団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

そりゃあ税金払ってる男でしょう

2013年07月31日 | Weblog

 やっと痛風発作もおさまりつつある。右足の親指付近を圧迫さえしなければ、風が吹いても普通に歩けるようになってきた。この10日間溜まった仕事を片付けようと気持ちも上向きだ。カレンダーに朱書きされた7月31日が支払い期限と金額が目に入る。いつもは役場支所に行って払う。今回はできるだけ近間で払えないか払い込み用紙の裏を見た。コンビニエンスストアでも払い込みできるとあった。「開いててよかった」の宣伝コピーがよみがえる。固定資産税の分納であっても銀行自動引き落としができればよいのだが、私の住む所では全納する場合しか認められていない。理由は解らない。

  7月12日兵庫県宝塚市役所の収税課で男が放火して5人にケガをさせ、1億5千万円の損害を与えた。逮捕された容疑者は63歳だった。その後の取調べで容疑者は固定資産税を滞納していて預金などを差し押さえられ腹を立てて犯行にいたったという。まだ確認されていないが、あの山口県周南市の限界集落で起こった5人を殺して2軒の民家に放火した容疑者も逃走中、市役所へ固定資産税に関して携帯電話で相談していたらしい。兵庫の事件も山口の事件も共に容疑者が63歳という年齢と固定資産税が絡んでいるとしたら、相関関係と真相を知りたいものだ。

  亡くなった政治評論家三宅久之さんは生前「愛妻、納税、墓参り」を提唱していた。私の母親は使用済みの封筒に支払うべき公共料金や税金を分けて期限のずいぶん前から準備していた。貧しい生活の中で真面目に国民の義務を果たそうとしていた。こういう真面目さ、几帳面さは父親にはみられなかった。来る年も来る年も同じことを母親は繰り返し歳をとってだんだん生活に余裕がでてきても続けた。私の性格の多くは父親と類似している。しかし少しはこの真面目な母親の影響を受けることができたようだ。使い古しの封筒にお金入れて準備をすることはないが、納税期限は守ろうとする気持は強い。

  東京で働く知人からこんな話を聞いた。結婚願望が強い見目麗しい同僚が既婚の年上の女性上司に相談した。長年付き合って同棲までしていた男性とついに別れたと告白した。男運がないとか、男を見分けられないと落ち込んでいた。ずいぶんその男に貢いだとも告白。女性上司は彼女に「そりゃあ税金納めている男でしょう。付き合う相手を見定める時、結婚を決心する時、相手がちゃんと税金を納めているかが決め手よ。額は多ければ多いほどいいけれど、とにかく真面目に払っていれば、まず間違いはないわよ。次はそういう男性を探しなさい」と忠告したそうだ。目の付け所が斬新だ。私はとても感心した。3高(学歴、収入、身長)とか外見、見た目ばかりを気にする傾向が強い現代、なかなかの指針である。

  真面目に税金を払う国民がいるからこそ、政治屋も官僚もあの手この手で税金を己の懐に掠め取ろうとする。税金を納めるのは国民の義務である。ならばその貴重な税金の使途明細を納税者に報告するのは徴集側の国家の義務だ。国民総背番号制によって悪質な脱税が減少するならいいのだが、真面目な納税者から更なる税金の徴収手段にされてはたまらない。

  税金、公共料金、住宅ローン。重圧に感じることが多い。そんな中、知人の女性上司の「そりゃあ税金納めている男でしょう」は私の気持を爽快に吹き抜けた。


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「党名を書いてください」

2013年07月29日 | Weblog

 参議院議員投票日、私はまだ痛風の発作だとも知らずに杖をついて痛い右足をかばいながら、まず選挙区の投票を済ました。妻と同時に別々な記名所に入った。私が投票用紙に書き終えて投票箱に向かって右足を引きずるようにゆっくり歩いていると妻の声が聞こえた。妻は比例投票の投票用紙の受付をしていた。その時、神妙に祈るような気持ちで私は投票用紙を狭い投票用紙差し入れ口に差し入れようとしていた。何回か試したがうまく差し込めない。やっと入った。「比例は候補者名か党名を書くのではないですか?」と妻。「そうですね。党名でも候補者名でも、どちらでもいいです」と高飛車な女性係員。私は妻から2人遅れて、女性係員の前に立った。投票用紙と引き換えに出す半券は手元にあった。女性は「党名を書いてください」と投票用紙を私に突き出した。私は「私が理解しているのは、今回から候補者名か党名を書くですが?」と質問をした。女性は妻の時以上に強い口調で「どちらでもいいです」と言い放った。周りにいた係員もまた監視する役目の町の有力者であろう鎮座する老人たちも押し黙るように知らん顔だった。

 私は決めていた候補者名を書き込んだ。私の後に並んでいた老人に女性係員は「党名を書いてください」と言うのを耳にしながら、足を引きずって杖で体を支えて普段の3,4倍の時間をかけて玄関に到達した。痛い足に靴を履かせるのは難しい。「うッ」と声をあげ靴ベラで右足を靴に一気に押し込んだ。顔に力が入った。しかめ面だったに違いない。男性係員が私を「この人大丈夫」といぶかるように正視した。「比例の券お出しいただいたでしょうか?」 「えッ」と私は足の痛みを忘れて答えた。渡そうと手に持っていたが、あの女性係員は券を要求しなかった。胸のポケットから引き換え券が出てきた。渡した。

 投票を終えた爽快感も達成感も今回の投票は、私にもたらさなかった。何故だろう。足の痛み?違う。女性係員の不可解な行動である。しかし「党名」と「候補者名」と「候補者名か党名のどちらか」と「党名か候補者名のどちらか」と言われるのでは結果が異なる可能性がある。そうでなくても有権者が高齢化している。もし投票所の係員が何かの意図を持って誘導しようとすればできないことではない。投票所にいる偉い係員に言われるままに従う年寄りはいる。

 家に戻ってもモヤモヤして気持ちが晴れない。妻が「選挙管理委員会に電話してみたら」と言う。電話することにした。若い女性が対応した。事情を説明した。口下手な私の説明に説得力がなかったかもしれないが、女性はただ「申し訳ございません」を繰り返した。それ以上何も進展解決納得できそうになかった。

 翌日当選結果を見た。私が比例で投票した候補者が最下位で当選していた。私が候補者名を書いたからだとニンマリしてみた。嬉しかった。個人的に何の関係もない。とにかく投票所であったことを報告しておけば何か対処してくれるかもと候補者の事務所に電話してみた。年配の女性に話した。当選してしまえばこんなものか、という対応だった。

 今回の参議院選挙で絶対に当選して欲しくなかった意中の二人が見事落選した。議員バッジを返上してただの人となった。せめてもの慰めであった。その一人はたった一期の任期中に鎌倉に大豪邸を建てた。有権者は愚か者ではない。

 それにしても選挙はもっと投票しやすい解りやすいものにならないのか。私は若者の投票率を上げるためにも、駅と学校で投票できるようにしたら良いと考えている。また小中高でも同時に選挙を模擬体験させて将来の選挙に備える訓練を積ませるのもいい。幻であって何の効力もないが選挙権がない若者がどのような結果を出すかは、政治屋たちの目を覚まさせるかもしれない。


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天塩のシジミ

2013年07月25日 | Weblog

  天塩から冷蔵宅急便でシジミが届いた日、「多摩川にシジミ、ざくざく」のテロップと共に、このところ東京の多摩川でシジミが増殖して人々が潮干狩りのように川辺でシジミ狩りを楽しんでいるとテレビのニュースが伝えた。

 私は子供の頃父親と田園地帯の小川でシジミを採って食べたのを憶えている。タニシも採った。フナや鯉も捕まえた。父親は下ごしらえや調理も教えてくれた。

 ロシアのサハリンに住んでいた時、休暇を取って船でコルサコフ港から稚内港へ渡った。稚内でレンタカーに乗り換え北海道を旅した。気の向くまま予約のない旅を楽しんだ。初夏とはいえ、肌寒い北海道の外観は、サハリンと似ていた。目を家、道路、店にある豊な商品、治安、人々の反応振る舞いに合わせると安心と信頼という確かな手ごたえが返ってきた。

 まだ珍しかった風力発電の巨大な風車が数十機海に向かって整然と並んでいた。鉛色の空の雲、それを映す海川の水は重かったが日本国内にいる実感は私たち夫婦の心を軽くした。やがて天塩という町に入った。天塩川が海と長い区間、平行して流れていた。見たことのない海と川の並列だった。町に入ると『シジミ祭り』のノボリがあちこちに建てられていた。シジミと北海道、この組み合わせは頭になかった。

 子供の頃、父親と田んぼの脇を勢いよく流れる小川に入ってザルでシジミをすくって採ったことを思い出した。両親は中学生になって肝臓を患った私にたくさんシジミの味噌汁を飲ませた。小さなシジミの身は一つも残さず箸で器用につまんで食べた。シジミの貝殻か身から出るのであろう独特の風味が好きになった。

 私たちが天塩を訪れたのは月曜日だった。お祭り会場へ行くと祭りは昨日の日曜日で終ったと後片付けしていた人に言われた。「祭りは終ったけれど、天塩の町のあちこちの食堂でシジミを食べられます」に元気百倍になり、町を巡った。駐車場がある何の変哲もない地味な『あいだ食堂』と書かれたノレンと昔ながらのガラスの引き戸のガラスの『シジミ有ります』の半紙の貼り紙のある店に決めた。シジミ丼とシジミの味噌汁のセットを注文した。客は私たち夫婦だけだった。娘さんと父親であろう二人で接客と調理を分担していた。湯気をあげるドンブリにたっぷりシジミの身だけを醤油とみりんと酒と砂糖で煮たものがのっていた。味噌汁をすすった。二人は言葉をさがせず、目だけで感想を伝えようと試みた。今までに口にしたことのない味、嗅いだことのない香り。美味しかった。天塩のシジミのファンになった。

 日本に帰国して9年、天塩のシジミを取り寄せようと天塩町の業者に注文を何回か出したが、そのたびに売れ切れだった。地元で消費され出荷できる量が少ないのだ。今年やっと手に入った。本当は天塩のシジミ祭りに行って現地でシジミをまた食べたい。私の健康状態ではそれも叶わない。高度に発達した宅急便制度のおかげで輸送が難しいシジミのようなデリケートな生ものでも温度管理され配達される。

 このところ痛風でほとんど歩けなかったが、昼食に手塩のシジミ・スパゲティをつくった。口に入った、鼻腔をくすぐった味と香りは、父とのシジミ採り、母親のシジミの味噌汁、サハリン、天塩の風景、あいだ食堂のノレン、シジミ丼という過去を時系列に見事に並べてみせた。


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風が吹いてもイタイ

2013年07月23日 | Weblog

  土曜日から右足の親指の付け根あたりが痛くて歩くのも困難になった。2,3週間前に買った新しい靴が足に合わないのだろうか。いや運動不足解消する思いで椅子を使っての運動の際、足指を思い切り拡げたり反らしたりした時、ねじってしまったのがいけなかったのか。4,5年前にも新しい靴で同じ事が起こったが、1週間で直った。

  日曜日妻と6時40分に参議院選挙のために家を投票所にイタイ足でアクセルとブレーキを踏み車で向かった。投票所は急坂の途中にある集会所だ。アルファベットの文字Zのような切り替えしのある急坂の先にある駐車場に車を停めた。杖をついて投票を済ませた。

  家に戻った。友人から電話があった。友人は普段東京に住んでいる。私の住む町のマンションにも部屋を持っている。住民票をこちらに置いているので選挙のたびにわざわざ夫婦でやって来る。しばらく会っていなかった。私は昼食に誘った。とにかく彼に選挙のこと、経済のこと、日本の現状について将来について聞きたかった。友人は博識で読書量が半端でない。自分の意見をしっかり持っている。私の質問にとことん付き合って解り易く解説してくれる。私は彼ら夫妻との会話は何冊もの書籍や何回もの有意義で役に立つ講義に匹敵すると感謝している。

 
適菜収の本にB層とC層の人間分類が出ていた。友人夫妻と私の妻はC層だ。ヒガミっぽい私でもB層であることに腹が立たない。適菜収が本当に言いたいのであろう「素人がこの国の政治経済宗教テレビマスコミに入り込みすぎている」という意見に私も賛成する。ニセモノが多く、本物の専門家といえる人が少ない。終えた参議院選挙にだって何と多くの政治の素人が当選したことか。ほとんどが私と同じB層なのだから失望する。

  (注:適菜収に『日本を救うC層の研究』(講談社 1300円)と『日本をダメにしたB層の研究』(講談社 1365円)。その中で著者は人間にはA層,B層,C層、D層という4つの層があるという。A層:財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(TV)都市部ホワイトカラー。 B層:小泉内閣支持基盤、主婦層&若年層が中心、シルバー層。C層:構造改革抵抗守旧派。D層:既に(失業等の痛みにより)構造改革に恐怖を覚えている層。A層とC層はIQが上に行くほど高くなる座標にB層とD層はIQが下に行くほど低い座標に位置する。A層とB層は右に行けば行くほど構造改革に肯定的)

  そんな友人夫妻を歓迎するためについ気張った。翌朝立ち上がることができなかった。これでは車も運転できない。妻は「今日、必ず整形外科に行って」と言い残して、歩いてバス停まで行ってバスで出勤した。病気や怪我は日常生活を変える。申し訳ない。

  タクシーを電話で呼んで病院へ行った。呼び出し料100円を加えた790円の近距離だった。大きな病院で整形外科の医師が4人もいる。待合室には数人しかいなかった。結局2時間待った。いつも通院する東京の病院は完全予約制で時間に厳格なので待つことがなかった。長い待ち時間を人間観察していた。

  第2診療室に呼ばれた。医師は40代の男性だった。ヒゲをたくわえたがっしりした人だった。私の足を診るなり「痛風でしょう。風が吹いても痛いという・・」また一つ持病が増えるのか。痛風は想定外だった。レントゲン、血液検査の後、痛風と確定された。病院到着から4時間後の12時に家に戻った。落ち込みが激しかった。ラジオを上の空で聴きながらずっとベッドに横たわっていた。


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誕生日の決意

2013年07月19日 | Weblog

  「コン♪~コン♪~」質の良い木材でできているドアを快活な客人がノックしているようだった。ノックが数十秒続いた。(ドアに出て開けてあげなくては)と思った瞬間「ダッダッダッダッダッダッ」と削岩機かボルト自動締機のような音になった。私は核磁気共鳴画像法機(MRI)のトンネルのような機械の中に頭を固定されて横たわっていた。

 7月18日66歳の誕生日だった。別にわざわざ誕生日に脳の検査を受けたわけではない。たまたまこの検査がこの日にしか予約が取れなかっただけだ。11日に大腸検査を受けたばかりである。東京は32度、猛暑日ではなかったが、湿気が高く熱中症を警戒した。あまり家から出ない私は、とにかく人混みに疲れる。

 大腸検査と違い脳の検査は、注射も2リットル以上の変な液体を飲むことなく機械にただ横たわっていれば終る。

 4時20分に脳神経外科のO先生の診察室に入った。私はO先生を信頼している。先生は率直に正直に私の質問に解り易く答えてくれる。二人の前にあるパソコンのモニターに終ったばかりの私の脳の断面図が4つ映し出されている。先生は指を直接モニターの画面に押し付けてある白い部分を指し示す。「ここが2004年の検査で見つかった脳梗塞で、こちらが今回見つかった新しい脳梗塞です。場所は幸い不随や視覚聴覚味覚、言語、記憶に直接影響を与える場所ではなかったです」「これは脳の血管だけの画像です」 その画像は中学の理科か高校の生物の教科書で見た落花生の根の根粒の写真のようだった。根粒が光を放っているように白く浮き出ていた。一つや二つではないあっちにもこっちにもある。2004年の画像と並べて「血管の狭窄が進んでいますね。こちらが若い男性の画像です」キレイな守口大根のように太さが均一ではつらつとしてツヤツヤしているほれぼれするような血管だった。それと比べると私の血管は凸凹でその上根粒のようなコブだらけである。

 先生に尋ねた。「先生、長生きする人の血管ってキレイですか?」「はい」その短い「はい」の答えに私は納得いった。多くの説明を受けたが、この「はい」が私の求めていた答えだった。

 診察を終えて会計6千円あまりを支払った。勤務を終えて帰宅する妻と東京駅で落ち合った。二人並んで新幹線の二人掛けの席に座った。いつもなら大好きな新幹線車両の力強い推進力を楽しめるのに何だか素直にスピードにのれなかった。新横浜を過ぎると雲が増えた西の空の夕焼けがきれいだった。夕焼けを見ながら決意した。去年尊敬する『gooブログ:新山の恵み 里の恵み』先生が年賀状を今年から辞めると宣言された。何の説明もなかったが私はターザン映画の象が滝の奥の穴をくぐりぬける姿を想った。私にもその時期がやってきた。私を訪ねてくれる人々との付き合いはしても、こちらから出掛けたり仕掛けることはお仕舞いにする。まだやっておかなければならない事が6つある。一つでも余計にそれを達成する。妻との生活をこれまでどうり、「いつもニコニコ現金払い、仲良く、楽しく、美味しく」続ける。

 帰宅して大急ぎで用意した簡単な夕食を囲んで誕生日を祝った。寝る前に二人で長く話した。私は言った。「離婚して君と結婚して・・」 私の決意をしっかり伝えた。


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ハンタ~イ、商業フライトによる離着陸訓練

2013年07月17日 | Weblog

  デフレ傾向の世の中は、どこの企業にも合理化合理化といってあらゆる経費の削減を求める。アメリカのサンフランシスコ空港で着陸に失敗した韓国アシアナ航空機で操縦棹を握っていたのは、訓練中の副機長だった。原因はまだ究明確定されていないが、機長昇進への機種特定飛行時間稼ぎと訓練を兼ねた操縦であったことは明らかである。運転免許を取ろうとしている受講者が路上運転練習で助手席の自動車運転教習所の指導官の足元にもブレーキがついている車で練習するのとは訳が違う。なのに同じようなことがまかり通っているなら問題である。教習所の車に客は乗っていない。

 ネパールに住んでいた時、地元英字新聞『ライジング・ネパール』の編集者への手紙欄に興味深い記事が載っていた。要約するとある航空会社の機長が自分の息子を操縦席に乗せてずっとパイロットとしての訓練を積んでいるという告発である。これはネパールだけではない。セネガルでは父親に訓練されてパイロットになった息子がドイツ人観光客を乗せた機を墜落させた。先進国では厳格な免許制がしかれ、1年毎の健康診断など多くの適正と資格をチェックされ免許が更新される。パイロットは国によって質も技量も異なる。韓国のパイロットは空軍出身者が多くの質も技量も優秀と言われている。発展途上国でもパイロットはエリート中のエリートであり高嶺の花のあこがれの職業である。訓練学校があるわけでもない。日本のように航空自衛隊でパイロットの訓練を受けられることもない。ではどうするかといえば、世襲するしかない。親が子をパイロットにするのである。発展途上国なら致し方ないことかもしれない。世襲パイロットが必ずしも腕の悪いパイロットとはいえないだろう。しかし私はそんなパイロットが操縦する商業フライトに搭乗するのはゴメンこうむりたい。

 現代社会は“下積み”や“基本訓練”を嫌い端折る傾向にある。民放テレビとラジオなどのマスコミ界にもパイロット訓練と同じような方式がある。新人アナウンサーがベテランアナウンサーやタレントと組んでいきなり番組に出てくる。話すこと喋ることに芸も才能もない新人が番組を劣化させている。視聴者は観たくもない聴きたくもない下手なアナウンサーに付き合わされる。訓練商業フライトには料金を払った乗客が搭乗している。テレビやラジオには番組を提供するスポンサーがいる。商売をしながら同時に社員に訓練を施すのは、企業のエゴではないか。たとえれば入場料をとって晴の舞台で役者が稽古するようなもので、観客を馬鹿にしている行為である。しかし日本人は新人や初心者にどこまでも優しい。企業は人々の優しさを逆手にとって訓練や練習の経費を乗客や視聴者に負わせる。航空会社や民放テレビ、ラジオは、自前で“下積み”や“場数を踏む”訓練期間を修了させ一人前に養成してから世に送り出すべきである。

 では乗客はどうすればよいのか。私はかつて飛行機搭乗恐怖症だった。私を救ったのは、飛行機に乗って事故に遭う確率論を知ったことだった。アメリカの文献:航空機に乗って死亡事故に遭う確率は0.0009%。アメリカの国内に限れば0.000034%。アメリカ国内の自動車事故で死亡する確率は0.03%。飛行機事故のそれは33分の1以下。8200年間毎日無作為に選んで飛行機に乗り続けて1度事故に遭うか遭わないかの確立である。私はこの確率の成功部分を自分に当てはめる。運を天にまかせ、無事着陸して地面に自分の足で立つたび、もう2度と飛行機に乗らないで済まそうと誓う。


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山桃

2013年07月11日 | Weblog

  妻を駅に送る道すがら気になる光景があった。鉄製の枠で車道と分けた幅1メートルくらいの歩道に無数の赤黒い直径2,3センチの実がびっしり落ちている。妻に「これって山桃かな?」と言うと「そうだよ。チュニジアでたくさん食べたよね」と答えた。山桃としたら大発見である。

 思い立ったら吉日。カメラを持って現場に行くことにした。暑い日が続いている。日陰を見つけ、なるべく直射日光を避けながら歩いた。道路にまで山桃は散らばり、その多くが車に押しつぶされていた。その所為かあたり一面甘酸っぱい山桃のニオイが立ち込めていた。庭の奥にに立派な住宅があった。山桃の木の高さ約5メートルで幹は直径30センチぐらいである。植木で庭は埋め尽くされていた。どの植木も手入れが行き届いている。

  山桃の背後で物音がした。よく見ると80歳くらいの腰が曲がった女性が箒で落ちた山桃を片付けていた。「こんにちは。これ山桃ですよね?」と声をかけた。「ああ、そうだよ。毎日ごっそり落ちて大変だ。少しは焼酎に漬けたりするけれどとても採りきれない」 私は心に思っていたことと違うことを口にした。「写真撮ってもかまいませんか?」「ああ、どうぞご自由に」そう言い残して女性は5メートルほど奥の玄関に向かった。

  本当は「山桃、少し頂いてもいいでしょうか?」と私は尋ねたかった。小心者でエエカッコシイは、山桃をただ収穫することもなく腐らせてしまうのはモッタイナイと解っていても、他人さまのモノをむやみに欲しがってはいけない、と勝手に決め付けている。山桃のジャムもゼリーも美味しい。この辺の果物屋にも山桃は並ばない。

  自責感と手に入れることができなかった無念さが疼いた。持ち主に黙って採れば泥棒である。「下さい」と言えないが、「上げるから好きなだけとって行って」と見ず知らずの持ち主が言ってくれるのを期待する理不尽さは持ち合わせる。金を払って買うことだってできたかも知れない。持てる者と持たざる者の間には先入観と遠慮と誤解が横たわる。忸怩たる思いに沈む。そんな気持ちを振り払おうとカメラのシャッターを押した。

  家に帰ってインターネットで“山桃”を検索してみた。九州には山桃を専門に栽培する果樹園もあって通信販売で300グラム1200円~2250円で売っていた。チュニジアでは山間部の子供たちが1キロ以上入った山桃を200円ぐらいで売っていた。もちろん日本の山桃は品種改良されているだろうけれど、商売になっているようだ。

 昨日、木からほとんどの山桃は落ちてしまっていた。落下した山桃もキレイに片づけられていた。モッタイナイことをした。来年は財布を持って「譲っていただけますか?」と思い切って声がかけてみよう。


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解体ショー

2013年07月09日 | Weblog

  黒光りする大きなマグロがまな板の上に置かれた。白衣の鮨職人が手際よく大きな包丁でマグロを捌いていく。回転鮨店での催しだった。何も知らずに入った横浜のショッピングセンター内にあった鮨店で偶然出くわした。テレビで観たことはあるが実際に観たのは初めてだった。

 『マグロ解体ショー』 店にいた百人をくだらない客は大喜びだった。切り分けられた大トロなど希少部位のジャンケンでの安売り争奪戦は大盛況だった。私は食事療法中なので稲荷ずしとカッパ巻きしか食べられない。口に指をくわえて見ているしかなかった。

 日本人は魚好きである。刺身という特別な食し方を確立普及させた。英語で刺身はraw fish (未調理の魚)という。いまでこそsushi、sashimiと日本を代表する世界的な食べ物として受け入れられたが、以前は魚を熱で調理しない野蛮な食べ方というのが海外での風評だった。魚の刺身が日本で普及し現在の地位を築けたのは、何といっても調理人の腕と衛生観念、包丁の優秀さ、質の良いまな板、豊富で衛生的な水のおかげである。近頃の世界的な鮨ブームで条件を充たさない地域でのとても鮨職人と呼べない調理人たちによる鮨の提供に私は懸念を持つ。

 マグロの解体ショーを見ていて2月24日にTBSで放送された『情熱大陸』を思い出した。福岡県の高校の食品流通科で行われている『命の授業』が紹介された。生徒たちがニワトリを受精卵から育て授業で解体して調理して食べる。この授業が文部科学大臣奨励賞を受賞した。ところが批判も大きかった。残酷だと学校テレビ局に意見が寄せられた。現代の日本の世情をよく表している。肉は好きだがその動物を殺して食料用に解体するのは残酷だというのだ。日本人の食欲は西洋人並みで心情的には殺生を禁じるヒンズー教徒のベジタリアンが混合しているようだ。

 私が学んだカナダの高校はキリスト教宣教師を世界に派遣する養成学校の付属高校である。家庭科の授業で生きたニワトリをどう殺し、血を抜き、熱湯に漬け毛をむしり、内臓を出し、食用部分とそうでないモノの選別、調理までを教えた。18人の受講生の誰一人“残酷”とも“気持ち悪い”とも言わず、たんたんと普通の授業のように真剣に学んでいた。それはマグロ解体ショーの回転寿司店にいた客と同じ反応のようだった。

 これから地球の人口はますます増え、食料不足は深刻な問題になる。店で買えば事足りえる時代がずっと続くとは思えない。食料獲得紛争や生存競争が始まったとき、授業で解体を習った生徒と気分を悪くして“残酷”と言う生徒、どちらが生き残れるか。そんなことを考えながら2皿目のカッパ巻きを回転するベルトから取って手元に置いた。


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受診

2013年07月05日 | Weblog

  4日受診のため東京の病院へ出かけた。数週間前に今まで経験したことのない“めまい”に見舞われた。救急車でどこかの病院へ運んでもらう以外、即受診とはいかない。ましてやかかりつけの医師の受診となると予約を取らなければならない。あの“めまい”からすでに半月が過ぎた。あれほど大きな“めまい”はないが余震のような“めまい”がずっと続いている。

 3科の受診となった。10時から循環器内科、11時15分から消化器内科。午後1時30分から脳神経外科だった。一つの病院内で3科の受診できるのは便利だが、体力的にも精神的にも負担が大きい。

  循環器内科でホルター(24時間心電図記録器)をつけた。胸に電極を6ヶ所ペタンと貼り付けた。計器は初期のカセットテープのウォークマンぐらいの大きさだ。そこから細い電線が12本出ている。心臓バイパス手術を受けた後、しばらく体内から体液を排出する管を埋め込まれた。他にも電線、管が体中に付けられていた。ホルターをつけると、もう12年前になる手術を思い出す。私は体に何かをつけるのを好まない。医学と医療器具は進歩を止めない。ホルターの電極の体への接着面は以前はすぐ取れてしまって不愉快だった。今のはしっかり接着して引き剥がすのも大変なほどだ。ホルターは私でも知らない心臓の鼓動状況を24時間連続で記録する。

  待ち時間に新潮新書『衆愚の病理』里見清一著740円を読んだ。なかなか面白い本である。著者は呼吸器内科の医師だ。病院の待合室で読むのに適していた。時間を忘れて引きこまれた。医師の側から患者を観察している。医師と患者の関係を小気味よく表現している。また医学と政治、経済、落語をも絡めてズバズバっと著者の感じるままに歯切れよく書いている。一日に3科も受診するので、各科の医師を患者の側から観察できそうだ。本のおかげで待ち時間は楽しくなった。

  しかし脳神経外科の診察室で、私は、そんなお気楽気分を捨てた。2009年に撮ったMRIの私の脳の輪切りの映像の一部を医師が指差しながら「ここは小さな脳梗塞・・・」と言った。確か2009年MRIの検査の後の医師の説明に「脳梗塞」の言葉はなかった。(私の脳に梗塞があったんだ) ショックだった。医師は続ける。「この血管を見て下さい。これは糖尿病による影響です。脳梗塞を予防するには糖尿病のコントロールしかありません」 枯れたサンゴのように上に向かって拡がる血管のあちこちにたくさんの白いコブがあった。

  ショックを受けたが、反面期待も浮き上がった。私は死ぬならピンピンコロリがいいと思っている。狭心症も脳梗塞も一発で死ぬことができる。待合室で読んでいた『衆愚の病理』のおかげもあった。会計を済ませて、駅への途中、薬局でたくさんの薬を処方してもらった。帰路、大好きなデパ地下でたくさんの食べ物を見たが、気がそぞろで野菜だけ買った。家に帰ると大阪の友人から“水ナス”が届いていた。

  MRI,大腸スコープ、心臓検査とこれからの1ヶ月続く。水ナスの旨さが心に沁みた。


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「日本のテレビっておかしいんじゃない」

2013年07月03日 | Weblog

  お昼に蕎麦を食べようと行きつけの店に入った。混んでいた。でもこの店の若主人は毎日一生懸命蕎麦を自分の手でこね、のしてつくっている。信頼できるし旨い。待つことはかまわない。店員が「相席でもよろしいですか」と私に尋ねた。「はい」と答えた。6人席に座っていた4人連れの女性客に「相席でお願いします」と言い、私の座るべき所にお茶と簡易手拭を置いた。4人にチラっと点検を受けたがベンチのすみっこに座った。どこの食堂でもひとり客は歓迎されない。身を縮めて目も耳も体も動かさないようにしていた。いつもの“かけ蕎麦”を注文した。

 「明日は大変だ。ダラスで乗り換えて家に着くのは・・・」 聴いてはいけないと思っていたが、“ダラス”に脳が反応してしまった。(ダラスってアメリカのテキサス州のあのダラス)「こんなおいしい蕎麦もしばらく食べられないわ」50歳ぐらいの女性が話し続ける。彼女は仕事か家族の関係でアメリカに住んでいるらしい。「でもアメリカに戻るのが嬉しい気もするの。とにかく日本のテレビっておかしいんじゃない。テレビを観るたびに腹が立ってしかたがない」 先日ラーメン屋に並んでいてジャガランタ事件を思い出した。でも私は彼女の“日本のテレビっておかしいんじゃない”に賛成である。黙ってご意見を拝聴させてもらうことにした。

 彼女の話を要約すると次のようになる。1.コマーシャルがおかしい:リーブ21とパチンコと生理ナプキンと紙オムツと子供のお遊戯みたいな踊りばかり。2.ニュース番組に出てくる若いだけでちゃんと喋ることができない女子アナウンサーとお天気お姉さん。3.どこのテレビを観ても同じような番組で出てくる人が同じでひな壇みたいなところに大勢並んでいる保育園や学校の学芸会みたいだ。出演者も変な人ばかり。4.コマーシャルの回数が多い。5.観ている人が馬鹿と決め付けているのか、コマーシャルで本番組を切って、コマーシャルが終わると観た部分をずいぶん戻って繰り返す。

 まだまだ彼女の独演会は続いた。値段の張る上天ぷら蕎麦を口にしながら、喋ることを中断することもない。喋りながら食べるのが上手い。私にはできないことだ。私は彼女の意見に大方賛成できる。普段、私と妻がテレビにたいして不満に思っていることと似ている。私たちはテレビでニュースと動物生態などのドキュメントや旅番組などしか観ない。ほとんどレンタルDVDで映画かドラマを観る。

  彼女のアメリカのテレビ番組の解説が終るとそれまで黙って聴いていた仲間の女性のひとりが「アメリカのテレビってつまらなそう。それに英語でしょう。私は毎日、朝から晩までテレビを楽しんでいるわ。韓国ドラマも大好き。テレビは私の体の一部みたい。たくさん好きな番組あるし、アメリカにそういう番組がないのならアメリカなんかに住みたくない」 他の2人も首を縦に振った。それに反応した明日アメリカに帰るという女性の顔に浮かんだ表情が印象的だった。おそらく同じテーブルの端っこで、いつもならあっという間に食べ終わる蕎麦を時間稼ぎに数本づつすすっていた私の顔もアメリカに帰る女性と変わらぬ表情だったと思う。


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