毎日が連休のコキイチにとって今度の連休は、いつものように家のテレビで各地の混雑と渋滞を見ているものだと思っていた。違った。まず病院勤めの妻が異例の9連休を取れることになった。大きな誤算。祭日とか関係なかったのに。そこで計画を立てることになった。
まず連休初日、妻が美容院を予約してある以外予定なし。
次の日、東京へ行く。高校3年生になった孫が、高校総体のサッカーの試合に出るので応援に行く。孫は27日が18歳の誕生日を迎える。中学3年生の時に難病指定の病気になった。入退院を繰り返した。勉強どころの話ではなかった。それでもサッカー部を退部しなかった。どれほど悔しい思いをしてきたことか。だから水泳の池江瑠璃子さんの病気も他人事ではなかった。孫が在籍するサッカー部はかつて東京代表で全国高等学校サッカー選手権大会に出場したことがある。それに憧れて入学した。家族ぐるみで彼を支えた。その彼が3年生になり公式試合に出場できるまでになった。力いっぱい応援したい。しかし彼には私たちが応援に行くことを知らせない。私は孫の姿をひと目見られれば満足である。
私が小学校4年生の時、小学校に水泳プールが完成した。その完成を祝い水泳大会が開かれた。私も50メートルの平泳ぎに出場した。結果はビリ。担任が写真を撮って、あとで渡してくれた。その写真を見て驚いた。応援する人たちの中にばあちゃんがいた。ばあちゃんは母方の祖母である。私を応援して大きな口をあけている。私が4歳でばあちゃんの次女だった私の母親がお産で死んだ。そして四女が継母になった。ばあちゃんは私を可愛がった。水泳大会にでると聞き応援に来てくれたのだ。でも誰にも言わず来て応援して帰った。ばあちゃんは、ビリだった私に気を遣ってか水泳の事は何も触れなった。でも私が大好きだった手打ちうどんを作ってくれた。美味かった。それよりなにより水泳でビリでも歩いて学校まで来て私の泳ぎを見てくれていたこと、それを口にも出さず作るのに力がいるうどんで私を喜ばせてくれた。良い結果が出せなくても、私の存在を気にかけてくれる人がいたことが嬉しかった。私はばあちゃんのようなじいさんになりたいと思っている。
3日目友人夫妻に誘われて昼食に蕎麦を食べに電車で出かける。夕方には名古屋のレゴランドへ行った帰りに娘一家が来て泊まる。
4日目の夕方から友人の家に泊まりで招待されている。平成最後の夜を過ごし、令和の最初の日を共に迎える。何という嬉しい気遣い。1日は妻がずっと見たがっていたセコイアの森へ友人夫妻と行く。
次の2日間は予定なし。コキイチには休養日が必要。
次は夫婦でゴルフ。妻は私たちのゴルフは、ゴルフではなく玉転がしだという。確かに私は、ボールを叩いた数を覚えていられない。打ったボールの行方さえわからない。医師に歩いて運動しないと脚の血管がさらに狭くなると言われている。ゴルフは楽しむというより運動だと思って18ホールを回る。万歩計は1万歩を超すのが何よりに楽しみである。それでも広いゴルフ場を妻と二人だけで過ごす時間は、日常から非日常の別世界となる。
最後は友人家族を我が家に招き餃子パーティを開く。子供が3人含まれているので、一緒に餃子を包んで焼いて食べようと計画している。餃子を一緒に作ることはネパールの日本人補習学校で教えた時、生徒たちを家に招いて初めてやった。チュニジアでは後にイラクで殉死した井ノ上正盛さんをはじめとして大使館員家族と餃子パーティをした。餃子の皮から自分たちで作った。粉だらけになった。特に子供たちに喜んでもらえた。
9連休の予定が決まった。この連休に私が歩んだ過去の多くが凝縮されて顔をのぞかせる。私を気遣ってくれる妻、子供、孫、友人。私も精一杯その人たちに気遣いたい。