英国調の赤いマントのようなコートを着た若い女性が、何か怒ったような顔で坂道を歩いて上がってくる。「あのお父さんが、軽にするなんて信じられない」と言う。家の前で黒いワンボックスタイプの軽自動車を磨いている父親と会う。女性は、軽自動車に乗り込み「こんなに広いなら許す」とか何とか言う。これはある軽自動車の私が問題あると思っているテレビコマーシャルだ。狭くて当たり前の車内を無理して“広い”と言わせることはない。あるがままでよい。バブル崩壊、リーマンショック、原油高騰などを経て、ブランドからユニクロ、普通自動車から軽自動車などへのデフレ現象は止まらない。そんな中、スバルの富士重工が、2月28日に軽自動車の生産を打ち切った。理由は、世界戦略の強化の一環として、日本でしか販売できない軽自動車の生産資源を世界に販売できる車の生産に振り向ける狙いであるという。最近、テレビの自動車のコマーシャルは、8割が軽自動車で残りが、ベンツ、BMW,アウディ、VW,ボルボ、ミニクーパーなどの外国車である。これもデフレと格差社会の現象のひとつなのか。
軽自動車は日本にしかない規格である。①全長3,400mm以下②全幅1,480mm以下③全高2,00mm以下④排気量660cc以下⑤定員4名以下⑥貨物積載量350kg以下。軽自動車を生産する自動車製造会社は、上記の軽自動車の規制の枠一杯を満たそうとしのぎを削る。なにしろ軽自動車は全自動車の中の一番の売れ筋だ。結果、世界標準から離れ、デザイン、性能とも海外の自動車愛好家からは、受け入れがたい奇怪な存在となった。
私は贅沢にも普通自動車と軽自動車の2台の車を持ったことがある。以前、住んでいた長野県は車がないと生活に支障がでる。公共交通機関に不便が多い。車の運転が苦手な妻は、軽自動車を運転すると自分の運転がうまくなった錯覚できると言って喜んだ。坂は多いし、カーブが連続する、狭くてセンターラインもない道路では、確かに軽自動車は乗り回しやすい。ただしその便利性も安全性を犠牲にしていることは否めない。小さいがゆえに構造がきゃしゃである。我が家の軽自動車は、マツダのキャロルだった。丸っこいデザインが気に入っていた。現在の軽自動車には特徴のないデザインが多い。
アメリカは、TPPへの日本の参加問題の公聴会で、日本の軽自動車を名指しで批判した。アメリカにしてみれば、アメリカ国内で交通安全委員会に承認されないような、小さくて安全上問題がある軽自動車が日本では認可され、その生産販売が好調なことが面白くないのである。その市場にアメリカの自動車会社が参入するとは思えない。それが不服でイチャモンをつけてきた。大きなお世話だ。軽自動車を選ぶ日本人は、安全性に問題があっても軽自動車を経済的な理由と利便性で選ぶ。日本の道路事情を知っていれば、軽自動車がどれほど日本に適合した車か理解できる。しかしアメリカのもっとも不得意なことは、相手の立場や環境や文化的背景を考慮することなく、強引に自分たちの標準を交渉相手に押し付けるという図々しさである。アメリカが日本の軽自動車の存在を理解することは不可能に近い。アメリカは長く“重厚長大高”の文化で“軽薄短小低”の日本の文化とまっこうからぶつかる。そして日本の軽自動車を“小さい”ことだけで見下す。
安全性に問題はあるが、私は、毎日、日本の道路で車の運転をしていて、軽自動車が一番日本の道路事情に合った車だと思っている。2車線の道路の交差点で、その2車線を右折直進と左折の2車線プラス反対車線1の計3車線にしている場合がある。(写真参照) 普通自動車が2台しか交互通行できない狭さだ。そこを無理やり3車線にしている。軽自動車ならこの3車線でも楽々である。こういう状態を放置している、日本の行政にも問題があるが、自動車生産会社にも、経済性ばかりを前面に押し出し、安全性やデザインをないがしろにしている責任がある。よみがえれ、ホンダN360、スバル360、マツダキャロルのような個性ある楽しいデザインの車。
他国からどんなに軽自動車を馬鹿にされようが、世界で日本にだけしかない規制規格であっても、現在、これだけの軽自動車による交通事故死亡者数を低く抑えているのは、いかに日本人軽自動車使用者が危険を承知の上、安全に気を遣って注意深く運転して、生活に軽自動車を役立てているかの証明である。これは褒められても卑下されることではない。
日本が軽自動車規格の車、消防自動車、救急車、パトカー、トラック、ダンプトラック、バス、タクシーだけになり、道路が広く使えるようになった夢をみた。まるで『ガリバー旅行記』の小人の国のようだった。“狭い日本、そんなに急いでどこへ行く” 日本独自の道を悠然と歩むのも悪くない、と私は思う。