団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

老いぼれ 抗加齢 アンチエイジング

2017年09月28日 | Weblog

①    パズル

②    ラジオ録音書き取り

③    孫の英語ノート作り

①     北朝鮮とアメリカの首脳の罵り合いのような言葉の激しい応酬が続いている。中でも北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長が直々に出した声明でトランプアメリカ大統領を口撃した。「米国の老いぼれの狂人を必ず火で罰するであろう」 33歳の金正恩委員長が71歳のトランプ大統領を“老いぼれ”と言った。政治にも外交にも私は疎い。しかし70歳になった私は年齢に関して敏感である。“老いぼれ”は、私にグサリと突き刺さって全身に毒のように拡がった。

 日々、老いを感じている。無駄な抵抗と知りつつ、老いに闘いを挑んでいる。体力の衰退、身体のサビ付きのような機能不全に対する認識は定着してきた。私という存在の総司令部である脳の老化に手こずっている。もともと頭は悪かった。特に記憶力がひどかった。秀才がさっと記憶できることでも、長時間かかった。当然、学生時代の学校の試験には間に合わなかった。学生時代の優秀だった周りの人たちも老いてきた。まだ元気に活躍している人もいるが、ほとんどは私の老化と五十歩百歩になってきた。皆が私にドンドン近づいてきてくれた。

 頭の体操だと思ってクロスワード・パズルの本を買って毎日解くようにしている。最初買った本は、難しかった。カギ:4サイクルエンジンが毎分2000回転なら、この部分は毎分1000回転 答え:カムシャフト こんな問題メカに弱い私に分かるわけがない。自分に適当なものを探しあてるのも時間と忍耐が必要である。やっと見つけた。『傑作 クロスワード』(株式会社メディアソフト 500円+税) このシリーズは私の知能レベルにピッタリ。カギ:神社の門 答え:トリイ 己を知った。

②    毎週月曜日から金曜日まである番組を自動録音している。以前はその番組が放送されている時、無謀にも書き取りを試みていた。とてもついて行けなかった。記憶力のせいにした。自動録音装置がついているラジオに替えた。早送り早戻しを何回も使う。粘れば書き取りできる。そんな大学ノートがもう5冊たまった。

③    『他人をバカにしたがる男たち』 河合薫著日本経済新聞出版社 850円+税を読んだ。帯に「職場に社会にはびこる“ジジイの壁”の正体」とある。私はこの本を読んで思った。私はジイジと呼ばれても、ジジイとは呼ばせない。イの位置が違うだけだが、ジジイとジイジは違う。ジジイは壁でもジイジは踏み石である。

 私は英語をカナダから帰国して始めた英語塾で教えながら学んだ。学生時代に学んだことより、カナダと塾での実践が役立った。マルカギカッコという英文の最初から読み下っていく学習法をあみ出した。それを孫たちに伝えておこうとノート作りをしている。孫が使ってくれているかはわからない。すでにノートの冊数は100冊を超えた。私は今日もジジイとジイジの境界線にある塀の上をフラフラしながら歩き続けている。 


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孫悟空が食した不老長寿の桃:蟠桃

2017年09月26日 | Weblog

①    蟠桃

②    川中島桃

③    私が育った家の庭の桃

①    秋は果物がたくさん。日本の果物は、品種改良が進み美味しくなった。子どもの時、病気になると白桃の缶詰、バナナ、リンゴのすりおろし、くず湯を食べさせてもらえた。家の庭に桃の木があった。缶詰の白桃と違って固く甘みも薄かった。カナダの学校にいた時、家族が白桃の缶詰を送ってくれた。寮では郵便物を決まった時間に寮長の事務所の片隅にある窓口へ受け取りに行く。40人くらいしか寮生はいなかった。封書以外の小包は目立った。ましてや遠い日本からの小包だと寮生の関心好奇心の集中砲火を浴びる。私の部屋は寮生でいっぱいになり、私が小包を開けるのを見守った。白桃の缶詰に視線が集まった。誰かが「白い桃!」と叫んだ。カナダでは桃は黄桃しかなかった。「日本人は黄色人種なのに、桃は白いんだ」と訳の分からない今なら問題発言になりかねない発言もあった。

 桃が好き。でも私は桃の皮に触れられない。触るとサブサブエボが出る。さいわいなことに妻は桃の皮が平気。剥いてもらっている。

 1991年から3年間暮らしたネパールには、私が育った家の庭にあったような原種に近い桃が市場で売られていた。小粒で固く甘みは薄い。懐かしくて買って食べたが、2度目の購入はなかった。アフリカのセネガルにはリンゴも桃もなかった。旧ユーゴスラビアは果物がたくさんあった。ある日市場でヘンテコな形の果物を見つけた。図鑑で調べると“蟠桃”だとわかった。中国原産で普通の桃を上から押して潰したような扁平な形をしている。味も悪くない。おそらくシルクロードを経てヨーロッパに伝わったのだろう。

 日本に帰国して調べたが蟠桃は出荷量が少なく入手は困難だった。今年ネットで山形県で通信販売していることを見つけた。早速購入した。さすが日本の農家は、品種改良して美味しい蟠桃を作っていた。

②    私は固い桃が好き。わざわざ固い桃を川中島の農家に注文する。以前何でも言い合える友人に長野県から川中島桃を送った。令状に「せっかく桃送ってもらいましたが、まだ若くとても固くて残念でした」と書いてきた。私が固い桃が好きでも、柔らかな桃が好きな人もいる。

③    私が子どもの頃、食べ物が不足していた。私の家の庭は、たくさん果物の木が植えてあった。中でも桃が好きな私は、桃が熟すのを今か今かと待ちわびた。桃を好きなのは、私だけではなかった。鳥も虫も狙っていた。競争が激しければ、獲得した時の喜びは格別である。たった数個残った食べ頃の桃を家族6人で分け合って食べた。旨かった。

 台風、冷夏、長雨、日照不足など人間の力ではどうすることもできないことをかいくぐり、出荷された果物が店頭に並ぶ。農家の人たちの苦労を思う。果物の消費量が上がらないという。多くの若者は、果物を食べるのが面倒くさいというそうだ。皮をナイフで剥いてまで食べる気がしない、値段が高いが原因らしい。コンビニ世代らしい意見である。安倍政権は学校無償化に消費税を使うことを国民に問うために解散総選挙を行うそうだ。無償化なんていう、できもしない大きなことをぶち上げるより、給食を無償にするぐらいで良いのではないか。学校が農園を持って自給自足するのもいい。私が留学したカナダの学校は、2400人の生徒スタッフが自給自足を実践していた。できない話ではないと私は断言できる。日本には、農家がコツコツと面倒な作業を続けて育てる美味しい果物があるけれど、10年先20年先を見据えて、コツコツと小さな政策を積み上げて実を結ばせる賢く粘り強い有言実行できる政府がない。大風呂敷も大言壮語も面倒くさい。


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授業参観日

2017年09月22日 | Weblog

①    長女小1の参観日

②    長男保育園参観日

③    私の小学生の時の参観日

①    20日水曜日東京に住む長女の子どもが通う保育園へ祖父母参観のために出かけた。途中京王線が人身事故でストップ。不慣れな東京で途方にくれた。駅員の指示で小田急線を使い、バスで長女と約束した京王線の駅にギリギリ間に合った。長女の案内で保育園へ向かう。3年前に同じ祖父母参観に来たが、複雑な経路は、初めての道でしかなかった。二人で並んで歩いた。

 私は長女の結婚式の後、家族紹介の席で長女の私への感謝の言葉を思い出した。「参観日、教室の後ろに他の生徒の母親ばかりの中に一人だけお父さんがいた。・・・」 長女はあの日の私の姿が忘れられないと言った。あの参観日は彼女の母親が年下の男性と駆け落ちして間もない頃だった。児童虐待の中に心理的虐待がある。

心理的虐待とは:

児童に対する著しい暴言又は著しく拒絶的な対応、児童が同居する家庭における配偶者に対する暴力(配偶者(婚姻の届け出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含む。)の身体に対する不法な攻撃であって生命又は身体に危害を及ぼすもの及びこれに準ずる心身に有害な影響を及ぼす言動をいう。)その他の児童に著しい心理的外傷を与える言動を行うこと。

(児童虐待の防止等に関する法律:第2条第4項)

 私も彼女の母親も、長女と長男に対して、疑いなくこの法律に違反した。酷いことをした。残酷だ。中川俊直議員、今井絵理子議員、山尾志桜里議員、女優斉藤由貴。不倫しても良い。でも子どもも、恋も、高収入も仕事もそのままとはいかない。全て捨ててもの覚悟のない不倫は、遊びである。私は二人の子どもへの償いとしてどんなことをしてでも社会人になるまで責任を果たすと自分に誓った。それは私の親としての罪に下された判決だと受け止めた。授業参観にも男親一人だけでも行った。恥ずかしいとか人目など気にしていられなかった。長女があの参観日のことを彼女の結婚式で言ってくれたことは、私の長い刑期の終わりであった。

②    長女の子どもは、保育園で私が来るのを待っていた。私が部屋に入ると嬉しそうに近づいてきた。それから興奮気味で落ち着きなく動き回った。ふと私の長男の保育園時代を思い出した。保育園の参観日に行った。ちょうど運動会の練習をしていた。かけっこでスタートを切ろうと並んでいた。私を見つけた長男は、列を離れ、泣きじゃくりながら私の胸に飛び込んできた。ただ泣いていた。いまだに理由がわからない。でもかわいいと思った。しっかり抱きとめた。彼にこのことを話しても「覚えていない」と言う。

③    私の新しい母親が小学校の参観日に来た。うっすらと化粧していてびっくり。髪の毛も梳かされ、見たこともない上着。でも嬉しかった。教室内の生徒たちは、親が入ってくるたびに「○○のかあちゃんだ」とひそひそ声で言い、論評を加えた。初めて見る顔には「あれは誰の母ちゃんだ」の憶測が飛び交う。親と子、近くて遠い不思議な関係だ。

 孫の保育園で私は自分の6歳当時、長男長女の6歳当時を思っていた。思えば遠くに来たものだ。時代はめぐり、世代は入れ替わる。今、後悔はない。


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御呼ばれ お誘い

2017年09月20日 | Weblog

①    食事、お泊りの御呼ばれ

②    外食のお誘い

③    ドライブのお誘い

①    子どもの頃から御呼ばれが好きだった。私を産んだ母親は、私が4歳の時他界した。東京と新潟にしばらく預けられた。幼かった私は、御呼ばれ感覚でいた。自分の家庭でしか食事したことがなかった私は、外の世界を知ってしまった。母親の妹と再婚した父親の家に戻った後も近所の友達の家に遊びに行って、食事を一緒にと声をかけられると、喜んで食べてしまった。大人になって京都では食事を一緒にと誘われるのは、もう帰ってくれという意味だと聞いた。私の友達の親もそういう気持ちだったのかも知れない。父親にも新しい母にも、よそ様の家で食事をするなんて恥ずかしいと言われた。そして小学校に入学して、給食という新しい食事形態に出会った。会食というか宴会のように楽しかった。みんなと同じものを食べる。担任教師によっては、いちいち箸の上げ下ろしにまで口を出し、通夜のように静かに食べなければならない学年もあったが、大勢の人と一緒に食べる楽しさを知った。中学ではご飯のみ持参して、おかずは学校給食として出してもらった。それも楽しい時間だった。

 高校2年でカナダへ渡った。日本からの留学生という事で、週末や休暇に多くの生徒、学校職員の家庭に招かれた。泊まりがけの招待も多かった。日本と違って家庭へまるで家族のように迎え入れてくれた。裏表のない気持ちがよく伝わった。嬉しかった。この経験が、今役に立っている。

 最初の結婚が破綻して再婚した。妻の海外赴任にあわせて自分の仕事を辞め、主夫として同行した。赴任地で現地の方々、在留邦人、日本からの客、ほぼ毎日設宴した。会話から学ぶことが多かった。小中高大学で学んだことより身に着いた。13年間の海外生活でカナダ留学での御呼ばれが全ての面で役に立った。

 ロシアのサハリンを最後に妻が私の願いを聞き入れ、退職して日本に帰国した。湘南の海の近くに終の住処を構えた。今の楽しみは、友人を招いて食べ、飲み、話すことである。御呼ばれも時々ある。御呼ばれされるたびに幸せを体いっぱい感じる。私のまわりに残った友人は、関係を50-50に自然に保てる人ばかりである。

②    時々、友人たちが、外食に誘ってくれる。あの店が美味しかったので行きましょう。私は友人が読んで私にも読んで欲しいと本を渡されるのが好きだ。それと同じくらいレストランや食堂に誘われるのも好きだ。家に招かれるのとは違った気持ちが味わえる。私自身が料理をするので、料理する人の大変さを理解できる。外食だとすべて家事は店任せなので、気が楽になる。たまにはこのいうのも良いものだ。誘われる店は、友人に吟味されているのでまず間違いがない。

③    外食は近い所ばかりではない。時によっては何時間も車で行かなければならないこともある。そんなドライブも楽しい。車内での会話は、完全な密室なので何でも話せる。

 このところ毎年、友人が櫛の歯がこぼれるように亡くなっていく。知らせを受けるたびにもっと会っておけば、あれもこれも話しておけばよかったと悔やむ。私だっていつ旅立つかわからない。だから、できるうちは、呼び、御呼ばれして、外食してドライブする時間を満喫したい。


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サプリメント 健康補助食品

2017年09月14日 | Weblog

①    わかもと

②    肝油ドロップ

③    黄色い米粒

①     テレビのコマーシャルで多く観られるのは、何と言ってもサプリメントに関するものだ。宣伝屋はあの手この手で消費者の財布を開かせようと必死である。怪しいものも多数ある。私はこれらのコマーシャルを目にするたびに、日本は豊かな国だと思う。私が子どもだった時、毎日食べるだけでも大変だった。米は配給制で週2日は米以外のうどんなどだった。私は毎日、毎食、白いご飯を腹いっぱい食べたいと願った。栄養のことなど考えたこともなかった。学校給食は、家庭の貧しさを忘れさせ、食べる楽しさを与えてくれた。

 毎夕食、米を食べられなくても働き手の父親のお膳は、私たちとは違っていた。一合のお燗された日本酒、おつまみ、おかず。私たちがうどんを食べた日でも父親のお膳にはおつまみがあった。そんな父親は、毎日『わかもと』を5錠飲み続けた。父親は、一度決めると頑固にそれを続けるタイプだった。私はそんな父親に反感を持ったが、現在私もほとんど父親と同じことをしている。ハクションや咳払いは、父親のそれとよく似ている。どんなにお金がないときでも、母親と喧嘩してでも毎月瓶入りの『わかもと』を買ってきた。父親は私にも『わかもと』を勧めたが、私は拒否した。ニオイと粒の大きさが、私には受け入れがたかった。父親がいつから、またどうして『わかもと』を飲むようになったかはわからない。ビール酵母が主成分で滋養強壮、また胃もたれや便秘に効くという。父親は家族を養うために長時間働いた。疲れると『リポビタンD』『オロナミンC』などのドリンク剤を飲んでいた。

 私はサプリメントや健康補助食品に頼るより、日常の食生活において摂取しようと心掛けている。それでも不足するものは、医師と相談して服用する。現在『コエンザイムQ10』を10年以上飲み続けている。

②     小学校で『肝油ドロップ』を担任教師が注文を取り希望者に販売した。我が家に肝油ドロップを買う余裕はなかった。一度も学校で買うことはなかった。友達の家でもらって口にしたが、欲しいと思うモノではなかった。戦後、日本ではアメリカ占領軍の影響か、栄養とか食物に関する意識改革が進められた。保育園、小学校とずっとアメリカの脱脂粉乳を飲み続けた。たとえ脱脂粉乳がアメリカ本国では家畜の餌であっても、私たち戦後に生まれた者にとって、大きな栄養摂取になった。

 私は十代後半からカナダで学んだ。カナダ人アメリカ人の家庭に招かれた。どこの家庭でも、泊まった翌朝、朝食のテーブルにつくと、各自の前のスプーンに錠剤が入れられていた。私の前のスプーンにも同級生と同じサプリメントの錠剤が入っていた。私が育った家庭の朝食との違いに戸惑った。現在我が家でもスプーンには入っていないが、あの時カナダで見たのと同じくらいのサプリメントが用意されている。感慨深い。

③ まだ米が配給制だった頃、配給所のおじさんが米を配達に来ると、米に黄色い米を混ぜるよう売り込みをした。我が家は、それもできなかった。だから黄色い米を混ぜるのは、金持ちが食べる米だと思い込んだ。それが米に足りないビタミン類を添加するものだと大人になって知った。現在我が家では、健康のために米は3分付の玄米に近いものを食べている。

 科学や医学の進歩で、食生活に大きな変化がもたらされた。健康に気を使えば使うほど、味や食感や満足感が損なわれる。食べることが残された楽しみである。よく勉強して美味しい楽しい食生活をサプリメントの助けをかりて続けていきたい。


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老化現象と、そのサポート

2017年09月12日 | Weblog

①    メガネ

②    インプラント

③    テンピュールのクッション

①     4か月に一回の歯科検診へ行って来た。歯肉が腫れているということで患部のレントゲンを撮った。診察台にはモニターがあって、撮ったレントゲン写真が即、写しだされ歯科医も患者も見ることができる。私の歯肉は後退して歯茎がむき出しになっている。その空間の大きさに愕然とした。よくこれで歯が抜けずにいるなと感心もした70年生きてきた。体のあちこちに老化現象が見られる。

 40歳少し前に急に視力が悪くなった。眼科で検査を受けた。近視だった。それからメガネをかけ始めた。やがて老眼になり、近視用メガネと老眼メガネを使い分けている。もしメガネがなかったら、と思うことがある。当たり前のようにメガネを使っているが、無ければ不便であろう。私は運転免許証にメガネの常時使用の条件が付記されている。高校生の時、視力検査で2.0だった。担任教師に言われた。「勉強しろ。しないから視力が2.0なんだ。自慢にならねえぞこんなこと」 それからも視力はあまり衰えることがなかった。40歳を目前に急にモノがぼやけて見えるようになった。近視であれ、乱視であれ、老眼であれ、メガネで矯正できることは有難いことだ。加えて眼科医学の発展進歩も目覚ましく、その恩恵によって加療してもらえる範囲もひろがった。

 電車の中などで、よく目薬をさしている人を見かける。やはり老人が多く、若者が目薬を使っているのは、見かけない。それでもスマートフォンやゲーム機の普及で若者の目も酷使されている。これから眼科医の需要は、ますます増えるらしい。

 私は妻に勧められ、夜、目を温めるようにしている。タオルを温めて使っていた。先日ドラッグストアで花王の『めぐりズム』という便利なモノを見つけて使っている。(写真参照) おそらくホッカイロの応用なのだろう。アイマスクの目の部分が40度になり目の周りを温湿布する。老化による涙の減少も目薬で補充することができる。便利でありがたいことだ。

②    知人が12本のインプラントを入れた。以前人間の歯は、2400万円の価値があると聞いた。インプラント12本で1千万円くらいかかるらしい。人間の歯は、大人が28本+親知らず4本で最大32本ある。価値観も財力も人それぞれ。インプラントに1千万円近くかけても、それが自分にとって重要だと思えば、他人は口出しできない。私は2本のインプラントを60歳前半に70万円かけて入れた。それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟だった。正解だった。あわせて歯肉の切開クリーニングを1年にわたって受けた。それ以後、歯肉炎はおさまり歯肉の後退も遅くなった。80-20、80歳で自分の歯20本を目標に歯の手入れに毎晩2,30分かけている。英国の貴族紳士は、毎日爪や歯の手入れに1時間かけると聞いた。私はもちろん貴族ではないが、自分の体の部位それぞれを大切にだましだまし使えるだけ使いたいと願っている。

③    尻の肉がなくなってきているのか、長時間座っていることが苦痛だ。そこでテンピュールのクッションを買った。これを使うと楽である。

 老化は進む。止めることはできない。体のどの器官であっても、ずっと私を支え続けてくれた。老化を嘆くのではなく、最後まで感謝しつつ、少しでも補助になるものを見つけて器官をいたわりたいものである。


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男一人の子育て シチュー オン ライス

2017年09月08日 | Weblog

①    シチュー オン ライス

②    フレンチトースト        

③    オートミール コーンフレーク        

①   民進党の山尾志桜里議員の不倫報道が騒がしい。このところマスコミ、特に週刊誌による不倫スクープ合戦が凄まじい。私は不倫している本人に関心がない。どこかでじっと身を潜めているであろう、女性の夫と子供に私の思いが寄り添う。夫には、新潮新書『寝取られた男たち』(堀江珠喜著 778円税込)の悲哀が漂う。

 民放のニュースで山尾議員の民進党から離党すると伝えた。

  コマーシャルになった。『シチュー オン ライス』 (写真 参照)ハウス食品の新製品だという。俳優の遠藤憲一が出演。画面に文字「まさかの新商品!」 私はごちる「それって新商品じゃないよ」 「全米が泣いた」 私は吐き捨てる。「アメリカでもこれ売ってるの?」 “全米”(ぜんべい)ではない。全のあとの米にルビを振ってある。アメリカのハリウッド映画の宣伝によく「全米が泣いた」のフレーズが使われる。「全米(こめ)が泣いた」は、そのフレーズを真似たのだ。そして「絶賛 オンライス中」と締めくくる。

 山尾議員の不倫疑惑とハウス食品の『シチュー オン ライス』にどういう関係があるのか。もう40年も前のことである。私は山尾議員の夫と同じ立場にいた。離婚は成立していなかったが、もと配偶者はすでに相手男性と一緒に同じ市内に住んでいた。私は仕事をしながら二人の子どもの面倒をみた。私の仕事が終わるのが午後9時。子どもたちは、学校から私の事務所へ直接来て、私を事務所で待った。長男小5長女が小1。私の仕事が終わると家まで車で約20分かかった。後部座席で二人は立ったまま寝てしまう。家に戻ると夕食。時間が勝負。私は野菜嫌いの二人のためにひき肉とほうれん草たっぷりとタマネギを炒め、そこにシチューの素と牛乳を入れた。ご飯にそれをかけた。まさにハウス食品の『シチュー オン ライス』である。風呂に子どもを入れ、10時過ぎには寝かせた。私は後片付けをして朝飯を準備した。朝、子ども達は二人で朝食をとり、バスで市内の学校へ通った。

 二人の子どもは現在それぞれ家庭を持った。結婚当初二人は我が家の『シチュー オン ライス』を相手に紹介したそうだ。反応は「シチューをご飯にかけるなんて気持ち悪い」だったそうだ。育った環境、特に子ども時代に経験したことは、ずっと残る。ハウス食品は気持ち悪い食べ方を日本中で変えることができるか。

 不倫と聞くたびに私はシチュー オン ライスを思い出す。

②    フレンチトーストは子どもたちのお気に入りだった。作るのも簡単で、牛乳と卵を混ぜた液にパンを浸す。私が起きられる朝は決まってフレンチトーストだった。バターで焼いてハチミツをたっぷりかけてあげた。

③    どうにもならない時の切り札がコーンフレークとオートミール。

 男ひとりの子育ては、苦難の連続だった。特に食事には苦労が多かった。それでも電子レンジ、冷凍室つき冷蔵庫があったおかげで乗り切れた。シチュー オン ライスは、我が家のガンバリの象徴である。


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戦争 ミサイル 核実験 戦争を知らない子供たち

2017年09月06日 | Weblog

①    旧ユーゴスラビア NATO 空爆

②    サハリン 砲弾

③    第二次世界大戦 徴兵された父

①    『戦争を知らない子供たち』作詞 北山 修 作曲 杉田二郎 歌 ジローズ

♪戦争が終わって僕等は生まれた

戦争を知らずに僕等は育った

おとなになって歩きはじめる

平和の歌をくちずさみながら

僕等の名前を覚えてほしい

戦争を知らない子供たちさ

・・・・

いつでも笑顔のすてきな人なら

誰でも一緒に歩いてゆこうよ

・・・♪

まさか“戦争を知らない子供たち”の一人だった私が旧ユーゴスラビアで暮らすなどと思っても見なかった。明日からNATOの空爆が始まるという前日、ベオグラードを発着する最後の外国便に乗ってウイーンへ避難した。それから約半年の避難生活が始まった。空爆が終わりベオグラードに戻った。ミサイルによるピンポイント爆撃の跡を見た。仕事の持ち場の関係で空爆中も残った日本人の話を聞いた。「夜になると空爆が始まった。アパートの窓ガラスが大きく外の景色が良く見えた。ミサイルがすぐ近くのビルの真上から落ちた。ミサイルや爆弾の飛ぶ音、閃光、爆発音、地響き。毎晩続いた。妄想が始まった。大きなガラス窓に向かってミサイルが飛んで来る。恐怖で発狂しそうになった。住民のほとんどが外国人のアパートは、皆逃げて空っぽ。騒いでも誰も文句を言わない。だから大声で叫んで恐怖からのがれようとしていた」 私は彼の話が今になって理解できる。今回の北朝鮮の行動は、ミサイルだけではない。北朝鮮はNATOもユーゴスラビア大統領ミロシェビッチもほのめかすことさえなかった原子爆弾を使うと脅す。生まれて70年間、戦争を知らない子供たちのまま人生が終わるかもと思っていた。やはり私は平和ボケの一人でしかなかった。

②    サハリンでキノコ採りをしていた。深い森の中に不自然にへこんだ窪地があった。そこにたくさん美味しいオオモミタケがはえていた。喜び勇んで採り始めた。キノコの脇に固い丸いモノがあった。砲弾だった。その窪地は砲弾の爆発でできたものだった。私は手に取った。「こんなものが爆発と同時に飛び出し、体に当たったら」と絶句した。(写真:サハリンで見つけた砲弾)

③    父は戦争について語ることはなかった。満州、シベリア抑留の話を少し聞いた。私が思ったのは、もし父が戦死していたら、もし徴兵されず戦争に行かなかったら、私は生まれていなかった。とにかく生まれた。ここに私がいる。「もし・・」と考えても仕方がない。

 7日に北朝鮮へ一人乗り込むアントニオ猪木さんは、私より4歳年上である。彼は行動する。何もしない、できない私より立派だ。見守りたい。


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無くても済むモノ

2017年09月04日 | Weblog

①    携帯電話

②    パソコン

③    テレビ

①    たった3泊4日の船旅だった。船上で携帯電話を見ることはなかった。見たくても「圏外」の表示を素直に受け止めた。どうしても携帯電話を使いたいと思うこともなかった。デッキや窓から海を見て時間を過ごした。妻は陸上でも携帯電話は私との連絡にメールするだけだ。日頃から妻は、「携帯電話が人間本来の能力を低下させている」と言っている。船上で妻は、携帯電話を必要としない生活を満喫していた。私の携帯電話もメールが主で電話がかかってくることはない。友人もそのことを理解してくれているので、やり取りはほとんどメールを使ってくれる。

②    家にいる時、一日3時間くらいは、パソコンと向き合っている。船にも乗客が使えるレンタルのパソコンがあった。1時間数千円の使用料がかかる。払えない金額ではないが、何か無駄遣いというか、モッタイナイが私をパソコンから遠ざけた。今回のツアーは船で3泊和倉温泉の温泉ホテルで1泊の4泊5日の日程だった。その間一回もパソコンに触れなかった。普段の生活にどれ程パソコンが入り込んでいるか、改めて認識した。パソコンに触れなくても不便を感じなかった。

③    家では毎日テレビを観る。船室のテレビは、BS主体でCNNや中国の放送が観られるが、NHKも民放も映らなかった。飛行機のサービスにあるような、航行している現在地を地図上で示したり、船首のカメラが映す前方の景色が24時間放映されていた。毎週欠かさず観る番組を船上で観ることはできなかった。それでも家のテレビには、2週間6局の番組が自動録画される装置がついている。帰宅して観れば良いと安心していた。実際帰宅して録画された番組を観ようとした。用心深く全ての電気機器のコンセントを抜いて出かけたので、留守の間の録画はなかった。私にとってテレビは、人間の姿、顔、声に接する数少ない残された場である。電源を切れば、どんなに賢い装置でも作動できない。今回のツアーに参加して普段忘れかけていたことを改めて思い出させてもらった。

 携帯電話もパソコンもテレビも空気のように当たり前に私の生活の中にある。便利で役に立つ。でも携帯電話もパソコンもテレビも無ければ無いで、結構やっていける。旅に出ると家の良さを感じる。以前アメリカと日本で仕事する友人が言った。日本を飛行機で飛び立つ時は、アメリカに戻っての生活への期待であふれ、飛行機がアメリカに到着間近になると日本での生活が恋しくなる。アメリカから日本へ向かうときもその反対の気持ちになると言った。旅に出ると私もそんな気持ちになる。

 私はもう若くはない。気持ちがあっても、体がいうことをきかなくなってきた。優柔不断で、いまだに迷いが多い。私の気持ちは、あっちへ行き、こっちに戻りと行ったり来たり。若さ故の、無謀で野心的な行動からは、解放された。だが好奇心は消えていない。食べ物も量より質にやたらとこだわるが、食欲は健在である。要するに私は意固地な頑固ジジイということだ。当面、携帯電話、パソコン、テレビに私が全面降伏しないよう頑固に戦い続けたい。課題は孤独を無理せずに受け入れられるようになることである。


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