団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ウルサイんですけど

2013年09月27日 | Weblog

  私がその日乗った午後の普通電車は空いていた。ベンチ座席はまばらに乗客がゆったりと占拠していた。ギュウギュウ詰めに混雑した席では、隣りの乗客の体や手荷物がむやみに気になるものである。途中駅から70歳は超えているであろう男性の二人連れが乗り込んできた。席はどこも空いているにも関わらず、二人は私の真正面に座った。一人はサーモンピンクの半ズボンと白地に黒の縁取りのポロシャツ。もう一人はごく普通の白い開襟シャツにグレイの長ズボン。半ズボンの男性はべっ甲のメガネをかけ、鼻の下にキレイに手入れされたヒゲをたくわえていた。二人共痩せていて背も低い。

 私は人物観察を済ませ、読んでいたジェフリー・アーチャーの『ロスノフスキの娘』(上巻)の143ページに戻った。電車のガタンゴトンに身を任せていた。物語は佳境に入っていた。前の二人の会話が気に障りはじめ、読書に集中できなくなった。ヒゲの男性の声は、細く弱い。ほとんで聞き取れない。もう一人の声は、なぜか車中の雑音の中でも良く伝わる。(おぬし、詩吟とか声楽を修めているのか。)話なら内容によっては聴いてやってもいい。ところがこの男性自ら語ることはない。ただ「ア~アーアー」「エーェーエーェーエー」「ホーホーホゥ」「ハァーハァーハァ」「フォ フォ フォ」「ウン ウン ウ~ン」 ヒゲの男性の文章が短すぎる。相打ちが持ちつきの水さし役の手のように繰り返される。これは気に障る。ヒゲの男性の声はまったく音でしかなく内容が判らない。相打ちだけだとイライラがつのる。本の内容が頭の中でちぎれ、目がどこを見てよいのか命令を待つ。何度か男性たちに「静かにしてください」いや、この場合は「ウルサイんですけど」の方がいい。はっきり「ヒゲの方はもっと大きな声ではっきりと話してください。白髪の方は相打ちだけなのをやめて、何か話すようにできませんか」と言おうか妄想に迷っていた。他の乗客たちも呆れ顔で何度も鋭い視線を向ける。以前静かな図書館で二人の女性がおしゃべりしているのをちゃんと注意できた。小心者の私があの時注意できたのだから、やればできると思ったのに結局ひと言も発せられなかった。二人はまったくわれ関せず。二人だけの世界だった。

 二人は私と同じ駅で降りた。楽しみにしていた電車の中の読書時間に与えられていた20分のほとんどを不愉快な相打ちに邪魔されて失った。ページ数にしたら数十ページであろう。用事を終えて乗った帰りの電車は静かだった。電車内での読書は最高である。適度なガタゴトンの音と振動とスピード。目を上げると窓から美しい景色。人間観察も楽しい。本を読む人、スマートフォンを使う人、小声で話す人。節度ある人ごみは、私に母の胸に抱かれた赤子の心地を与えてくれる。


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眠そうな声

2013年09月25日 | Weblog

 我が家では朝5時きっかり、ラジオニッポン放送の『高島ひでたけの朝ラジ』の「お早うございます。5時になりました」と高島ひでたけの発音のしっかりした聞きやすい声で始まる。数秒遅れで目覚ましの電子音「ピピッピピッピピッ」が鳴る。2重の仕掛けである。加えて数分後に最後の警告として、台所から「ご飯が炊けました。このご飯は保温に適しません」という玄米ご飯の炊き上がりを午前5時にセットされた炊飯器の音声が聞こえてくる。

 ニッポン放送のアナウンサー高島ひでたけは声もいいし話し方も巧い。任せて聞いていられる。その彼が「昨晩家に帰ってフジBSテレビのニュースをつけたけれど八木亜希子さんが1人で出ていて、なんか眠そうな声で喋っていたので、他の局に変えた」と番組を始めた。明らかに同業者への苦言であった。それもフジテレビとラジオニッポン放送はかつて放送局を合併していた時期もある。いわば同系列なはずである。私ひとりがアナウンサーの喋りがおかしいと思っているのではないのだと嬉しくなった。高島さんのようなベテランアナウンサーにとっても近頃の下手なアナウンサーに不満なんだと目覚めたばかりの私を「こいつあ朝から出だしがいいわい」と気分を良くさせた。ラジオでは時々実に正直な感想や意見が聴けるから嬉しい。テレビのように厳しい監査管理の目が行き届かないのであろう。あっという間にさささっと厳しくきつい咄嗟の発言に一喜一憂させてもらえる。これぞラジオ拝聴愛好者の醍醐味である。歳を取ったから文句が多いのか、文句を言われるような輩がマスコミに増えたのか。

 そういう高島さんの番組でも駆け出しの箱崎みどりさんとペアを組む。番組でも高島さんはチクリと箱崎さんに苦言というか訂正というかをさりげなく下す。高島さんはベテランアナウンサーで喋りも立て板に水で、何より間の取り方呼吸の仕方が芸術的である。一方箱崎アナウンサーははっきり言うと下手で声も悪い。私はアナウンサーの声は発音が聴き取りやすい少し太くて低音のほうが良いと思う。箱崎さんの声は、上っ調子で不安定な上、細く甲高い。何より間の取り方、息継ぎの下手さに私はあきれる。原稿を読む時さえ、棒読みというか朗読というワザがない。難関国立大を出ているとかが売りらしく、番組で事ある毎に大学名が披露される。大学はどこでも構わない。喋り方を一から修行して本放送に参加してほしいものである。ほとんどのおじさんは女性が若くて奇麗なら、忍耐を持って上達するのを応援しつつ待つのだろう。ラジオでは顔は見えないが。私はそうは思わない。テレビでもラジオでも放送される1分1秒であってもそこは舞台である。未熟な素人の出てくるトコロではない。練習、稽古、修業は視聴者の見えない聴こえない舞台裏で願いたい。

 日本にはひとり舞台が少ない。テレビはひな壇に数だけそろえられたお笑い芸人が並び、AKBとやらは48人という大人数で画面を占拠する。そろそろじっくりとひとりで視聴者を満足させられる味のあるプロの登場を待つ。


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やられる?『半沢直樹』

2013年09月19日 | Weblog

  9月15日の日曜日午後9時からのテレビドラマ『半沢直樹』は視聴率35.9%に達し、瞬間視聴率では40%を超した。

  若い頃、テレビドラマの山口百恵の赤いシリーズに夢中になった。最近のテレビドラマの何ひとつとして私の関心を捉えない。レンタルビデオでイタリア映画、フランス映画、アメリカや英国のテレビドラマばかり観ている。あまりに『半沢直樹』が世間で騒がれているので一度観ておこうと思った。

 「やられた」 見ごたえがある。このドラマの成功は何と言っても配役である。有名な俳優も半分くらい出演しているが、名もしらぬ脇役、特に銀行員役がいい。私は銀行に怨みツラミを強く持っている。さんざんイジメラレ痛めつけられた。保証人の印鑑を押したがために、数千万円の代理弁済を銀行に迫られた。あの時対応した銀行員はみな『半沢直樹』に出てくる銀行員より非情で羊の皮を被った金融ヤクザのようだった。印鑑の恐ろしさを思い知らされた。本来、返済不能の融資を受けた張本人に代わりに返済するのだから、銀行にとっては有難い存在である。それなりの対応がナゼできないのか。犯罪者のように扱うのはやめるべきだ。完済したら感謝状くらいだしてもいい。法律だけに頼る横柄で傲慢な態度を取る銀行、内部では派閥闘争による権力争いに明け暮れる銀行という組織をテレビドラマ『半沢直樹』は丁寧に描いている。

  離婚、代理弁済と悪いことが次から次へと私を攻めたてた。私は坐禅に救いを求めた。二人の子供、長女をアメリカの先輩家族に預け、長男を他県の高校に送り出した。仕送りと返済と生活貧困に喘いだ。時間だけが正直だった。10年で見通しが立ち、13年で完済した。子供もそれぞれ大学を卒業して自立していった。そして奇跡が起こった。まさかの再婚だった。倍返しどころか逆転満塁場外ホームランのように思えた。

  そんな折、ある記事に「テレビドラマ“半沢直樹”を観ている人は2流」とあった。事実で構わない。私は自分を2流どころかそれ以下だと自覚している。最近2流だとかC層だとか職場カーストとか、エリートでない大衆を卑下する傾向がある。ローマ時代の「パンとサーカス」政策ではないが、勧善懲悪を大げさにこれでもかと見せてくれる『半沢直樹』は多くの2流日本人の共感を呼び、憂さ晴らしになる。大いに結構。政治屋、官僚、銀行員などの1流エリートの富も体面も2流以下がいるからこそ保たれる。

  今週末の22日夜いよいよ『半沢直樹』は最終回を迎える。視聴率いかんより、果たして観終わった後「やられた」と2流の私が完全降伏宣言するか否かだ。


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花火大会露天屋台爆発事故

2013年09月17日 | Weblog

  9月15日で福知山の露天屋台の爆発事故から1ヶ月たった。16日には台風18号の影響で福知山は大きな被害を受けた。悲劇不運が続く。

 不注意によるガソリン式簡易発電機爆発が福知山の花火大会で起き犠牲者が出た。特に10歳の幼い男の子、それも健康でその日まですくすくと育っていた未来ある子の死は、身代わりになってあげられる私のような息をしているだけの満身創痍病気のデパート老人の胸を締め上げた。気配り、目配り、手配りのない不注意で未来ある子供の命を奪う事件が多すぎる。

  日本のお祭りに露天商の出店は欠かせない。私は子供の頃から父親に「母ちゃんがつくった食べ物以外口にするな」と露天店が売る食べ物を買って食べさせてもらったことがない。いつも他の子供たちが親に買ってもらうのをうらめしく思っていた。私にとって祭りの露天商店で物買う親子関係は理想の家族に見えた。父親が買ったのは、寺や神社のお札やダルマだけで福助飴や綿飴さえ買ってもらったことがない。その所為か縁日に並ぶ屋台の衛生状態やプロパンガスや発電機の扱い方に特別な関心を持った。食堂やレストランや食料品店にあれだけ厳しい保健所の検査があるのに、何故露天屋台や売店で食べ物が売れるのか不思議でならなかった。離婚後、二人の子供を育てている時、台所でガスコンロの火が何かの原因で消え、ガス中毒で倒れたことがある。以来私はプロパンガス恐怖症になった。

 失敗学という学問があるそうだ。失敗は①慢心②情報不足③思い込みによって引き起こされる。日本人はスイス人ドイツ人と共に世界でも注意深い用心深いと評価されている。神経質すぎるとさえ批判もされる。「備えあれば、憂いなし」の格言が広く浸透されていた。しかし近年、その特性の劣化が指摘されている。国の基幹産業である自動車生産でも世界的なリコールが繰り返される。日本人の特質を変えてしまうのは、慢心なのか情報不足なのか思い込みなのか。

 私は屋台を軽自動車や自動車を活用するべきだと考える。簡易テントを活用する露天屋台の多くは、ガソリン発電機やガスボンベをそのたびに設置接続して使用する。キャンピングカーのように発電機やガス調理器具一式を最初から組み込んで固定化したら安全性は向上する。規制が厳しいといわれる日本にも露天屋台に対する規制はゆるい。機転を利かして安全便利を考え直し、関係する規制は聖域をなくして、洗いなおすのも必要だ。安全は観光立国を目指し7年後に東京五輪を開催する日本には、大きな売りとなる。派手な演出も奇抜なハコモノもいらない。日本人本来の注意深い慎重な安全追求を維持してほしい。病的と言われてもいい。安全にやり過ぎはない。まだまだ改善の余地はある。備えて、憂いを減らしたいものである。これ以上不注意な大人が未来ある子供の命を奪ってはならない。


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カッパドキア殺傷事件

2013年09月13日 | Weblog

  また若い貴い命が暴漢の犠牲になった。トルコの景勝地カッパドキア近辺のゼミ渓谷で新潟大学の女子学生がナイフで刺され、一人が死亡、もう一人が重傷を負った。私はやるせなさに怒りで体が震える。

  今更何を言っても始まらない。失われた命は戻って来ない。犯人逮捕のニュースも二転三転している。最初に逮捕された容疑者は2番目の容疑者が逮捕され自宅から日本円と被害者のパスポートが見つかり、川の中から犯行に使われたナイフが発見され、釈放された。第二の容疑者の自供によると渓谷の狭い道で容疑者の車と被害者女性の自転車が接触して口論となり犯行に及んだと云う。

  イスラム社会で合計6年暮らした私の経験から事件を推測してみた。①男尊女卑説:口論になったのなら、女性が男性に反論することは容疑者の男の体面をいちじるしく貶め、それが犯行にいたらせた。②宗教信仰説:イスラム教徒は異教徒に対してイスラム教徒の厳格な戒律は適用されないと思い込んでいる。③トルコは親日国であるとの刷り込みの油断:確かにトルコは親日であるが、親日と犯罪に何の因果関係もない。いずれにせよ真実が近いうちに公表されるだろう。

  チュニジアに暮らした時、2人の日本人女性観光客が砂漠旅行の途中、現地の男に襲われた事件が起こった。イスラム教世界での厳しい性に関する戒律で、はけ口のない犯人の若者は、異教徒を犯しても罪に問われないと勝手に信じていた。またそれを承知で外国人女性観光客が現地男性との恋の火遊びを求めて訪れるとの風評もひろがっていた。海外旅行は人の気持ちを開放する。ましてや抑圧の強い環境に暮らす単一民族である日本人は、海外の何もかも異なる雰囲気に飲み込まれ油断してしまう。

  私が考える海外旅行をできるだけ安全にする3つの提案である。①パック旅行に参加する。②現地に迎えてくれて最後見送ってくれる知人友人家族がいる所へ行く。③個人旅行なら、現地で案内人か通訳を雇う。それができないなら現地で外国人旅行者にお願いして行動を共にしてもらい単独で歩き回らない。

  若い時の海外旅行は、善悪両方の人生を変えるほどの大きな影響を与えてくれる。私が若い時の海外旅行で体験学習したのは「自分の命は自分でしか守れない。できるだけの命を守る備えあれば憂いなしの段取りをしなければいけない。安全は金で買える」

  犠牲者の若い女性が歩めなかった失われた将来を思うと、66歳になるまで、学び、恋をして、働き、結婚をして、親になり、離婚して、再婚し、いま尚、生きながらえている私は申し訳なくなる。なぜか「♪命短し♪恋せよ♪乙女」が口をつく。22歳の乙女だった。生きていればこそ唄ってあげられるものを。オヤゲナイ。


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五輪東京決定

2013年09月11日 | Weblog

  私は小心者である。9月7日の夜から8日の2020年五輪開催地のIOCの総会を決定するまで多くのテレビ局が通しで実況放送を予定していた。はなからテレビの中継を観る気はなく普段どおりに就寝した。8日の朝、おそらく午前3時頃、目が醒めた。急に胸騒ぎが始まり、眠りに戻ることはできなかった。テレビではほとんどの局が現地から実況中継していた。観ようか、いや観られないの繰り返し。「東京に決定」とブエノスアイレスに派遣されたアナウンサーが絶叫するのを想い描いた。反面イスタンブールはイスラム圏での初めての五輪なのだから、東京は2回目なのだから譲ってもいいのでは、と今回のIOCの総会が始まる前から自分に言い聞かせていた。小心者の上に優柔不断が重なって君臨する。東京に決まれば、いやいやイスタンブールに、と想いは揺れ動いた。隣りに寝ている妻は、気持ち良さそうに寝息を立てている。

 午前5時ラジオニッポン放送が「5時になりました。おはようございます」と目覚ましスイッチが入った。続いてデジタル目覚まし時計が鳴る。ラジオは「あと20分で2020年のオリンピック開催地が発表されます」と言う。目覚ましとしてラジオはほんの数十秒しか聴くことができない。妻はラジオ放送を続けて聴けるよう電源を入れなおそうとベッドから出た。私は「お願いだからやめて」と妻を止めた。

 妻はゴキブリや虫以外に動じることがない。5時半ごろテレビのある部屋に一人で行った。「エーッ、東京だって。嘘ッ」と大きな声で大騒ぎ。騒ぎを聞いて、私の体から力が抜けた。昨夜までマスコミはマドリッドが優勢と、まるで東京に望みがないようなことを言っていた。私は何でも真に受ける。マドリッドならば、イスタンブールのほうがいい、とヘソを曲げた。マドリッドかイスタンブールか東京か。二つから一つ選ぶことさえビッシとできないのに3つの中から選ぶなんてとても私にはできない。だんだん何か嬉しさがジワジワと湧いてきた。

 東京に決まってからテレビは何度も何度も決定の瞬間を繰り返した。私はテレビもラジオもしばらくつけないことにした。一日中読書も書き物もせず、7年後の東京五輪に思いを馳せた。夢想は私の数少ない得意分野である。

  私が一日かけて想い描いた2020年の東京五輪は次のようなものだ。①東電福島原子力発電所の汚染水、廃炉、除染問題に解決への道筋が内外に示され、作業が着実に進展していて、五輪が放射能恐怖なく実施される。②日本はかつて黄金の国ジパングと呼ばれた。金メダルは純金にする。費用がかかりすぎる場合漆で枠を作り真ん中に純金を埋め込む。銀メダルは純銀。銅メダルももちろん純銅。③現在日本は観光客誘致に取り組んでいる。五輪では世界中から選手団と応援の人々が押し寄せる。これほどの日本紹介と体験の機会は何百年に一回のものだろう。新幹線3日間乗り放題にして五輪関係者に無料提供する。参加国数と同じ数の県市町村が担当国を決めてオモテナシ招待誘致する。④開会式の前夜祭野外パーティを皇居内の一部を開放して実施する。

  小心者は自分が7年後生きているかも判らないのにどっぷりと五輪に夢を馳せた。1964年の五輪前の16歳の時からちっとも成熟していない。


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アゴひも

2013年09月09日 | Weblog

 駅のホームで電車を待っていた。電車がホームをかすめるように通過する。構内放送が録音テープでおざなりに「電車が到着いたします。危ないですから黄色い線の後でお待ちください」と注意を喚起する。「ガァーーッーー」と音を立て鉄の箱が通過しつつある。音は鉄の大きな箱の割には大したことはない。電車の体積と同じだけの空気が圧縮される。ホームと電車のわずかな隙間からホームで待つ客目がけて吹き付けられる。

 身なりのよい老婦人の帽子が飛んだ。周りの数十人の客のそれぞれの口から「アッ」と息が吐き出される。しかし誰も一歩として足を動かす者はいなかった。帽子はあっという間に鉄の箱の下でブレーキをかけられ悲鳴をあげる車輪に吸い込まれていった。「アッ」は音もなく各自の口に吸い込まれ、口は開かれたまま硬直し目が点になった。「もしあの帽子が自分だったら」を全員が想像していた。

 そして同じ日東京駅の山手線のホームで同じことが起こった。やはり老夫婦、二人共身なりが良かった。品の良さそうな婦人が夫の後を追う。電車が近づいて来る。私は駅のホームの黄色い線をはみ出して電車側や走行中の電車内であちこち行き来する人の気持ちが解らない。電車がスレスレに警笛を鳴らしながら通過。もの凄い突風。私の体が風に押され帽子のアゴひもが首に食い込み衣服が肌に密着する。婦人の帽子が空中高く舞い上がった。一人の若者が手を出した。電車に触れそうになったが、風に押し戻された。

 女性がファッションとして紫外線よけ対策として日傘や帽子を愛用することに異論はない。しかし万が一飛ばされた帽子を受け止めようと電車が通過する危険な状況で体を動かしたり手を出して、電車に体を巻き込まれる惨事が発生したら。そう思うだけで身の毛がよだつ。恐ろしい。私の目の前でそうならなくて本当によかった。

 帽子を飛ばさないようにするには、何といってもアゴひもの使用だ。それが嫌なら、危険だと思われる場所では帽子を手で持っているかカバンに入れておくことだろう。G20に参加するために政府専用機でロシアに出発した安倍首相がタラップを上がり見送る人々に手を振った。首相の脇に直立不動で立つ自衛官の制帽のあごのベルトがきちんとアゴにかかっていた。凛々しく格好よかった。ともすれば帽子のアゴひもを使っていると、ダサイとかファッショナブルでないと思われ見下げられる。安全を考えたからこそ、大切な帽子を守りたいからこそ、アゴベルトやアゴひもがずっと使われてきた。

 アゴひもやアゴベルトは気を引き締める効用もある。安保の学生デモと衝突を繰り返した警察の機動隊の隊員も災害救助に出動する自衛隊員の多くがアゴベルトやアゴひもで帽子を固定した。たかが帽子、されど帽子。身辺の小道具だが、大事故のきっかけ原因をつくる可能性もある。やはり人間としての気配り手配り目配りが必要不可欠であろう。それができる人がはじめてファッションにおいても評価されるべきだ。飛ばされた婦人の帽子を捕らえようと電車に衝突しそうになった青年のとっさの優しさと死を意識した恐怖の表情がしばらく記憶に残りそうだ。若さの内に秘められる瞬発力が故に大切な命を帽子ひとつぐらいで犠牲にさせてはいけない。危険はいつでもどこでにもあり、人をも選ばない。アゴひも、あごベルトも見た目はダサクてカッコ悪いけれど他人に迷惑をかけない。アゴひも締めて気を締める。


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固い桃

2013年09月05日 | Weblog

  桃が好きだ。固い桃も好き。

 先日夏休み中の妻とあるデパート傘下の大きなショッピングセンターへ行った。妻の服をセールで買おうとあちこち見て歩いたが、結局何も買わなかった。我が家のエンゲル係数は異常なくらい高い。原因は私の食材への“コダワリ”である。いつもの通りに最後はほとんどの時間も金も食品部門で費やすことになった。本と食材以外に欲しいモノがない。

 デパ地下やスーパーの対面販売にプロと呼べる店員がずいぶん少なくなった。質問してまともな答を返してくれる店員はほとんどいない。店員といっても多くは契約派遣員かアルバイトが原因かも知れない。特におばさん店員が酷い。勉強していない人が売り場に立つ。

 桃の特売とかで美味しそうな立派な桃6個で1000円だった。年配男性が「美味しい桃だよ。特売だよ。安いよ。今が旬だよ」と大きな声を上げていた。私は「固い桃が好きなんだけど、この桃はどんな感じですか?」とその男性に尋ねた。「今の桃はみんな固いよ。ここにある桃は全部固い」男性は迫り来る蚊を追い払う時のような顔をして言った。桃だけでなく日本人はモノを買う時、触ったりニオイを嗅いだりする人が多い。桃は触られたり落としたら、即、商品価値が落ちる。店員が神経質になるのも理解できる。果物の糖度を計る機器がある。桃の硬度を計る機器もできたらいい。糖度も硬度も消費者の買うか買わないかの判断基準になる。改善されることを望む。

  私は最近ジェフリー・アーチャーの『チェルシー・テラスへの道』(上下 新潮文庫 各640円)を読み終わったばかりである。主人公のチャリー・トランバーは祖父から譲られた手押し車で野菜果物を売る商売で、遂には高級商店街の一画を買い占めデパートを建ててしまう。その商売上手の源が客扱いのうまさと実学による商品知識であった。桃も客に触らせることなく産地食べ方などを話術巧みに語り、品定めも厳しくして信用第一に商う。客もさすが英国人、きちんと列に並んでトランバーと話したくて順番を待つ。常連客の名前はもちろん、好み嗜好まで頭に入れていた。主人公トランバーはロンドンの高級デパートハロッズの創設者をモデルに書かれたと聞いている。どんな分野に於いても私はその道の達人を尊敬する。魚屋でも八百屋でも商品知識が豊で選び方、調理法、美味しい食べ方を打てば響くように答えてくれるプロに憧れる。どこのデパ地下へ行っても中々そのような店員にめぐり合えない。私は住む町で行きつけの肉屋と魚屋に満足している。顔なじみということもあるかもしれないが、私の他の店では聞き入れてもらえない要求をも快く受けてくれる。

  私は桃が好きでも自分で桃の皮をナイフで剥くことができない。桃の産毛のような毛に触れると腕に鳥肌が立つ。桃の皮に手で触った感じや皮を剥かない桃に歯を立てた瞬間を想うだけで鳥肌が出る。桃を買う。あとは妻に任せる。剥いてもらって切り分けられた桃の美味しいこと。日本の農家がつくる傑作な果物に舌鼓を打つ喜びは、猛暑も忘れさせてくれる。


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蝉はどこ?

2013年09月03日 | Weblog

  猛暑日が続く。はたと気がついた。8月13日のことだった。若い修行僧が何千何万と山の林に坐禅して読経するかのように聞こえていた蝉の鳴き声が止んだ。気のせいか、耳のせいか、偶然の静寂か。虫の音は聞こえる。蝉より音の線が弱く細い。音域が高いせいか頭のてっぺんの頭蓋骨にへばりつく残響か耳鳴りのように意識を包む。若い修行僧の読経の迫力も凄みもない。秋の気配なのか。そうであれば嬉しいのだが。20日になるとあちらで一匹こちらで二匹と散発的に蝉がまた鳴き始めた。あの1週間は何だったのだろう。

 私はいろいろ推測してみた。①猛暑説:気温があまりに高く蝉が熱中症になって全滅した②産卵の空白説:7年前の蝉の繁殖期何らかの理由で1週間産卵がなく孵化できなかった③偶然説:空白はまったくの偶然であった。私の素人考えでは、②の説ではと思っている。機会があったら専門家に尋ねてみたい。

 玄関を一歩出れば、熱波が私を家の中へ押し戻す。家の外には頼みもしないのに居座る熱将軍が私目がけて歩兵軍団の火がついた矢を一斉に間断なく放つ。しなければならない日課のはずの散歩を何度この夏止めたか。すでに1ヶ月は過ぎている。昨日そんな弱気に負けじと外に出た。気温は35度をまた超えている。すっかり姿を消したと思い込んでいた蝉も単発的に鳴いていた。弱弱しく聞こえる。

 この猛暑の昼下がりにウォーキングする元気な人々がいる。お年寄りばかりである。私より痩せていて健康そうである。最近思うことは、運動など必要ないように見える人々が運動してますます健康になる。私のように運動が必要な不健康な者は、愚図ってあれこれ理由を作って逃げまわる。

 やっとのことで家を出て、少し涼しいであろう川に沿った木陰の道を歩いた。木陰といっても30度はありそうだった。せっかくの川の涼風もアスファルトの照り返しの熱風に攪拌され退却させられていた。川の岸や道路脇にボランティアの人々が花畑や花壇を作ってくれた。男性老人が大きな麦わら帽子をかぶって、炎天下這いつくばって雑草を手で抜いていた。

 「ご苦労さま」が自然に私の口から出てしまった。男性は顔を上げてコックリと首を縦に振った。ぶ厚いメガネのレンズ両方が蒸気で曇っていた。私よりずっと年配に見えた。日に焼けた肌に玉のような汗が流れ落ちていた。私は恥ずかしかった。ずっとこの夏、家に引き篭もっていた。私がいくつもの病気を抱え悪化を恐れてただじっと季節が早く変わることだけを念じていた。逞しく炎天下でも奉仕のために身をさらす人もいる。頭が下がる。

 たった15分にも満たないウォーキングだった。人間も蝉も鳥も植物もみな炎天下をものともせずに活動している。どんなに暑い日でも、ベランダには毎日アゲハチョウやアオスジアゲハが訪ねてくれる。一昨日はギンヤンマが姿を見せてくれた。表玄関から訪れてくれる人は滅多にいない酷暑もそろそろ幕が降りそうだ。私は身の程をわきまえて静かに秋を待とう。久しく聞けなかったミンミン蝉が「ミィ~ンミンミン そうしろ、それでいいんだ ミィ~ンミンミン」とベランダの柱で鳴いたように思えた。


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