団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

詐欺的パック商品

2011年10月28日 | Weblog

 10月22日、小田原のダイナシティというショッピングセンターの食品スーパーで豚肉を妻がお買い得だと喜んで買った。私は糖尿病で主治医に肉をなるべく食べないように指導を受けている。食べるのは10日に一回にして、食べる時はできるだけ脂肪を避けるように言われている。だから私は肉を買うときはよく調べて買うことにしている。

 家で調理しようと買った豚肉のパックをあけてびっくり玉手箱だった。なんと脂身を隠すために豚肉のスライスをご丁寧にも二つ折りにしてあった。外見は赤肉、折りたたまれた肉の半分は脂肪。肉を薄く切り、巧妙に折りたたんで白い脂身を隠しているとしか思えない。写真を参照して欲しい。赤い箸で右左を分けてある。向かって左側はパックの表面にだされていたスライス肉である。右側の半分以上が白い脂肪の裏側になっていたスライス肉である。なぜわざわざ脂肪の多い部分を手間かけて折り込んであるのか。客がこれだけの脂肪を見れば避けるからだろう。イベリコ豚だ、もち豚だと脂身の味の良さを売り物にする銘柄肉もある。健康な人なら脂身を楽しむことができる。持病を抱える私と同じように肉の売り場で脂肪の割合を調べている客をよく見る。健康に留意して食品を買う客は多い。万一、この包装が客の脂身を避けるチェックをかいくぐるための作為であったなら、これは詐欺である。

その晩NHKスペシャルで『食の安心を取り戻せ』が放送された。この番組では扱われなかったが、今回私が購入した豚肉偽装包装だって食の安心に大きく関係している。もちろん野菜や米などへの肥料や食品添加物や家畜に与える飼料への化学薬品なども大きな問題である。条例違反を発見されて、マスコミで報道されても食品の産地偽装や賞味期限の改ざんや添加物未告示などの問題は一向に減少しない。商品を売る側の拝金主義なのか、利益さえ上げられれば、消費者の健康などどうでもいいのかと問いたい。消費者が自らの食事に関心を持ち、それぞれが留意して健康向上や維持を願っても、それはむなしい努力で終ってしまう。

 

 騙されないで肉を買うには、行きつけの精肉店で買う肉に細かく注文して問いただして買うのが賢明だ。私のように滅多に肉を食べられない者には尚更である。次回からはそうしたい。しかし、それにはスーパーで買うよりも1.5倍以上のコストがかかる。巨大資本は、倹約節約する消費者を騙してどうしようというのであろう。気をつけよう、“一見よさげなミテクリだけのぴちっとパック商品”


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秋刀魚

2011年10月26日 | Weblog

 子どもの頃、母親が持たせてくれた弁当箱を、学校の昼食の時間に開ける一瞬は期待と失望が五分五分で均衡が取れていた。中学生になるとブック型の弁当箱が流行り始めていた。ドカ弁と呼ばれた厚さのある弁当箱だと通学カバンの中でかさばった。ブック型は薄くて教科書となじんでカバンにきちんと納まった。私が通った中学校は完全給食ではなく、弁当箱にご飯だけ詰めていった。おかずが給食として出された。最初は皆、給食用のアルマイトの皿とオワンを持ってきていたが、いつからかほとんどの生徒はブック型弁当箱の蓋におかずを盛ってもらうようになった。  


 土曜日は給食がなく、弁当には母親が作ったおかずが入れられた。私は母親がきれいに骨を取り除いて、サンマを真っ二つに分けて、その二つをきれいに並べて、ご飯に埋め込んだ弁当が一番好きだった。当時流通も冷蔵設備も今ほど良くなかったが、長野でもなぜかサンマは安くて新鮮なものを食べることが出来た。今でも蓋を開けたときの喜びを思い出すことが出来る。ブック型弁当箱にローマ時代のモザイク画のようにはめ込まれたサンマは私のとって見事な芸術作品だった。昨夜のおかずの残りモノと知っていてもなお、そのサンマは私を惹きつけた。母親が自分の分のサンマを食べずに私の弁当のために取り置いていたのだ。お使いに行って私が魚屋でサンマを買ってきたのだから、何匹買ったのかを知っていた。そんなことからか、サンマは私にとって特別な魚なのである。


サンマは料理しやすい。主夫と公言してはばからない私は、料理を毎日する。特に糖尿病の私は、好きな肉より魚をたくさん食べるようにしている。魚は切り身でなく、一匹丸ごと買うようにしている。丸ごと買うと自分でウロコを落とし、エラやハラワタを取り除かなければならない。食べる直前に、そうすることが魚を美味しく食べる方法だと思っている。最近主婦は魚の調理を敬遠するという。ニオイや包丁で血や内臓を出すのは、気持ちよい作業ではない。魚屋の多くでは、対面販売をして、ウロコ落しも内臓やエラの処理もしてくれる。料理は手をかければかけるほど味がよくなる、と私は信じている。

 ところがサンマはウロコ取りも必要なければ、内臓を取り除くこともしなくてよい。サンマにはウロコがない。サンマのハラワタはうまい。サンマのハラワタを食べると、百獣の王ライオンになった気分だ。ライオンは栄養学上、獲物のハラワタから食べるという。食事の仕度をする者にとってこれは嬉しいことである。手がかからなくて、喜んでもらえる。

 海外で暮らして食べたいと思う日本の食べ物は数多い。魚で食べたくなるのは、一番にたっぷりの大根おろしを添えた焼いたサンマである。サンマの世界分布を調べると北太平洋に限られる。四季のある日本は、食べ物にもその季節ごとの旬がある。サンマと秋は強く結びつく。海外でサンマを食べたければ、缶詰しかない。やはり生の新鮮なサンマを、煙を立てながら焼いて食べるのが最高である。


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月見草

2011年10月24日 | Weblog

 月見草という植物の名前が好きだ。子どもの頃、千曲川の土手や川原で、すっくと天に一直線に1メートルぐらいにまで茎が伸び、頭部に鈴なりに黄色いツボミがついている植物を見た。根元の地面すれすれに下から大きな葉から順番に4,5段に重なりに広がり、その真ん中から花をつける茎がすっと立ち上がっている。その葉は銀白色のうぶげのような綿毛でおおわれている。バランスの取れた美しい姿だと思った。川で遊んで遅くなり、家路についた時、すでに月が出ていた。月光に浮かぶその姿は私にとって月見草以外の何ものでもなかった。千曲川であの美しい姿を見て以来、ずっとビロードモウズイカ(添付写真参照)が月見草だと思い続けていた。

月見草だと思っていた植物は、日本古来の植物どころか外来植物で原産地は地中海沿岸だという。そういわれても私は地中海の北側でも南側でも暮らしたが、このビロードモウズイカらしき植物を見たことがない。植物図鑑を一冊持っている。散歩の途中、私の気を引いた名を知らない植物をデジタルカメラで撮ってくる。家でその映像を観ながら植物図鑑で探す。好きな時間である。植物図鑑も本屋に行くといろいろとある。花の色で引けるもの。季節ごとに分類されているもの。葉の形態で引くもの。実や種で引けるもの。私は花の色と季節ごとに分類された植物図鑑を愛用している。花の色が黄色で夏と秋で調べた。私が月見草だと思い込んでいた姿形を私の図鑑で見つけることが出来なかった。買い物のついでに立ち寄った書店で厚く大判の植物図鑑でパラパラ写真を捲っていて偶然見つけた。

 以前だれかと野村克也元楽天監督の「俺はどうせ月見草だ」ぼやき発言について話した。その時相手の描写する月見草と私のものに微妙な違和感があった。月見草そのものが話題ではなかった。だからすれ違いを感じながらも、その時はそれで終った。いつか真相を突き止めなければの想いが残っていた。平成23年10月19日水曜日午前10時すぎ、私は本当の月見草を本屋の分厚い植物図鑑で突き止めた。嬉しかった。ビロードモウズイカを月見草と思い込んだまま死ななくて良かった、間に合ったという妙な安堵だった。別にそれくらいの勘違いはだれにでも数多くあるだろう。大騒ぎすることはないとも思う。しかしその数多くの勘違いや思い違いのひとつを64歳で解決した。

 ビロードモウズイカを月見草と思い込んでいたように、私には多くの思い違いがあるだろう。ちょっとしたきっかけでその間違いに出会うかもしれない。これから先、いくつの思い違いを訂正できるかはわからない。ただ私は自分の間違いを認める素直さを失わないでいたいと願う。


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何も変わらない

2011年10月20日 | Weblog

 私は若いとき、末期がんで死を迎える大学教授が病室で綴った日記を読んだ。「死ぬことはどうあがいても避けることはできない。一番悔しいのは、私が死んでも、この部屋の天井のあの木目も節目も今までどおりに存在すること。それにも増して悔しいのは、私が死んでもこの世の中は何もなかったように続くこと。もっと悔しいのは、自分にしかできないと思い込んでいた自分の大学教授としての仕事も、自分が死んだら消えるか、誰かがまた何もなかったように、やり直すかもしれないこと。つまり自分の存在の小ささに、一生かかってやってきたことが意味のなかったように思える。虚しさだけが残る」というようなことを書き綴っていた。それを読んで、中学生だった私も天井の節目をじっと見つめながら、自分の人生を思った。

 今回の島田紳助さんの芸能界からの突然の引退で、私は日記を残した大学教授のことを思い出した。今や日本では、テレビなどのメディアにどれだけ自分を登場させるかが、経済的な成功や有名度の指標となっている。紳助さんも、あれだけテレビで番組を持ち、天才司会者だ、すべらないしゃべりの才能を持っていると騒がれた。ところが大学教授ではないけれど、紳助さんが暴力団関係者との交際が発覚して、テレビ番組から完全に退いて画面から消えても、世の中何もなかったように続いている。何も大きな変化異変は起きていない。我が家の天井の木目、節目がそのままであるように、何の不便も変わりもない。

フランスの作家ロマン・ロランが残した言葉がある。「最も偉大な人々とは、他人(ひと)に知られることなく死んでいった人々である」 私は世界のところどころで、そういう人たちと出遭うことができた。その全ての人の出会いは、テレビ、パソコン、携帯電話などの文明の最先端から離れたところであった。その文明の利器の恩恵を受けることなく、お互いの顔を直接見ながら共に時間をゆっくり過して積み上げられた。他人に知られることのない人々は、決して負け組の人ではない。勝ち組負け組の区別があるのは、土から離れた仮構の社会だけである。私の記憶の中でいつも偉大である人々は、私しか、その人たちのことを知らない。宇宙ははてしない。私自身に存在する彼らへの想いも無限大である。それこそロマン・ロランがいう偉大である理由だと思う。だからその無限大の想いを持っている私は生きている限り、その人たちを私の想いの中で大切にする。私が死ねば、その全てが消える。だからそれは私だけの宝であり、その儚さは、痛快なことだと私は思う。


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ワナの獲物

2011年10月18日 | Weblog

 妻は虫を怖がる。秋の訪れと共に虫たちの活動が活発になってきた。夕方、日の入りを待っていたかのように、家のまわりは虫の演奏会会場に早変わりする。家のベランダ、窓ガラス、網戸で虫を見つけては妻が大騒ぎする。特にゴキブリに異常な反応をしめす。私は深く考えることもなく、助けを求められるとゴキブリ退治に出動する。少しでも出動を減らすために、普段からゴキブリホイホイを家の中あちこちに配置している。このゴキブリホイホイは、ワナである。ワナは、獲物がかかっているか時々見て回らなければならない。妻は、この作業を絶対にしてくれない。ワナに獲物がかかっていれば、当然ワナを仕掛けた私は会心の笑みを浮かべてしまう。

 私は自分の中に存在する残虐性というか冷淡さに唖然とすることがある。先日いつものように洗面所に仕掛けたホイホイを手で取り上げ、中を覗いた。あきらかにゴキブリでない異様なモノが粘着糊にへばりついていた。ホイホイの中は暗くそのモノが何であるか判別つかない。

私は経験からこのゴキブリホイホイの仕掛けは細心の注意を払って組み立てる。ゴキブリは命がけである。だまし合いである。だから小学校の図画工作の作品作りのように気を入れる。ゴキブリホイホイを製造販売している会社も研究改良をしていることは認める。しかし企業の多くがそうであるように、合理化とか利益追求のため、なかなか消費者の痒いところまで手が届くような配慮まではできない。私はゴキブリホイホイを組み立てる時、出来上がりがほっこり空間があり、カクカクと直線的になるよう気をつける。そうするようになってから効果があがった。射しこみをする部分は、強力セロテープでしっかり固定してする。

 中を確認するために私はセロテープを剥いでゴキブリホイホイの箱を解体した。なんとカニが張り付いて死んでいた。サワガニである。私はかわいそうになった。わからない。ゴキブリがその状態で発見されれば、私は捕らえたひそかな喜びに浸る。ところがサワガニだとなぜ罪悪感のようなものを感じるのか。原始からの遺伝子の継承によるものなのか。私の感情の中のいったい何がこのような違いを生み出すのか。自分が怖くなる。サワガニの姿が頭にこびりついて離れなかった。しかしその感情が薄れてくると、今度はサワガニがどうして家の中にいて、何のためにゴキブリホイホイのワナにはまったのかの疑問で頭がいっぱいになった


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旋毛(つむじ)曲がり

2011年10月14日 | Weblog

 9月25日の「山の恵み里の恵み」氏のブログに『慶応三年生まれ七人の旋毛曲(つむじま)がり』坪内祐三著 新潮文庫 税別895円のことが書かれていた。以前から「山の恵み里の恵み」氏の読書量と本の選択眼に圧倒されている。長野に氏のお宅を訪ねた時に直接、氏が読み終わって「面白かったから」と言われ、本をいただいた。海外にすんでいた時は、わざわざ送っていただいたこともある。氏の推薦本にはずれがなかった。


早速本屋でこの本を探してみた。うかつにも本の題名、著者、出版社名をメモしたノートを家に忘れてきてしまった。記憶力はもともと良くないが、老化現象による物忘れはひどくなるばかりである。本屋には探す本を検索できる機械がある。憶えていたのは、“7人”と“つむじまがり”それと“新潮”の3つのキーワードだけだった。あった。「店内に在庫あり 1冊」 嬉しいものである。何万冊という在庫がある本屋でこうして探す本にめぐり会えると、「山の恵み里の恵み」が山でお目当てのキノコを見つけた時の興奮に似ているのではと勝手に思い込んでいる。そして何より嬉しいのは、検索機が本のありかをちゃんと教えてくれる。“印刷”のボタンを押すと紙に印刷されて出てくる。Aの棚の1番の枠の中とか。広い本屋の中、まっしぐらにその棚に直行するのは、特権を与えられたようで痛快である。枠は3段の本棚の区画に絞られている。あとは自分の目で探すしかない。この残された作業が私を心地良く刺激するのである。「あるか」「ないか」「見落としているのだろうか」「タッチの差でだれかに買われてしまったのか」 そうやって見つけた本を手に取ると笑みがこぼれる。

多くの場合、こうして苦労して目的の本を手に入れると、その9割の本が徒労で終ってしまうことがある。読んでみると内容が期待したものでないことが多い。期待以上の内容であれば、私は先に読み進めるのが惜しくてたまらなくなる。今回も「山の恵み里の恵み」氏の目に狂いがなく、私の読書における最高境地であるページをめくるのがモッタイナイを随所で感じた。


まず慶應三年生まれの7人の旋毛曲がりとは①夏目漱石②宮武外骨③南方熊楠④幸田露伴⑤正岡子規⑥尾崎紅葉⑦斎藤緑雨の7人である。私は南方熊楠に並々ならぬ関心興味を持っている。本屋でこの人の名が本の題名に入っていれば買わずにいられない。「山の恵み里の恵み」氏のおかげで、南方熊楠と期せずして本の中で会うことが出来た。


旋毛曲がりを辞書で調べてみると「性質がねじけていて素直でないこと(さま)、そのような性質の人をもいう」とあった。けして良い意味ではない。しかし『慶應三年生まれ七人の旋毛曲がり』で旋毛曲がりを悪い意味で語ってはいない。むしろ褒め言葉としている。私は旋毛曲がりと面と向かって言われたことはない。自分の中に素直でない性質がふくまれていることは認める。高校の時の担任教師が前回出席した同級会で酔った勢いで「お前は、クラス一の変わり者だ」と顔面30センチに近寄られ、目の前で人差し指で指されその指をフリフリさせながら言われた。酔った勢いで相手のひとに言われた内容は、真実が多いと私は思っているから、私は傷ついた。“変わり者”を“旋毛曲がり”とあの時、教師に言われていたら、今回のこの本を読む気持がまた違っていただろう。まだまだ未熟者であることを痛感する。


いずれにせよ本を読むことでいろいろなことを教えてもらえる。いつか私もだれかにその人が読んで喜ぶような本を選別して差し上げてみたいと願っている。


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花の匂いの暦

2011年10月12日 | Weblog

 10月4日の朝、散歩に出た。すっかり気温が下がり肌寒く、家を出る直前に着替えた長袖シャツが頃合だった。空はどんより曇っていた。雨になるかもしれない。ゴミ集積所の不愉快な臭いに息を止めて、遠回りしてわき道に入った。生ゴミが多いのか、異様な臭いである。カラスがゴミ袋をクチバシで突きまわし、中のゴミが散乱している。傾斜のきつい幅3メートルくらいの坂道を転がるように下る。お椀の底のようなくぼ地に近づくにつれて鼻腔が別のニオイに反応しはじめた。さきほどのゴミ集積所の臭いの記憶がよみがえる。新たに微かな匂いが、あのゴミの臭さを消す勢いで私に迫ってきた。それも段々に坂を下がるにしたがって、度合いが強まる。私の中でさっきの臭いと今度の匂いが化学反応を起こしている。その混合体は私に顔の筋肉を緊張させるくらいだった。やがて新しい匂いが勝った。それは見えない壁を突き抜けて、まったく別の空間に身を置く感覚だった。 

 最近私は家を一歩出ると人工のニオイに困惑することが多い。私は嗅覚が自分の5覚(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)の中で一番優れていると思っている。自分で稼ぐことも税金も払うこともない多くの高校生が香水をしている。すれ違いざまに私の鼻を刺激する。彼らになぜ香水が必要なのかわからない。加齢臭もない若者に香水は、余計だ。それとも彼らは老けていて、もう加齢臭がするのだろうか。私の住む集合住宅でもエレベーターに乗り込んで、漂う強い香水に頭がクラクラすることもある。場合によっては玄関ホールでその香水をつけている主の行動の軌跡をたどることさえ出来る。ホールに漂うニオイの帯は、共同郵便新聞受け、資源ごみ集積所、駐車場への通用口へと続く。

 香水にも自然の材料が使われていることは知っている。所詮香水は人工のニオイである。金木犀のニオイがほんわかと貯まったくぼ地の底に身を置く。まるでシャワーを浴びるように、さして高くもない塀から顔をのぞかせる金木犀の木から降り注ぐニオイを全身にまとう。いままで私の鼻に入ったどんな香水のニオイより心地良い。強くもなく弱くもない。鼻を刺激することもない。ただ日常というよろいを脱いで、催眠術で違う世界に招きいれられた感覚だ。品がよく、それでいて控えめだ。ギリシャの古代オリンピックに出場した選手はみな全裸だったという。それを知った時、そんな恥ずかしいこと、よくできるなと思った。私はそのくぼ地の真ん中の誰もいない金木犀の木の下で、羞恥心とか日常のわだかまりをすっかり脱がされて、まるで全裸で金木犀の木の下に立っているような不思議な気分を味わった。

 『無文字社会の歴史』川田順造著 岩波現代文庫に「熱帯のアングマン島民は、次々と咲く花の匂いによって暦を知るという。(中略)時を計る単位として、人類にほぼ共通に設定できるかも知れない」とあった。何分の1秒の誤差を気にかけるよりも、少しぐらいのズレがあっても、花の匂いの変化を暦にするそんなゆっくりした生活もいいかもしれない。駅までの道のり、実に多くの家々の庭に金木犀があって驚いた。花が咲いてニオイがなければ、金木犀の存在さえ知れない。そのあり方に共感する。花の匂いの暦では、今、まさに金木犀の月である。


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365?

2011年10月06日 | Weblog

 小田原の駅ビルに二宮尊徳(金次郎)の銅像がある。その碑文に「1日1字ずつ習えば 1年では365字となるぞ この小僧 譲って損なく 奪って益なし」とあった。私は昔自分がやっていた学習塾で生徒に毎日10英単語と10漢字を練習するようノートを作って実践したことを思い出した。最近その練習ノートの改良版を出すことになった。その巻頭のページに二宮尊徳のこの言葉を載せようと考えた。校正を何度かするうちに疑問を持った。なぜなら二宮は1787年に生まれ1856年に没している。当時日本は西洋暦を使っていなかったはずである。陰暦では1年は確か360日だ。いくら立派な尊徳さまでも、西洋暦を使っていたとは思えない。

こうなると私は確かめなくては気がすまなくなる。確認行為という医学専門用語があるそうだ。確認行為がひどくなると強迫神経症になると聞いた。家を出て、しばらくすると玄関の鍵をかけたか、窓の鍵は?と不安になる。駅のホームで電車を待っている。電車がホームに自分に向かってくると電車に自分が飛び込むのではないかと脅える。これらは、多かれ少なかれ誰でもが持っている確認行為だという。私はずっと誰にも相談せずに自分だけでこの確認行為とやらと対峙してきた。いまのところスレスレのところを行ったり来たりしているようだ。

どうすればこの365日と 360日の疑問を解決できるか考えた。まず私は二宮の文献を数件の本屋と図書館とネットで調べた。わからなかった。小田原市栢山(かやま)2065番地の1に尊徳記念館があることを知った。9月26日3連休の最後の日、妻を誘って尊徳記念館に行くことにした。

人気があるのかその日、観光バスの観光客や家族連れが多かった。まず受付で「小田原駅の二宮尊徳の銅像の碑文に“1日1字ずつ習えば 1年では365字に”とありましたが、そのことでお聞きしたいことがあるのですが」と尋ねてみた。「それなら専門のガイドがおりますのであとでお答えできると思います。ただいま他の団体のお客様を案内中なのでしばらくお待ち下さい」私たちは入場券を求め、記念館を見物することにした。二宮尊徳の生い立ちから5部に分けてジオラマの展示とテレビモニターでのアニメの放映があった。私はアニメといってもちゃちな子どもだましだろうとたいして期待もせずに、テレビモニターの前のベンチに妻と座った。ところがこのアニメよくできていて、私も妻も内容に引きこまれた。①の次は②へと場所を移してまず全篇を見ることにした。③のモニターは他の客の家族が観ていたので、展示物を閲覧していた。胸に「ボランティアガイド○○」の名札をつけた男性が「私はガイドの○○と申しますが、ご質問の件ですが、小田原駅のあの銅像の碑文は、実は本物ではありません。二宮尊徳の時代は陰陽暦で1年360日でした。なのであきらかにあの碑文の365日は西洋暦が取り入れられた1872年以降に書かれたもので、尊徳が残した言葉ではありません。誰かが尊徳ならこう言っただろうと創作したのでしょう」と説明してくれた。このガイドさんのおかげで私の疑問が解けた。まさに歴史は書き換えられる。スーッと気が晴れた。ガイドの男性に感謝して残っていた③④⑤とアニメすべてを観た。疑問がきれいに解けたせいか、二宮尊徳を見直した。

記念館を出ると道路の両側に田園地帯の稲穂が垂れ、色づき始めている。尊徳の時代、氾濫洪水でこの辺一帯の農民を苦しめた酒匂川が穏やかにキラキラ輝いて流れていた。箱根の奥に富士山が雲の上にひょっこり峰だけ出していた。私と同じように尊徳も、この田、川、山を見たことがあるに違いない。偉人が生きた場所に自分の身を置いてみることも良い経験だね、と妻と話しながら帰路についた。 


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公務員宿舎と覗き穴

2011年10月04日 | Weblog

 ある地方都市に住む男性の家に東京から孫が遊びに来た。男性は、健康維持のため柴犬竹次郎と散歩するのを日課にしている。孫は今年5歳になった。一年に2回、孫は家族と実家に来る。ある朝、男性はいつもの時間、いつもの散歩コースを孫の手を握って歩いていた。ぐっと高い金属製の塀に囲まれた工事現場のところにやってきた。そこは県庁庁舎の建て替え現場だった。面積は広大である。中が見えないと人間でも動物でも覗いてみたくなるものだ。「おじいちゃん、この中に何があるの?」と孫が聞いた。「県庁という役所の建物を建てているんだ」「僕、中みたいな」竹次郎、塀の前にあった電柱に気持良さそうにマーキングの放尿をする。しばらく歩くと、孫が男性の手を振りほどいて塀に突進した。男性は竹次郎と孫を追う。孫が嬉しそうに塀に開けられた3つの段違いの真ん中の穴の強化プラスチックに顔を押し当てた。男性は一番上の穴から、竹次郎は一番下のペット用の穴から中を覗き込んだ。まだ工事は始まっていなかったが、たくさんの建設機械や積み上げられた建築資材を見て、3者は3様に満足した。

上の文章は、実際にある県の県庁庁舎が建て替えられた時、塀に囲まれた工事現場に中を覗けるように専用の穴が開けられたことを土台に私が作った話である。野田首相が10月3日、埼玉県朝霞市の公務員宿舎の工事現場をたった15分訪れて、建設凍結を決めたと聞いたからである。朝霞市に国家公務員の宿舎が105億円かけて建設中だ。この宿舎は去年、事業仕分けで仰々しく「事業凍結」を言い渡されたが、野田首相が財務大臣だったとき、事業凍結を解除して事業執行を決めた。すくなくとも時期をもっと考えるべきである。東北の大震災の復興と公務員宿舎の建設を同時に論じる感性を疑う。

 テレビのニュース番組やワイドショー番組では、建設費が巨額だとか事業仕分けで「凍結」されていると批判的だった。私は、違った視点からこの問題をながめた。テレビに映し出された朝霞市の公務員宿舎の建設現場に目が釘付けになった。工事現場は、白くペンキで塗られた高い塀に囲まれていて、中の様子は一切外部からみることができない。建設現場は3000坪の広大な敷地だ。それをすべて覆い隠す周到さである。テレビ局のカメラが、ぐるっと一周する。人の出入り、車両の出入り、厳重で中を見られないようにしている。この事実こそ日本の役人仕事を象徴する。

 私は公務員宿舎問題を学校給食とよく似た次元の問題だと捉えている。すでに公務員宿舎を建てなければならない時代ではないのに、戦後の貧しかった時に成立した条例を利権として手放せないでいる。建てる建てないの問題より、日本の役所の相も変らぬ隠蔽体質に関心を持つ。「隣の芝生はよく見える」のである。公務員宿舎と聞くと多くの国民は、「公僕が納税者よりいい生活」と妬む。私は南青山の高官公務員用宿舎と呼ばれる官舎に住む知人を訪ねたことがある。立地環境は一等地だが、建物や間取りは三流だと感じ、羨ましいと思わなかった。だが嫉妬という感情はいかんともしがたいものである。朝霞の米軍基地だった広大な緑地帯に公務員宿舎ができる、と聞けば多くの市民は感情を逆撫でされる。「私たちが納めた税金で」と立腹する。その上建設現場に出向けば、高い金属製の塀が一切中の様子をうかがい知ることが出来ない。どんな人間でも「見るな」と言われれば見たくなるのが本心である。大人用子ども用ペット用の覗き穴を開けるくらいの情報開示精神をもてないものだろうか。建設中の建物を折に触れて公開する度量がほしい。日本の役所の隠蔽体質は、すでに時代遅れである。役所が正しいと思う事業であれば、堂々と実行すればいい。工事の進捗状況も公開すればいい。できあがった公務員宿舎も見学公開すればいい。“凍結”と決め、2年も経たないうちに“解除”して、再び“凍結”とした。野田首相のひとり言葉遊びのように受け取れる。隠すことは何もない。もっと国民にいろいろお国のやっていることを覗かせて欲しい。そのための覗き穴をあちこちに設けて欲しい。

 9月に訪れたハワイの動物園でも工事中の場所があった。故意か観客が勝手に覗くためにあけたのか、大きな穴があった。中が見えるって、気持のいいことだと真っ青な空の下で思った。(写真:ホノルル動物園ののぞき穴)


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