団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

入れ歯、それともインプラント

2018年04月26日 | Weblog

 昨日歯科医院へ行った。最近上の前歯の数本に違和感がある。私は歯のケアに熱心に取り組んでいる。何とか80-20を実現しようと、できることは何でもしようの意気ごみがある。毎晩、20分くらい歯磨きをする。歯間ブラシS・M・Lサイズの3本、フロス、歯ブラシ2種類を使い分ける。

ああ、それなのに。私が一番恐れていた「入れ歯」という言葉が、担当歯科医の口から出た。ショックだった。でも歯肉炎の進行が進めば、歯を失うばかりでなく、顎の骨にも影響が及ぶ。歯科医は今後の治療方針を診察台のテレビモニターに映像を映しながら説明した。インプラントはできないことはないが、土台になる顎の骨がボルト挿入不可の恐れ。ブリッジは支えになる両側の2本の歯の耐久性に難。差し歯はできない。上の歯14本全てを切断研磨してその上に連結した義歯をかぶせる。しかしこれには難点がある。もしそのうちの1本の歯に何か問題が生じたら、14本連結の義歯を全て外し治療せざるを得ない。治療後ふたたび義歯を製作する。時間、経費も相当かかる。入れ歯はワイヤーで固定させる。私は体内に異物があると気になって不快になる。入れ歯を恐れるのは、その異物感に耐えられるかどうかである。入れ歯が合わず苦しんだのは、両親をはじめ多数知っている。

追い打ちをかけるように「いずれにしても噛む力は自分の歯の10分の1になります」ときた。これがボクシングでダウンを奪う強烈なボディブローのように効いて、私の気持ちをなえさせた。

かつて團伊玖磨が歯科医に勧められ、50代で入れ歯にした。なぜなら歳を取ってから入れ歯にすると問題が多いので、間に合ううちにしっかりした不具合のない入れ歯にしようと思ったという。上下の顎の骨を削り入れ歯を固定させる土台からの治療だった。大変な治療だったと書いていた。その話を私の担当歯科医にした。「もうそれはできません」と歯科医はきっぱりと言った。そう私は去年古稀を迎えた。

 先日、外国人観光客が5,6人で日本を話題に電車の中で会話が盛り上がっていた。「日本人は英語がわからない」と言いたい放題。その中で「多くの日本人の歯の色が汚く、歯並びが悪い」が私の胸をえぐった。よほど彼らの所へ割り込んで、「いいかげんにしなさい」と言いたかったが歯を見られたくなくて思いとどまった。私の歯の色も歯並びも悪い。カナダ留学時も歯は私の劣等感のみなもとだった。カナダの学校の寮にいた生徒たちの歯のケアは、日本では考えられないくらい手が込んでいた。フロス糸での歯のケアを始めて見た。糸で歯磨き、と開いた口がふさがらなかった。まだ奴隷制度があったころ、奴隷の値段は歯の状態で決まったと教えられた。美人コンテストでも歯並び、歯の白さは評価の重要ポイントだそうだ。

 世界各地で歯の治療を受けた。ネパール、セネガル、チュニジア、サハリンでは歯の治療は受けなかった、受けられなかったと言った方が良いか。私の口の中は、国際歯の治療その後博覧会である。

①     ユーゴスラビア ベオグラードの歯医者 差し歯 閑静な住宅街にあったとても上手で好感が持てる研究熱心な医師だった。

②     オーストリア ウイーンの歯医者 虫歯 古い町並みのビルのこんなところに歯医者さんといった不思議な医院。ちょっと上から目線が気になった。

③     カナダ エドモントンの歯医者 親知らずの抜歯 学費寮費3年分の高額医療だった。日本に帰国して抜けば数千円で済んだはず。いまでも後悔。親に謝りたい。


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後片付け

2018年04月24日 | Weblog

 先週の週末は3回宴を持った。そのうちの一回は私の大好きなお呼ばれだった。宴などと気取った言い方をするだが、友人を招いたり、招かれて、食事を共にするのを私はそう呼ぶ。単調な生活の中で、気の合う友人との共に時間を過ごすのは、至福の時間となる。また会っている時間だけでなく、前と後の作業にも楽しみがある。

①     献立、食材確保、調理、食器選び、ワイン選び

②     宴

③     後片付け

①      私が家に人を招いて食事をするなどと言うことをできるようになったのは、妻の海外赴任に同行してからだ。仕事を辞めて、妻の配偶者としての身分だった。時間があった。だから現地の人、妻の職場の同僚、在留邦人、他国から赴任していた人たちを招いた。赴任地のどこでもその土地独特の食材がある。もともと私は海外旅行で動物園と市場を回るのが好きだった。役に立ったのは、カナダへ留学していた時、学校の食堂で一日2時間奉仕活動として働いた経験である。また週末、学校近郊から寮に入っていた同級生の一時帰宅に招待されることも多かった。私が珍しい日本人ということで、招かれた家庭で日本の食べ物(鮨やすき焼き)を作ってくれと頼まれた。だんだん腕をあげた。料理に興味がわき、日本からレシピ本を送ってもらい勉強もした。日本の食材は、近くの大都市の日系移民の店で買うことができた。

 食べてもらう人達が決まったら、その人たちに喜んでもらえる献立を考える。食材を調達する。手に入るか否かで献立は、コロコロ変わった。妻の海外赴任中、6か国で暮らした。設宴は、ほぼ毎週数回あった。招いた人々に喜んでもらえるよう無い頭をフル回転させた。喜んでもらえると嬉しかった。ほめられると天狗になった。そしてますます努力した。①に費やす時間は、2日から2週間である。

②      宴で一番楽しいのは、客からいろいろな情報が集まることである。特に食材に関するものは、その地での買い物に役に立った。食べている時、人の口は軽くなる。私は聞き上手になった。日本語だけでなく英語を話す客も多かった。カナダで学んでいた時と同じくらい英語を使えた。言葉は使わないと、すぐにさび付く。招いた客に私の料理を喜んでもらえれば面白い話を更にたくさん聞ける。料理の腕以上に聞き上手になった。宴は3時間から5時間続く。

③      正直、後片付けは大変である。客が帰った後の静けさが気をふさぐ。汚れた食器の山にため息をつく。でもカナダの学校で2千人分の食器洗いをした。それと比べると「なんのこれしき」と思える。海外ではお手伝いさんを雇えた。それでもなるべく妻と二人で夜中まで片づけた。日本に帰国してからは、常に妻と二人だけである。でも食器の山を妻と酔った二人で片づけ終わった時は、まるで高い山の頂に上ったような達成感を味わう。私は皿を洗いながらその上にのせた私の料理のできと客の反応を反芻する。きれいに片付いた後、もう次の宴を模索し始める。


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オンナの一番嫌いなこと

2018年04月20日 | Weblog

 「酒は独酌を第一等とすべきである。私は宴会やパーティーでは、せいぜいビール一本ぐらいしか飲まない。これはつきあいである。次に嫌な奴とは絶対に飲まない。心を許した友、心をまかせた先輩と少人数、せいぜい二~三人で飲むのを第二等としている。酒席で、人の噂と専門の話と、己れに関する告白はしない。酒席に侍るオンナの嫌がることは絶対しない(オンナのいちばん嫌がることはオンナのカラダにさわることである)。酒席における限り、私は“さわらずのケンキチさん”で通っている」 楠本憲吉著『美味求心』 (総合労働研究所 昭和56年発行 780円) 93ページ

 私の手元にある楠本憲吉の『美味求心』は、ボロボロだ。それに青紫赤白のポストイットがニョキニョキ無造作に飛び出している。神田の古本屋で見つけた。妻の海外赴任で13年間同行した。日本への帰国休暇は2年に一回あった。帰国するたびに神田の古本屋街で本を漁るのが楽しみだった。東急ハンズ、築地市場、デパ地下、温泉とともに帰国休暇の必須なさねば行かねば案件だった。海外赴任で私は主夫に転身した。料理に開眼、というより働く妻を助けるためだった。そうすることで配偶者手当も支給された。料理することが好きになった。現地の知人友人、邦人、外国からの現地駐在者、とその家族、連日家でおもてなし食事会が続いた。食材の調達は困難だったが、工夫して献立を考えた。転勤でつごう6か国で暮らした。『美味求心』は私に料理の心得とコツを伝授してくれた。

 『美味求心』は、料理の事だけにとどまらず、冒頭に引用したようなことも書かれている。それを読みながら私は自分の父を思い出した。父は毎晩晩酌で日本酒一合燗をして一人で飲んだ。外へ飲みに行くことはなかった。貧乏だったかもしれないが、子どものためには、金を使った。父と母はよく夫婦喧嘩をした。しかし一回として女性問題での喧嘩はなかった。噂も話も聞いたことがない。一番多かったのは子育てに関する意見の相違だった。父はギャンブルも外へ飲みに行くこともなかった。酔った姿を見たこともない。短気でちゃぶ台返しを幾度か見た。私が一度も父親の女性問題を見聞きせずに育った。それなのに私は最初の結婚に失敗して二人の子どもを引き取った。男女問題の果ての離婚だった。私は自分の二人の子どもにどれだけ酷い経験をさせたかを思うと自分が嫌になる。今回の財務省トップのセクハラ事件にしても、もし彼に子どもがいたら、と子どもたちの心境を察してしまう。性教育のことが議論されるが、学校で教えられることではない。子どもは親の生活を見て育つ。私は父を聖人君子とは思わない。しかし私にセックスに関して一つとして否定的な影響を与えなかったことに感謝する。

 楠本憲吉の『美味求心』の中に書かれていたことで役立てていることがある。

①     五味:春の苦み、夏の酸味、秋の滋味、冬の甘味、四季の辛味

②     五法:煮る、焼く、蒸す、揚げる、ナマ

③     五色:白、黒、黄、青、赤

 再婚してのち私は少し父に近づけた。そして父以上にできていることがある。それは妻を大切にしていることである。妻に喜んでもらえるよう毎日五味、五法、五色を考えて食材を求め、調理している。妻は私の料理とハグとチュウが大好きである。


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気持ちいいこと

2018年04月18日 | Weblog

    自分の年齢が70歳を超えたと信じまいとする抵抗勢力が心で暴れている。どんなに抵抗しようが、順調に歳を取ってきた兆候のあれこれを認めないわけにはいかない。最近、政治屋さんやお役人さんの不倫がまるで芸能界のそれのように話題になる。まだ若かった頃、正直羨ましいと思った。女性にもてたい気持ちも強かった。テストステロンが私の体内で暴走するのを御しがたいこともあった。今は違う。不倫報道のたびに皆さんお元気ですなー、と感心しきりである。

東大法学部を出て財務省に入ってトップまで上りつめて、女性のいる飲み屋で「言葉遊び」を楽しみセクハラだと疑われているお役人。東大を出て国会議員になりダブル不倫をして夫も子供もいる女性が再選されると不倫を疑われた相手男性を自分の政策顧問にした。東大を出たからと言って決して聖人紳士淑女ではない。ただ頭が良いのならもう少し違った生き方ができないのか、と思ってしまう。私の保育園、小学校、中学校、高校ずっと一緒だった秀才は東大の工学部に入学した後、厳しい親から離れた解放感から異性に夢中になり学業に手がつかなくなった。中学生の時、彼は作文に建築家になって日本中に橋やトンネルを造ると夢を書いた。結局大学を中退してしまった。同年代には田舎から東京に出て下宿していて、親に内緒で同棲した者が多い。若気の至りと言えばそうなのだろう。しかし今問題になっているお役人でも政治屋さんでも結構な年齢である。その恋心とテストステロンの強さの持続力に驚嘆する。昨夜のニュースでは、新潟県知事が女性問題で辞任か、と伝えた。またかい、と私は舌打ち。私はと言えば、不倫や性的犯罪のニュースを冷たい視線で見ている。60歳代70歳代80歳代でも女性を襲ったり痴漢をして逮捕されたと聞くと、いったいどういう人たちがこんなことできるのかと別世界の出来事に思えてしまう。秀才も私のような凡人も、人間として大した違いはないようだ。そんな凡人は、気持ちいいことを誰にも迷惑をかけずに楽しんでいる。

①     うたた寝

 

②     晴れた日の散歩

 

③     大きな声で笑うこと

 ①  夜十分寝ていてもソファに座ってテレビを観たり、読書をしていると、ついウトウトしてしまう。このウトウトが気持ちよいのである。大リーグで活躍している大谷翔平選手は寝るのが大好きだという。私も寝るのが好きだ。ウトウトの世界はベッドのぐっすりより気持ちよい。

②      天候不順が続いている。冬は寒かった。やっと春になりソメイヨシノが咲き、八重桜も花びらをすっかり散らせた。晴れて陽が射してくると、いたたまれなくなって散歩に出る。山は萌え、道端の雑草も元気よく成長している。川の中の水草も緑濃く生える。とても気持ちいい。妻と友人以外との接触が億劫に思う。半面、動植物自然への同化願望は強まった。天候が悪い日、家の中に一人でいると明日は散歩に出られるかもしれないが、私を喜ばせる。

③      自分でも頭や精神が変になってきたのではないかと思うほど、大きな声で笑う。笑うと気持ちいい。妻は時々、笑う私を「この人大丈夫?」の顏でのぞき込む。大丈夫だよ。嫌なニュースが続くけれど、私はカラ笑いして自分を元気づけている。

 私は小心者のくせに、野心とエエカッコシイに振り回された。やっとその勢いが沈静化した。過去は恥ずかしいことばかり。大声で笑って反省しつつ過去をごまかす。


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忖度とfavor

2018年04月16日 | Weblog

 森友加計問題のキーワード

①     favor

②     guess

③     friendliness

①     ② ③ 最近「忖度」とよく見聞きする。忖度という言葉を私は使ったことがなかった。難しい言葉である.難しい言葉はどうするか。辞書をひく。辞書が好きだ。どんな難しい言葉もわかりやすく意味を教えてくれる。そのせいかクロスワードやパズルをやるようになった。もちろんボケ防止のためでもある。例えばカギとして「機に応じて頭や体をすばやく適切に働かせること」が与えられる。答えは「機敏」である。いうなれば辞書の解説からある言葉を見つける遊びだ。私は学生が英語を学ぶ時、英英辞書それもアメリカや英国で子供が使う辞書を読むことを勧める。完読できれば、きっと自信がつくはずである。教科書より英語を深く学べる。

  忖度は英語でconjecture。英英辞書でconjectureをひくとa guess(私の訳:ああじゃないか、こうじゃないかと推測すること)とある。忖度を日本語の辞書で引くと、「他人の心をおしはかること。また、おしはかって相手に配慮すること」とある。配慮される側の人は、べつにそうしてもらうことを依頼してはいないことになる。首相と役人の関係でいえば、役人が勝手に首相の気持ちを察してあることをなす。首相側から役人に何か私的なことを頼めば、英語ではDo you do me a favor?(私の訳:悪いけどさ、こうしてくれない)ではないだろうか。最近観たアメリカの弁護士の映画で「favor」が忖度と字幕で訳されていた。Favorは英英辞書でgoodwill(私の訳:良かれと思うこと),friendliness(友情)である。字幕にも誤訳は多々あるが、映画の内容からこの訳に違和感はなかった。森友加計問題のキーワードを子供のための英英辞書でひいてみたおかげでわかりやすくなった。

  日本でも世界でも不正がはびこっている。そういう私も今まで「悪いけどさ、頼むからこうしてくれ」と多くの人たちに迷惑をかけてきた。政治家に頼み事もした。結婚式でも祝辞や電報を頼んだ。見栄っ張りのええかっこしい。そんな私にモノいう資格はない。私は名刺も持たない一介の凡人である。残念に思うのは、家柄が良く難関大学出身の国を動かす要職につく方々が私と同じレベルの事をしていることである。

  私は自分の才能のなさ能力のなさ教養のなさを素直に認めることができる。だからじっと静かに表に出ずに暮らしている。家の中にこもり、世間で起こる事象に対峙する。色々考えてみる。分析も要約も苦手だが、子供のための英英辞書を調べると何かわかった気がする。私はわかった気がするのが好きだ。

 


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タケノコ・筍・たけのこ

2018年04月12日 | Weblog

①     タケノコご飯

②     ラーメンの上のシナチク

③     筍のサシミ

①      混ぜご飯が大好きである。具は何でもご飯に何か混ぜてあれば、それが嬉しい。ブトウパンを好むのもその延長かもしれない。寒く天候不順だった冬も春にバトンタッチするのをぐずりながら徐々に交代を認め始めた。春の訪れを実感できるのは、ある友人からのメールだ。「今朝、たけのこを採ってきたので、届けたいので時間を教えてください」 タケノコと言っても採ったのを丸ごと持ってきてくれるのではない。タケノコの味の決め手は、その茹で方である。ただ茹でても苦みがどうしても残る。その友人は、採る名人だけでなく茹でる名人でもある。採る名人は、選ぶタケノコからして違う。テレビ番組で「タケノコ王」と呼ばれる静岡の男性が時々出るが、世の中にはいろいろな名人がいる。そういう名人が身の回りにいるのは、うれしいことだ。

 住む集合住宅の裏は、竹林になっている。毎年、何本のタケノコが出るか楽しみにしている。昨年は17本。今年は今朝妻と一緒に数えて9本確認した。裏庭のタケノコは、集合住宅の共有財産なので採って食べるわけにはいかない。眺めているだけでも楽しい。成長が早い。毎朝「あんなに伸びた」と観察する。それは成長して周りの竹と見分けがつかなくなるまで続く。

 NHKの何かの番組でこれから数百年後、地球の70%を竹でおおわれると予測していた。確かに竹の繁殖力は強い。私が住む街を囲む山もそれこそ破竹の勢いで他の樹木を押しのけ繁茂している。いくら竹好きの私でも容認できない。竹の増殖は、伐採が人口減少でできなくなっていること。タケノコの食用消費が減少していることなどが言われる。山間部の森林保護に小中高校生が実習授業の一環として活用するのも一案である。

 届けていただいたタケノコでタケノコご飯を炊いた。タケノコの煮物も作った。タケノコご飯はシンプルにタケノコと醤油だけ。でも具のタケノコは、大切りにしてたっぷり入れた。普段食べている玄米でなく、白いご飯を使ったタケノコご飯。贅沢!

②      子どもの頃からシナチクに憧れた。今でこそスパーなどで出来合いのシナチクを買うことができるが、当時は食堂やラーメン屋でしか食べられなかった。チャーシューよりシナチクが好きだった。シナチクは誰でも簡単に作れるものだと思っていたが、そうではないと知った。私は上にのっているシナチクが美味なら旨いラーメンである。最近なかなか見つけられない。

③      滅多に食べることができないが、京都のタケノコ専門料理の店で食べるタケノコのサシミは旨い。アクがない。

 

カナダで同じ学校の生徒たちに竹に関する頓珍漢な質問を多くされた。日本人は竹をとうやって食べるの?竹の床って痛くない?竹が世界に繁茂すれば、そんな質問もなくなるかな。私がこれを書いている書斎から見える裏庭のタケノコは今日も数センチ伸びた。


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メイドインジャパン

2018年04月10日 | Weblog

  テレビは連日、オフィス・北野と森加計・自衛隊の報道にほぼ独占されている。私にとってはどうでもよいことである。日本のマスコミは、政界、宗教界、芸能界を聖域として厚く保護している。だからテレビドラマもつまらないものだらけ。ドラマが政治、宗教、芸能界にかかわるものだと途端に嘘くさくなる。その点欧米のドラマは一歩現実に近い。配役も渋いベテランが多く、日本のドラマでひよっこタレントが医者や弁護士や刑事を演じるのと違い見ごたえがある。今、ネットフリックスの海外ドラマを観ている。英国の『新米刑事モース』『ライン・オブ・デューティ』などである。これらのドラマ、現在の森加計問題や自衛隊の日報隠蔽などのていたらくが起こるべくして起こったと教えてくれる。ドラマでは執拗に刑事警察官の仕事は、報告書を書くことだと主張する。英国らしく地位とその権力に付随する責任も厳格である。その中での不正や腐敗を暴く。英国のドラマの特徴の一つは、シェークスピアなどからの引用が多く、それがまた物語と絡み推理を面白くしている。

 海外ドラマの鑑賞は物語の内容の展開の他にも注意を払うことがある。ドラマの中に出てくる食べ物、家電製品、自動車、記者が使うカメラ、テレビカメラ、服装、雑貨、インテリアなどなど。以前物を買う時の基準に関して、次のようなことを聞いたことがある。

①     イギリス人は値段で決める。

②     ドイツ人はデザインで決める。

③     イタリア人は色で決める。

①      妻が私と結婚する前、イギリスに留学していた時、3回彼女を訪ねた。妻はアパートを借りていた。そこを拠点にイギリス国内、ヨーロッパ各地を歩くことができた。その経験からイギリスでの生活が少し理解できるのも、イギリスのドラマに魅かれている理由かもしれない。ドラマを観ていると警察車両さえドイツ製、フランス製、日本製とイギリス製にまったくこだわっていない。アメリカの警察のドラマでさえ、警察車両はすべてアメリカ車である。やはり世界を植民地にしたイギリス人なのか。まったくどこの国の製品かを気にしていないようだ。それに比べたら私のようにドラマでも映画でもメイドインジャパンを見つけると喜んでしまうのは、国際的でない証拠かも。いまや日本の有機LEDテレビのモニターは、韓国のLG製品に席捲されているという。私のようにいつまでもメイドインジャパンにこだわっているのは、時代遅れであろう。それでもしぶとく懲りずにメイドインジャパンが世界で評価されることを願う。

①     ② ③も絶対事実ではない。あくまでも誰かがそう思ったことを書いて、それを私が読んだのだ。ドイツ人がデザインで決めるというのも私はどちらかと言えば、イタリア人やフランス人の方がそうしている気がする。これも先入観や偏見がそうさせているに違いない。日本人がモノを買う時の基準は何だろう。私はいまだに多くの日本人はメイドインジャパンにこだわっていると思う。ブランドはすでに信頼や信用を保証していない。それでも私のようなアナログ老人は、昔のブランド信仰を捨てきれずにいる。

 スカパーのCSのAXNが直ってきれいな画面に戻った。今度は音響装置のBOSEのサラウンドシステムがおかしくなった。BOSEに問い合わせても埒が明かなかった。いったい何を基準にモノを買えばよいのか。それとも買い物はすでに運不運だけの問題なの?


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原因究明 問題解決

2018年04月06日 | Weblog

  最近私の老体のように家、家電、自家用自動車にも不具合が出てきている。私自身は修理不能、買い替え不可だ。家、家電、車は、新しいものに買い替えれば、問題の多くは解決される。しかし我が家にはそうするゆとりがない。どうすればよいのか。原因を究明して修理するのである。この一週間で3つの問題の原因究明がなされた。どれも技術者の粘り強いプロ意識が解決してくれた。

①     テレビ画面の乱れと音声の時間差攻撃

②     玄関三和土の水分の滲み

③     エアコン

①      契約しているスカパーのAXNだけが画像が乱れるようになった。まるで良からぬ映像にモザイクがかけられているかに見間違えられる。よその人が見たら、私を誤解するだろう。またこういう時は、一番の見どころで乱れるものである。画像が乱れるばかりでなく音声が数秒遅れになる。高齢者用に音声をわざと遅くする装置が付いているテレビもあるそうだが、何とも耐え難い状況だった。このトラブルを見事に解決してくれたのは、共同アンテナの会社の技術担当者だった。30代前半のいかにも電気技師に見えるやせた人だった。とにかく粘り強い。テレビのメーカーの東芝にもスカパーにも相談した。スカパーは修理担当者まで派遣してくれたが、原因究明できなかった。アンテナ会社の人は、いろいろな検査器具を使ってデータを取った。テレビの裏面のゴチャゴチャになっているケーブル配線の一本一本を調べる。一時間がとうに過ぎた。私はすでにあきらめかけていた。彼が嬉しそうに言った。「わかりました。このケーブルの接触です。見てください」そう言って彼は、ケーブルを上下に振った。画面はその動きに連動して乱れた。彼は持ってきていた新しいケーブルに取り換えてくれた。約3カ月間私たち夫婦を不愉快にしていた問題が見事に解決された。帰宅した妻が言った。「日本の家電、作るのもダメになったけれど修理もちゃんとできなくなったね」

②      玄関の三和土に不気味なシミが毎日その形を変えている。玄関に湿気が漂う。鼻と脳が勝手に連携して有りもしない臭いまで作る。集合住宅の管理会社、リフォームの会社、一級建築士などにも相談した。ああではないか、こうではないかとたくさんの推測を聞かされた。どれにも納得がいかなかった。管理会社が手配してパイプを洗浄する会社の社員が見に来た。持ってきた道具が凄い。内視鏡のようなファイバースコープである。玄関の脇に電気温水器が入っている押し入れぐらいの狭いスペースがある。温水器本体で人が入る隙間がない。ファイバースコープが温水器の裏を捜索。床に黒いカビ状のシミ発見。彼らの見解は、電気温水器は深夜だけ作動、この空間の温度差は大。水道管に流れる水と温水器の熱で水滴が発生する。それが床に落ち、浸みて玄関の三和土まで滲んできた。これをきちんと調べ立証するのは、大きな問題が立ちはだかる。温水器を外に移動して検査するしかない。費用がかかる。誰が負担するかこれからの話し合いで決まる。とにかく原因が究明された。私はもうすでに修理まで終わったように爽快である。

③      エアコンもそうだった。購入した時から設置されていたエアコンはほとんど役に立たなかった。新しいエアコンにしようと見積もりをリフォーム会社に依頼した。壁を壊しての取り付けなのでエアコン機器より工事代だけで百万円近くかかると言われた。あきらめていた。しかし同じ集合住宅に住む人に相談すると業者を紹介してくれた。A社にできなくてB社ならできる。CさんにできなくてもDさんにはできるかもしれない。結局、その紹介された業者は壁を壊すことなく新しいエアコンが設置でき現在は冬も夏も快適に過ごせる。

 

 専門家、それもこの仕事をするべきしてこの世に生まれてきたような人がいる。残念ながら私自身はその才能を持ち合わせず、探そうともしなかった。こうして凄いプロに出会えるのは、私のような凡人にとって快感である。落ち込んでいた気持ちが、晴れ晴れする。こんな出会い出来事が、時々あると嬉しくなる。春が来た。 


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入学祝

2018年04月04日 | Weblog

  高校2年生になった孫に私が読み終わった『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著 岩波文庫)を上げようとした。孫が「これもう読んだ」と言った。私は感心した。すごいなぁ、この子結構いい線いってると思った。よく聞くと中学受験の時、この本を試験前に読んでおくように言われ、受験の時、感想文を書いたそうだ。『君たちはどう生きるか』が話題になる3年前のことだ。私は日本に本を読ませてその感想を書くという試験方法があることに驚いた。それも小学6年生に。私が小学校6年だった頃、私の関心はまったく別のところにあった。塾へ行くことも習い事をすることもなかった。近所の友達と営林署の庭で三角ベースの野球に夢中になっていた。日本の受験も暗記一辺倒でなくなってきたようで喜ばしく感じた。

 こんど中学生になる孫に合格祝いとして3冊の本を贈った。以前だったらこんな本はまだ読めないだろうと私が勝手に思い込んでいたであろう書籍である。完読しなくても、ここだけは読んでほしいと願いを込めて、その箇所に付箋をつけラインマーカーで印を残した。孫には「私が読んでためになったから読んでみて」とメモして送った。

 私は自分の長男にずいぶん無理強いして勉強させた。学習塾で教えていたのでまず私の子どもの成績を良くしなければという打算だった。東京の私立中学を受験させた。帰宅した長男が「算数、小学校で習ったこと一つも出なかった」と言った。それは0点ということだったらしい。長男の子ども二人とも中学受験で合格した。二人ともサッカーチームに所属してサッカーに夢中になっていた。塾も受験直前に通っただけだった。二人とも塾で合格の可能性はほとんどない、と言われていた。息子が二人の子どもをどのように育てたか知らない。しかし私が彼に強いたようなことはしなかったであろう。やはり私は彼の反面教師だった。

①     遠藤周作『十頁だけ読んでごらんなさい。十頁たって飽いたらこの本を捨てて下さって宜しい』新潮文庫

②     松山幸雄著『勉縮のすすめ』 朝日文庫

③     斎藤兆史著『英語達人列伝』 中公新書

①      やたら長い題の本である。厚さは驚くほど薄い。190ページしかない。46ページから55ページの10ページだけでも熟読して実践してほしいと願って贈ることにした。私は学力の基礎は国語だと考える。読解力、要約力、語彙力が読み書きの基となる。

②      この本の中で松山幸雄は、「一つの外国語、一つの楽器、一生楽しめるスポーツ」の3つを勧めている。私には“一つの楽器”が抜けている。長男には“外国語”。長女には“一生楽しめるスポーツ”。だんだん向上してきている。孫はどこまでいけるか。

③      『英語達人列伝』には明治維新以降、日本の礎を築いた人々の英語力の凄さが記されている。外国語学習の参考になる。特に新渡戸稲造に関しての21ページの『一日三語主義』は役に立つ。劣悪な条件のもとでも語学に上達した先人たちの努力がうかがえる。

     もうすでに私が孫たちが受けるような試験に挑戦することはない。受けるのは病院の検査だけ。あちこち不具合が出てきている。検査の結果が出ても若さは戻ってこない。老けゆく体を叱咤して、ぼけゆく頭を振り絞り、後に続く人たちに自分の失敗を繰り返さないよう私の生き様を伝えておきたいものだ。


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春の珍事 「なんて日だ」

2018年04月02日 | Weblog

  3月30日東京で開かれる勉強会に出席する予定だった。会は夕方5時半からだった。ちょうど銀座のアートギャラリーに友人の奥さんの絵が展示されているので勉強会の前に立ち寄ろうと家を出た。電車は春休みのせいか子供連れで混んでいた。この日思いがけぬことが連続して起こった。

①     「日本語上手ですね」

②     「あれSじゃない」

③     「オレオレ」

①      グーグルで銀座のギャラリーの場所を検索して印刷した。その地図を見ながら新橋駅から銀座に向かって歩いた。私は地図を見ながら場所を探すのが得意と勝手に思い込んでいる。その思い込みでこれまでも失敗を重ねてきた。ギャラリーは銀座7丁目にある。簡単に7丁目の表示を見つけた。しかし番地が違った。あちこち歩きまわった。表示板は各コーナーにあると思ったがまばらだった。時間はたっぷりあった。こういう時は交番を探すのが良い。しかしもう足は棒のようになっていた。降参。ちょうどしゃれた洋品店の前にオーナーらしい中年の女性が立っていた。私は「すみません、このギャラリーへ行きたいのですが」と話しかけた。印刷してきた地図のプリントは、縮小された地図だった。でもカラー印刷だった。女性は地図を見なかった。私は番地を告げた。女性は指をさして方角を示した。私は頭を下げて「ありがとうございます」と言った。すると女性は私に「日本語上手ですね」と返した。

 ギャラリーは結局交番を見つけて警察官の丁寧な説明を受けてたどり着けた。友人の奥さんの見事な絵をゆっくり楽しむことができた。有楽町の駅までギャラリーから歩くと周りは外国人のほうが日本人より多い。ギャラリーを探すのに夢中で気が付かなかった。これでは私もそのうちの一人と思われるのは当たり前だろう。でもひとりで銀座を放浪する古稀の爺さんだぜ。

②      勉強会の会場前で会のオブザーバーをつとめる高校の同級生N君を見つけた。まだ受付の開始まで時間があったので喫茶店で待つことにした。3軒目に空いている店を見つけ入った。店の奥でおしゃれな男性がシートに沈み込むようにして眠り込んでいた。私はぎょっとした。あまりにも似ている。近づいて凝視した。やはり高校の同窓生のS君に似ている。ダンディ。特徴ある黒い中折れハット、濃紺の背広、若草色の革靴。N君も似ていると言う。店の女の子に尋ねた。「あそこで寝ている人、Sさん?」「よく来店されますが名前は知りません」 N君ともし間違えたら・・・と話していた。そうこうしているうちに男性が起き上がった。男性が私たちを指さした。私たちも二人そろって指さした。やはりS君だった。東京で3軒目に入った喫茶店でS君との出会い。

③      勉強会を中途で退席して帰路についた。妻が先に帰宅していた。メールで到着時間を知ら得てあった。駅からタクシーを使った。家についた。ドアを鍵で開けた。中から内錠がかかっていた。これでは入れない。ドア脇のピンポーンを鳴らした。返答なし。妻が倒れたのか。妻が襲われたのか。まさか酔いつぶれて寝てはいまい。ピンポーンは20回以上。時間は10分以上。どうしよう???中から声。「どなたさまですか」と言っているよう。でもろれつが回っていない。ふざけて「オレオレ」と言ったが通じない。寝惚けでるのか。ようやくドアが開く。フラフラの妻。酔ってもいない。寝ぼけてもいない。しらを切る。どうでもよい。私は叫んだ。「なんて日だ」 後日妻は、うたた寝をしていたと告白。


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