鶴は千年亀は万年という長寿を表現する言い方がある。子供の頃、鶴は千年亀は万年と聞いて、亀が1万年も生きられるなんて羨ましいと思った。
妻の同僚は亀をペットで飼っているそうだ。飼ってすでに10年をゆうに越している。名前は『亀治郎』だった。過去である。現在は『亀子』である。実は、少し前、亀治郎が卵を産んだ。てっきりオスだと思っていた亀は、メスだった。この話を妻から聞いた時、えッそんなことあるの、と思った。メスの亀子だけを飼っていて、産卵するのかな。でも妻の同僚も医療関係者である。彼女がそう言うのだから卵だったに違いない。
亀は何事もスローな動物だ。童話『うさぎと亀』は、保育園から何度となく聞かされた。どんなに遅くても、あきらめることなく、油断することなく、自分の力を過信することなく続けることが勝利への道。継続は力なり。良い教えだった。それなのに私は残念ながら自分の生涯でこの教訓を生かすことはできなかった。いつも結果を急いだ。たいしたことないのに自信過剰になったこともある。コツコツ努力することなく、目標だけは常にデカかった。だから挫折すると奈落の底に落ち込んだ。何度も失敗を繰り返した。コキロク(古稀+6歳)になってやっと亀のように生きるべきだったと反省している。
私は散歩コースで亀に会える。妻の同僚のペット亀子の話を聞いてから、この亀に親近感を持った。亀は、店先の水槽に入れられている。私が店の前に到達する時間まだ店は開いていない。水槽は閉じられた店のシャッターの前に置かれている。私はこの亀が誰か心ない人に盗まれたり、いたずらで連れ去られることはないのかと心配になる。去年まで同じ水槽には金魚が飼われていた。それが亀に替わった。金魚はカラスにでも食べられてしまったのだろうか。
前回亀がいる店の前を通った時、水槽が二つ増えて3つになっていた。以前からいた亀は、甲羅が30センチくらいあり大きい。新しく置かれた水槽の中の亀は甲羅が10センチくらいで小さい。亀と亀の水槽の間に置かれた水槽にはザリガニがたくさんいる。ちょっとした水族館のようだ。散歩する身としては、楽しみが増え、嬉しいことだ。
東京の病院で右脚のCT検査を受けた。その結果を聞きに昨日東京へ行った。結果は、膝から下の3本の重要な血管のうち2本の血管が詰まってしまっていると医師が言った。カテーテル施術を受けることなった。体のあちこちに不具合が出てくる。
鶴は千年亀は万年には続きがあるそうだ。「鶴は千年亀は万年鸚は天年」で鸚(オウ)と読み。オウムの類の鳥で天年とは、天から与えられた寿命だという。私にも寿命がある。でもこれまで何回も医学の進歩のお陰でその寿命が伸ばされてきた。感謝なことである。寿命は素直に受け入れる気持ちでいる。
先日の運転免許証の更新にあたり、認知機能検査を受けた。素直に認知機能の低下を認める。私の医学の進歩のお陰で延長された寿命があと何年なのかは知らない。知りたくない。でも受けられる治療は委託して、危険だと思ったら運転免許証は返納する。
今朝の散歩で亀にその決意を伝えて来た。。