10年位前、友人が亡くなった叔父の話をしてくれた。その叔父は離婚していた。仕事では成功していた。他に面倒を見る人がいなかったので、友人が最後まで付き添った。叔父が亡くなった後、家を整理することになった。金庫が見つかった。しかしその鍵はなかった。テレビでも専門家が来て鍵のない金庫を開ける番組がある。友人も鍵のない金庫を開ける専門家を呼んだ。中から娘さんが父の日に叔父に贈った『肩たたき券』が出てきたという。他に何が入っていたのか聞いたかもしれない。でもそれが何だかは思い出さない。私は『肩たたき券』と聞き胸がつまった。
私は日本の高校を正式には卒業していない。2年生を終えてカナダの高校に転校したからである。それでも同級会や同窓会に参加させてもらっている。有難いことだ。同窓の通信社につとめていたIさんが、ネットに『64期のページ』を載せ、同窓生の近況を折に触れ知らせてくれる。先日同窓生から秋の叙勲で瑞宝双光章勲者の受賞者2人出たことを知らせてくれた。めでたいことである。
同期の同窓生は約490人。ノーベル賞受賞者、国会議員、スポーツ選手、俳優、歌手など日本全国に名を知られるような有名人がでたとは聞いていない。皆すでに71歳を過ぎた。これから全国に名をとどろかす者が出るとも思えない。優秀な人はたくさんいる。大学学長、副学長、大学教授、裁判官、医師、弁護士をはじめ多くの分野でそれぞれが職責を果たした。以前月刊誌『文芸春秋』に「同級生交歓」というグラビア連載があった。私の知る限り、この企画にも私の同期生が取り上げられたこともない。叙勲者や記事掲載者がどう選ばれているかはわからない。私の同期生の中に多くの叙勲や記事にふさわしい人物がいる。だから私は私の選考基準に照らし合わせて私の沈黙の勲章を彼らに贈りたい。
友人と電話で話した。お互いに年老いた。友人が言った。「なんとか刑務所に入れられるようなことにならなくて済みそうだ」 そうだ。とても大切なことだ。目立ちもしない。勲章とも無縁。そんな私でも最後まで刑務所でなく自分の家で過ごしたいと願う。
私の妻は、小中高で皆勤賞をもらったという。これにはグーの音も出ない。私はと言えば、欠席の常習者。おなかが痛い、頭が痛い、風邪をひいた。宿題をやってなくて仮病も使った。挙句の果てに、高校1年の時、胃潰瘍で半年間、病院から高校へ通った。胃を全摘すると言われ、他の病院で検査を受けた。全摘の必要がない、との診断で逃げるように入院していた病院から家に戻った。学校へ行った日数と欠席日数はほぼ同じだ。皆勤なんて信じられない。皆勤賞をもらう人々を尊敬する。最初の結婚をまっとうする夫婦も尊敬する。バツイチの私は、離婚したことのない夫婦がどれほど偉いかがわかる。
たとえ叙勲されなくても私が尊敬する人はたくさんいる。生きた証としていろいろな勲章を授与されることもそれなりに意味があることだ。しかし私は名もなく真面目にまっとうな人生を歩んだ人々にも、きっとそれぞれがその人を大切に思っている人から勲章にもまさる称賛や感謝を与えられているに違いないと信じたい。
「肩たたき券:パパ、大好き。いつでもこの券を見せれば、パパの肩をたたきます。えんりょしないで使ってね。いつもありがとう」 長女が7歳の時にくれた私への誕生日プレゼントの券である。私がもらった最高の勲章を大切に今でもとってある。