遠を使う。目が望遠の縮尺に着いていけない。モニターはモヤ状態。やっと焦点が定まる。ウグイスはどこにもいない。失意でその場を離れた。

  去年、たくさんのツバメがやって来たボーリング場の近くに来た。何だか軒先が騒がしい。と思った瞬間、ツバメ。1羽、2羽、3,4,5…。ツバメが今年もはるばるやって来た。嬉しくなった。ああ、もう1年経ったのか。いろいろあった1年。でも時間は、着実に前に進んでいる。1年が365日で地球が太陽の周りを1年かけて回っていることも、普段意識せずに生きている。難しいことは、横に置いて、自分の目の前だけの自然を見る。それが私には心地よい。

 サクラ・ウグイス・ツバメを同じ日に見られた。とても幸運な日だった。


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パリダカ 篠塚建次郎

2024年03月26日 | Weblog

  3月18日に日本人として初めてWBC世界ラリー選手権で総合優勝した篠塚建次郎さんが、長野県諏訪市の病院で亡くなった。75歳だった。

 1997年、私は、医務官の妻の任地であったセネガルのダカールに住んでいた。日本人と中国人の違いも分からない現地の人々に、「シノワ」と呼ばれていた。セネガルの首都ダカールは、当時、世界でもっとも過酷なラリーレース“パリ・ダカールラリー”のゴールだった。日本で1969年に公開された石原裕次郎主演の映画『栄光の5000キロ』、1988年公開の高倉健主演の『海へ See you』を私は観ていた。実際のロケ地は、セネガルではなかったがアフリカの砂漠地帯で撮影された。映画でも十分過酷さが感じられた。日本で映画を観た頃、自分がこの目でパリダカラリーを見られるとは、思ってもみなかった。

 ダカールに住む日本人が急遽、応援団をつくってゴールであるダカール郊外のラック・ローズ(バラ色の湖の意:塩分が濃く特別なプランクトンのせいで水の色がピンク色:この湖は、塩の産地でもある)へ行った。治安が悪いと聞いていたので、私は日本から連れて行ったシェパード犬を同行した。数回襲われそうになったが、犬のお陰で助かった。

 パリダカラリーは、コース途中で参加車が暴漢に襲われ、危険だという事でコースが南アメリカに変えられた時期もあった。治安も問題だったが、砂漠地帯で道なき道を走る難攻不落なコースだった。ラリーでなくても、セネガルの道路は、他のインフラ同様まだまだ整備されていなかった。ダカール市内もそうだったが、郊外に出ると、道路は凸凹で車体にもタイヤにも影響があった。運転も凸凹を避けるので、なかなか真っすぐに進めず、穴に入れると強い衝撃で首が痛くなった。

 人々が生活している都市部でさえ、酷い環境なので、砂漠などの道なき道を1万3千キロにわたって走破するのは、至難のわざである。冒険野郎でなければ、こんな挑戦はしない。篠塚建次郎さんは、冒険野郎である。過酷なラリーを1974年から2007年まで続けたのである。

 篠塚建次郎さんの偉業は、1997年のパリダカで総合優勝を果たしたことである。なんと私が、ダカールに住んでいた時の事だった。日本人の応援団は、歓喜に沸いた。海外に住んでいる日本人にとって、住んでいる国で、日本人が何か偉業を達成することほど、現地の在留日本人を喜ばすことはない。アメリカ大リーグの大谷翔平選手が、どれほどアメリカに住む日本人を鼓舞させていることか。

 1997年、篠塚建次郎さんの偉業達成を祝って、日本の大使公邸で祝賀パーティが開かれた。(写真:伊藤セネガル大使と篠塚さん)私は、自分の目で、篠塚建次郎さんのような凄い人を見たことがなかった。あの砂漠を顔を砂だらけにして、走り切った冒険野郎も、車を離れると気さくで穏やかな人の印象が強かった。

 厳しい国での生活の中で、篠塚建次郎さんの偉業に沸いたダカールでの思い出は、忘れられない。篠塚さん、ありがとうございました。お疲れさまでした。


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通訳者は透明人間

2024年03月22日 | Weblog

  通訳者を英語でinterpreterという。以前アメリカ人の通訳をした時、冗談で通訳者は実はinterrupter(邪魔する人、さえぎる人、妨害者)だと言われたことがある。言い得て妙と感心した。私もしばしば通訳をしながらそう思ったものだ。

 カナダ留学から日本に戻った頃は、まだ英語を話すのも読むのも書くのも自分の中では最高レベルだった。今は、コキロク(76歳)となり、日本語さえ問題をかかえている。英語など見る影さえない。通訳として資格を持っていたわけではないが、裁判所に請われて外国人の殺人犯の通訳を結審するまで務めた。私自身は、請われたと思っていたが、呼び出し状には、常に「○月○日何時に○○の裁判に通訳として出頭せよ」とあり、変な気持ちになったものだ。またある会社の外国人技術者の自社製品である機械の操作訓練校の通訳として2年間働いた。青年の船の外国人講師の通訳として乗船したことも5回ある。離婚して子供たちを他県他国に行かせて一人暮らしをしていた時、夜中に突然警察から電話がかかってきた。外国人が事故を起こしたが、言葉が通じなくて困っているので、迎えに行くので助けて欲しいと言われた。支度をして待っていると、パトカーがサイレンを鳴らして家の前にとまった。まわりの家の人たちが、窓やドア越しに覗いているのが見えた。きっと私が逮捕されたのだと思ったに違いない。社会のためになればと思って、できる限り時間が許される範囲で、いろいろな通訳をさせてもらった。良い社会勉強になった。“邪魔する人”“さえぎる人”でなかったことを願っている。

 通訳をして、通訳は、透明人間のような存在だと思った。話す人と聞く人の間で機械的に一つの言語から他の言語に転換する。いくら通訳が「それっておかしいよ。そうじゃないよ」と思っても、私情を一切込めてはいけないのである。言われたことをそのまま転換する、それが仕事なのだ。だから正直、ストレスも半端ない。NHKの国際放送などで同時通訳が入ると、必ず通訳者が交代する。それは、同時通訳は、ものすごい集中力が必要で、長時間続けられるものでないからだ。また感情ある人間が、自分を消して、他に人たちの間に立つことは、実に大変な事である。

 21日の朝、ラジオを聴いていた。7時58分ある番組が終わろうとしていた。そこで突然「只今、ニュースが入ってきました。アメリカ大リーグドジャースの大谷翔平選手の通訳の水原一平さんがドジャースの通訳を解任された…」と第一報を伝えた。さあ、それからラジオもテレビもネットも大騒ぎになった。昨日は、大谷選手の新妻の試合観戦の様子がこれでもかと放送された。新しいチームで初めての公式戦。水原一平通訳も華々しく大谷選手と行動を共にしていた。これから大谷選手がどう新チームで活躍できるかと人々が期待していた。

 通訳経験がある私に、水原通訳の心情を少し理解できる気がする。犯したことは、犯罪である。人間、四六時中、自分が接している人が、凄い選手だったり、社会的に偉かったり、権力者だったり、有名人であったりすると、自分を錯覚してしまうのだろう。私もきっとそういう人間だと思う。だからこそ通訳者は、透明人間でなければならないのだと思う。ただ心配なのは、大谷選手が、法的に選手生活を終わらせられなければと心から祈っている。


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大相撲 両手をついての仕切り

2024年03月18日 | Weblog

 昨日の日曜日で大相撲春場所は、8日目を終えた。今回の場所では、新旧交代の感を禁じ得ない。

 大相撲の場所中、週日は録画して、妻が帰宅してから夕食をとりながら観戦する。晩酌のせいもあるが妻の熱中ぶりは、私にとって相撲の取り組みに負けじ劣らずの見ものである。妻も私も何事においても好き嫌いがはげしい。当然、取り組みによっては、妻のひいきの力士と私のひいきの力士がぶつかることもある。応援のパワーは、妻の方が圧倒的である。私は、常に劣勢に立たされるが、妻の熱の入れようのおかげで、相撲観戦の楽しみが倍増する。大相撲の場所中の15日間は、日常生活の充実度が跳ね上がる。妻は、長距離通勤を負担に感じている。でも大相撲の場所中は、すでに終わって結果が出ているにも関わらず、晩酌しながら観戦するのが楽しみで、通勤に関しての不満を口にしなくなる。私も結構気を遣って妻の帰りを待つ。ニュースなどでその日の取り組みの結果を聞きそうになると、チャンネルを変える。妻と同じ条件で観るために、じっと録画再生の時を待つ。

  土日は、録画でなくて、リアルタイムでの観戦できる。午後4時からテレビを観る。それも4Kで観られる。うちの録画機は、ジデジしか録画できない。画質が4Kに比べて悪い。4Kだとマワシの色、制限時間いっぱい前に使うマワシと同じ色あいのタオル、力士の膚の艶、土俵の土の色、撒かれる塩の白さ、行司の軍配の色・文字・絵柄までが、クリアにリアルに再現される。

  最近タケシさんが、「日本のテレビは、どこかへ行って何か食う番組ばかりでつまらない」と言ったとか。私もそう思っている。かまいたちの山内が薬局で医師の処方箋で薬を受け取る際に、薬剤師にいろいろ医師と同じ質問をされるのが時間の無駄だと言って、批判されているらしい。私もそう思っている。ただそれを口にすることはない。あくまでも個人の感想なのだ。海外で医師の処方箋をもらって、薬局へ行って薬をもらったことが数多くあるが、事務的な対応だけで、日本の薬局で受ける対応とは違った。今の世の中、SNSやテレビで何か言うとまるで無数の検閲を受けているようなことになる。そのせいかテレビでは、極端に言っていいこと悪いことが制限されてしまう。タケシさんが言うようにどこかへ行って何か食う番組ばかりになるのは、難逃れの腑抜け番組の横行という現状をつくってしまった。

  スポーツ実況は、テレビ局の管制を必要としない。観る者が安心して観ていられる。真剣勝負の爽快さ。力士が真剣にきつい稽古を毎日積み重ね、土俵と言う舞台に立つ。舞台と言うより決闘場かもしれない。そんな真面目に努力する力士の裏側で、相撲協会の暗躍が見え隠れしている。宮城野部屋の騒動である。日本人とモンゴル人との確執なのか気になる。

  大相撲の仕切りで、両手を土俵の土につける力士に好感を持ってしまう。その代表が、宇良である。宇良の仕切りは、実にいい。仕切り前、塩をちょこっとつまみ、塩を持つ手をくるっと回す。深呼吸なのか息を吸う。立ち合いに臨む。いろいろ作戦がある中、これと決めて、両手をしっかり土に付ける。爽やかで正々堂々と闘う。たとえ負けた後でも、曇りある悲壮感がない。やりぬいたという相撲が大好きな少年のような顔がいい。

 日本の政治屋も芸能人もテレビ局も、小賢しいunfairでない行動言動をやめて、宇良のような両手をちゃんと土に付け、あらゆる問題にまずぶち当たって欲しい。


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エベレスト山頂が臭う

2024年03月14日 | Weblog

  世界最高峰のエベレストは、登山家によって憧れの山である。私は妻の赴任地がネパールのカトマンズに決まった時、エベレストに登れなくても、エベレストを見る事ができると楽しみにしていた。とにかくマラソンや登山のような苦しいことは、避けて生きてきた。幸い、初めてネパールに到着する前に、バンコクから乗ったタイ航空の窓から、エベレストを見ることができた。ネパールに住めば、エベレストを簡単に見ることができると高をくくっていた。ネパールには、3年半暮らした。その間にエベレストを見たのは、4回しかなかった。

 最近ニュースでエベレスト山頂付近の汚染が深刻だと報じられた。特に人の排泄物で臭いが酷く「山が臭う」とシェルパが言うほどだそうだ。以前から私は、エベレストのような酸素ボンベが必要で気温も低いところで、登山家はトイレをどうしているのか疑問に思っていた。それは宇宙船で半年とか長く滞在する宇宙飛行士に関しても同じ疑問を持っている。多くの報道がされても、こと排泄や排せつに関する記事は、見当たらない。

 エベレストのような高山を登るには、多くの機材が必要である。エベレスト山頂近くには、ロープ、酸素ボンベなどが散乱しているそうだ。気温が極端に低いために人の排泄物は、分解されない。いつまでもそのままで残ってしまう。以前登山家でエベレストの登頂も果たしている野口健さんが、エベレスト山頂付近の汚染を訴え、清掃活動をしていると聞いたことがある。今度エベレストの麓の自治体が、登山隊に対して排泄物の持ち帰りを義務付けた。排泄物を固めて無臭化する化学物質の入った袋を購入してもらい、持ち帰りを求めた。

 人が生きていれば、排泄は必然である。ネパールは、下水道や下水処理のインフラは、遅れている。私が住んだカトマンズの貸家もトイレは、水洗だったが、慢性的な断水で苦労した。トイレの下水は、地下のタンクに入って、底から地中に浸透するという方式だった。モンスーンの季節は、雨の日が続く。タンクから地中に浸透も限界に達し、地上に出てきてしまう。

 知人の高校同窓生のグループが7年前にネパールへ旅行した。そこで上田高校の先輩の故宮原巍さんの家に招かれた。宮原さんは、2019年11月24日85歳でネパールにて亡くなった。(写真:宮原巍さんの荼毘の日のエベレスト:写真中央の煙が宮原巍さん。やっとエベレストに!)私たち夫婦が、ネパールに住んでいた時、大変お世話になった。何回もエベレスト登頂を試みられたが、あともう少しという所で悪天候のため下山せざるを得なかった。さぞかし心残りであったと推測する。知人たちに宮原さんがいろいろな話をしてくれたそうだ。宮原さんは、ネパールの国籍を取得して、政治家になってネパールに貢献したいと活動した。特に国の玄関であるカトマンズのトリブバン国際空港のトイレをきれいにしようと尽力した、ネパールはヒンズー教によるカースト制度でトイレ掃除は、不浄なことと敬遠される。今では空港のトイレは、とてもきれいになったそうだ。

 人口が増えれば増えるほど、環境汚染は進む。人類は、汚染により地球温暖化を進め、更に今、エベレスト山頂まで汚染させ、海深くまでプラスチック粒などで汚染し、宇宙にまで人工衛星やロケットなどでゴミを増やしている。自分の排泄物さえ処理しきれない人類が、この先、何を手に入れようとしているのだろう。


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なんとなく

2024年03月12日 | Weblog

  車のガソリンが減っていたので、行きつけのガソリンスタンドで給油した。燃料タンクが満タンになった。なんとなく車の調子が良くなった気がする。空腹時にやっと食べ物にありつき、空腹が満たされた、そんな風に車が感じているような気持ち。車に人間のような感情があるとは思わないが、なんとなくそんな気がしてしまう。ガソリンを給油した後の運転は、車も私の気持ちも軽快になる。

 “なんとなく”という言葉が好きだ。私は、以前、どこの誰だか忘れたが、優柔不断な性格だと言われたことがある。“なんとなく”が優柔不断な性格に結びつくかは、わからない。自分でも決断力があるとは思っていない。目標を決めて、それに向かって大谷翔平選手のように全力で突き進むなんてできなかった。他人に、自分に関して否定的なことを言われると、ネチネチと気にしてしまう。今更、もっと他人に自分に関する意見を言われた時、素直に反省すれば良かったと思う。

 “なんとなく”という言葉が好きなのは、自分の性格に合っているのであろう。子供の頃、上田城の濠は、冬、スケート場になった。寒さでほっぺをリンゴのように赤くして、手は霜焼けで腫らしてスケートを楽しんだ。あまりの多くの子が、一カ所に集まって、重さで氷が割れ、濠に落ちた。私も落ちたうちのひとりだった。だから寒さ冷たさを体験していた。そのせいか、春が近づいて、氷が消えると今度は、釣りで濠に通った。日が長くなり、木や草の芽が出始めると、濠の水がなんとなくぬるんでくる。濠の水がぬるむ、あの感じが、なんとなく春が近づいて来たことを教えてくれた。信州の冬は、寒い。だからこそ、なんとなく春を感じることが嬉しかった。

 “なんとなく”は、日本語特有の表現とも思われる。情緒的に日本人の思考を言い当てている気がする。英語なら“no reason”とか“just because”とか“I don’t know why”と言いそうだが、日本語の“なんとなく”に比べると何かが欠けている。よく英語は、科学に向いている言語で、日本語は、文学に向いていると言われる。英語社会に暮らして思ったのは、日本的な表現の多くは、英語では中々言い表せなかった。日本語を話す時は、日本人。英語を話す時は、日本人でなくなる。自分の中に2人の人間が存在するのではと思ったものだ。それが心地よい場合もあり、反面自己嫌悪になった場合もあった。

 右脚が悪くなって、散歩に杖が手放せない。散歩途中、脚の痛みが強くなって、家に帰ろうと思う。そんな時、頭に浮かぶのは、小学校の近くのモクレンの花が咲き始めているかもしれない、あともう少し歩けば、見られる。痛みを我慢して杖を頼りに、歩みを進める。真っ青な空に向かって伸びる大きなモクレンの木。つぼみが膨らみ、花の色が顔を出し始めている。気温は6℃。まだ寒い。なんとなく春を感じる。咲き始めたモクレンを見て、脚の痛みをしばし忘れることができた。

 家の近くの桜並木が見えた。なんとなく桜の木全体が、かすかにピンクがかって見える。錯覚だろうか。桜並木に入った。枝を見る。つぼみがふっくらしている。夜間照明の準備も済んだ。春が来る。今年も桜見るぞ。今年こそ桜を見る会を友人たちとしよう。脚がそれまでに治りますように。


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不審車

2024年03月08日 | Weblog

  私たち夫婦の朝は早い。遠距離通勤する妻は、7時過ぎの電車に乗らなければならない。目覚ましは、時計が4時50分に、ラジオは5時ちょうどにセットされている。私は、朝に弱い。妻のようにシャキッとサッサと起きて、動き回れない。できるだけ長くベッドの中にいたい。二度寝は、理想的な睡眠だと感じている。

 いつものようにモタモタと着替えをしていた。すでに台所で朝飯の支度を始めていた妻が「変な車が玄関前にとまっている」と声を上げた。「…変な…」に私は反応した。目が覚めた。窓に近寄って外を見た。車のヘッドライトが見えるが、車体が見えない。まだ5時だと外は暗い。あういう風に見えるってことは、車が玄関前のアプローチに入り込んでいるってこと。私は、外に出て様子を見ようと思ったがやめた。昨今、他人にモノを言っただけで、刺されたり暴力を振るわれたりする事件がやたらに多い。

 玄関アプローチの入り口に外灯が立っている。この外灯、過去にタクシーがバックしてなぎ倒したことが3回あった。その都度、十数万円の修理代がかかったと聞いていた。タクシーは方向転換しようとして外灯にぶつかった。でも今回の不審車は、アプローチの奥、玄関ドアの前まで入り込んでいる。強盗が店に入口を車で壊して、侵入して犯行に及ぶのを、防犯カメラの映像で観たことがある。一応何かあったらいけないので、車のナンバーを書き留めて、写真を撮っておくことにした。この不審車は、週3回午前5時少し過ぎた時間に来ることがわかった。一応管理会社に連絡した。しばらくして、玄関アプローチの入り口に赤いコーンが置かれ、そこに貼り紙が付けられた。その後、いつものように朝5時過ぎにやって来た不審車は、赤いコーンと貼り紙に気がついたらしく、奥の駐車場の入り口で方向転換していた。不審車は、どうやら集合住宅の住民の誰かを迎えに来ているらしい。それにしても、週3回こんなに朝早く何をしているのかわからない。世の中、理解できないことだらけだ。

 集合住宅といっても低層住宅で住んでいる軒数は少ない。いろいろな人が住んでいる。以前、雨の日だろうが自転車を玄関ホールに乗り入れて、裏の駐車場に行く人がいた。総会で自転車をホールに持ち込むのは、やめましょうと言われて、彼は「自分は、規則に従わない」と断言したそうだ。自分が好きなように暮らしたいなら、なぜ集合住宅に住むのかと私は思った。とにかく世の中には、いろいろな人がいる。

 ほとんどの住民とのお付き合いは、ないに等しい。時間の経過にしたがって、所有者の入れ替わりも増えた。私たちは、この集合住宅が売り出された直後に購入した。販売側からいろいろな規則を説明された。火事を出さないために暖房に石油ストーブの使用禁止、ベランダでの喫煙、BBQの禁止などなど。しかし現在では、不動産会社もバラバラで、入居前の規則の説明などはないようだ。

 カナダの住宅地には、住民の組合があって、新規購入希望者は、組合の審査を受けなければ購入できないと聞いたことがある。日系の友人が、白人の多い団地の組合に購入を拒否されたそうだ。それはいきすぎだと思う。審査というより、新しい入居者に、その団地や集合住宅の規則の説明をして誓約書を交わすくらいはしても良い。

 今朝も不審車が来た。コーンと貼り紙は、まだ効いている。


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Do it yourself

2024年03月06日 | Weblog

  先日の在京同期会の出席者16名のうち杖を使っている者は、2名だった。Sさんは、いまだ現役の会社社長である。身なりは、いつもダンディ。持っていた杖も傘付きのおしゃれな物だった。尋ねると、18000円で都内のデパートで売っていたという。私は帰宅して、オンラインショッピングの会員になっている高島屋のホームページで同じ杖を探してみた。高島屋で毎月一定の額を積み立てると、1年後、1割の利子を買い物カードに振り込んでくれる。日本全国どこの高島屋でも、使えるので便利である。オンラインショップでも使える。あった。同じ杖を見つけた。さっそく注文しようと手続きを始めた。残念ながらSさんと同じ紺色の杖は売り切れていた。小豆色の杖を注文した。

 高島屋の注文の項目に、配達日の指定がある。そこに表示されている日にちの最短日を指定した。クロネコからメールが入った。指定日が設定されているので、営業所に保管中とあった。高島屋に以前この件に関して、問い合わせした事がある。その時は、善処すると言われた。指定日が設定されていると言っても、こちらが指定したわけではない。勝手に高島屋が決めているだけの事。発送して、指定日が設定されているので、クロネコが保管しているっておかしくない。日本のデパートの営業成績は、決して良くない。アマゾンなどのネットショッピングなら翌日配達が普通である。いつまで高島屋も殿様商売を続けているのか。

 とにかくSさんと同じカッコイイ杖が届いた。これで散歩時、雨が降っても安心だ。今年の冬の気象は異常だ、気温が急に20℃くらいまで上がったかと思うと、また3、4℃に戻ったり、雨の日も多い。さあこれからは、雨だろうがこの杖なら散歩途中に雨が降っても安心だ。試しに杖を持ってみた。あれ、これ女性用!変に短い。これでは役に立たない。あわてて高島屋のホームページで調べてみた。高さ81センチとある。今まで使っていた杖の高さを計った。91センチ。また失敗。買い物、急ぐあまり、きちんと細かいことまで調べない。杖は、価格が18700円、そこに税金660円。こんな高い杖を無駄にするわけにいかない。考えた。そうだ自分で改造すればいい。閃いたのは、DIY(Do it yourself)の店へ行って、杖の先の部分にはまるアルミパイプを買って、それを24センチに切断する。杖とアルミパイプを瞬間接着剤でくっつける。先っぽのゴムパッキンもアルミパイプに合わせて買った。行きつけのDIYの店は、切断も有料でやってくれる。相談にも乗ってくれる。自分で直した杖を早速昨日、雨が降りそうだったので使ってみた。ピッタリだ。さいわい雨が降り出す前に帰宅出来たので、傘は必要でなかった。いつも痛む脚も何だか軽く歩けた。

 海外で暮らして、多くの事を自分でやらなければならなかった。それが良い経験だった。コキロクになって、力仕事はもうできない。でも杖の直しくらいは、できそう。それにしても日本のDIYの店の商品の取り揃えには、目を見張る。きっと私が暮らした、ネパールやセネガルの国の人々が見たら、ビックリするだろう。日本のDIYのような店があれば、どれだけ生活に役に立ち、生活の質も向上するに違いない。

 私は、できる家事をするように心がけている。洗面所のパイプの掃除、シャワーヘッドの穴の掃除、水道の蛇口の水漏れやフィルターの掃除や交換、床壁天井のワックスがけ、掃除機やエアコンの掃除。それらに必要な部品や工具などDIYに行けば揃えることができる。海外であれも欲しいこれも必要という生活体験があればこそ、日本のDIYは、楽園である。


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在京高校同期会

2024年03月04日 | Weblog

  16日金曜日、東京の新橋で高校の在京同期会があった。脚の調子が悪いので欠席しようと思った。しかしコロナの3年間を何とか生き抜くことができ、喜寿を迎える喜びを、同期生と分かち合えたらと、思い直して参加した。

 会は、午後1時からだった。午前中、都内の出版社と新しい出版物に関する打ち合わせをして、会場に向かった。新橋の会場の店を探すのに手間取った。脚が痛くて、途方にくれていると、幹事のIさんが目の前に現れた。迷っている者がいるのではという、彼の気配りで救われた。

 今回の出席者は、16名だった。4年前にはもっと多くの出席者がいたのだが、年齢的にいろいろな事情を抱えているのであろう。かつて城山三郎が『無所属の時間で生きる』の中で、「同級会同窓会には恵まれた人たちが集まる」と書いた。今回集まった面々も、少なくとも健康と体力に恵まれた者であることは、間違いない。

 私がこの会で楽しみにしているのは、一人ひとりが近況報告をすることである。これも幹事のIさんの意向が反映されているように思われる。高校の同期生ということは、まず年齢がいっしょである。76歳になるまで歩んできた時間は同じ。高校3年間を同じ学校で学んだ。卒業後のそれぞれの人生は、まったく異なる。進学した大学も、結婚も、子どもを育てたことも、同期生として知る由もないそれぞれの世界に身をおいた。この共通する高校での3年間という時間で、人はここまで素直に懐かしんで戻れることが不思議だ。私が思うに、高校時代、進路が決まっていない白紙の状態で迷って悩んでいた時間が、連帯感を生んだのではないだろうか。一人ひとりの近況報告は、それぞれの人生の歴史を、ほんの少しずつ垣間見せてくれる。秀才と言われた人、スポーツで輝かしい戦果をあげていた人、出世した人、会社を興して成功した人。でも皆歳をとった。頭髪が薄くなった人、キレイに白髪になった人。年齢がここまでになると、高校の成績も、合格卒業した大学も、入社入所した役所も教えた学校も、関係がなくなる。76歳の老人たちが、高校時代の人生の白紙状態の若者に戻れる時間は、その後の人生を飛び越え、まるで黒澤監督の映画『夢』の世界に迷い込んだ気にさせる。

 今はほとんど第一線から退いている。参加者の一人は、いまだ現役で自分の会社を経営している。そういう状態なので、どんな話を聞いても、羨ましいとか妬ましく思うこともない。若い頃は、何かにつけて他人と比較して、舞い上がったり落ち込んだりの連続だった。2月24日のBS日本テレビの『イタリアの小さな村』でラツィオ州のチェルヴァーラ・ディ・ローマ村の元精肉店経営の88歳のオラッツオ・プロイボティさんが「幸せとは自分が持てないものを羨ましく思わない事だよ」と言っていた。小学校も満足に行くことができなかった彼の言葉は重かった。私は、自分の父親と彼を重ねた。私はやっとこの年齢になって、オラッツオ・プロイボティさんの言う事が、理解できるようになった。同期会で会った同期生は、今は羨ましがる相手でも比べる相手でもない。一緒に年齢を重ねる同輩である。来年また同期会で顔を合わせることを楽しみにしている。


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