団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

莫妄想

2020年03月30日 | Weblog

  日ごとに感染者数が増加している。新型コロナウイルスの感染が止まらない。テレビ画面に映し出されるイタリアや外国の病院内の混乱や病人の苦しむ姿、懸命に治療に当たる医療関係者の姿が目に焼き付いた。

 3月19日木曜日に東京の病院へ糖尿病の定期健診を受けに行ってきた。電車は空いていた。東京駅の混雑を回避するために湘南新宿ラインに途中で乗り換えて新宿から中央線に乗った。ウイルスは目に見えない。だから妄想が妄想を産む。電車の中にいる人が皆、ウイルスをまき散らしているのではと疑う。誰かが鼻をかむ。ドキッとする。ドアの近くに座っている男性が咳をした。車内の乗客の視線がその方向を探る。ドアの取っ手やつり革にウイルスが付いているという。昨日、近所の洋品店で綿の薄い手袋を買った。でも何となく恥ずかしくて手袋を使えない。目立ちたくない。いつもは漢字パズルであっと過ぎる乗車時間だが漢字パズルにも集中できなかった。乗り換え乗り継ぎがうまくいかず病院には、予約時間を30分遅れて到着した。病院の待合室は、患者は数人しかいなかった。血液検査の結果と脚の血管狭窄の検査結果に異常も悪化の数値もみられなかった。主治医の診察で糖尿病もよく抑制されていると言われた。

 新型コロナウイルスの感染源が不明という症例が増えている。つまりいつどこでどのように感染したかわからないという。つまりだれにでも感染する危険があるということだ。潜伏期間は、1週間から2週間と言われている。東京の病院で検査診察を受けてから1,2週間は、自宅から散歩以外で出ないように気をつけていた。しかしこのところの気温の激しい変化に体が適応できずついに風邪の症状が出てきた。まず喉が痛い。鼻水がでる。妄想が湧くように出て来る。知りもしない新型コロナウイルスの症状の耳学問で素人診断にふけってしまう。そこへニュースのイタリアの教会に安置された行き場のない棺桶が目に飛び込む。自分もあのように誰にも看取られずに息を引き取るのではと思う。

 離婚騒動のさなか、私は禅寺に通い、坐禅を組んだ。朝3時に家を出て、5時からの坐禅を2年間続けた。冬は坐禅の前に身を清めるために池の氷を割って冷水を被った。禅寺の和尚から“莫妄想”の教えを得た。私たちは自ら不安、執着を作り出し、自らが作ったそういう思いに悩み苦しむと。“莫妄想”とは「妄想すること莫(なか)れ」であると。2年かかってやっと私を悩ませた自分が作り出した“妄想”から抜け出せた。その後、法的に離婚して、二人の子供を引き取り育てた。子供を育て教育資金を稼ぐために妄想に押しつぶされる暇もなく働いた。

 44歳、二人の子供が大学を卒業して、縁あって再婚できた。51歳で糖尿病による合併症で心臓バイパス手術を受けた。人工心肺装置を使って10時間以上の手術を受けた。新型コロナウイルスに感染して重症化した患者が私と同じ人工心肺で救われているという。数が足りないという。医学の進歩、医療機器の充実のおかげで多くの命が救われる。私だって人工心肺が無ければあのバイパス手術は受けられなかった。妄想する前にもう一度自分が今生きているのは、医学と人工心肺のおかげであると再認識する。莫妄想。

 


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『差別せず、COVID-19』

2020年03月26日 | Weblog

  カナダ留学時代アメリカへたびたび旅行した。第二次世界大戦が終わってまだ十数年しかたっていなかった。日本人であるがために多くの心ない言葉を投げられた。カナダの在学した学校は、キリスト教系の規則が厳しい学校だった。校内で差別的な言葉を投げつけられたことはほとんどなかった。しかし選手として参加した野球大会で、私がバッターズボックスに立つと「Jap go home!」と観客席から声があがった。これに奮起して私はヒットを打てた。アメリカ旅行中に投げかけらた忘れられない言葉がある。-neseである。最初にこう言われた時、意味がわからなかった。これがもし「What do you need?(あなたが必要な物は何か)」のneedなら「ニー(ド)」と聞こえるはず。Needsの可能性もあるが、文法的に主語がyouで二人称なので動詞が三人称単数現在のneedsは使わない。アメリカ人の友達にこの話をした。彼は「ゴメン!悲しいけれどこれはお前を侮辱するために使われた表現だ。-neseはJapanese, Chinese の終わりにある-neseなんだ。私たちには中国人も日本人も区別がつかない。たぶんだけれど昔アメリカの北部と南部が戦争した頃、What -key(kee) are you, monkey, donkey, Yankee?と言って、南部の人が北部の人を馬鹿にする表現があった。それを-neseに転用したのでしょう。いずれにせよそんな連中がまだいることを恥ずかしく思うよ。許してください」

  今回の新型コロナウイルス感染症の世界的伝染でアジア人への差別事件が止まらない。私の周りの日本人が「韓国人、中国人と日本人の区別は簡単にできる」と言った人がいる。私は区別できない。しかし多くの外国人にとってアジア人の区別はつかない。新型コロナウイルス感染は中国の武漢が発生源と言われている。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。ウイルスへの恐怖が手っ取り早い近間のアジア人への差別行動言動にとって換わられる。私の知人の子供がアメリカの学校ですれ違いざまに「ウイルス」と言われたそうだ。何か自分では解決できない悪いことが起こると人間の本性が現れる。これからのしばらくアジア人には受難の時が続くであろう。

 そんな折、アメリカの歌手マドンナさんが自身のSNSで「あらゆる人々が分け隔てなく感染することで『平等』がもたらされている」と言った。これが炎上していて、現実にそぐわない認識だと批判されているという。私もある意味同じようなことを考える。マドンナさんは、子供の頃、酷い苛めにあっていた。彼女の幼児体験が、彼女の生き方や歌に色濃く表現されている。私は彼女のファンではないが、彼女の訴えようとしていることに賛同する。彼女はSNSにこう続けている。「新型コロナウイルス感染症で重要なのは、金持ちだろうと有名人だろうと関係がないこと。面白い人でも、頭が良くても、どこに住んでいても、何歳であってもかかる。どんなにすばらしい話を語られたところで意味はない。すべてを平等にするのが素晴らしい。恐ろしさが素晴らしさになる。私たちは皆同じ船に乗っている。船が沈むときは、全員が沈む」 事実トム・ハンクス夫妻、英国のチャールズ皇太子、志村けんさんも感染している。

 今必要なのは、治療薬とワクチンである。差別はいらない。新型コロナウイルスに“平等”に扱われる人類が挑む時である。


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春という漢字

2020年03月24日 | Weblog

  毎週日曜日午前9時から12時までの3時間ラジオのニッポン放送で『三宅裕司のサンデーヒットパレード』を楽しみに聴いている。テレビは新型コロナウイルス一色。どこのチャンネルを回してもやっていること言っていることに変わりがない。新型コロナウイルスに関してわかっていることは、人類が未だにこのウイルスを封じ込める治療薬を持っていない、とまだ新型コロナウイルス感染を予防可能なワクチンがない、である。薬とワクチンが無い以上この感染は自然淘汰される、つまり人間に抗体ができるまで続く。毎日テレビは、世界のどこで何人感染、何人死亡をランキングのように伝える。コメンテーターたちが、ジャーナリストたちが、こうじゃないか、ああじゃないかでは、井戸端会議や立ち話と変わりない。多くの医師が登場するも、彼らの多くは、新型コロナウイルス感染の前線で治療に当たっている医師ではない。想像は妄想を生むだけである。私はテレビでコロナ関係の番組を観るのを避けている。

 先週19日木曜日、東京の病院へ糖尿病の検査と診察を受けるために行ってきた。正直、新型コロナウイルスに感染するのではという恐れがあった。この数週間人との接触を避けている。自ら人混みに飛び込んでいくことに抵抗があった。加えてこのところ風邪気味で咳が出たり、喉の痛みもある。電車の中で咳をすると、喧嘩になることもあるという。普段のマスクにガーゼを入れて着用した。血液検査も脚の血管狭窄の度合いにも大きな変化はなく診察でも問題は指摘されなかった。正直ほっとした。

 日課の散歩は、5000歩が目標である。糖尿病患者は、免疫力が低いと言われている。免疫力を保つには、ウォーキングが良いというので天気が良い日は散歩して、悪い日は、家でウォーキングマシンを使う。先週あたりから桜並木の桜がちらほら咲き始めた。春の楽しみのひとつである。散歩はウォーキングマシンと違って道草という楽しみがある。この数か月歩く時、ロングブレスという呼吸法をしている。3秒吸って7秒で吐く。散歩コースは、川のほとりで人もいなく車もそれほどは通らない。マスクを顎におろして、吸って吐いてを繰り返す。吐くときは、口笛を吹くように唇を尖らせて吐く。人とすれ違う時はやめる。そうでなくてもいつもやぼったい格好なので、ロングブレスをしていたら不審者と思われるに違いない。

 散歩の楽しみは、自然とのふれあいである。人工的な物から離れ、人の手が加えられていない物へ目を移す。今住む地には、そういう所があるのが救いだ。川には鴨が泳ぎ水草をついばむ、サギは魚を狙って微動だにせずに佇む。大好きなオオイヌノフグリの青い小さな花。子供の頃、わざわざ酸っぱさをはかるために齧ったスイコン。目にする自然は、いろいろな病原菌や災害に淘汰された結果である。だからこそ愛おしくもあり、畏敬する。

 そんな気持ちで散歩を終えて、家でラジオを聴いた。三宅裕司のサンデーヒットパレードの中で「春という字はね、三人の日と書くのよ、とおばあちゃんに教えられたヤダモンは、『違うよ、二人の一日って書くの』と教え返された。おばあちゃんはポッと赤くなった」(山梨 高杉サイシンサク投稿)が紹介された。テレビでは決して味わえない面白さがある。子供の発想力の豊かさに感心。それを書き留めて番組に送ってくる人の手間ひま。その投稿を聴いて喜ぶ私。人それぞれにいろいろな才能が与えられている。新型コロナウイルスと人類の戦いに多くの医学者、科学者が挑んでいる。私はヤダモンの発想に微笑み、このところの鬱々した気持ちがスーッと軽くなった。同時にきっと近いうちに治療薬やワクチンに関する良いニュースが聞けるのではとも思った。

 


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桜を見る会

2020年03月18日 | Weblog

  去年の3月16日、我が家で恒例になった桜を見る会を開いた。関東に住む高校の同級生夫妻が、ぜんぶで12人集まった。ちょうど住む集合住宅が大規模修繕の真っ最中だった。桜の開花予想とにらめっこして決めた日程だったが、予想は大きく外れた。まだ桜はまだつぼみだった。実際に桜が満開になったのは、10日ほど後だった。当時はまだ安倍首相主催の新宿御苑での“桜を見る会”が問題化されていなかった。テレビで安倍首相の東京の桜を見る会は、華々しくニュースに取り上げられていた。多くの芸能人たちが、嬉しそうに誇らしげに安倍さんとカメラに納まっていた。

 私たちの桜を見る会は、もちろん公費を使ってはいない。私たち夫婦は、基本的に夫婦単位のお付き合いである。私たち夫婦は、妻が働いていて夫が家にいる同級生の誰とも違った組み合わせである。私は再婚して自分の仕事を辞めた。妻の海外勤務に同行するためだった。海外生活では私たち夫婦の組み合わせは、機能した。赴任地の社会事情は、どこも治安が悪くインフラも問題が多かった。主夫として買い物、家の修理、車の管理、防犯など毎日忙しかった。水道水が不潔でそのまま飲料水にならない赴任地では、3回煮沸3回濾過を毎日繰り返して飲料水を確保していた。敷地が広い家では野菜も自給自足できた。ニワトリも飼って清潔な卵を食べることもできた。

  海外で妻を助けて生活できたのは、カナダで学んだ学校の陰である。日本の高校の途中からカナダの全寮制の高校へ転校した。その学校の教育方針は、世界のどこででも生活できるような人材育成だった。学校自体が自給自足を目指していた。電気も自前の火力発電所があった。食料も小麦、ジャガイモ、豚、乳牛、ニワトリを飼い、総勢2000人の学校職員、職員家族、学生を養っていた。学生は一日2時間スクールワークと称した無料奉仕で学校運営を支えた。私もスクールワークはもちろん、長期休暇は学校に留まって、学費免除になるまで働いた。その経験が、妻との海外生活に役立つとは、思って見なかった。13年間の不便な海外生活を通して、私は主婦の苦労を身をもって体験できた。だから桜の見る会で、同級生の奥さんも招待する。同級生たちの社会の活躍を奥さんたちが支えたことを理解できるからである。せめて1年に1回であっても、そんな日があっても良いと思う。そこに桜の花が咲いて入れば、最高である。

  年賀状を私から出すのは、65歳でやめた。でも年賀状がくれば、返事は出す。今年の年賀状の返事には、「桜を見る会」を今年もやると宣言していた。それほど楽しみにしていた。安倍首相の公費による“桜を見る会”が問題化することも予想だにしていなかった。まさか新型コロナウイルス感染がこれほどの騒ぎになることも考えてもみなかった。年賀状に今年も桜を見る会で集まろう、と書いてまだ2ヶ月ちょっとである。16日、仲間にメールを送った。返信が来た。

  「…この状況では高齢者は特にじっとしていなければいけないようですね。」「…新型コロナウイルスに捕まらないように…」「…お互いもう少し辛抱して頑張りましょう。」「…次回を楽しみにしています。お体大切に。」 私たちは、戦後の混乱期に産まれ、団塊と呼ばれ、過度な競争を生き抜いてきた。産まれてこのかた72年間、桜がまったく咲かなかった年はゼロである。どんな状況にあっても、春が来れば、どこかで、桜は、あるがままに咲く。その事実が私たちを力づけてくれる。


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ドアをノック

2020年03月16日 | Weblog

  私が住む集合住宅の地下1階は玄関ホールになっている。北側の真ん中に主玄関、南側に駐車場に出られる2か所の出入り口がある。中から外に出る時は、鍵がなくても出ることができる。外から中に入るのは、鍵が必要だ。

  私は集合住宅の鍵をキーホルダーにつけている。このキーホルダー鍵を引っ張ると紐が伸びるので鍵の開け閉めに便利である。値段は3千円くらいだが、腰をかがめて鍵の開け閉めが苦痛になったので購入した。

  たくさんの食料品や日常雑貨を買ってきて、駐車場に車を止めて中に入ろうとした。駐車場から玄関ホールに入ろうとして、荷物を胸に押し上げ、顎で押さえながらやっとキーホルダーの鍵を鍵穴に入れた途端、中からドアが勢いよく開けられた。キーホルダーから伸ばされて出て来ていた金属製の紐がプチンと切れ、鍵だけ鍵穴に残った。私は胸元の買い物袋を顎で押さえる事に集中していた。何もなかったように男性が中から外へ出てきた。

  この男性、私をこころよく思っていない人である。なぜなら以前、私はこの男性に意見したことがあったからである。この男性、時々主玄関から自転車を押してホールを横断して駐車場へ行く。雨の日でもお構いなく濡れて泥のついた自転車をホールに転がして行く。そこである日私は、彼に言った。「自転車は駐車場から入れるべきですよ。玄関ホールを管理人さんが掃除するの大変です」 彼は何も言わずに立ち去った。彼の奥さんも旦那と同じことをする。私は奥さんにも言った。私は「リモコンを使って駐車場から出入りしてください。みなさんそうしています」彼女は言った。「うちはリモコンが一つしかないんです」

  年に1階集合住宅の住民の管理組合の総会がある。そこで自転車の玄関ホール乗り入れはしないようにとの注意喚起があった。しかしその夫婦はその後も自転車の乗り入れをやめなかった。彼は「私は規則を守るつもりはない」と総会で言ったという。

  不思議なものでできるだけ会いたくない人とは、かえって良く合うものである。集合住宅で他の住民と出会うことがほとんどないのに、なぜか彼とか彼の奥さんには頻繁に出くわす。先日のキーホルダーが壊れた日もそうだった。3千円のキーホルダーが使えなくなった。そこで私は考えた。そうだノックだ。カナダの全寮制の学校での厳しい規則と集団生活を経験した。誰の部屋に入るにも必ずドアをノックして中からの許しを得てから入ることを教わった。

  日本の家は、開放的に作られている。私も子供の頃から日本的な間取りと造りの家で育った。障子戸や襖で仕切られた部屋は、プライバシーもなにもあったものではなかった。だからカナダの学校の寮に入った時、ドアを閉めれば、完全に個人の世界になることに違和感を持った。慣れてくるとそれがとても居心地が良くなった。ドアのノックの音が安心の保証になった気がした。

  私が現在住む集合住宅の管理人は、週3回の通いで非常勤である。歳は私と同じくらいの男性である。キーホルダーが壊れてから、警戒して、こちら側に人がいることを知らせる方法を考えた。駐車場から玄関ホールに入るドアをノックすることにしたのである。「コンコン」中から「ハーイ どうぞ」の声。私はドキっとした。「誰?」ドアを開けるとホールの奥に管理人が立っていた。ニコニコ顔でいつものように「お帰りなさい」と言ってくれた。


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マスク・トイレットペーパー買い占め買いだめ

2020年03月12日 | Weblog

  WHOの事務局長が今回の新型コロナウイルスによる感染は、『パンデミック』であると初めて言及した。テドロス事務局長の評価は、パンデミックが終息すれば、黙っていても出てくるであろう。だから今は語らない。

 私は、外務省の医務官としてネパール、セネガル、旧ユーゴスラビア、チュニジア、ロシア・サハリンに勤務した妻に同行してこれらの国々で延べ13年間暮らした。

 ネパールで1000年に一度と言われる大雨が降った。当時私たち夫婦はネパールの首都カトマンズに住んでいた。カトマンズは四方山に囲まれた盆地にある。大雨でカトマンズに通じる全ての道路は寸断された。空港も閉鎖され、カトマンズは陸の孤島と化した。まずガソリンの供給が止まった。続いてプロパンガス。電気と水道は、ほぼ毎日停電断水だったので不自由には慣れていた。やがて砂糖と食用油の商人商店の売り惜しみが始まった。価格が高騰するのを見越してあえて棚から倉庫へ移してしまった。

 大災害、飢饉、大事故などが起こるとその国の人々がどのような物を買いだめ買い占めに走るかによって、その国の文化が浮き出る。今回日本はオイルショックの時のトイレットペーパー買いだめの大騒ぎの再現が起こった。そしてマスク。日本に住むイタリア人の友人がイタリアではトマトソース缶だと言う。アメリカ映画『コンテイジョン』では、食料そしてある製薬会社が開発したワクチンの争奪で暴動となった。

 私は高齢者で糖尿病。新型コロナウイルスが一番狙いやすい獲物である。もともと隠居と自負するほど家の中にいることが多い。安倍首相が「不要不急な用がない限り、自宅待機するように」との要請を出した。これを機に家の中の普段中々できないことをすることにしている。炊飯器を分解して細かい所まで掃除した。流しのシンクを磨いた。書斎を整理整頓した。CDやDVDを専用布と液で拭いた。音が綺麗になった。トイレのウォシュレットの使い方をもう一度取扱説明書を読んだ。

 ウォシュレットの起源は、インドやネパールなどの南アジアの生活習慣ではないだろうかと私は考える。トイレには水ガメを持っていき、終わったら水でお尻を洗う。ウシュレットと同じ事をする。ネパールの千年に一度の大雨大洪水の時、ネパールでトイレットペーパーの売り惜しみも買い占めもなかった。もちろんトイレットペーパーを買って使える家庭は少ない。村などへ行くと子供たちは、日本の昔のように小石や葉を使っていた。

 以前からトイレを使うたびに気になることがあった。“乾燥”という機能が付いているが使ったことがない。どうしてもトイレットペーパーを使ってしまう。待てよ。この機能、今回の新型コロナウイルス感染の広まりによるトイレットペーパー買い占めの救世主になるのでは!さっそく使ってみた。習慣とは恐ろしいものだ。最後にトイレットペーパーを使わないと、ひと仕事終わった感が出ない。ここは時間持ちのコキジの出番。じっくり時間をかけて検証してみた。 “乾燥”機能は時間がかかる。でもトイレットペーパーが無くなったら、約5分から10分待つことができれば、トイレットペーパーを使わなくても済む。それに衛生的だ。ウシュレット製造会社が本気になって、トイレットペーパーを使わないで、数十秒で完璧に乾燥が済む製品を開発販売することを待つ。

 歳を取ることは悪いことばかりでない。過去の経験が日に日に役立ってくる。ネパールの千年に一度の大雨大洪水、セネガルの旱魃、旧ユーゴスラビアの国連による経済封鎖、チュニジアの人種差別、サハリンの疲弊した経済と治安悪化などすべての経験がサバイバル訓練だった。あの時ああした、ああだったこうした、こうだったが、思い出される。まだまだこれしきで降参できるか。新型コロナウイルス騒動があって自宅待機していても、電気水道が使え、ネットで家族友人とも連絡を取れる。恵まれている。感謝する。海外で経験した負の財産と思っていた経験が、今は応用可能なものとなっている。


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母親の68回忌

2020年03月10日 | Weblog

  3月6日。忘れもしない今から68年前の昭和27年、私の家は大騒ぎだった。母親がお産でお腹の赤ちゃんと共に亡くなった日である。当時、病院で出産するのではなく、助産婦が家に来て、家での出産だった。そのお産の最中、母親の出血が止まらなくなり、助産婦は、医師を呼ぶように父親に言った。しばらくして医師が到着した。

 私は5歳上の姉と医師や看護師が出入りする部屋の隣の居間でコタツに当たっていた。隣の部屋から時々母親の声が聞こえた。「痛い」と泣き叫ぶ。そして「赤ちゃんを…」と聞こえた。泣き虫の私は、母親が「痛い」を聞いて泣いた。父親が母親のいる部屋から出てきた。黙って姉と私の手を取って母親の元へ連れて行った。父親の目が真っ赤だった。それより部屋の畳、布団が血で赤く染まっていた。暗い部屋に電燈がついていた。電灯の明かりさえ赤く見えた。母親はまるで眠っているように横たわっていた。母親が絶叫して赤ちゃんの命乞いをしたにもかかわらず、赤ちゃんも助からなかった。

 出産=母の死。このことが私の心にコールタールのように沈んで張り付いている。友人の娘さんが去年出産した。赤ちゃんは無事産まれたが、母親である友人の娘が大量出血した。友人夫妻は数週間、さぞかし心配したであろう。私は何もしてあげられなかった。その後無事快方に向かい、今では子育てに忙しい。私は冠婚葬祭などの儀礼ごとの中で、出産祝いに一番気合を入れて祝うことにしている。赤ちゃんへのお祝い以上に、私は大事業を成し遂げた母親を讃えたいのである。友人の娘さんにもそうした。我がことのように喜べるのは、自分の母親の3月6日のことを忘れていないからだ。

 最初の結婚が離婚で終わり、二人の子供を引き取り育てた。二人が大学を卒業するまでと全力で支えた。その後縁あって再婚した。相手は婦人科の医師だった。私は母親の死についてたくさん質問した。今になって「もし…」とか「…だったならば」と考えてもどうにもならないことは、知っている。妻は「お産は、病気ではないけれど、それ以上に危険が伴う」と言う。私は長年心の奥深くにしまっておいたことを尋ねた。「もし私の母親が、助産婦と家で出産しないで、今の妊婦のように産科病院で出産したら、死ぬことはなかったか?」 妻は「それはわからない。いつどこでも起こり得るほど出産は危険なの」 私は母親を失った日からずっと母親に立ち会った助産婦を憎んだ。まわりの大人たちも助産婦の責任のような話をしていたのを聞いた。何か自分で乗り越えられない事に直面した時、責任転嫁は常套手段として効果を発揮する。町で母親の出産に立ち会った助産婦を見るたびに、憎しみの炎を燃やした。妻の話を聞いて、あの時助産婦もできる限りのことをしてくれたに違いない。憎んでも母親は生き返らない。妻のおかげで助産婦への憎しみは、穏やかな感謝に変わった。

 命日の3月6日、仕事帰りに妻が私の母親の仏前にお供えすると言って、和菓子を買って来てくれた。嬉しかった。さっそくお供えして手を合わせた。「かあちゃん、俺、もう72歳だよ。いろいろあったけれど今はとても幸せだよ。嫁さんと仲良く静かに暮らしている。産んでくれてありがとう」

 


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小中高一斉休校

2020年03月06日 | Weblog

  地元に私が注目している小中学生が3人いる。土日祭日休暇中、散歩中その生徒たちと時々すれ違う。一人は女子中学生。もう二人は似ているのでたぶん兄弟の小中学生。女子は腕の時計を気にしながら坂道を颯爽と走る。長距離の選手か?男子は競技用の自転車に乗っている。この3人を昨日木曜日なのに見かけた。一斉休校!真剣に黙々と練習をしていた。彼らにとって一斉休校は、自身のトレーニングの絶好の機会ととらえているかのように思われる。

  今回の新型コロナウイルスの感染が拡がる中、安倍首相は2月27日全国の小中高に一斉休校の要請を出した。私は要請そのものに反対しない。このような人類に危険を与える未知の伝染病に対して最悪の事態に備えて先手先手で責めることはこれからも実行して欲しい。

  だが私が恐れていた通りに、街で多くの子供たちを見かけるようになった。普段、私が住む町で登下校する小中学生以外、子供を見ることは稀である。テレビのニュースで東京の竹下通りや渋谷には多くの中高生が押し寄せている様子が映った。他でもカラオケやゲームセンターは子供でいっぱいだという。最初に書いたようなスポーツや勉強に打ち込む生徒は少数派なのだ。「暇だ」「やることがない」「友達と一緒にいたい」 たむろする。群がる。これが多くの生徒がすることだ。

 今回の安倍首相の要請に驚いた。最悪の事態を想定しての事だとは思う。しかし極端、性急、丸投げしすぎで説得力や指導概念に欠けているのが残念である。

 私はもしこの事態が私が十代後半から二十代前半を過ごしたカナダの家庭ならどう受け止めたか考えてみた。親の多くは喜ぶであろう。特に農家は、家族で仕事を切り盛りしている。家畜の世話、乳しぼり、畑での農作業、納屋の整理。子供も親を普段から助けているので、当たり前のように手伝うに違いない。農家でなくても、家のペンキ塗り、壁紙の張替え、床のワックスがけ、母親の保存食づくりなどの家の仕事を手伝わされる。日本の子供の多くは、中国の小皇帝に負けないくらい過保護で家事を手伝う子どもは少ない。今回の一斉休校は日本の家庭にとって子供に手伝ってもらえる機会でなく、厄介者であることが悲しい。働き方改革も必要だが、それ以前に家庭生活改革も必要だ。父親の働き中毒、会社人間のあまり、家庭のことは妻に任せ。妻も共働きすれば託児所もない会社で、母親であることを考慮されない環境で働かざるを得ない。女性が活躍できない国に未来はない。

 新型コロナウイルス感染の緊急事態は、私たち日本人にとって考え方を変える良い機会である。一斉休校より教育訓練の場として学校を活用するべきである。学校で教科書を学ぶことを脇においてでも、新型コロナウイルスについての学ぶべきである。子供達の将来において、もっと変異したウイルスが蔓延するかもしれない。今回のようになすすべもなく、後手後手な他人任せの責任逃れのような施策は通用しない。未知のウイルスを恐れるだけでなく、対処する勇気を知育し体験させることも重要である。子供が防護服を身につけて校内の消毒を経験するのも将来きっと役に立つ。学校は受験のためだけの機関ではない。ましてや託児所でもない。子供には大人にない遠慮のない発想がある。耳を傾けたい。

 もう一斉休校は取り消せない。ならば小中高生に進言したい。普段読めない大作名作の本を読め。映画(『コンテイジョン』、『アウト・ブレイク』、『風をつかまえた少年』がお勧め)を観ろ。料理をしろ。家事を手伝え。家の補修、掃除をしろ。

 昨日、私は綿棒とタオルを使って1時間かけて電気炊飯器をピカピカにした。テレビの裏のゴチャゴチャで埃だらけの配線を整理して束ねた。トイレの便器もこれでもかというぐらい磨いた。包丁も12本丁寧に研いだ。コロナが去れば、きっと家の中はピカピカ!


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コロナより仲間との宵飯

2020年03月04日 | Weblog

  堀江貴文さんを好きとか一目置いているわけではないが、彼の言動、行動には関心を持っている。なぜか妻が図書館で堀江さんが出した『あり金は全部使え』を借りてきた。何か私は自分の事を暴かれているような不気味さを感じ取った。妻は年金とか老後の資金計画を緻密に立てている。銀行などの主催で開かれる年金講座にも参加するほど熱心に学んでいる。妻が「ここ読んで。まるであなたの事が書かれているみたい」と『あり金は全部使え』という空恐ろしい題名の本のポストイットが貼られたページを開いて私に手渡した。読んだ。

 「食事だけは、気前よくおごる。できるヤツ、できないヤツの分け隔てはない。単純に、美味しいものを大勢の人たちとシェアするのが好きなのだ。メシを奢ることに関しては恩義を感じなくていいし、返報性の法則も気にしない。こっちは美味しいものを食べられて良かったね、という程度の気持ちでいる。食事は、そいつが面白いヤツかどうかの、見きわめに役立つのだ。美味しさを伝える喋りの上手さや、食べるときのふるまい、座の話の回し方で、頭の良さが見測れる。会話で持っている情報のレベルもうかがえる。メシに呼ぶといつも面白いなというヤツは、だいたいビジネスでも成績をあげていくものだ。逆に、食事時にぜんぜん面白くないヤツは、仕事の方もうまくいかない。二度と呼ばないで、関係を切ってしまう。新しい仲間づくりに、会食はけっこう効率的に機能する。メシは、相手の地位やキャリアにとらわれず気前よくおごって、いい仲間と繋がろう」『あり金は全部使え』157ページ 堀江貴文著マガジンハウス1300円+税

 まさに私がここ30年くらいずっとやってきたことだ。ただ堀江さんと違うことは、私は自分で料理して客や友人をもてなす。“ご馳走”を心掛けている。調理の腕もないのに、招いた人々に喜んでもらい、ほめられたいがために、食材集めに9割の力を注ぐ。築地や東京の専門店、ネットで取り寄せもする。常にテレビラジオ雑誌新聞などからの食材情報の収集に目を光らせ、耳を傾けている。下手の横好きなりに準備に時間をかける。出汁やソースやスープにこだわる。1週間前から仕込みに入ることもある。招く人を思い浮かべながら献立を注意深く作る。Aさんは鶏肉がダメ。Bさんはチーズ嫌い。CさんとDさんは以前激しい口論をしたので一緒には招かない。誰を招くかにも気を遣う。私は招いた人々からいろいろな分野の講義を受けると考える。有益な講義を聞かせてもらうには、相手にもそれなりの見返りが必要だ。私は受講料として食事と飲み物を提供する。これまでだいたいこの受講料は何倍にもなって戻ってきている。

 私は人に対して好き嫌いが激しい。その人から私が学べることがあるかないかを見極める。堀江さんがいうように、「メシに呼ぶといつも面白いなというヤツは、だいたいビジネスでも成績をあげていくものだ。」は本当だ。私の残された貴重な時間、もちろん招く人々にとっても貴重な時間である。

 人を招くことによって、一緒にいて楽しい仲間が選抜された。この人々とできるだけ多くの時間を共有して学び続けたい。そうしてもらえるよう今日も食材探しをして、料理の試作をする。これが私のボケ防止になっているのならなおさら嬉しい。

 新型コロナウイルスは恐ろしい。私からこの大切な仲間と過ごす時間を奪わないでくれ。

 


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『おやじの小言』改め『爺の小言』

2020年03月02日 | Weblog

  2月に参加したパックツアーでお土産を買ってきた。脚の調子が長時間のバス移動で悪かった。それに永平寺は以前ゆっくり回って見物していたのでバスを駐車するお土産屋で待つことにした。妻だけ参拝するといって参加した。永平寺の滞在時間は、1時間だった。お土産屋で温かい甘酒を買って、待合室で漢字パズルを解いた。最近漢字パズルは、時間つぶしに役立っている。電車の中、歯医者や病院の待ち時間、妻のショッピングの合間、パズルを解いていると待つことが気にならない。

 漢字パズルを何とか見開き1ページを解き終えた。少し手足を伸ばそうと、お土産屋の中を歩き回ることにした。壁に鋲で止めたよくお土産屋で売っていることわざや偉人たちの言葉を染めてある手ぬぐいを見つけた。手ぬぐいの題は『おやじの小言』。読んでみる。中々面白い。妻が戻って来たので、手ぬぐいを見てもらった。「面白いじゃない、買えば」に後押しされて買うことにした。ところが店の人は、壁に貼ってあるのが最後で在庫がないと言った。私は欲しいと思うと手に入れないと気が済まないたちである。「壁に貼ってあるのでいいのでください」と言うと店の人は、怪訝そうに踏み台を持ってきて手ぬぐいの鋲を抜き埃を払って包んでくれた。こうして私は『おやじの小言』全38か条を手に入れた。

 若い頃、私は古いことわざや格言を素直に聞けなかった。でも老化現象を体のあちこちに感じ始めたころから、古くから伝わっていることわざや言い伝えに感心を持つようになった。つまり“おやじ”いや“爺”になったということである。手ぬぐいの『おやじの小言』一番目は「朝きげんよくしろ」である。私の父親も同じことを言っていた。「始め良ければ、終わりよし」 気持ちよく機嫌よく一日を始められれば、その日はきっと良い日となる。しいてはそれが一週間、一カ月、一年に続く。私も歳を取るにつれて、朝目覚ましラジオや時計より早く目をさます。隣で寝ている妻も私が目を覚ますと起きる。まだ勤務医として働いている妻と週日一緒に過ごす時間は、限られている。朝、布団の中で持つ会話は、夫婦にとって大切な時間である。

 なんとなく早く目を覚まして十分会話があった朝は、二人とも機嫌がいい。ラジオで朝一番のニュースを聴いてからベッドを出る。ところが新型コロナウイルス感染が猛威をふるい始めてから、ニュースを聴くたびに私は、気分が落ち込むようになった。妄想に苛まれる。こんな普通の日々もどちらかがコロナウイルスに感染したら…。新幹線通勤する妻が車内で感染したら…。しかし妻はいたって平静である。彼女は新型コロナウイルス感染を騒ぎすぎと言い切る。妻を守るのは、私が朝機嫌よくしていることだとわかっている。難しいが。

 私は、日本の挨拶で一番好きなのが別れ際に言う「御機嫌よう」である。だから手ぬぐいの一番目に「朝きげんよくしろ」にもガッテンがゆく。さだまさしの『亭主関白』も最近聴くと腑に落ち共感できる。年齢のせいであろう。

  手ぬぐいに書かれた38か条の一つづつをこれから私なりに『爺の小言』として私見を書いてみたいと思っている。漢字パズルで時間を忘れるように、そうしているうちに新型コロナウイルス騒動もきっと終息するであろう。「御機嫌よう!」


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