団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

われ、幻のカワセミを見たり

2023年11月29日 | Weblog

  11月26日朝、妻と散歩した。空はどんより曇っていた。川べりの歩道の坂をいつものようにディープブレスしながら上がって行った。ディープブレスとは、歩きながら姿勢を良くして、息を3秒吸って、7秒で吐き出すこと。私は、散歩の間、ずっとディープブレスを続ける。

  突然、河原の岩が点在する中で、まるで青く輝くLEDランプのような小さな物体を見た。「カワセミ!」 そんなことあるわけない。この川べりを春夏秋冬20年以上歩いた。その間、カワセミを見たのは、たった一度だけだ。あの時、カメラを持って散歩に出なかった。今回は持っている。何と言う幸運。でもコキロクは、動作がニブイ。カメラの望遠でピントを上手く的確に合わせられない。履いている靴は、KEENの靴底が、ギッタンバッコンする弓なり。体も安定しない。持っている杖を妻に渡す。手袋を脱いでポケットに仕舞おうとして、片方地面に落とす。あわてるな、と自分に言い聞かせる。望遠を目いっぱいまであげた。ぼやけてる。ピントが合わない。合った。でもカワセミがいない。カメラのレンズを動かしてカワセミを探す。望遠にしてカメラを動かすと、目が回る。カメラの画面から目を逸らして、自分の目でカワセミを探す。いた。綺麗、なんて綺麗な色なのか。見惚れる。カワセミは、元気よく岩から岩へと移動する。なんとしてもカワセミの写真を撮りたい。

  先日、妻を駅に迎えに行った帰路、住む集合住宅のすぐ近くでウリボウ3頭母親らしい親イノシシ計4頭を見つけた。私は、咄嗟に車を道路端に止めた。携帯電話で写真を撮って、集合住宅の住民に注意喚起しよう考えた。妻が「危険よ。子連れの動物は、一番危険。早く車を出して」と金切り声をあげた。私は、携帯電話をしまって、車を動かした。今でもあの決定的瞬間を写真に納めなかったことを後悔している。今回カワセミに対しては、金切り声を発していない。妻もカワセミの美しさと奇遇を喜んでいた。

  コキロク、パニックを乗り越え、健闘の甲斐あってカワセミをばっちり撮ることができた。カワセミは、川上に向かって飛んで行ってしまった。カメラの中にカワセミがいる。見たい時は、いつでも見ることができる。妻が「今日何かいいことあるかな」と言う。まだ散歩コースの半分も歩いていなかった。いつもは、ヨタヨタフラフラ歩くのだが、カワセミを見たせいか、シャンと歩ける気がした。

  家に戻って、すぐカメラからフロッピーを抜いて、パソコンに取り込んだ。画面いっぱいに拡大した。なんと美しい。この綺麗さは何なんだ。カワセミでグーグル検索してみた。『カワセミは日本では幸運を呼ぶ「幸せの青い鳥」です。カワセミはその見た目の美しさから青い宝石と呼ばれ、また狙った獲物を逃がさないことから「望みが叶う」という言い伝えがあります。」妻が「いいことあるかな」と言ったのも、ただのあてずっぽうではなかった。

  以前、東北ツアーで十和田湖へ行った。バスガイドが講談師のように映画『われ、幻の魚を見たり』を語った。あまりの好演に妻も私も感動した。魚が棲まない十和田湖にヒメマスを持ち込んで苦労した夫婦が十和田湖に棲みついたヒメマスを発見して「われ幻の魚を見たり」と言ったという。私は言いたい。われ、幻のカワセミを見たり


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マッシュポテト

2023年11月27日 | Weblog

  マッシュポテトを無性に食べたくなる時がある。マッシュポテトは、カナダの全寮制の学校では主食だった。毎日昼と夜は、マッシュポテトだった。カナダ人の学生が、「この学校の食事は、刑務所よりひどい」と言っていた。私は、日本でカナダの学校へ行けば、毎日ぶ厚いステーキが食べられるだろうと思っていた。それは失望に終わった。肉は、まったく献立になかった。外出が許される日に町に出かけて行って、ハンバーガーを食べるのが、楽しみだった。

 学校は、キリスト教の学校で、自給自足をすることによるどんな環境でも生活できる教育を標榜していた。パンになる小麦粉は、広大な農場で生産された。小麦は、製粉して焼かれてパンになった。牛乳は、56頭の乳牛。卵は、数千羽の鶏から。そしてジャガイモも農場で生産されていた。学生とスタッフ合わせて約2800人の大所帯だった。全員が朝昼晩と食事することができた。

 マッシュポテトは、皿の真ん中に置かれる。次にグレービーソースという肉の焼き汁を小麦粉でとろみをつけたソースをかけてもらう。トレイを持って列に並んで待つ。番が来ると、皿の上のマッシュポテトの山にオタマを乗せ、クリクリと火山の噴火口のようにくぼみを作り、そこに溢れんばかりのグレービーソースを入れる。8人掛けのテーブルに順番に詰めて座る。祈りを捧げてから食事を始める。昔砂場で砂の山に旗を立てたり、火口のような窪みを作って、そこに水を入れ、山を順番に崩し、旗を倒したら、水を決壊させたら負けという遊びがあった。それを思い出しながら、マッシュポテトにグレービーソースを付けながら、崩し食べた。

 カナダの学校でのマッシュポテトは、飢え死にしないために食べるモノだった。今、日本に暮らして、どんな食材でも手に入れられる。それなのになぜあのマッシュポテトを食べたくなるのか不思議だ。学校にいた時、学校を出たら、もうマッシュポテトは、金輪際、食べたくないと思った。

 石原慎太郎が「哲学とは、時間である」と言ったとか。難しいことは、わからない。でもマッシュポテトと時間の関係が哲学と考えると何故か理解できる気がする。私は、「哲学とは、人を幸せにする学問」という考えが好きだ。嫌だと思ったことがいつしか幸せになる。

 客人をもてなすために低温調理器を使って、ローストビーフをつくった。付け合わせをマッシュポテトにすることにした。ローストビーフは、低温調理器で2時間30分加熱する。その前に、たくさんの野菜、ハーブのタイム、ニンニクなどで軽く焼いた肉の塊を包んで、真空パックにして数日冷蔵庫で寝かせる。手間がかかる。コキロクには辛い。何とか手を抜こうとする。付け合わせのマッシュポテトが手抜きされることになった。

 以前、どこのスーパーにも箱に入った粉のマッシュポテトが売られていた。どこのスーパーでも買えると低温調理器に肉を任せて、マッシュポテトを買いに行った。1軒目ない。店の人に聞くとマッシュポテトという言葉が通じないようだった。他の店員が置いてないと断言。2軒目なし。3軒目なし。あきらめかけて入った4軒目で発見!手抜きが更なる手間を産んだ。市販のマッシュポテト、それでも私には肉よりずっと美味かった。


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突然の別れ

2023年11月21日 | Weblog

  知人が突然出先で亡くなった。知人とは、借りている駐車場で車が隣合わせである。知人はコーギー犬を飼っている。散歩の時間が同じくらいなので、散歩の途中でもよく出会う。

 17日妻を駅に迎えに行って車を駐車場に入れようとした。夕方6時半を過ぎていた。もうこの時間には、暗く車のヘッドライトは自動で点灯していた。知人の車の前に人影が浮かんだ。何かあったのかと思った。どうやら知人の奥さんらしい。今までご主人が出かけている時、犬の散歩で会って会釈したくらいで話したこともなかった。ご主人が亡くなったことを私たちは知っていた。でもあちらから知らされていたわけではない。ご主人のお悔やみを言うべきか言わない方がよいのか迷っていた。奥さんの方から話しかけてきた。私は、初めて奥さんの声を聞いた。「うちの車のハザードランプがついていると知らせてもらったのですが、私は車の事まったくわかりません。どうしたらいいでしょうか?」

 実はご主人が亡くなった次の日、妻を駅に迎えに行こうとして駐車場に行こうと歩いていた。突然「ヴィヴィグワーッガー」の鋭く耳を被いたくなるような音がした。10メートルくらい先の車のハザードランプが点滅していた。私は、まさか私が押した車のドアの自動開閉装置の電波が、隣の車に同調してしまったのかと心配になった。車の脇に立って、私の車のドアを開けた。その時点で隣の車のハザードは消えていた。知人の奥さんに知らせた方が良いのか迷った。ご主人が亡くなった直後、いろいろ大変な時に、こんなこと知らせることはないと思い、そのまま妻を迎えに行った。

 その翌々日、駐車場に知人の奥さんと会ったのだ。2回目のハザード。奥さんは車の免許も持っていない。車の事は全く分からないという。私も車を運転するが、機械オンチで分からないことだらけ。「2日前にもハザードついたのですが、しばらくしたら消えました。車屋に連絡して、みてもらった方がいいと思います」 こんな時、何もできない自分に腹が立った。狼狽えるばかりの奥さんを見て、申し訳なく思った。

 私は、これは超自然現象で、亡くなったご主人が警笛を鳴らし、ハザードを点灯させているのか思ってしまった。奥さんをひとり残して可愛がっていた犬とも別れて、悔しくてこんな行動を取ったのかもしれない。今まで一度もなかったことが、立て続けに起こった。死後の世界を信じない私だが、不思議な出来事である。

 狼狽える奥さんの姿を見て、私は、私が死んだ後、私の妻は、知人の奥さんのように狼狽えることばかりだろうと想像する。車の免許を持っていても、この30年以上運転をしたことがない。途中、運転再開しようと練習したが、隣の私が恐怖に陥り、中止した。このところ友人知人の訃報が多い。いつかは自分の番が回ってくることは間違いない。妻と死別することなど、考えることさえ嫌だ。でも私亡きあと、妻が狼狽える度合いをできるだけ軽減するために、できる準備をきちんとしておかねば。

 今朝、妻を駅に送る途中、犬を散歩させている知人の奥さんと出会った。車を停めて、窓ガラスを降ろし「その後、車いかがですか?何かあったら連絡ください」と伝えた。犬が私の顔を見上げた。この犬、知人が亡くなったということ分かっているのだろうか。亡くなった知人の悔しさ、残された者の割り切れなさに胸がつまった。


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チンチン電車

2023年11月17日 | Weblog

  私が育った長野県上田市の家の裏を上田丸子電鉄真田線の電車が通っていた。家の敷地の西側の面、約20メートルが電車道に接していた。北側は国道18号に面していた。国道には自動信号機があって、電車が通過する時は、遮断機が降りて、国道の車両を一旦停止させた。物心がついた時から、生活の中に電車、踏切、国道があった。それが高じて、小学生の時、ほとんど毎日、上田駅の改札に列車を見に行った。電車の車掌に運転手に憧れた。結局、私は、車掌にも運転手にもならずに大人になった。育った家も売って、閑静な住宅地に家を建てて、引っ越した。上田丸子電鉄真田線も乗客の激減で廃線となって、土地は売却された。私の乗り物好きは、今も変わらない。

 先月友人夫妻と福井富山旅行に行ってきた。福井市と富山市のホテルに泊まった。福井市にも富山市にもチンチン電車が走っている。チンチン電車という呼び方が好きだ。路面電車とか市街地電車という呼び方もあるが、チンチン電車が一番合っている。車や人の通る同じ道路上を電車が走る。危険が多い。そんな時、電車は「チンチンチン」と鐘を鳴らす。車のクラクションのように威嚇的でなく、優しい響きである。福井と富山のチンチン電車は、古い車両もまだ走っているが、最新型の車両も増えた。おそらく最新型の車両の警笛は、チンチンチンではないだろう。古い型の車両に「チンチンチン」は、似合うが、最新型はあまりにもスタイルが良すぎて合わない。ちょんまげ姿のお侍が、新幹線ののぞみの席に座っているように思える。 日本には、現在札幌市交通局(北海道札幌市)、函館市企業局交通部(北海道函館市)、東京都交通局(都電)(東京都)、東急電鉄(世田谷線)(東京都)、豊橋鉄道 (愛知県豊橋市)、富山地鉄(富山県富山市)、富山ライトレール(富山県富山市)、万葉線(富山県高岡市・射水市)、福井鉄道 (福井県福井市)、京福電気鉄道(京都府京都市)、阪堺電気軌道(大阪府大阪市・堺市)、岡山電気軌道(岡山県岡山市)、広島電鉄(広島県広島市)、土佐電気鉄道(高知県高知市ほか)、伊予鉄道(愛媛県松山市)、長崎電気軌道(長崎県長崎市)、熊本市交通局(熊本県熊本市)、鹿児島市交通局(鹿児島県鹿児島市)のチンチン電車がある。最近栃木県宇都宮市に新しくチンチン電車が開通した。私は、すでに19路線のうち、13路線に乗った。できれば19路線すべてに、生きているうちに乗ってみたいと願っている。偏見かも知れないが、チンチン電車がある都市は、観光的な魅力度が高い気がする。

 世界でもチンチン電車に乗った。ベオグラード、ウイーン、ハーグが印象に残っている。サンフランシスコは坂の多い町だ。あの坂道をチンチン電車ならぬケーブルカーが走っている。車掌が、ヒモを引くと「チンチンチン」と鳴り響く。細かいことを言わずに、あれもチンチン電車としよう。サンフランシスコでケーブルカーに乗った時、上田駅から大星神社までのあの坂道に、サンフランシスコのようなケーブルカーを通したら、と考えた。上田駅は千曲川の河岸段丘にあって、市街地は、河岸段丘の上にある。駅から太郎山のふもとまで、けっこうな坂道になっている。宇都宮市がチンチン電車の導入を決め、完成させた。上田市にもチンチン電車を!夢は見るもの、語るもの。見る、語るに金はかからぬ。


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小さな出来事

2023年11月15日 | Weblog

  4年近く、コロナに感染するのではという恐怖に脅えた。猛暑が続いて、地球はどうなってしまうのかと不安にかられた。ロシアのウクライナ侵攻が長引く中、今度はハマスとイスラエルの戦いが始まった。中国や北朝鮮の動きも相変わらず予断を許さない。テレビやラジオやネットのニュースは、私の気持ちを暗くするものばかり。テレビのコメンテーターが言う事も信用ならない。テレビの番組は、つまらない。政治に期待することもない。卵がない。ガソリンの価格が上がる。料理をしても近所の店では手に入らない物が多い。サンマがサヨリみたいに小さく細くなって値段は、高い。家の周りにイノシシが出没する。猿の軍団が集合住宅の中にまで入ってくるようになった。エアコンから水が漏れる。ウシュレットの便器から水が漏れる。車を駐車中に擦られ、傷がついた。

 不満は、山ほどある。でも私を何とか持ちこたえさせてくれる小さな出来事もある。私を支える妻がいる。彼女の笑顔、笑い声に励まされる。駅に迎えに行って、改札口から出てくる彼女を見れば、嬉しくなる。散歩に出れば、世情から逃げられる。川の流れを見つめ、流れの音を聴く。空を見上げる。山々の稜線の上は青い空。ちょこっと白い雲が浮かんでいる。山に目を向ければ、紅葉が始まっている。道路上に葉が落ち始める。道路が落葉の絨毯に変わる。春の桜の花びらで絨毯になったのを思い出す。私は、恥ずかしそうに上目遣いに見れば、笑顔がある。玄関前に、丹精込めて育てた大輪の菊を並べている家がある。春、あれほどたくさんいたツバメの巣がひっそりと春を待っている。すれ違う人から「おはようございます」と挨拶される。登校途中の小学生が、年寄りが信号が赤でも平気で渡っているのに、じっと信号が青に変わるのを待って、手をあげて渡る。歩道を渡ろうと立っていると、スピードを落とすこともなく通り過ぎる車もあるが、ゆっくり止まってくれる車もある。散歩を終えて家の玄関を開ける。温かい。今朝飲んだコーヒーの香りが漂う。トイレの照明のスイッチを押し、ドアを開けると、便器の小さなブルーのLEDのライトが光る。便器の上蓋が上に自動で「ヒュー」と跳ね上がる。子供の頃、トイレの紙は新聞紙だった。新聞紙さえなくて、大きな声で助けを求めた。今は違う。柔らかで2枚重ねのロールになったいい香りまでついている。脇の戸棚にはストックされたロールが積み重ねられている。トイレから立ち上がれば、30秒後に水が自動的に流れる。放送局のテレビ番組は、つまらないものが多い。それでも大相撲の中継やラグビー、サッカー、アメリカ大リーグの大谷翔平選手の活躍を観ることができる。昨日、妻の応援する琴ノ若と明生の互角の熱戦で琴ノ若のマワシが緩んだ。物言いがつき、審判が協議中、土俵下で出番を待つ、私が好きな貴景勝が琴ノ若のまわしを締め直していた。貴景勝の何気ない優しさを美しいと思った。

 毎日小さな私の気持ちを支えてくれる出来事がある。見ざる聞かざる言わざるを、時に決め込んでいる自分の存在が切ない。悲しい事、心配な事、恐い事、不安な事は、待ったなしに私に降りかかる。でも目を耳を口を小さな良い事に向けて使っていれば、前向きに生きられそうだ。自分だけのことでなく、3メートル四方の人たちへの気配り目配り手配りを忘れないようにしたい。


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ストレスと便秘

2023年11月13日 | Weblog

  フランスには、年間5週間(30日間)の有給休暇があるという。私の妻は、年間40日の有給休暇があるそうだ。しかし妻は、年に3,4日しか消化していない。取った有給休暇だって学会に参加するぐらいである。フランス人は、ほぼ100%この有給休暇をこなすそうだ。私が小学生か中学生の時、ヨーロッパでは夏休みに1カ月の休暇を家族で楽しむと授業で聞いた。小学校へも満足に通えず、丁稚奉公に出された父は、休みは盆と正月の2日だけだった。自営業だった私の父は、1年中休みなく働いていた。ヨーロッパの家族での1カ月の休暇を聞いた時、別世界の話だと思った。子供ながらに日本の労働環境に重苦しさを感じた。

 実際私は、大人になって塾を立ち上げ、父と変わらぬ働きづめの生活だった。盆も正月もなかった。学校が休みになると特別講習で教えた。そんな生活で妻との関係も悪化して、29歳の時、離婚した。二人の子供を引き取った。長男は、全寮制の高校へ、長女はアメリカの友人に預けた。毎月二人の仕送りのために、専門学校、大手予備校、自分の塾、家庭教師を掛け持ちしていた。きつい苦しいと思う前に、こうしていくつもの働き口が与えられたことを悦に入っていた。精神を鍛え直そうと、朝3時に起きて、禅寺に2年間毎日通って坐禅を組んだ。子供二人が大学を卒業するまでは何としてもやり遂げる決意だった。しかし徐々に体調に変化が出て来た。重度の便秘、その時はまだ糖尿病と気づいていなかったが、低血糖で数回意識を失ったこともある。そんな時、劇的な出会いがあった。今の妻との出会いである。医師である彼女は、私が糖尿病であると察し、病院へ行って検査を受けるように勧めた。病院で糖尿病と診断された。彼女の紹介で、2週間の糖尿病教育入院をした。

 彼女と再婚した。妻の海外赴任に同行することになって、20年以上続けた塾をやめることにした。海外では、主夫になって妻を支えた。過度なストレスによる便秘が嘘のように改善した。糖尿病も妻の監視とアドバイスでよくなって行った。80キロ以上あった体重も60キロ代まで落ちた。仕事がいかに健康を害していたか知った。妻にも大きな変化がうまれた。日本の病院勤務では、夜勤が多かった。海外勤務では、規則正しい生活を送ることができた。二人にとって生活環境などの問題があったが、過度な労働やストレスからは解放された14年間の海外生活だった。

 ロシアのサハリンの赴任を最後に妻は、日本の病院に戻った。今は海の近くに終の棲家で暮らし、妻は東京の病院で勤務医として遠距離通勤して働いている。元の木阿弥。妻は、有休休暇をフランス人のように取ることはない。権利があっても取得できるような環境ではないようだ。

 定年退職した後、働く人はフランスにはほとんどいないそうだ。日本では“生涯現役”が美化される。世の中は、定年退職の年齢が延長、年金の受給開始年齢が延長されている。国民性の違いもあるだろうが、定年になったら、働いている時にできなかったことをして、余生を暮らせればいいと願う。

 私は、のべつ幕なしに働いた時と仕事から離れた時の両方を経験した。一番の違いは、便秘に表れた。体は正直である。日本が、重圧とストレスが軽減される老後が保証される国であって欲しい。


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秋をリュックに

2023年11月09日 | Weblog

  昨夜も妻を駅に車で迎えに行った帰り、住む集合住宅の近くの道路上でイノシシに出遭った。車をとめた。前回は母親と思われる大きい1頭とウリボウ(イノシシの子)2頭だった。今回は親1頭にウリボウが3頭だった。私の車のヘッドライトをあびても、警戒するでもなく、堂々と道路をノッシノッシと歩いていた。私は携帯で動画を撮ろうと思った。妻が金切り声をあげ「早く逃げて!ほらこっちに来る!お願い動いて!」 確かにこちらを見つめている。車を出した。

 2週間ほど前にイノシシに遭遇してから、私は散歩の道順を変えた。イノシシの体の大きさからいって、私がとても杖1本で立ち向かうことは、不可能と判断。私の散歩の道順の半分は、草むらの多い山の裾になる。イノシシを防ぐ方法の一つは、草むらを失くすことだと聞いている。変えた道順に草むらはない。

 道順を変えて発見があった。多くの住宅の前を歩くのだが、一軒だけ菊の鉢をたくさん家の玄関の前に置いている。手入れが行き届いた立派な大輪の菊だ。美しい。なるほど日本の国花に相応しい。ある朝、その家の方なのだろう、菊の手入れをしていた。思わず「綺麗ですね!」と声をかけた。嬉しそうに「ありがとうございます」とピンセットで花びらをとりながら答えてくれた。イノシシに出遭う恐怖も消え、こんなに綺麗な菊を楽しめる。散歩時間もアメリカに習って数時間遅らせ冬時間にした。日の出がどんどん遅くなってきたが、散歩に出る時間を遅くすることによって、明るい朝の陽ざしをたっぷり浴びることができる。

 川のほとりの坂道をあがって、折り返し点から街中を通る。家の近くの寺の前の道路は、今、落葉の絨毯になっている。特に柿の葉が綺麗。

  先日、私の前を歩くリュックを背負って2本のストックを使って歩いている老人がいた。立ち止まって腰をかがめた。どうやら落葉を拾っているようだった。私は道端でとまって様子をうかがった。老人は、ストックを片手で2本まとめて持っていた。気に入らない葉を地面に戻す。また新しい葉を手に取って、顔に近づける。10メートルくらいを、そうやってゆっくり落葉を探した。寺の駐車場と道路の境に休むのにちょうど良い段差の石垣がある。老人がそこに腰を降ろした。リュックを肩から外した。リュックのチャックを開け、拾って来た落葉を丁寧に何かに挟んだ。リュックを背負い直して老人は、2本のストックを使って歩き始めた。私も柿の葉2枚を拾った。

  しばらく、この光景を眺めていた。良い風景だ。そしてベオグラードのカリメグダン公園の秋を思い出した。カリメグダン公園の秋も見事だった。ブナや樫の樹が多かった。その樹木の紅葉は、金色だった。広い公園のあちこちにベンチがあった。そしてその多くのベンチに老人が座っていた。みな一人。本を読むでもなくじっと何かを見つめるように坐って居る。孤独感いっぱいだったが、絵のように美しい光景だった。

  リュックに落葉をしまいこんだ老人の動きも絵になっていた。年老いて一人でいることが美しく思えた。私も妻が出勤すれば一人。散歩も一人。寂しい。でも夕方駅へ迎えに行って、改札から出てくる妻を見つけると、キュンとする。留守番の御駄賃かな。


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小さな村の物語 イタリア

2023年11月07日 | Weblog

 以前長年高校で英語教師をした恩人(注:今の妻の高校の担任で私たちを引き合わせてくれた)が「日本はポルトガルのような国になれればいい」と言った。彼は読書家で、また世界の多くの国々を旅した。私は彼の教養の深さを尊敬していた。

 私は、実際にポルトガルで休暇を過ごしてみて、彼の言うことがやっと理解できた。日本は、あらゆる分野において、一時の隆盛を失った。国の産業を牽引していた大企業は、軒並み大企業病に陥った。新興国の企業に次々に市場を奪われた。恩人は、まるで日本がこうなるのを見通していたようだ。国の隆盛が失われても、築かれた社会インフラや教育の向上によって、人々の生活は、格段に良くなっていた。恩人は、競争で大切なものを失うより、あくせくしないで生活を楽しめばいいと言った。恩人は、清貧で欲がなく、読書と旅行と少しの酒にカツオのたたきとタバコがあれば良かった。

 ポルトガルは、常に私の頭の中にあった。それがイタリアに行ってからイタリアがポルトガルに取って代わられた。イタリアに惚れた。気に入った。イタリアは、私が一番多く訪れた国になった。

  最初の結婚が離婚で終わった頃、知人に「『ひまわり』って映画観ていたら、お前の生き方そのものだと思った」と言われた。映画を観たが、まったく知人が言った事を理解することができなかった。

 月日が光陰矢の如しと言えるように過ぎた。海外での生活を終えて、今は海の近くの静かな町の集合住宅を終の棲家にして、暮らしている。毎週土曜日のBS日テレの『小さな村の物語 イタリア』を観るのを楽しみにしている。番組のはじめ、テーマ曲が流れる。良い曲だ。高校生の頃、イタリアの歌手ジリオラ・チンクェッティの『夢見る想い』に夢中になった。曲を何回も聴きながら、「絶対にイタリア語をマスターするぞ」と何回も何回も誓った。『小さな村の物語』のテーマ曲が流れると、グサッと「あのイタリア語をマスターする誓いはどうなった。お前もう76歳だぞ」の思いが刺さる。

 偶然新刊本を探していて、『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(著者:宮崎 勲 出版社:日本経済新聞出版社 価格:750円+税)を見つけて早速購入した。

 『小さな村の物語』を観るのが更に面白くなった。著者の宮島さんは、イタリアの新聞社に勤めた後、イタリアと日本を行き来して、ワインと料理に関する執筆活動をしている。

 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』の92ページに次のような文言を見つけた。“…映画が『ひまわり』である…” 『ひまわり』って以前、知人が私を連想したという映画だ。主人公のマストロヤンニは、ソフィア・ローレン演じる妻とイタリアに暮らしていた。マストロヤンニは、戦争に駆り出され、ロシアへ行く。そこでロシア人家族に命を救われる。そしてそこの娘と結婚して子供が生まれる。

 「ところがここで、『その場の魅力に夢中になってしまい、本来の目的を完全に忘れてしまう』という典型的な寄り道気質が出る」 私はピ~ンときた。“寄り道気質”  私の知人は、おそらく私にこの気質を見ていたのであろう。何と人を見る目があったのだろう。

 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』がテレビの『小さな村の物語 イタリア』を更に面白く楽しみに観られるようになった。私の寄り道気質も最後の仕上げ段階に入った。


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笑顔と笑い声

2023年11月01日 | Weblog

  離婚して子供二人を育てていた。ある時娘が「大きくなったらパパのお嫁さんになる」と言った。嬉しかった。娘に親子で結婚はできないと説明した。その時、「お前が大人になって結婚する時は、面白くて一緒にいて楽しい人がいいよ。」と言った記憶がある。私のお嫁さんになると言ってくれた娘は結婚した。男の子を育てている。娘が結婚した相手が“面白くて一緒にいて楽しい人”かの判定はできない。しかし私の最初の結婚のように、喧嘩したり別れるといった話は聞いていない。

 二人の子供が大学に入った頃、縁あって再婚した。前の結婚生活から多くの教訓を得た。私にも反省する点があった。私は、日記を毎日つけることにした。夜寝る前に、教訓が活かされているか確認する意味で日記を書き続けた。今でも日記を書いている。

 私は、妻の笑顔と笑い声が好きだ。妻は、東京の病院の勤務医をしている。朝、車で駅まで送っている。車の中で私は、妻を笑わせようとする。笑い声を聞きたいからだ。私は、普段から笑いのネタを探す。でも私の二番煎じのネタは、笑いをなかなかとれない。妻が笑うのは、私の実際の生活の中での出来事が多い。とにかく駅に着くまでに1回は最低でも笑いをとらなければと努力している。妻が声を上げて笑った日、駅で車から降り私の「気を付けて。行ってらっしゃい」に笑顔を返してくれる。この人と結婚して良かったと思う瞬間だ。

 世の中、嫌なことが多い。私の日常でも、妻の仕事の関係でも、住む集合住宅でも、住む町の事でも、国際状況でも腹が立つことがある。いつしか眉間にシワがよってしまう。笑おうと思ってテレビやラジオをつける。今や芸能界は、お笑い芸人だらけ。「お笑い」と冠を付けているのにちっとも面白くない。一番の間違いは、お笑い芸人が勘違いしていること。テレビやラジオで仕事をするための入り口が、「お笑い芸人」なのであって、「お笑い芸人」になることは、目的でない。大食い、いびり、仲間内の暴露合戦、住む家の値段、乗ってる車の自慢に終始。芸がない。そういうことを持ち上げ、取り上げるマスコミは、もっと悪い。日本社会のいびつさは、テレビやラジオ業界によく現れている。本来の落語や漫才やコントは、過去の芸人かテレビやラジオに出てこない真の芸人をYouTubeで探して観るしかない。

 私は、笑いたい。歳を取って、涙は簡単にこぼす。テレビで映画を観て、悲惨な戦争のニュース、災害に遭い途方にくれる住民を見て、犯罪で命を奪われた子供や若者やその両親を思って泣く。妻とティッシュの取り合いになる。涙の反応は、いたって感度良好である。泣くのも悪くない。良心が洗われるような気がする。でも笑いも必要。私は、ラジオニッポン放送の『三宅裕司のサンデーヒットパレード』を毎週録音してある。番組の中に『ワガママ怪獣 やだモン』『世界のマコさま』『HELP!!』のリスナーからの投稿コーナーがある。それを読む三宅裕司の上手さと投稿内容がいい。お笑い芸人の出ずっぱりのタネ切れ、出疲れ、飽き状態より新鮮で笑える。

 私は、娘に「お前が大人になって結婚する時は、面白くて一緒にいて楽しい人がいいよ」と言った。そう言っておきながら果たして自分が妻に対してそういう人物なのか疑問である。それでも私は、懲りずに朝になると、車の中で妻の笑い声を聞くために何とか笑わせようとしている。


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