団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

逆走・暴走・妄想

2024年06月12日 | Weblog

  16歳で原付二種の免許を取った。まだ高校に入学したばかりだった。当時は16歳で原付免許を取ることができた。原付免許を取った理由があった。無免許で父親のスクーターを運転して、警察官に捕まった。後日裁判所に呼び出された。初犯だったので厳重注意だけで済んだ。若気の至りとはいえ、裁判所へ親と一緒に呼び出されたことは屈辱だった。さいわい高校へは報告されなかったので、学校からの処分は受けなかった。反省して親にも謝って、正式に免許を取ることにした。

 無免許で父親のスクーターを内緒で運転した時、危うく人をはねそうになった。コキロク(古稀+6=76歳)になっても、あの時の恐怖の瞬間が夢でよみがえる。原付免許を取得してから、60年が経った。自分で運転していて事故を起こしたことが3回あった。車の運転はしていなかったが、乗っていて事故に遭ったことは5回あった。夢に出てくるのは、無免許でスクーターを運転していた時の事ばかりである。

 毎日というように、後期高齢者の逆走や暴走の事故がニュースで流される。悲しいのは、年寄りが幼い子どもの命を奪うことだ。2019年4月19日東京の池袋で87歳の高齢者が暴走して、母娘2人死亡、10人が重軽傷をおった。事故に遭うまで普通に健康に生活していた人が、たまたまそこに居合わせたことで命が奪われる。こんな悲しいことがあるだろうか。と同時に、私は16歳の時の無謀な無免許運転で、人を轢きそうになったことがフラッシュバックする。若くても事故を起こす。コキロクになれば、事故を起こす可能性は、ずっと高まる。私は、絶対に幼い子どもの命を私が起こす事故で奪いたくない。

 県の公安委員会から葉書が届いた。「検査・講習のお知らせ」と書かれていた。「認知機能検査」もある。「認知」という言葉は、鋭いナイフのように私の心に突き刺さる。「あなたの『記憶力・判断力』を検査して、『認知症のおそれの有無』を判定します。手数料1050円 検査時間 約30分」 「記憶力」という言葉にも引っかかる。私の劣等感の構成割合の90%を占めるのが記憶力の悪さだから。記憶力は、暗記力とつながっている。

 友人が5月にこの検査と講習を受けた。私は、友人に検査の内容を尋ねた。学生が、すでに試験を受けて、何が出題されていたのか聞き出そうとする行為と同じだ。友人は優しい。事細かに検査のことを教えてくれた。You-Tubeでその疑似検査を観られると知った。早速観た。何枚もの絵を見せて、後で何を見たか答える。台所で思いついたことをパソコンに書き留めようと書斎に向かう。パソコンのスイッチを入れ、準備が整う。でも書き留めようとしたことが何だったのか、まったく記憶がない。台所に戻って考える。台所へ何をしに来たのかも思い出せない。そんな私に何十という絵など思い出せるだろうか。見ることもそれが何の絵であるかの認識はできる。でも覚えていられない。一瞬で消えてしまう。優しい高校時代から暗記力抜群だった友人が言う。「大丈夫。1回だけでなく、繰り返してやってくれるから。全部覚えられなくても、合格の基準は低いから」

 コキロクになっても、まだ車の免許の書き換えをしようとする私。書き換えなければならない理由はある。妻の駅への車での送り迎えが私の仕事だからである。車は、便利である。特に脚が不自由になった私には、車が役に立つ。同時に車は、人を殺せる恐ろしい凶器にもなる。妄想が妄想を生む。結論を急いで出さなければならない。

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