団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

生麦事件

2023年02月28日 | Weblog

  東海道線本線で東京の病院へ行った。途中東海道線が京急線と並走する所がある。京急線に生麦駅がある。そのあたりを電車が通過した。

  最近、上田高校の同窓生で友人のN君から1冊の本を紹介された。N君が紹介してくれる本や映画は、興味深い。こういう友人がいることに感謝している。『埋もれた歴史―幕末横浜で西洋馬術を学んだ上田藩士を追って』(発行 株式会社パレード 発売 星雲社 東郷えりか著 定価1800円+税)。さっそくアマゾンで検索してみた。残り1冊と表示された。私は“残り〇〇”とか“あと〇〇”に弱い。〈購入〉をクリックした。

  本は翌日届いた。妻は、通勤時、電車の中で本を読む。読むのが早い。いつも私に「面白い本ない?」と尋ねる。私と妻は、読書にも大きな違いがある。妻が面白いという本の多くは、私は面白いと思えない。しかし時々、妻が「ここ面白いから聞いて」と読み聞かせをしてくれる。買っておいた『埋もれた歴史』をいつの間にか読み始めていたのだ。読んでくれたのは、87ページから89ページだった。そこに書かれていたのは、生麦事件で殺されたチャールズ・レノックス・リチャードソンの検視報告だった。妻の朗読に耳を傾けた。

  (1)から(10)までの検視項目が記されている。(1)下顎の一方の隅から、反対側の同じ個所まで首を切断する傷。組織を脊髄まで切り裂き、脊髄も部分的に断ち切られている。傷は甲状軟骨の上部を抜けて、披裂軟骨の上部まで達している。… … …。このように検視の結果報告が続く。医学用語が多く、私は聞いていてキョトンとしていた。妻は読みながら手で私の体に手で触れ、報告書が示す箇所を指す。「…から…まで切り裂き」とあれば、そこを私の体に彼女の指でなぞる。そうして(10)まで読み聞かせ、手で私の体を触れながら解説してくれた。恐ろしい体験だったが、医者としての本の読み方は、私とは違うと分かった。

  私は、時代劇などを観ていて、いつも日本刀の切れ味に疑問を持っていた。当たり前であろう。映画では演技であって、使う刀だって、竹製の模擬刀で真剣ではない。この検視報告書を読んでもらって、日本刀は、凄く切れるものだと実感した。妻の手が私の体に触れた所に、日本刀の刃が食い込むことを想像して、ゾッとした。著者も言っているが、日本側の検視報告書は、英国の医師による検視報告書より稚拙だった。

  生麦事件は、1862年に起こった。すでに160年経っている。日本は、医学も進み、今は検視報告書も当時とは比較にならないほど改善されていると思う。京急の生麦駅近くの事件現場に、当時の面影など何一つ残っていないであろう。しかし生麦事件の犠牲者の検視報告書が残されている。歴史に当時の資料が残されていれば、歴史上の出来事を検証するのに役立つ。

  日本政府や役所で、内部資料の書き換えや、紛失が頻繁に起こっている。公表される資料が、黒く消されていることも普通である。そういう点では、日本はまだ生麦事件が起こった頃から前に進んでいないのかもしれない。


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胃カメラ

2023年02月24日 | Weblog

  昨日、MRIや胃カメラの検査を受けるために東京の病院へ行った。胃カメラの検査は、胃を空にしておかなければならい。朝食は抜きだった。糖尿病で恐ろしいのは、低血糖になることだ。食事に制限が多いのに、食べなければ食べないで、低血糖になる。考えてみれば、その関係は理解しがたい。低血糖状態に陥った経験がかつて何回かある。冷や汗が出て、意識もうろうとなって全身から力が抜ける。へたをすると命に関わる。ということで、妻の通勤時間に合わせて、付き添ってもらうことにした。

 世界には、満足に食べ物を口にできない人が大勢いる。たった1食検査のために食事を抜くだけで、こんなに大騒ぎすることを情けなく思う。腹が空いていると、私は不機嫌になる。不機嫌になると妄想力が暴走する。電車の中で、妻が毎日こうして通勤している一部始終を体験しているのだと、感心して感謝の気持ちになった。一方、もし胃カメラで胃癌が見つかりでもしたら…と不吉なことを考えて落ち込む。東京で妻と別れた。

 病院に到着した。これで何が起こっても安心。受付をした。まずMRIの検査。狭い着替え室で、壁にぶち当たりながら、病院の検査用のパジャマのような服に着替えた。まるで核シェルターのような検査室に入る前に、生ビールの中ジョッキぐらいの容器に入った造影剤を飲んだ。朝起きてから水も食べ物も口にしていなかったせいか、まるで砂漠で水に出会ったように、ゴクゴクと飲んでしまった。MRIのジェット戦闘機のコクピットのような装置の中に上向きで横になって押し込められた。検査が始まった。耳を被ったヘッドフォンから、削岩機のドリルのような「ドッドドドドドッドドド」。人の声で「息を吸って、吐いて、はい、そこで止めて」の繰り返し。約20分で終了。

 着替えて、次は腹部超音波検査に向かう。子供の頃、人に体を触られると、くすぐったくてゲラゲラ笑ったものだ。検査はゼリーを塗って、その上から探触子を当てる。歳のせいか少し痛いだけで、まったくくすぐったいと思わない。これも20分くらいで終わった。

 いよいよ胃カメラ。一番心配な検査。胃カメラで胃癌が見つかったら…。私の親族、祖父、叔父、胃癌で亡くなった者が多い。私は、彼等が亡くなった年齢を超えている。小さな紙コップに入った、胃の中の泡を消す薬とかを飲む。喉に麻酔を噴霧。腕から鎮痛剤を注入。口にマウスピースのような胃カメラを差し込む挿入口を入れた。ウトウトしてしまった。気が付くと終わっていた。麻酔と鎮痛剤でフラフラしながら休憩室のソファに座り込んだ。

 主治医の診察を受けるころは、すっかり元に戻っていた。妻が朝準備してくれたオニギリを2個ペロッと食べた。美味い。食べ物はいい。水も妻が水筒に入れてくれた。ゴクリと飲む。喉や胃に違和感があるが、終わったという安堵感はそれ以上だった。

 主治医の診察。受けた検査の結果を聞いた。胃カメラで撮った23枚の写真を見せてもらった。感動。自分の胃の内部を見られるとは。私が生まれて今日まで、胃は、黙々と私の食べ物の消化を担当してきた。その75年の働きに老化がみられるものの、まだ大丈夫そうに見えた。嬉しかった。もう少し生きられそう。

 電車で帰宅。電話が鳴った。妻が駅から電話してきた。私は寝込んでしまっていた。正直、東京の病院に行くのは疲れる。バスで妻が帰宅した。私は、ゴメンと謝った。妻は「今日はご苦労さま」とだけ言ってくれた。


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入学試験

2023年02月22日 | Weblog

  入学試験の合格発表が行われ、各地で合否の結果を受けて、受験生の悲喜こもごもの物語が展開されているであろう。

 私も過去に長く受験産業に携わっていた。毎年1月から3月が終わるまで胃が痛む季節であった。当時はまだ新聞に合格者の名が記載されていた。毎朝、配達された新聞の大学別の合格者欄を調べた。誰がどの大学を受験したか分かった。今は合格者の氏名は公開されていない。もう私は受験にまったく関係がない。塾の仕事をやめて、すでに30年以上経っている。それなのにまだ合格発表の夢をみる。特にテレビなどで受験風景が映される時期になると、夢見る回数が増える。決して良い夢ばかりではない。自分の指導が良くなかったと自責の夢もみる。

 忘れられない教え子の受験がある。成績優秀で運動部でも活躍した生徒がいた。私は、この生徒ならきっと合格するだろうと思っていた。1年目不合格。浪人した2年目も不合格。志望校を諦めて、私立の大学に入学した。ずっと後になって私は彼の結婚式に招かれた。そこで彼は、あの受験で何があったのか話してくれた。彼は、極度の緊張でひどい下痢を起こしてしまい、試験会場に入ることができなかったそうだ。試験を受けられなかったのだから、合格するわけがない。2年目も同じことが起こった。志望校の受験だけでの現象だった。親にもその事は言わなかった。私立を受験した時は、何も起こらなかった。私立大学を卒業して、彼はもともと志望していた国立の大学院に入った。今は京都の大きな会社の技術者として働いている。

 受験の季節になると思う。合格者の陰に、多くの試験を受けたくても、何らかの理由で受けられなかった受験生がいるに違いない。日本では、大学の序列が偏差値で決められていて、どこの大学を卒業したかで、人生にまで影響してしまう。

 現在、日本の国力は、衰退しつつあると言う人が多い。事実、円安が進んで、収入はちっとも増えない。物価は高騰して、税金も高い。それらに関わる政治屋も官僚も会社役員も皆、偏差値の高い大学、特に東京大学出身者が多い。それなのに政治も経済もちっとも良くならない。

 日本にはアメリカのマイクロソフト、アップル、テスラなどのような会社が生まれない。私はカナダで教育を受けることができた。日本の高校では、まったくの落ちこぼれだった。しかしカナダでは、それ相当に良い成績をとれた。それは日本と全く違う教育だったからだ。カナダと日本の違いは、カナダの教室では、日本の教室で面倒くさいと敬遠されることを、こまめに丁寧にする。印刷されたテストもあるが、レポートの添削やスピーチの評価や面接の口頭尋問のテストも成績に大きく反映される。偏差値だけでの評価でなく、総合的な分野から、その生徒の可能性を見出すための作業をしているように思えた。

 日本にアマゾンやアップルやマイクロソフトのような会社が出てくるためには、今の受験システムでは無理だ。隠れた才能を持つ生徒は、偏差値では測れないからだ。こう批判していながら、私自身が受験産業に身を投じていた事を恥じている。

 今度岐阜県の高山に慶應義塾大学の宮田裕章教授を学長とする大学が開校するという。宮田教授は、「詰込み型の受験勉強を終わらせ、“生き様”で学生を入学させたい」と言う。期待したい。暗記試験から想像力・表現力・説得力などを重視した教育。レポートに添削をびっしり書き込むことのできる教師教授がいる教育現場に変わっていくことを願う。


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ルーブルで観た涙

2023年02月20日 | Weblog

  フランスのルーブル美術館で観た一枚の絵画を忘れない。ルーブルといえば、モナ・リザとかミロのヴィーナス像など有名な作品が目白押し。所蔵作品数は38万点以上で、展示されているのは10分の一に満たない。私があの日観た絵は、何気なく柱に展示された小さな絵だった。私の目に留まったのは、女性の頬の一粒の涙だった。その涙は、まるで宝石のようだった。女性の顏は、薄暗くぼやけて見えた。そこに星が輝くように涙があった。私はずっとその絵を観ていた。

 あの日、ルーブルで多くの作品を観た。涙の絵が一番印象に残った。ルーブルでその絵の作者とか絵の題名とかメモを取ることもなく、ただ見入っていた。後になってあの絵をもう一度観たいと思った。ネットや図鑑を調べた。絵画に詳しい人に尋ねた。私の説明は、漠然としすぎていて彼等の誰もが首を横に振るだけだった。

 幼い頃から泣き虫だった私は、これまでに多くの涙を流してきた。成長するとともに涙を流すことは、ほとんどなくなった。父親が息を引き取った時でさえ、涙を流さなかった。後期高齢者になった私は、また子どもの頃のように泣き虫に戻ったようだ。

 去年、3年ぶりに親友夫妻と再会した。コロナ前は、頻繁に会えていた。コロナで突然会うことができなくなった。その時間的な損失はあまりに大きい。お互い、いい歳である。いつまで元気で普通に会えるかわからない。健康寿命の平均値の上限もすれすれのところまで来ている。駅で再会した。お互いコロナ前から、それ相当に老化していたが、3年という刑期にも似た時間経過は、私の涙腺を破壊した。

 3人いる孫たちにも、コロナで会えていなかった。去年、高校2年生になった孫の一人が両親と一緒に会いに来てくれた。家の近くの駐車場での再会。3年ぶりの孫は身長178センチと私より4センチも大きくなっていた。言葉が出ない。涙と鼻水が、急に花粉症になったようにグチョグチョになってしまった。

 同じ集合住宅に暮らし、親しくなった夫婦が、ここの近くに戸建て住宅を新築して引っ越した。こともあろうにその夫婦が去年コロナに感染した。夫は、中等症だった。何とか夫妻は、コロナに打ち勝った。そして先日、夫妻が突然我が家を訪ねてくれた。玄関のドアが開いた。時間、コロナは、私の心の中の規制と妄想を木っ端みじんにした。涙。

 ラジオでもテレビでも、小心者の私は、ニュースを避けるようになっている。嫌な悲しい心配なニュースばかりだからである。それでも時々、何かの拍子に映像を目にしてしまう。ウクライナの侵略戦争のミサイル攻撃や銃撃で家を失った人々、特に子どもたち。トルコとシリアで起こった大地震で家族を、家を失って泣き叫ぶ残った家族。家屋の倒壊の中から、土埃にまみれて助け出された幼い女の子。

 悲しい。何もできない自分がもどかしい。泣いたり喜んだりしかできない自分。今の自分にできることは、自分を中心として、半径3メートル以内を大切にして生きることくらい。後期高齢者になって、残り少ない時間を半径3メートルにいる妻、そこに入って来る家族友人知人との時間を大事に生きることに最後まで集中しよう。最後の最後にルーブルで観た、あの綺麗な涙を頬に残すことを願う。


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緊急医療情報キット

2023年02月16日 | Weblog

  同じ集合住宅に住んでいたTさんが亡くなって、2ヶ月半が過ぎた。住んでいた部屋は、そのまま。乗っていた乗用車もそのまま駐車場でホコリを被っている。郵便受けには、郵便類がギュウギュウ詰。見るたびに胸が締め付けられる。

 先週、集合住宅の管理委員会があって、妻が出席した。集合住宅の修繕などについて話し合われたという。この集合住宅には私をはじめ、老人が多く暮らす。委員のKさんは、ずいぶん前から一人住まいの住民のことを案じて、緊急事態への備えを訴えていた。Kさんの提案で事が進んだ。Tさんが緊急搬送された時、いかにこのような緊急事態の時、手順を踏んで行動することが困難か示された。まさにKさんの危惧が実際に起こったのだ。しかし何をするにしても住民の中には、反対する人がいる。なかなか対策案がまとまらなかった。Tさんが緊急搬送された後、住民の年次総会が開かれた。Tさんの件が管理会社から報告された。これで少し住民の理解が得られ、対策に前進がみられた。管理委員会で主題の修繕に関する審議の後、Tさんのことが話題になったそうだ。

 Tさんが午前1時にどうやって救急車の手配をしたのかは、いまだにわからない。ただ救急隊員がTさんの家に入った時、冷蔵庫に『緊急医療情報キット』の筒が入っていたそうだ。このキットの存在は、玄関と冷蔵庫にシールで表示される。救急隊員は、このキットを見れば、何をすれば良いかの判断が下せる。Tさんの几帳面さが表れている。

 妻が「うちにも『緊急医療情報キット』が届いているよ」と赤い筒状のモノを私に見せた。私は何事も面倒くさがりで、先延ばし体質の人間である。しかしTさんが1人で暮らしていて、どんな時、どんな思いで、どんな風にこのキットに書き込み、それを筒の中に入れたのだろうと考えた。また夜中に急に症状が出て、救急車を手配して、どんなことを思いながら、救急車の到着を待ったのか。真っ赤な筒を目の前にして、私はTさんを思った。

 私は、このキットを自分も実行することにした。説明書を読んだ。「緊急医療情報用紙に必要事項を記載し、薬剤提供書、健康保険証(写)、診察券(写)、本人の写真等の緊急時に必要と思われる種類を同封し保管してください」 面倒くさそう。用意するモノが多すぎる。やめようか。横に妻がいて、手伝ってくれている。やはりTさんのようにちゃんと準備しておこう。いつものダボラな思いを断ち切った。

 全ての書類に書き込み、必要なモノも揃えた。“写し”は、パソコンに繋いである印刷機のコピー機能で間に合った。筒を冷蔵庫に入れ、シールを冷蔵庫のドアに貼った。

 私は、日中、土日以外独居老人になる。心臓に問題を抱えている。いつ何時どうなるかわからない。Kさんたちが指針を作ってくれた。素直にそれを実行したい。他人になるたけ迷惑はかけたくない。最後は、「飛ぶ鳥跡を濁さず」でありたい。


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チャットGPT

2023年02月14日 | Weblog

  巷では、アメリカで開発されたチャットGPTが凄いと騒がれている。新しもの好きの私のアンテナもさっそく情報を集め始めた。

 便利な世の中である。以前なら新聞やラジオやテレビからの一方的にもたらされる情報待ちだった。今や自分が調べたいこと、観たいことを自分から発信して検索することができる。現状だけでも私にとって、充分な進化だと言える。私は、これは外国語学習に使えると思った。YouTubeに多くのチャットGPTで語学学習に関する番組を検索した。2,3の番組を観た。チャットGPTに質問をする。短い時間で答えてくれる。例えば英文を書いて、単語の意味を尋ねると、その文章の中でそれぞれの単語の意味を、まず表示してくれる。それをチェックして良ければ、次に文章全体を訳してもらう。日本文も今までの翻訳機能よりずっと自然である。

 今までにいろいろな翻訳機を買って使ってみたが、どれも完成度は低かった。こんどのチャットGPTは、使えそうだ。完璧ではないが、大きな前進を遂げたことは事実であろう。この優れた機能が出たことで、悪用されることが懸念されている。私は、悪用されることより、このチャットGPTの出現がもたらすであろう、恩恵に目を向けたい。

 先日,妻と散歩中、赤いキレイな実を付けた植物を見つけた。私が「南天かな、万両か千両の方かな?」と言った。妻が「そんなの携帯電話で調べられるよ」と言って、携帯電話を赤い実を付けた植物に向けた。おかしなことをするなと私は見守った。写真撮ってどうするの。チャチャッと携帯を操作して、「ほら、これは…」と言う。私はあっけにとられてぽっか~ん。何と携帯電話のカメラを向けると、知りたい植物の名を調べられるという。調べられるのは、植物だけでは、ないそうだ。ちなみに、万両の実は、サクランボのように付き、千両の実は、上を向いて付き、南天の実は、ブドウのように付くそうだ。

 えらい時代が来たものだ。携帯電話そのものの電話機能だけでも凄い。その携帯電話が、今やパソコン並みになった。いや、それ以上かもしれない。私にとって携帯電話は、妻との連絡用のメールと、月に1回かかって来るか来ないかの電話機能の2つの用途しかない。携帯電話の中にどのような機能が詰め込まれているのか見当もつかない。

 やがて携帯電話の中に、チャットGPTも組み込まれるであろう。ますます私にとって、携帯電話はブラックボックス化すること間違いない。それでも私は、メールと電話としてしか使えないであろう。でもそういう凄いブラックボックスを持てる時代に生きられたことは、大きな喜びだ。


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緑色の大根おろし

2023年02月10日 | Weblog

  横浜に住む姉から電話があった。「カリフラワーのロマネコって食べたことある?」と尋ねられた。私はカリフラワーが好きだ。でもロマネコという名前に、普段慣れ親しんではいない。以前知人に美味しいからと紹介されたが、姿、形、色、味とも白い普通のカリフラワーの方が断然上だと思った。でも姉にその話は、しなかった。そのロマネコを送るからと言って、姉は電話を切った。いつとは聞かなかった。

 翌日、用事があって外出した。帰宅すると、郵便受けに不在連絡票が入っていた。宅急便で何か受け取る予定がある時は、なるべく留守にしないようにしている。私は再配達の手続きが苦手だ。クロネコは会員になっているので、パソコンで簡単に済ませられる。姉はいつも郵便局を使う。郵便局も以前は、電話で人が直接対応していたが、最近はAI音声とかになってしまった。私の固定電話がおかしいのか、支持された数字を押しても、「正しく入力されませんでした。もう一度…」と言われる。余計慎重になってしまう。あの緊張感が嫌だ。だから不在票を見ると気が滅入る。今回も何とかAIとの交信を出来た。

 夕方、妻を車で迎えに家を出る直前に、郵便局の配達員が来た。ロマネコだけだと思い込んでいたので、箱の大きさに驚いた。「えーぇ、こんなに!食べれられるかな」、と独り言を言いながら、箱を開けた。すべて丁寧に新聞紙に包んである。新聞紙から中のモノを取りだす。いろいろ出てくる。ロマネコだけではない。普通の大根、蕪、フキノトウ、月桂樹の葉、赤唐辛子、みどり大根、ロマネコ。二人では食べきれないほどたくさんのロマネコを予想したが、入っていたのはたった1個だった。何より嬉しかったのは、みどり大根だ。

 みどり大根は、信州上田のあたりにだけあるらしい。確かに今住むところの店やスーパーで見かけない。青首大根とはまったく違う大根である。何が違うのかというと、みどり大根は、中まで緑色なのだ。青首大根は、上の方の皮が、うすい緑色で、中身は白い。みどり大根の身の緑色は、私にとって、福井県勝山市の平泉寺白山神社の一面の苔が陽の光を浴びた色に思える。

 食生活が貧しかった子ども時代、ご飯とみどり大根の大根おろしだけの時もあった。月に何度も食べられなかった白いご飯の米粒は、目に眩しいほど白かった。炊きたての湯気立つ白いご飯の上に大根おろしを乗せる。輝く白いご飯の上に乗せられた米の白さも、みどり大根の緑には適わない。貧しさを忘れるひと時だった。そして白と緑の上に黒い醤油を数滴たらす。米、みどり大根、醤油が口の中で混ざり合う。三つが調和して、新しい化合を脳に伝える。至福。子どもなのに、その美味さに唸った。横浜の姉もみどり大根が好きだったという。だから上田から種を取り寄せて植えたそうだ。

 上田を離れた。どこにもみどり大根はなかった。手に入らない。海外で暮らした。海外では、日本と同じような大根は、手に入らなかった。みどり大根の“み”の字さえ耳にしなかった。ネパールには日本から渡った大根があったが、日本の大根のようにみずみずしくなく、中にすが入って美味しくなかった。アフリカやヨーロッパでは、大根の替わりに赤カブをすって大根おろしとしていた。帰国して海の近くの温暖な場所に暮らす。

 この歳になって、忘れかけていたあの美味しいみどり大根のおろしで白いご飯を食べた。姉夫婦のお陰で子どもの頃のみどり大根のおろしを食べられた。


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膝カックン

2023年02月08日 | Weblog

  散歩に出た。歩き始めて5分も経たないうちに、右脚の膝の力が急に抜け、膝がカクンとなった。いつもの散歩順路で4回起こった。

 小学生の頃、遊びで膝カックンが流行っていた。相手に気づかれないように、静かに身をかがめて、背後から迫って、両手で相手の両膝の裏をつく。相手は、不意にガクンと両膝を落とす。相手を驚かせると同時に、両膝が“く”の字に曲がる様の格好が面白かった。60年以上も前の話である。

 散歩中に起きた膝カックンは、片方だけだった。子供の頃の両膝カックンとは、違う。これは、他の人の不意打ちで起こったのではなく、自らの体の中での異変だった。道は、平坦でアスファルト舗装されている。予期せぬカックンだった。1回だけなら、道路の凸凹で躓いてカックンということもあるだろう。それはまるで膝が痙攣を起こしたかのようだった。

 心配だったので、家に帰ってからネットで調べようと思った。散歩を終えて帰宅した。いろいろ雑用をしていたら、すっかり膝カックン現象について調べることを忘れてしまった。まあ、良くこう物事を忘れるものである。忘れることで救われていることも多々あるのだが。

 夕方3時半からのラジオニッポン放送の『辛坊治郎 そこまで言うか』を聞きながら漢字パズルをするのが楽しみだ。辛坊治郎さんは、65歳だそうだ。私より10歳若い。電車の中で立っていたら、初めて若者に肩を叩かれ、席を譲られたという。彼は、最近、歩いていて膝カックンを起こした。危険なので杖を使い始めたという。私は、私より10歳も年下の辛坊さんが膝カックン!と耳を疑った。と同時に散歩中、家に帰ったら「老人の膝カックン現象」についてネットで調べようと考えた事を思い出した。それまで膝の“ひ”の字記憶もきれいさっぱり忘れていた。それにしても私が初めて膝カックンした日に、ラジオで辛坊さんがまさか膝カックンの話をするとは!辛坊さんが推奨した杖の使用は、すでに数年前からしている。確かに杖は、役に立つ。私の住む場所は、猿やイノシシがよく出る。杖で闘えるとは思わないが、持っていれば心強い。

 ネットで膝カックンを調べてみた。多くの老人にある症状らしい。どうやら私の場合は、大腿四頭筋の萎縮によって起こったらしい。次回の病院での検診日に医師に相談して検査をしてもらうつもりだ。毎朝タニタの脚点を計測できる体重計に乗っている。脚点は150が正常で70を切ると歩行困難を起こすそうだ。私は85平均なのでギリギリのがけっぷちにいる。

 60歳を過ぎてから、毎晩、骨盤と膝のための体操を続けてきた。整形外科の医師に指導された体操である。とても親身になって診てくれていた先生だが、突然の交通事故に遭って大怪我で医師を続けられなくなった。毎晩体操をしながら先生を思い出す。この体操をしていたから膝カックンが75歳までなりを潜めていたのかもしれない。辛坊治郎さんは「転ばぬ先の杖」を勧め、妻は、「継続は力なり」と言う。仕方がない打つ手もない、老化現象の進撃を、少しでも食い止めようと、日々愚痴をこぼしながら体を動かしている。膝カックンは、運動を続けなさいの励ましだと考えたい。


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爪の手入れ

2023年02月06日 | Weblog

ネットフリックスで観ている『警部ダリオ・マルテーゼ』の中の場面。ダリオが捜査である理髪店を訪ねる。そこで働く美容師の女性を調べるためにその女性を指名して椅子に座った。女性が尋ねた。「爪のお手入れをしますか?」

 私は、以前経験した恥ずかしかったことを思い出した。13年間海外で暮らした。帰国すると多くの事が変わっていた。テレビなどで『ネイルサロン』という言葉がよく出て来た。私は、子供の頃から、爪切りが苦手だった。よく深爪した。甘皮を強く剥きすぎて、血をだした。ササクレもよく手で取ろうとして、数日痛い思いをした。歳をとるにしたがって、体が曲がらないのと、目が良く見えないので足の爪切りに苦労していた。『ネイルサロン』に行けば、きっと専門の人が、爪の手入れをやってくれると思った。その頃、耳の掃除なども流行っていたので、爪の手入れもあるのだろうと思った。ある日、ショッピングセンターで『ネイルサロン』を見かけた。時間もあったので入った。私がサロンの中に入ると、中にいた人たちが一瞬固まった。女性ばかり。一人の体格の良い女性が「何の御用でしょうか」と言った。私は、「爪の手入れをしてもらいたいので…」と言った。女性は、私の頭からつま先まで目を這わせた。目はまるで宇宙人に遭遇したかのようだった。「すみません、うちの店は女性だけなんですが…」 恥ずかしかった。今でこそ男性も化粧したり、肌の手入れだ徐毛だと盛んになっている。爪の手入れも都会では結構専門の店があるようだ。

 以前九州かどこかの老人介護施設で、入居していた老人たちの爪を剥がすという虐待があった。老人介護で大変なのは、排泄や入浴の世話だと聞く。髪の毛も爪も歳をとっても成長を止めない。自分でできなければ、誰かが代わりにやらなければならない。介護は、大変な仕事だ。いやいや介護の仕事をしていれば、虐待する可能性はでてくる。

 英国の紳士は、身だしなみに気を遣うと聞いた。確かに英国の百貨店などで見た爪、鼻毛、髭剃りなどの道具は、良く考えられた使いやすいモノがたくさんあった。私も50年以上前に香港で買った英国製の爪の手入れセットを未だに使っている。私がどんなに英国紳士の真似をしようと思っても、無理だと分かっている。ただ身だしなみは、できるだけ良くしていたいという願望は強い。

 昨日の日曜日、前回に続いて、妻に足の爪の手入れを要望した。恐る恐る前回足の爪を切ってもらったのだが、なかなか巧く痛くもなかった。散歩を終え、午後に早い風呂に入った。まだ外は明るかった。窓際に椅子を出した。足の下に座布団を置いた。妻は、英国製の手入れセットから道具を選んで、慎重に手入れを進めた。爪の中のゴミをかきだす道具。少し肌に食い込んだ爪を起こす道具。固い爪を切る道具。甘皮を切る道具。甘皮や爪の周りの皮膚を押し込む道具。妻は、私にいろいろ解説しながら作業を進める。「ほら、ここにゴミが入っている」「見て、こんなにきれいに切れた」 残念ながら私の目から遠すぎて見えない。椅子に腰かけ、脚をまっすぐ窓際の桟に出しているので、体を曲げられない。

 爪の手入れを終えた。妻は、爪にも乾燥肌にも良いと尿素入りのクリームを丁寧に塗り込んでくれた。窓の外から差し込む陽ざしが、妻に当たって後光のようだった。


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口角が上がっている

2023年02月02日 | Weblog

  コロナで人生が変わった。以前、自分の性格の事など考えたこともなかったが、何だか悪くなってきた気がする。とにかく良いことが少ない。だから気持ちが沈みがち。背中を猫のように丸めて姿勢が悪い。大相撲のテレビ中継で観た、観客の中にいた姿勢の良い女性のように、背筋をピンと張ることなどない。私の日常を、車の運転にたとえて言えば、ブレーキばかり踏んでいて、アクセルをふかせることがまずないような生活である。

 外出して帰宅すると、まず洗面所へ直行。手を濡らして、シュッと押し出せる泡石鹸を手に取る。両手を合わせて前後に動かす。両手の指を交差させてゴシゴシ。右手と左手の指を組み換えてゴシゴシ。次に両手の手首の上10センチくらいまでを石鹸で洗う。手についた石鹸を、蛇口から出る温かい湯で洗い流す。壁に掛けてあるタオルで濡れた手を拭く。

 昨日、洗った手を拭いた時、タオルが取り替えられていたのに気が付いた。洗い立てのタオルは、いい匂い。手触りが柔らかなタオル。濡れた手から水分を優しく消してくれる。

 子供の頃、家族全員が同じ手ぬぐいを使っていた。湯上りのタオルも同じ。家族それぞれが自分だけの手ぬぐいやタオルなど持ちたいとか持てるのだと、思ったこともない。

 今は違う。夫婦二人だけの暮らしだが、タオルは、それぞれ別。衛生とか清潔とかの面で、確かに有効だということは理解できる。それにしても豊かになったものだ。ペラペラの手ぬぐいがフワフワのタオルになって、個人で自分用のタオルが持てる。

 洗面所のタオルを取り替えてくれるのは、妻である。洗濯とかアイロンなどは、すべて妻がやってくれる。

 私は、離婚した後、子どもたちを他県の学校へ送り出した。一人で住んでいた。洗濯はほとんどクリーニング屋に出していた。そんな寂しい生活の中、ベッドのシーツと枕カバーを取り替えた夜は、思わず「極楽、極楽」と言った。子どもの頃、母親が寝床に入るとよくそう言っていた。極楽は、決して大げさな言葉ではなかった。

 洗面所で、妻が取り替えてくれた洗い立てのタオルを使った。嬉しかった。洗面所には壁に大きな鏡がある。普段は、なるべく鏡の自分を見ないようにしている。見てもしようのない自分だと思っている。あれ、今日の俺、口角が上がっている。珍しい。毎日、しかめっ面して、ため息ばかりついて「詰まらねぇ」を連発しているのと同じ人?妻は、タオルだけでなく、こういう気が付きにくい細かいこともやってくれている。感謝なことだ。

 息がつまるような生活の中にも、探せば“口角が上がること”はある。反省。感謝しらずすぎた。キリスト教の讃美歌に『Count your blessings』がある。嫌な事をあげつらうのではなく、感謝なことを数えたい。

 友とも家族とも会えない日が続く。便りがないのは良い便り。そう信じて今日も過ごす。さあ、口角が自然に上がる生き方をめざそう。


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