団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

秋の叙勲と肩たたき券

2018年11月30日 | Weblog

  10年位前、友人が亡くなった叔父の話をしてくれた。その叔父は離婚していた。仕事では成功していた。他に面倒を見る人がいなかったので、友人が最後まで付き添った。叔父が亡くなった後、家を整理することになった。金庫が見つかった。しかしその鍵はなかった。テレビでも専門家が来て鍵のない金庫を開ける番組がある。友人も鍵のない金庫を開ける専門家を呼んだ。中から娘さんが父の日に叔父に贈った『肩たたき券』が出てきたという。他に何が入っていたのか聞いたかもしれない。でもそれが何だかは思い出さない。私は『肩たたき券』と聞き胸がつまった。

  私は日本の高校を正式には卒業していない。2年生を終えてカナダの高校に転校したからである。それでも同級会や同窓会に参加させてもらっている。有難いことだ。同窓の通信社につとめていたIさんが、ネットに『64期のページ』を載せ、同窓生の近況を折に触れ知らせてくれる。先日同窓生から秋の叙勲で瑞宝双光章勲者の受賞者2人出たことを知らせてくれた。めでたいことである。

  同期の同窓生は約490人。ノーベル賞受賞者、国会議員、スポーツ選手、俳優、歌手など日本全国に名を知られるような有名人がでたとは聞いていない。皆すでに71歳を過ぎた。これから全国に名をとどろかす者が出るとも思えない。優秀な人はたくさんいる。大学学長、副学長、大学教授、裁判官、医師、弁護士をはじめ多くの分野でそれぞれが職責を果たした。以前月刊誌『文芸春秋』に「同級生交歓」というグラビア連載があった。私の知る限り、この企画にも私の同期生が取り上げられたこともない。叙勲者や記事掲載者がどう選ばれているかはわからない。私の同期生の中に多くの叙勲や記事にふさわしい人物がいる。だから私は私の選考基準に照らし合わせて私の沈黙の勲章を彼らに贈りたい。

  友人と電話で話した。お互いに年老いた。友人が言った。「なんとか刑務所に入れられるようなことにならなくて済みそうだ」 そうだ。とても大切なことだ。目立ちもしない。勲章とも無縁。そんな私でも最後まで刑務所でなく自分の家で過ごしたいと願う。

  私の妻は、小中高で皆勤賞をもらったという。これにはグーの音も出ない。私はと言えば、欠席の常習者。おなかが痛い、頭が痛い、風邪をひいた。宿題をやってなくて仮病も使った。挙句の果てに、高校1年の時、胃潰瘍で半年間、病院から高校へ通った。胃を全摘すると言われ、他の病院で検査を受けた。全摘の必要がない、との診断で逃げるように入院していた病院から家に戻った。学校へ行った日数と欠席日数はほぼ同じだ。皆勤なんて信じられない。皆勤賞をもらう人々を尊敬する。最初の結婚をまっとうする夫婦も尊敬する。バツイチの私は、離婚したことのない夫婦がどれほど偉いかがわかる。

  たとえ叙勲されなくても私が尊敬する人はたくさんいる。生きた証としていろいろな勲章を授与されることもそれなりに意味があることだ。しかし私は名もなく真面目にまっとうな人生を歩んだ人々にも、きっとそれぞれがその人を大切に思っている人から勲章にもまさる称賛や感謝を与えられているに違いないと信じたい。

  「肩たたき券:パパ、大好き。いつでもこの券を見せれば、パパの肩をたたきます。えんりょしないで使ってね。いつもありがとう」 長女が7歳の時にくれた私への誕生日プレゼントの券である。私がもらった最高の勲章を大切に今でもとってある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山椒と風邪

2018年11月28日 | Weblog

  山椒が好き。じわーっと広がる痺れのような波状攻撃。こんな気持ち良い痺れがあったのか。石原裕次郎が「♪心の底まで しびれるような 吐息が切ない ささやきだから♪」作詞:大高ひさを 作曲:鏑木創)とそれこそしびれるような声で歌った。私が山椒でしびれる時の状況はまさにあの痺れなのだ。

  山椒の木を初めて見たのは、長野県の野尻湖の知人の別荘だった。知人はスエーデン出身のキリスト教の宣教師だった。今はどうか知らないが、当時日本には2大宣教師避暑地があって軽井沢派と野尻湖派があった。知人は日本語が堪能でかつ日本の食文化に造詣が深かった。山椒が好きで別荘の庭にわざわざ山椒の木を植えていた。彼から山椒を英語でJapanese pepperだと教わった。また彼は長野の善光寺にある八幡屋磯五郎商店の七味唐辛子にも山椒が入っていることも教えてくれた。新緑の季節だった。山椒も新しい葉をつけていた。彼は葉を優しくもいで、手のひらにのせ、パシッと叩いて、その葉を私の鼻の先に差し出した。ミカンの花の匂いに胡椒の香りを加えたような,さわやかさにうっとり。彼が言う、「私はこの匂いが大好き。でもマムシも好きなので山椒の木の近くでは気をつけないとマムシに襲われます」。私は後ずさりした。蛇が苦手というより嫌い。蛇も山椒の匂いが好きだなんて意外と風流なのかな。それにしても彼の博識に脱帽である。

  山椒と聞けば、まず森鴎外の『山椒太夫』が頭に浮かぶ。疑問だった。山椒太夫の山椒とはあの香辛料の山椒なのか。諸説あるらしいが、私は山椒商い財を成した長者の説を信じたい。その点にも注意して観てみようと12月29日NHKのBSで午後9時から放映される映画『山椒太夫』を楽しみにしている。この映画は、12月1日からの4K放送開始に合わせて、元のフィルムを4K画像にしたものだそうだ。残念だが我が家のテレビ受像機は4K対応なのだが、集合住宅の共同アンテナは4K対応していない。

  もう一つ山椒で浮かぶのは、山椒魚である。私が子供の頃、子供たちの間で山の沢にいる小さな山椒魚を丸呑みすると結核にならないとかなんやらの迷信が拡がっていた。我慢比べ、肝試しは、遊びの定番だった。仲間と山の沢に生き、沢の大きな石をどけた。小さな山椒魚が何匹も獲れた。泣き虫のいじめられっ子だった私が最初に飲まされた。恐怖と気持ち悪さで何がどうなったのかは覚えていない。しかし山椒魚は間違いなく生きたまま私の胃の中に入った。健康になるどころか私はずっと胃の病気にさらされた。山椒魚の山椒はこれも諸説あるらしいが、私は山椒魚の肌が山椒の実に似ているので説を支持している。

  風邪をこじらせてまだ体調が戻らない。そんな私を心配して妻が鰻を食べようと私を誘ってくれた。鰻といえば山椒。私はマスクをしてうなぎ屋へ出かけた。老いとともに味覚にもへたりがきている。あらゆる感覚が鈍くなってきているので、少し強めの刺激が若かりし頃の感覚へと戻してくれる。うなぎ屋のテーブルに写真のような案内があった。嬉しかった。まさに私への伝言。注文した鰻重4200円とうな丼2800円がきた。夫婦で分け合っていただいた。私の分に少し多めに山椒を鰻に振って口に入れた。来た~。あの痺れ。

  鰻を食べさせてもらった甲斐もなく、私の風邪はまだ私に寄生している。すでに3週間。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴーン会長と貴景勝

2018年11月26日 | Weblog

  私がカナダに留学していた1960年代、カナダでもアメリカでもメイドインジャパンの製品は“安かろう悪かろう”と言われていた。私と同じ寮にいたアメリカ人学生から彼らの本音を聞かされた。私の学校にはベトナム戦争の徴兵を逃れるためにアメリカからの学生がカナダ人より多くいた。「日本はアメリカから鉄くずを買って、それを自動車にしてまたアメリカに売っている」「日本人はなんでもアメリカの真似をするけれど、アメリカと同じものは作れない」などなど散々に馬鹿にされた。アメリカのトランプ現大統領が何か大統領らしからぬ発言をするたびに、私のカナダ留学時代に遭った多くのアメリカ人カナダ人とたいして変わりがないと思う。そんな中で当時、ダットサンは別格だった。アメリカでよりもカナダでのダットサンの評判が良かった。カナダでのダットサンの売り上げは好調だった。恥ずかしながらダットサンが実は日産自動車の車だとは当時、十代だった私は知らなかった。カナダから驚異的な発展をする日本へ帰国した。ダットサンのカナダでの評判が忘れられず、車を買えるようになってからブルーバードの3Sに乗った。その後フェアレディZにも乗った。見栄が先行した時代だった。日産の車に多く乗った。日産の経営がおかしくなり、ルノーの傘下になった時点で日産車から離れた。その日産もルノーからの資本注入と派遣されたカルロス・ゴーン氏によって奇跡的な業績復活を遂げた。その日産再生の立役者のゴーン氏が先週逮捕された。

 アフリカのセネガルに2年間住んだ。その時、日本の商社の人に“インパキ・レバシリ”の話を聞いた。インパキとはインド人、パキスタン人のこと。レバシリとはレバノン人、シリア人のこと。セネガルの重要な経済分野は、ほとんどがレバノン人に実権を握られていた。日本人商社員は、きっとセネガルでレバノン人商人と熾烈な商争を繰り広げていたのであろう。私たち夫婦もレバノン人の内装業者と家のカーテンの件でかかわったが、一筋縄でゆく相手ではなかった。後で知ったことだが、世界の4大商人はユダヤ人、インド人、中国人そしてレバノン人だとか。あのセネガルで会った商社員は、セネガルのレバノン人ばかりでなく、アフリカ中東アジアでインパキ・レバシリに組してきたのだろう。日産のゴーンさんと聞けば、セネガルで聞いた“インパキ・レバシリ”への警戒が思い出される。

 今回の日産のゴーン会長が有価証券報告書虚偽記載罪で逮捕された。ゴーン会長はレバノン人である。その上フランスの会社ルノーの会長である。私はフランス語の美しさを認める。フランスの文化に憧れを持つ。しかし私はフランスという国も人も苦手である。私ごとき馬鹿がつくお人よし人間には、手強い相手だと認める。フランスを旅しても、人に関して良い思い出は、残らなかった。生涯フランス人を深く付き合う友人に持つこともなかった。今回日本の東京地検特捜部がゴーン会長を逮捕したと聞き、これは最終的にフランス国対日本国の争いになると思った。私にできることは事の成り行きを見守るしかない。

 今、映画『クレイジー・リッチ!』がアメリカで270億円という興行成績を上げている。宣伝文句が「ただの金持ちじゃない。頭がおかしくなるほどリッチなんだ」だという。アジアの中華系超富裕層の生活を描くハリウッド映画である。ゴーンさんの報酬、兵庫県芦屋市では30億円以上の申告漏れが50人以上などのニュースを知っただけで、私の気は宇宙に放たれ迷子になった。映画『クレイジー・リッチ!』も観ない。私の頭がおかしくなるほどリッチな人々に関するニュースにも耳をふさぐ。

 そんな私を人間に戻したのは、昨日の貴景勝の初優勝だった。仏頂面で愛想がない。そこがいい。貴景勝と『みなしごハッチ』のハッチが何故か重なる。貴乃花部屋から捨てられはしたが、貴景勝はへたらなかった。「結果が黒星でも自分の相撲がとりたい」 その気持が貴景勝の押しの一手に表れ、私のうっ憤をも押し出してくれた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんなマンションあったらいいな

2018年11月22日 | Weblog

 埼玉県和光市に映画館付きの賃貸集合住宅ができたそうだ。評判が良いという。それを知って思ったのはただ集合住宅と映画館が別々にあるのであって、まさか集合住宅の住民のための施設だとは思わなかった。

 昔観た映画を思い出す。主人公が晩年を迎え、日がな一日自分の家にある映画室にこもり映画を観ている。主人公は大金持ち。それはそうだろう、当時自前で映写機を持ち、フィルムも入手できるなんて庶民ができることではなかった。映画の題名も物語も思い出せない。ただただ羨ましかった。私も歳をとって家にこもるようになったら、好きな映画を思いっきり一日中でも観ていたいと夢見た。

 おそらく私自身、あの映画の主人公と同じくらいの年齢に達したかもしれない。あの当時あの俳優は、のちにこれほど美しい画面で家庭にいて映画が観られると想像できただろうか。大画面でやれ4Kだ8Kだと画面は更に鮮明さを増す。映画室も映写機もフィルムもいらない。安楽椅子に座って観たい時に観たい映画をケーブルテレビで観ることができる。

 以前東京の世田谷区に集合住宅を購入した友人宅に招かれた。そこには映画室があって大画面と優れた音響装置が設置されていた。会議室でパーティが開かれ、そのあと全員で映画室に移動して友人が用意したビデオで映画を観た。友人が「こんな立派な施設、借りたい人が多くてなかなか借りられないと思ったら、ほとんど借りたい人がいないから驚きだ」と言っていた。

 映画館つき集合住宅もそうならないことを願う。しかし賃貸集合住宅でこのような試みは評価されてもよい。スルガ銀行が介入したシェアハウス投資『かぼちゃの馬車』もこれに近い発想で始まったのかもしれない。

  映画館つき集合住宅で思い出したのが、私の同級生で東京の大学に入学した多くが、長野県出身者のための県営の学生寮に入寮した。たしか信濃寮と言っていた。検索して調べてみると現存していた。設立趣旨に長野県出身の学生が経済的で健全な宿舎を提供されて、協同生活を通して勉学の研鑽と円満な人格の形成に努めることを目的とするとあった。なぜ映画館付きの集合住宅と学生寮が私の想いの中で結びついたのか。出身地や出身校や興味や趣味嗜好を同じくして同じ集合住宅に住むのもありかなと考えた。同じ県出身者が同じ寮で暮らせるなら、これを発展させてみたい。例えば言語集合住宅である。フランス語を習いたい日本人がフランス語を母国語とする人々と同じ集合住宅に暮らす。言語だけでなく国ごとの集合住宅でも良い。長野冬季オリンピックで長野県内の小中学校が「一校一国運動」を展開した。とても良い運動だったと私は高く評価する。

  日本政府は「出入国管理法」を早急に改正して外国人労働者を増やし、現状の労働者不足を補おうとする。私は外国の方々が日本で働くために一番必要とされるのは、言葉だと思う。言葉の理解なしに外国から労働者を集めても結果は目に見えている。日本語しか話せない大多数の日本国民さえ説得できない政府が、いかにして日本語を理解できない外国から来た人々になにができるというのか。責任はだれもとらない。それだけは明白である。困難な問題こそ時間をかけて土台を築かなければならない。急いては事を仕損じる。まず言葉ありき。その対策を堅実に進めるべきである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チコちゃんに叱られると鮎の産卵

2018年11月20日 | Weblog

  NHK総合テレビ金曜日の午後7時7分から『チコちゃんに叱られる』という番組がある。そこで「なぜ歳をとると涙もろくなるのか」を特集された。結論は、年を取ると涙もろくなるのは共感力の向上と、前頭葉の機能低下により感情のコントロールが出来なくなるからだった。納得いった。とにかく妻も私も涙もろい。同じ番組ドラマ映画を観ていてもほとんど同じところでティッシュを目に当て始める。時々片方が泣いてもう片方は何の反応も示さないこともある。

  11月17日土曜日妻と柿田川湧水公園へ車で訪ねた。以前から訪れたかった場所である。先入観で静岡市方面の富士山のふもとあたりにあると勝手に思い込んでいた。もっと早くネットで場所を調べるべきだった。17日の朝天気が良かったので混雑すると嫌なので家を早めに出た。

  柿田川湧水公園の駐車場に8時すぎに到着した。駐車場に車を止めた。八つ橋という案内板に沿って歩き出すと、老男性が杖をついて歩いてきた。いきなり「私についてきなさい」と言った。初めて会う人である。年齢は75歳から80歳の間くらいか。リュックサックを背負っている。リュックサックの上に立派な三脚。私は「この人絶対アマチュア写真家だ。きっとカワセミを狙って毎日この公園にやってきてカメラを構えているに違いない」と想像を働かせた。

  私は最高の旅とは地元の人の迎えを受けて、共に観光して、最後に見送りをされることと思っている。期せずして柿田川公園の駐車場から素晴らしい地元民と遭遇できた。足が悪いようで男性は、二本の杖をスキーのストックのように使っていた。人懐こい方で途中、中年女性3人組に出会った。早速まるで旧知の仲のように気楽に話し始めた。女性の一人が「魚を見ましたが、あの魚は何の魚ですか」と男性に尋ねた。「鮎ですよ。凄かったでしょう。良い時に来られましたね。あれは滅多に見られない凄い光景ですよ」 私の頭の中で言葉による情景描写が始まった。「鮎、わかる。良い時、なぜ良い時なのか。滅多に見られない、どんな光景が滅多に見られない光景なのか。凄い、ってどれだけ凄いの」

  湿地帯の上に遊歩道が整備されていた。柿田川に面する所にあった角度90度に向きを変える場所でどでかい望遠レンズをつけたカメラを覗き込んでいる初老の男性がいた。杖のおじさんが「あ~ぁ、俺の場所取られた」と小さな声で言ったのを私は聞き取った。それでも杖の男性は「撮れましたか」と作り笑顔を添えて尋ねた。カメラから目を離して男性がデジタル・カメラを操作して一枚の写真を私たちに見せてくれた。「カワセミ!」私たち夫婦が声を揃えて言った。とても良い写真だった。川の流れの中に立つ杭に止まっていたカワセミの瑠璃色が綺麗だった。

  そこから数十メートルの所に鮎がいた。数匹を想像していた私は、何万匹という群れに腰を抜かすほど驚いた。鮎の産卵である。列になって鮎が湧水が噴出する井戸に近い浅瀬に到達する。メスが水を全身で跳ね上げながら産卵。なん十匹ものオスが一斉に受精させようと群がる。それだけで終わらない。次の順番を待つように、そのあとに魚列が続く。私の目が潤み、しゃくりあげがくる。なぜ歳をとると涙もろくなる。共感力。サハリンで見た鮭の遡上と産卵。何より壮絶だったのは、産卵受精の役目を終えた鮭が川の中や岸辺に打ち上げられたボロボロの姿だった。あの光景を見た当時の衝撃がよみがえった。鮎の死骸は見つけられなかったが、感情の抑制が効かなくなって立ち尽くす、コキイチに老いた私がそこにいた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ドライブレコーダー

2018年11月16日 | Weblog

  私の車にもドライブレコーダーがついている。しかし未だにそこに映っているであろう映像を見なことがない。

 私が住む町は、交通関係に関しては無法地帯だと私は勝手に言い放つ。特に路上駐車がひどい。この町の住民は、ハザードランプを点滅させていれば、どこでも、いつでも駐車できる権利を得られると思い込んでいるかのようにパカパカさせている。この町に警察署がない。交番が数か所あるだけである。駅近くのスーパーの前と銀行の前は、そうでなくても狭いが2車線の道路の両側に違法駐車して通行の妨げになっている。

  車だけではない。不注意な歩行者は横断歩道を渡らず道路に飛び出してくる。年寄りに多い。交通法規を遵守しているのは小学生ぐらいまでのようにみえる。警察官は、交番の前で時々立っているが、何を取り締まるわけでもない。正直、交番の前でさえ多く違反車両を見る。

 東京と言わないまでも近くの都市に車で出かければ、交通指導員という違法駐車の車を巡回して取り締まっているのを見かける。警察官による取り締まりもよく見かける。田舎だから小さな町だからと言って、交通規則を守らなくてもよいとはならない。交通規則は、日本全国一律に施行されているはずである。ところが住む場所によって違反切符を切られる確率にばらつきがある。「他の人も違反しているのに、なんで私だけが」は、違反で切符を切られた多くの人のボヤキである。

 そこで私に提案がある。ドライブレコーダーの活用である。最近の凶悪犯罪や悪質な交通事故のテレビのニュースで防犯カメラやドライブレコーダーの映像が使われる。アメリカや日本の刑事ドラマを観ていると、警察が事件現場近くの防犯カメラ設置者から録画媒体を押収する。その押収のさまが、私には解せない。丁寧にお願いするでもなく署に持ち帰る。とても利用料を礼として払っているようにも思えない。防犯カメラを設置しているのは、民間人や民間の会社店舗である。維持費もかかる。そもそも事件があった時、自分たちが犯人逮捕に役立てるために保険をかけるように設置している。ドライブレコーダーも同じである。事故が起きた時の状況を確固たる証拠として使えるからわざわざドライブレコーダーをつける。

 最近物価上昇と増税が目に余る。我が家は妻が世帯主で収入を得ている。私は書面上ただの配偶者だ。今年の確定申告から配偶者控除がなくなる。まるで私の存在が無視されたように感じる。お上は、市民からあの手この手で税金を搾り取る。取ることばかり考えず与えてみたらどうだろう。現に凶悪手配犯人逮捕に結びつく情報提供者には報奨金が出る。ならばドライブレコーダーで信号無視、違法駐車、逆走、当て逃げ、ひき逃げなどの交通違反の映像提供で罰金の20%を画像提供者に還元したらどうだろう。警察官が物陰に隠れてチマチマ違反を摘発するより検挙数が上がり罰金の徴収額が増える。

 スイスは国民に国民を見張らせる国民総監視社会だと言われている。日本がそうなることを望まないが、せめて防犯や事故を未然に防ぐ手立てに活用できないだろうか。防犯カメラは犯人逮捕に効果を上げている。ドライブレコーダー設置車がこれだけ増えた。これの活用を考えてもよい時期である。交通規則を守ろうと努める運転者にとって、ドライブレコーダーが証拠を録画しているのに、悪質違反者をみすみす野放しにしているのが悔しい。宝の持ち腐れ感が強くなる。最近、世の中、悪いやつばかりが得している気がしてならない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冬の水羊羹

2018年11月14日 | Weblog

 物心ついてからずっと、フニャフニャしたもの、グチョグチョしたもの、プルンプルンなものが好みだった。口には出さなかったが、自分の性格と似ているのかと思ったこともある。どちらかというと一人静かに隠れて食べるのが好きだった。しかし開高健が暑い国へ行くときは、必ず栄太郎のみつ豆缶を持って行き、冷やして食べるのが好きと本に書いてあるのを読んだ。尊敬する開高健だってみつ豆が好きなのだ。肩を押された。当時長野県に住んでいた。さっそく栄太郎のみつ豆缶を近所の店で探した。SSKやサンヨーのものと名も知らぬ会社のビニールパックは売っていたが栄太郎の物はなかった。店の人に聞いても「栄太郎って飴の会社でしょう。みつ豆なんて聞いた事ねえな~」と言われた。「ない」とか「ダメ」とか言われると、あきらめらないのが私。東京のデパートで見つけた。食べた。寒天のできがいままでの寒天と違った。美味かった。缶詰の仕方が独特だった。ふだん注意書きを無視する傾向がある。しかしやっとのことで手に入れた缶詰である。慎重に「缶の開け方」を読んだ。きっと開高健も同じ「缶の開け方」を読んだのだと思うと気合が入った。なかなか複雑である。普通の缶詰ならもうすでに缶切りでフタを取り除いている。缶の上と下には別々なものが入っている。上には豆と寒天とフルーツがシロップと一緒に入っていて、下には蜜が入っている。不注意にも蜜を方の缶を開けたら大変なことになる。慎重に豆と寒天とフルーツ側を見極める。缶切りで一気にフタを切り取りたいところだが、そうは問屋が卸さない。注意書きには缶切りで穴をあけて中のシロップを捨てきれ、と書いてある。シロップって砂糖水のことである。「モッタイナイ」がコキイチの空間が増えた頭蓋骨内で響きエコーする。捨てきれず少し残したつもりで缶のフタを開ける。中身を器に入れる。さあ今度は缶をひっくり返して蜜の番。蜜が出やすいように穴を二つ開ける。一つの穴から器の豆と寒天とフルーツの上に缶からたらーりたら~りと蜜をたらす。この栄太郎のみつ豆の缶詰を私はアフリカのセネガルやチュニジアの砂漠で冷やして食した。これは言葉にならない。開高健が言ったことが体験できた。

  去年、行きつけの成城石井で『水羊羹』を見つけた。季節は冬だった。「おいおい、成城石井さん、夏の売れ残りかい。いただけないね」の思いつつもフニャ、グチョ、プルが好きな私は購入してみた。ネットで調べると福井では冬限定で水羊羹を食べるという。夏=水羊羹、みつ豆。水羊羹といえば夏に食べるものだと思っていた。普通、水羊羹は夏にしか売っていない。今年友人夫妻と福井を旅した。まだ9月だったせいか、どこの土産物屋にも水羊羹は並んでいなかった。それでも福井にならあるかもしれないと思い、店の人に尋ねた。「福井では水羊羹は冬に食べます」と言われ納得した。

  11月10日土曜日妻と買い物に出かけた。成城石井で妻の晩酌用のジンを6本買った。ついでに水羊羹を一個買った。レジの女性がマスクをしていたが後ずさりしたくなるような咳をした。嫌な予感がした。案の定、妻と私二人とも風邪をひいた。客商売であれほどの重症な風邪ひきをレジに立たせたらいけない。あれから三日たった。まだ熱がある。妻は勤務を続けている。私は熱っぽく歩いていても浮いたような感覚なので休んでいる。レジではお金の受け渡しがある。どうやらお釣りの金と一緒に風邪の菌をいただいたようだ。空気より手からの方が感染しやすいのだ。

  熱のあるのか体が火照る。食欲もない。水羊羹を冷たい牛乳と食べた。福井の冬の水羊羹は、私の成城石井への怒りを優しくツルリとなだめてくれた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アメリカの中間選挙

2018年11月12日 | Weblog

 アメリカの中間選挙が終わった。人口3億582万人の国で下院、上院合わせて535人の議員がいる。日本は人口1億2705万人、衆参両院で722人。

 カナダで学んでいた50年以上も前、住んでいた町で何回か選挙があった。その様子に驚いた。加えて長期休暇でアメリカに滞在した時にも選挙があり、アメリカの選挙の様子もカナダとよく似ていた。選挙カーが回って来ない。選挙なのにこんなに静かにしていて大丈夫なのかと心配になった。しかしその裏で候補者やその支持者が個別訪問や電話で激しく投票依頼合戦を展開していた。もちろん留学生で投票権がなかったので私は選挙で投票したことはなかった。同じ学校で学んでいた生徒や招かれて訪ねた彼らの家族の選挙に関する話を聞くことができた。そして聞いた話から十代だった外国人の私は、カナダもアメリカも理想の国ではないと感じた。

 今回のアメリカ中間選挙で私は一人の女性に注目した。ニューヨーク州の下院議員選挙で民主党のアレクサンドリア・オカシオコルテスさんが当選し、波紋を呼んでいる。彼女が破った相手が共和党の大物議員だったからである。

  オカシオコルテスは、28歳のヒスパニック系女性。選挙活動の映像では「私のような女性は、選挙に出るべきではないとされている。私は裕福な家庭や有力者の家庭ではなく、自宅の郵便番号で運命が決まるような場所に生まれた」と語っていた。アメリカは、決して誰にとってもアメリカンドリームを保証していないことを思い知らされた。

  選挙戦でのオカシオコルテスさんの演説で印象深い訴えがあった。「繰り返し繰り返し同じ人が議員に選ばれても、何も変わらない。ならば私を選んでみてください。必ず変えます」 どこの国の候補者も選挙でできもしない公約を掲げる。選挙が終わって当選すると選挙で投票する庶民とは別の世界へ行ってしまう。オカシオコルテスさんが政界でどのような結果を残せるか注視したい。

  一方日本の国会では、新しく大臣になった片山さつきさんと桜田義孝さんが野党から激しく追及されている。片山さつきさんは東大から財務省という日本の秀才としての王道を歩む。桜田義孝さんは、苦学して大学の夜間部をでて建設会社を立ち上げ国会議員にまで上り詰めた日本の政治屋さんには数少ない経歴の持ち主である。秀才であろうがたたき上げの苦労人であれ、やはり政治で結果を残せる人は少ない。

  大相撲秋場所が昨日から始まった。相撲をテレビ観戦するたびに思う。なぜ日本の国会議員は大相撲の観戦に来ないのかと。夜な夜な多くの議員特に若手議員は勉強会、研究会と称して料亭などに集まっているという。当選して議員バッジをつけると別世界の人になってしまう。私は国会議員が自分の余暇に堂々と自分の金で大相撲の観戦などで一般市民に混じる人物が出なければ、日本の政治は成熟しないと思っている。

  アメリカのオカシオコルテスさんが今後日本の片山さつきさんのようになるのか、はたまた桜田義孝さんのようになるのか、それとも末は大統領にまでなれる人材なのか注目すると同時に、日本では大相撲のたびにテレビ画面で国会議員の観戦者を探してみたい。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いびきと老化

2018年11月08日 | Weblog

  駅から帰宅するためにバスに乗った。午後3時を過ぎていた。歯医者へ行った帰りだった。バスがバス停に止まった。おばあさんが2つの買い物袋を重そうに持って乗り込もうとした。まず袋を3段上の床に置いた。入り口の両側の取手の棒に手をかけた。そこでおばあさんの動きが止まってしまった。おばあさんは足を上げようとしているが、足が上がらない。足が上がっていないのに上体はもう上がったかのように反応してしまった。おばあさんが2段目のステップに手をついて倒れた。運転手がシートベルトを外した。一番前の席に座っていた初老の男性が立ち上がった。男性はおばあさんを抱きかかえて上にあげようとした。おばあさんは全身の力を抜いてしまった。男性の力ではおばあさんを支えられないようだ。この場面で出番は、その近くの席にいた私であった。しかし私は立たなかった。私は自分を知っている。非力で機転が利かない。この状況で私が出てゆけば、事態は悪化する。運転手は降りようと運転席のドアを開けた。ちょうどその時、宙ぶらりんだったおばあさんの左足が1段目のステップに上がった。男性の支えが老女の足の動きを楽にさせたのだ。ようやく右足もステップに上がった。男性の引っ張りと老女の両足立ちが功を奏し、無事乗り込めた。運転手は、ほっと一息して運転席に座りバスを発車させた。男性は老女に席を譲った。老女は男性に礼をするでもなく「足が動かなくって」とバスの中の乗客全員に訴えるように3回同じ音量で同じ調子で繰り返した。その様子を何も手助けすることもなくただ傍観していた私は思った。いつか、それも、もうそう遠くないうちに、私も自分の体さえ自分の思うように動かせなくなるであろうと。

 最近私は自分の老化の進み具合を自覚する。私の父親は72歳で、すい臓がんが全身転移して亡くなった。60代後半から脚が弱くなり、杖を使っていた。健康のためと往復2キロをゆっくり歩くのが日課だった。階段も辛そうだった。私も71歳になった。父親が亡くなった年齢まであと1年である。目の疲れ、集中力のなさ、誤嚥の回数の増加。記憶力はもともと悪かったので不自由は感じない。

 妻のいびきを聞いたことはなかった。なぜなら私は寝つきが良い。妻より常に先に寝てしまう。いったん寝たら私は途中で目を覚ますことがない。ところが最近寝つきが悪くなった。妻は私と逆の反応が多くなってきた。以前私は暑がりだった。今は身体が冷えて困っている。足の裏は糖尿病により知覚障害とかで、歩くたびに厚いスポンジを張り付けてあるかのように感じる。散歩していても足が地についていない感じに惑わされる。子供の頃から「お前は足が地についていない」とよく言われたものだ。浮かれていて落ち着きのない子であった。71歳になってあの時何を言われたのかを身をもって理解でき、納得できる。

 妻に「いびきかいていたよ」と言わなくてもいいのに言ってしまったことがある。妻は「私はいびきをかきません」と事実を否定した。私は録音機で録って聞かせたことがある。嫌な性格である。妻はやっと認めた。そして言った。「うるさい、と言ってくれればやめるから」 確かにそう言うといびきはとまる。でも私は妻のいびきと私の呼吸の仕方を合わせる。布団の中で温かい妻の足に私の冷たい足を押し付けながら、いつしか私も眠ってしまう。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘れ物 忘れ事

2018年11月06日 | Weblog

 10月31日、定期健診のために東京の病院へ行くことになっていた。いつものように駅まで車で妻を駅まで送った。帰宅して病院へ行く準備をした。保険証、なぜか70歳を過ぎて2つを提示しなければならなくなった。“健康保険被保険証”と“健康保険高齢受給者証”である。その他に病院の診察券、診療(検査)ご予約証。すべて居間のテーブルの上に並べて確認した。身支度を整え、家中の戸締り、窓の戸締りを確認。この辺りには猿が集団で出没する。泥棒や空き巣狙いの人間に気をつけるのと同じくらい猿にも警戒する。すでに留守中と早朝に網戸を開けて猿が侵入して台所にいたことがあった。だから戸締りは厳重に調べる。留守番電話が正常に作動しているかも調べた。留守番電話は「オレオレ詐欺」や最近やたらに増えた「墓地購入の勧誘」の撃退に役立つ。留守をしていなくても作動させている。次に財布の残高を確認する。病院通いはこの頃、食費に次ぐ最大の出費である。保険があるといっても東京の病院へ1回行くと一万円札が数枚消える。薬代だけでも1万円を超える。小銭入れの硬貨を補充。会計の時、何百何十何円という端数を素早く取り出し払えるようにしている。以前スーパーのレジで小銭を取り出そうとしていた。指が硬貨をつかみにくい。財布の中の小銭はゴチャゴチャに入っていた。百円だと思ってつかみ出すと穴の開いた50円玉。残りの3円を一円玉で払おうとするが、どんなにかき回して探しても一円玉が2つしかない。後ろに並んでいた男に「モタモタしてるんじゃねえよ」とすごまれた。私は大声と暴力に恐怖を感じる小心者である。対策を真剣に考え、硬貨6種を区分して持ち歩けるコインホルダーを購入した。今では、どこでも敏速に支払金額の端数を小銭に払える。

 洗面所で歯を磨き、鏡の前で髪の毛を整えた。仕上げにオーデコロンもひと吹きした。玄関で靴を選んだ。歩きやすいものを選ぶ。細心の注意を集中して首にかけている家の玄関の鍵を引き延ばして鍵を回す。「カチャッ」の音を確認。老化を感じ始めた50代後半、鍵をかけたか、かけてないのかを外出する度に不安になった。電車に乗ってから心配になり、家に戻ったこともある。そんな時に限って鍵はかかっていた。絶対に鍵はかけた、と自信たっぷりで出かけて帰宅すると鍵がかかっていなかったこともある。

 天気が良かった。このまま歩いて駅まで行こうかと思わせる陽気だった。しかし無理は禁物である。バスで行くことにした。青い空、白い雲。まだ木々も葉が緑。バス停に到着。すでに中年女性が一人バス停にいた。軽く会釈された。私も返した。首を下げたとたん、上唇に異変を感じた。唇が沈んだ。舌でその場所をさぐる。「ない」。まさか。頭に「入れ歯」の3文字。そして今日会う主治医が笑い転げる場面。患者用の椅子に座った私。医師の「何か変わったことありませんか」の質問に答えようと口を開けたとたん、私は志村けんのバカ殿の歯が抜けた顏、最近のクッキーのお絵かきおじさんの黒く塗られた歯の顏になっている状況を連想。もうバスが見えて停留所に近づいて来ていた。私は家へ引き返す。

 家の玄関の鍵はしっかりかかっていた。洗面所へ直行。洗面台の横のガラスの入れ物の中に私の部分入れ歯がポリデント部分入れ歯用の液体に沈んでいた。水道の水で洗って装着。

 東京の病院で無事検診が終わった。医師の質問にも堂々と歯を見せて答えることができた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする