団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

円安ドル高

2022年09月30日 | Weblog

  去年の今頃、1ドルは110円くらいだった。一年後の昨日、144.34円になっている。

 私がカナダへ留学した1960年代、1ドルは360円だった。それに加えて外貨持ち出しは、1人年間700ドルの制限があった。外国為替に関して何の知識も持たない父が、私のカナダへの出発前夜、どうやって手に入れたのか、現金で700ドルを手渡してくれた。留学した学校の年間授業料は、寮費を含めて約500ドルだった。その他の経費や小遣いを入れると足りなかった。学校は、学生の学費を軽減させるために1日2時間作業をすることを許可していた。私は、乳牛の乳しぼりとニワトリの世話をした。1時間25セントで計算され、年間にすると250ドルくらいになった。夏休みの3カ月は、1日8時間の作業で次年度の学費が無料になった。明治時代以降、多くの日本人が、アメリカに出稼ぎをするために渡った。貧しい国からアメリカへ来て働けば、自分の国で働くよりずっと多く稼げた。アメリカとカナダの鉄道は、中国人と日本人の労働で作られたと言われている。当時1日の労賃は、25セントだったと聞いた。25セントは、私にとっても特別な響きを持つ。

 カナダから帰国して結婚した。2人の子供を授かった。しかし離婚することになり、2人の子供を引き取った。長男は、全寮制の高校に入った。長女は、アメリカの留学時代の先輩夫婦が預かってくれることになった。長女へ学費などを、ドルで仕送りするようになった。その時、私に仕送りしてくれた父の苦労が、身に染みて理解できた。後に長女は、カルフォルニアの大学に進学した。送金は、為替の変動を見ながら、できるだけ有利になるよう送金をした。

 縁あって再婚できた。妻の海外赴任に配偶者として同行することになった。離婚してから2人の子供仕送りに明け暮れた。不摂生な食生活とストレスで糖尿病を悪化させていた。海外に出ることによって、日本でのしがらみから解放された気がした。

 海外生活にもいろいろな苦労があった。妻の給料は、国によってドルやフランスフランで支払われた。それを赴任国の貨幣に両替した。ネパールでは、ネパール・ルピーに。セネガルでは、セネガル・セイファーに。旧ユーゴスラビアでは、ディナールに。チュニジアでは、チュニジア・ディナールに。サハリンでは、ルーブルに。為替は、変動が激しかった。休暇で赴任国から他の国に行くと、そこでまた両替しなければならなかった。偽札を掴まされたこともある。タクシーに乗って、メーターの金額を自国通貨でなくドルで払えと恐喝され、ナイフを突きつけられたこともある。不便なので、EUのように世界も統一通貨を持てばいいのに、と思った。しかし、そんなことをしたら、悪い連中や国家は、あらゆる手を使ってかすめ取る算段をするだろう。国々によって通貨制度が違うことで、犯罪を防いでいるのも事実だと思う。

 多くの国で、通貨によるいろいろな経験をしてきた。今、日本の地方の終の棲家で、静かに暮らしている。ドル円が上下しようが、毎日の生活に影響は少ない。子供たちへの仕送りもない。日本政府や日本銀行がどう動こうが、なるようにしかならないと達観している。世の中のわからない難しいことから距離をとるには、暗いうちから散歩して自然の中に身を置くのが一番である。


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酔いつぶれ

2022年09月28日 | Weblog

  9月27日、東京の武道館で故安倍晋三元首相の国葬が営まれた。安倍さんが、7月8日に奈良で凶弾に倒れて、すでに80日が過ぎた。

 国葬に反対か賛成かは、私にとって遠くの騒めきである。英国のエリザベス女王の、この世と思われぬ絢爛豪華で荘厳な国葬をニュースで観た。安倍さんの4000人以上という参列者の国葬をニュースでチラッと観た。私は、思った。きっと、私の葬式は、直葬で妻と子供孫だけの小さなものであるだろうと。それでいい。私には、それが一番似合う。

 どんなに国をあげての大規模な葬式であろうと、裏から見ると、あの女王一家や安倍さんの家族、そして式の運営側にさえ、人間が逃れられない業が見え隠れする。マスコミが国葬での席順に関してどうのこうのと報じていた。田舎の結婚式や葬式と変わらない。

 私は、安倍さんの政治家としての功績や実力に意見を持たない。しかし安倍さんと奥さんの昭恵さんに、関心がある。ネットでコラムニストの河崎環さんの記事を読んだ。その中に「酔いつぶれた昭恵夫人をおぶって帰ったこともあります」という文章があった。昭恵夫人は、森友学園問題をはじめとしてマスコミに取り上げられてきた。夫である安倍さんにとって、3歩下がる、ましてや糟糠の妻でもなかった。夫婦の事は、二人だけにしか分からない。どんなにマスコミや世間に叩かれても、安倍さんは、昭恵さんと別れなかった。“妻たるもの夫の3歩あとを歩くもの”は、夫が前を歩くことによって、後ろの妻を守る意味もあると聞いた。安倍さんが昭恵さんを愛するが故に、昭恵さんの前に立って守っていたなら立派な漢である。

 英国のエリザベス女王も、息子のチャールズ皇太子を母親として守っていたように見受けられる。エリザベス女王の棺の上に、宝石がちりばめられた見る者を圧倒させる王冠があった。それだけを見れば、近寄りがたい威厳と格差に弾き飛ばされそうになる。王室にも多くの人間らしい諸問題があることで、何かホッとできる。歴史上、多くの権力者や独裁者は、自身が神になることを、また死後取り巻きが神に仕立てて来た。今は、それがなくなった。少しずつではあるが、人間は、人の間、つまり人は人との関係で存在する方に向かっている気がする。

 私の妻も酔いつぶれることがある。医者という重圧から逃れられるのは、酒の力だと思う。仕事一辺倒なので、昭恵夫人のように外での活発な行動はない。毎日、家と病院を往復しているだけである。私は、妻を守るために3歩前を歩くような漢ではない。でも安倍さんが昭恵さんを好きなくらい妻が好きだ。最近、以前のように友達を招くことがない。二人だけの晩酌が続いている。少し酔って、おかしなことを口にしたり、テレビに向かって罵詈雑言を浴びせることはあるが、酔いつぶれることはない。

 昭恵夫人は、あれほどの大規模な国葬をどう受け止めているのだろうか。私は、これから昭恵夫人が酔いつぶれたら、誰がおぶってあげるのだろうかと思うのと同時に、私が死んだ後、酔いつぶれている妻を想像する。

 妻は、自分は結婚しないと子供の頃から決めていたと、私に話した。理由は、失うことが恐いからだと。妻の決意を狂わしたのは私だ。しかし私は、それを後悔していない。


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飛び地に暮らす不都合不条理不合理

2022年09月26日 | Weblog

  大きくて重い物のクリーニングを長野県の会社にwebから申し込んだ。後日、クロネコの宅急便で集配用の梱包袋が届いた。クリーニング代の36960円は着払いなので、準備していた金を払って、領収書をもらった。代金には、往復の送料が含まれている。顔見知りになっていたクロネコの配達員が、手伝ってくれて袋にクリーニングする物を詰め込んだ。荷札を付けようとした時、配達員が「あッ、これウチじゃない、佐川さんだ」と言った。「佐川さん」って誰?私は咄嗟にそう思った。伝票を見て、納得。佐川さんって、佐川急便のこと。それにしてもクロネコで、梱包用の袋を送りつけて、集配は佐川ってどういうこと。非合理的。代金だって着払いさせている。一度で済むことを、わざわざ面倒くさいことをさせるとは。

  送られてきた、包みを開けた。中に説明書が入っていた。佐川急便への集配の手順が書いてあった。指示された電話番号へ電話した。私の嫌いなコンピューターによる番号入力方式だった。指示された通り私の電話番号を入力した。人工音声の女性が「入力に誤りがあります」と言った。数回同じことを繰り返した。その都度同じ音声。仕方がないのでweb申し込みにしようとパソコンを操作した。電話番号を入力すると、文字表示で「入力に誤りがあります」と出た。佐川急便の最寄りの営業所に電話してみた。またコンピューター受付。電話番号を数字で押す。「入力に誤りがあります」

  だんだん堪忍袋が破裂しそうになって来た。悪いのはクリーニングの会社だ。電話した。受付の女性。今度は人間だった。ホッとする。しかし態度が悪い。我慢して事の次第を説明した。送って来たのがクロネコで集荷が佐川について聞いた。理由は、クロネコが荷物のサイズが大きすぎて佐川しかこのサイズを受け付けないからだと分かった。佐川への集荷依頼について聞いた。そんなはずがない、と言われた。でも現実に受け付けてもらえない。私の声が荒くなる。英国のチャールズ新国王が何かに署名する時、ペンのインクが手に着いたと癇癪を起したとネットに取り上げられた。歳をとると切れやすくなるのは、平民も国王も同じらしい。とにかくこれ以上話しても、らちが明かないと思い電話を切った。

  ソファに座って考えた。ふと携帯電話ならどうだろう、と浮かんだ。携帯の番号は、地域で設定されていないはず。佐川急便の集荷依頼の専用番号に携帯から電話してみた。通じた。集荷依頼が終了。

  原因が分かった。私が住む所は、飛び地である。廃藩置県で境を設定する際に、地図上の川の流れに沿って境の線を決めた。江戸時代は、一つの集落だったが、廃藩置県で集落は、二分された。分断された地域は、現在属する市とは山並によって分断されている。飛び地である。電話番号は、他県の局番になっている。コンピューターに飛び地の事情などインプットされているはずがない。だから佐川の受付のコンピューターは、他県の荷物の集配を拒絶した。ごく当たり前なことだ。

  クリーニング会社に飛び地の不都合、不合理、不条理など理解できるはずがない。いったい日本に私の住むような飛び地がいくつあるのか。ほんの数える程であろう。そんな希少な場所のことなどコンピューターが判別して計らうことなど、できるわけがない。クリーニング会社に謝りの電話をかけた。飛び地のことには触れなかった。きっと私の事をエンゴウジジイ(因業な爺さん)だと思った事だろう。短気は損気。気をつけよう、暗い夜道とジジイの癇癪!

 


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バランスボール

2022年09月22日 | Weblog

 9月13日テレビでニュースを観ていた。河野太郎デジタル担当大臣の会見だった。日本には珍しい仕事ができる大臣だと思っているので、会見を聞くことにした。画面を観ていると、私は、めまいを感じ気持ちが悪くなった。もしや体のどこかで重大なことが起こっているのか。年齢的に体のどこで異常が起こってもおかしくない。血管があちこちで詰まって、カテーテル治療を何回も受けている。このところ心配していたのは、脳の血管が詰まる脳梗塞だ。テレビを消してソファに横になった。ほどなく平常な状態に戻った。立ちあがって、あたりを歩いてみた。何も異常を感じなかった。

 数年前から、ベッドで寝ていて、左耳を下にしてすると目が回るようになった。右耳を下にすると眩暈は収まる。左耳をした時の目の回り方は、半端ない。天井がグルングルンと回る。気持ちが悪くなり吐き気を感じる。しかし、向きを変えると何もなかったように元に戻る。心臓バイパス手術を受ける前までは、うつ伏せで寝ていた。手術を受けた後、仰向けでしか寝られなくなった。胸を開いて、骨を切断しての手術だったので、仰向けに寝ると、胸の負担が大きくなるので自然にそうなった。

 ベッドは、結婚してからずっとダブルベッドだった。最近シングルベッド2台にして、くっつけてダブルのようにしている。私が右側で妻が左側に寝る。私が左側の耳を下にしてすると目が回るようになってから、私は妻に背を向けて寝なければならなくなった。妻は、寝る前に話をするのが好き。私は、最近ずいぶん耳が遠くなった。加えて左耳を下にするとめまいがするので、妻に背を向ける。ますます妻の話が聴き取れない。そうこうしているうちに睡魔が私を襲う。妻は、私が背を向けて寝ること、話の途中で寝てしまうことに不満である。寝る場所を変えてみたが、どうも落ち着かない。寝つきも悪い。寝る場所を元に戻した。

 河野太郎大臣の13日の会見に関して、ネットのニュースに取り上げられていた。何ということであろう、あの日河野大臣は、大臣室の机に椅子の替わりに、バランスボールの乗って話していたと言うのだ。私の体の異常でなく、大臣自身がバランスボールに乗って、ゆさゆさ揺れながら話していたそうだ。原因が分かってほっとした。

 テレビ局は、なぜテロップで、『画面の揺れは、大臣がバランスボールを使用しているのが原因です』表示できないのか。普段、お笑い芸人たちの番組で、画面に窓を入れて、そこにひな壇にいる芸人たちを、次々に映す、用でもない事をする割に、視聴者への配慮がない。

 私が想像した通り、河野太郎デジタル担当大臣がバランスボールに乗りながら会見した事への批判が多かったという。多くの大臣が就任すると、マスコミは、「大臣室の椅子の座り心地はいかがですか」などと馬鹿げた質問をする。河野太郎さんは、型破りの国会議員だ。だからこそ、他の大臣とは、違うことをやってのける。私は、河野さんの会見で目を回したが、事前にバランスボールのことを知っていれば、納得したと思う。私自身も腰痛を軽減するために、バランスボールを使っている。

 今、日本に必要なのは、多くの日本人から「変わり者」と評価される人たちだと、私は思う。世界で活躍する多くの人たちは、ある意味「変わり者」である。まだまだ日本は、古い封建的な旧態依然な考えに振り回されている。河野大臣のバランスボールでめまいを感じたが、変化の兆しを感じたのも事実である。

 


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ずぶ濡れ

2022年09月20日 | Weblog

 19日朝、台風14号が、日本を横断するという予報だった。妻は、祭日出勤のため、いつものように出勤した。駅へ妻を送った後、大谷翔平選手が出ている試合中継をテレビで観た。いつもなら私の糖尿病の検診日は、木曜日が多かった。主治医の都合で、祭日の検診となった。大谷翔平選手のホームランを期待したが、電車の時間が迫って来たので、家を出た。電車で東京の病院へ向かった。天気予報は、東京でも雨が強く降ると言っていた。台風は、まだ西日本なので、東京の雨は、大したことないだろうと傘だけ持って出かけた。東京に向かう電車から沿線でも雨は降っていなかった。所々では、青空さえ見えていた。

 病院へ行く最寄りの駅で降りた。階段を上って、道路に出た。もの凄い雨。駅の前の信号は赤。多くの人が、駅の建物の中で信号が青に変わるのを待っていた。青になった。でも誰も横断歩道を渡ろうとしない。傘をさして私ひとりが渡る。道路は川のように雨水が流れていた。靴はビショビショ。歩くたびに水が飛び跳ねる。傘はさしているけれど、風が強く吹き、傘と体を煽る。時間はすでに診察の予約に迫っていた。横断歩道を渡り切る。雨は、更に激しく降る。歩道を歩いている人はゼロ。雨宿りしている人が、あちこちにいた。靴と靴下は、すでにたっぷりと水を吸い込んで、足が靴の中で泳いでいる。背中のリュックから水が背中を流れ落ちて、ズボンとシャツの間の隙間から尻に到達。ズボンは、下から上から生地に吸い込んだ水分が毛管現象により膝辺りで合流。下着も何だか張り付いてきた。病院の玄関に到着。するとあんなに強く降っていた雨が、ピタッと止んだ。駅で待っていれば良かったのか。でも予約時間が…。

 受付で保険証と予約券を出した。受付の人が、何か声をかけてくれるかと期待したがいたって事務的な応対。すでに持っていたタオルハンカチは、絞れば水が流れる程。2階の待合室へ行った。椅子に腰掛けようと思ったが、座れば椅子が濡れてしまう。私はいいが、次の人が濡れているのを知らずに座ればきっと前に座った人が、お漏らししたのでは、と疑うだろう。ハンカチを敷こうにも、ハンカチはすでに赤ちゃんの朝の替える前のオシメ状態。待合室の冷房、いつもはもっと強く冷房して欲しいと思うのだが、やけに効きがいい。寒い。全身濡れネズミの身には、冷房はきつい。やっと診察室に呼ばれた。

 主治医にも何か言ってもらえるかと期待大だった。反応が薄い。椅子に腰かける前に、看護師に体が濡れているので、椅子にタオルか何かを敷いてほしいと訴えた。バスタオルを敷いて座った。普通だったらこれだけずぶ濡れの患者が、電車で2時間もかけて診察に来たら、もうちょっと応対の仕方があるのでないのかいな。まあ医者と患者お関係なんてこんなものだろう。友達でも家族でもないのだから。診察での受け答えも、いつもと違った。

 診察を終えて会計した。途中、薬局で薬を処方してもらった。薬代がいつもの3分の1だった。そうだ後期高齢者になって負担額が変わったのだ。むしゃくしゃしていた濡れネズミも、金の負担が減るとなると機嫌が良くなる。げんきんなものである。

 帰宅した妻に、私の一日を話した。妻がベランダに靴と中敷きとリュックを干した後、妻が言った。「東京の病院へ通うの大変だから、近くでどこかさがそうか」 そういう妻は、毎日東京へ通勤している。こういう時、私は、一番自分の老いを感じる。19日は敬老の日だった。


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生ハム

2022年09月16日 | Weblog

  ない。いつもの棚にない。そこは成城石井の生ハム売り場。あるのはスペイン産やフランス産。私が探しているのは、イタリア サンダニエールの生ハム。今まで普通に買えた。品切れなのか。店員に尋ねた。売り手側なのに、働いている店で売ってる商品に関して情報を持っていない。次に来れば、きっと入荷しているだろうと思っていた。そうこうしているうちに時間が経った。次も次の次にもサンダニエールの生ハムは、なかった。そればかりではなかった。イタリア産の生ハム、パルマなどの生ハムもない。鈍い私も変だと気づいた。ネットで調べた。2022年1月、イタリアでアフリカ豚熱が発生して、日本はイタリア産の豚肉製品輸入を禁止した。そうだったのか。納得。それにしても店でもテレビでも、アフリカ豚熱で輸入禁止になっているという告知がなかった。もう9月だが、確か4,5月頃までは成城石井にあった。きっと在庫があったのだろう。

 ずいぶん前に、イタリアのサンダニエール村をわざわざ生ハムを食べたくて訪れた。生ハム好きが高じて、いろいろな生ハムを食べてみた。生ハムで有名なパルマでも食べた。一番私に合うと感じたのがサンダニエールの生ハムだった。白ワインとの相性も良かった。秋だった。生ハムは、イチジクと供された。大きな皿に皮つきの黒イチジクが並べられていた。生ハム用の包丁で店のマンマが、芸術的に薄く薄くスライスした生ハムをイチジクの上に置いてゆく。見ていた私は、思わず唾を飲みこむ。待つのも、味覚を覚醒させる起爆剤かもしれない。地元産の白ワインで乾杯。白ワインの湿り気が充満する中に、イチジクと生ハムが押し込まれる。白ワイン、イチジクが融合。絶妙な塩加減の生ハムがベールのように白ワインとイチジクを包み込む。ああ、仕合わせ。私の反応を見ていたマンマが、私からのプレゼントと言って、もう一皿用意してくれた。マンマのウインクが忘れられない。

 日本は、果物王国だと思う。メロン、桃、柿、ブドウ、イチジク、どれをとっても超一級。そしてこの果物、どれも生ハムと良く合う。日本では絶対に買えないと思っていたサンダニエールの生ハムを成城石井で発見。あの時の喜びは、失くしたと思っていた一万円札を、ゴミとして捨てようとした封筒の中から見つけたようだった。サンダニエールと聞いただけで、あのレストランのマンマのウインクと厚い胸の押しつけがよみがえる。

 サンダニエールの生ハムに恋してる。他の国の生ハム、イタリア製であってもサンダニエール村産以外の生ハムには、目もくれない。私も古希を5年も過ぎ、しっかり後期高齢者の仲間入り。昨日、市役所から『後期高齢者医療保険料決定通知書』なるものも届いた。コロナ禍ということもあって、海外旅行はもういけないかも知れない。もし行けるのであれば、サンダニエールの村のあのレストランへ行きたい。主幹高速道路から離れた田舎道をのんびり進んで、小高い丘の教会の塔を目指して村に入る。石畳の道の角にある小さなレストラン。きっと間違えることなくたどり着ける自信がある。

 イタリアのアフリカ豚熱が終息しても、すぐにサンダニエールの生ハムが、輸入されるかわからない。でも私は待つ。手に入るようになった時、どのフルーツが旬なのか。それが楽しみ。


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アストリッドとラファエル

2022年09月14日 | Weblog

  コロナ禍で家に閉じこもっていると、テレビを観る時間が多くなる。かといって平常に放送されている番組の多くは、見たくもない面々ばかりが出てくる。そこでネットフリックス、アマゾンプライム、ユーチューブを観ざるを得ない。夫婦といえども、好き嫌いが違い、意見や嗜好の違いは、多い。私は、妻が喜んで何かを観ている時、テレビのある場所から移動して、別の場所で、漢字パズルなどをするようにしている。

  大相撲秋場所が始まった。妻の帰宅時間には、大相撲の中継は、終了している。我が家では、録画で観戦する。どんどん早回しで、嫌いな解説者や実況アナウンサーのつまらないコメントや、とって付けたような雑知識を飛ばせる。晩酌と夕食は、テレビを観ながらとる。大相撲は、二人が好んで、同じ気持ちで観られる。家の外で緊張して仕事してきた妻は、アルコールも入って、好きな力士の応援に力が入る。大きな声で、解説者顔負けのコメントを発する。応援している力士が、負けると容赦ない叱責を浴びせる。時に、その内容が、私への不満不平ではないかと、思えてしまうことも多々ある。でも疲れて帰宅して、ストレスを発散する妻を見ると、安堵するのも事実である。私は、家の外で働くことはもうない。ご隠居さん生活も長い。妻が職場で受ける重圧をできるだけ、和らげてあげるのが、今の私の仕事と思っている。

  妻は、時々、何かの媒体で映画、ドラマ、番組を探してくる。先日、「毎週日曜日NHK総合テレビ午後11時からの『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』が面白いらしいよ」と言った。午後11時には、私たちはもう寝ている時間だ。さっそく録画機能をセットしておいた。昔、私がまだ働いている頃、好きな連続ドラマがあっても、仕事が夜遅くまでだったので、観ることができなかった。今は、便利で録画でも見逃し配信などで、過去の番組を観ることができる。

  『アストリッドとラファエル 文書が狩りの事件録』は、二人とも気に入った。いつもながらフランスの映画やドラマの配役が見事だ。日本の岸田首相も、大臣指名にフランス映画並みの配役をして欲しいものだ。ヨーロッパの作品が、アメリカのアカデミー賞に選ばれることは、少ない。しかしイタリア、フランス、英国などの作品は、配役がいい。主役のアストリッドやラファエルだけでなく、周りの脇役も、よくぞこの役にこの俳優を選んだと感心してしまう。アストリッドは自閉症。仕事は、パリの犯罪資料局で資料の整理をしている。たった一人で広い職場で、自由にいきいきと働いている。他人に触れたり近づけない。孤独そうだが、アストリッドは、ひとりで居るのが一番心地よい。多くの欧米の映画ドラマは、ベッドシーンなど色恋沙汰が、これでもかと映し出される。『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』には、それがない。

 私は、コロナ禍を憂い嘆いている。ひとりでいることに疲れ果てている。私と比べて、アストリッドを偉いと思っている。自閉症であっても自分の生き方を貫いている。色恋沙汰とも金銭欲とか名誉欲もない。私の生き様とは、全く違う。アストリッドが神々しく見える。それにしてもアストリッドを演じる俳優は、凄い。ただ残念なことに、NHKテレビでは、吹替で日本語になっている。あの俳優の生の声を聞いて、字幕で観ることができれば、更に楽しめるに違いない。NHKが、あのドラマを日本で放映してくれたことに感謝したい。

 アストリッドから、これからもひとりが孤独でないことを学びたい。


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コブシの実

2022年09月12日 | Weblog

  友からメール。鬱うつした気分がいっぺんに晴れる時である。「…ところで、春のコブシの花は毎年よく見ていたのですが、花の由来のコブシの実はほとんど見ることもなく過ごしていました。コロナで散歩するようになり、昨年、今年とコブシの実をしっかり見ました。多分知っているとは思いますが、ついスマホで下手な写真も撮ったので添付します。…」今回は、何と写真付き。手紙と違い、今は、メールに簡単に写真を添付できる。便利な世の中である。

 コブシの花は、好きな花の一つだ。「…多分知っているとは思いますが…」 とんでもない。知らなかった。この歳になっても、いまだに新しいことを知るのは、刺激的である。ずっと“コブシ”という名は、“古武士”とか“小武士”とか“小さいブシかフシの木”とか適当な行き当たりばったりに思っていた。“ブシ”も“フシ”も、そういう名の植物は、ないだろう。ただコブシは、コブシという好感が持てる花であった。

 現在散歩していても、コブシの花を見ることはできない。残念ながら、私は、葉を見て、その植物の名を言えるほどの植物に関する知識を、持ち合わせていない。友からの写真付きメールのお陰で今度、散歩している時、コブシのツボミや実を探す楽しみが増えた。

 植物図鑑で調べると、コブシは、モクレン科だとわかった。モクレンは、英語でMagnoliaという。モクレンは、海外でも人気がある樹木だそうだ。香水の原料にもなっている程、その香は、人々に愛されている。驚いたことに私が、好きな朴(ホウ)の木もモクレン科だとわかった。私は、朴の葉の匂いが好き。確かに朴の木の花は、モクレン系の花だ。しかし朴の木の花は、可憐というには、あまりにも豪華絢爛過ぎる。コブシの花は、その点、可憐で質素さが感じられる。

 毎日、時間を持て余している。やらなければならないことは、たくさんある。でも手をつけるまでに至らない。気持ちが乗らないのである。世の中の事を憂いているばかり。街に出れば、今まで気に入って買い物していた店が、このところ閉店に追い込まれている。閉店を告示する貼り紙が悲しい。あの店員さんたちは、どうなったのだろうと思う。配置転換になって、系列店に行かれればいいのだが。政治は、統一教会とやらで腐敗一色。世界では、武力で、支配を手に入れようという国々が暗躍横行。経済は、円安だとか株価暴落とかで、専門家たちが、上がる下がると言いたい放題。

 そんな中、大相撲秋場所が始まった。贔屓にしている関取たちが、体と体をぶつけあって、真剣に取り組んでいる。アメリカの大リーグで大谷翔平選手が、目が覚めるような投打にわたって活躍してくれている。

 悪いことばかりではない。もっと生活を変えなければと思う。思いながら、時間だけが過ぎていく。友がメールをくれる。友が、私が好きだからと料理して届けてくれる。姉が、畑で採れたとイチジクをたくさん送ってくれた。一人ではない。

 コブシの実の写真を見る。人間、拳を握るときは、たいてい力を発揮しようとか、悔しいときである。コブシを握ろう。がんばろう。みんなに普通に会える時まで生き抜こう。


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サスカチュワンの大量殺人事件

2022年09月08日 | Weblog

 現地時間4日の早朝、カナダのサスカチュワン州の先住民保護地区とその近辺の村で、大量殺人事件が発生した。犯人と思われる兄弟の2人の内、1人が遺体で発見されたが、もう1人はいまだに逮捕されていない。詳細は、報道されていないが、犯人は先住民である。

 このニュースを見た時、私は、カナダ留学時代に出会った先住民いわゆるインディアンの人々を思い出した。日本でサスカチュワンという言葉を聞くことはまずない。サスカチュワンは、川の名前で、これが州の名の由来である。インディアンの言葉クーリー語で“早く流れる川”を意味する。

 サスカチュワン州は、カナダ中西部のプレーリー3州(アルバータ州、サスカチュワン州、マニトバ州)の1つである。プレーリーは、大平原を意味する。この3州は、農業が盛んで小麦の生産が多い。私がカナダにいた1960年代、サスカチュワン州とマニトバ州は、蕎麦の生産が多かった。現在の収穫量は、減少してしまっている。理由は分からない。ウクライナからの移民も多くいて、小麦の生産に携わる。サスカチュワン州の人口は、200万人に達していないが、人口に占める先住民は、10%を上回る。これはカナダの中でも突出した数である。州の人口の10人の内1人は先住民である。先住民の多くは、保護地区に暮らしているが、仕事を求めて都市に暮らす人も多い。

 今回の忌まわしい大量殺人事件は、サスカチュワン州の先住民保護地区で起こった。アメリカやカナダで多くの先住民保護地区は、観光事業で自立しようとしている。たまたま保護区の地下に石油が発見されて、利権で潤う保護区もある。また保護区内で、賭博場を経営しているところもある。しかし大多数の保護区の人々は、観光とも資源の利権とも賭博場とも縁がなく、貧しい生活を送っている。保護区に暮らすと、政府から一定の日本で言う生活保護費のような援助が受けられる。私は、保護区を論文の調査で訪れたことがある。日本人の見た目が、先住民に親近感を与えたのか、調査には白人学生より何倍も協力的だった。

 調査で、先住民は誇り高いが故に、現状に言い知れぬ絶望感に打ちのめされてしまっていると感じた。大自然の中、自由に生きていた。そこへヨーロッパから来た白人たちが、その生活の場を取り上げてしまった。侵略者である。力づくで奪った。そして挙句の果てに、保護区に閉じ込められた。

 保護区での問題は、飲酒と麻薬である。それは今も私が調査した時とも、変わっていない。今回の大量殺人事件は、コカインやヘロインが絡んでいるらしい。侵略される前、先住民は、酒や麻薬に頼らなくても生きていけた。もちろん部族同士の闘いや部族内での権力闘争はあった。征服者と被征服者は、戦勝国と敗戦国の関係より悲惨である。なぜなら被征服者は、国家でなく、保護区という小さな場所に閉じ込められたからだ。征服者は、先住民の土地を奪っただけでなく、先住民の心の中の誇りまで奪ってしまった。

 今でもカルガリーの裏町で、酔ったインディアンの青年が、白人のチンピラにボコボコに殴られていた光景。グレイハウンドバスでサスカチュワン州のレジャイナへ行った。有料トイレに入ろうとした。コインを入れる前に、十代のインディアンの少年が、トイレの半ドアの下から中に滑り込んで、中からドアを開けた。そしてにっこり笑って、手をホテルのドアマンのように出して言った。「Brother、please」 


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翡翠カワセミ

2022年09月06日 | Weblog

  9月4日日曜日、目覚ましのためにセットしてあるラジオが5時に鳴り始めた。咄嗟に手が伸びてスイッチを切った。今日は日曜日。そう「今日は日曜、父さん起こサンデー(Sunday)」と昔、英語で曜日を覚え方だと誰かに教わった。留学したカナダの全寮制高校の日課は、細かく決まっていた。土曜日と祭日は、寮長から許可を取っておけば「Sleep in(朝食をスキップして寝ていることができる)」することができた。二度寝の気持ち良さを知った。この歳になっても二度寝の気持ち良さは、変わらない。大好物のペッパーステーキを食べて、レストランを出て家路について、口の中のどこかに隠れていた胡椒の粒が、歯に当たってプツンと弾け、美味しかったペッパーステーキがよみがえる。あの幸福感に二度寝は、似ている。

 妻も最近では、熟睡できるようになった。知り合った頃、妻はまだ産婦人科医として、いつ寝るの、と思ったほど、忙しく働いていた。日中は、外来、お産、手術と平常勤務。夜は、家庭持ちの医師の分まで当直を引き受け働いていた。結婚した後も、私が起きている時、妻が寝ているのを見たことがなかった。妻も還暦が過ぎた。年に数回は、二人で目覚ましが鳴っても起きられず、遅刻しそうになることがある。二度寝の恐ろしさである。

 4日の朝、結局起きたのは、6時近かった。外を見ると雨は、降っていなかった。散歩できそうなので支度して出かけた。このところ暑さが戻ったり、急に秋を感じるほどに気温が下がったりを繰り返している。雨も多い。その日の気温は、散歩向きだった。川に沿ってゆっくり歩いていた。今では、妻の方が歩くのが早く、4,5歩先を行く。私は、杖を使って、ディーププレス(3秒鼻から息を吸って、7秒口から息を吐きだす)を繰り返しながら歩く。杖をつく、「カタン」という音とディープブレスの3で吸って7で吐く間が同調する。

 妻は、川原にいる鴨やサギや鳩を見つけては、喜んでいる。毎週、同じところで同じ鳥たちに会えると思い込んでいる。同じ場所で同じことを言う。その妻が「あれ、カワセミじゃない!」と叫んだ。(ここの川には、カワセミが生息しているという案内板がある)私の反応。内心で「まさか、妻にカワセミを見分けられるわけがない。それに私は、この10数年、この川でカワセミを見ていない。」とせせら笑った。「そうよ。あれカワセミよ」と妻が指さす。私は、目が悪い。特に動き回るモノを見るのが苦手。川の中の岩の上に鳥。私の目の焦点が固定された。紛れもない翡翠(カワセミ)(図鑑からの参考写真)!綺麗だ。瑠璃色の羽、黄色い長いクチバシ。毎日のように川沿いを散歩している。最初の頃は、カワセミを探した。でもだいたいセキレイかモズやカケスだった。見惚れる。どうしてこんなに綺麗なのか。後ろから散歩する夫婦がやって来た。「カワセミがいますよ」とその夫婦に教えてあげた。子供のように喜んで見ていた。

 妻が「今日はきっと良いことあるね」と言った。ローストビーフを作ろうと昨日いつもハーブの品ぞろえの良いスーパーへ行った。タイムがなかった。ローストビーフのための材料はタイム以外そろっていた。9時に隣町にある大きなスーパーへ妻と出かけて。あるかな、ないだろうな、と言いながら、ハーブの棚に向かった。「あった」日曜日の午後、妻とローストビーフを調理した。二度寝しなかったら、カワセミを見ることはできなかった。タイムを買うために、わざわざ隣町まで出かける気にならなかっただろう。とてもラッキーな日になった。


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