秋は良い季節である。冷房も暖房もいらない。家の外も中も快適。
2001年に心臓バイパス手術を受けた。チュニジアの首都チュニスに住んでいた。手術を受けるために日本に戻った。妻は一人、チュニスに残った。手術を受ける病院の手術室が改装工事で手術が数か月遅れた。チュニスは地中海式気候で冬の数か月以外ずっと過ごしやすい気候だった。日本に戻って長野市の病院へ入院した。乾燥した気候のチュニスと違って、長野は、湿気が高かった。手術が終わって、チュニジアに戻った。過ごしやすい気候が心地よかった。まもなく転勤が決まった。2,3の候補の中から、私の心臓に何か起こった時、すぐに日本へ戻れるようにとロシアのサハリンを選んだ。地図の上では確かに近いが、実際住むととんでもなく日本が遠い国だと感じた。加えて冬の寒さは、零下40度になる極寒の地だった。知らなかったとはいえ、大きな間違いだった。結局、妻は職を辞して、帰国することになった。
今住む集合住宅を買ったのは、15年ほど前だった。サハリンにいた時、妻が新聞の広告で集合住宅の広告を見つけたのがきっかけだった。先に日本に戻った私が、その集合住宅の販売会社に電話した。すでに完売になっていた。あきらめきれず後日再度電話した。すると一軒キャンセルが出たと言われた。早速サハリンにいた妻に連絡した。そうやって入手した終の棲家である。
広告には、夏涼しく冬温かいとあった。私の主治医から、心臓のために温かいところに住みなさいと言われていた。住み始めた頃は、確かに冷房を使うことなどなかった。南北の窓を開けると、北側の川風が家の中を通り過ぎた。ところが年を追うごとに、この地の気候も大きく変わっていった。数日留守にして戻ると、私のパソコンが部屋の温度が上がりすぎて、パソコンが壊れ、記憶をすべて失った。地球の気候変動がじわじわと生活を、脅かし始めた。私たち人類は、自分の首を真綿で閉めるように、地球の環境を壊してきた。生活が便利になった反面、それを維持するために環境を犠牲にした。そのツケが、ゲリラ豪雨、猛暑、台風の巨大化となって戻ってきている。
今年の夏は、暑かった。コロナ感染の危険に熱中症が追い打ちをかけた。冷房を使うと、以前、私は頭が痛くなった。エアコンをダイキンの最新型に買い替えてから、頭痛がなくなった。冷房機能の中に“ドライ”という表示がある。これが私にちょうどいい。日本の暑さは、湿気の高さによって不快なものとなっている。冷房は嫌いな私だが、“ドライ”機能のおかげで、この夏、ほぼ毎日エアコンの厄介になった。熱帯夜でもタイマーで3,4時間セットすれば、快適に眠れた。罪悪感に悩みながらも、地球の環境保全より自分の命を優先させた。
やっと猛暑だった夏が過ぎて、秋の気配が感じられる。散歩の途中、川の上にトンボが増えた。夜、家の外から、真夏のセミに変わって、草むらの虫の音が聞こえてくる。虫の音を聞こうと窓を開ける。気持ち良い風と虫の音。暑いと家の中でウォーキングマシンだが、散歩で外を歩ける。コロナに勝つには、免疫力を向上させなければならない。この爽やかな季節を迎えて、何より嬉しいのは、自然のままに生活できることである。何かの宣伝で「何もたさない…」というのがあった。わかる、その気持ち。この集合住宅の新聞広告の窓を開けた爽やかさが、当時よりずっと短くなってしまったが、まだ残っていることを嬉しく思う。