団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

医師は務め

2022年01月31日 | Weblog

  妻は、この数か月土日祭日まで、家でe-ラーニングとやらを熱心にやっている。私は、不満である。家に仕事がらみのことを持ち込まれると、生活がいつもと違ってしまう。調子が狂うのである。還暦を過ぎても尚、勉強する妻には、頭が下がる。医者というのは、こんな歳になってもこんなに勉強する人たちなどとは知らなかった。認定医の資格を維持するためには、講義の受講単位が必要だという。コロナ禍で毎年開催される学会がリモートになった。妻は、家で仕事の話をほとんどしない。私は、家で妻が医者だということを普段感じることもない。

  妻が国立大学の医学部の学生だった時、教授が「医者1人を世に出すまでに大学では1億円かかる。これは全て国の税金である」と言ったという。その教授は、真面目に学ばない学生がもっと真剣に勉強するよう、同じことを何度も口にしたという。当時の国立大学の授業料は、前期後期各5万円で年間10万円だったそうだ。現在、国立大学の授業料は年間535800円である。妻の時代の約5倍。ということは1人の医学生に1億円以上かかることは間違いない。妻は、国立の他に私立の医学部も試しに受験した。試験用紙に寄付金の申込書があって、1口2千万円と書いてあったそうだ。何も書かなかった。試験は不合格だった。私立だと医学部6年間で当時でも2千万円以上だった。普通の勤め人の娘にとって、国立の医学部に合格しなければ、医者にはなれなかった。

 妻は、こうして国のお陰で医者になれたと自覚している。医者をしていて、辛いことや嫌なことがあると「自分は国の税金で医者にさせてもらったのだ」と思って、気持ちをなだめるそうだ。先日の確定申告でも自分で書類を作成した。税金を払うことで、自分が医師なることができたお礼ができると妻は言う。

 先週27日、埼玉県で医師の鈴木純一さん(44)が66歳の容疑者にライフルで撃ち殺された。12月に大阪の診療クリニックで61歳の元患者で犯人が、クリニックに放火した。西沢弘太郎さん(49)が亡くなり、患者病院スタッフ26名が犠牲になった。おぞましい事件が続いている。

 私も多くの医者に診てもらってきた。相性のいい医者もいれば、嫌な医者もいた。医者にかかる患者にとって利点がある。医者を選べる。私も嫌な医者なら違う医者にかかる。この先生ならと思えるまで探す。医者全てが鈴木先生や西沢先生のような立派な医者だとは思わない。人間社会ならどこでも、合う合わないの感情が存在する。

 医師殺害の事件があるたびに、私は妄想にとらわれる。患者に妻が危害を加えられるのではないかと。妻だって完全な善良医師ではない。しかし、自分が国家の税金のお陰で医者になれたと自覚を持って、その恩返しの気持ちで、患者に接していることを、私は知っている。

 1人の医学生が、医者になるために1億円かかるかどうか私にはわからない。還暦を過ぎてもe―ラーニングとやらで、何時間も連続して講義を受け、最後に試験を受け合否判定をもらう。疲れ切って、合格したと嬉しそうに喜ぶ妻。西沢先生も鈴木先生も認定医の資格を持っていた。44歳と49歳と言えば、働き盛り。医者としても経験豊富。一方犯人は、61歳と69歳。年齢を重ねれば、分別もついてくるのが普通と私は考える。殺された二人の先生も、妻のように資格保持のために勉強していたこともあったろう。西沢先生にも鈴木先生にも家族がいる。私は、家族の側に立って、この残虐で理解しがたい事件を見る。医者は患者の前では、医者だが、家族の前ではただの普通の人なのだ。私の妻は、患者にとって医者だが、私にとっては、普通の還暦を過ぎた愛しい女性である。医者は務め、妻は花嫁。誰であっても私から彼女を奪えない。


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マスク

2022年01月27日 | Weblog

  マスクをしているのが普通で、していない人を見ると「?!」と思う。朝早いうちに散歩すると、マスクをしていない老人が多い。人がいない時マスクを外していて、すれ違う際に、マスクをする人もいる。このするのはほとんどが女性である。男性の多くは、まったくマスクをする素振りさえ見せない。もしかしたらマスクを持っていないのかもしれない。まぁ、マスクにこれだけ神経質になっている自分もどうかと思う。しかし免疫力が低い私は、どうにかしてコロナ感染を防がなければならない。

 ちまたでは、マスク、手洗い・うがい、3密(密接・密集・密閉)を避けることが推奨されている。3密に関して、以前スーパーコンピューター『富岳』で詳しくシュミレーションした結果の映像を観た。参考になった。しかしマスク、手洗いに関しては、3密ほどの科学的な実証がなされていない気がする。

 日本のみならず世界的にランキングを出すのが流行りのようだ。マスクにもいろいろある。材料、形式などなど。アベノマスクのようなふざけたマスクもあった。科学的な検証をへて、もっともコロナを防ぐ効果のあるマスクのベストテンのように発表できないものだろうか。第1波から今回の第6波まで、すでに2年という時間が流れた。いまだにマスク・手洗いうがい・3密を避けろを繰り返している。進歩・進化・進展が感じられない。これでは、私のような化学・科学・医学に疎い者でもストレスを感じる。

 マスクの国際的な普及を嬉しく思っている。子供の頃、風邪が流行ると学校が、マスクをしてくるように言った。もちろん薬局などで市販のマスクが売られていた。生徒の多くが、母親がガーゼで手作りしたマスクをしてきた。耳にかけるゴムは、パンツのゴムを同じだった。強くて耳がすぐ痛くなった。担任の先生は、朝一番、教室で生徒がマスクをしているかチェックした。ほとんどのマスクは、アベノマスクによく似ていた。小さくてゴワゴワ感のあるものだった。使って洗ってを繰り返した。

 高校の途中からカナダに渡った。カナダでマスクを病院以外で見たことがなかった。カナダ人にマスクの事を尋ねると、格好が悪い、マスクは重病人を連想させるなどとさんざんだった。(カナダの学校風景気温はマイナス20度くらい、マスクをしている人がいない)おまけにアジア人はマスクをする変な風習があると言われた。軽井沢の宣教師たちの子供に、マスクをしていた時、馬鹿にされたことを思い出した。

 それがどうだろう。今世界の多くの国々で、国民にマスクをするよう政府が躍起になっている。軽井沢の宣教師の子供たちやカナダの学校でマスクを馬鹿にした人たちもその家族も、今ではマスクをしているだろう。痛快である。公衆衛生のマスクの分野で日本は、けっこう良い前例を作った。コロナが世界を変えた。

 第6波に入ってから、外出を控えている。どうしても出なければならない時は、不織布マスクをする。マスクの裏表に義妹から送ってもらった『ウイルス・菌除去アロママスクスプレー』を噴霧する。

 散歩も時間を12時から1時のお昼時にするようにしている。この時間、散歩する人がほとんどいない。マスクなしで以前のように散歩できる日が来るだろうか。3回目のワクチン接種券は、まだ届いていない。


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冬のラジオ体操

2022年01月25日 | Weblog

  月曜日、妻は勤務先に午前中休みを取った。税務署で確定申告をするためだった。妻は偉い。自分で毎年、確定申告を済ませる。私は、会社を経営していた時、会計事務所に税金のことは、任せていた。ただその時期が来ると、「今年は税金払いますか」とだけ聞かれ、「はい」か「いいえ」で答えていた。

 いつもなら妻が家を出る時、外はやっと太陽が出て明るくなりはじめる。習慣になっているので、いつもの時間に起きて、朝食をとった。普段より1時間遅く家を出た。税務署は、家から車で20分ぐらいの所にある。

 税務署は8時30分から受付が始まる。妻は、午前中だけ休みを取ったので、午後には仕事がある。以前の確定申告で税務署に来た時、入り口にすでに多くの人が並んでいた。待つ時間が長かった。妻が仕事に遅れるわけにはいかないので、私は税務署に8時10分ごろ着くように計った。私が考えていた通りの時間に到着できた。

 税務署には20台近くとめられる駐車場がある。道路から駐車場に入った。駐車場の真ん中に女性がいた。車はまだ数台しかとまっていなかった。私は安堵した。しかし女性が立っている場所が微妙。それに女性はラジオ体操のように体を折り曲げて、地面に手をつけ、起き上がる。私は税務署の署員の朝のラジオ体操に割り込んできてしまったと思った。女性の身支度は、明らかに公務員そのものだ。白のシャツに黒のスラックス。上着こそ着ていなかったが、リクルートスーツに間違いない。税務署署員のラジオ体操なら他の署員はどこ?いない一人もそれらしき人はいない。女性は弁慶の立ち往生よろしく駐車場の真ん中にいる。仕方がないので、私は駐車の枠のラインに入り込んで奥の駐車枠に車を止めた。いつもならこんな場面で何か言う妻は、あきれ果てたのか、これから始まる確定申告に気を取られていたのか、「行ってくるね」とだけ言って玄関に向かった。

 私は、エンジンを切って、寒い車内で漢字パズルを始めた。早くて30分、訂正とかあれば1時間くらいかかると言われていた。驚いた。10分くらいで妻が戻って来た。車に乗り込むと堰を切ったように話し始めた。ラジオ体操もどきの女性の話しだった。確定申告の方は、何もなくすんなりと受理されたという。

  玄関のドアの前で妻が待っているとあの女性がやってきた。ドアの脇に彼女の荷物、上着、カバンなどがあった。妻は彼女も確定申告にやって来た人だと思った。ところが妻に「もう確定申告できるのですか?」と尋ねた。妻はおかしいと思った。「還付を受けられるか知りたい人は、今でも確定申告できます」と答えた。すると彼女は「私は今日からここで研修を受けるために来ました。今日が初日なので緊張してしまって。体操して体をほぐしていました」と言ったそうだ。

  彼女が税務署とどういう関係は、わからない。正式な署員なら入り口は別にあるはず。研修ってどういうたぐいの研修なのかもわからない。

  先日、電車の中で、薄い浴衣に裸足で下駄を履いた初老の男性を見た。一昨日は、やはり電車の中で、天狗が履くような一本歯の高下駄を履いた男性を見た。スーツを着て、足袋に一本歯の高下駄だった。電車の中でもホームでも「カタ、カッタン、ガタ、ガッタン」とうるさい音を立てていた。世の中には、いろいろな人がいる。日本は自由な国で、住む人も自由気ままに生きているようだ。人間観察に興味津々。


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白鵬の大相撲テレビ解説

2022年01月21日 | Weblog

  大相撲が昨日で12日目を取り終えた。1敗だった照ノ富士と御嶽海が共に負けた。優勝争いが阿炎を加えて3人の力士に絞られてきた。

 コロナ禍、それもオミクロン株とやらの猛烈な感染力の恐怖に脅え慄いている。そんな中でも相撲中継は、現状を忘れさせてくれる。

  19日の解説者は、間垣(元白鵬)だった。白鵬の解説は、「待ってました真打ち登場」の感である。北の富士以外の解説は、早送りして聴かない。特に舞の海の解説は、耳にしたくない。その他の解説者は、聞き取りにくい。内容にも説得力がない。「あぁ」とか「うう」とこの人政治屋さんかと思う程、喋りが下手。白鵬の喋りは、上手い。声も良い。内容には感心しきり。実に一人ひとりの力士の分析が鋭い。私の好きな宇良関に「もっとズルクなれば、更に強くなる」と言った。ついこの間まで土俵に上がっていて、あれだけの大記録を打ち立てた大横綱でなければ言えない分析だ。そして対戦した力士で一番強いと思った力士は、高安と言った。驚いた。白鵬の口から高安という名前が出るとは。これぽっちも思わなかった。迫真さに圧倒された。高安は今場所コロナの濃厚接触者で休場。次に高安の相撲をしっかり観てみたい。

  私たちは、相撲を録画で観る。妻の帰宅が6時頃なので、実況放送は既に終わっている。妻は大相撲が好きだ。一緒に観ると楽しい。解説者より上手いのではないかと思う程である。   録画して観ると便利である。早送り、一時停止、巻き戻しが簡単にできる。下手なアナウンサーや解説者が喋っていると“早送り”。台所へ何か取りに行く時、トイレや、宅急便が来た時、“一時停止”。物言いがついた時、まず“巻き戻し”。そして決定的な瞬間を“一時停止”してまるで審判のように目を凝らす。審判長の説明に納得がいかなければ、何度でも観る。時には判定に悪態もつく。大いにストレス解消になっている。

  朝乃山は、夫婦二人が応援する力士だ。今は6場所出場停止処分になっている。4場所目なので、あと2場所は彼の相撲が観られない。照ノ富士、阿炎が番付を下げたが、復活した例もあるので、朝乃山が生まれ変わって土俵に戻る日を待っている。

  私は貴景勝も応援している。以前、貴景勝は、宇良に似た相撲を取っていた。ただ仏頂面の点はことなるが。今場所は途中休場なので、宇良に注目している。一途に相手力士にぶち当たってゆく姿は、イノシシのようだ。妻は、いつも彼がこんな相撲を取っていたら、怪我をするのではと心配する。態度もいい。土俵下に転落して、しこたま頭を床に打った後、ふらふら脳震盪を起こしたように土俵に戻り、きちんと土俵に上がり、頭を下げ、花道を引き揚げる前に、再び土俵に向かって礼をした。彼の表情もいい。勝った時の嬉しそうな顔。負けた時の悔しそうな顔。白鵬が言うように“ズルサ”がつけば、もっともっと強くなりそうだ。妙義龍や千代翔馬に学ぶところがありそう。

 オミクロン株になって、感染者数は、信じられない速さで増え続けている。第6波になるが、科学的な分析も対策のない。2年以上、繰り返し言われ続けている。大相撲のテレビ放送で白鵬が解説するように私たちを納得させ、かつ唸らせる専門家はいないのか?

  感染するのが、恐ろしくて私は、家に閉じこもっている。ご隠居さんになるという夢がまた2歩3歩正夢に近づいている。


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内村航平の引退会見

2022年01月19日 | Weblog

  先週14日金曜日に体操の内村航平の引退会見が行われた。内村航平の体操競技での美しい演技も素晴らしいが、会見で語られたことも実に琴線に触れるものだった。

  テレビでもラジオでも、毒舌と内輪の暴露が主流である。タケシ、マツコ、ダウンタウン、爆笑問題、ナイツをはじめ芸人、野党国会議員や多くのテレビのコメンテーターも同じ傾向にある。私も内心で、彼らの他人をケチョンパンに言いたい放題を喜んでいる。私には、品性が欠けているのだろう。内村航平の会見を聴いていてそう思った。

  「僕はもうちっちゃいときからずっと父親に、体操選手である前に1人の人間としてちゃんとしてないと駄目だっていうのを言われ続けて育てられたので、その意味がようやく分かったというか、大谷翔平くんもそうですし、羽生弓弦くんも、やっぱり人間としての考え方が素晴らしいなって思うからこそ国民の方々から支持されて、結果も伴っていますし。そういうアスリートがやっぱり本物なのかなって僕は思っているので、そういう高い人間性を持った1人の人間に、体操選手としてあってほしいというふうに僕は思いますね。」清々しい。こんな気持ちになったのは久しい。山の奥深くに分け入って、密生する木々の隙間から光が射しこむのを見ているようだった。

  コロナ禍で私の気持ちは、相当すさんできた。そんな中で、それでも「前を向け、進め、ひるむな」と思わせてくれるのは、スポーツである。オリンピック・パラリンピックの出場選手、ゴルフの松山英樹、野球の大谷翔平、大相撲の宇良。内村航平が言うとおりである。強くて、良い結果を出している選手は、いくらでもいる。しかし内から自然に出てくる育ちの良さというか純粋性を観客に感じさせられるスポーツ選手は、少ない。芸能界や政界にはもっと少ない。

  一人の人間としても、恥じ入ることしきりだ。加えて一人の親としての至らなさを痛感せざるを得ない。内村航平の父親のように「1人の人間としてちゃんとしなさい。」と私は私の子供に言い続けることはなかった。1人の人間としてちゃんとするように具体的に教え、躾けることもなかった。まず自分の事が優先していた。仕事の忙しさをすべての言い訳に使った。

  先日NHKで大谷翔平のドキュメンタリー番組を観た。内村航平の父親と共通する。大谷翔平がアメリカ大リーグの試合中でも、ゴミがあれば自然に手を伸ばして拾う。番組の中で、大谷翔平の父親は、大谷翔平が今大リーグでしていること一つひとつをきちんと教え躾けていた。

  親も偉いが、内村航平はもっと偉い。私は内村航平が、引退会見で言葉でも見事な“着地”を決めたと賞賛したい。政治屋の演説や会見、相撲解説者(特に舞の海)、バラエティー番組のコメンテーターたちのちゃんとしていない言葉に目も耳も慣らされてしまった。

  ちゃんとしていない自分が、ちゃんとしていない連中を同類の好みで見過ごしていた。これからは自分自身をちゃんとした人間にする努力をしよう。そしてちゃんとしていない人間を見抜いて影響されないように気をつけて生きよう。


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空震による津波

2022年01月17日 | Weblog

  16日深夜、「プアプアプア」と居間の方から音。最初何の音かわからなかった。夢なのか現実なのかの区別がつかない。横で寝ていた妻に声をかけた。昨夜もけっこう酔っていた。「ふぁあぁ」と訳の分からぬ言葉を発して、「また変な詐欺メールでしょ」と言って、寝息をたて始めた。

この集合住宅の一画を購入した時、1階にはすべての窓と入り口に警報器が取り付けられていた。窓やドアが開けられるようなことがあれば、警報器で侵入を知らせる仕組みだ。寝ぼけてはいたが、侵入警報器の音ではないとわかった。起きて行って確かようと思ったが、いつの間にかまた眠りについていた。「プアプアプア」と再び鳴り出した。目が覚めた。ベッドから出て、居間に行った。テーブルの上で妻の携帯と私の携帯が同時に鳴っていた。2台が振動してハモって音を出していた。画面に津波避難情報が表示されていた。

 昨夜ニュースでトンガの火山が噴火したと知った。だが日本の気象庁が、若干の海面の変動はあっても津波被害の心配はないと発表していた。私はすっかりトンガの火山噴火のことは頭になかった。またどこかで大地震が起こって、津波警報が出されたと思った。集合住宅の川を挟んだ向こう側の道路を消防車がサイレンを鳴らして通過した。心臓が早打ち始めた。東日本大震災の時は、ここも相当揺れ、部屋の中の物が落下した。しかし今回は揺れを感じていない。一応家の中の窓やドアを点検して、ベッドに戻った。妻はスヤスヤ寝ていた。

 その後、4時過ぎまで何回も携帯が「プアプアプア」と鳴った。2年もコロナに苦しめられて鍛えられたせいか、もともと鈍感なおかげか、ウトウトしていた。酔っても朝になると、前の晩の酔いなど他人事だったように元気はつらつと起きる妻。朝がめっぽう弱い私。特に寝不足と私が感じて起きる朝は、頭痛と倦怠感におそわれる。妻が携帯を見て、「津波警報たくさん入ってるね」と言う。どうやら午前0時20分から4時半くらいまでの間の記憶が飛んでいるらしい。

 テレビのニュースやネットで調べて真相が明らかになってきた。トンガで起きた火山の噴火は、空震という現象を起こしたのだという。海水が隆起して起こる津波と違って、噴火の振動が、空中を遠くまで伝わっていって、津波を起こす。気象庁は、海水を伝わって津波が来ることだけを予想していた。そこで前日にトンガの噴火による津波は、日本に影響がないと判断したのだという。

 気象庁が出した“心配ない”の見解に腹がたった。専門家と言っても何もかも理解しているわけではない。責めても仕方がない。16日深夜津波を警戒して、多くの関係者が徹夜で働いていた。感謝しなければならない。間違いであっても、実際に津波が来た時に、今回の経験がきっと役に立つ。

 私たちが住む地球の内部は、何千度というマグマの塊である。表面がカサブタのように固まっていて、それが大陸や島になっている。地球の70%は海。地球年齢は、46億年だそうだ。

 織田信長が戦の前に「人間五十年、下天の内とくらぶれば、夢幻の如くなり ひとたび生を受け 滅せぬもののあるべきか」に合わせて舞ったという。地球の46億年と人間の短い一生を思わずにいられない。何が地球に、人間に起こっても不思議でない。自分が自分であるうちに、今をいとおしみたい。


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遠くへ行きたい

2022年01月13日 | Weblog

 「♪知らない街を 歩いてみたい どこか遠くへ行きたい 知らない海で ながめていたい どこか遠くへ行きたい♪」(作詞:永 六輔 作曲:中村 八大 歌:ジェリー 藤尾) 旅に出たい。コロナ前、年に最低でも4回は、ツアーに参加していた。旅の空白が、もうすぐ2年を超える。去年第5波が収まりかけて、東京でさえ二桁の感染者数だった。私は、これでコロナも下火になるだろうと予測した。来年の2月には、旅行も解禁になり、GO―TOも再開するかもしれない。そう思って、妻と相談して、クラブツーリストのツアーを申し込んだ。妻は病院へ休暇届をだして、2月のツアーの段取りをした。

 年が明けて間もなく、1通の封書がクラブツーリズムから届いた。そろそろツアー代金の払い込みの案内だろうと封を切った。「お申し込みをいただいた〇〇〇ツアー、参加者が予定実施数に達しなかった為に中止になりました。申し訳ございません。別のツアーの参加に変更していただきたくお願い申し上げます」手紙にパンフレットが同封されていた。子供の頃、初詣に行き、人混みの中で迷子になった時の気持ちになった。夕方、帰宅した妻に「申し込んだツアー、人数が集まらなくて中止だって」と報告した。「そうなの」とあっけからんとしていた。日頃から家が一番と言っている出不精の妻。でも私は、その家に毎日閉じ込められている。いつだって“どこか遠くへ行きたい”って思っているんだぞ。本心は遠くなくてもよいのだが、とにかく家から出たいのだ。

 多くの人はなぜ遠くへ行きたいのであろうか。永六輔が作詞した通りに「知らない街」も「知らない海」にも心惹かれる。現実逃避でもある。旅は、自分の住む家や町の再認識となるという考え方もあるそうだ。どんなに行きたかった地への旅行でも、帰宅して自分の寝床に入ると「ここが俺の居場所」を味合う。結果的には、その“俺の居場所”と思いたいのだ。そのために家を離れて戻る。私は旅で訪れる地で「私がここに生まれて、育って、暮らしていたらどうだっただろう」と思いを馳せるのが好き。

  ネパールのマラリア感染を防ぐために、山の上に住んで、毎日何時間もかけて谷底の川から生活用水を運ぶ子供を見た。日本に帰国して、家の水道の蛇口をひねったら、綺麗な水が勢いよく流れ出るのを見て、涙が出た。アフリカのセネガルで羊やヤギの群れが、ゴミを漁りビニール袋を食べているのを見た。帰国して、東海道線の線路わきに生い茂る雑草を見て、セネガルのあの羊やヤギを連れてきて、この草を食べさせてあげたいと思った。

  旅は偏見を生む、と言った人がいる。通り一遍の旅行で、その場所の何がわかるだろうか。でも通り一遍であっても、自分の目で直接見ることは、貴重な体験だと思う。コロナ禍、自宅で自粛生活をしていれば、その偏見さえも生まれない。生まれるのは、自分がコロナに感染したらどうなるかという妄想だけだ。

  1月12日東京の新規感染者数は2198人。全国では13,244人。この感染者数が私の妄想に火をつける。考えを変えよう。感染者の割合は、東京が0,00015%、1万人のうちの15人、全国では0,0001%、1万人のうちの10人。妄想が減退。とにかく人混みは避けよう。家に居るのは、私と妻だけ。妻は、外で多くの人と接触している。改めてウガイ、手洗い、マスクを徹底していこう。

  知らない街へ行きたい。知らない海を見ていたい。我慢が続く。負けないぞ。


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矢切のネギ

2022年01月11日 | Weblog

  いつものクロネコの配達員が「〇〇さんから矢切のネギが届いています」と大きな箱を玄関の上り口に置いてくれた。最初はこの配達員の荷物の送り主と荷の中身を言われるのに抵抗があった。それって随分プライバシーに踏み込んできていない、と快く思わなかった。決してクロネコの会社からの指導で言っているのではないと思う。配達員の個性がそう言わせていると思っている。彼はもう7,8年以上私が住む地域の担当である。今では快く思わないどころか、彼の挨拶代わりの口上が楽しみにさえなっている。

 友人はすでに矢切のネギの事をメールで知らせてくれていた。娘さんが千葉県に住んでいて、訪ねた際に並んで有名な矢切のネギの注文をしてくれてあった。発送がいつになるかはネギの収穫次第とのことだった。この寒空のもと、コロナ禍で外出が自粛されている中、わざわざ並んでまでネギを注文してくれた。誰かが私に何かを送ろうと思ってくれたことが嬉しい。私と妻の事が誰かの脳裏に浮かんだことは、一大事である。その上、長時間列に並んで送る段取りまでを完結してくれた。

 昨年の年末、横浜に住む姉夫婦が、川崎の大師巻きという美味い海苔巻き煎餅を送ってくれた。あまりに美味かったのでネットで調べて注文しようとした。「お陰様で2022年分は完売になりました」とあった。目を疑った。来年の分まで完売!どういうこと?姉に電話で尋ねた。前回は5時間並んで買ったという。世の中には海苔巻き煎餅はいくらでも売られている。こうしてある商品や作物が多くの人々に好まれて、多く売れることはいいことだ。そうなるまでの努力や研究が評価され、売り上げにつながることは、当然の報奨である。大量生産することができないモノが、こうして人気を博するのは、痛快でもある。良さを見抜いて買おうと思う消費者も偉い。

 さて矢切のネギをどう調理して食べようか?ネギと来たらまず頭に浮かぶのは、鴨鍋。焼きネギもいい。すき焼き。イカとあえてヌタにするのもいい。まず今夜は、焼きネギにしよう。ネギ本来の美味さを味合うには、最適であろう。そして明日の朝は、刻んで納豆と食べてみよう。夜は、すき焼き。次の日の夜は、鴨鍋。ネギが届く前、コロナの第6波が来ていて、感染者数が倍倍どころか10倍だ30倍だと私の恐怖心は、限界ゾーンに達していた。それがどうだ、クロネコのお兄さんの「○○さんから矢切のネギが届いています」から一変した。現金この上ない。

 ネギは子供の頃、嫌いだった。嫌いというよりネギが、この世に存在することを許せなかった。親に好き嫌いを失くせと迫られるのは、いつもネギと人参だった。食いしん坊だった私に嫌われる食べ物は、この二つだけだった。親の目の前でネギを飲み込むまで見届けられる様は、拷問であった。そうされればされるほど、ネギへの憎しみが募った。そしてあの恐ろしいネギという食べ物を、平気で美味い美味いと食べていた両親は、同じ人間に思えなかった。そういう大人になることは、どうやっても回避しようと思った。今はどうだ。ネギが好き。ネギのぬたっとしたところが、甘露の極みとのたまう。

 歳をとることは、悪いことばかりではない。子供の時には、想像もできない旨味をとらえる感性が、研ぎ澄まされてくる。初孫である息子の長男が昨日、成人式を迎えた。大人への第一歩を踏み出す。ネギの美味さを知るのは、まだまだ先のことだろう。孫がネギの美味さを知る頃まで、矢切のネギが続きますように!


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雪が降る

2022年01月07日 | Weblog

  6日木曜日天気予報で珍しく雪が降ると出た。今住む地は、生まれ育った長野県と違って、零下になったり雪が降ることがほとんどない。どうせ降っても大したことないだろうと、午後散歩に出た。家を出てから100メートルも歩かないうちに、顔にポツンと冷たいものが当たった。ポツン、ポツンとつながってきた。山を見上げると、厚い雲に覆われていた。雨より雪の方がいい、と散歩続行。いつものコースの半分くらいの所から、雪の降り方が変わった。まるで雪国の雪のように大きな白い結晶となってきた。コースを歩ききって家に戻った。靴はビショビショ、頭は濡れていた。風邪をひかぬよう着替えて暖房の設定温度を25度に上げた。久しぶりにアダモのCDを出して、雪が降る外を見ながら、『雪が降る』を聴いた。

 

 住む所だけでなく、東京も雪で、おまけに「大雪注意報」まで発令された。さて妻は帰宅困難になるのではと心配になった。遠距離通勤の悩みの一つだ。帰宅できなくなると、東京に留まらなければならなくなる。泊まるところは、勤める病院しかない。東日本大震災の時、妻は自分の診察室に泊まった。メールが来た。「いつもより早く病院を出ます。新幹線の運行状況を見て、到着時間をメールします。今日は、駅から家へ、バスかタクシーで帰るので危険なので車で駅に迎えに来ないでください」 返信「了解。こちらも雪です。そろそろ道路の雪が凍るから、歩くときはペンギン歩きで」 家の外を見ると、道路に雪が少し積もっていた。住む場所では、冬でもスノータイヤに替えることはない。砂漠に住む人が、雨に備えて傘を持たないように、スノータイヤという発想を持たないですむ場所なのだ。私は長野出身でも雪道の運転が上手くない。スノータイヤを付けていても何度もスリップして自損事故を起こした。

 

 妻は、無事帰宅した。駅からバスに乗って、バス停から10分歩いてきた。やはり道は、凍り始めていて、ペンギン歩きでゆっくり歩いてきたという。無事帰宅出来てよかった、と思った瞬間、「明日の出勤はどうする」が浮かんだ。明日は明日の顏をして、妻はいつもの晩酌を旨そうに飲み始めた。

 

 今朝5時、起きてすぐ、窓から外を見た。ちょうど新聞配達の人がオートバイでやって来た。のろのろと足を地面に付けながらの運転だった。「車、無理だね。タクシー予約しておこうか?」「大丈夫、ペンギン歩きでバス停へ行ってバスで行く」 妻は倹約家と自負している。私は、危険はある程度金銭で防げる派。今朝のような状況ならプロのタクシーに身を任せた方が良いと考えた。妻を説得して、タクシー会社に電話した。時間と場所と名前を告げた。「橋の上が凍っていて、家の前まで行けませんが…」 困った。そこまで悪い状態なのか。こんなでは、バスも動いているかわからない。「橋のところで待っているのでお願いします」と言って電話を切った。

 

 妻はペンギン歩きをしやすいように、いつもの手提げバックをリュックに替えて、靴も長靴にして家を出た。窓から妻を見送った。凍った道は、歩きにくそうだった。家から約束の待ち合わせ場所の橋は見えない。そこまでたどり着く前にスッテンコロリしなければいいが。心配しながらメールを待った。メールが来た。「タクシーで無事駅到着。他のタクシー滑って…」「良かった。行ってらっしゃい」

 


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朝のコーヒー

2022年01月05日 | Weblog

  朝5時にラジオニッポン放送の『上柳昌彦 朝ぼらけ』のアナウンサーうえちゃんの「午前5時になりました。朝ぼら~け」の声で目を覚ます。続いて目覚まし時計のスイッチを鳴り出す前に解除する。ニッポン放送のニュースをベッドの中で聴いてから起きる。トイレに行く途中、居間のネジ巻き時計のネジを巻く。書斎のパソコンの電源を入れ、エアコンが温かい空気を出しているか確認する。そしてトイレに入る。その後、書斎に戻る。着替えの前に下着だけになって、書斎で体重を測り、日記に記帳する。その時、下着の重さを引いた数値を引く。ニューヨーク株式市場が開いている時は、パソコンで市況をチェック。その間、妻は朝食の準備をしている。朝は妻が弁当を作るので、朝食も用意してくれる。献立は毎朝同じ。刻み葱たっぷりとわさび漬け少々を入れた納豆、味噌汁、焼き魚(鮭か銀鱈)、海苔、ヨーグルト、バナナ半分。薬5種類5錠サプリメント1種1錠計6錠を服用。朝食は、ニューヨーク株式市場が開いていれば、テレビ東京の『モーニングサテライト』を観ながら食べる。ニューヨークのレポーター西野さんの落ち着いた雰囲気が気に入っている。放送のない日は、テレビは観ない。

 妻が出勤する日は、6時40分に家を出る。妻を駅に送り、6時55分に家に戻る。手洗い、ウガイの後、台所に行って、コーヒーマシンでコーヒーをいれる。コーヒーは長い間飲まなかった。嘘か真実かコーヒーを飲んでいる人と飲んでいない人の癌の発症率が違うと聞いた。たぶん癌を防げるかもとの潜在的な期待があって、コーヒーを飲むようになったのだろう。でも昔からコーヒーのニオイが好きだった。家の中にコーヒーのニオイが立ち込めていると気が落ち着く。妻が留守の間の寂しさを、かき消してくるようだ。

  10年以上使ったネスカフェのコーヒーマシンを最新式のモノに買い替えた。前の機械から進化していて驚いた。私はカプチーノが好き。まずミルクを撹拌して泡立てて、その後にコーヒーを入れる。以前、カプチーノは、コーヒーマシンの他にミルクを撹拌して泡立てる別売りの機械を使わなければできなかった。今度の機械は、2つの機能を合体させている。ミルクの機械は、洗うのが面倒だった。今度の機械は、撹拌する先端の部分が簡単に脱着でき、すぐに外して洗うことができる。年寄りの私は、いろいろな電気器具の電源を切るのを忘れる。前のコーヒーマシンの電源を切らないでおくと、機械の温度が上がって危険だった。新しい器械は、一定時間が過ぎると自動で電源が切れる。

  コーヒーマシンの進化にも驚くが、自動車の進化も凄い。今乗るヤリスは、トヨタで最も安価な車である。この車、ライトの上向きの下向きが自動になった。以前は切り替えせずに対向車に迷惑をかけたが、今は車が自動で切り替えてくれる。赤信号でボーっとしていて、信号が青に変わると、音を出して教えてくれる。制限速度があちこちで変わっても、なぜか電光表示に40Kとか50Kとか70Kとか出てくる。他にもいろいろ進化していて、呆けてきた老人の役に立っている。

  15年以上使った電子辞書のIのボタンが機能しなくなった。日本語で“ひ”を打ちたくてもHのあとのIが打てない。どうやっても直らない。Iの1字で辞書が使えなくなった。通信販売の電子辞書を探したら2年前の新品があった。最新のものは5万円ほどするが、それは5分の1の値段だった。その辞書が今日、届く。コーヒーマシン、車の進化に感動した。買った電子辞書は、2年前のモノだが、壊れた辞書より12年後の製品だ。どのような発見があるか楽しみだ。コーヒーを飲みながら、とくと探ってみたい。


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