団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

コメンテーター

2013年10月31日 | Weblog

  テレビを中心とするメディアと芸能界は怠慢と馴れ合いが支配する世界である、とコメンテーターや専門家が口を開くたびに失望する。

  以前、細川隆元さんという評論家が『時事放談』という番組を持っていた。別名『ジジイの放談』と呼ばれていた。いまでもこの番組名前だけは続いている。日曜日の朝6時台に放送される。この時間に起きてテレビを観るなんていうのは、視聴者も私のような年寄りが多いに違いない。細川さんのような毒っ気のまったくない司会者と例のごとく若い女性アシスタントと毎回2人のゲストが登場する。人物登場が老人のオンパレードである。すっかり老人会のお茶飲み話になっている。老人が悪いとは言わない。人選が良くない、と声を上げたい。

 映画でもテレビドラマでも舞台劇でも、私は全て配役つまり人選で決まると思っている。4,5年前セキスイハウスの3階建ての家のテレビコマーシャル「♪家に帰れば、セキス~イハウス♪」に剛力彩芽さんが出ていた。当時まったく無名でそのコマーシャルでしか観られなかった。感じのいい一種独特の雰囲気のある、またこのコマーシャル観てみたいなと私にほのかに思わせた。台詞は少ししかなくほとんど黙ったままの演技だった。私は直感で、この人有名になると思った。テレビ芸能界や歌手に限って、私には有名になる、ならない、の占い師的感覚があると自負している。案の定、剛力彩芽さんは今ではどのチャンネルに回しても出てくる。食傷気味である。声も決して美声というか魅力ある声ではない。踊ったり唄ったりもするが、大した才能を感じない。下積みがないのだから才能だけで全てをカバーできるはずもない。じっくり時間をかけて育てたら、大女優になれたかもしれない。潰すのも芽を摘むのもマスコミと視聴者だ。こうして多くの芸能人がつくられ使い古され消えていく。大女優になれる素質容姿才能を持っていても商業主義に壊されてしまう。

 多くのテレビ番組にひな壇に並ぶように多くのタレントやコメンテーターが出演する。私は嫌いな人が出ている番組もコマーシャルも観ない。あまりにそういう人が多くてテレビ局の番組を事前に注意深く調査する。その点ラジオは判りやすい。出演する人数が少なく、ひとり当たりの持ち時間がテレビより遙かに長い。コメンテーターの論評がテレビに出演しているコメンテーターの多くがそうであるように支離滅裂であれば、すぐに自滅、轟沈してしまう。

 そろそろコメンテーターの人選の方法を変えるべきだ。靴底を磨り減らして、耳をそばだてて、目を皿にして探すのがメディアの仕事である。例えば福島の東京電力原子力発電所の汚染水の海への垂れ流し問題など、どんなに浅井慎平さんやテリー伊藤さんや三屋裕子さんに喋らせても埒が明かない。現場で実際に働く人こそコメンテーターに相応しい。井戸端会議のような雑談めいたマタ聞き茶飲み話など聞きたくない。直前に読んで仕入れた新聞ネタそのままの意見など聞きたくない。こんなコメンテーターばかりが跋扈するようであれば、テレビの時代は終るであろう。


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再び一万歩

2013年10月29日 | Weblog

  一箇月前、私は散歩の再開を決心した。その後、もう一人の私は毎日、何とか理由を見つけて散歩をやめようと画策した。そうだ子供にメールの返事を書かなければ。だれだれにお礼のハガキを書かなければ。以外とトントン拍子に用事が片付いてしまった。さて次に何をしようか。散歩でしょう。前回の定期健診ではあらゆる数値が悪化してきた。運動不足と食べ過ぎによる体重増加が原因と主治医にきつく指摘された。猛暑は恰好な言い逃れになった。この記録的な猛暑が続いた期間、私は家に籠もり続けた。おかげで“ツン読(積んどく)”だけだった本の多くを読破できた。

 妻は「家に籠もっているなら、お願いだから万歩計は外していて」と懇願された。私が身に何を付けていようが大きなお世話だと思ったが、「はいはい」と返事する。「はい、は1回」とダメ押しされる。私は日記に万歩計のその日の歩数を記録し続けている。主治医からは「一日1万歩を目標にしてください」と言われている。歩きもしないのに記録だけが残る。日記は『五年日記』である。今年は4年目なので過去3年間の歩数記録が一目瞭然である。10月28日(月)2010年1255歩、2011年8561歩、2012年7117歩、今年4500歩である。天気にも左右されるが“一万歩”には届かない。

 27日の日曜日、久しぶりに快晴に恵まれた。妻はたまった洗濯物を済ませ、陽の射すベランダに干した。天気に誘われ、車で30分の農家の奥さんたちが集って土日祭日に開く“野菜市”へ行こうと意見が一致した。天候不順や台風の被害で野菜は高騰している。値段が安く新鮮だ。見た事もない、聞いた事もない、食べたこともない珍しい野菜にも出会える。売り手の農家のおばさんおばあさんは食べ方を丁寧に教えてくれる。そんな野菜も含めてジャガイモ、トマト、ニンジン、ネギ、大根など大量に仕入れた。

 帰り道、植物園に寄って行こうと私は提案した。妻は素直に賛成した。その植物園は山腹の谷に沿って広大な敷地を持つ。バラが多くハーブもたくさんある。駐車場に車を置いて専用バスで植物園の一番高いところまで行き、歩いて園内を降りてくる。この夏の猛暑や天候不順で秋バラはほとんど花をつけていなかった。それでも青い空、植物園を取り囲む山の緑、伊豆大島が望めるキラキラ光る太平洋を楽しめた。長雨でヌルヌルして滑りやすい枕木の階段をグラグラする手すりを頼りに降りた。その日の万歩計は期待に反してたった4492歩でしかなかった。

 月曜日、ちゃんと歩けないほど両脚のふくらはぎに筋肉痛が出た。今まで何回も植物園の坂を下っているが、こんなことは初めてである。やはり今年の夏の運動不足は深刻な影響を与えていた。再び一万歩を目指さねば。


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嘘のウソ、偽装メニュー

2013年10月25日 | Weblog

  私は最初の結婚後、配偶者の親の家業を継ぐ前提で関東地方のある都市の大きなレストランに義父だった社長の方針で修業に出ることになった。2つの会社の4箇所のレストランで計半年間見習いをした。

  大阪の阪急阪神ホテルズのホテルやレストランでメニュー偽装をしていたとマスコミが報じた。内部告発でしかこんなことが表に出ることはない。私はもう40数年前の修業時代の経験を思い出した。あるレストランで毎日行われた朝の開店前の打ち合わせに驚いた。偽装がばれた時の対応の徹底であった。その店では牛肉の替わりに羊肉を使っていた。ニンニクを多めに使えば素人には区別がつかないと店長は言い切った。それでも万が一客が文句をつけてきたら、とにかく牛肉だと言い張れと強調した。その模範的な受け答えが印刷されていた。私は毎日オドオドしながらボーイとして店で働いた。遂にひとりの調理師風の中年男性客から「これ牛肉じゃないよね」と言われた。私は感情が顔に即出てしまう。シドロモドロしていると、すぐにベテラン女性ウエイトレスが上手くその客に対応して事なきをえた。私はレストラン業界では通用しない人間だと悟り、跡継ぎ資格認定試験期間を全うすることなく、英語塾を始めるため、義父の会社を10箇月で辞めた。

  今回、偽装問題発覚後初めて阪急阪神ホテルズの社長が記者会見に応じた。テレビのニュースを観ていて、さすが社長になる人間は違うなと思った。顔色ひとつ変えず「メニュー表示は偽装でなく誤表示であった」と言い張った。40数年前のあの修業したレストランの店長の顔と阪急阪神ホテルズの社長の顔が私には重なって見えた。

  レストラン、結婚式場、料亭など食べ物を提供する業界に偽装も誤表示もある。私は自分の経験を通して知った。会社として営業すれば、諸経費、人件費、材料費などが待ったなしで計上される。事業は純利益をいかにあげるかが勝負である。材料費3分の1、経費3分の1、利益3分の1が理想だと教わった。現在では競争が激しく1割純利益を出せればいいほうだろう。

  アメリカのマサチューセッツ工科大学で修士号までとったインド人の知人は「カースト制度が影響しているとは思うけれど、我が家では母親が自らの手で料理したもの以外食べない。外食は絶対にしない。常に母親は弁当を作って持たせるか、届ける。他人の調理を認めない」と話してくれた。自分より下のカーストの人が触ったものに触れない、の教えを守る意味もあるが、病気を防ぐ意味もあると知人は言った。私はカースト制度は受け入れない。しかし他人が作った食べ物を口にしない、という生き方は、現代社会ではある程度評価されても良いのではと考える。

  主夫として調理を担当する。できるだけ安全で美味しい食材を探すのは“ご馳走”の基本と肝に銘じている。料理は純利益の数字がちらついているようでは美味しいものは作れない。人は毎日の生活の中で何を大切にしたいか違った価値観を持つ。私は“仲良く、楽しく、美味しく、いつもニコニコ現金払い”を心掛けたい。


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短縮、14年後から7年後に

2013年10月23日 | Weblog

  電車の中でこんな夫婦の会話が耳に入った。「今度リニア新幹線が東京と名古屋を40分で走るのだそうだ」「いつできるのですか?」「14年後の2027年らしい」「あら、そんなに先のこと。私たちには関係ないわね。」「そうだな。無理だな。ハッハッハッハ」

 これは2020年東京五輪がアルゼンチンのブエノスアイレスのIOC総会で決まる前のことだった。あのリニアが間に合わないと言っていた夫婦は、今度の東京五輪の7年後の2020年東京五輪の決定をどう受け止めたのか。

 「あと何年」という表現は、人の年齢によって受け止め方が異なる。私は現在66歳である。私も自分が永遠に生きられるとは思っていない。いつか死ぬ日がくる。それでも目標を持つことはいいことだ。毎日失意の底に泥のように揺らいで惰性で生きるのは御免こうむりたい。

  離婚後、2人の子供が大学を卒業するまではという目標に向かってガムシャラに働いた。知人の銀行借り入れの保証人になって多額の代理弁済を背負い込んだ。借金を返済するまではと15年うなされ続けて働いた。再婚して妻に配偶者として同行して海外に出た。10年間という目標を持って、毎日「日本に帰国できる日」を想った。結局13年間海外にいた。こうして私はずっと何か目標を立ててはそれに向かって生きてきた。

  2001年に狭心症の発作を起こし、心臓バイパス手術を受けた。もうこれで私の人生は終わると勝手に決めつけた。手術を受ける前、大学ノートに『辞世帳』と題して自分の人生の総括を記した。手術前日まで書き続けた。自分の50年間の生き様を振り返り、ノートに書くことで死の恐怖を閉じ込めることができた。大きな仕事をやり終えた気持で大手術を迎えた。手術が終わり麻酔から覚醒した瞬間から『オマケ』の人生が始まった。手術前の自分とは違った自分に驚いている。

  東京五輪7年後は、ずいぶん先のような気がするが、このところの一年の経過の早さには驚くばかりである。今年も正月を迎えたばかりだと思っていたら、もう10月も23日である。今度の東京五輪は私が74歳の夏に開催される。私はいまだ五輪のいかなる競技、開会式、閉会式をも直接会場で自分の目で観たことがない。今回もたとえ生きていたとしても観に行くことはない。しかし一つの目標になる。

  国立ガンセンター名誉総長 垣添忠生(かきぞえ・ただお)先生は「人間の命は有限ですから、ある年齢までいったら死生観をもたないとダメだと思います。いつまでも生きられるような錯覚を自分で十分努力をしないで持つというのはおかしいと思います」という。私はこれからも自分で努力して私自身の死生観を少しでも根っこがしっかりしたものにして7年後を目指したい。


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砂漠の国の鮭

2013年10月21日 | Weblog

  朝食に甘塩の焼いた鮭の切り身があるだけで嬉しくなる。私は横浜の『横浜そごう』店地下2階にある『つきすそ』という魚屋が好きでよく見学に行く。そこで本物の魚を見ているだけで幸せになる。現在の魚産業は惨憺たる現状である。魚は獲れない、売れない、高い、買わない代表商品となってしまった。先日『つきすそ』で一切れ6300円の鮭を見た。鮭児(ケイジ)と呼ばれる白鮭である。(鮭児とは:遡上状態にまで育っていない若い鮭が産卵のために遡上する鮭に混じって網にかかって捕獲される鮭である。ロシア北部の川で孵化してカムチャッカ周辺や日本近海を回遊する。未成熟で体重は2kgぐらい。脂肪率は2割から3割と油のりが良い。1万匹に1匹といわれ高額で取り引きされる。春から夏に獲れるものは時不知(ときしらず)と呼ばれる)

  海外で暮らしていた時、鮭が手に入らないと鮭がついた朝食は幻のメニューとなる。面白い映画をDVDで観た。英国BBC放送が制作した映画『砂漠でサーモン・フィッシング』である。英国の魚類研究家がイエメンの大金持ちに川で鮭を釣れるようにしてくれと依頼される。英国人も鮭が好きらしい。何かの本でひと昔前の英国の庶民のごちそうは、缶詰の鮭に酢をかけただけのものだと書いてあった。映画の中に英国人の鮭に対する深い思い入れを感じる。鮭釣りもスポーツとして趣味として定着している。私もサハリンで生まれて初めての鮭釣りをしたが豪快でスポーツと云われる理由が解った。

  英国でイエメンの大金持ちが鮭釣りの醍醐味を知ってしまった。大金持ちの夢は、イエメンの川に鮭を放流して、鮭を育て、鮭釣りをすることだった。砂漠の国イエメンで寒い海でしか育たない鮭の放流という奇想天外な計画を金の力で実行する。英国の政府が絡んできたり、アラブのテロリストが襲撃してきたり、ハラハラドキドキさせて物語が進行する。魚類学者と英国とイエメン政府の仲立ちをする会社の担当女性社員との恋愛の進展も面白い。

  セネガルに住んだ時、月に数回『スコール』という高級スーパーに北欧から輸入された鮭が一本並んだ。横浜そごうで見た一切れ6300円の“鮭児”以上に私は目を見開いて敷き詰められた絨毯のような氷の上に横たわる美しい銀色の魚体に見とれた。値段は憶えていない。相当な覚悟で買った。無理をしてでも一匹丸ごと買いたかったが、他の鮭を買いたい食べたい客のことも考え数切れ買った。魚売り場を取り仕切る白衣を着た巨体の黒人店員が大きな包丁で銀色に輝く鮭を切る。中から何とも言えない紅色の身が竹の中のかぐや姫のように出てきた。家の台所で宝物に触るように丁寧に塩を振り、日本から持って行った「ピチット」(オカモト株式会社製 浸透圧脱水シート)に包んで12時間から20時間冷蔵庫に入れる。

  朝食でなく夕食にご馳走として食べた。ほっぺたが落ちる、という表現をあれほど実感したことはない。映画『砂漠でサーモンフィッシュング』を観ていて、やはり砂漠の国セネガルで食べたあの鮭の味を思い出した。一切れ6300円の鮭児に負けない味だったと想像する。

写真:近所のスーパーのセールで5切れ600円のノルウエー産養殖鮭


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伊豆大島の台風26号による土石流の大惨事

2013年10月17日 | Weblog

  私の住む町の海岸から伊豆大島がよく見える。その伊豆大島で16日、台風26号接近による大雨によって三原山の山腹がくずれ土石流が発生した。土石流はふもとの元町の一部を飲み込み、死者17名行方不明42名という大惨事となった。

  土石流が起こったのは午前3時ごろだったという。私の住む場所と伊豆大島はおそらく直線距離で50kmと離れていない。私は台風の接近上陸に備えて寝る前にベランダを片付けて、いつもより1時間早くベッドに入った。普段朝まで途中で目を覚ますことなく睡眠できる。ところが珍しいことに午前3時に目が醒めた。隣りの妻も目を開け、目覚まし時計の灯りボタンを押し「3時」と言った。窓から家の外を見て、「雨は降っているけれど、風はそれほど強く吹いていない」と教えてくれた。いつの間にかまた寝入ってしまった。

  翌朝5時、テレビで東海道線が全面運休していると言った。伊豆大島の土石流のことは何も言っていなかった。新幹線は平常運転されていた。駅まで行ってみて東海道線が動かないなら新幹線に乗れる駅まで車で送ると決めて家を出た。東海道線は運行される予定は立っていない、と駅に表示されていた。熱海駅まで妻を送ることした。海岸沿いを走る有料道路は閉鎖されていた。国道は倒木や風で吹き飛ばされた枝や葉で覆われていたがすでに交通の支障になる大きな倒木や枝は片付けられていた。海の向こうに伊豆大島がはっきり見えた。少し陽の光も射し始めていた。不謹慎にも二人で「もう台風、この辺は通り過ぎたみたいだね。大島がきれいに見える」と会話した。雨も風も小康状態だった。

  家に戻った。11時半の予約をとってあった小田急相模原駅近くの行き着けの歯医者に電話した。「電車が止まっているので遅れるかもしれない」と告げた。運転再開の一番電車を乗り継ぎギリギリ予約時間に間に合った。レントゲン検査で3本の歯の周りのあごの骨が歯槽膿漏で融けて後退が危険な状態に達しているとの診断を受けた。これを治療して止めることはできないが、歯石の除去と研磨で進行を遅くすることはできる、と言われた。台風の所為で予約患者が来院できず歯科医師の診療時間が空いているので、今日その治療ができるというのでやってもらうことにした。麻酔をかけられ、歯茎の奥をガリガリゴシゴシと治療された。私は緊張と大嫌いな歯科医療ドリルの音から逃れようと両手の拳を色が変わるほど強く握り締めていた。治療が終わったのが1時半だった。約2時間かかった。お昼抜きだったので腹も減っていた。普段なら低血糖発作を起こしていただろうが、麻酔のせいか空腹感はなかった。

  やっとのことで帰宅した。そしてすぐインターネットで伊豆大島の大惨事を知った。正直情けなかった。我が家からさほど離れていない伊豆大島でこれほどの災害が起こっているのも知らずに午前3時に目を覚まし、台風の被害が身の回りに及んでいないことをさいわいに眠りを貪っていた。老化することで自然劣化する歯、歯茎、骨の治療に時間と金をかける。そいう自分が愚かにみえる。我が家の裏も山が目前まで迫っている。家の前には川が流れる。災害は時間も場所も選ばない。次は私だと思いつつ、伊豆大島で土石流に命を一瞬にして奪われた人々のことを思うとなんともやるせない。


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サンダルのミステリー

2013年10月15日 | Weblog

 

  1 5メートルぐらい先にサンダルが落ちていた。12日土曜日午後3時、外出から帰宅して地下の駐車場に車を入れ、荷物を持って裏口に向かおうとしていた時だった。集合住宅は6階建である。一番下の階が玄関ホールになっている。住居部分は1階から5階まで左右に10軒ずつ合計20世帯が住む。

 サンダルが落ちていたのは私が住む区画近辺だった。(私の家のサンダルではない)私は決めつけた。ということは我が家の上の4軒のうちのどこかから落ちたのであろう。子供たちがベランダでふざけていて落ちたのかもしれない。干しておいたサンダルが風に飛ばされたのかもしれない。夫婦喧嘩で投げられたのかもしれない。妄想が途切れなく湧いてくる。一軒ずつ「これお宅のサンダルですか?」と尋ねまわるのも、大きなお世話になる。サンダルが誰のものか判ればその家に届けることも可能だ。こういう場合見て見ぬ振りをするのも気遣いである。落とした人が気がついて探そうとする場合、あるがままの状態が必須である、と私は過去の経験から学んだ。サンダルをそのままに私は部屋に戻った。

 家に戻ってからしばらく経ってから妻がベランダに干した洗濯物を取り入れようと外に出ようとして叫んだ。「サンダルが片方ない」(なんだ、あのサンダルはウチのものだったのか)上4軒の家ときめつけて勝手に推理したことが恥ずかしくなった。とにかくサンダルを見つけた時の私の疑問が解けた。あの時サンダルに近づいて行って確かめればよかったのだ。私は妻に言った。「駐車場に落ちていたよ。まさか自分ちのものだと思わなかったのでそのままにしてあるよ。取って来ようか?」「いいわ、私が取ってくる」妻が下の駐車場からサンダルを持って来た。

 さあそれからが問題である。何事も顛末が究明されないと済まない性質である。(今朝からずっと出かけていて、8時間は留守だった。何故サンダルは駐車場に落ちていたのか)私は探偵か刑事になったかのように推理した。①猿がまた来てサンダルで遊び間違って駐車場に落としてしまった。②駐車場に舞い降りる以前脅したことがあるカラスが復讐にでた。③よく進入してくる野良猫がサンダルで遊んで落としてしまった。④誰か人間が入り込んで私たちに嫌がらせでやった。

 妻から手渡されたサンダルを詳しく観察した。サンダルの踵の部分に噛み傷がついていた。猿の歯型か猫の歯型か見分けがつかない。ベランダのスノコ、桟、ガラス戸、網戸、どこかに足跡とか手の跡がないかと探した。注意深く目を皿にして見回ったが、何ひとつ確証になるようなものを見つけられなかった。歯型が人間のものでないことにひとまず安心した。

 真相をつかむ事はできなかった。私はどんな些細なことにも答えを求めようとする。答に到達できないと落ち込み気分が晴れない。これを教訓としてますます注意深く用心深く暮らしたい。台風26号がこの地方を襲うらしい。できるだけの備えをして被害を最小に抑えたい。後で真相をつかめないことがないよう答えを導く手がかりをたくさん付けておくよう心がけたい。(写真:サンダルが落ちていた状況を再現)


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ところ替われば

2013年10月11日 | Weblog

 浜田宏一エール大学名誉教授は安倍首相のブレインとして有名で、アベノミクスの強力なご意見番である。マスコミへの登場も多い。浜田教授と日銀の白川元総裁は東京大学で師弟関係だと自慢げに浜田教授の本『日本の復活をアメリカは知っている』(講談社 1680円)の中で書いている。浜田教授は教え子である白川さんに対して批判的である。東大では白川さんは秀才だったが、日銀総裁としては評価しないと言う。浜田教授は白川さんがまだ日銀総裁だった時に注進しようと手紙を出したが梨のつぶてだったことが原因らしい。日銀総裁を辞めた後も白川さんは沈黙を守っている。アメリカのFRBの歴代議長のように自伝なり回顧録を出版して、腹のうちを語ってもらいたいものである。浜田教授がどんなに偉い先生か知らないが、テレビに映るたびに肩いっぱいに拡がるフケが私の顔を画面からそむけさせる。身だしなみは大切だ。ましてやアメリカの大学で教える国際派であれば尚更だと私は思う。

 長野県の高校で私は劣等生だった。特に理数系では追試の連続だった。東大出のポチというあだ名の数学教師がいた。私のようなデキの悪い生徒を完全無視した。優秀な生徒には敬われていた。彼の口から発せられた言葉はトゲどころか毒さえ含んでいた。人間的に尊敬できる教師ではなかった。私の劣等感が破裂しそうなくらい膨張していた。日本の高校にいたままなら、私の人生は別の展開をみせたであろう。

  私はカナダの高校へ移ったことで状況が変わった。苦手だった数学も12年生(日本では高校3年生)の一学期に履修登録した生徒は80数名中たった3人だった。私以外の2人の生徒は1学期が終った時点で数学をあきらめ、他の科目に移った。二学期には私一人になり他の生徒は学科変更してしまっていた。数学のパウルス先生との個人レッスンになった。高校三年生で2次方程式が中心の授業だった。パウルス先生は、私に是非大学で数学の勉強を続けなさいと勧めてくれた。ポチ先生に聞かせたかった。

  私は教師の使命は、解らない生徒を教師の力量と技術で指導してひとりでも多くの生徒を理解させることにあると信じる。その点から言えば、ポチ先生よりパウエス先生の方が教師として私の評価は高い。私は日本の学校で成績が低迷していている生徒に言ってあげたい。「今のあなたの成績は、よそへ行ったら評価が違うかもしれない。だから現在が自分の絶対評価ではないと考えて、転地やり直しも選択肢になる」 学校に行きながら、日本の多くの学生が塾や予備校でも学ぶのは、ある意味この転地学習の役目を果たしているのかもしれない。

  私は“転地療養”というか“転地再出発”の信棒者である。ここでダメならあっちならどうだろうか。ところ替わればと考えて移動すれば違った世界が待っているかもしれない。移転先の選択さえうまくいけば、イジメ問題、人間関係、心療問題、健康、成績不信、教師不信に効果抜群である。私には転地は最高の結果をもたらした。ポチ先生は私を馬鹿と決めつけた。カナダのパウルス先生は私を賞賛してくれた。“ところ替われば”の実例だった。

  帰国して上田で結婚して、そして10年で離婚した。再婚して海外を転々として、現在は関東に住む。人の評価は一箇所だけでは決定されない。環境を替える事で新たな展開を望むことができる。日本では学校も職場も結婚も替えずに貫き通すことが美徳とされる。私も高く評価する。それでもダメなら違う選択肢もあることを知ってほしい。地球は丸くてでかく、そこに70億の人間が生きている。日本だけが活躍の場ではない。福沢諭吉は「本人に外出の勇気あらん者は、世界到る処に第二の故郷を作らしむ可きなり」と言った。住み慣れた場所を去ることは、寂しいことである。一方勇気をもって誰も知り合いのいない場所で一からやり直すのも心地良いと私は感じた。ここがダメならあっちはどうかと思い続けたい。

 10月8日、
東京の三鷹市で高校三年の女生徒が元交際相手の21歳の男性に殺された。ストーカーから身を守るには、転地して相手からできるだけ遠くへ離れることである。被害者の女生徒はアメリカへ留学した経験があった。「本人、もしくは家族に外出の勇気があったなら・・・殺されずにすんだかもしれない」


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カラダからの手紙

2013年10月09日 | Weblog

  寄生虫や便の権威といえば東京医科歯科大学の藤田紘一郎教授である。私はネパールとアフリカのセネガルで暮らした8年間、藤田教授の本を何冊も読んで寄生虫対策に備えた。それでも寄生虫検査で陽性となった。帰国休暇で日本に戻った時は、本で紹介されていた東京の日本寄生虫博物館を訪ねた。海外での生活、特に健康問題に役立てることができた。

  最近この分野に新星が現れた。辧野義己先生である。彼は酪農学園大学獣医学科卒業、東京農工大学大学院を経て、現在理化学研究所所属の科学者である。藤田教授のような医者ではないが、大変ユニークな研究者である。小学生の時、毎年検便という寄生虫の有無を調べる検査があった。提出するたびに「こんな嫌な、それも他人のモノを平気で顕微鏡で調べる人々が本当にいるのだろうか。いるとしたら、その人たちは偉い人だ」と感心していた。辧野先生はまさにその偉い人なのだ。テレビ番組に出演した。ユーモアたっぷりの上手な話し方、にこやかな優しい表情が印象的だった。苗字の辧と研究対象の便をかけ、自分は“便の”先生だと自己紹介した。小学校で想い描いた“偉い人”に50数年ぶりにやっと会えた。

  まず次の辧野先生の腸年齢チェックを受けてほしい。□に✓を入れるつもりで✓を頭の中で数えてみる。

食事編

□朝食は食べないことが多い□朝はいつも忙しい□食事の時間は決めていない□外食は週4回以上□野菜不足だと感じる□肉が大好き□牛乳や乳製品が苦手□アルコールを多飲する

生活習慣編

□トイレの時間は決まっていない□おならが臭い、臭いと言われる□タバコをよく吸う

□顔色が悪く老けて見られる□肌荒れや吹き出物が悩みのたね□ストレスをいつも感じる

□運動不足が気になる□寝付きが悪く寝不足

トイレ編

□いきまないと出ないことが多い□排便後も便が残っている気がする□便が固くて出にくい□コロコロした便が出る□ときどき便がゆるくなる□便の色が黒っぽい□出た便が便器に沈みがち□便が臭い、クサイと言われる

✓が4個以下 腸年齢=実年齢 合格 今の生活を続ける努力

✓が5-9個 腸年齢=実年齢+10歳 気を抜かないで

✓が10-14個 腸年齢=実年齢+20歳 崖っぷち

✓が15個以上 腸年齢=実年齢+30歳 危険信号 即、生活習慣の改善を

  私は2個で「合格、今の生活を続ける努力」だった。

 

 私は自分の健康のバロメーターは便だと信じている。ストレスの固まりだった離婚前後、ひどい便秘で苦しんだ。仕事の重圧もあった。経営者としても心痛、資金繰りの悪化、知人の保証人としての代理弁済、離婚後の子育ての悩み、ストレスの原因はいくらでもあった。そんな生活が14年続いた。私を救ったのは、再婚した現在の妻である。体調の変化が顕著に表れた。便秘が嘘のように消えた。しかし病気は長い時間をかけて体を蝕む。再婚直後糖尿病が悪化した。妻の懸命な私の食生活改善と妻の海外転職により劇的な転地療養が始まった。体調はみるみる良くなり90キロを超えていた体重は62キロまで減量された。離婚後面倒をみる二人の子供が大学を卒業したら死んでもいいと無理に無理を重ねたツケが因果応報となって戻った。病気を抱えながらも、妻の御蔭で寿命がずいぶん延ばされた。

 糖尿病の合併症がひとつずつ結果としてあらわれてきている。2001年に心臓が狭心症の発作を起こしバイパス手術を受けた。糖尿病による歯槽膿漏で多額な治療費がかかったが何とか治してもらえた。心臓の冠動脈でも頸動脈でも脳動脈でも動脈硬化による狭窄が日毎に悪化してきている。コレステロール、尿酸値の数値も悪い。痛風の発作も出た。20年かけて自分の体を痛めつけ病気にさせた。それを短時間で元通りに戻せるわけがない。食事療法も運動も続けている。病気との共存しか道は残されていない。現在何とかなっているのは、幸いなことに便通がよく血圧も正常であることだ。

  辧野先生は言う「女はためて、男はくだす。便通はletter from 体、体からの手紙です。便所はお便りどころです。しっかり体からのお便りを見ましょう」 私は体からの手紙は自分の健康状態を知る大きな手がかりだと信じて、毎朝カラダからの便りを読んでいる。


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掘って、埋めて、また掘って

2013年10月07日 | Weblog

  いまはどこでも道路はほぼ舗装されていて、土むき出しの昔懐かしい道路は見つけるのが難しい。舗装道路の多くにパッチワークのようにツギハギがある。我が家の前の市道でも工事がおこなわれた。今度は下水管を埋める工事だ。

 ツギハギの道路を見るたび、私は疑問を持つ。これだけ工事を繰り返して無駄に使った貴重な税金は、総額いくらになったのか。その額は最初に共同溝を工事する額をはるかに超えているに違いない。モッタイナイ。現在日本全国で生活関連の社会資本施設の老朽化が進んでいる。日本国中更にツギハギは増える一方である。

  告知回覧によると工事は1ヶ月続くと書いてあった。私の日常は読書と物書きの2本立てと、いたって単純な日課である。一日ほとんど椅子に座ったままである。住む集合住宅を気に入っている。静かで自然に囲まれ、家の前には川が流れていて、せせらぎの音さえ聞くことができる。そんな環境にすっかり慣れてしまった。音でもニオイでも振動でも住む家の環境を乱されるのは嫌なものだ。

  2020年の東京五輪が決定した。電柱地中化工事が推進されると新聞が伝えた。すでに東京では大規模共同溝工事が始まったそうだ。国土が狭い日本で地下の活用はこれから多くなりそうである。つまり掘って、埋めて、また掘って、道路の舗装はツギハギだらけになるということだ。インフラが整備されることに文句はない。

  明治維新以降、西洋社会に追いつけ追い越せと日本は西洋から多くのことを学んだ。西洋社会のように地下に共同溝を張り巡らせなかったのは、何か理由があっただろうか。先見の明がなかっただけかもしれない。予算がなくてできなかったのかもしれない。雨が多く水害が多く地下を避けたのかもしれない。日本の兵法に塹壕を掘って戦う戦法がなかったからかもしれない。いずれにせよ“お上”まかせの風潮であったことには間違いない。

  アメリカでは暫定予算が議会で承認されず、ついに政府機関が閉鎖されるという事態に陥った。加えて10月17日までに債務上限の引き上げが議会承認されなければ、30日に債務不履行が発生する。国が混乱し国民生活に悪影響を及ぼすのはよくない。しかし私はアメリカの議論の紛糾を羨ましい。日本には債務の上限がないかの如く戦後一貫して債務額を増加させてきている。それはあたかも親がわがままな子供に欲しがる物を次から次へと何でも与えてしまうのに似ている。

  国家予算も一般庶民の家計も変わらない。私の母親は「支出を収入より増やさない」を守った。いつもニコニコ現金払いに忠実だった。父親は新しい物好きで、無理をしてでもすぐ買いたがった。月賦制度を打出の小槌と勘違いしているふしがあった。常に母親が後始末した。堅実な母と浪費家の父の喧嘩は絶えなかった。私は父親に似ていた。母親の生き方を理解できるようになったのは、離婚してからだった。遅かったけれど破綻は免れた。どこの国であれ、役人も政治家も秀才が多いはずである。その才能機転知恵を自分たちの利益権益のために使うのではなく、国家の健全な財政のために使ってほしい。小学校も満足に通えなかった母親でも家計を見事に切り盛りできたのだから。

  道路にツギハギがない日が日本に来ますように。


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