団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

2011年05月27日 | Weblog

 アフリカのセネガルに2年間住んだ。家は、官舎で築後35年経ったという古いものだった。この家に夫婦2人で住んだ。通いで家事手伝い、運転手、庭師を雇っていた。その他に夜、ガードマンが1人いた。この4人が仕事を終えた後、必ずシャワーを浴びた。それが彼らの楽しみだった。彼らが自分の家でけっして味わえない喜びだった。水道代がかさみ、出費は痛かったが、彼らのシャワーの後の清々しい嬉しそうな顔を見ると、報われる思いがした。官舎は古かったが、地下に貯水タンクもあった。そのタンクのおかげで、毎日一定時間しか給水されなかったが、日常の生活に支障はなかった。水質はネパールよりましだったけれど、日本製のろ過器を通さねばならなかった。家を決めるときの決め手になったのが、水の問題だった。前任地ネパールでの水での苦労が役立った。電気がなくてもガスがなくても生きられる。しかし人間は水がなければ生きられない、と身を持って体験できた。セネガルの首都ダカールの水は、はるか遠くのセネガル川からのフランス植民地時代にひかれた送水管に全量を頼っている。もしテロ活動かなにかで、この送水管を破壊されれば、首都ダカールの100万を越す人口の生命線を立つことができる。私はむき出しの太い送水管を見るたびに心配でならなかった。在住中、そのような事件もなく、かつての大規模干ばつも起こることはなかった。

今回の3.11東日本大震災でも被災地では、飲料水や生活用水が大きな問題だった。また東京電力福島原子力発電所の事故においても原子炉を冷やす水が問題となっている。水がこれだけ豊富な国で水の問題を抱えるのも不思議な話である。ふと私は思った。もし今回の原子力発電所の事故で水がなくて、原子炉の冷却に水が使えなかったらどうだったのだろうと。もちろん私のような素人のただの一般庶民が考えることだから専門家に一笑に付されることは明白である。4基もの原子炉が被災した。そのために冷却水を大量に補給する。その補給水が放射能汚染され、その処理に苦悩する。フランスのアルバ社は汚染水1トンの処理費用を1億円と見積もったという。10万トンを処理すれば、10兆円となる。フランスの大統領が来日した理由も頷ける。

日本人は水を、安全と同じく、お金のいらぬ無尽蔵にあるものと軽く受け止めてはいないだろうか。原子力発電所を建設するにあたって、建設立地条件の中に豊富な水源があると聞く。海からも川からも水道からも十分な水が確保できると気を緩めて、最悪の事態を想定準備することもなかった。簡単に必要な水量をどれだけでも入手できると油断した。目の前は太平洋の大海原である。いざという時は原子炉を廃炉にしてしまう海水の注入さえできれば、冷却できると高を括っていた。水を支配できていると考えていた人間が造った発電所を水の怪物“津波”が襲った。ここに大きな落とし穴があった。日本には陸上での国境がない。まわりは全て海である。ところが海はすべてつながっている。放射能汚染はどこまでも拡散する可能性がある。

原子力発電所を設計する時点で、もし冷却を水でできなかったら、という第二第三の代替案を用意できなかったのか。水というタダのように安く、いくらでも手に入れられると思い込んでいた自然の恵み、日本の宝への冒涜と言っても過言ではない。砂漠の民にとって水は生命線である。日本にはヤオヨロズの神がいて、もちろん水を神と崇める信心もある。砂漠の民が命にかかわる水を神と崇める信心はない。彼らにとって、水は命そのものである。人間が神から享受するものと認める。

先日行われた日中韓首脳会談で各首脳の席にフランスのミネラルウォーター「エビアン」が置いてあった。これも政治的配慮というか妥協なのだろう。驚かされることばかり。行きつけのスーパーマーケットの入り口にうず高く韓国から緊急輸入されたペットボトル入り飲料水が積まれ、12本760円で特売されていた。水は将来日本の重要輸出品となるはずだった。水まで輸入しなければならないのか。水もダメならいったい日本に何が残るというのか。

26日(木)東京電力は、大騒ぎになっていた3月11日の海水の原子炉注入一時中断事件に関して、東京電力福島原子力発電所の所長の独断で実は中断していなかったと発表した。弁解の連続である。あの騒ぎは、すべて茶番劇だったというのか。私が一国民として属する山紫水明を誇る日本国の政治は、確かに三流だと納得できる。パリのG8の本会議の冒頭で、菅首相は、何とか放射能汚染を脅える世界に毅然と現状を説明して理解を得たいと言う。自国の国民に真実を述べず信頼されない首相が、本気で世界を相手できると思っているなら、それこそ大茶番である。

「いまになればどんな理由も付けることもできるだろう、しかし、よく聞け、きさまがもし正当なことをしたなら、決して弁解などしないはずだぞ」山本周五郎著『末っ子』で息子の平五に父親が諭した言葉が胸に染みる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツバメ

2011年05月24日 | Weblog

 今年も町にツバメが帰ってきた。利用している駅の改札口の出てすぐのところにあるアーケードの天井に巣がある。(写真参照)床にはチョークの粉のような白と少し黒の混じった落し物がびっしり。巣の中にはヒナがいるのだろう。2羽の親ツバメが次々にえさを運んでくる。いつ見てもツバメの飛び方には感心する。機敏、軽快、優雅、華麗、俊速に見とれる。地面すれすれのところを急降下、人や車をよぎり、かすめて自由自在である。姿、形、色もいい。お腹が白く、背中と翼が漆黒、首の下が臙脂色。燕尾服が真似してデザインされたほどの翼のトンガリ具合もスマートだ。「チチチ チーチー」の囀りは、ちょっとせっかちな性格を思わせる。人のいるところに巣を作り、天敵から身を守る賢さもある。かといって人におべっかをつかうわけでもなく、人になついてペットのようになった話も聞いたことがない。争いも嫌いらしい。

桜が散り、田植えの季節がくると生まれ故郷では、ツバメがやってきた。今住む町に田んぼはない。私は田植えが終わった水田の上をツバメがスイスイ飛び回る風景が好きだ。残念ながら今住む町で観ることはできない。それでもツバメが道路や川の上をいそがしく飛びまわるのを見て楽しむ。陸前高田市の県立病院は3月11日の東日本大震災と大津波で壊滅的な被害を受けた。あれから2ヶ月が過ぎた。その県立病院にツバメが巣を作ったと新聞が伝えた。

花が咲いた。ツバメが戻った。それなのに、いまだに多くの行方不明者が発見されていない被災地だが、着実に復興の兆しが見えてきた。この東日本大震災でいったいどれほどの動物が被災したかは知るよしもない。三陸一体では牡蠣、鮭、ほや、メカブ、あわびの養殖産業も壊滅的な状況である。東京電力福島原子力発電所の30キロ圏内および計画避難地区に一部指定された飯舘村、川俣町、葛尾村、南相馬市では、家畜やペットが放置され、餓死したり野生化しているという。自然の中には数え切れないほどの野生の動植物も私たち人間と同じように生息している。人間の勝手でそれらの命が、無視され翻弄されている。あまりにも悲惨である。こんな人間にしっぺ返しがないはずがない。許しを家畜やペットに乞う資格も持っていない。東京電力や事故に関係する責任あるえらい人たちに、そのような心があるとも思えないが。

 ウクライナのチェルノブイリで鳥類の調査を続けてきた生物学者ムソー氏とモラー氏が、10年間にわたる研究結果を発表した。それによるとチェルノブイリの高汚染地域に生息するツバメの異常発生率がかなり高いことがわかった。鳥類の種は非汚染地域の約半分に減り、個体数は約40%まで減少し、脳のサイズも小さいという。渡り鳥と渡りをしない鳥類との被曝の影響の差もわかった。渡り鳥は長距離移動に大きなエネルギーを使うので免疫性が下がり、渡りをしない鳥類より被曝の影響がでやすいという。福島のツバメや動植物にも人間と同じように放射能の影響が及ぶであろう。チェルノブイリでは事故以来30年が過ぎている。これから福島の東京電力の原発事故は、たとえ無事収束されたとしても、元通りに戻すには、気の遠くなるような長い時間を必要とする。福島のツバメは、原発事故でどんな影響を受けようと、それでも毎年同じ時期に福島に繰り返し戻ってくるだろう。その健気さが報われることを祈るしかない。   

 

yahooブログに5月23日『桑の実』投稿


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山帽子

2011年05月19日 | Weblog

 ある勉強会に出席した。15人あまりの小さな会である。そのテーブルの上に3つの花の枝が置いてあった。私は造花だとばかり思っていたら、司会者が会に参加した婦人が自分の庭から切って水揚げした“山法師”または“山帽子”と紹介した。私は“山帽子”の方が気に入った。しかし“山帽子”という植物名を知らない。目を凝らしてテーブルの上の枝を見る。何とも艶やかな葉をしている。その葉の上にハナミズキに似た花がある。花だと思ったモノは総包辺と言われたがさっぱりわからない。花はその中心にあり、まるで神楽鈴のようで小さなつぼみがびっしりついている。まだ固く黄緑だった。艶やかな緑の葉と白の包辺、黄緑の花。何ともいえない絶妙な色のつりあいである。とても気に入った。

 “山帽子”という名もいい。咲き方が天、それも真上からしか見られないような咲き方なのだそうだ。変わっている。木は大きくなり、花が咲いても、人は下から見ることができない。人間でなくいったい誰に見て欲しいというのか。自然には不思議があふれている。いちいちその不思議に関わっていたら、私は一歩も動けなくなって、ロダンの“考えるの人”のような像になって固まってしまうだろう。散歩に出かけるたびに、道草を楽しむ。キョロキョロしては、何か気をひくものを探す。5月は、樹木も草も勢いよく地表をおおっている。名を知っているものより、知らないものの数のほうがずっと多い。もうずっと前に、いちいち名前を知ろうとすることを卒業した。覚えたつもりでもすぐ忘れるからである。ただ、ああ、これ去年もここで見たな、で満足している。覚えようとしなくても、なぜか忘れられなくなる名がある。“花いかだ”“紫式部”“破れ傘”“世界爺”“火炎樹”などなど。“山帽子”は、これから先も覚えていられそうだ。

 日本人の花や草木を愛でる気持が嬉しい。ましてひとり自分の家で楽しむばかりでなく、こうして丁寧に水揚げして、切り口に水を含ませた紙をまき、それをアルミ箔で包んで持って来てくれる。その心遣いが私を感心させ喜ばす。“山帽子”も美しい。それと同じくらい持って来て見せてくれる人の心も美しい。勉強会ではいつも自分のできの悪さに腐る。今回は、その卑屈な気持を“山帽子”が脇に置かせてくれた。天の真上から見るようにテーブルに置かれた“山帽子”を上から見下ろせる。見下ろす気分がまた私を強気にさせる。会の進行につれ、普段は気分が滅入るのだが、今回は違う。いつまで見ていてもあきない。そういえば、よそ見、道草は、子どものころからどうにいっていた。

 会が終って3つの“山帽子”を14人がアミダクジで争うことになった。どうしても持ち帰って妻に見せてあげたいと思った。でもはずれた。仕方がないのでカメラにおさめた。写真では本物のよさが伝わらない。いつか妻に本物を見せてあげたいと思った。しかし家で妻に尋ねると“山帽子”を知っていた。でも好きな花で、近所にあれば見にいきたいと言う。これでまた歩くことが楽しみになった。“山帽子”は、花だけでなく、赤い実、紅葉と3回楽しめるそうだ。果実は山桃のようで味はマンゴーに似ているという。ますます気に入った。それだけ散歩の機会が増えることになる。嬉しいことだ。勉強会に参加したおかげである。

(yahooブログ5月18日『ビンラディン容疑者』投稿)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

調理してない生の食材

2011年05月16日 | Weblog

 北陸地方を中心にチェーン展開する焼肉店でユッケを食べた客に集団食中毒が発生した。4人が死亡、報告確認された食中毒を起こした患者は、5月3日現在102名、そのうち24名が重症だという。

 魚を刺身として食べる習慣を持つ日本人は、世界でも少数派である。もともと刺身の文化があったところへ、近代になり、衛生観念と衛生検査技術の向上や各種衛生器具、薬品の登場で新鮮さをありがたがり、生で食べることが贅沢から普通のこととなった。刺身の発想が馬肉に、そして牛肉、クジラ、レバ刺し、ユッケにと次々にすそ野を広げていった。

私が1960年代カナダの学校にいた時、多くのカナダ人アメリカ人学生から日本人は魚を生で食べるとからかわれた。彼らからすれば、日本人は獲った魚をそのままがぶりと食いつき、血を滴らせる姿を想像しているとしか、私には思えなかった。学校のある町には冷凍された箱入りの頭も骨も皮も処分され長方形にされた魚しかスーパーに売っていなかった。全体の風潮として肉が主で、魚はカトリック教徒が金曜日に食べるものとしかとられていなかった。滅多に食べることもない“臭い”魚を生で食べることは、彼らの理解を超えていたと思う。(拙著『ニッポン人?!』青林堂の“鯛のお頭”参照)日本人と同じようにフランス人の生牡蠣、カエル、カタツムリも強烈に彼らを気持ち悪がらせていた。イタリア料理にカルパッチョがあるが、当時カナダの小さな町の学校でカルパッチョを知っている者はいなかった。クリスマス休暇でボストンへ行った。そこの高級レストランで名物クラムチャウダーと一緒にハマグリ、牡蠣などの生の貝を食べた。日本ではハマグリは生で食べない。ところ変わればである。ようするに私の学校に来ていた生徒は、肉ばかり食べる家庭の子がほとんどで、アメリカ東部大西洋岸の海産物を食べる家庭の子はいなかったのだ。まだ鮨は、カナダで未知の食べ物だった。アメリカのハーバード大学の学生食堂で鮨がメニューに加わったのがちょうどそのころだった。ハーバード大学の先見性に敬意を表したい。いまでこそ鮨は多くの国々で受け入れられているが、当時は野蛮な食べ物とみなされていた。英語で刺身はraw fish“熱で調理していない魚”という意味である。いまでは“sushi” “sashimi”で世界の多くの地で通用する。

アフリカのセネガルに1990年代に住んでいた時、家に来てもらっていたメイドのマリークレーヌさんは、私が台所で魚をさばいて刺身を調理しているとイヤーな顔をした。なんども食べてみてと勧めたが、ついに一度も口にしなかった。きっと日本人は、魚を生きたまま食べる野蛮人だと内心思っていたに違いない。多くの民族は、過去において疫病疾病で命を落としてきている。口に入れる食べ物は、ちゃんと火を通して料理することが、病気にならないための絶対条件だとDNAに組み込まれているのだろう。動物のように生で魚や肉を食べることなく、火を使って調理することで、人間と動物を区別してきたのだろう。

 ネパールでアメリカ大使館主催の『衛生講習』に参加した。その時、講師のアメリカ人細菌学者が「ネパールのウエイターは、料理だけでなく、バイ菌もテーブルに運んでくる」と言った。厄介なことに、あまりにも微小なバイ菌は人間の目では見ることができない。30年ほど前、日本で一緒に仕事をしたインド人技術者は私にこう言った。「インドでは自分は高カーストに属している。カーストが良いとか悪いとか言う前に、私の母は家族の健康を守るために自分以外が作ったものを家族に絶対に食べさせない。それしか健康を維持する方法はないと言いきっていた。だから私はインドで母か母が認めた人が作った食事以外の外食をしたことがない。カーストはインドでは自分の身を守るひとつの手段でもあるんだ」彼は日本で自炊していた。もちろん私はカースト制度を認めない。私たち日本人には、彼の考え方が極端に聞こえるかもしれない。しかし安ければ、量が多ければ、ネット検索やマスコミで評判がよければ、列に並んでまで外食大好きな日本人の食に対する考え方は再考する必要がある。私たち日本人は、どのような材料を誰がどのように調理したかを知らずに食べ物を平気で口にしている。他人を信用することは大切なことである。しかし誰もかも無防備に信用することとは別である。疑うことも予防だと私は思う。どこに住んでも、自分の健康を自分で守るのは、実に厄介で面倒くさいことなのだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土下座

2011年05月11日 | Weblog

 私の親戚にある県の原発誘致運動にかかわり、羽振りがよくなった人が過去にいた。かなり前のことだった。その人は、すでに他界している。我が家を訪ねてきた時、声高に「原子力発電所は、原爆と違って絶対に安全」と言い放った。そのとき私の亡父は「絶対なんて、ねえ」と彼に批判的だった。それが原因で疎遠になった、と私は推測している。

 今回の東京電力福島原発事故は、世界を巻き込む大問題になっている。私には原子力のことはとんとわからない。しかしあの親戚のことが頭から離れない。原子力発電所は、それ自体が大きな利権である。さっそくインターネットで私が疑問に思っていることを検索してみた。まずどうして東京電力が福島県に原子力発電所を建設したのか。東京電力は、建設にあたり立地条件を提示して、候補地を探した。あがってきた候補地の中から、さらに審査を経て候補地を絞った。私有地が認められない旧ソビエト連邦のチェルノブイリ原子力発電所と違って、国有地に一方的に建設したのではない。調べてみると、双葉町でも大熊町でも、原発建設の賛否を問う住民投票はなかった。しかし二つの町の町議会において、原発建設受け入れが町議会議員全員の賛成で可決されている。

 ここに悲劇がある。多くの日本の地方市町村は、過疎による衰退を余儀なくされている。限界集落などという、まるでこの世の終わりを匂わす恐ろしげな言葉まである。情報過多の時代である。都会の裕福な市町村との格差は、厳しい現実となって行政担当者にのしかかる。危険を承知でワラをもつかむ気持ちで、自分の町に原発を受け入れたのかも知れない。日本は法治国家である。民主主義において多数決による議決には効力がある。契約とみなされる。東京電力が強気だとしたら、この契約があるからではないだろうか。

かつて私は知人の会社の倒産に保証人として関係してしまったことがある。弁護士が管財人となって債権者会が開催された。債権者は、雇われた弁護士と法の壁で守られる倒産した会社に何ひとつ直接もの申すことができなくなった。すべて契約が法に則って遵守される。債権すべてが規制管理されることになった。私は保証人として契約書に署名捺印したので、当然法律に従うしかない。感情、人情、情状が入り込むことはできない。結局私は多額の借金を背負い込んだ。

たとえは悪いが今回の原発事故において、東京電力はかつての私の倒産した知人の会社であり、住民は、保証書に署名捺印した私である。契約書に書かれた通りに法的な処理を受けるしかない。ところが原発事故は、この原発がある町だけに被害を及ぼしているのではない。福島県はおろか、近隣の県、日本国全体、アジア近隣諸国、地球全体に何らかの被害が拡がっている。その被害者は、あきらかに憲法で保障されている生活権を冒されている。いくら原発が設置された自治体との法的契約があっても、今回その契約の効力は限定される。独占的企業である地域電力会社は、官庁における官僚制度と同じように、傲慢さと自惚れの錯覚に目を曇らせ、状況判断を誤り適切な事故処理をしてこなかった。日本の優等生は、試験において解答を「間違えてはいけない」と暗記中心に学ぶ。仕事に就くと、いわれたことだけを忠実にやっていれば、結果が失敗しても責任は免れるという甘やかされた環境にいる。欠けているのは、臨機応変で融通無碍な二枚腰のような粘り強さである。

5月4日、東京電力の清水正孝社長は、福島県の広野町、浪江町、葛尾村の避難所を謝罪行脚した。怒り収まらぬ住民からの「土下座しろ」の要求に答え、その場にひれ伏した。私は、土下座が嫌いだ。しかし東京電力側が法的契約有利の呪縛からやっと抜け出し、人間らしさを少し取り戻した瞬間だったと思う。一日も早く原発の危険性を封じ込め、加害者と被害者が同じテーブルに着いて、頭を冷やして、お互いに反省するべきは反省し、今後どうするべきか人間として話し合える日が来ることを願わずにいられない。

 Yaooブログ 『気配り目配り手配り ひざくりげ』 5月10日「ネパールの蛇籠」投稿


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発炎筒

2011年05月06日 | Weblog

 箱根の道路には、わけのわからない路上レーサーがいる。先日友人達を車で丹波の竹の子を買いに行こうと案内した。帰り道、芦ノ湖に寄ってカーブの多い道路を通って小田原に向かった。大きなカーブの山側の石垣に車体を低く改造して、太いマフラーを装着した黒いスポーツタイプの車が激突していた。運転手らしい半袖のアロハシャツに作業ズボンの30歳くらいの男性が、対向車を止めて話していた。ケガはしていないようだったので私は徐行して通過した。

1キロぐらい先の富士山がよく見える駐車場に入った。写真を撮るためだった。富士山は雲に隠れていて、ほんの一部しか見えなかった。車から出るか迷っていると、運転席のドアに覆いかぶさるようにさっきの事故を起こした若者が近寄って来て、窓ガラスを下ろすよう、手をまわす仕草をした。私はギョッとした。小心者である。彼がどうやってここまで来て、ここに立っていることが信じられなかった。でも箱根のまだ肌寒い高地で、さっき見た事故を起こした運転手と同じ半袖のアロハシャツを着た人を見間違えるはずがない。正直、人相がよくない。4人も乗っているが、だれも頼りになる人はいない。強盗?の考えがよぎる。男が言った。「発炎筒わけてください。足りないので」 私はもっと驚いた。なにしろここまで、ことごとく私の推測がはずれている。助手席の下の隅に発炎筒の赤い筒が見える。私はいまだかつて発炎筒を使ったことがない。どう点火するかも知らない。助手席に座っていた友人に発炎筒を外して取ってもらった。男に渡した。男はそのまま発炎筒を持って車から離れて行った。また推測を外された。「分けてくれということは、お金を払うこと・・」と私はかってに考えていた。世の中には私と同じように考え、感じ、反応する人は少ないのだろうか。後日、補充するために買うと500円だった。たとえ500円でも他人から譲り受けるなら、それ相当の手順というものがあると思うのだが。

天気は快晴。昨夜の雨で箱根全山が芽吹き前の秒読み色一色。そこに山の桜が煙ったピンクのフェロモンのように帯をたなびかせ錦模様になっている。つまらないことは忘れよう。その美しい景色は私の心を静めるのに十分だった。カーブに差し掛かると、対向車線を改造マフラー、シャコタン(車体を低く改造した車)の車が何台も、レーサー気取りでアクセルを踏み込み通り過ぎる。

 私は若い頃、レーサーの友人の車に同乗してレース場を走ったことがある。恥ずかしいことだが失神して失禁した。だから自分は、レーサーに不適格とよく知っている。私は、一般道路でレーサー気取りの運転者が運転する車を見ると股間から下に広がる濡れた感触がよみがえる。友人たちは、そんなことも知らず「海が見える」「馬酔木の花が咲いている」と首を右に左に前にといそがしい。連休前の静かな(?)箱根を満喫した。これからも発炎筒を使わないで済むよう、安全運転を心掛けたい。


  Yahooブログ『気配り目配り手配り、ひざくりげ』に「日本の位置」を5月2日掲載。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする