団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

草取り

2008年04月28日 | Weblog
 22年間の長きにわたり、日本女性は世界の最長寿記録を保持している。大したものである。今年の統計では日本女性の平均寿命は85、59歳、男性は78、64歳を記録した。

 私を5歳の時から育ててくれた継母は、私の実の母の妹にあたる。その継母もすでに80歳後半になった。元気で長野県に暮らしている。小さな借りた畑でできるだけ自分で食べる野菜を育てている。一緒に暮らす妹家族の弁当も、三食の調理にも張り切っている。買い物には自転車を引いて行く。危険だからと言っても「乗らないで押して行くだけだから」と聞かない。身長は140センチぐらいに縮まった。その上腰がすこし曲がっている。家の裏の丘の上の父と実母の墓に少し前までは毎日墓参りに登っていた。今は晴れた日しか行けないと悲しがっている。

 日本の女性は確かに肉体的には他人種に劣るかも知れない。身長も低く、やれO脚だのX脚だの、胸がない、尻が扁平だの、目が釣りあがっているの、一重だのと評される。それでも長寿世界一である。あれだけ粗食で重労働に耐え戦争を体験してである。男尊女卑の文化の中でどっこい生き抜いてきた。私は自分の母親をみにくいとは思わない。胸を張って誇れる母である。

 今朝、散歩に出かけようと玄関を出た。マンションの前の市道と川の境に、古いコンクリートの柵がある。びっしりはえた草を老婆が抜いていた。近づき「ご苦労様です」と声をかけた。小さい、本当に小さい老婆だった。ほっかぶりしているような日焼け防止の帽子、割烹着にモンペ姿。歳は90歳ぐらいだろうか。立ち上がり丁寧に挨拶してくれる。まっすぐに立つこともできない。長年の労働で腰がすっかり曲がってしまっている。聞けば隣の一軒家に住む方である。初めて会った。耳もしっかりしていて私との会話に困ってもいない。「お天気がいいので草取りさせてもらっています」 まっすぐ立ったとしても身長は130センチくらいだろうか。 私は世界で日本人の悪くちをたくさん聞いた。

 私の母も海外の日本人観のサンプルの条件を満たすひとりだ。でも働き者で健康で今でも家族を支えている。キレイ好きだ。まじめで税金や毎月、使い古しの封筒に分けて入れ、期日までにきちんと支払っている。世界のどこの国にこんな律儀で従順な国民がいるだろうか。私の母も自分の家の周りだけでなく、気がつけばどこでも掃除したり、草取りしたりしている。手間ひまかけて調理して家族の健康管理の総元締めをしてくれている。日本人男性まで長寿世界一だ。これはこうした働き者で健康な多くの日本女性のおかげに違いない。何を言われようがこれほど凄い女性は世界広しといえどもいないだろう。

 草取りしていたおばあさんに「写真を撮ってもいいですか?」と尋ねた。彼女は「こんな格好では恥ずかしい。今度おめかしした時撮ってください」と言う。「後ろから草取りしているところだけ撮らせてください」と私。「絶対に顔を撮らないでください」と日よけ帽をさらに深く引きおろしながら言った。私は、歳をとっても女性のこういう気持ちには艶があっていいなと思う。

 お礼を言ってその場を離れた。用事を済ませて家に戻る道すがら、あのおばあさんの家と私たちのマンションの間の約30メートルの道の両側がすっかり草を取り、掃き清められていた。彼女の家の前に大きなビニールのゴミ袋が3つ並んでいた。いろいろな国に暮らしたが、私は凄い人たちが住む、美しい国に今住んでいる。感謝な気持ちで家に戻った。母の日はもうすぐだ。 
写真:草取り中の隣の家のおばあさん

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公衆トイレ

2008年04月23日 | Weblog
 カナダの留学した学校にフィジーからジョナソン・カイルンという20歳をすぎて中学3年のクラスにいた学生がいた。とても親切な人で、入学したばかりの戸惑う私に「僕はもう数学で3年落第しているけれど、この学校のことは一番良く知っているから、分からないことは何でも相談して」と言ってくれた。学校には毎日2時間の奉仕の時間がある。ジョナソンは寮のトイレ掃除をしていた。長いゴム長靴をはき、太いホースの水とブラシで便器を手際よく掃除していた。おかげで寮のトイレはいつもきれいで気持ちよかった。ジョナソンのことは今でもなぜか印象強く覚えている。        
 
 先日住んでいる町の駅のトイレに入った。男性トイレなのに鏡の前に女性がいる。一瞬私は自分がいつものようにそそっかしいが故におかす間違いかと思った。落ち着いて確かめると男性用小便器が4つ並んでいる。女性は掃除をしていたのだ。下は皮のズボンで上はざっくりした厚手のはでな花柄のカーディガン。見た目お掃除をする人にはとても見えない。用を足して終えて、手洗いで手を洗った。女性は一生懸命洗面台を洗ってきれいにしていた。私は「ご苦労様です」と声をかけた。女性は「は~い」と嬉しそうに答えた。日本のトイレはきれいになった。それでも私が利用する駅のトイレは20年前の公衆トイレと同じ古いつくりだ。女性掃除係りのおかげで、なんとか使える状態ではあるけれど、老朽化は否定できない。掃除の女性の話では近く改装されるという。

 正直私は女性が男性トイレを掃除することには反対である。東南アジア、アフリカなど発展途上国では男女の区分けがきちんとされていないことが多い。日本も昔から男女混浴があるくらい、この男女の境界があいまいである。おおらかでいいではないか、という言う人もいる。ここで私が騒いでも問題が解決されることはない。ただきれいに掃除してくれている女性に感謝の言葉は伝えたいと思った。

 日本にはオバタリアンというどうしようもない節制のない女性が存在する。男性トイレに平気でズカズカ侵入し、空いているからという理由で使用する。私が狭心症でバイパス手術を受けた病院は、病室へ男女の入院患者を一緒に収容していた。女性の患者が夜中にトイレへ行かずにオマルで用をたした。私はその現実をどうしても受け入れることはできなかった。男女混合の病室も、病室での用足しも私の母国日本のイメージを損ねた。日本は世界の多くの国々にODAの資金援助をしている先進国である。超えてはならない規範がある。まだまだ日本人が習得しなければならないことは多い。

 最近坂東美佐子著『女性の品格』や『親の品格』という本がベストセラーになっている。書店でパラパラめくってみたが、女性が男子トイレを空いていれば使って良いとも悪いとも書いてなかった。坂東氏は日本のそんな現状も知らないセレブな方らしい。

 政治がどうの教育がどうのも大切な問題だと思う。しかしもっと根本的なところで日本人の意識改革が起こらないといけないのではないだろうか。『境界のケジメ』 女性は何人たれとも、男子トイレに入ってはならない。男性もいかなる理由があっても、そこが女子トイレの機能を果たしているならば、入ってはならない。そこには越してはならない不文律がある。

 小学校で男子が堂々と大便できないのは、子供のころから男子女子の境界が不明瞭なことが原因である。人間はだれでも生きていれば排泄する。男も女も同じである。しかしあえて男女お互い、そこに踏み入らないのも文明ではないだろうか。日本のあいまいな境界に、はっきりした基準の境が、近い将来日本にも確立できますように!

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権兵衛がエビまきゃカラスがつつく

2008年04月18日 | Weblog

 熱海駅を境にJR東海とJR東日本が分かれる。線路上に何の境界線も敷かれていないが、見えない形で“むこう”と“こっち”を分けている。ICカード型乗車券のスイカとトカコの互換性もない。

 静岡県由比の桜えび漁が解禁になった次の日、桜えびを天日干しにする光景が見たくて由比へ行った。貸し自転車を駅の駐輪場で借りた。“一日乗り放題500円 由比シルバーセンター管轄”の看板のキャッチフレーズが気に入った。そこのおじさんに尋ねた。「桜えびを干しているところを見たいのですが」 おじさん「お客さん、えびはここじゃ干さねえよ。ここから二つ目の駅“新蒲原”で降りて、タクシーで15,6分の富士川の川原で干してる。でも今日行ってもまだ干していないよ。今年はエラい豊漁で去年の3倍は獲れてるみてえだ。最初はみな市場へいっちゃって干すのはまだ先だ。港で桜えびのかき揚丼でも食べてこられりゃいい。この街は自転車が一番。見所はすべてこの街道沿いだ。これ案内図」と渡された。観光ガイド本なんかより、ずっと土地の人のほうがよく知っている。どこへ行っても口で尋ねて、耳で聞く、これにまさる観光ガイドはない。その日は自転車で街をめぐり、おじさんに薦められた桜えびのかき揚げ丼を港の漁協で食べて帰ってきた。

 15日、久しぶりの快晴だった。今日こそはと再び東海道線に乗り富士川の川原を目指した。熱海で15両編成の電車から『島田行』の3両の電車に乗り換えた。JR東日本とJR東海は異文化をもつ。まず発車の仕方が違う。JR東日本の電車のドアは勢いよく案内もなくシューッと閉まる。JR東海はまず3両目の最後部の窓から顔を出した車掌が笛を「ピピピーピッピッピー」と元気よく吹き、ドアのチャイムが「ピンポンピンポンピン」と優しくのどかに鳴る。電車の乗客はJR東日本は観光客でいっぱい。JR東海は生活者でいっぱい。函南駅を出てから進行方向右手側に天気がよければ富士山が長い区間見える。左手の太平洋、右手の富士山、これを両手に花の気分で満喫。天気の恵まれ、右へ左へ首がねじれそう。

 新蒲原で下車。でもタクシーがいない。小さな駅。待つこと10分やっと古びたタクシーが来る。「桜えびを干しているとこ見たいのですが」と私。「あいよ」とまたかいの雰囲気を、声にしのばせ運転手。出発。無言の十数分。

 治水工事完璧のコンクリートの土手を越えると富士川の流れと広い川原。そこに黒いシートがずらっと並ぶ。雪を抱いた富士山がくっきり見えて、遠いところで国道1号線の富士川を渡る橋の上をひっきりなしに車、特に大型トラックが行きかう。黒のシートにいろいろな赤系統のえびがまるで絨毯のようにひろがる。

 広い川原にカラスの大群。カラスを追い払うおじさんたち。逃げる。降りる。喰う。逃げる。カラスがあれほど狂ったように喰うのだから、干した桜えびは旨いに違いない。鯨の主食もオキアミでエビの一種だ。あのでかい体を維持するぐらいだから良質な食料であることは間違いなさそうである。それにしても生産者にとっては、
カラスにみすみすタダ喰いされて、大変な損失であろう。ここにも熾烈な自然の戦いがあった。

 観光案内はその土地のおじさんに。旨くて健康によいものはカラスに聞けばいいのだという教訓を胸に、春の川原を散策。駅まで歩いた。万歩計13、765歩。久々の心地よい疲れとともに三島、熱海と乗り継いでJR東日本国のせせこましくいらだつ観光客でいっぱいの領土に帰還した。
(写真:干し終わったエビをまとめる生産者)


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かまってもらいたい

2008年04月15日 | Weblog
 私が留学したカナダの学校で、多くの生徒は、日本人を見るのが初めてだった。私は彼らの好奇心の的になった。髪の毛は触られる。シャワー室で裸をまじまじ見られる。顔を洗っていれば、背後で何十人もの生徒がじっと私の洗顔の一部始終を観察する。 私の髪の毛に触れ、指で感触を体験した生徒の多くは一様に、「針金みたいだ」と言った。

 その私の髪の毛以上に、妻の髪の毛は固くて太い。妻は、出勤前のおめかしで髪の“寝ぐせ直し”に苦労している。そこであまりひどい時には私が助けている。寝ぐせ直しのスプレーをシュッシュして、手で力をこめて髪になじませる。私の髪の場合、何もしなくてもスプレーだけで済む。妻の髪は相当力をこめないと反応しない。つい力が入る。妻はリラックスしているのか、私の力に頭を振り回される。荒っぽい頭皮のマッサージのようで、妻は「キャッキャッ」と嬉しそうに声をあげる。

 そのさまを見て、私が子供の頃、風呂から上がって母ちゃんにタオルで拭いてもらっている様子を思い出した。母ちゃんはふざけて、「チンチン取っちゃうぞ」とくすぐったがる私を拭いてくれた。かまってもらえる幸せを全身で感じていた。妻もそんな感じで喜んでいる。出勤前のあわただしい時間、ふと夫婦になれてよかった、と思える時間である。

 スキンシップを“肌のふれあい”といえば、なにか私の言おうとしていることとは違ってしまう気がする。“かまう”“相手の存在を認め、それをなんらかの行動で相手に伝える”ことだろうと思う。うまくいえない。人は“かまってもらいたい”。自分の存在を人びとに認めてもらいたい願望を持っている。無視されることはつらい。

 気配り、目配り、手配りを一身に受けていると感じられるのは、なんと幸せなことか。現在日本では多くの子供たちが、親によって命を奪われている。命を奪われた子供たちにもそんな幸せがたとえ一回でも一瞬でもあったことを信じたい。人間だれの心の中にも“獣”が潜んでいるという。いかに自分の中の“獣”を封じ込めるかは、人間が毎日続けなければならない学習ではないだろうか。それにしても殺人事件の多さに心が痛む。
 写真:かまってもらっているなと感じた犬小屋の掲示

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紅葉マーク

2008年04月10日 | Weblog
 若葉マークは運転免許を取得して間もない人が車につける。紅葉マークは高齢者が運転する車につける。

 先日散歩中、道路を横断しようと路肩で待っていた。白いカローラが止まってくれた。ボンネットに紅葉マークがあでやかに張ってあった。運転していたのは明らかに紅葉マークのおじいさんだった。

 ところがである。よくあることなのだが、反対車線の車が止まらない。道路の中間点まで進んだ私だが、どうすることもできない。おじいさんの後ろに車が次々に止まり、みな怪訝な表情をあらわにしている。おじいさんもイラだってきた。7台の車が止まらないで通過した。やっと8台目の車が止まってくれた。行きつけのガソリンスタンドの社長だった。おじいさんと社長にコメツキバッタのようにお礼を繰り返しやっと道路を横断した。

 私は反省した。これからは必ず信号のある交差点へ行き横断しよう。紅葉マークのカローラがわざわざ止まって歩行者を渡してくれる。ベンツやBMWが「あぶねえなあ。こんな所を歩いているんじゃねえよ」の顔をして平気で通り過ぎる。親切が仇となって交通事故に巻き込まれかねない。せっかくの善意を“小さな親切、大きなお世話”にはしたくない。

 車を使わないで歩くようになってから、今まで気がつかなかった歩行者の立場がよく理解できるようになった。歩いていて怖いのは車だけではない。自転車も恐ろしい。歩道をなぜ自転車が走れるのかわからない。

 歩くと道草やよそ見は当たり前の行動となる。歩く楽しみはそこにある。歩いていると車や自転車に“邪魔”な存在だと思われているのがよくわかる。交通標語に“そんなに急いでどこへ行く。むかしはみんな歩いてた”というのがあって、いたく感動した。便利になればなるほど、人間の心にゆとりが生まれるのならよい。忙しそうにしていることが、働いていることと勘違いしている人も多い。そうでなくても日本人は、せっかちで短気な国民性を持つ。

 紅葉マークのおじいさんの親切が通用するゆとりある交通マナーが浸透しますように。もっともっと歩く人が大切にされる、ゆとりある日本社会になりますように。“急いでも、着けばみんな同じとこ=場所=あの世?”

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指輪を見る老婆

2008年04月07日 | Weblog
 電車の中で七人がけのベンチシートに老婆と乗り合わせた。老婆は背が低く杖をついてリュックを背負っていた。手には紙のショッピングバッグを持ち帽子を深々とかぶっていた。パンパンのリュックが私の顔をかすめた。リュックを背負ったまま腰掛けたので、お尻が滑り落ちそうなくらいしかシートにのっていない。

 電車が動き出した。老婆は毛糸の手袋をしていた。しばらくすると持っていた杖が通路に滑り落ちた。手で取ろうとするが届かない。むこう隣りの若い女性がさっと手を伸ばして杖を拾い、「はい」と老婆に手渡した。「ありがとうございます」と小さな震える声でお礼を言った。

 まもなくすると老婆は毛糸の手袋を脱いだ。そして右手のくすり指の指輪に左手で何度も何度もやさしく触れた。はしたないとは思ったが私は読んでいた本をよけて指輪を見た。真ん中に小さなダイヤモンドをあしらい、台は紫のアメジスト。その指輪はとりわけ高価なものではなさそうだ。しかし老婆の指輪を見つめ、さするそのさまは、まるで何かをいとおしんでいるようだった。

 その光景を見ていてふと私は思った。私が死んだ後、私の妻がこんな風に私が贈った指輪を見るのだろうかと。結婚する前、私はロンドンで学んでいた妻に誕生日のプレゼントに何か欲しいものはないかと航空便で尋ねた。妻は、封筒に直接手紙文を書きこんで折込み、糊しろに糊をつけ、普通の封書便のように遅れる航空便に、びっしり返事を書いてきた。彼女のスケッチもあった。彼女が私に初めて求めたプレゼントは指輪だった。妻が学んだウインストン教授のチームに、イギリス人の女医がいて、彼女のしていた指輪がとても素敵で、妻もそのようなデザインの指輪が欲しいと思ったという。そのデザインが大きく上手に描かれていた。

 私はそれを持って知り合いの宝石店へ行った。ちょうど宝石デザイナーによるオリジナルリングのセールをしていた。約1箇月かかると言われた。出来上がるとその指輪を持って、ロンドンへ行った。指輪は彼女の思っていたものとは全然似てもつかない代物だった。それでも彼女はとても喜んでくれた。 妻は今でもその指輪をとても大切にしてくれている。特別な時にしか指にはめない。結婚記念日とか誕生日とか。

 老婆にも、何かそんな特別な思い出があるのかもしれない。事情はどうであれ、私はとても素晴らしい光景だと思った。リュックで一撃を受けそうになったことも忘れよう。電車が私の降りる駅に到着した。心の中で「さようなら、素敵なおばあちゃん」と言って電車を降りた。

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臨時投稿 母猿

2008年04月04日 | Weblog
 私は毎朝妻を7:02発の電車に間に合うようにJRの最寄りの駅へ車で送る。昨日の朝も6:52ほぼ時間通りに、乃木商店という八百屋の角を、右から来る猛スピードの1台車が通り過ぎるのを待って。右折した。

 国道に出るとすぐ私は「あ、猿だ。何か引きずって道路を渡ろうとしている」と妻に告げた。妻は「物じゃない。あれは子供よ。赤ん坊。事故かしら。あんなに血が」

 私の前を走っていたタクシーが静かに止まった。さっき通り過ぎた車に引かれたに違いない。おそらく初めて産んだ子供であろう若い母猿は、子供を道路からつれ出そうとしている。

 子供がかすかに動く。母猿は車に対して恐怖の塊になっている。車を見る母猿の目にその様子があらわれている。子供を必死で、その危険な場所から安全な歩道に移したがっている。

 タクシーが止まったとはいえ、自分の子供が轢かれたのと同じ車という凶器が目の前にある。タクシーが何もしないことを確かめて、母猿は両手を使い、力いっぱい子供を引きずった。

 猿が人間のように手を仕えることは、状況を一層悲惨に映す。犬や猫とも違う。カラスとも違う。母猿がつかんでいるところが手なのか、頭なのか、皮なのかわからない。

 10センチ、15センチと動く。母猿は自分が何をしてよいのかわからず無我夢中で本能に従う。ガンバレ、もうちょっとだ。

 いつだって裏山の15メートルの高さの石垣を、子供を背負ったまま、いとも簡単に登っているではないか。引きずった後に血がべっとりと道路にこびり付いている。

 反対側の歩道に中年の女性がそのさまを見つけ、両手を口に持っていき立ち尽くしている。タクシーもまだ止まったまま。

 母猿は最期の力をふりしぼるようにボロ切れのようになっている子供を引いた。母猿は一切声を出さない。全力で子供を引きずる。神にも祈らない。仲間に助けを求めて叫びもしない。人間への憎しみの捨て台詞もない。ただ引っ張った。

「この子はこんなことでは死ぬはずない」と言っているがごとく子供の体を引いた。物体が引かれてズルズル動く。

 よし、歩道に上がった。母はただ子供を強く押し揺すり、「さあ山のおうちへ帰りましょう」と言っているようだった。

 妻が「あの出血量だとダメかも知れない」と言った。「そんなことはない。あの子はガンバル」見ているだけで何もできない自分にいらだつ。妻は私の心を読むように「こういう状況で人間がでたら、母猿は命がけでかかってきて、子供を守ろうとするわよ」と言う。

 前のタクシーが静かに動き出した。運転手は明らかに前を見るより、歩道の母と子に目がいっていた。彼もきっと自分が何もしてあげられない悔しさを感じているのだろう。私も彼と同じ気持ちで、血を踏まないように車を迂回させてそこを離れた。

 家に戻り、私は歩いて現場へ行った。何事もなかったように道路の血は洗い流され、猿の親子の姿は、どこにもなかった

 最近、人間の母親の子供殺しが続いている。私はあの母猿に申し訳なく思う。

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ベビーカー

2008年04月02日 | Weblog

 孫の小学校入学のお祝いの食事会を東京の二子玉川の高島屋デパートのレストランですることになり、車で出かけた。道路は日曜日にもかかわらず、ずいぶん交通量が少なく予定より早く二子玉川に到着した。さらにデパートの駐車場へもすんなりと入庫できた。約束の集合時間5時にはまだ2時間もあった。久しぶりに夫婦二人そろってのデパートなのでウインドウショッピングを楽しむことにした。

 6階の特設会場で京都の物産展が開かれていた。漆工芸や扇子、着物など伝統的な京都らしい展示品を楽しめた。妻がもっと見ていたいと言い、ちょうど近くで京都のお菓子が飛行機便で到着し、
3時から販売開始するというので20人ぐらいの列ができていた。ただ妻を待つより、並んでおこう、という気持ちで最後尾についた。

 係員の指示に従って並んでいた。日本はどこも狭く、人口密度が高い。ちょうどエレベーターの前で、列とエレベーターの利用者で混みあっていた。その時私の右足の足首にガツンと何かが衝突し、目から火花がでた。ものすごく痛かった。脇をベビーカーを押して若い母親が「邪魔だよ」の顔で通り過ぎた。とっさに私は「何か言うべきではありませんか?」と声をかけた。ベビーカーの女性はあざ笑うかのように私を無視した。私はそれ以上何も言わず、足首を調べようと屈んだ。髪の毛を短く刈り込んだ30歳代の男性が私を小突いた。

 「俺の女房に何のいいがかりをつけてるんだ」 私は「ベビーカーがぶつかったので“何か言うべきではありませんか”と言いましたが」「てめえ、喧嘩売ってるのか?イチャモンつけやがって」「いいえ」「いいえだと。上等だ。外へ出ろ!」そこにデパートの男性店員が二人駆けつけた。「申し訳ございません」「申し訳ございません」と平身低頭で男に謝り続ける。男は私を睨みつけながら「フェン、ベビーカーに赤ん坊が乗ってるんだ。見たらどけよ。まったくいい歳して何だよ」と朝青龍が最後の仕切りを終え、塩を取りに行くときのように向きを変え立ち去った。

 ちょうど私の妻が戻り、心配そうに私を見た。デパートの店員たちも客たちも、
私をまるで犯罪者を見るような目つきで見ていた。よく最近いる“切れやすい老人”を見る目つきだった。どんな理由があったにせよ、人に怪我させたり迷惑かけたら謝るのが、まともな人間だ。人間は言葉を持っている。前に人がいて、通るのに邪魔だったら「通ります。どいてください」とか「すいません」とか、それさえ嫌なら、せめて咳払いでもいいから知らせて欲しい。

 三重県の松坂市で、バスの中で携帯電話を使っていた58歳の男性に注意した61歳の男性が、首を絞められて殺された。30人いた乗客のだれも行動を起こさなかった。デパートで私はその状況に近い経験をした。注意されることなく変に甘やかされて育った人々は不幸である。注意されることを“喧嘩を売られた”と受け取る狭量さは人間の未熟さをあらわす。社会や組織で自分が知っている上下関係に押しつぶされている人びとは、自分が知らない他人だけの集合の中に入ると、その不満、鬱積、怒りを簡単に、かつ不用意に他人へ向ける。最近多い無差別殺人はそれである。

 動物は子供を守るために命がけになる。男が愛する女のために命をかけて守るのも道理がある。でも自分の妻がひとさまを痛めたら、夫は謝るのが当然だ。夫として妻に謝らせるか、代わりに夫が謝ればそれで済む。

 たまたま怪我はたいしたことはなかった。突然足首に衝撃を加えれば、年寄りは足の腱を切りやすい。私の知人で成田空港であの頑丈な荷物カートで後ろからぶつけられ、腱を切られた人がいる。治るのにずいぶん時間がかかった。

 ベビーカーを押していた母親は、明らかに自分の目の前の混雑や目障りな私のようなオヤジにヒステリックになっていた。言葉でなく体罰を与えたいと思ったのだろう。どんな形であれ、人を傷つけるのは良くないことである。何より恐ろしいのは、ベビーカーに乗った幼い子は、そんな母親や父親をこれから毎日見ていなければならないことである。私は子供に注意をして“クソジジイ”、親に“恐いおじさん”と言われたことが何度もある。子供たちの将来を思えば、注意せずにはいられない。

 せめて孫には、孫の将来のために厳しくしようと、祝いの席で思った。


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