団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

軽自動車

2012年03月30日 | Weblog

 英国調の赤いマントのようなコートを着た若い女性が、何か怒ったような顔で坂道を歩いて上がってくる。「あのお父さんが、軽にするなんて信じられない」と言う。家の前で黒いワンボックスタイプの軽自動車を磨いている父親と会う。女性は、軽自動車に乗り込み「こんなに広いなら許す」とか何とか言う。これはある軽自動車の私が問題あると思っているテレビコマーシャルだ。狭くて当たり前の車内を無理して“広い”と言わせることはない。あるがままでよい。バブル崩壊、リーマンショック、原油高騰などを経て、ブランドからユニクロ、普通自動車から軽自動車などへのデフレ現象は止まらない。そんな中、スバルの富士重工が、2月28日に軽自動車の生産を打ち切った。理由は、世界戦略の強化の一環として、日本でしか販売できない軽自動車の生産資源を世界に販売できる車の生産に振り向ける狙いであるという。最近、テレビの自動車のコマーシャルは、8割が軽自動車で残りが、ベンツ、BMW,アウディ、VW,ボルボ、ミニクーパーなどの外国車である。これもデフレと格差社会の現象のひとつなのか。

 軽自動車は日本にしかない規格である。①全長3,400mm以下②全幅1,480mm以下③全高2,00mm以下④排気量660cc以下⑤定員4名以下⑥貨物積載量350kg以下。軽自動車を生産する自動車製造会社は、上記の軽自動車の規制の枠一杯を満たそうとしのぎを削る。なにしろ軽自動車は全自動車の中の一番の売れ筋だ。結果、世界標準から離れ、デザイン、性能とも海外の自動車愛好家からは、受け入れがたい奇怪な存在となった。 

 私は贅沢にも普通自動車と軽自動車の2台の車を持ったことがある。以前、住んでいた長野県は車がないと生活に支障がでる。公共交通機関に不便が多い。車の運転が苦手な妻は、軽自動車を運転すると自分の運転がうまくなった錯覚できると言って喜んだ。坂は多いし、カーブが連続する、狭くてセンターラインもない道路では、確かに軽自動車は乗り回しやすい。ただしその便利性も安全性を犠牲にしていることは否めない。小さいがゆえに構造がきゃしゃである。我が家の軽自動車は、マツダのキャロルだった。丸っこいデザインが気に入っていた。現在の軽自動車には特徴のないデザインが多い。

 アメリカは、TPPへの日本の参加問題の公聴会で、日本の軽自動車を名指しで批判した。アメリカにしてみれば、アメリカ国内で交通安全委員会に承認されないような、小さくて安全上問題がある軽自動車が日本では認可され、その生産販売が好調なことが面白くないのである。その市場にアメリカの自動車会社が参入するとは思えない。それが不服でイチャモンをつけてきた。大きなお世話だ。軽自動車を選ぶ日本人は、安全性に問題があっても軽自動車を経済的な理由と利便性で選ぶ。日本の道路事情を知っていれば、軽自動車がどれほど日本に適合した車か理解できる。しかしアメリカのもっとも不得意なことは、相手の立場や環境や文化的背景を考慮することなく、強引に自分たちの標準を交渉相手に押し付けるという図々しさである。アメリカが日本の軽自動車の存在を理解することは不可能に近い。アメリカは長く“重厚長大高”の文化で“軽薄短小低”の日本の文化とまっこうからぶつかる。そして日本の軽自動車を“小さい”ことだけで見下す。

 安全性に問題はあるが、私は、毎日、日本の道路で車の運転をしていて、軽自動車が一番日本の道路事情に合った車だと思っている。2車線の道路の交差点で、その2車線を右折直進と左折の2車線プラス反対車線1の計3車線にしている場合がある。(写真参照) 普通自動車が2台しか交互通行できない狭さだ。そこを無理やり3車線にしている。軽自動車ならこの3車線でも楽々である。こういう状態を放置している、日本の行政にも問題があるが、自動車生産会社にも、経済性ばかりを前面に押し出し、安全性やデザインをないがしろにしている責任がある。よみがえれ、ホンダN360、スバル360、マツダキャロルのような個性ある楽しいデザインの車。

 他国からどんなに軽自動車を馬鹿にされようが、世界で日本にだけしかない規制規格であっても、現在、これだけの軽自動車による交通事故死亡者数を低く抑えているのは、いかに日本人軽自動車使用者が危険を承知の上、安全に気を遣って注意深く運転して、生活に軽自動車を役立てているかの証明である。これは褒められても卑下されることではない。

 日本が軽自動車規格の車、消防自動車、救急車、パトカー、トラック、ダンプトラック、バス、タクシーだけになり、道路が広く使えるようになった夢をみた。まるで『ガリバー旅行記』の小人の国のようだった。“狭い日本、そんなに急いでどこへ行く” 日本独自の道を悠然と歩むのも悪くない、と私は思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

3D

2012年03月28日 | Weblog

 私は犬が好きだ。犬を飼いたくなると、犬の映画をDVDを借りてきて観る。アメリカ映画『HACHI』を観た。

 アメリカの映画テレビ界では、行き詰ったら3Dと言う。今はやりの特殊なメガネをかけて観る立体画像のことではない。私はこの立体映画の3Dが苦手である。目がまわってしまう。映画を観るときは3D映画を避けて、2Dと言うらしいが、普通の平面映画を観る。テレビをこの次買い換えることがあっても、3D方式のテレビにはしない。

 私が言う3Dとは、1.Doctor(医者)古くは『ベン・ケーシー』『逃亡者』、最近では『E・R』『ドクターHOUSE』2.Dog(犬)『ラッシー』『名犬リンチンチン』から『HACHI』3.Detective(探偵 警察)『刑事コジャック』『刑事コロンボ』『ポアロ』みな大ヒットし、日本でも高い視聴率を得た。それにしても日本のテレビ、映画もアメリカのテレビ、映画でも3D全盛である。世の中、進歩がないのか、それとも倦怠期になって昔を懐古する流行の一環なのか。特に日本のテレビのCMでは、子ども、動物、踊りばかりである。

 私は今までに二十匹以上飼ってきた。秋田犬は飼ったことがない。現在、集合住宅に住んでいるので犬は飼っていない。私は犬を家の中で飼わない。犬をまるで人間のように扱う、今の犬の飼い方と意見を異にする。犬は、序列の動物である。正しい上下関係のもとで犬は本領を発揮する。

 忠犬ハチ公は素晴らしい話である。秋田犬は本来扱いにくい犬と言われている。日本犬は、おしなべて西洋の犬のように人間になつかない。一人の主人に徹底して付き従う。一時は絶滅の危機に瀕した秋田犬は、終戦後GHQの米兵に好まれ、一気に数を増やしたそうだ。

 一度旧ユーゴスラビアの首都ベオグラードで見事な秋田犬を連れていた老夫婦と出会った。私が咄嗟に「秋田犬だ!」と叫ぶと、二人はにこやかに微笑みながらやってきて、「(ニッポン人の方ですか?)」と英語で聞かれた。「(はい、そうです)」というと「(一緒にコーヒーいかがですか?)」とお誘いを受けた。二人は、秋田犬がいかに素晴らしい犬かをコーヒーカップを片手にとうとうと語った。

 また別な時、冬のベオグラード旧市内で、私は妻と家具をさがして家具屋めぐりをしていた。古い狭い小路を歩いていた。すらっとした姿勢の良い、ベージュ色のオーバーコートを着た婦人が、真っ白な大きな犬を連れて歩いていた。真っ赤な口紅がとても印象的な老婦人は、私の「AKITA?」(秋田犬ですか?)に「Yes、he is.」(ええ、オスの秋田犬ですよ)とにっこり答えた。ただそれだけの出会いである。普通ならただの通りすがりでしかない。秋田犬を介して、こんな出逢いもあることが嬉しい。しかも日本人がほとんど住んでいない外国で。それも経済封鎖を受け、最新型のピンポイント・ミサイルの攻撃を受けていた国で。

 映画『HACHI』で秋田犬は、さらに世界中で増えることだろう。たくさんの素晴らしい出逢いが秋田犬を介してうまれることだろう。秋田犬は立派な平和推進外交官だ。犬が3Dの一つのDであることに納得できる。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初音ミク

2012年03月26日 | Weblog

 私の知らぬ世界であるが、アニメの初音ミクが国際的に大ヒットの兆しがあるという。ここに日本の大きな可能性がひめられている。

 韓国は、生身の人間が歌い踊るKポップスで世界進出に着々と成果を上げている。先の私のブログで、ベトナムの韓流ブームについて書いた。韓国は国策としてテレビドラマやKポップスの“スター”育成を計っている。

 NHKの2月19日(日)の朝のニュースで“初音ミク”の存在を始めて知った。初音ミクとは、声優「藤田 咲」さんが、声を演じるアニメ漫画のキャラクターである。つまり実存していない。そのアニメが画像のコンピューター処理によって歌い踊る。ニュースを観ていて閃いた。これはいけるぞ、と思った。残念ながら生身の日本人で世界に売り出せる歌手、俳優などは数えるほどしかいない。今アメリカで由紀さおりが静かなブームになっている。日本語を理解できなくても、由紀さんの声が受け入れられた。世界的なアイルランドの歌手エンヤは、ゲール語やラテン語の歌を多く歌う。言葉がわからなくても、受け入れられるケースはそれほどない。やはりその国の言葉で歌うほうが、受け入れられやすい。ならば生身で世界に通用するタレントが育成されデェビューできるまで、合成アニメのキャラクターに活躍してもらう。日本人が不得意な外国語で歌うことも、音声だけの影歌手を活用すればできる。吹き替えも日本では、芸術的な域に達していて、技術も声優の才能も高い。ましてやコンピューターを駆使した合成も使えば、可能性は拡がる。

 日本国内では、AKB48とやらの人気が高い。日中国交回復40周年で中国へも紹介され人気があるらしい。ところが観ていると、このAKB48は、外国語に得意なわけでもなく、歌や踊りを武器に世界に売り出すには、越えなければならない壁がいくつもある。初音ミクはここが凄い。日本のアニメ、カラオケなどのIT技術は世界の最先端を行っている。現にアメリカでは劇場で3Dシステムを使い、ステージで立体画像を投影させた初音ミクに歌わせ躍らせて、観客の若い男性が夢中になってペンライトを振っていた。日本が蓄積した技術で世界的に日本アニメのキャラクターが、各国の言語を話し、歌い、踊る。生身の人間ではできるはずもないことでも、非現実なキャラクターたちが替わりに演じてくれる。そのことに安堵することなく、敏速に生身の日本人も外国語を学び世界進出に備える。

 アニメのキャラクターのピカチュウやキッティちゃんが、私がかつて住んだチュニジアやサハリンの田舎にまで浸透していて驚いた経験がある。知的財産を日本は数多くかかえる。それを放っておく手はない。しばらくは日本のアニメのキャラクターの力を借りたらいい。声優の藤田咲さんのようなタレント、もしくはコンピューターによる合成音声であっても、歌って踊れるアニメのキャラクターは、忠実に舞台やDVDやテレビで活躍してくれるだろう。

 第二第三の初音ミクが続々と出てくることを、そしてやがて生身の人間がバトンタッチを受けられることを願う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

切り抜き

2012年03月22日 | Weblog

 アメリカのテレビドラマを観ていると、凶悪犯の部屋に捜査が入ると壁一面、新聞の切り抜きや犯罪に関する地図や写真が貼られている場面がよく出てくる。

 私はそれを見て、快く思わない。私は別に自分が犯した犯罪の記事を集めているのではない。ただ私は、自分にとって勉強になる新聞記事を切り抜きにすることを日課にしている。私の興味などといっても、100を超えることはない。それを大学ノートに整理して貼っていく。妻は「後で読みもしないのに、そんなに集めてどうするの」と言う。私をまるでゴミ屋敷のオッサンにしか見ていない。妻の言うことに一理も二理も三理もあることは分かっている。確かに多くの場合、無駄となる。書き物をしていて、確か新聞でこのことを記事にしていたはずだと閃く。ここからが私の腕の見せ所である。私は資料の中から9割かた探し出す能力を持っている。新聞は切り抜く。本は、容赦なく3色のボールペンで線を引く。最近は線だけでなく、ポストイットをページの上部に貼る。気が向くと、大学ノートに書き写し、ポストイットは剥がしておく。線の引かれた本は、ブック・オフでは買取りをしてくれない。私は、読んだ本を売ろうとは思わない。しかし本は、新聞の切り取りが占める場所なんてものではない。それを考えれば、新聞の切り取りなんて、どうってことはないのである。

 私は時々、もし私が死んだら、私の切り抜き資料を全て棺に入れて、私の遺体をおおってくれないかと夢想する。まだ口に出して妻に明確に伝えてない。妻の言う通りほとんどの切り抜きは、実際何の役にも立っていない。記事は、毎日家にまで届けられる新聞の膨大な情報のごく一部である。私の気を惹いたのである。私はその記事に何かを感じて切り抜くことを決めた。それは間違いなく私の脳が鋭く反応した一瞬であった。私の人生であった。だから火葬場で私のむくろを焼く時、新聞の切り抜きを棺に納めてもらえれば、嬉しい気がする。強力なガスによる火力はあるだろうが、新聞の切り抜きも役に立てるだろう。

 日本は確かに多くの問題を抱えている。私はそれでも尚、日本に住めることを嬉しく思う。勢いある時代が去り、後発国に追いつき追い越されることばかり騒がれる。私は日本人、日本文化の多様性に力づけられる。何が私を喜ばせるといって、出版物の多さほど私を狂喜させることはない。猥褻という分野には規制がかかるが、それ以外なら出版の自由はある。それでも猥褻に関してもひところよりずいぶん甘くなっている。宗教やイデオロギーによる弾圧は、一部を除いてほとんどない。世界中の多くの出版物が、速やかに翻訳され、出版される。地球上、もっとも人の脳の中の思考が、文字化されている国である。ありとあらゆる本の選択肢が溢れている。日本人、日本文化の多様性の根幹の現象に思えてならない。

 日本の新聞も立派な文化である。毎日,たったとっている新聞一紙にさえこれだけの情報が載る。そのためにどれだけ多くの人々の苦労があることか。特に自分の新聞配達の経験からも、きちんと毎朝各読者の手元に届けられることは凄いことである。そうして日々発行された新聞の全てを受け止めることはできない。限られた時間の中で、ただ私という個人の感性の鐘が鳴るのを待ち受ける。記事の5W1H(いつ:When どこでWhere だれがWho 何をWhat なぜWhy どうやってHow)だけでよい。コメントも感想も私が主人公になれる。

 新聞は、本との出会いの橋渡しもしてくれる。
新聞の切り抜きと良い本との出会いは、私に前へ進む活力を与えてくれる。好きなことをしていて、時間を感じられなくなる無重力の空間に浮くような感覚がたまらなく好きだ。だから私は日本の政治が幼稚でも、官僚が悪賢くても、経済が停滞しても、テレビがくだらなくても、自然災害にさらされても、日本がニッポン人が大好きだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

イワシ

2012年03月16日 | Weblog

 海の近くに住む。獲れてから数時間のさかなを食べることができる。生まれ育った長野県で食べたこともない美しい新鮮なイワシを食べる幸せがある。子どもの頃、イワシといえば、長野では丸干しやメザシだった。

 行きつけの魚屋へは、朝9時ごろ顔を出す。市場から持ち込まれた魚を並べ始める時間を見計らう。日によって、季節によって、天候によっても獲れる魚が違う。週3回は、顔をだす。自分で魚を獲ることも釣ることもできない。買うことしかできない。だから徹底していい魚を選ぼうとする。最近、イワシは大衆魚でなくなったようだ。

 平日、つまり妻の出勤日は、お昼ご飯は、私ひとりの孤食である。糖尿病対策もあって、食事はできるだけ外食を避けている。毎日3食、時間通り、朝食5時30分、昼食12時、夕食6時50分に食べる。カロリーの取りすぎに注意して、できるだけ魚をたくさん食べるようにしている。特に青背魚のイワシ、サンマ、アジ、サバを食べる努力をする。イワシが大好きだ。なぜなら魚、青背魚の中で一番キレイだからである。魚屋で新鮮なイワシを見つけると、迷うことなく買う。ウロコを落とす必要もない。ハラワタを出すこともない。160℃で17分間、焼くだけである。そこに長野県のねずみ大根(長野県坂城町ねずみ地籍特産の辛味の青首小型大根)のおろしをたっぷり添える。薄口醤油を少しおろし大根の上にたらす。

 青山学院大学理工学部の福岡伸一教授は、自著『ルリボシカミキリの青』(文藝春秋刊1200円)の帯に「その青の鮮やかさに感動したとき科学が始まった」と書いている。凡人の私は、イワシの背の青さに感動しても科学は始まらなかった。遅かった。しかし、あまりの美しさと不思議さに心奪われる。子どもの頃から、多くの昆虫の美しさに見とれた。名も知らぬ美しい虫や蝶を捕らえては、何時間でもその美しさの虜になった。昔にかえったように、時間を忘れて見てしまう。

 イワシは大きな魚ではない。イワシは、どちらかというと地味な魚である。焼く前のイワシと焼いた後のイワシは、まったくの別物である。もし美しさがそのままなら私は、箸をつけられなくなるに違いない。焼けば様子は一変して、他の魚と同じだ。焼いたイワシは、骨と身がキレイに離れる。私は、その見事な離れ具合に惚れている。大根オロシとよく合う。皮が焦げ、身から滴り落ちる。この脂がこげる音もニオイもいい。ポルトガルにもイワシの塩焼きがあって人気のメニューだった。海外で日本と同じ食べ方を見つけると、なぜか嬉しかった。

 イワシは、ニシンやタラのように卵まで食べない。だから漁獲高は、安泰かなと油断していた。イワシもいまや高級魚である。もしかしたらシラスなど稚魚を獲っているのが原因かも知れない。日本人は、本当に何から何まで食べる。食いしん坊であり、美味しん坊でもある。遅きに失するかもしれないが、イワシの保存や保護、増殖対策を実施する時期である。

 妻は背青魚を嫌う。子供の頃から安いサバやサンマばかり食べさせられたので、もう食べたくないと言う。私の家だって貧しかった。だから安い魚、サバやサンマをたくさん食べた。私はそれでも食べ飽きなかった。妻がいないお昼の孤食だからこそ、心置きなくイワシを食べられる。食べ物の嗜好は、ある意味非情である。こんな孤食も悪くない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お犬さま

2012年03月14日 | Weblog

 電車に乗った。ガラガラに空いていた。海が見えるように進行方向の右側の7人掛けのベンチシートの真ん中に座った。ドアの脇の席に60~70歳ぐらいの女性がひとり座っていた。このベンチシートに座っていたのは、私とこの女性だけだった。私はチラチラっと海に目を投げながら、カバンから原稿用紙をだして読み始めた。声が耳に入る。隣の女性が私に話しかけてきたと思って原稿から顔を上げ、女性の方を見た。女性は膝のバッグの中から犬を抱き上げ、犬に話しかけている。「○○ちゃん、もうすぐ着くからね。お家に帰ったらお風呂に入りましょうね」「ごめんね。疲れさせちゃったね」 溺愛関係のようだ。

 私は電車にペットを持ち込めるのが合法かどうか知らない。知りたいとも思わない。以前フルムーンで妻と日本一周駆け足旅行をした。フルムーンはグリーン車を利用できる。贅沢な旅だった。ぎこちなく座る私たちの数列向こうの席に若い男性が犬を専用バッグに入れて座っていた。車掌が検札にまわってきた。男性が「○○ちゃんに切符ください」と人間の名のような犬の名を言った。グリーン席の料金さえ払えばペットも一席占有できることを知った。料金を払ったあと男性は、犬を席に直接出して座らせた。

 この3月3日、山口県周南市で、警察は53歳の男を道路交通法違反容疑で逮捕した。容疑は、小型犬のトイプードルを膝の上に乗せて運転したというものだ。私の住む町でも、時々犬を膝に抱いて運転する人々を見かける。数日前に妻を駅に送る時、信号のない交差点に止まって、安全確認をしていた。向こうからホンダの赤いフィットが来た。そのフィット交差点の前で急にふらつくように蛇行した。車窓から運転している女性の膝に小型犬がハンドルに脚を置き立ち上がって前方を向いていた。

 昔、日本人は、犬を虐待していると英国の新聞に写真と記事が載った。当時のことを思えば、日本人も豊かになり、庶民の生活にペットを飼うことが普及浸透したことは喜ばしい。何事も行き過ぎは、よくない。ご他聞にもれず、この町も住民の高齢化が進んでいる。それが理由かどうか分からないが、とにかく犬を飼う人が多い。犬や猫、いかなるペットでも人を癒し情操を豊かにするのであれば、有益である。

 ある経済研究所の調査では、犬を1匹、子犬から老犬になるまで飼育すると平均800万円経費がかかると試算された。最近ではペットの任意健康保険さえある。どこのスーパーにもペットフードの特設コーナーがあり、よく売れている。人それぞれの価値観や嗜好趣味、経済状態でペットを飼うなら私に異論はない。

 私が散歩する道のあちこちに犬の“落し物”が散乱する。大変な数である。電柱、街灯ポール、標識柱には、犬の縄張りを示す尿の跡がある。一匹の犬が縄張りを主張すると、他の犬は、本能的に自分の領域であることを、にっくき他の犬の尿に新たに自分の尿を重ねることで示す。イタチごっこである。異なる犬が通りかかるたびに、同じ場所を目がけて、放尿が続く。やがて鉄などの金属だと、腐食して折れてしまう。そんな鉄柱が何本もある。まさに“点滴 石をうがつ”の実証だ。犬は本能のままに生きる。犬の責任ではない。飼う人の責任である。犬に癒される人は、それ相当の規則道徳を守り、犬をこれからも大切にしてあげて欲しい。そろそろ犬を飼う人は、犬権を堂々と弁護保護するために犬頭税を払われたら、いかがなものかと、今朝の散歩で踏んでしまった“犬の落し物”を靴底からこそげ落としながら、私はおとなしく吠えてみた。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1年

2012年03月12日 | Weblog

 平成23年3月11日午後2時46分、震源地 三陸沖 規模 マグニチュード9.0最大震度 7 津波 最大波高 9.3m以上 死者 1万5854人 行方不明3155人 避難者数 47万人

 あの日、私の日記にこう書いている。

 「天気 晴 気温 最低2℃ 最高12℃ 万歩計 4214歩 スポーツジムに行き帰宅。ベッドで休んでいると地震。なんと3回の大揺れ。仏壇の位牌など散乱。建物もギシギシと音を立てた。2回目の大揺れは、ゆっくりで吐き気をもよおすほど、気持が悪いものだった。初めての体験だ。東北太平洋大地震と名がつき、MM8.8で記録を取り始めて最大の地震となった。妻は、無事。帰宅できず、東京の勤務先病院に泊る。妊娠7箇月の娘とメールで連絡がとれた。日赤病院に避難。胎児無事。息子、連絡とれず。日本はどうなるのか」

 妻は病院に泊り、次の日、普通に診察を終え、帰宅した。息子は職場から世田谷の自宅まで6時間歩いて妻と二人の子どもが待つ家に戻った。日赤病院に避難していた娘夫婦は、翌朝やはり世田谷の自宅に戻った。あの日から数ヶ月、私はほとんどテレビの前から離れなくなった。ただテレビを目に耳にして、事の成り行きを見守るだけの毎日だった。

 あれから1年。

 地球に人類が誕生してから地震は絶えることなく続く。20世紀以降の巨大地震は、1960年5月22日チリ南部地震(南アメリカ) M9.5 2004年12月26日スマトラ・アンダマン地震(アジア) M9.3 1964年3月28日アラスカ地震(北アメリカ) M9.2 1952年11月4日カムチャッカ地震(アジア) M9.0 2011年3月11日 東日本大地震(アジア) M9.0 1906年1月31日コロンビア地震(南アメリカ) M8.8 2010年2月27日チリ中部地震(南アメリカ) M8.8 1965年2月4日アリューシャン西部地震(アジア、北アメリカ) M8.7 2005年3月28日スマトラ地震(アジア) M8.8 1950年8月15日アッサム地震(アジア) M8.6 と数多くあった。いったいこれまでに、どれだけの人が犠牲になり、どれだけの被害があったのか。地震はどこにでも起こる。地震は、時を選ばず、いつ何時でも起こりうる。どの宗教を信じていようがいまいが、だれにでも分け隔てなく襲い掛かってくる。甚大な被害をあたえ続ける。人間は、地震から身を守る術を知らない。それどころか、愚かにも被害をさらに拡げる原子力発電所を、何重もの安全対策を施すこともなく、厳重なる審査、検査、情報開示することもなく、作り、使い続けてきた。

 人間の凄さは、人類誕生以来、あらゆる天災人災をも乗り越え、生き続け、地に満ちた不屈の前進する力にあると、私は思う。C.S.ルイスは「経験は残酷な教師だが、多くを学ばせてくれる」という。人間のたゆまぬ向上心に勇気づけられる。去年の東日本大震災は、あまりにも悲しい。どうしていいのか途方にくれる。私自身、何ひとつ役に立てない。もどかしい。歯痒い。空しい。被災地の人々が、生きようと前に進む姿に、ただそのはるか後ろから手を合わせるしかない。

 私は自分と向き合い、原点に戻ろうと生きる軌道の修正を試みる。原点とは何だろう。とりわけて才能があるわけでもなく、平均以下の知性と能力と実績しかない。そんな折、メル・ギブスン主演の映画『復讐捜査官』の中の台詞「人は完璧じゃない。だが正しい生き方がある。家族のために力を尽くし、仕事をし、意見を言う。人を傷つけない。悪人に屈しない。それだけだ」を思い出した。ごく当たり前の事ばかりだ。これこそ私が目指す、人間の原点ではないだろうか。

 この先、天災で命を落とすかも知れない。人災で命を落とすかも知れない。病気で突然、もしくは長く闘病して死ぬかも知れない。どうであれ、私は正しい生き方を貫きたい。3月11日午後2時46分、千代田区の国立劇場で天皇陛下御夫妻の出席された一周年追悼式に合わせて、私は一分間黙祷した。そして正しい生き方をする、と誓いを新たにした。犠牲者に手を合わせ、まだ苦しむ被災者の更なる前進を祈る。私に正しい生き方をしようと誓わせることができるのは、犠牲者と被災者の方々のおかげである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アイツ

2012年03月08日 | Weblog

 「孤独もまたプレゼント、大切な友だち。私はここで一人で住むことを選び取りました。人生は“手入れすべき庭”のようなもの。これからも自分の庭を美しく手入れしていきたい」フランス 女優 ジャンヌ・モロー

 ある週刊誌のグラビアにカラー写真でジャンヌ・モローの家が紹介されていた。パリ市中のビルの一画にある部屋の広さは、20畳ぐらいである。2面の壁は、天井まで本がぎっしり入っている。82歳のジャンヌ・モローが、一人で住む部屋に驚きを感じた。あれほどの大女優だ。どれほど豪華絢爛な屋敷に住んでいると思いきや、あまりに質素な生き方に驚いた。欧米のセレブは、城のような屋敷に住み、贅沢の限りを尽くしている、と考える私のほうがおかしいと思い知らされた。

 私のカナダ留学時代の友達は、例外なく、定年退職するときっぱり仕事と縁を切り、新しい人生を始めた。退職するとまず彼らの多くが、世界一周旅行か外国旅行に出た。旅行から帰ってくると気候の良いアメリカやカリブ海のいわゆる老人村に移り住んだ者もいる。彼等を訪ねると、みな同じことを言う。「こうして仕事や家族や土地のしがらみから離れて、静かにここで最後の日まで過したい」と。

  私は退職後や老後は、自分の人生でやり残したことを取り戻す時間だと考える。死を迎える準備には、それ相当の時間がかかる。死を忘れるには、仕事に没頭するに限る。その点では、いつまでも天下りを繰り返す日本の官僚は、死をも恐れぬ人々なのであろう。忘れることができてもだれも逃げられない。

 最近80歳目前のひとり暮らしの知人女性から「体の自由がきかなくなって来て、アイツが迫ってきているのを感じる」とメールがあった。行動的で、こまめな働き者で、自立していて、尊敬できる彼女が、死をアイツと呼ぶその気持ちが身につまされる。日本でも外国でも、人間は、生まれたが最後、誰でもみなアイツに追いかけられる。

 私は、心臓手術を受ける前まで、自分の寿命は65歳までだろうと勝手に想定して、人生の辻褄を合わせようとしていた。今でも、とても80歳まで生きられるとは思わない。それでも万が一実現したら、80歳になった自分は、妻と仲良く、共に本に囲まれ、居心地のよい、狭くても片付いた空間に身をおく暮らしをしていると懲りずに想い描く。何はなくても、ジャンヌ・モローに負けないくらいの本に囲まれている。本の中に私が求めているのは、とらえどころのないアイツの正体かもしれない。読書は、空しい繰り返しの連続だが、朝、庭から聞こえる小鳥のさえずりのように、突然、私に小さな喜びを与えることもある。だからこそ読み続けるのだろう。

 団塊世代に生まれ、家族主義を捨て、個人主義を標榜した。その代償として孤独もアイツも受け入れる覚悟をしているつもりでいる。私のような欲の塊、我利我利亡者は、迷ってばかりいる。私の“手入れすべき庭”は、まだまだ荒れたままである。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本株式会社

2012年03月06日 | Weblog

 中国の習近平国家主席が国賓待遇でアメリカを訪問した。かつてクリントン元アメリカ大統領がアメリカの産業界の重鎮を伴って外国を訪問したように、習副主席と同行した中国の産業界代表団が2.1兆円の商談を成立させたという。共産党一党独裁の中国が国を挙げて売り込みにやっきになっている。

 かつて日本は世界から“日本株式会社”“エコノミックアニマル”“ワークホリック”と国も勤勉な国民さえもコテンパンに批判された。日本のマスコミは、こぞって官民の関係を監視するようになった。それに怖気づいて日本の多くの企業は、あらゆる分野で体裁だけを取り繕うようになってしまった。そうこうしている内に、かつて日本に批判的だった国が、みな国を挙げて、どこも自国の企業製品を売らんかなの強力なキャンペーンを展開し、国家が先頭に立ち始めた。かつての“日本株式会社”“エコノミックアニマル”に過去の日本以上に多くの国々が日本化してきている。日本は、官民の癒着がどうのこうのと、ひとり良い子になって、国際競争から置いてきぼりにされている。日本は過去に戻ればいいだけだ。当時の日本と同じ状況に多くの国々が変貌をとげている。

 私は世界133カ国に配置された大使館の活用を再考することを提案したい。難しい法的なことはわからないが、大使館を本来の公用部門と国際貿易推進部門とホテル兼邦人援護部門に分ける。公用部門は、従来通りの大使館としての業務を果たす。国際貿易推進部門は、日本製品を任地国に対して売り込んだり、任地国に適した製品を調査研究して日本企業に情報を提供する。ホテル・レストラン邦人援護部門は、いざ何かあったときのために邦人を保護収容するためにその国に在住する邦人人口に見合った収容人数を割り出し、ホテルを運営するか、もしくは民間に経営を委託する。働く職員は、日本から語学研修の学生や若者にする。和食は、現在、日本食文化として世界無形文化遺産に登録しようとする動きがあるくらいである。ホテルに併設されるレストランは、日本の食文化を紹介する絶好の場となる。ホテルでは、日本商品の新製品発表会や販売促進の展示会などを開催する。日本の商品で世界に紹介したいものは、たくさんある。家電、IT機器、自動車だけが日本の輸出品ではない。花火、ウッシュレット、タオル製品、紙製品、家庭雑貨、調理道具、文房具などいくらでもある。それらをもっと積極的に売り込むべきである。ホテルやレストランで実際に使うことで、紹介でき売込みにもなる。

 東京にある大使館ではいくつかの国が大使館敷地内に分譲マンションを建設して分譲販売した。立地条件が良いので大変な利益を上げたようだ。大使館だからとは言え、決して聖地ではない。国によっては、大使館そのものを独立採算制にしている国だってある。アフリカのセネガルにあったカンボジアの大使館は、レストランを経営して大使館を独立採算で維持運営していた。日本の大使館の多くは、ODAなどの国際援助に大きな功績を残してきた。そんな経済力も元気も、もうなくなってきている。これからは、大使館を活用して、国際競争力を高めるのも一策である。国内で多くの人々が日本の現状に悲観して希望を失っている。ここは長年国際関係に関わり実績と人材を持つ外務省が先頭に立って、日本復活を力強く推進援護してもらいたい。

 よみがえれ“日本株式会社” これからだ、ニッポン。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

留年

2012年03月02日 | Weblog

私には留年の経験がある。日本からカナダの高校に転校した。英語の問題で一学年下のクラスに編入された。9月入学なので、更に半年遅れた。

 先日、橋下徹大阪市長が義務教育であっても留年を辞さないと発言した。勇気ある発言だ。日本人には留年落第を受容することは不可能に近い。日本人は、恥に対して過敏とも云える神経を持つ。恥を蔑みと同一に解釈して、他人の目が自分だけにではなく、家族親戚一族までに及ぶのを嫌う。たとえ九九ができなくて分数が分からなくても、情状酌量、お情けで進級卒業させてもらっても、留年落第するより、ずっとすんなりほとんどの人が受け入れられる。つつがなく人並みに時間通り区切りを通過することが何よりである。恥の文化には、良い面もある。犯罪率の低さ、連帯感の強さをも生む。日本人で留年落第を当然として受け入れられる本人、もしくは家族がいれば、尊敬にあたいする。

 私が転校したカナダの高校は、留年落第があった。同時に飛び級という日本人の私には信じられない制度まであった。厳格に線を引いて、容赦なく留年させたり落第させているのではない。私が転校した学校は、総合高校という分類に入り、選択科目が数多く用意されていて、生徒は自分の進路に合わせて科目を選択できる。成績が悪く進級単位修得が危ぶまれると、学期ごとに学校側から選択科目の変更をまず勧められる。敏速に対応してくれる。大抵の場合、この選択科目変更で留年を免れることができる。数学を取っていても、一学期の成績が芳しくなければ、数学を次の学期に「自動車の運転免許取得」に変えることができた。大学進学を希望する者は、その大学の指定科目の単位が修得できない場合に、留年落第が実際問題として浮上する。当時のカナダの教師の対応と比べると、日本の学校や教師そのものが劣化しているようだ。ゆとり教育は、生徒にも影響したが、教師学校にも大きな禍根を残した。

カナダの学校で他の誰より先に日本人の私に話しかけてくれたジョージは「自分は数学ができなくて12年生をこれで3回目だ。この学校のことならだれよりも良く知っているから、分からない事があったら何でも聞いて」と見るからにちょっとふけ顔で言ってくれた。その屈託ない明るさに驚かされた。ジョージは大学進学を目指していたので、自ら望んで留年を続けていた。デイトをかさねた隣の町の公立高校生だったガールフレンドのデビも「どうせいつか知られるから、最初に言っておくけど、私は小学校5年生で落第したの。それを承知で付き合ってね」と堂々と言った。「恥ずかしい」という感覚は、だれだって持っている。同時にカナダの生徒も家族も現実を受け入れる勇気も持っていた。その屈辱をひとつひとつ受け入れることで、人間性を成長させている。その経験は、肥やしとなって、より魅力を増しているようだった。

 私は橋下大阪市長の言わんとすることを理解できる。しかし留年落第は、日本では無理である。そんなことを、今、実行したら自殺者が続出するだろう。子どもだけでなく、親も恥ととらえて、過度に悲観して思わぬ行動にでるだろう。私は日本の留年、落第、飛び級の問題は、入学試験において織り込まれていると理解する。加えて、日本には裏ワザのような学習塾、予備校、家庭教師、両親による特訓もある。そのどれも行き過ぎている点もあるが、多くの国にはない、留年落第を回避する制度である。不合格なら浪人する者もいる。浪人だって留年のようなものだ。浪人のほうが留年や落第より耳障りでないだけだ。高校が義務教育の国では、私立以外入試さえない。12年間連続の教育が、すべての生徒を落ちこぼれさせずに、とんとん拍子で進むとは思えない。留年落第で救われる生徒も出てくる。飛び級だって日本の国立や私立の小学校、中学校、高校の学年や履修枠を超えた難解な入学試験問題をみれば、一種の抜け駆け的な日本式飛び級であることは、明白である。何事にも絶妙なバランスが大切だが、なおざりにされてきた結果であろう。

私の長男が何も特別な準備もなく、長野県から東京の私立中学の入試で算数を受験したあと、「学校で習っていない問題ばかりだった」と言った。私が「それって零点ということ?」と尋ねると、長男は、目を潤ませて、大きく首を縦に振った。内心は屈辱感でいっぱいだったに違いない。本人には相当な薬になったらしく、その後の学習に変化がみられた。

 留年、落第、飛び級、9月入学を論ずる前に、日本の教育の仕組みの再構築を根本から考えなければならないのではないだろうか。その意味で橋下大阪市長の発言は、そのきっかけになるものと評価したい。教育問題は、国の根幹をなす。多くの分野の人々の活発な発言や論争が、遅まきながらも始まったことを歓迎する。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする