団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

窓からの肘出し運転

2014年08月29日 | Weblog

  あれほど暑い日が続いたのに、このところ急に気温が下がった。昨日、私の住む地の気温は、最低気温21℃最高気温が22℃だった。車を運転してもエアコンで冷房しなくてすむ気候である。

  日本の自家用車には、エアコンもナビも当たり前のように付いている。猛暑だと騒がれても、道路上の車、軽だろうがトラックだろうが、どんな車に乗っている人々も涼しげな顔で締め切った窓の向うに座っている。乗り合いバスでさえエアコン完備である。

  2001年10月から2003年3月まで北アフリカのチュニジアに住んだ。首都チェニスの道路は、カオスの世界であった。地中海式気候で冬はそれなりに寒く、家では暖房が必要な日も結構多かった。夏は国土のほとんどが砂漠であるアフリカの国らしく暑い。チェニスでの車の運転は、覚悟がいった。運転にコツもいる。私が一番役立ったのは、“道路でも駐車場でも引かれた線を気にするな”だった。自分の目で確認した自分の車が運行するのに必要な空間だけを突っ走る。チェニスの道路を走っている車の特徴は、サイドミラーがもぎ取れていることだった。サイドミラーがちゃんとしているのは、大統領と大統領一族、政府高官の専用車だとチュニジア人の友人が教えてくれた。サイドミラーがないということは、車体に当然ぶつかりぶつけられた名誉の凸凹や傷がある。サイドミラーがない分、車と車の間隔は狭くできる。だがこれだけでは済まない。

  当時チュニジアのほとんどの車にエアコンがついていなかった。タクシーにさえなかった。だから当然のように車の窓を開ける。窓を開けるだけならいい。運転手の多くが手や肘を窓から出す。中には窓のガラスを半分上げて、肘を乗せるという器用というか見ていて私が精神の安定を欠きそうになる姿もあった。窓から手や肘を出す出し方の多様性を観察できた。その風景は、失ったサイドミラーで減った車幅を取り戻しているようで可笑しかった。

  もう半世紀も前のことだが小学校の貸切りバスや列車での遠足が多かった。バスにも客車にも冷房なんてなかった。遠足前の説明会で担任教師は「窓から顔、手、肘を危険だから絶対に出すな」と繰り返した。腕がもげた事故、頭が電柱にぶつかって死亡した事故を怪談のように話した。遠足当日もその注意は続いた。バスのガイドも列車の車内放送も注意を繰り返した。遠足でどこへ行ったとか何を見たかは記憶にないが、繰り返された「窓から・・・」は脳に刷り込まれている。チュニジアでもどこでも窓から手や肘を出して運転しているのを見るたびにフラッシュバックのように「窓から・・・」が甦る。繰り返し学習の効果はすごい。

  先週、まだ猛暑だった日に久しぶりに窓から手を出して運転している人を見た。エアコンが壊れたのか、冷房が嫌いなのかはわからない。この暑さ渋滞という状況の中で珍しい光景だった。チュニジアの道路事情や夏の暑さ、小学校時代の担任教師が怖い顔して「窓から・・・」をうるさく繰り返す様子が走馬灯となって頭を回った。チュニジアの人々、小学校の担任教師、同級生、みな今どうしているかなと感傷的になった。忘れていた過去の記憶がある光景をきっかけに、スカスカになってきた脳の中で泡のように浮き上がりパチンと弾ける。

  車内はエアコンの自動運転で快適な温度に保たれていた。思い切ってエアコンのスイッチを止めて窓を開けた。熱風が吸い込まれるように攻め入った。手や肘は出せなかった。「窓から・・・」の小学校の担任教師の声がそうすることをまだ拒ませる。


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「フランス人は・・・」国民性への先入観

2014年08月27日 | Weblog

  チュニジアのゴルフ場の国際コンペで英国人、アメリカ人、カナダ人、私日本人の4人で回った時のことだった。前の組が遅くてしばし私たちは待たされることになった。「前の組にフランス人がいる。ゴルフはフランス人と一緒にやらないほうがいい。とにかくフランス人は規則を守らない」と英国人が言い、他の2人も彼らの経験談を話した。私もセネガルでフランス人と一緒にゴルフをしたことがあった。しかしただ聞くだけにして私自身の意見は言わなかった。なぜなら日本人も世界の国々でどう話されているかなんて判らない。国民性はそれぞれ異なる。だから海外旅行は楽しい。もしどこの国に行ってもみな同じだったら海外へ行く理由がない。私はフランス人の気質が嫌いではない。

 今乗っている国産車の前に乗っていたのはフランス車だった。とても気に入っていた。フランスの機械類は使い慣れるのに時間がかかると言われている。しかし一旦慣れてくると独特の味わいがあり使う人の個性に馴染んでくる。私の車もそうだった。使うほどに愛着が生まれた。ところが日本の排ガス規制が厳しくなり、エンジン回りの一部の部品を交換しなければならなくなった。国産外車を問わず各社はシェア争いに生き残りをかけている。国産車のメーカーは無償もしくは格安で部品交換に応じた。私のフランス車のメーカーはあくまでもオーナー負担を貫いた。私は国産車に買え変えた。

 ジェフリー・アーチャーの『プリズン・ストーリーズ』(新潮文庫税別667円)の64ページにこんな記述がある。「フランス人と来たら、あなたのお気に入りのネクタイにべったりソースをこぼしても、申し訳なさそうな顔をするどころか、逆にフランス語で客に悪態をつく」小説などの書籍の中で読者はいとも簡単に洗脳されてしまう。それにしても海外小説や映画テレビドラマでは、言いたい放題に人種宗教文化を扱う。それが面白いとも言える。日本では聖域とタブーが多すぎてとてもああはいかない。

 あるスーパーの特別企画で貯めたポイントを使ってフランス製の鍋を廉価で手に入れた。私はフランス製の調理器具が好きだ。特に鍋類に信頼をおいている。ずっしり重くいかにも堅牢なつくりであった。IH対応でもあった。ところが使い始めて2週間、まだ数回しか使わないうちにIHのパネルがエラーと表示し始めて作動しなくなった。鍋の底を見ると塗装が剥げている。IHは数か月前にパネルを取り換え点検もしてもらったばかりである。フランスの会社だが製造は中国と記されていた。スーパーに電話をかけた。他の客から何の苦情もないので、まずIHのメーカーに問い合わせて欲しいと言われた。IHのメーカーに電話した。修理に来てくれた人が対応してくれた。彼の指示に従って、いくつかの鍋を乗せスイッチを押した。フランスの会社の鍋以外すべて正常に作動した。

 再びスーパーに電話した。快い受け答えではなかったが、鍋を着払いで送り返してくれと言われた。送って2箇月が過ぎた。何の連絡もないので電話した。フランスの会社は、現在実験を繰り返していて調査精査中だと言われた。電話した後、もう1箇月が過ぎた。私は電話した。店長がじきじきに答えた。「新しい鍋を本日お送りいたします」しかし私には「フランスの会社が回答しないので当社が新しい鍋を当社の負担で送ります」と聞こえた。私が思った通り、新しい鍋は届いたが、そこにフランスの鍋の会社の調査結果報告書は入っていなかった。

  世界で商売するには、このくらいのふてぶてしさがなくてはやっていけないのかもしれない。それでもスーパーが示した「お客様は神様です」の日本的対応には好感を持った。最近海外からの観光客が増えているという。日本のオモテナシを外国人観光客は求めている。海外からの旅行者の自国文化と異なるが故に観光となる。多くの媒体は私たちを洗脳して先入観、偏見、差別をうえつけようとする。メアリー・ビアードは「先入観を持つということは、英知への扉に鍵をかけてしまうことだ」と警告する。四方八方から飛び込んでくる情報をどう処理するかは、自分の最終的な判断で決めたい。自分を鍛える修行は続く。


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広島土砂災害劣悪避難所

2014年08月25日 | Weblog

  今回の広島市の大雨による土砂災害は多くの犠牲者と行方不明者と甚大な被害を出している。家を失ったり、避難勧告を受けて小学校などの避難所に身を寄せている人々がいる。テレビのニュースでその劣悪な環境を観るたび、先進国と言われる日本も災害対策において旧態依然で進歩が見られないことに地団駄を踏む。

 いくら応急の対策であっても体育館の床に畳や運動マットなどを敷くのをいい加減止めてほしい。人間歳をとると床に寝るのが難しくなる。ベッドを導入するべきである。カナダのキャンプ場で簡易ベッドを使って寝たことがある。幅60センチ長さ2メートルぐらいで折り畳み式の木枠にキャンバス地をはめ込んだものである。軍隊用だと聞いた。収納も便利だ。実によくできている。もう50年前のことである。日本ではいまだに江戸時代の牢のように畳を使っている。プライバシーもない。進歩がちっとも見られない。地震、台風、ゲリラ豪雨など日本は自然災害が起こり大きな被害を繰り返す。多くの被災者は劣悪な環境の避難所での生活を強いられる。

 私は以前から病院船の建造を提案している。日本は四方海に囲まれた国である。まだ何の計画案も出ていない。自然災害で自分の家を失った人々にまず必要なのは、住む場所である。病院船は避難所、宿舎、病院、トイレ、風呂、食堂、飲料水など被災者が必要とするものの多くを供給できる。災害救助は初動が鍵である。敏速な救助隊の派遣が人命に関わる。何故政府は病院船を建造できないのか。東日本大震災でも大島の地すべりでも今度の広島の土砂災害でも病院船があったならと残念でほぞをかむばかりである。

 病院船は国内に対してだけでなく、国際的にも役に立つ。私は理想主義者だと言われようが、世界のどの国も持ったことのない平和憲法に誇りを持っている。世界の多くの国々がこぞって核兵器を持とうとしている中、逆向きだろうが孤軍奮闘してでも平和を訴えるのも国家の有り方である。

  加えて有言実行が必要である。日本は海に囲まれた国で多くの先進技術を持つ。特に造船業の実力は世界が認める。長寿国として医療の進歩も目覚ましい。核ミサイル軍事用空母などを持たなくても世界を股にかける病院船団を持って世界に貢献できる。世界各地で起こる紛争疫病地震台風に日本が確固たる平和信念を持って徹底した救援の実績と精神を繰り返し示せば、世界からの信頼と賞賛を得ることができる。一国では対処できない危機に瀕した国民に彼らが求める援助をいち早く日本が提供できれば、それを拒否し、うらむ国があるだろうか。日本の外交下手とプレゼンテーション下手は、寡黙で地味な実行動でのみ克服できるものである。西アフリカのエボラ出血熱の大流行に、もし日本に病院船団があり、敏速に西アフリカの公海上に派遣され、活動したら世界の目は日本に向けられる。医学薬学産業界が協力し合って船団を運営できる。船団は病院船を母船として、水運搬船、ヘリコプター発着船、燃料供給タンカーなどで構成する。

 日本ならできる。被災者も、救援救助活動する自衛隊員警察官消防官ボランティアにも安心して横たわって休める場所を病院船団なら提供できる。病院船竣工の一報を待つ。


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スキマ植物

2014年08月21日 | Weblog

  本屋の文庫版新書コーナーで本の題名を見ていると、私の想定を超えた着目が多いのに驚く。先日『スキマの植物図鑑』(塚谷裕一著 中公新書 1000円+税)を見つけ購入した。散歩中よくスキマに生えた植物を見つけて「こんな所にどうして、凄い生命力」と感心している。スキマ植物の写真を撮り集め図鑑にしようなどとは考えない。そこが凡人と著者の違いである。

 スキマ植物に関心を持っている。私は性格的に、自分とスキマ植物を同化している傾向がある。雑草だとか枯れすすきにも思い入れがある。

  連日の30℃を超える酷暑が続いている。散歩は朝早くか雲が太陽を隠すスキを狙ってするが、それでも強い陽ざしを浴びる。快晴で直射日光の防ぎようがない日は家にこもる。

散歩の途中にもスキマ植物に目をとめる。今気になっているのは、スキマ植物というよりは、空中植物とでも呼ぼうか。(写真参照)生命力にただただ感心しきり。

 30メートルくらいの川幅を電柱の倒壊防止のための鉄のワイヤーが張られている。サビ防止のためか黄色いプラスチックでワイヤーをおおっている部分がある。向う岸から10メートルぐらいのところに空中植物が生えている。元気そうだ。土はない。とすれば、考えられるのは向う岸の地面からツタを伸ばしてあそこまで到達して芽を出したに違いない。人間も動植物も生まれてくるのに親も環境も選べない。すべてを受け入れるのみである。スキマ植物ほど「あるがままに」生きている姿を私に教えてくれるものはない。

 道路の多くが舗装される。植物にとっては災難である。種を結び熟して落下したところが、ある日突然厚さ数十センチのアスファルトやコンクリートで閉じ込められる。種の中には生命力が強く舗装を突破貫通して芽を舗装から出すものもある。よくテレビなどで道路端に芽を出し立派に成長した大根を紹介される。そんな種は何千何万のうちのごく少数であろう。この確率の低さに私のような卑屈な者でも感動する。どうせ何をやっても言っても書いても誰にも相手にされない、と僻みっぱなしの人生である。僻みの裏には、「認めてほしい、褒めて欲しい」の欲が出番を求めて渦を巻いている。身の程知らずのコンコンチキ。あぁ馬鹿は死ななきゃ治らない。スキマ植物に爪のアカがあるなら、煎じて飲みたい。

 広島の豪雨による土石流と土砂崩れで多くの犠牲者が出ている。幼い子どもたちが多い。切ない。自然の力の前では人間もスキマ植物と変わらない。自然のご機嫌をうかがいながら生き延びるしかない。宅地も崖下や急斜面など住宅地に不向きなスキマの土地にまで造成を進めている。まさかの防災まで考慮して開発されているとは到底考えられない。私たち人間は、地球上の動植物の頂点にいるという傲慢さを反省するためにも、まずスキマ植物の生命力に注意を向け、初心に帰って学ぶ必要がありそうだ。


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親と子のギャップ

2014年08月19日 | Weblog

  最近テレビによく出演している明治天皇の玄孫がいる。彼は「初めて友達の家に遊びに行った時、いきなりその家の玄関が道路に面していて驚いた」と言ったことがある。彼の家は門があり玄関まで距離があり手入れされた庭がある。私はもちろん玄関が道路に直接面した家に暮らした。今だって集合住宅なので庭はない。英国は身分階級社会だと学んだ。一部の金持ち貴族階級は、広大な領地に暮らす。家は何十という部屋があり、屋敷のあちこちに先祖の肖像画が列をなして壁を飾る。

  そんな英国の生活を垣間見ることができる英国BBC放送制作のテレビドラマ『シャーロック』をレンタルDVDで観ている。コナン・ドイルの『シャーロック・ホームズ』の原作を土台に21世紀の英国に舞台を移した設定になっている。主演のベネディクト・カンバーバッチは好きな俳優だ。独特な風貌と目の演技に引き込まれる。役者、役になり切って演じる、としての見事な才能に感嘆する。

  シリーズ3の第1巻にこんな場面があった。シャーロックのベーカー街の事務所を田舎から訪ねてきた両親をシャーロックはいろいろこじ付けて事務所から追い出した。ワトソンは窓から外に出たシャーロックの両親を見ている。ワトソンとシャーロックの会話である。

「君の両親!」ワトソン

「・・・」シャーロック

「想像と違う」ワトソン

「何が?」シャーロック

「つまり思っていたより・・・」ワトソン

「・・・」シャーロック

「・・・普通だ」ワトソン

「僕の背負う十字架さ」シャーロック

  実に英国階級社会をよく表現できている場面だった。私はかつて英語と英会話を教えていた。70歳を過ぎ脚の弱った父親が1キロばかりの道のりを杖をついて散歩だと教室へ訪ねてきた。事務所の脇の生徒の待合室のソファに腰をおろし、杖に両肘を乗せて、出入りする生徒を見ていた。ある時社会人の英会話クラスの40歳代の女性生徒が私に言った。

「待合室にいる爺さんはまさか先生のお父さんじゃないよね」生徒

「私の父親です」私

「嘘!全然違う」生徒

「何が?」私

「想像してたのと」生徒

  英国と日本という違いがあっても、あまりにもよく似た光景である。私の心の片隅にずっと沈殿していたあの日の会話が英国のテレビドラマを観ていて甦った。正直に言えば、あの時、私は女性生徒を失礼だと思う以上に自分の父親を恥ずかしいと思った。それが悔しい。小学校も満足に行けず、丁稚として宇都宮の羊羹屋へ奉公に出た。戦争に徴兵され捕虜にもなった。体は小さかったが力があり働き者だった。子どものために犠牲になることをいとわなかった。父は72歳で亡くなった。学歴はなかったけれど独学でいろいろ学んだ。私は日本の高校に入学して途中からカナダに留学し父より学校に長く在籍した。父と同じように力強く生きたとはとても言えない。父は資産も家柄も学歴もなく、暮らしたのは、道路からすぐ玄関の家ばかりであっても、熱い思いを持って仕事をして、家族を守った。父が言った。「急ぐな。人間一代でできることなど知れている。でも続けろ、失敗しても続けろ」と。

 私は,見映えや暮らし向きこそ少し父よりましではあるが、まだまだ多くの点、特に人間としての逞しさなどで、父を超えることはできていない。見た目や肩書は、人を判断するのにあてにならないものだ、とようやく判りかけてきた。人間は外見ではなく、目に見えない人格、品性、教養、人徳で決まる。ギャップ、親との差と考えるのではなく、親が自分に譲ってくれた未到達な目標へ自分がどの程度近づけたかを思い、その目標を私の次の世代にバトンタッチしていくことを考えたい。

 


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お盆休みと甲子園

2014年08月15日 | Weblog

  妻は、お盆と正月には帰省するという母親との約束で12日13日と田舎へ行った。私は留守番。子供や孫たちは今年も来ない。

  台風の影響で2日開幕が遅れた全国高校野球大会が始まった。普段午前8時15分から夕方6時までの間にテレビを観ることはない。野球といってもプロ野球にはまったく関心がない。そんな私でも甲子園の高校野球観戦は好きである。

 NHKテレビの放送なのでまずコマーシャルがない。下手な新米で個性も話術もないアナウンサーと高校球児の裏取材も知識もない解説者には我慢を強いられる。立て板に水を流すような喋りができる名アナウンサーとか、解説もせめてソチ冬季オリンピックでの三浦豪太さん並の解説者がいればもっと楽しめる。毎日4試合天候さえ良ければ完全中継される。だから朝から夕方までいつでも好きな時に高校野球が観られる。私はどの試合も高校野球なら楽しめる。特に応援する学校はない。長野県出身だから長野県代表を応援する義理人情にも欠ける。出身高校が出場すれば違う気持ちになるが、まだ2度しか出場したことがない。とにかくどこの県のどの学校でも観る。なぜならそこには必ず予期せぬドラマがあるからだ。観戦中、何が起こるか分からないのがたまらない。

 13日の第二試合、市立和歌山高校と広島広陵高校の試合にもドラマがあった。市立和歌山の二塁手山根選手。小柄ながら抜群の守備、打席に立てばバットをブルンブルンと回して打ち気満々。目立とうと思っているのではない。気迫がひとつひとつの動作に現れてしまう。最後の最後の出来事だった。9回裏2対2の同点。市立和歌山の9回表の攻撃は0点。広陵が1点取ればサヨナラ勝ちとなる。2アウト満塁。打者の打ったボールは二塁の山根のグラブに吸い込まれた。誰もが山根がバックホームの捕手か2塁へ送球すると思った。山根は1塁へ送球。その前に3塁にいた走者はホームイン。広陵のサヨナラ勝ち。山根は自分が何をしたのか知り、号泣しグランドに伏した。

 高校野球の楽しみはいくつかある。私はメモ帳片手に珍しい苗字や名前を探す。今年の逸品は二十八(読み方は文末参照)である。他にもいちいち帽子を脱ぎ頭を下げる選手監督の礼儀正しさ、アルプススタンドで展開される両校在校生の応援合戦、ベンチ入りできなかった部員たちのちょっと切ない大声を出しての応援、毎年改良されるユニフォーム、ヘルメット、防具、野球帽、グラブ、スパイク、金属バット。無名の選手の美技に(写真参照:捕手のアクロバットのような捕球)、チームワークの良さに、監督の采配に、バッテリーの駆け引きの上手さに、応援団の女子チェアリーダーのリズミカルな身のこなしに、吹奏楽部の演奏に、グランド整備員の芸術的な整地に、審判の判定に、耳も目も奪われる。

 何万人というグランドの周りをぐるっと取り囲む、まるでローマ時代の競技場のような雰囲気を醸し出す球場。すり鉢の底のようなグランドに観客の熱と直射日光によって温度は砂漠のように上昇する。選手も審判も観客にも家の中でテレビ観戦する私にとっても体力を必要とする。

 どの出場校も各都道府県での優勝校である。試合は勝ち負けのどちらかしかない。無情。

 全国高校野球選手権大会を観るたびに思うことがある。一校で130人もの部員がいる学校もある。これだけの部員がいてもベンチ入りできるのは、18名である。日本では早いうちから野球、水泳、サッカー、柔道などスポーツを特定して一筋に頂点目指してポジション取りに邁進する。どのスポーツも競技人口が多いほど良い選手を輩出できる。野球は恵まれたスポーツである。スポーツ振興を考えればモッタイナイ話である。野球が盛んなのはアメリカ、日本、韓国、キューバなど世界でも限られている。

 私がモッタイナイなどと思いながらも選手たちは野球に全身全霊で打ち込んでいる。だからこそ見応えがある。私も雑念を払い応援する。私のお盆休みに高校野球は、なくてはならない大切なものである。

 (参照:二十八はツチヤと読む。ツズヤとも読むこともある)


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スーパー満月

2014年08月13日 | Weblog

  8月11日午後6時45分頃、太平洋から上る満月を期せずして見ることができた。今年の元旦に初日の出を拝んだ同じ場所だった。美しい、と見とれた。満月でいつもより大きかった。サーモンピンクがかった幻想的な色で神々しかった。月の地面まで見えるようだった。その夜テレビのニュースで“スーパー満月”とアナウンサーが言っていた。スーパーという言葉は、最近使い古された気がしていたが、あの月をスーパー以外に表現できない、と変に納得した。

  学生だった時、thatの講義で英語教師が「月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月」(詠み人知らず)を引用した。月をmoonとmonthに分けて読むと理解しやすいと文章にやたら出てきたthatを読み分ける方法を解説した。8回も“月”が出てくる。「月々(month month)に月(moon)見る月(month)は多けれど月(moon)見る月(month)はこの月(month)の月(moon)」よほど印象深かったのか難しいthatの用法よりこの歌のほうをしっかり覚えている。

 (参考)thatの授業に出てきた例文はthatが4つ続いた難解な文章だった。:The teacher  said that that that that girl wrote was wrong.

  まさに詠われている通り、この月(month)つまり8月(month)の月(moon)は最高であった。月が地球に一年で一番近づく日なので、見える月の大きさも最大になるという。

  台風11号は日本全土に被害をもたらした。猛暑が続きその後での台風襲来だった。自然に逆らえないのは分かっているが、何とか被害を出さないようにできないものかと心を痛めた。私が住む町は、台風の進路から大きくそれた。雨は長時間強く降り、山からの土砂や木々の枝や葉が道路に流れ出た。そんな台風一過のスーパー満月であった。水平線から姿を現した満月も10分も経たずに厚い雲にその美しい姿を隠されてしまった。短時間であったが、スーパー満月を見ることができ元気が出た。

 


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自殺と殺人

2014年08月11日 | Weblog

  先週火曜日、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹副センタ―長(52歳)が自殺した。首つり自殺だった。秀才研究者として世界に名だたる笹井さんの死に方に相応しくない。私は分野を問わず、その道に秀でた人を尊敬する。ましてやノーベル賞候補にまで上がっている笹井さんのような優秀な国際的な科学者は、日本にとってかけがいのない存在であった。

 仏教、キリスト教など宗教の多くが自殺も殺人も禁じているという。私が十代の後半に渡ったカナダのキリスト教の学校で“腹切り”と“カミカゼ”に関してのカナダ人アメリカ人の講釈を聞かされた。日本人は破れかぶれで何をしだすか予測がたたない危険な人種という偏見が根底にあった。

 そうは言っても自殺は、日本人だけがするわけではない。世界中どこにでもある。宗教がどれほど禁じても自殺者はあとを絶たない。私自身67年間の人生で何回か自殺してしまおうかと考えたことがある。今はあの時時に思い留まって良かったと思う。

 笹井さんが死を決意し、遺書をしたため、ロープに全体重を投げ出した瞬間まで、彼を死ぬことから引き離なそうとするいかなる力も及ばなかった。妻、子ども、仕事、責任、名声、業績、ノーベル賞、研究成果、新たな発見。私は秀才の重圧を知らない。人が全員秀才である必要はない。生まれてきてしまったのだから、できるだけ他人に迷惑をかけないように自由を享受して、私は普通に生き普通に死んでいきたい。笹井さんと私などの存在価値は比較のしようもない。それでもどちらも命は命である。

 なぜ、とどんなに考えても私ごときの者に原因究明などできるはずもない。笹井さんの輝かしい業績を称え、彼の死を惜しむばかりである。このところ私は鬱状態である。連日倉敷の小5女児監禁事件、長崎の女子高校同級生殺人事件、新潟県新発田市の連続女性不審死、東京都西東京市での父親による中2息子への自殺強要事件の報道に塞いでいる。切なくてやるせなく怒る。新聞も読まない。テレビも観ない。散歩と私が良い作品だと信じる本の活字の世界に逃げ込んでいる。情けない。情けないけれど散歩と活字に救われている。散歩は自分の足で土を踏みしめ、自然を吸い、見て、嗅ぐ。人間社会から私の存在を引き離してくれる。本の活字は、著者の熟慮か天から何かが著者に舞い降りてきて書かれている。耳や目は誤解を生み、自分のその時の感情により、いかようにも結論付けてしまう。活字は違う。著者の言いたいことを目で読み、情報を脳に送り、自身の経験、考え、教養などを総動員させて自分そのものが理解する。だから何とか自我に留まれる。

 どの事件にも笹井さんの自殺にも私には何もしてあげられない。逃げるのみである。ふがいない。私にできることは妻を大切にして毎日を感謝して生き伸びることだけである。最後までそう生きることが私の最大の業績になる。


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セミ共和国

2014年08月07日 | Weblog

  毎日暑い。散歩コースの途中で写真を撮った。どうということのない川と川まで迫る木々に覆われた山肌が写っている。写真は音を記録できない。気温も写らない。それでも写真を撮らなければならなかったのは、セミの共和国がそこにあるからだ。

 散歩全コースの周辺全域がセミに占領されているわけではない。家の前から300メートルくらいの桜並木が続く。どんなに暑い日でも川風と桜の木陰はひんやりして気持ちいい。その道路周りのセミは、もっぱら独唱にいそしんでいる。橋を渡って県道沿いの海までの道のりは約1キロある。海岸へあと200メートルぐらいのところにセミしぐれが集中しているスポットがある。そこを“セミ共和国”と私は名付けた。半端な音量ではない。何千何万というセミの音波は「ウワ~ン ウォ~ン フォ~ン」とあちこちに衝突をしては合併吸収を繰り返してのびたり縮んだりして山を下る。圧倒される。こんなセミの洪水のような合唱を聴いたことがない。私は長野県の生まれで山の近くで育った。長野でも独唱かせめて輪唱どまりであった。

  山はほとんどが広葉落葉樹ブナ、ナラ、クヌギなどである。セミの好きそうな木々である。以前から気になっていたのだが、セミは竹林にはいない。おそらくエサになる甘い樹液がなく、竹の木肌がすべすべでセミには止まりにくいのだろう。この地域の山もご多聞に漏れず、森や林は竹に浸食され竹林は拡大の一途である。だから竹林があるところでセミの合唱はぽっかり穴をあける。その真空地帯が音波伝達の移動に変調リズムを与え、総合音響効果を高める。

  気温が上がれば上がるほどセミは勢いづく。鳴き声からしてセミの種類はヒグラシらしい。低い山である。標高は100メートルくらい。山肌は樹木で覆われている。民家はない。セミから発せられる音はまず山頂付近で空に向かって大きく膨らむ。音の雲は山を越えた海からの風に押され一気に下り始める。標高の高いところの音が低いところの音を食い尽くす。次から次へと音の雲は同調合体しうねりとなって山の傾斜に沿って川に向かう。音のなだれである。

 道路側はアスファルト舗装の歩道と2車線の県道がある。道路の交通量は多い。自動車の騒音は、セミ共和国の民衆の叫びに打ち消される。山、川、道路の向うは、住宅地だ。住宅のまわりの庭の木々にも一匹オオカミのような離れミンミンゼミやクマゼミが単発で山側のセミ共和国に存在を主張して張り切って鳴いている。川と道路を挟んで山側の大音響、住宅地側の気の抜けたような受け一方の静まり。私は人間社会とセミ共和国との国境に立ち、セミの絶叫コンサートに耳を傾ける。

 毎年繰り返されるセミ共和国の時限立国の証人となる。川面にはすでにトンボが多く姿を現した。トンボは鳴かない。蝶が舞う。蝶は羽音さえ立てない。うるさかったアオサギも産卵子育を終え、松並木の頂きにある10数個の巣は空き家になった。季節はゆっくり次へと駒を進める。うだるような暑さの中、約1時間の散歩を終え、汗だくで家に戻った。冷蔵庫には手で絞った西瓜ジュースが冷えていた。ベランダからセミの鳴かない竹林を眺めつつ、腰に手を置き、冷えた西瓜ジュースを飲み干す。流れ落ちる汗が、耳にセミ共和国の残響を呼び戻す。


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川名壮志著『謝るなら、いつでもおいで』

2014年08月05日 | Weblog

  長崎県佐世保の高1女子同級生殺人事件が起こる直前、本屋で『謝りたければ、いつでもおいで』(川名壮志著 集英社 1500円税別)を買った。2004年6月1日に起きた佐世保小6同級生殺人事件を徹底取材した本である。この本を買おうと思ったのは、『殺人犯はそこにいる』(清水潔著 新潮社1600円税別)の真摯な記者精神に感銘を受けた流れで自分の足で歩き回って取材する他の記者のノンフィクションを読みたいと思ったからだ。読みだした次の日の26日に高1女子同級生殺人事件が起きた。

 ラジオ・テレビ・新聞で事件の真相を知ろうとしたが無駄だった。私はラジオを聴くのをやめ、テレビを消し、新聞でこの事件に関する記事を読むのをやめた。どの番組でも「なぜこのような事件が起きたのか」と最初から大上段に迫ろうとした。いきなり“なぜ”を究明できるはずがない。しまいに“加害者の心の闇”で括ってしまう。清水潔著『殺人犯はそこにいる』を読んで、事件を取材するには被害者側のことも加害者側のこともしらみつぶしにコツコツと直に話を聞かなければならない。追い返され、誤解されても、何でも訪ね、頭を下げた。清水氏は17年以上かけて取材をした。川名氏は9年間をかけている。ところがテレビもラジオも新聞も専門家とかおよそ相応しくないコメンテーターに意見を求め、適当に尻きれ状態のまま終わらせる。いつも通り被害者の名前も写真をも躊躇なく出し、加害者のことは煙に巻いたように隠す。私はこのような不公平な扱いを認めない。

 『謝りたければ、いつでもおいで』を読むことにした。何か問題の理解につながることを見出せるのではと期待した。半日で324ページのハードカバー本を読み終えた。2つの事件を比較しながら被害者、被害者の家族、加害者の家族に思いを馳せた。もちろん加害者と被害者に直接取材できて、正直な告白を聞くことができれば、真実は明らかにされる。しかし被害者の命は加害者によって奪われてしまってそれは不可能である。まだ生きている加害者は国の法律で厳重に保護され人権を保障されている。直接取材はできるはずもない。少年法やもしかしたら精神鑑定によっていつかは、何もなかったように無罪放免される。佐世保小6同級生殺害事件の加害者は、すでに20歳を過ぎ社会復帰して普通の生活をどこかで送っている。

  本の題名になっている「謝りたければ、いつでもおいで」と言ったのは、佐世保小6同級生殺害事件の2歳違いの現在23歳になる被害者の兄である。事件後、鬱状態になり結局高校を単位不足で退学した。紆余曲折を経て単位制の高校を卒業して大学へ進学した。時が経つにつれ、彼は事件から立ち直り始めた。それはまるで少年法が理想とする加害者の可塑性な社会復帰の可能性を、皮肉にも被害者側の兄が実現した奇跡だと川名氏は書いた。ついに「謝りたければ、いつでもおいで」の言葉になった。私は、この本を読むことでまるで彼の脇に寄り添うことを許されていた感覚になっていた。理解もできず、慰める言葉さえ思い浮かばない。それでも一緒にいるという感覚を持てた。

 社会復帰した加害者が謝罪のために被害者遺族を訪ねるか否かは私には分からない。知りたくもないし、予測も願望もない。私自身は加害者を許すことはない。「謝りたければ、いつでもおいで」と言葉にした兄。そう語った兄の経緯や背景を活字にしてしてくれた著者。お蔭で、ラジオ・テレビ・新聞・週刊誌では得られない貴重な情報で私の佐世保の2つの殺人事件の見方が変わった。真実が明かされなくても、途中で投げ出さず、追求し対峙し続けて執拗に書き残してくれる人がいる。悲しくて、やるせない2つの事件だが、『謝りたければ、いつでもおいで』を読んで心の濁りが少し澄んできた。

 


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